「———いやまいった」
今日も今日とて、日課となった休憩時間の学園内散策をしながら思わず呟いた。
しかしながら、コレと言った危機的状況に陥っている訳でも、なにかのっぴきならない事件に巻き込まれている訳でもない。
実際には口で言うほどには困った事は起きてない訳なのだが。
だったら一体何を考えあぐねているかと言うと……。
「いい加減店が回らなくなってきたな……」
と、まあ実に平和的な悩みといえば悩みだったりするのだが。
だが、どんなに平和的な悩みといっても問題は問題だ。
今までは俺一人で店を回せていたが、ここ最近でそれがかなり怪しくなって来てしまったのだ。
昼や学生達の下校時間はまだ何とかなるのだが、夕飯時ははっきり言ってしまえば戦場だ。
元々、俺の店である『土蔵』は、四人がけのテーブルが7つ、カウンター席に6席(うち二つは最早専用席)の合計34人が定員である。
無論、全部が全部の席が埋まるわけではないので、四人がけのテーブルに一人のお客さんが座る事もあるし、カウンター席も端から全部埋まるわけではない。まあ、今までの平均で言えば15〜18人のお客さんでほぼ満員と言った感じであった。
……ところがどっこい。
それがここ1、2週間で文字通りの『満員』になるという事態が頻繁に起こってしまっている。
何故イキナリこんな事になっているかと言えば、なんでも、『麻帆良学園新聞』なるものに『土蔵』が最近評判の店として記事に取り上げられたのが発端のようだった。
それが、ジワリジワリと浸透して行き、今の現状になったという事だ。
嬉しい悲鳴と言ってしまえばソレまでなのだが、恐るべきはマスメディアの力か……。
ソレはソレとして、それでもギリギリの所で店を回せているのは、他でもない茶々丸のお陰なのだ。
茶々丸は、いつもの如くエヴァと一緒に食事を終えると、手伝ってくれるのだ。———って言うか、俺も気が着かない内にいつの間にか手伝っているのだ。
普段から家で一緒に家事をしているせいか、茶々丸が料理を運んで行ったり、テーブルの後片付けをしている姿が目に入っても、全くといっても良いほど違和感がない。
俺は俺で、その状態に気が付かないどころかいつの間にか極々自然に茶々丸を使ってるし、茶々丸は茶々丸でこれまたえらく普通に使われるもんだからタチが悪い。
……や、この場合はどう考えても気が着かない俺が悪いか。
そりゃ、茶々丸に手伝って貰えれば滅茶苦茶助かるのは事実だが、あくまでも彼女は寛ぎに来ているのだから仕事をさせる訳にはいかないのだ。
なので、茶々丸には手伝わなくても良いと言い含めて置いたのだ。
……それでも時々気が付けば茶々丸が手伝っていて、その事に気が付かないまま暫く使ってしまう俺の頭は大丈夫なのだろうか?
「…………ん?」
と、そんな時、スラックスの後ろポケットに入れた携帯電話がブルブルと震えてメールの着信を知らせた。
ソレをポケットから取り出してメールを確認してみるとエヴァからだった。
『今終わつた。これからそつちに向かう』
単純明快に用件だけ書かれた、いかにもエヴァらしいメールに苦笑する。
まあ、俺もエヴァも絵文字と言った類の物を嫌煙するもんだから単純な内容になってしまうのは必然なのだろう。
携帯電話を購入して以来、なにかとメールを送ってくるようになった彼女だが、実を言うと、ある一つの問題を抱えている。
……まあ、そんなモノは一目見たときから気が付いているのだが……。
『今終わつた。これからそつちに向かう』
———そう、エヴァは何故か小文字変換が出来ない子なのだった!
