———そして歩く事数分。
……なんて言うか、凄い事になっていた。
何が凄いかって言うと、俺たちの進行方向の人混みがモーゼの十戒の如く真っ二つに割れて行くのだ。
いや、ある程度は予想していたんだが、まさかここまでとは……。
その原因は無論のことエヴァである。
エヴァが通りかかるだけで、それを見た周囲から感嘆の声が上がり、見蕩れるように道を空け、その声に反応して振り向いた人達がまた感嘆の声を上げて道を空ける。
その繰り返しの結果がこれだ。
ううむ……まるで超高級スポーツカーみたいな奴である。
走ってるだけで何故か前の車が自主的に道を譲ってくれる現象、あんな感じに近い。
や、実際乗った時はないから聞いた話なんだが。
無論イリヤから。
運転できるんだもんなあ、イリヤの奴。
初めて見た時はビックリした。
それはそれとして、一体どこに向かおうと言うのだろうか?
俺は手を引かれるままにエヴァの後を付いて行くだけで、行き先をまったく知らないのだ。
まあ、別に目的なんてあってないような物だからどこでもいいのだが。
「———さて、まずはここだ」
そうしてエヴァに引っ張られるように連れられて来た場所は、なんとも女の子が好みそうな、ワンボックスタイプの車を改造した移動式のクレープ屋だった。
どうやらなかなかに繁盛しているらしく、十数人ほどが順番待ちの列を作っていた。
「少し何か食べてから見て回ろうではないか。食べ物屋はそこいらにあるが昼はやはり込むからな、昼時で込む前に済ませておいた方が良いだろう」
「そっか。確かにそれが良いかもな」
確かに時間の節約とかを考えるとその方が効率が良い。
特に異論がある訳でもない俺は二つ返事で首を縦に振り、二人で列の最後尾へと並んだ。
「なあエヴァ、ここ、知ってる店なのか?」
「ん? なぜそう思う」
「いや、だって最初からここを目指して来たみたいだから……」
「ふむ、まあ確かに。この店は結構古くからやっていてな、味はそこそこなんだがメニューが豊富で飽きが来ないから私もたまに来るんだ。中には奇抜な物もあるからな、良かったら試して見ると良い」
「へえ」
エヴァがそこそこ何て言うなら、実際は結構なものなのだろう。何気に舌が肥えているからな、コイツ。
それにしても、やはりクレープ屋という事もあって並んでいるのは女性ばかりだ。
まあ、隣にエヴァがいるからそこまでの疎外感はないのだが、それでもやはり男が自分一人というのは余り居心地が良くない。
しかし、なんだって女の子ってこうも甘いものが好きなんだろうか?
俺自身も甘いものは決して嫌いじゃないのだが、いかんせん量が食べられない。ケーキもおそらく二個くらいが限度だろう。それ以上は胸焼けがして、とてもじゃないが無理だ。
ところが、女の子というものはケーキバイキングなる物にも行き、相当な量の甘味を食べるのだという。
その後には体重計という最大の難敵が潜んでいるのも当然の話だが。
「……い、いらっしゃいませ〜」
そんな事を考えている内に自分達の順番が回ってくる。
店員の女の子はエヴァの顔を見るなり数瞬見蕩れていたようだが、すぐに営業スマイルを浮かべた。
しかし、それでもどうやら気圧されているらしい。無理もない。
「私はブルーベリーレアチーズヨーグルトを。……士郎、お前は?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
手馴れた様に、すらすらと長ったらしい名前を注文するエヴァに急かされる様にしてメニューを覗き込む。
……ううむ。こうして見るとエヴァの言う通り本当に凄い品数だ。まさかクレープだというのに品数が50を軽く超えていようとは……クレープ、侮りがたし!
