「龍井紅(ろんじんこう)ネ。口に合うと良いガ」
目の前に紅茶が差し出される様子を黙って伺う。
俺達二人が連れて来られたのは、会場から程近い建物だった。
そこには無数のモニターが立ち並び、今行われている予選会の様子が映し出されている。
「……で、私達をこんな所まで連れて来て一体何用だ、超鈴音」
俺の隣でソファに腰を掛け、鷹揚に脚を組み、出された紅茶のカップを傾けながら不機嫌そうにエヴァが言う。
「貴様等がどこで何をして、何を企もうとどうでも良いがな……我等に手出しをして見ろ。———殺すぞ」
瞬間。
エヴァから殺気が溢れ出し、狭いとは言えない部屋を覆い尽くした。
決して、脅しなんかではない。
エヴァは、チャオがもし俺達に手を出そうものなら躊躇無く実行するだろう。
正真正銘の殺気。
それこそ、慣れない者ならばそれだけで失神してしまいそうなソレを。
「……勿論、それは重々承知の上ネ。マ、話だけでも聞いてみないカ?」
一瞬だけ怯みはしたものの、平然とした様子でチャオは受け流した。
これには流石に驚いた。
まさかエヴァの殺気を受けて、表面上だけとは言え、平然としている事が出来ようとは思わなかったのだ。
「……ふん、まあ良いだろう。茶々丸を貸し出している件を含めて考えれば想像は出来るからな」
「茶々丸を?」
そう言われれば、ここ最近茶々丸の帰りが遅かった。
俺はてっきり学園祭の準備で遅くなっているものだとばかり思っていたが……エヴァは何か知っている様子だ。
「エヴァ、茶々丸がどうしたって、」
「———そこからは私が説明させてもらうヨ」
俺がエヴァに問いかけると、そこに割り込む形でチャオが入る。
そうして俺の言葉を遮った彼女は、俺達の対面のソファに腰掛けると、重々しく口を開いた。
「……単刀直入に言うとするヨ。茶々丸ハ、私達の計画を手伝うタメにエヴァンジェリンさんから一時的に借りていル」
「計画? それって……前に俺に話していた大きな事業とか言うヤツか?」
「そう、それネ。とてもとても大きな事業でネ……彼女の能力は必要不可欠なのヨ」
「……そうか、それは分かった。でも、それが何だって『さっき』みたいな発言に繋がるんだ」
無論、俺が言う『さっき』とは武道会場での発言の事だ。
魔法の存在を喧伝しているかのような、更に言うならば、意図的に魔法使い達に魔法の使用を促しているかのような発言。
いくらなんでもアレは看過出来ない。
「フム……その質問に答える為にハ、もう一度『あの』質問を繰り返さなければならないネ」
「あの質問?」
そうして彼女は、真剣な表情になると俺の瞳をジッと覗き込んで———言った。
「———衛宮さん。衛宮さんはこの世界ヲどう思うカ?」
「……ッ、それは」
チャオの口から紡がれたのはあの日の言葉。
あの時、俺はそれに何て答えたのだったか。
簡単だ。
———答えられなかったのだ。
「……この世界ハ、危ういバランスの上で成り立テいル。それこそ奇跡のようなバランスと言テモいいかもしれなイネ」
俺が答えられないと見たのか、チャオはソファに背を預けながら話を続けた。
「けれどそれは、言い換えてしまえバ何時そのバランスが崩れても可笑しくないト言う事……見るといいヨ、アレを」
チャオはそう言うと視線を横に振った。
俺達もそれに釣られるように視線を向けると、そこにあったのは複数のモニター。
そこにはネギ君やアスナ、それに刹那やタカミチさん達と言った俺には顔馴染みの面々が圧倒的な強さで他の参加者を倒していく様子が映し出されていた。
……そう、本当に圧倒的としか言いようがない位に。
「理不尽だとは思わないカ? ただ魔法使い、もしくはその関係者と言うだけデ絶望的とも言えるこの能力差……魔法使い達にしてみれば、常人の努力など徒労でしかなイ。そして常人から見たら魔法使い達は超人の集まりにしか映らないヨ」
それはそうだろう。
魔法使い達は、魔法一つで常人の能力を遥かに凌駕することが出来る。
身体能力一つとっても、一流のアスリートですら一生を費やしても辿り着けない境を、魔法使い達は一瞬で飛び越えてしまう。
そんなものは不公平、理不尽以外の何物でもないだろう。
「けれど、今の所は目立タ混乱も無イ。それは何故カ? 答えは簡単ヨ、魔法使い達がその存在を秘匿しているからネ。……ここまではいいカ?」
「ああ」
「宜しイ。———所デ衛宮さんは魔法使い……正確には魔法世界の住人が何人いるか知テルか?」
「は? いや、知らないけど……そんなに多くないんじゃないか? 数万人くらいか?」
「いいや、その答えは的外れネ。正解は6千7百万人ヨ」