や、俺も事あるごとに指摘してるし、エヴァ本人も気をつけている様なのだが、それでも何故か改善されないのである。
そしてソレを指摘するごとに携帯電話を親の敵の如く睨みつけるエヴァを見て、この事にはもう触れないように茶々丸との第52回アイコンタクト会議で決定したのは昨晩の話だったりもする。
俺はその決定事項通りにエヴァの変換ミスをスルーして「了解」とだけ打って返信すると、携帯電話をポケットに再びねじ込んで顔を上げた。
するとそこには、
「あ、シロ兄遅ーいっ」
「……や、遅いって……」
そんな第一声で『土蔵』に帰って来た俺を待ち構えていたのはアスナだった。
遅いと言われても、まだ再開の時間まで10分は余裕があるし、そもそも約束なんてしちゃいない。 だから遅いなんて言われる筋合いは無い筈なのだが……。
まあ、そんな事は言っても無駄なのだろう、だってアスナだし。
「折角、私がお客さんいっぱい連れてきたのに休憩なんて……ダメじゃない」
「ダメって事は無いだろ、ダメって事は。……それにしても、これはなんの集まりだ?」
アスナの後ろに視線を向ける。
そこには多くの女の子が店の前で待っていた。
「やほ〜、シロ兄やん♪」
「士郎さん、お邪魔しています」
「同志———失礼、衛宮さん。こんにちはです」
「……ど、どうも……こんにちは……」
「おお。やっと来たアルね、エミヤさん」
「にんにん♪」
このか、刹那、綾瀬さん、宮崎さん、古菲さん、あとは……長瀬さんだっけ? 忍者の。
彼女とはこのかの実家で少し会った程度だ。なんでも修学旅行の時に龍宮さん達と一緒に助っ人として来ていたらしく、犬上小太郎を抑えていたらしい。あの少年を抑える事が出来たのだからこの子も雰囲気に違わずかなりの実力者なんだろう。
そして綾瀬さん。
君、言い間違えたフリしてるけど絶対分かっててやってるよな? いい加減そのネタは諦めて下さい。
「ほら、私達もうすぐ中間テストだからね。皆で集まって勉強会でもしようかと思って」
疑問顔の俺にアスナがそうやって説明してくれる。
そう言われて改めて見てみると、図書館島騒ぎのメンバーが勢揃いといった感じだ。例のバカレンジャーの面子がよくもまあこうも……って。
「あれ? 早乙女さんと佐々木さんはいないんだな」
メンバーが二人足りない。あの時は早乙女さんと佐々木さんもいたけど……。
「あ、その二人は部活だって。パルは漫研だし、まきちゃんは新体操。本当は呼びたかったんだけどねー」
「ふーん。まあいいや。今鍵開けるからちょっと待ってな」
ポケットから鍵を取り出しながら扉に向かう。
鍵を開けてる途中、後ろから「あれ? シロ兄なんでその二人の事だって分かったんだろ?」と聞こえたけど華麗にスルー。まさか後ろをずっとつけてましたなんて言えないし。
「はい、お待たせ。どうぞ中に入って」
俺が扉を開けながらそう言うと、店内にゾロゾロと入って行く。
にしても前々から思ってたけど、皆で集まっての勉強会っていう代物程怪しいものは無い気がする。 なんか流れ的に遊んだり、話したりで終わっちまいそうなイメージが強いのである。ましてやこの面子だ。そうなる可能性は非常に高いのではないだろうか?
「席は好きなところ使って良いし、なんだったら隣の席とくっ付けても良いから」
そんな事を考えながらカウンターの中に入り前掛けエプロンを装着する。
この店の勝手知ったるアスナのことだ、こうやって言って置けば好きなようにするだろう。
そして、石鹸で手を洗いながら様子を伺うと、4人がけのテーブルを移動させて臨時の長テーブルを作っていた。それでも若干手狭に見えるのはご愛嬌といった所か。
それが終わるとアスナを中心にメニューを見ながら何やら話し合った後、俺の所にアスナがやって来た。
「シロ兄、取り合えず人数分の紅茶貰える? 後なんか片手でつまめるようなお菓子あればいいなぁ〜なんて」
「サンドイッチって訳じゃないよな。そうなるとマドレーヌとかでいいか?」
「うん。じゃあそれで」
「茶葉は何にする?」
「うっ……そこら辺はお任せします」
「了解。紅茶はカップよりポットで出した方が良さそうだな。どうせ結構長い間いるんだろ? 差額分位はサービスするから」
「サンキュー、シロ兄♪ んじゃ、ヨロシクね」
ニパッ、と笑い、手を振りながら席に戻っていく。
俺はそれを見送ると早速注文のメニューに取り掛かる。
冷蔵庫からマドレーヌを取り出し二つの大皿に飾りつけて並べる。
後は紅茶なんだが……さて、なにがいいだろうか? エヴァとかだったら好みも分かるんだが、この面子だとどうにも分かり辛い……ま、一番詳しそうな奴に聞けばいいか。
「おーい、このか。ちょっといいかー?」
「ん、シロ兄やん? どうしたん?」
このかは呼びかけると席を立ち上がって、俺の方に小走りで駆けてくる。
「悪いな、このか。紅茶だけど……お前達くらいの女の子って何が好きなんだ?」
「紅茶? う〜ん……ウチもそんな詳し無いからなぁ。よう分からんけどあんまり特徴の強いのとかはアカンちゃう? 多分みんな紅茶そんなに飲みなれてへん思うし。フレーバーティーとかええんちゃうかな?」
「……なるほどな。ん、参考になった。それじゃあ頑張って美味しいの淹れるからもう少し待っててくれ」
「うん、了解や♪」
このかはそういうと来た時と同様に小走りで席に戻っていく。
なるほど。フレーバーティーで飲みやすそうなのか……そうなるとアンブレとか良いかもな。ハチミツとオレンジによるフレーバーだから飲みやすいと思うし、女の子ウケも良さそうだ。
棚から茶葉の入った容器を取り出し紅茶を淹れる。
さて、あの子達は気に入ってくれるだろうか?
