最近、どうも学園内の空気がが慌しい。
そんな事を思ったのは、毎度おなじみの学園内散策をしている最中の事だった。
夕刻も近い下校時間。
いつものように人通りの多い道だが、この頃はその人々が妙に忙しなく動いているのだ。
「まあ、麻帆良祭が近いからな。その準備だろう」
そんな俺の疑問に答えたのは、帰りがけに偶々一緒になったエヴァである。
茶々丸の方はなにやら用事があるらしく、帰りが遅くなるかも知れないとの事だ。
「麻帆良祭?」
俺の疑問の声にエヴァは鷹揚に頷いてみせると、黄金の髪がサラサラと流れた。
「うむ。いわゆる学園祭だな。この学園は何かと規模も大きいうえに、全学年が一斉に行うからな、なかなかのものだぞ」
「へえ、学園祭か」
確かに、言われてみれば忙しく走り回っている人達の表情はどこか楽しげだ。
それにエヴァの言う通り、この学園の規模を考えれば、それは最早一大イベントに違いない。
そんな俺の考えを余所に、エヴァはふと何かを考えるような仕草で顎に手を当てると、俺を見上げた。
「そう言う士郎は何か準備しなくていいのか?」
「準備って……何の準備だ?」
「このような祭り事だ。何かと稼ぎ時だろう。出店とか考えてはいないのか?」
「いや、そう言うのは全く。何しろ今知ったばかりだしな」
「それもそうか」
「でもまあ、どっちにしても出店とかは多分やらないよ。そういうのは学生達の本分だろうし。……いや待てよ、そうなったら流石に客足も遠のくんだろうから、俺も祭り期間中くらいは店を休むって言うのも手か……」
考えてみれば、お祭りの最中はわざわざ店に来て食べるより、出店とかで食べたりするのが主流だろう。
そっちの方が、お祭りって感じがするだろうし、情緒もあると考えるのが人間心理だと思う。
ならばその期間中に店を開いていても、たいした意味はないだろうし、ならばゆっくりと学園祭を見て回るのも楽しいかもしれない。
……なにより、この学園のことだ。学園広域指導員としての仕事のほうが間違いなく増えるのは目に見えている。というか、最早確定事項だろう。……嗚呼、今から胃が痛いデス。
「ほう。ならば一緒に回れるな」
「ん。そうだな。エヴァが良ければ、だけど」
「ふん、何を言うのだ。お前と回ると言う問いに対する私の答えに、否やなどあるはずがないだろう?」
「…………」
エヴァは、何を当たり前のことを言っているんだとばかりに鼻を鳴らした。
いやまあ、一緒に回るのを当然のように扱ってくれているのはありがたいのだが、そこまで言い切られると些か照れくさくもある。
俺は少し熱くなった頬を掻きながら話題を変えた。
「が、学園祭と言えば出し物だよな。エヴァ達のクラスは出し物で何をやるんだ?」
「さてな。帰り際、なにやら揉めていたようだが面倒臭くなったんで帰ってきたから知らん」
「へえ。でも揉めていたって事は幾つか候補はあったんだろ?」
「ああ、確か……お化け屋敷とかメイド喫茶とか言っていたな」
なるほど。どちらも定番といえば定番だ。
だが、お化け屋敷は兎も角、”あの”クラスがメイド喫茶をやったら凄そうだ。
何が凄いかって、あのクラスはやたらと綺麗な娘が多いからである。
学園祭ともなれば恐らく一般開放もあるだろうし、女子校といえど男性客も当然来るだろう。そうなれば、綺麗、もしくは可愛い娘達だらけのメイド喫茶が注目の的にならない訳がない。
「ってことは、それにエヴァも出る……いや、出るのか?」
……何だろう、この不安というか違和感。
いや、そういう格好が似合う似合わないかで言ったら滅茶苦茶似合うのは普段の格好から知っている。これは彼女が普段着からしてフリルを多くあしらった物を好んで着ているからだ。
だから俺の違和感の正体は、エヴァが誰かに畏まる姿なんて一度たりとも見たことがないので見たいという気持ちと、きっと出たら出たで凄いことになりそうだという漠然とした不安が混ぜこぜになった物なんだろうと結論付けた。……なんかお好み焼きを作った日の夜が思い出されて顔がヒリヒリする。気のせいなんだろうけど。
しかしエヴァは、俺のそんな懸念を余所に、呆れた様な顔で視線を前に戻すと、