しかし、だからこそいざ注文する段階になると迷うな……出来る事なら甘過ぎないのが良いんだけど。
「———ああ、そうか。お前は甘いものは余り得意ではなかったな。だとしたら……この辺はどうだ?」
「ん?」
エヴァがそう言って指したメニューの一角は野菜やハムの乗ったサラダのようなクレープだった。
「……へえ。こう言うのもあるんだな。タコスとかケバブみたいな感じか?」
「似たようなものだな。まあクレープの生地は甘いからその差はあるだろうがな」
「じゃあそれにしようかな。エヴァのオススメみたいだし。———すいません、このサラダクレープの……えーと」
「———ゴーヤで」
「そうそう、そのゴーヤでお願いします。………………って、ゴーヤ?」
俺が注文をしようとすると、エヴァから奇妙なインターセプトが入った。
……しかもゴーヤって、そんなもんあるのかよ。
「畏まりました、少々お待ちくださいませ〜!」
言うが早いか、店員は早速調理を始めてしまう。
……と言うことは、俺は問答無用でゴーヤクレープなるものに挑戦する事が決定してしまったらしい。
って言うか本当にあるのか、ゴーヤクレープ……!
「こらエヴァ、何しやがる」
抗議の意味を込めて人の物を勝手に注文してしまった不逞の輩をジト目でにらみ付けてやると、その当の本人は楽しそうに笑っていた。
「くっくっく。まあ良いではないか。もしかすると意外と美味いかもしれないぞ?」
「他人事だと思って楽しそうにしやがって……まあいいけどさ」
結局、不承不承ながらも頷く。
味うんぬんは別として、興味があるか無いかで聞かれたら興味があることに違いは無いのだ。
だって、クレープにゴーヤだぞ? 味の想像なんか全くつきやしない。未知の領域である。
「お待たせしました〜!」
そんな掛け声と共に、出来上がったクレープを受け取り代金を払う。
列から離れてクレープの中を覗くと、片一方はいかにも美味しそうな、真っ白なクリームとブルーベリーソースの紫が鮮やかなクレープ。エヴァの注文した品だろう。
そしてもう片一方は……、
「……うわ、スゴイ見た目だな、コレ」
その見た目に思わずそう呟いてしまう。
なんて言うか———緑色だった。壮絶なまでに緑色だった。
名前の通り、中にゴーヤの塊がゴロゴロ入っているのはまだマシな方。
なんとこのクレープ……中の生クリームまでもが緑色なのである。恐らく生クリームにペースト状にしたゴーヤを練りこんでいるのだろう。……懲りすぎだろう、あからさまに。
所がこのクレープはそれで止まらない。
……あろう事か具を包む生地までもが緑色。恐らく材料に……まあ、言わんでも分かるだろう。俺は分かりたくはないが。
これがまだ抹茶とかなら話は分かる。
だが、そう考えてクレープの香りを嗅ぐと、何とも言えない青臭さが鼻に衝く。
……間違いない。全部にゴーヤを練り込んでいやがる!
いや、明らかにやり過ぎだろコレッ!?
もう自然な緑色って言うよりも、どこかの国の体に悪そうなケミカルカラー全開なあんまり食べたくないお菓子みたいな物体になってるじゃないか! もはや悪意を感じるレベルだぞッ!?
「……さ、流石にこれ程とは予想外だったな」
悪戯で注文してしまったエヴァも想像以上の物体にかなり引いていた。
その手元には何とも美味しそうなクレープが握られている。
……。
「…………」
「…………」
何となくそのクレープ(普通)を見てしまう俺。
俺の視線に釣られるように自分の手の中の物を見るエヴァ。
「…………」
「…………」
何となくそのクレープ(美味しそう)を見てしまう俺。
自分の手の中のクレープ、俺の手にあるクレープ(ケミカルグリーン)、俺の顔の順に見るエヴァ。
そして俺はおもむろに口を開いた。
「なあ、良かったら交換しな、」
「無理だ」
「……半分だけで良、」
「断る」
「…………四分の一な、」
「嫌」
……いやさエヴァ、そこは少しくらい考えてくれても良いんじゃないかと思う訳よ、俺は。
そもそもの原因はエヴァなんだからさ。
まあ、『らしい』っちゃ『らしい』けど。
しかし、見れば見るほど食欲がゴリゴリと削られていくケミカルグリーンは強烈だ。
「……はあ、食べるしかないか」
溜め息を吐きつつも、食べないと言う選択肢は始めからない。
食べ物を粗末にするなど料理人にあるまじき行為である。
……食べ物だよな、これ?