「———6千7百万人!?」
その途方もない数は一体なんだ。
俺も知識としては、地球とは別に魔法世界と呼ばれる別世界があり、そこに魔法使い達が住んでいると言う事は知っていた。
だが、それでも数万人……ないしは数十万人位だと勝手に予測していた。
理由としては、この世界の一般人にその姿が知れ渡っていない所から来ている。
その存在が公になっていない事を考えると、その絶対数が多くないからこそ今までその秘密が保たれて来たのだと。
ところが実際の数は6千7百万人。
良く今まで魔法が広がらなかったものだ。
「無論、こちらの世界ニ来ている魔法使いは大した数ではないガ、それでもそれだけの数がいル。……さて、ここでコレまでの事を踏まえて一つクイズネ」
「……クイズ?」
チャオはそう言うと、俺の瞳を覗き込むように体を寄せた。
その瞳はひどく真剣で、クイズなどと冗談めかして言っているが、その内容がいかに重大かを物語っている。
「……もし、何かの拍子で魔法世界が崩壊シ、魔法世界の住人がこちらに避難してきたら……どうなル?」
「……魔法世界が……崩壊?」
それは、全く予想だにしていない内容だった。
それに、なぜ彼女はそんな質問をこんなにも真剣な表情で聞くのだろうか。
「……答えて……貰えるカ?」
「あ、ああ」
俺はそんなチャオの様子に気圧されながらも考え込む。
魔法世界の崩壊。
それは即ち、6千7百万人の難民を生み出す結果となるだろう。
その中には無論、亜人間と呼ばれる種族の人達も含まれる。
そんな人間達が大量にこの世界に流入してきたらどうなるか?
そんなものは簡単だ。
大混乱に陥るに違いない。
6千7百万人と言う膨大な数の難民に加え、そこに今まで見てきた事のない人種が含まれているのだ、誰も彼もが騒ぎ立てるだろう。
そして更には、その中に魔法使いと呼ばれる超人的な能力者も少なくない数含まれている。
……人間は、己と違う者を排除する生き物だ。
肌の色が違うだけで差別を受ける世の中だと言うのに、人語を解するとは言え、文字通り姿形まで違う人間を目の当たりにしたならば、その反応は容易に想像できる。
その最たる例が、今俺の隣に座っているエヴァだ。
エヴァの場合、姿は人間そのものだが、成長する事がない。
その事によって、一つの場所に留まることが出来なかったし、決して少なくない迫害も受けてきたと言う話も本人から聞いている。
迫害とは、強者が弱者を虐げる、もしくは多数が少数を虐げることを言う。
けれど、それがもし一人でなく相手も同じ多数だったら?
逆に、数で劣っていようとも、明らかに能力が秀でていたら?
それこそ、一つの世界を形成してきたコミュニティーが丸々移動してきたらどうなる?
自分とは姿形が違う未知の集団への恐怖。
己より遥かに卓越した身体能力を持つ者達への劣等感。
隠されてきた存在への疑惑。
恐怖は危機感を生み。
劣等感は憎悪を生み。
疑惑は不信を生む。
その結果がどうなるか。
……そんなモノ、考えるまでもなく今までの人類の歴史が嫌と言うほど教えてくれる。
「……戦争が起こる。魔法世界の人間とこっちの世界の人間の間で戦争が起こる」
それこそ、こちらの世界の人間にとっては宇宙人がやってきたのと大差ないだろう。
いや、下手に姿形が似通っている分こちらの方がよっぽど性質が悪いかもしれない。
相手が本当に、自分達と見た目が全く異なる宇宙人だったならば、自分達と全く違う生物なのだからと納得も出来るだろうが、なまじ似たような姿をしている物だから、なぜ自分達には出来ないで彼等には出来るのだ、と言ったような嫉妬に近い感情を抱きやすいからだ。
そして、その劣等感は争いの引き金としては十分すぎる理由になる。
「———そう、そうの通りネ。だから私はソレを阻止したイ。つまり私のやりたい事業というのは世界を救うと言う事なのヨ」
「世界を救うって……まるで本当にそんな事が起きるように言うじゃないか」
彼女の言い方はまるでそれが確定しているかのような口振りだ。
地球だってやがては滅びる可能性があるのだから、それはないと言い切る事は出来ないが、それこそ言っても詮無い事だろう。
だが、彼女はそんな俺に構わず話を続けた。
「———起きる。間違いなく起きる出来事なのヨ、衛宮さん。それモ遠くない未来ニ。……だって、私は”知っている”カラ」
「……知っている?」
……その言い方は、予言や予測としての言葉ではない。
その言い方は既に体験してきた者の言葉だ。
———それはつまり。
「———そう、私は未来の人間ネ」
そうしてチャオは、真剣な表情でそう告げたのだった。