「馬鹿を言うな。この私が誰かに傅く(かしずく)ような真似をするはずがないだろう」
「……うん、まあ。お前だったらそう言うよな」
普段ならそんな尊大な考えもどうなのよと考えなくもないが、なんとも彼女らしい答えで逆に安心してしまった。
と、いつものやり取りをしている、そんな時だった。
「あれ、そこにおるんは衛宮の兄ちゃんか?」
「ん?」
背後から掛かるそんな声に、足を止めて振り返る。
すると、そこには長く伸びた後ろ髪を後ろで縛り、黒い学生服を羽織った犬上小太郎が立っていた。
「おお、やっぱりそうや。なんや久しぶりやな。俺のこと、覚えてるか?」
「ああ、犬上小太郎か」
こちらとしては、この前の悪魔襲来事件で一方的に見ていたから久しぶりと言う感じはしないのだが。
それは兎も角として、俺が名前を呼ぶと彼は満足そうに笑って頷いた。
……って。
「あれ、なんで俺の名前を?」
「ああ、ネギのヤツから聞いたんや。京都で見たときエライ強かったから、あん時の兄さんは誰だったんや〜ってな」
「ああ、そういう事か。それで、ええと……犬上君はなんでここに?」
「小太郎でエエて。今度からこっちで世話になる事になったんや、これからヨロシクな! ———ああせや、京都ではあないな事になってもうたけど、敵対するつもりないさかい、安心してや」
そう言って小太郎は俺の隣———つまりは、エヴァへと視線を向ける。
だが、当のエヴァは一瞬だけ小太郎を流し見たものの、すぐに興味を失ったのか鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
そんな彼女の態度にカチンときたのか、小太郎は目の端を吊り上げた。
「……なんや随分感じの悪いガキやな。誰や、お前」
……うわ、エヴァに対して何たる物言い。怖いもの知らずもあったものである。———って、そうか、考えてみれば、エヴァと小太郎は京都でも直接顔を合わせるような機会がなかったから、誰だか分かってないんだ。
ああ、納得納得。
「……なんだと?」
って、それで済む訳ないよなあ……。
ガキとか言われたエヴァはその涼しげな眼差しを、キリキリと釣り上げた。
まあ、エヴァにしてみれば見た目は兎も角、年下の人間からガキ扱いされたのだ、頭にこないわけが無いだろう。……普段から子供扱いしている俺の言えたことでは全くないのだが。
「貴様、誰に対してモノを言っている」
「あん? ガキ言うたらお前しかおらんやろ」
「……生まれて20年も経っていない餓鬼が戯けた事を抜かす。———クビるぞ小僧」
ギロリと睨み付けるエヴァ。
エヴァは元々が整っている顔立ちなだけに、怒っている表情も迫力が凄いのだ。
そんな彼女の思わぬ迫力に押されたのか、小太郎は思わず「うっ」と口ごもった。
だが、小太郎は負けん気が強いのか、そこで止めておけば良いのに更に口を開いてしまった。……いやホント、止めておけば良いのになあ。
「……は、はんっ。クビるてお前みたいな女子供に出来る訳ないやろ。出来もせえへん事言われたかてどうにもならんで」
「……ほう、ならば試してみるか?」
「それこそ出来るかい! 女に暴力振るうなんて男のすることや無い!」
うむ。その意見には大いに同意する。
俺がそんな事を暢気に考えていても、二人の言い争いは更に白熱する。
話の落とし所が見当たらないのもあるんだろうが、そもそもエヴァはガキと言われっぱなしと言うの事の方が気に喰わないようだ。……基本Sだからなコイツ。
「御託はいいからかかって来い。それとも何か? 貴様の言う女子供に負けるのが怖いのか。ああ、そうかそうだろうとも、所詮出来もしない事を口にするしか能の無い子供なのだからな」
「———なんやと」
エヴァの挑発に流石にカチンときたのか小太郎の気配が剣呑になる。
「なんだ、まだそこに居たのか。ホレホレ、犬は犬らしくサッサと尻尾を巻いて逃げ帰るがいいさ。———負け犬らしくな」
「———こン、のっ!」
右手をヒラヒラさせて嘲るエヴァに対して、小太郎は思わずといった感じで拳を振り上げ突っかかって行く。その証拠に、小太郎は突き出した拳を寸前で止めようとした。