「ええいッ、ままよ!」
エヴァが隣で面白そうにニヤニヤと見守る中、覚悟を決めてクレープらしき物体にガブリとかぶりついた。
そしてそのままモグモグと租借。
……おや?
意外と何とも無い……?
味自体はほとんど感じられず、すると言ってもかなり薄い塩味だ。
噛んでいると時たま混ざるゴーヤらしき物のカリカリとした食感が面白い。
もしや見た目がアレなだけで、意外とまともなメニューだったのだろうか?
なんだ、別に美味しいという訳ではないが、普通に食べられじゃないか。
———と、俺が安堵した瞬間だった。
「…………っぐあ!?」
後から湧き上がる壮絶なまでの苦味。
「うわっ、なんだコレ!? 苦い……って言うか青臭ッ!?」
口内を暴れまわる強烈な苦さと鼻を抜ける異様な植物の青臭さが一瞬で襲ってきた!
口の中の唾液が全部灰汁に変化したみたいにエグイ!
さっきまでの味は薄かったんじゃない……全部この強烈な苦味に負けていたんだッ!!
「……っ……っっ!?」
その味に一瞬吐き出しそうになるものの、こんな往来で口の中の物を出すわけにもいかず、俺は出来るだけ味を意識しないように噛むスピードを上げ、涙目になりながらも何とか飲み下した。
「お、おい……士郎、大丈夫か?」
「……い、いや、なんとか大丈夫。ほら、良薬は口に苦しって言うだろ? そう思えば何とか……」
———あれ、そもそもクレープって薬だっけか?
俺の尋常じゃない反応に、さっきまで面白そうにしていたエヴァが俺の背中をさすりながら顔を覗き込んでくる。
超至近距離から見るエヴァの綺麗な顔立ちと良い香りに、ほんの少しだけ気が紛れたような気もするが、口の中の災害が収まった訳ではない。
それはそれ、これはこれなのである。
「わ、悪いエヴァ……やっぱりなんか口直しの飲み物とか貰えるか?」
「分かった、飲み物だな? 少し待て」
エヴァはそうやって言うと、俺の背中をさすったまま辺りををキョロキョロと見回した。
……正直な話、別に吐き気がある訳じゃないから背中をさすってくれたりしなくても良いんだが、気持ちが良いので何となくされるがままになっている。
当のエヴァは暫くそうやって見回していたが、どうやら飲み物屋や自動販売機は見当たらなかったようだ。
その事に少しオロオロし始めたエヴァに少し笑いが噴き出しそうになるものの、それはそれで俺が辛いままなのである。
「……む」
と、そこで、自分の手に持ったクレープに目をやった。
まだ口を付けていないソレを見て、エヴァは少し逡巡した様子だったが、やがて諦めるような溜め息と共に俺の目の前にソレを差し出した。
「士郎、飲み物は無いからコレで我慢しろ。味自体は濃いから口直しにはなるだろ?」
「……悪い、貰う」
少しだけ逡巡して俺は頷いた。
いつもの自分だったら恐らく断っていただろうが、この時ばかりは別だった。
それだけ口の中が大変なのである。
まあ、相手がエヴァだから余計な気兼ねをしなくて済むというのもあるんだろうが。
俺はそのまま差し出されたクレープにかぶりついた。
「……あー、なんだろう、凄く美味い。実際に美味いんだろうけど余計に美味しく感じる」
甘い物を食べた後にすっぱい物を食べると更にすっぱくなる……あんな感じ。ちょっと違う気もするけど。
口内を幸せな甘さが包んでいく。
嗚呼……やっぱり食べ物はこうあるべきだよな。