大きなトレーにポットと人数分のカップ、それにマドレーヌを乗せて臨時勉強会会場となった席に運ぶ。
テーブルの上を見ると参考書やノートが散乱していた。
「お待たせ。ご注文の紅茶とマドレーヌ人数分。———っと、悪い、置く場所開けてくれるか?」
「あ、ありがとシロ兄。ちょっと待ってて」
アスナはそう言うとテーブルの中心にスペースを作り始める。
「あ、シロ兄やん、手伝うえ〜」
「私もお手伝いします」
「お、悪いな」
このかと刹那が俺の持ったトレーからティーカップと取り皿等を配っていく。手付きを見るとこのかは手馴れているが、刹那はどこかぎこちないのが少しおかしかった。
俺はそれを眺めながらアスナが空けてくれたスペースにポットとマドレーヌが乗った大皿を置く。
「この紅茶はアンブレってヤツなんだ。口に合うか分からないけど試してみてくれ」
俺がそう言うと皆してへ〜、といった風に感心して香りとかを嗅いでいる。
香りとしてはフレーバーティーなのだから悪いとは思わないが、味を気に入るかどうかは別問題である。万人に合う紅茶なんてないのだ。そこら辺は個人の趣味趣向であって、こればっかりは俺にも判断がつかない。
「で、今は何の勉強やってるんだ?」
それはそれとして、開かれた教科書を覗き込んでみる。
「今は数学ですね。後はその場の流れで次の教科を決めようという話になっているです」
「ふーん」
綾瀬さんの言葉になんとなく頷く。
教科書に出ている問題をざっと流し見るとどこかで見たような公式や出題例が並んでいる。なるほど。この世界でもやってる内容に差は無いようだ。
席の並びを見ると、このかと宮崎さんを中心にして集まっているように見える。
「このかと宮崎さんが教え役ってトコか? ご苦労さんだな」
「ん? そんな事あらへんよ〜、皆に教えてればウチも勉強になるし」
「……で、です……」
「なるほどね」
ようするに教える事によって自分達も復習が出来るのだろう。で、教えられる方は当然その恩恵にあずかる事が出来る、と。そう考えると勉強会っていうのも結構効率が良い勉強方法なのか? 俺は基本的に教わる側だったから良く分からんけど。
「ま、何にしても俺には応援しかできない。頑張れよ」
「はーい」という声を背にテーブルから離れてキッチンに引っ込む。
さて、俺はそろそろ夕食の仕込みでも始めようか。それに、頑張る子達には栄養だって必要だろうし、おまけでお菓子とか作ってあげるのもいいかもしれない。
「——————って、思ってたのに……」
カウンターの向こう側には雑談を楽しむ女の子達の姿があった。勉強開始から20分。……集中力短いな、おい。
これはこれで予想通りの展開だがここまで速いとは……的中しても全く嬉しくない。
「あ、シロ兄ーっ。紅茶、おかわり頂戴ー」
「……へーい」
勉強そっちのけで雑談に花を咲かせるアスナ達。
空になったであろうポットを掲げながら俺に言う。
「……こりゃ、おまけは無しだな」
お代わりの紅茶を淹れながら一人呟く。
……ったく、折角ケーキ準備したのに……これはおあずけしといた方が良いかもしれない。
と、そんな時だった。
チリン、と扉に取り付いているベルが鳴った。
「いらっしゃいま———」
紅茶に集中していた視線を上げて、そちらを向く。
そこにいたのはいつもの顔ぶれ、いくら見慣れたとしても決して見飽きる事の無い程に整いまくった可憐な容姿のエヴァと茶々丸だった。
「——————」
だが何かエヴァの様子がおかしい。
ドアノブに手をかけて扉を開けたままの姿勢で固まってしまっているのだ。
その視線を辿ると、その先はアスナ達一行。
「——————」
エヴァがギギギ、と油が切れたような機械のような動きで俺に視線を向ける。
その視線が語っていた。
———これはどういう展開だ。
と。
そんなこと言われても……実際は言ってないが、返答に困る。
———や、見たまんまだけど。
俺も視線に意思を込めて送って見る。