———が。
「———フン」
「へ?」
瞬間、小太郎がグルンと大きく回転した。それこそ頭と足の位置がそのまま逆転するくらい派手にだ。
エヴァは、突き出された拳をヒラヒラさせていた右手で絡めとると、そのまま手首を軽く捻りあげるだけで小太郎を投げ飛ばしてしまったのだ。
小太郎も小太郎で、何が起こっているのか分かっていないらしく、妙に間の抜けた声を上げることしか出来ない。
「……ちっ」
そんな様子にエヴァは軽く舌打ちをすると、掴んだままの右手を少し引っ張り上げた。そして、次の瞬間には結構良い音をさせて小太郎は背中から地面に落とされたのだった。
まあ、ギリギリ受身は取れてたみたいだし、エヴァも加減をしていたから大した怪我もないだろう。
もしもエヴァがあのまま手を引っ張り上げず、そのままにしていたら小太郎は頭から受身を取ることも出来ずに落下していたのだから、この程度で済んだのはむしろ僥倖だったと思ってもらいたい。
「い、痛たたっ……、な、なんや? 一体何されたんや?」
地面に倒れたまま小太郎は目を回している。見た目華奢な少女からあれだけ見事にぶん投げられたのだ、混乱するのも無理は無い。
「おーい、大丈夫か?」
俺はそんな倒れたままの小太郎の傍らにしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
すると、小太郎はようやく状況を理解したのか、頭を振りながら体を起こした。
「え、衛宮の兄ちゃん、なにモンやコイツ。まさか俺がこんな簡単に投げられるなんて思いもせえへんかったで……」
「コイツか? コイツは……」
俺はそう言って、傍らに立つエヴァの頭の上に手を置いた。
……そういやエヴァも最近は、こうされても怒らなくなったよな。何度言われても止めないのでいい加減諦められたか、もしくは慣れたのか。……いや、だったら止めろという話なのだが、なんかこうしていると妙に落ち着くんだよな。手触りとかすごく良いし。髪フワフワだし。暖かいし。
それはまあ今は置いといて。
「名前はエヴァ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。お前達的には『闇の福音(ダークエヴァンジェル)』って言った方が伝わりやすいのか?」
「……だーく、エヴァンジェル? ダークエヴァンジェ……って、ダ、闇の福音(ダークエヴァンジェル)やてッ!? 生きる伝説やないか! 確か十五年前に消息不明になったって聞いとったけど……なんでこないな所におるんや!?」
「ま、色々あってな。今はここに住んでるけど変に手出ししたりしない限りは無害だから警戒しなくてもいいぞ」
先程どこかで聞いたような台詞を小太郎に向けて言いながら手を差し出す。
小太郎はまだ少し頭がクラクラしているのか、俺の手を取り、引っ張られて立たされた後もちょっとフラフラしている。
まあ、いきなり天地が逆転するような状況に陥ったのだから無理も無い。
「大丈夫か?」
「お、おう……」
そうして、事の成り行きを見守っていたエヴァがもう一度不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン……で、まだ何か言うことはあるか犬っころ」
「い、いや、いくら俺でもアンタに楯突こう思わん。……だけど、せめて犬っころは止めてくれへんか?」
「イヤだね。私に言うことを聞かせたくば、私が認めざるを得ないような器を示して見るんだな」
「む、むぐぐ……ッ」
いかにも上から目線の言葉だが、エヴァが有名な魔法使いだと分かって、実際明らかに格上だと認めるしかない状況に、小太郎は唸るしかなかった。
そしてエヴァは実に偉そうである。うん、本当にこんな偉そうな仕草が似合う女の子はエヴァ位のモンだろう。と言うか、他にもたくさん居たら色んな意味でイヤな世の中になりそうだ。
「そう言えば小太郎は何処かに行くところだったんじゃないのか? ここら辺は女子エリアだろ?」