断じて苦行に望むような覚悟をして食すものじゃない筈だ。
「助かったよエヴァ。サンキューな」
「む、もういいのか?」
「ああ、元々はエヴァのだしな、俺が全部食べるわけにもいかないだろ?」
「そうか」
エヴァはそう納得すると、クレープを美味しそうに食べ始めた。
……ううむ、お約束だとここで間接キスだーとか騒ぎ出しそうなもんだが、エヴァにそういったものは無いようだ。
まあ、普段の姿は小さくても精神的には成熟しているんだし、そう言うのは一々気にならないのかもしれない。
「ん? どうかしたか?」
む、どうやら注視し過ぎたようだ。
俺の視線に気が付いてエヴァがこちらを向いた。
「あ、いや……特に用は無いんだけど、気にならいのかなって……」
「気になる?」
俺の言葉に一瞬首を傾げたが、すぐに察しが付いたように、「ああ」とクレープを見て頷いた。
「お前が口を付けた物を私が食べているのが気になるか?」
「……気にならないって言ったら嘘になるけど、お前は良いのかなって……」
「私は別に構わんよ。一々そのような事で騒ぎ立てるような小娘でもあるまいし。……それに」
「それに?」
「お前が口を付けたものだろう? だったら私にはそれを拒む理由がないよ」
「…………」
……ええと。
そう言う台詞を、その姿形で、そんな満面の笑顔で言うのは反則だと思う。
ほら見ろ、鏡を見ている訳でもないのに自分の顔が紅潮していくのが手に取る様に分かるじゃないかッ。
俺は、そんな風に赤くなっているであろう顔を、右手でペタリと撫でて空を仰いだ。
……ああ、くそ。今のは完全に不意打ちだ。
今の姿……いや、元の姿であっても今のタイミング、表情はヤバ過ぎた。中々顔の熱が取れないったらありゃしない。
「———あっれー? 衛宮さんじゃないですか。何してるんです? こんな所で」
「……え?」
そんな事をしていた俺は、不意に掛った声にそちらを向いてみると、明石さんと和泉さんが人混みに紛れるように立っていた。
その手には、たこ焼きや焼きそばといった、出店定番のメニューが握られており、いかにもお祭りを満喫している雰囲気だった。
「ああ、君等か。こんなところで偶然だな。残りの二人はどうした、一緒じゃないのか?」
「ああ、その二人はクラスの出し物当番なんですよ。私達はその差し入れを買いに」
そう言って、明石さんはたこ焼き等の詰まった袋を掲げて見せる。
「そっか、お化け屋敷だったっけ。順調そうか?」
「ええ、そりゃ〜もうスッゴイですよ! まだ開始して時間もそんなに経ってないのに行列が出来るくらいですからね!」
「へえ、そりゃ確かに凄いな」
まだ学園祭が開催されてから数時間も経っていないのにすでに行列が出来るなんてかなり凄い事だ。
学園祭なんだから事前に宣伝なんてものも難しいだろうし、それ以前に学園祭で並んでまで入りたいと思うほどの出来なのだ、相当な完成度なんだろう。
「そう言う衛宮さんは何してたんですか?」
「俺は……まあ、見回りも兼ねてブラブラ巡回してたとこ」
「あ〜……、そう言えばこの前もそんなこと言ってましたね。だったらやっぱ忙しいです? クラスの方に来るのは無理そうですか?」
「どうかな……そんなに忙しいって訳じゃけど、一箇所に留まっている訳にもいかないし。それに……」
そこに行くのを嫌がりそうな連れもいるしな。
「まあ、時間が取れそうだったら顔を出しに行くけど、あんまり期待しないでくれ」