エヴァはそれを受け取るともう一度アスナ達に視線を移した。
そこにいるのは相変わらずおしゃべりを続けているアスナ達。ちなみに誰もエヴァ達に気が付いていない。
エヴァはそれを見て顔を若干引きつらせると、
「——————」
来た時の動きを巻き戻すように扉を閉めて……。
———帰ってしまった。
「———って、帰るのかよ!?」
思わず声をあげて突っ込んでしまう。
扉の向こう側からは恨めしそうなエヴァの視線が俺に絡み付いている。
どうせ折角来たのに何故喧しい連中がいるんだとか言いたいんだろう。
……そんな目で見られても俺は悪くないだろ……。
そんな意思を込めて見返す。
エヴァはそれを受けて苦い顔をすると踵を返して帰っていった。
「……あー、こりゃ帰ったら何か言われるなー」
カウンターの中でため息を吐く。
……理不尽だ。
「ねーシロ兄、おかわりまだー?」
「……はいはい、今行きますよー」
アスナの催促の声に弱々しく応える。
まあ、このメンバーがいる中にエヴァを置くのは酷と言う物か。
「はい、おかわりお待ちー」
新しいポットを置きながら空になったポットを回収する。
「随分盛り上がってるみたいじゃないか。なんの話してるんだ?」
「何って……シロ兄の話よ」
「は? 俺の? 何でまた」
コレは意外な事だ。
自分で言うのは何だが、俺自身、他の人間の話題に上がるほどの面白味なんてないと思う。
「ほら、京都でのことよ。シロ兄ものすっっっっごく強かったって話」
「あー……それは」
何かと思えば、よりにもよって”ソレ”か。
できれば勘弁してもらいたい。
強い弱いとかの話ではなく、アスナの口から簡単にそういった『裏の世界』の話題が出るのはあまり気分の良いものではないのだ。
「もう本当にすごかったんだから。たっくさんの鬼達に囲まれてるって言うのに、シロ兄一人で突っ込んでいって、こう……ズバーッ、ドッカーンって」
アスナは少し興奮気味に身振り手振り付きで話す。
……擬音交じりで話すアスナはちょっとバカっぽい。本人にはとてもじゃないが言えないが。
「そうアルね〜。私は途中参加で全部は見れてなかたアルが、それでもとんでもなかったアルネ!」
「大格闘大会優勝者のあなたがそこまで言うですか? ……ちなみに衛宮さんと戦ったらどっちが勝つです?」
「あはは。戦いになんてならないネ。私だと一瞬でやられてしまうのが落ちアル」
「……そ、そこまでですか……正直そうは見えなかったのですが。なるほど魔法使いとはスゴイものなのですね」
綾瀬さんが俺を見ながら感心したように頷く。
俺的には逆の感想なんだけどな。
この子達くらいの年齢であそこまでの力があるって事自体が驚きだ。
「ほう。刹那から噂には聞いていたが……そこまで凄まじいとは知らなかったでござるなぁ。流石は刹那の師、と言った所でござろうか」
そんな声に、そちらの方を向いて見ると糸のように細い眼で俺を感心するように見ていた人物がいた。
「えっと……君は、長瀬さん———だったよな?」
「うむ。長瀬楓でござる。先日は顔を合わせただけで碌に話も出来なかったでござるからな。衛宮殿とこうして話をできるのは嬉しいでござるよ」
「そりゃどうも。そういう君は……忍者って聞いたけど……」
「甲賀中忍でござる」
「あ、そうなんだ……」
やー……ホントにいるんですね、忍者って。
こっちの世界は色々となんでもありだなあー。
「ま、いいや。俺のことはどうでもいいからそろそろ勉強再開したほうがいいんじゃないか? 休憩するにしても少し早すぎだと思うし」
「———あ、せやった。この前のお礼言ってたら話が脱線してもうた。勉強せなアカンのに。うん、ほな再開しよかー」
このかが宣言するように話を修正する。それに宮崎さんは控えめに頷いた。
———はい、そこの勉強苦手なバカレンジャーさん達ー、あからさまに「ちっ」とか言わない。折角教えてくれるって言うんだからしっかり頑張りなさい。