別に男だからと言って立ち入り禁止になっている訳ではないが、用も無くこんな所には来ない無いだろう。
そんな俺の質問に、小太郎は思い出したように答えた。
「ああ、せやった。なんやゴチャゴチャやっとったら忘れてたけど、学園長に呼ばれてるんやった」
「学園長に?」
「せや。なんでも学園都市内の殆どの魔法関係者に召集かけてるらしいんやけど……って、あれ? 衛宮の兄ちゃん達は呼ばれてへんのか?」
「いや、俺は何も……エヴァは何か聞いてるか?」
俺がそう問いかけると、エヴァは俺を見上げながら、「ああ、そのことか」と頷いた。
「それは私達には関係の無い話だ。お前もわざわざ茶番劇に付き合うのはイヤだろう?」
「……茶番劇?」
と、俺がエヴァの意味が分からない言葉に首を傾げていると、用事を思い出した小太郎が慌て出した。
「悪いんやけど、集合時間まであんまり時間が無いから俺は行かせてもらうで」
ほなな、と片手を挙げて走り去っていく小太郎。
と、その途中。
思い出したかのように振り返ると、
「衛宮の兄ちゃん、今度手合わせしてなー!」
そう叫んでまた走り出す。
俺はその背中に向かって適当に手を振ると、もう一度傍らに立つエヴァへと視線を落とした。
「で、茶番劇ってのは何の事なんだ?」
「士郎。お前、最近学生達の間で流行っている噂を耳にしたことは無いか」
「噂?」
はて、そんなモノあっただろうか。明日菜達からそういった話は聞いてないし、店で働いている時もそのような声は聞こえてこない。
「いや、俺はそう言うのは聞いてないな」
「そうか。まあ下らん噂だから知らなくても仕方ないのだろうな。……噂の内容はこうだ」
エヴァはそう言うと、とてつもなく大きな木……つまり世界樹を指差し、
「学園祭最終日、世界樹の下で告白したカップルは必ず結ばれる」
そう、言ったのだった。
「…………」
「…………」
「……い、いや、うん、まあ良くある話何じゃないか? あまりにもメルヘンチックな話で一瞬呆然としたけど」
「あー……、自分で言っといてアレだが、確かに胡散臭い言い方だったな。まあ、それは置いておくとしてだ。実際、それは半分ほど当たっているのだ」
「……まさか本当に結ばれるって言うのか?」
「ああ、あの樹……世界樹などと俗称で呼ばれているが、アレは列記とした神木。『神木・蟠桃』それが本当の名だ。アレは二十二年に一度、大規模な発光現象と共に魔力放出現象を起こす。二十二年間溜めに溜めたマナを一気に放出するのだ、その総量たるや個人の魔力など比べ物にならん。……まあ世界そのものなのだから一個人と比較するようなモノですらないのだがな。つまりはその膨大な魔力が……」
「二人を結びつける……ってことか」
「それも半ば強制的にだ。世界樹の下という濃すぎるマナが充満する範囲では、呪文というプロセスを省いて世界に干渉する事を可能にする。……いや、一応は告白の言葉が引き金になるのだから、それが呪文と言えば呪文か。まあそれはいいとして、つまりは世界樹の下で想いを伝えると言う事は、一方的な契約魔法を行うのと一緒だ。そこに相手側の意思は含まれない。あったとしても上書きされ、相手に惚れてしまうと言う訳だ」
「……それって」
つまり、相手の心を操るって事じゃないか。
「そんな事を放っておいてるのか?」
「いいや、だからこそ最初の話に戻る。あの犬っころが魔法関係者に召集をかけている言っていただろう。あれは、学生達が世界樹の下、及びその効力圏内で告白しないようにする為に集められているのだ」
「……ああ、そう言う事か。でも、それならなんで茶番劇なのさ。きちんとした仕事じゃないか」
俺がそう言うと、エヴァは呆れたようなため息を吐いた。
「良いか士郎、考えても見ろ。いくら一般人を世界樹の影響から守るとか言ったお題目を掲げていようと、結局やってることは他人の色恋沙汰の出歯亀をし、それに横槍を入れて邪魔するようなモノなのだぞ? これを茶番劇と言わず何と言う。お前、そんな悪趣味な事をやりたいのか?」
「……あー、ゴメン。それは確かにイヤだな」
