「えっと、それではこれから授業を始めたいと思います」
教室内に幼くも凛々しい少年の声が響く。
それを真面目に……とまではお世辞にでも言えないが、取り合えず話を聞く気はあるらしい元気な生徒達の「はーい!」という声が答えた。
「えー、本来なら時間割通り調理実習を行うんですが……」
大きな窓から差し込む暖かな光が教室内を明るく照らし、開け放たれた窓からは初夏を感じさせる風が流れ込んでくる。
太陽が真上に掛かるまではもう暫く時間を要するだろう時間帯。
各グループごとに分かれた生徒達の前にあるテーブルの上には、瑞々しい新鮮な食材が並んでいた。
「担当の先生が風邪でお休みになってしまいました」
そんな中、興味津々といった視線が一点に集中している。
「なので、今日は臨時講師の方に来ていただきました」
ネギ君の視線が”こちら”を向く。
「喫茶『土蔵』の店長さん、衛宮士郎さんです。ヨロシクお願いします!」
その声に追随するように生徒達から『お願いしまーす!』と元気な声が上がった。
———あえて言わせて貰おう。
「……なんだこの状況」
時を遡る事、十数分前。
月曜日で店が定休日の俺は、いつもの如く家で家事をしていた。
いつもと違うのは、今日はエヴァ達が家庭科の授業で料理を作る為お弁当はいらないと言う事ぐらい。
さて、そうなると昼ごはんを食べるのは一人だし、散歩がてらたまには外食でもしてみるかと考えていた矢先、ポケットに入れてあった携帯電話が着信を報せた。
「……珍しいな、こんな時間に」
一人呟いてジーンズの後ろポケットに捻じ込んだ携帯電話を引っ張り出す。
自分に電話を掛けるような人物は、大抵この時間帯は授業を受けている、もしくは教えているので基本的には電話が鳴る事はない。
そんな考えの上、相手を確認しようと画面を見たのだが、
「……誰?」
知らない番号だった。
俺の携帯電話に登録されている相手ではないのだろう、ただ無機質に番号が表示されているだけだ。
「…………」
何とはなしに鳴り続ける電話を眺める。
……なんか嫌な予感がするんで出たくはないんだが。
だが、未だに電話が鳴り続けているのだから何がしかの用事があるのだろう。
「……もしもし?」
そうして俺は、通話ボタンを押した。
……いや、押してしまったのだった。
そこからの流れは、どこかで見たような展開。
電話は学園長から。
ダイジェストにお送りするとすれば、『もしもしワシじゃ大変な事件が起こってしまったので君の力をぜひ借りたい大至急女子中等部調理実習室まで来てくれ』と、まあこんな感じ。
ソレを疑いもせずに信じてしまった俺はノコノコ学園に来てしまい、後はネギ君が今言った様な事に繋がる訳だ。
だからこそもう一度言わせて貰おう。
「……なんだこの状況」
そう溜め息と共に呟いて辺りを見回す。
するとまあ、見知った顔の多いこと多いこと。その表情もさまざまで、驚いている顔、ニヤニヤしている顔、興味深そうに観察している顔、ニコニコしている顔など、実に様々だ。アスナとかこのかはさっきから、しきりに手を振ってニコニコしているが。まあ、不審に思われているような顔が無いのは、京都で一応俺の顔を見知っているからだろうから、その点はありがたいと言えばありがたい。
そんな中に、一番の反応を示しそうなエヴァの顔はない。
彼女は俺がこの教室に顔を出した瞬間に全てを悟ったような表情をし、次に額に青筋を浮かべて教室を颯爽と出て行った……って、あ、帰ってきた。
「——————」
エヴァは、教壇に立つ俺を見ると、満足そうな表情で頷くと、ぐっと親指を立てた握りコブシを突き出した。……ただし指先は下に向けて。頬にはナニカの返り血のようなモノを付けて。
それはアレか、例のヤツを狩ってきたと言う意思表示なのか、狩ってきたんだなそうなんだな。
「——————」
よし、エヴァ良くやった。
俺も同じようにしてコブシを突き出して返す。
すると彼女は満足そうに、フフンと鼻で笑い、光り輝く金色の髪を手で優雅に靡かせてから自分の席へと戻っていった。
そんな俺とエヴァのやり取りに、意味がわからないと言うような視線が集まったが気にしないことにする。
しかし学園長も懲りない人だ。
こうなるって事は最初から分かっていただろうに、面白がって引っ掻き回すから余計性質が悪い。今頃はきっと頭から血を流しながら、何時もの特徴的な笑い声を上げていることだろう。