俺がそう答えると、明石さんは溜め息を吐きながら肩を落としてしまった。
「はぁ……、そうですか。仕事じゃ仕方ないですもんね…………折角アキラを驚かせようと思ったのに」
「? 大河内さんがどうかしたのか?」
「あ、いえ、こっちの話です! …………って、亜子? さっきからどうしたの?」
そう言えば、先程から和泉さんがやたらと静かだ。
いつもだったらもっと積極的に話しかけてくるのだが……。
「——ッ——ッ——」
と、そんな和泉さんを見てみると、当の本人は何やら明石さんの服の裾をクイクイとしきりに引っ張り、口をパクパクとさせていた。
その視線は俺の方に……いや、正確には俺の背後に向けられている。
それで納得した。
———なるほど、またか。
さっきのクレープ屋の時といい、いい加減慣れてきた。
考えてみれば、立ち位置的に明石さんは俺の真正面に立っているから俺が壁になって見えないが、その横に立った和泉さんからはエヴァが丸見えなんだろう。
俺は首だけを巡らして背後を確認してみる。
するとそこには、早くどっかに行けとでも考えていそうな、あからさまに不機嫌そうな表情でクレープをパクついているエヴァがいた。
そんな彼女は俺の視線に気が付くと、鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
「……あれ? 衛宮さん、誰か後ろにいるん……で……す……か…………」
そんな俺達のやりとりをい疑問に思ったのか、ひょい、という感じで明石さんが俺の背後を覗き込んで……固まった。
そうして、数秒間そのまま固まった後、ギギギと油でも切れている機械のような動作でエヴァを指差し、顔を俺に向けた。
「…………ド、ドチラサンデ?」
「いや、どちらさんって言われてもな……」
考えてみれば、エヴァの変わりように驚いてばかりで、知り合いに会った時の対処方法をまったく考えていなかった。
魔法関係者ならそのまま説明すれば良いだけの話なのだが、当然明石さん達にそんな事情を説明するわけにもいかない。
エヴァの姉って事で誤魔化すか?
いや、でもその場合だと、だとしたらなんでエヴァ本人がいないのかって話になりそうだし……。
仕方ない、ここは別人って事で通すか。
「あ〜……、コイツは俺の昔からの知り合いなんだ。俺が麻帆良に住んでるから学園祭の時期に合わせて遊びに来たんだよ」
言いつつ、アレ、どっかで聞いた事のある言い訳だなと思ったが、なんてことは無い。
これって、アスナとネギ君にエヴァが聞かせた設定じゃないか。
「し、知り合い、ですか……、これはなんともまあ……ゴージャスな知り合いをお持ちで……あの、お名前は?」
「……な、名前?」
しまった、そこまで考えていなかった。
エヴァの方にちらりと視線を送って見るものの、当の本人は自分で言い出した事なんだから自分で何とかしろと言う視線を送ってくるばかり。……や、まったくもってその通りで。
「え〜と……名前か、名前はだな……」
考え込む俺。
この場合は流石に外国の人の名前だよな、エヴァの容姿で日本人なわけが無いし。
だとしたら更に難易度高いな……日本の名前だったら何となくでも決めれるんだけど、外国の名前ってなるとそう言う訳にもいかない。……お国柄にあった名前なんて知らないぞ、俺。
ええい、仕方ない! こうなったら思いついたまま言ってしまえッ!