「はい。そんな教師役のこのかと宮崎さんには俺から差し入れ」
そう言ってショーケースの中から皿に載せたケーキを二つ持ってくる。
勉強を再開すると言うなら、少なくとも一番頑張るであろう二人には出してあげてもいいかと思う。
このかと宮崎さんの前にショートケーキを置く。
ちなみに、このショートケーキこそが俺の店で一番人気のあるお菓子だったりもする。その人気ぶりは開店一時間もすれば全部なくなってしまう程。しょっちゅう来るアスナやこのかでも片手で数えられる位しか食べた事は無い。
……まあエヴァや茶々丸は別格で、頻繁に食べてるんだが、それはまた別の話。
「あ、アリガトシロ兄やん。でもええの? こんなん貰ってもうて」
「わ、私もですか……? なんか悪いです……」
「いいんだよ。一番大変なんだからそれ位貰っとけ」
いつものように頭に手を乗せると、宮崎さんから「はぅ!?」とかビックリしてる反応が返って来た。
俺はその反応に瞬間的に頭に乗せた手を上げた。
——しまった。つい間違えてこのかと一緒にやっちまった……。
宮崎さんは俺の事が苦手みたいだし、悪い事をしてしまった。
「あ、スマン! ついクセで……」
「い、いえ……大丈夫です……」
宮崎さんはそう言うものの身体を硬くして縮こまってしまっている。
ぐ、罪悪感が……!
それに気まずい!
「あー! シロ兄それ差別よ。習う方だって大変なんだからねっ。だから私達にも頂戴よー」
と。
アスナが俺達の話の流れなんかは知らんとばかりにぶーぶー不満を漏らす。
けど、これは気まずい話題転換にはちょうどいい。
俺はコレ幸いとアスナの方の話題にのる。
「んー……そうだな。じゃあ少し待ってろ」
踵を返してショーケースを開ける。
後ろからはアスナの喜ぶ、「シロ兄のショートケーキって人気あってあんまり食べられないのよねー」なんて声が聞こえる。
それに続くように長瀬さんや古菲さんが出てくるであろうケーキに思いをはせている。
だが、
「…………」
ふ、そんなに甘いと思うなよ? ———や、ケーキは甘いが。
皿にケーキを載せて、今か今かと俺ではなくケーキを待つ面々の所に戻る。
「はい、お待ち。———刹那だけ」
「わ、私だけ……ですか?」
展開が分からずに刹那がオドオドする。
「……って、えーー!? 刹那さんだけなの!?」
「な、何故でござるか!?」
「衛宮さんヒドイアルよー!」
「…………」
そして大方の予想通り、ケーキを貰えなかった連中は文句をブーブー言う。
———若干一名、無言の圧力を加えて来るお方もいらっしゃるが……。
それはそれとして、コレは別に意地悪でやってるわけじゃない。
「君らには勉強が終わったらあげよう。成功報酬ってやつだ、言い方はちょっと違うけど」
「成功報酬って……今くれてもいいじゃない」
「この勉強会はお前達のタメみたいなモンなんだろ? だったらご褒美はその後。ケーキを目指して頑張ってみろ」
「……なんかエサで釣られてるみたい」
「実際にケーキをエサに釣ってるからな。でも、そういう分かりやすい身近な目標があった方がやりやすいだろ?」
「……じゃあ刹那さんは?」
「刹那はそこまで成績悪くないんだろ? だったら別にいいじゃないか。俺だって何も成績で上位を狙えって言ってる訳じゃないんだ。赤点さえとらなきゃ成績なんて大して気にしないし。それにその方が自分達の時間を補修とかで削られなくて済むだろ?」
「……くっ! なんか良く分からないけど反論できない……」
刹那の前に置かれたケーキを羨ましそうに見るアスナ。
刹那は刹那でそれをどうしていいか分からず、小さくなるばかりだ。
「あの……士郎さん。私も後で結構ですので……」
「刹那はいいから食べとけって。こいつ等にも後でちゃんとやるんだから気にすんな」
はあ、と曖昧に頷く刹那。
そして俺を恨めしげに見る4人の視線はスルーしてカウンターに引っ込んだ。
さて、それじゃあ今度こそ夕食の仕込みを始めないとな。