ソレを別としても、色々問題とかは無いのだろうか、教員免許とか何とか色々。……いやまあ、今更って感もあるが。
「すいません衛宮さん。急にこんな事になってしまって……」
そんな埒も明かないことを考えていると、隣に立ったネギ君がいかにも申し訳ないといった表情で見上げていた。
「ああ、いや。確かに急だったし吃驚もしたけど、別に嫌とかそんなんじゃ無いから」
「うぅ、そう言って貰えると助かります」
ネギ君は恐縮しているが、これは本当のことだ。確かにいきなりこんな事になって驚きはしたし、誰かにモノを教えるのは本当に苦手だが、内容が料理を教えるなどと言った、いかにも平和的なことだったら俺も教えるのは吝かじゃない。
免許や適正云々の話を別と考えれば、俺も喜んで協力したいような類の話には違いないのだ。
「さてネギ君。教えるのは良いんだけど一体何を作るんだ? 俺も学園長にいきなり呼ばれたから何にも聞いてないんだ。流石に知らないような料理だったら俺も教えるのは無理なんだが……」
「えっと、献立は……鯖の味噌煮にジャガイモとワカメのお味噌汁。それにご飯ですね」
「ああ、それなら教えられるな。調味料と材料は……っと、うん。揃って……いや、無いな。ネギ君、鯖がないぞ」
殆どの食材が揃っていると言うのに、メインの鯖が無いのはどういった事か。
ネギ君はそんな俺の疑問に、胸の前でポンと手を合わせた。
「あ、お魚ですか。それだったらあそこの発泡スチロールの中に入ってます。なんでも産地直送とか学園長が言ってましたけど」
「なんと」
学園の授業で産地お取り寄せとは豪勢な。
ネギ君が指し示す方向には大きな発泡スチロールの箱が、デンと鎮座していた。
豪快だなーあの人なんてことをキュキュッという、発泡スチロール独特のこすれる音と共に考えながら箱の蓋を上に引っ張り上げる。
はてさて、一体どれほどの物が用意されているやら。
そして俺はパカリと蓋を開けて、
「…………」
パタリと蓋を閉じた。
そして目頭をグッグッと指でマッサージ。
「あ、あの、衛宮さん……なんか問題でもありましたか?」
そんな俺の行動を不審に思っただろうネギ君が声を掛けてきた。
「……んー、いやー、問題はないよ、うん。無いんだけどさ……」
そう言ってもう一度蓋を開けてネギ君に中身を見せた。
「うわー! 元気なお魚さん達ですねー!」
「うむ」
ネギ君の歓声に重々しく頷く。
そうなのだ。この魚たちは生きているのだ。むしろ元気に泳ぎ回っている。
箱の中にはしっかりと水が張られていて、その中を魚達が所狭しと泳ぎまわっている。
新鮮とかそんなレベルじゃねえ……。幾らなんでもやり過ぎでしょう学園長。
しかし、授業で生きてる魚を捌くとか幾らなんでも難易度高くないか?
中には捌く前の魚に触ったことが無いとかそんなレベルの子がいても不思議じゃないだろうに。
「あ、ホントだ。すごーい」
「おお〜、ええ鯖やなぁ〜」
ネギ君の声に反応したのか、寄って来たクラスの女の子達が皆で箱を覗き込んでいる。
アスナとこのかに至っては、俺の隣にしゃがみ込み、水の中に手を入れてバシャバシャと遊んでいた。
エヴァはその反対側の俺の横に立ち、
「……刺身か」
勝手に献立を変えないで下さい。
いや、味噌煮だからな? 確かにこれだけ活きが良ければ刺身が一番美味いってのは分かるけども。
そもそも鯖って刺身で食べられたっけ? なんか生で食べられないからしめ鯖とかが主流だった気がする。
まあ、そんな事はいいか。
「あー……君達に質問。この中で魚を捌いた事がある人は?」
その声に上がる手がチラホラと。
むむむ、全部で7人か。
「じゃあ生きてる魚捌いた事があるのは?」
すると今度は、上がっていた手が半分以下の3人になってしまう。
まあ、無理も無いか。むしろ7人も魚が捌けることの方が凄いのかも知れない。
ちなみに残ったのは三人の内一人は茶々丸だ。まあ普段から一緒に料理してて捌けるの知ってるから当然だろう。
それこそ最初の方にはこのかの手も上がっていたのだが、流石に生きている魚となると捌いた事がないらしく今は手が下がってしまっている。
そして、後の二人なんだが……なんかどこかで見た顔なんだよな。もちろん学園の中ではどこかで見ているのだろうけど、それとは別の場所だったような気がするのだが……。はて、何処だっただろうか?