ある種の自然現象なのだから、誰が悪いと言うわけでも無いのだが、一般生徒にして見ればたまったものではないだろう。何しろ意味も分からず一大決心の告白を邪魔されるわけなのだから。
「なるほど。エヴァが茶番劇って言ってた理由が良く分かった」
俺の呟きに、エヴァは、うむと頷いた。
「だがそれは、———表向きの話だ」
「表向き?」
「確かにその願いは叶う。だがな、その願いの方向性が恋愛のみに限定されているなど有り得ると思うか?」
「それは……」
確かに、言われてみればそんな偏った願いの叶え方なんてあるんだろうか。
「現象を起こしているのはどんなに霊格が高かろうと所詮樹だ。人間の恋愛成就のみを叶えると言った高尚で俗物的な思考など持ち合わせておらんよ。だから実際に反応しているのは本能レベルでの純粋な欲求に対してのみ。つまり、食欲、性欲、睡眠欲等の、種として根源的な欲求に反応しているだけに他ならないのだ」
「え? だったら何で世界樹の下で告白すれば叶うなんて、限定的な状況になるんだ?」
「それは周囲の状況がそうさせているだけだ」
「周囲の状況?」
エヴァは歩きながら腕を組み、その状態で人差し指をピンと立てて話を続けた。
「うむ、世界樹の魔力放出現象は麻帆良祭の期間中に起こる。まあこれはジジィが麻帆良祭の時期をそれに合わせたのだろうがな。兎も角、まずは一つ目、睡眠欲。これはお祭り騒ぎの真っ最中に眠りたい等と心の底から願うヤツはいないだろう? 居たとしても、寝て起きたらいつもより良く眠れていて調子が良くなる程度で終わりで、それ以上がない。眠ければ勝手に眠らせてやれば良い。叶ったからと言ってどうこうなる問題ではない」
「……まあ、そうだろうな」
睡眠欲っていうのは極々単純に言ってしまえば、眠る、ただそれだけだ。
自己完結という言い方は変かもしれないが、人一人の問題だし、そこから発展のしようがないと言う意味では一緒だ。
そしてエヴァは、次に人差し指を立てたままの状態に中指を加えた。
「次に食欲。これはある意味もっとも簡単だ。魔力で食料は作れない。野菜、果物、肉、魚。いずれにしてもこれらは一個の生命体だ。それを作ると言う事は、人間を無から作り出すのと同義になってしまう。それは神の領域であり、無理なものは無理なのだ。なにより、祭り期間中は出店な山のように立ち並ぶ。食欲などそちらで満たせてしまう」
「うん、それは納得」
俺だって、魔力なんていうもので出来た食べ物は食べたくは無い。
そんな得体の知れないものよりだったら、目の前にある出店から買ったほうが百倍マシだ。
「そして……」
エヴァはそう前置きして、薬指を付け加えるように立てて示した。
「最後に問題の性欲。これが即ち強制的な恋愛感情の大元であることは疑いの余地がないだろう。恋だの愛だのどんな綺麗な言葉で飾り立てようと、それは結局、種の繁栄、存続と言う根源的で最も強力な欲望に他ならない。だが、その逆を言えばそれは最も純粋な願いであり、絶対的な感情に直結している。それ故に世界樹はその願いに反応してしまうと言う寸法さ」
「……なるほど」
エヴァの話を統括すると、要は世界樹の魔力は確かに人の願いを叶えるが、俗物的な願いには反応しないと言う事か。
だがしかし、
「……まあ、例外があるとすれば、それこそ本能レベル、もしくはそれに順ずるほどに強烈で純粋な願いであればもしかするともしれんが……それこそ稀なケースだろう」
「……まあ、普通はそうだろうな」
その言葉に、俺はどうも引っ掛かりを覚えた。
確かにそこまで強烈で純粋な願いを持っている人間なんて稀なケースだろう。
しかし。
稀。
それはゼロではない証拠。
そして俺はその稀を複数知っている。
それは……サーヴァント達の存在だ。
英雄として名を馳せた彼、もしくは彼女等は、皆一様に強烈な願望、もしくは欲望があったからこそ、サーヴァントとして使役されてきたのだ。その内容に、善悪、大小等の方向性の差はあれど、どれも純粋であったと言えるだろう。
あのセイバーですら、過去の改変と言う願いを抱いて召還されていた事を思えば、その類の強烈な願いであれば、世界樹は叶えてしまうのでは無いだろうか?