業務用の冷蔵庫から生野菜を取り出し、水洗いの後に適度なサイズに刻んでいく。
あとはそれを皿に飾り付けてラップをかけておけば、付け合せのサラダの完成だ。
完成したそれを冷蔵庫に入れておく。
「あとは……っと」
ご飯は炊いてあるし、料理に使う肉や魚も準備は済んである。
調味料も減ってきてはいるが今日一日だったら十分間に合うし、注文も午前中にしておいたから問題ない。
「あ、そうだ」
考えてみればショートケーキが足りないか。
アスナ達に提供する分を考えると、数がかなり心もとない事になる。
「今から作り始めて……間に合うか?」
夕飯までの時間を考えると微妙だ。注文もあるからケーキだけにかかりきりになるわけにはいかない。スポンジの元になる生地は完成しているが粗熱を取っている時間を計算に入れると6時くらいか……。
「ま、時間内に出来なかったらお土産としてエヴァ達に持って帰るか」
結局、エヴァのヤツ帰っちまったしなあ。少しでも機嫌を取れる材料を用意していってもいいか。
そう結論付けて早速取り掛かる。
俺はケーキの制作に専念して、アスナ達は勉強に集中しているように見える。
そうやってどれくらいの時間が経過しただろうか? そんなにたっていないとは思うがチリンという音が聞こえた。
「いらっしゃいませー」
オーブンに入れたスポンジから目を放し、来店したお客さんを出迎える。
「こんにちは衛宮さん。今日はまだショートケーキ残っていますかしら———と、あら? アナタ達何をなさってるんですの?」
お客さんは雪広さんだった。
彼女は後ろに友達を連れていて、アスナ達を見て目を丸くしていた。
「何って……見てわかんないの? 勉強よ勉強」
集中を中断されてか、少し不機嫌そうにアスナが返事を返していた。
「あら珍しい。アスナさんがお勉強なんてどういう風の吹き回しかしら?」
「私だって勉強くらいするわよっ。それよりなによ? まさか邪魔しに来たって言うんじゃないでしょうね」
「まさか。私はそこまで暇ではありませんわ。今日はちづるさんと夏美さんにここのケーキをご紹介しようと思ってただけですわ」
むむ、ケーキをご所望だったか……。
けど。
「あー……それなんだけどな雪広さん。ショートケーキは残り二つしかないんだ。今作ってるから出来るのは6時位になるけどけど……どうする?」
「あら、そうでしたか。それでしたら私たちもここで夕食としましょうか? いかがです?」
「私はかまわないわよ、あやか」
「私もいいよ、いいんちょ」
雪広さん達はそう言うとアスナ達の席の近くに腰掛けた。
「ちょ……なによ。席こんなに空いてるんだから別の場所に座れば良いじゃない。私たち、見ての通り勉強してるんだけど」
「だからです。見たところ宮崎さんと木乃香さんが教えてらっしゃるようですけどそれでは人手が足りないでしょう? 私も手伝いますわ」
「いらないわよー!」、「いいからお座りなさい!」と言い合って雪広さん達はアスナの座る席に強引に腰掛けた。ぎゃいぎゃい言いながらも雪広さんはアスナに参考書らしき物を見せ、アスナはブツブツ言いながらも大人しく習っている。
いやまあ、なんとも仲の良いことで……。
「おーい、雪広さん。何飲むー?」
カウンターの中から声をかける。
すると雪広さんは顎に人差し指を当てて、「んー……」と何かを考えるような仕草をした。その様子が普段大人っぽい雪広さんを幼く見せて妙に可愛らしい。
そして、面白いことを思いついたかのように両手を胸の前でポン、と合わせると言った。
「衛宮さんにお任せいたしますわ。そうですわね……私に合うお茶を出してくださる?」
「……む。なかなか難しい問題だな。ポットで?」
「ええ。お願い致しますわ」
了解、と答えると雪広さんは微笑んで勉強を再開した。
さて、これは中々の難題だ。雪広さんは紅茶に結構詳しいらしく飲めば銘柄まで当ててしまうのだ。そんな彼女に下手な物は出せない……そもそも雪広さんに合う紅茶ってなんだ?