「ええと……、茶々丸は良いとして、君達は……」
「超(チャオ)。超鈴音(チャオリンシェン)ネ。超でいいアルよ」
「私は四葉五月って言います」
頭の横にお団子のように上を纏めたほうがチャオさん、肩口までの髪を両サイドで結っているのが四葉さんか……。
ん? 待てよ……チャオ?
「えっと……チャオさん?」
「別に呼び捨ててで構わないネ。で、どうかシタか?」
「じゃあチャオ。ちょっと聞きたいんだけど……たしか君って『超包子』にいなかったか?」
『超包子』。
これはつい最近、エヴァに連れられて行った店の名前なのだが、やたらと中華が美味かったのを覚えていた。そして、その中でウェイトレスとして働いていた女の子の中に彼女がいたような気がする。
「いるもなにも……あそこはワタシが経営している店ネ」
「経営!?」
「ちなみにこの四葉はウチの料理長ヨ」
「———なんと」
これは驚いた。
てっきりバイトの子かと思っていたのに、まさか経営者だったとは。
更に言うなら、こっちの四葉さんはその店のシェフだと言う。
二人とも中学生だというのにだ。
いやはや……こっちの世界の出鱈目さにもいい加減慣れてきたつもりだったがまだまだらしい。
「そういうアナタこそ噂は聞いテルね。衛宮士郎さん」
「俺の?」
「ウム。創作喫茶『土蔵』……いくら立地が優れているとはいエ、よもやたったの数ヶ月でワタシの店のライバルになるとは思てなかタね」
「ああ、そういう事。そこはほら、ウチには優秀な座敷わらしがいるから」
そう呟いて、ちらりと横目でエヴァを流し見る。
先ほどの俺の発言は聞こえていなかったらしく、エヴァは大きな欠伸をしていた。
実際の話、いつも定位置に座り紅茶を飲んでいる彼女見たさで来るお客さんも決して少なくは無いのだ。それも男女問わずにだ。
確かに店の雰囲気も、カウンターに腰掛けて優雅にカップを傾けるエヴァには異常なまでにハマっている。世が世なら正真正銘のお姫様なのだから、当たり前といえば当たり前なのかも知れないが、そのどこか浮世離れした姿に見蕩れるのも分かる気がする。
詰まる話、エヴァはいるだけで売り上げに貢献していたりする。なので、俺の座敷わらし発言も決して的外れな物ではないと思っている。
……本人に言ったら怒られそうではあるが。
「ほうほう。ツマリ、マスコットを用意している訳アルか。なかなかの策士ネ」
「……いや、別に策ってわけでもないんだけどな」
どちらかと言えば、自動的に居ついているとかそんな感じ。
それは兎も角。
俺はパンパンと手を打って気持ちを入れ替える。
「さて、それじゃあ君達には魚を捌く手伝いをして貰いたい。流石に魚を捌いた事もない子達がいきなり生きたままのを捌くのは難易度が高すぎると思うから、まずは君達三人に絞めてもらってから各班に魚を配って捌いてもらおうと思う。あとは魚を捌いた経験がある子を各班に一人づつ配置して、その子を中心に料理に取り掛かる……こんな感じでどうかな、ネギ君?」
「はい、それでいいと思います。———それでは皆さん! 今、衛宮さんが言われたとおりにお願いします!」
ネギ君の声に『はーい』という返事をすると、わらわらと行動を開始する生徒達。
茶々丸、チャオ、四葉さんの三人は手際良く魚を絞めていくと、それを各班に配っていく。
「それじゃ、魚が配られた班からキチンと手を洗って魚を捌くように。俺も各班を回って行くから分からない事があったらその都度聞いてくれ」
黒板に作り方や調味料の分量等を書いた後、そんな声を張り上げながらテーブルの間を歩く。
するとまあ、想像通りの悲鳴があちこちから聞こえてくる。
「きゃーッ!? 千鶴さん、血、血が出てますことよ!?」
「あらあら綾香、お魚さんだって生きているのだから血ぐらい出て当然でしょ?」
とか。