だとすれば、それを利用しようと言う良からぬ連中も……、
「———ぃ、おい、士郎!」
「……ぇ……あ、何だ?」
「何だ、では無いだろう全く。人が呼びかけているにも関わらず返事もしないで……お前の悪い癖だ、どうせまた深く考えすぎていたのだろう? また眉間に皺が寄っているぞ」
エヴァはそう言うと、自分の額を指先でトントンと叩いて見せた。
「……悪い。どうも夢見が悪いせいか、考えがそっちに引っ張られてるみたいだ」
「……そうか、まだその夢が続いているのか」
心配そうに目尻を下げた表情で俺を見上げてくるエヴァ。
その余りにも真摯な表情に何故か……罪悪感が沸いて出た。
「……どうだ士郎。お前が望むならもう一度私が夢に潜ってその原因を探って見ても良いが……」
どうする? と、視線で投げかけて来るエヴァの頭に手を置きながら、苦笑と共に返す。
「心配してくれてありがとな。けど、俺自身内容を覚えていないんだし、そこまで大した事じゃないだろ」
「…………お前がそう言うならば良いが」
そう言いつつも、未だに心配顔のエヴァの髪を少し乱暴にかき回してやる。
いつもだったら、こうしてやれば迷惑そうな顔で、それでいて、何処か猫のように目を細めながらもそれを受け入れていた彼女だったのだが———。
「…………」
変わらぬ視線を向けてくる。
見透かすように。
見逃さないように。
それこそ、俺自身気が付けていない事まで見通そうとしているかのような真剣な表情がそこにはあった。
「…………」
俺はそんなエヴァの表情に何も言えなくなり、その頭に手を乗せたまま何となしに遠くを見やった。
そうして向けた視線の先には、
「……世界樹、か」
巨大な樹が、俺たちを見下ろすかのように聳え立っている。
何のの考えも。
何の感情も。
何の意味も無くただただ見つめる。
どうしてだろうか。
その威容を眺めていると、どうしても落ち着かない。こんな事は初めてだ。
今まで何度もその姿を眺めてた筈なのに。
起きているのに夢の続きを見ているような。
意識はハッキリしているのにまるで現実感がなくて、足元がフワフワしている。
辺りは喧騒に包まれているというのに、自分一人別世界に閉じ込められたかのような錯覚。
「……アレ、今何か音が……」
「音? ……いや、私には何も聞こえんが」
……ああ、ついには幻聴まで聞こえ始めやがった。
何処かで聴いた事があるようなその音は、俺の感情を妙に刺激する。
「……ッ。行こう、エヴァ」
「……ああ」
奇妙な焦燥感に駆られた俺は、訳も分からず頭を振ってその音から逃げ出すように歩を進めた。
だが、一度聞こえ始めた幻聴は、その場をどんなに離れても耳の奥に残り、決して離れてはくれなかった。
急かすように。
語りかけるように。
訴えかけるように。
……終焉を刻む鐘のように。
———鉄を打つその音が、頭の中で鳴り響いて止まらない。