むむむ、と唸って、茶葉がズラリと並ぶ棚の前で腕組して考える。
左端から順に眺めていって、ソレに雪広さんのイメージを重ねていく。
「んー……」
ルフナはなんか違うしラプサンスーチョンってイメージじゃない、むしろ逆って感じがする。カルチェラタンは……近いけど雪広さんはラベンダーっていうよりもっと華があるイメージだ。そうなると……。
「———これかな」
棚から一つの茶葉が入った容器を手に取る。そしてもう一度雪広さんを見てイメージを重ねてみる。
……まあ、俺にしては悪くない……よな?
心の中で一人頷いて人数分の茶葉を取り分ける。
———さて、気に入ってくれるかどうかは出してからでないと分からないが……ま、やってみるとしよう。
「———お待たせ」
ポットと三人分のカップをトレイに載せて運ぶ。大丈夫だと思うが、内心では結構いっぱいいっぱいである。そもそも俺に女の子に合う紅茶とか選ばせるのはハードルが高すぎるのだ。なので今の俺にできる最上級の判断が———コレだ。
「ありがとうございます……あら?」
雪広さんは俺がテーブルの上に紅茶の入ったポットを置くと、登り立つ香りに鼻を鳴らした。そして、カップが置かれるのと同時に早速ポットから注いで口に含み、舌の上で転がして味を確かめている。
「—————————」
「どう……かな?」
無言で目を閉じている雪広さんに不安を覚えて、思わず聞いてみる。
もしかして気に入らなかったのだろうか?
俺は固唾を飲んで雪広さんの反応を待つ。
薄く閉じられていた雪広さんの横顔は美しい絵画の様でもあった。
その瞳がゆっくりと開かれて、
「…………大変素晴らしいですわ、衛宮さん」
にっこりと微笑んだ。
「はあー……」
肺に溜まった空気を吐き出す。
いや、心臓に悪いぞホント。間を持たせすぎだ。
雪広さん自身が故意にやったかは判断が付け難い所だが、どちらにしても気をもんだのは確かな事だ。
「や、良かった良かった。これでダメ出しされてたら雪広さんに出せる紅茶を選ぶ自信が無かった」
「ご謙遜を。そもそもどのような紅茶を出されたとしても衛宮さんのような美味しい紅茶を淹れる御方に出す苦言など始めから持ち合わせていませんわ」
そう言って上機嫌でカップを傾ける雪広さん。
俺はその姿に胸を撫で下ろし、カウンターに引っ込むべくして踵を返そうとして、
「あ、お待ちになって衛宮さん」
呼び止められた。
「ん? どうかしたか?」
「一つお聞きしたいのですが……どうしてこの茶葉を選んだのですか?」
小首を可愛らしく傾けながら聞いてくる雪広さん。
……いや参ったな。俺としてはこんな事を言うのはガラじゃないんだが。
「……まあ、その……雪広さんのイメージがその茶葉にぴったりだったから……」
「———まあ、お上手ですこと」
ぶっきら棒に言う俺が可笑しかったのか、雪広さんが口元を手で隠しながらクスクスと笑った。
「…………〜〜〜っ」
俺はどうにも居心地が悪くなって、若干早足でカウンターの中に引っ込んだ。
そのまま何とも言えない照れくさい感情のままで生クリームの作成を始める。
「……ったく、やっぱり慣れない事はするモンじゃないな。なんの罰ゲームだよ、これ」
生クリームをガシャガシャと掻き混ぜながら一人で愚痴る。
……ちなみに雪広さんに出した紅茶の茶葉の銘柄はディンブラ。花のような、それもバラのような香りがする事で有名な茶葉だった。
詰まる話、俺は雪広さんをバラの花のような子だと言ったも同然なのであった。
「バラみたいな子だって……バカか俺は。キザったらしいにも程があるだろうが」
思い返してみても恥ずかしくなるような歯が浮く台詞だ。身体が痒くなるような事を自分で言ってりゃ世話ないって話である。
そんな訳で一人羞恥プレイを敢行した俺は、やり場の無い気恥ずかしさを生クリームにぶつけるのであった。
ガチャガチャと生クリームに気恥ずかしさを混ぜ込むかのごとくかき回す。
その途中で焼き上がったスポンジ生地をオーブンから取り出し、ケーキクーラーの上に乗せて冷まして置く。こうしないと生クリームを縫った時にスポンジの熱で生クリームが溶けてべちゃべちゃになってしまうのだ。