「ムムム、この魚……死して尚私を睨み付けて来るとは……なかなかの気概アルね!」
「ほう、それは骨のある魚もおったものでゴザルな〜」
とか。
まあ、ちょっと想像していたものより斜め45度を低空飛行しているような物も混ざっているが、概ね順調らしい。俺自身も、時折かかる質問の声になんとか答えながら調理台の間を歩いていると、一際大きな歓声が上がった。
一体何事かとそちらの方を向いてみれば、そこには見慣れた顔ぶれが揃っていた。
刹那を中心に、アスナ、このか、宮崎さん、綾瀬さん、早乙女さんと言った面々だ。
そこで、ふと疑問に思った。
はて、料理と言う場面で何故刹那が中心になっているんだろう? こういう場面ではこのかがメインになるような気がするんだが……。
そんな風に俺が頭の上に疑問符を浮かべながら首を捻っていると、輪の中心にいた刹那が、おもむろに魚の尻尾を掴んだかと思うと、あろう事かその魚を上空に放り投げてしまったのだ。
「……は?」
想像だにしていなかった展開に目が点になり、思わず間の抜けた声が出てしまう俺。
そんな、展開に付いて行けていない俺を置き去りに、刹那は傍らに置いてあった包丁を素早く握ると、そのまま空中に浮いたままの魚にその手を高速で走らせた。
そうして再びまな板の上に落ちた魚を見て、また歓声が上がる。
「…………え〜」
俺はそんな歓声を余所に、眉間を揉みながら気配を殺して刹那の後ろに回りこむ。
「わ〜、せっちゃんスゴイ、スゴ〜イ! お魚が一瞬で三枚に卸されとる! な、な、もっかい見せてくれへん?」
「———はい! お任せ下さい、お嬢様!」
「任せられるか、この剣術バカ」
ズビシと、やたらに嬉しそうな顔で張り切る刹那の後頭部目掛けて手刀を一撃。
すると刹那は、叩かれた後頭部を両手で押さえながらこちらを振り向いた。
「し、士郎さん……」
「こらこら、食材を使って何遊んでるんだ。ちゃんと調理しなきゃ駄目だろ?」
「うっ……申し訳ありません」
「え〜、でもでもシロ兄やん。せっちゃんスゴイんよ? お魚一瞬で三枚卸しにしてまうし」
「作業が早いのは良いけど、そのやり方が問題だろ? このかだってああいう風に調理された物を食べるよりは、時間をかけてでもちゃんと調理をされている物を食べたいだろ?」
「う〜……そらそうやけど」
「だったらキチンとしないと。ほら、この班はこのかがリーダーなんだから率先してやってくれないと先に進まないぞ」
「……んもう、シロ兄やんはイケズやな〜」
このかはプンプンと言う擬音が聞こえそうな、頬をまるでリスのように膨らませて拗ねる様に俺を睨み付けた。
うん、そんな事をやっても可愛いだけでちっとも怖くないんだけどな。逆にその頬を指で突いてプスーとか言わせたくなる気分になる。
「イケズでも何でもいいからキチンとやる。ほら、アスナも料理が苦手だからってそんな端っこで隠れるようにしてたって無駄だからな」
「げ。バ、バレてた……?」
「当然」
むしろバレていない訳が無い。
何をやるにしても物事の中心になるような奴が、いきなり隅に隠れるようにこそこそしているのだ。それで気が付かない方がどうにかしているだろう。
「このか、任せて大丈夫か? お前なら大丈夫だと思うけど、大まかな手順は黒板に書いてあるから分かるから……」
「うん、オッケーやでシロ兄やん。そんなに難しい料理でもないし、ウチにも出来るで」
このかはニッコリと笑って親指を突き出して見せた。
うん、この分なら任せても大丈夫だろう。
「そっか、それなら任せた。———刹那」
「は、はい」
「いいか? くれぐれも普通に作れよ? 豆腐とかを手の上で切るならまだしも、間違っても空中で切るとかアクロバティックな事はしなくて良いからな?」
「……り、了解です」
がっくりとうな垂れる刹那。