「……き、」
「き?」
「———キティ・アタナシア」
「———ぶはッ!?」
俺の背後で何かを盛大に吹き出すような音が聞こえた。
それもそうだろう。
だって、エヴァのフルネームはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
エヴァンジェリン・『アタナシア・キティ』・マクダウェルなのだ。
すなわち俺は、エヴァのミドルネームをそれっぽく聞こえるように逆さまにしただけ。
……うん、偽名でも何でもないな、本名じゃないか。
まあ、エヴァ本人は『キティ』と言う部分が大層気に入らないらしく、他人に名乗る時も『A・K』と略して名乗っているので、本当の意味でのフルネームを知っているのは片手で数えられる位しかいないとは本人の談だ。
「キティさん……ですか。…………うぅ、ヤバイ。ヤバイよアキラピンチだよ……とんでもない強敵(ライバル)が現れちゃったよぅ……」
「?」
ブツブツと何かを呟いている明石さんに首を傾げる。
そこでなんで大河内さんがピンチになったりするんだろうか? それと強敵(ライバル)ってなにさ。
「うぅ……これはアキラに報告せねば…………って、ん? 衛宮さん、その手に持ってるの何です? 妙に蛍光色ですけど」
漸く気を取り直したらしい明石さんが俺の手の中にある物に視線を向けた。
「ん、これか? ゴーヤクレープだけど」
俺はそう言って、手に持った物体を掲げる。
相変わらず毒々しい緑色である。
……そう言えばコレの処理どうしよう。
そんな俺の内心を他所に、明石さんは驚きの声を上げた。
「ええ!? ゴーヤクレープって……あのゴーヤクレープですか!?」
「……明石さんの言うゴーヤクレープがどのゴーヤクレープを指すか知らないけど、これで間違いないと思う」
と言うより、こんな物を出す店が二つもあってたまるか。
「嘘、どこで買ったんですか!? それって移動式のお店で、しかも数量限定販売だから滅多に買えないって話題になってるんですよ!」
「へえ、そうなのか?」
でもまあ、確かに『話題』にはなるだろう、『話題』にはさ。
なんせこの見た目と味だもの、話題性には事欠かないだろう。
買えても俺は嬉しくないが。
「店だったら……ほら、すぐそこだ」
俺はそうやって後ろを指差した。
そこには相変わらずの行列と、よくよく見ると『今、話題沸騰! ゴーヤクレープの店!』と言ったノボリが掲げられていた。
……一押しなのか、このゴーヤクレープは。そして気付けよ、俺。
「ああ!? 本当だ、こんな近くに! よしッ、これは是非とも買わねば!」
意気込んで列に並ぼうとする明石さん。
しかし、そんな彼女が並ぼうとする直前。
「は〜い、本日のゴーヤクレープは売り切れました〜!」
先程の店員の女の子が、声を張り上げながら『ゴーヤクレープ本日終了』という立て札を立てた。
「……あ〜あ、売り切れちゃった」
そう言って明石さんは肩を落としてしまう。
いや、本人はとても残念そうだが、この場合は窮地を脱したと考えたほうが良いと思うんだが。
まあ、売り切れたってことは、俺のあずかり知らない場所で被害が拡大しているんだろうけど。
けれど、明石さんはどうにも諦め切れないのか、俺の手にあるゴーヤクレープを物欲しそうにジッと見ている。
……まさか食べたいのか? コレを?
「ジーッ」
ついには擬音まで口にし出す始末。
……いや、俺にとっては渡りに船だけど。
「……えっと、欲しいか?」
「欲しいです!」
間髪入れずに頷かれてしまった。
そんなに食べたいのか。
「一口齧ってるんだけど」
「問題ないです! いや、むしろそのままがいいです! そこはアキラに食べさせますから! もしくはアスナかこのかに!」
「なんでさ」
いや、問題あるだろ。
なんだってそこでその三人に限定するのかは知らないが、色んな意味で罰ゲームじゃねえか。
しかし、そこまで言うのなら俺もコレを譲るのは吝かではない……むしろ大助かりだ。
「じゃあ……はい、コレ」
ゴーヤクレープを手渡すと、明石さんはキラキラとした目で受け取った。
「わあ……ありがとうございます! 皆で大事に食べますね!」
「……は? 皆で?」
「はい、クラスの皆もまだ誰も食べた事ないって言ってたんで、衛宮さんからの差し入れってことで皆に一口ずつ分けようかなって。じゃあ私達差し入れを届けないといけないんで、これで失礼しま〜す!」
「衛宮さん、ほなな〜!」
「———あ、ちょッ!?」
言うが早いか、二人は踵を返して人混みに消えて行ってしまった。
俺の引きとめようとした声も、喧騒にかき消されて届かない。
「……アレを皆でって……」
想像する。
小切りにされた『アレ』を3−A全員が一斉に口に含む様子を。
「…………ま、死にはしないな」
明確に想像すると恐ろしい事になりそうだったので、途中で思考を切り上げて早々に結論を出す。
少なくとも健康に害のある物ではないしな、うん。
味覚と精神力はゴリゴリと削られるけどな!