少し言い過ぎた気がしないでもないが、間違って覚えられても困るし……まあ、あんな調理の仕方が出来る人自体あんまりいないとは思うが…………あ、やだな、なんか考えてみれば出来そうな連中の心当たりが数人からいるぞ。料理自体出来るかは別にして。
それは兎も角。
それでも、根が真面目な刹那のことだ、言い聞かせればキチンとするだろう。
「他に問題のありそうな班は……っと」
とりあえずこのかにその場を預け、他の班の様子を眺めてみる。
うん、どうやら概ね順調なようだ。
「……それにしても」
そう呟き、とある一角を眺める。
「……滅茶苦茶上手いな、あの子」
視線の先にいるのは、先ほどの四葉五月という名前の少女。
このかだって十分に料理は出来るのだが、それと比較しても手際が凄く良い。……と言うか、俺よりも良いだろう。
チャオが先ほど『超包子』のオーナーシェフだと言っていたが、なるほど、確かにあの手つきはプロその物だ。
「———どうネ、ウチの料理長は」
そんな様子を眺めていると、不意にチャオが俺の隣にやって来た
そしてそのまま視線を四葉さんに固定すると、腰の後ろで手を組んで尋ねてきた。
「いや、ホントに凄いな。別に疑ってた訳じゃないけど、実際にこの目で見るまで実感が湧かなかったから……正直、かなり驚いてる」
「ウム。五月の実力は私モ認めている所ネ。……しかし、そう言う衛宮さんだって中々の物なのではないカ?」
「……どうだか。俺の場合は専門に学んだ訳じゃないからな、その道のプロに言わせれば、どうしても中途半端な感じになるんじゃないかな」
「その割には随分繁盛してイルが?」
「それこそ立地が良いからだろ。学校の寮の前じゃなかったら、あそこまでのお客さんは来ないだろ。———ああ、そうそう。この前『超包子』で食べさせてもらったけど、多分、味だって負けてると思う。うん、美味かったよ」
「……謙遜が上手いネ」
「本心だけどな」
そんな会話をしながら何となく四葉さん達の班の様子を眺める。
お互いに今日初めて会話したのだから、特にこれと言った話題もないのだが、何故か隣に立つチャオはそのままそこを動かない。
はて、なにか俺に用事があるんだろうか?
「……衛宮さんハ」
「うん?」
「衛宮さんはこの世界ヲどう思うカ?」
「……随分、曖昧な表現だな」
「別にそんな難しく考える必要ナイね。率直に、今の生活をどう思っているかでイイよ」
「生活……か。まあ、そういう括りなら概ね満足しているが……」
「そうカ。それは結構。……では、魔法の在り方に関してハ?」
「……ッ、君は!」
瞬間、心臓が跳ね上がった。
こうも不意打ちの形で、魔法という単語を聞くとは思っていなかったからだ。しかも、こんな周囲に人がいる場所で、だ。
「おっと、そう身構えナクても大丈夫ヨ。周りには聞こえていないシ、聞かれたとしてモこの騒ぎ……聞き取れる訳がナイヨ」
「……君は一体……」
俺が若干警戒しながらもそう尋ねると、チャオは飄々とした態度で肩を竦めて見せた。
「まあ、魔法関係者だと思て結構ネ。ダカラ、アナタと一緒に住んでいるエヴァンジェリンの正体も知っているシ、そもそも茶々丸を製作したのは私ヨ」
「……君が、茶々丸を?」
そう言えば以前にエヴァから聞いた事がある。純粋な魔法技術によって製作されたチャチャゼロ等とは違い、茶々丸は魔法と科学の混血児だと。魔法に関する技術提供はエヴァがしたらしいが、科学側の方の技術者が誰だったか等は聞いていなかったのだが……そうか、彼女が。
「それデ、質問に答えてくれるとアリガタイんだが」
「あ、ああ……魔法の在り方か……魔法の在り方について俺は———……」
チャオの質問に答えようとして、不意に言葉に詰まる。
質問の内容が突飛だからと言う訳ではない。 考えた事が無かった訳でもない。
だが、改めて聞かれると分からなくなる。
……俺は、魔法に対してどういう風に考えているんだ?
俺にこちらの魔法のことを教えてくれたのは他でもない、エヴァだ。また、一番身近な存在としてもずっとずっと傍にいたのだから、その考え方が俺に少なくない影響を及ぼすのも道理だろう。
彼女はその生い立ちからか、非常に達観した思考を持っている。
また、ほとんど他人に興味を示さないその性格故か、魔法が一般の人たちに及ぼす影響に対しても無頓着だ。
しかし、この彼女の思考が他人に影響を及ぼすことは少ない。
エヴァはそもそも騒がしいのが嫌いなのだ。
魔力の大部分と共にこの地に封印されている今は、その力で出来ることは限られている。そんな中途半端な状況で、他人に魔法のことがバレしまい、騒ぎになるのが心の底から鬱陶しいのだろう。
だからこそこれまで魔法の存在を秘匿し、平穏に過ごして来れたのだ。
だからだろうか。
俺自身もこちらの世界に来てから暫くの間は、この世界の魔法の在り方に脅威を覚えることは無かった。
大きな出来事もなく、あったとしても魔法関係者の刹那と出会った事ぐらいだ。
それ以外の部分では平穏で。暖かくて。優しくて。
まるで夢のような世界だと……そんな風に感じていた。
だが、その考えに段々と歪みが生じてきたのは何時頃からだったろう。
修学旅行?
エヴァとの事件?
図書館島での騒ぎ?
…………それとも、『彼』がここに来た時から?
「……ッ」
その、最後に浮かんだ考えに頭を振る。
違う、彼は悪くなんかないじゃないか! いつだって一生懸命にがんばっている姿を俺は見てきた! それを今更俺は……っ!
……だがしかし。
俺はどうしても考えてしまうのだ。
この間の、悪魔の襲来事件からずっと頭から離れずにわだかまっていた感情。
もし、彼がここに来なかったら、アスナやこのか達もあんな事件に巻き込まれなかったんじゃないか。
もし、彼がここに来なかったら、このかはもう少しの間、魔法なんてものの存在を知ることなく平穏に過ごせていたのではないか。
もし、彼がここに来なかったら、宮崎さんはこんな世界に足を踏み入れることも無かったのではないか。
もし、彼がここに来なかったら、アスナは武器を手にすることも無かったのではないか。
もし、彼が。もし、彼が。もし、彼が。
…………もし、彼が、ネギ君が。
いや、それも少々違う気がする。
前提からしておかしいのではないだろうか。
———そもそも、魔法使い達が何も知らない人達の中で態々暮らす必要が何処にあるのだろうか?
魔法の存在を秘匿したいのならば、その行動はマイナスしか生まないというのにだ。
「…………」
「……スマナイ。どうやら不快にさせてしまったらしいネ」
「……あ、いや」
沈黙した俺に彼女はそう謝ると、初めて俺の方に向き直った。
そして、ジッと俺の瞳を覗き込むような仕草をする。
その様子はひどく真剣で、俺も目を逸らすことが出来なかった。
「……なるほどネ」
「……なるほどって……なにがだ?」
「イヤ、こちの話ネ。———先ほどの質問の答えはもうイイヨ。今ので答えて貰たようナ物だかラ」
俺の沈黙から何かを感じ取ったのか、チャオは納得したように目を瞑ると、クラスメイトの元へと足を進めた。
そして、その途中。
首だけを回して、いかにも気軽にといった様子で振り返った。
「———アア、そうそう。言い忘れてた事があたネ」
「……どうした?」
「ワタシ、近々新しい事業を始める予定なんダガ……衛宮さんも一口噛まナイカ? きっと、衛宮さんも気に入ると思うヨ」
「……内容を聞かないことには何とも言えないけど……俺に出来ることなら考えさせてもらうよ」
「そうカ。まあ、その時になれバもう一度誘わせてもらうネ。その時は色よい返事を期待させテもらうヨ。では———再見(ツァイツェン)」
そうして、ヒラヒラと手を振って今度こそクラスメイトの元に戻って行った。
何でもない会話。
何でもないやり取り。
……だがしかし。
彼女の残した最後の言葉が、そんな事がある分けないのに、俺には全く別のモノに聞こえていた。
……その音はまるで。
———鉄を打つような音だと、俺の心が感じていた。