「———やれやれ、漸く行ったか」
「悪い悪い、待たせたな、キティ」
「キティ言うな」
俺がその名前でエヴァを呼ぶとむくれてしまう。
むう、良い名前だと思うんだが。
「それより士郎、さっさと次の場所に行くぞ。いい加減待ちくたびれた」
「そうだな、行くとするか」
確かに随分と話し込んでしまったようだし、そろそろ次の目的地に行ったほうがいいだろう。
「で、次はどこに行くんだ?」
「いや、別に目的地なんてないがな?」
「へ? なんだそりゃ?」
「む、なんだその呆れた様な表情は。元から適当にブラつくと言う話だったろうに、目的地なんてある訳もなかろう」
「それはそうだけど……」
普通、あそこまで自信満々に行くぞって言われたら、何処か目的地があるって思うじゃないか。
でもまあ。
「それはそれでいいか」
目的地なんて別に決めなくて良い。
気ままに、気楽に、ゆっくりと廻れば良い。
どこに行ったって楽しいに決まってる。
だって、
「よし、では行くぞ士郎!」
「はいはい」
隣にはエヴァがいるんだ。
だったら退屈なんてする訳がないに決まってるじゃないか。
◆◇—————————◇◆
「———ふん、麻帆良学園か……まさかこんな形で来る事になるとはね」
喧騒の中、一人の少年が呟いた。
学生服をキッチリと着込み、整然とした様子は何も可笑しな所は無い。
この学園の制服ではないものの、学園祭期間中に訪れる学生などそれこそごまんといる。
その証拠に、誰もが少年を気に留めず側を通り抜けていく。
だが、そんな彼等と違う点があった。
表情が無い。
喜怒哀楽。
そんな感情が全くと言っていいほど表情に無いのだ。
「……それにしても脆い。いくら祭りで警備が緩むと言っても、こうも容易く進入できるとは脆弱過ぎる……本当に『彼』がここにいるのか?」
そう言って少年は周囲を見回した。
多くの家族連れ。
年若い男女のグループ。
そのどれもが楽しそうな表情をしている。
「…………」
それを見た少年はほんの一瞬だけ、何か眩しいものでも見るかのように目を細めた。
「……ふん」
しかし、そうやって鼻を一度鳴らした後にはまた元の無表情に戻る。
それこそ、幻であったと錯覚するかのように。
「まあいい。何にしても僕には関係のない事だ。居たら居たで用件を果たせるし、居なかったら居なかったで———」
そこで言葉を止めて遠くを見やった。
その視線の先には巨大な樹———世界樹。
そこから発せられる世界を覆うような莫大な魔力と、そしてそこに奇妙に絡まった術式を感じ取り、微かに唇の端を持ち上げた。
「———何やら、興味深い事もやってるみたいだしね」
最初は本当に『彼』について興味があったからの今回の行動だったが、どうやら運が向いているらしい。
まさかこんな所で思わぬ収穫があるとは嬉しい誤算だ。
どこの誰だか知らないが、こんな大規模な術式は年単位での下準備が必要だろうにご苦労なことだ。
まあ、どこの誰だろうとそんな事に興味は無い。
『真祖の吸血鬼(ハイデイライトウォーカー)』である、『彼女』のモノであるならば厄介なこと極まりないが、散見する術式の拙さを見る限りあり得ないだろう。
ならば興味は、その術に利用価値があるかどうかだけだ。
「……さて、どう動くかな」
そして少年はもう一度、世界樹を見上げ歩き出した。
高速で思考を巡らせ。
自身の望む結末に持っていくため、何をすべきか。
足音を響かせコツコツと。
真っ白な幽鬼のような少年の姿が、人混みに掻き消えた。