冷蔵庫にマグネットで貼り付けられたタイマーをセットして……これでよしっと。
と、そんな時だった。
「やっほー衛宮さん。修学旅行の約束どおりご飯をたかりに……もとい遊びに来ましたよー! いやー、アキラが一人で来るのは恥ずかしいって聞かなくて……って、ありゃ? 何やってんの? 皆して」
「ちょ、ちょっとユーナ……そんなに引っ張らないで。私自分で歩けるから……」
「離したらアカンよー。そんな事言うて手離したらい〜っつもアキラ逃げるんやからぁ」
バッターンと、元気良く開け放たれたドアから登場したのは、のっけからテンションの高い明石さんと、その明石さんに手を引かれた大河さん、更にはその背を押す和泉さんの三人だった。
「おう、いらっしゃい。あいつ等はなんか勉強会だってさ」
「おお! 勉強会!」
大袈裟に驚く明石さん。相も変わらずリアクションの大きい女の子である。
そしてその背後では大河内さんが助けを乞う様な瞳で俺を見ていたが、俺と目が合った瞬間、真っ赤になって視線を逸らされてしまう。
むう……最近、大河内さんとは良好なコミュニケーションを取れていると思っていたんだがまだまだ甘いらしい。視線が合っただけで逸らされるとは思わなかった。
「むむむ、私達を差し置いてそんな面白イベントを開催するなんて……」
「や、だから勉強会だってば」
明石さんがなにやら勉強会に対する変な感想を持っているようなので一応訂正をしてみたが、多分聞こえちゃいない。
すると明石さんは突然クワッ、と目を見開き言った。
「———許せんっ!」
「…………いやいやいやいやいや」
勉強会することが許せないのか?
スゲエな、勉強するだけで周りの許可がいるとは初耳だ。……これがゆとり教育ってヤツか? まあ絶対違うんだろうけど。
「コーラーッ! そんな楽しそうな事やるんなら私達にも一声かけなさいってのー!」
「……え、あ、ちょ……ゆーなぁ!? 元々ここに来た理由忘れて何処行くんやー!?」
「……え? え……え?」
雄叫びを上げてアスナ達の勉強会に突撃する明石さん。
そんな明石さんの後を追って走り去る和泉さん。
そして。
「………………」
「………………」
置いてけぼりの状態で放心している大河内さんと、急展開にまるで付いていけない俺だけが残されてしまう。
「………………」
「………………」
さて。
取り合えずこうしてお互いに黙り込んでいても始まらない。
まずは意思疎通から始めるとしよう。人間は対話から始まる生き物である。
「えっと……改めて、いらっしゃい」
「はあ……いらっしゃいました」
大河内さんが何処となく気の抜けた返事をする。まだ急展開に思考が追いついてないらしい。
はて、そんなに置いてけぼりになったのがこたえたのだろうか? 俺の勝手な私見だが、何やら思考を放棄しているように見えなくも無い。
「取り合えず座ったらどうだ? 場所はあの子達と同じでも良いしカウンター席でも何処でもいいぞ」
「……え、あ……じゃあカウンター席で……」
大河内さんは力なくそう答えると、フラフラした足取りでカウンター席にポスンと腰掛けた。
どうやら無意識で答えてるようで、俺の質問には答えるものの声に覇気が感じられない。
おいおい……本当に大丈夫かよ。
「ほらお冷。これでも飲んでしっかりしろって」
「……はあ」
俺がお冷を手渡すと、大河内さんは素直に俺の指示に従ってソレを一気に飲み干した。
「…………ふう」
グラスの中に入った氷がカラン、と鳴って溜息一つ。
それで漸く俺に視点が定まってくる。
「………………」
俺を見て瞬きを一回、二回、三回パチクリ。
「……………………………」
最後にもう一回パチクリ。
で。
「——————え、衛宮……さん?」
「おう、衛宮さんだぞ」
俺の顔を確認してそんな事を言った。
つーか、その段階から認識してなかったのかよ……。
「……え、うそ、私なんで……あれ? 皆は」
「ん、明石さん達だったら……ほら、あそこ」
俺がそうやって明石さん達のいる勉強会会場を指差すと、大河内さんはその指の指し示す方を目で追った。
そこはすでに新たなストレンジャーの登場によって勉強会という名目で集まったお喋り会に成り果てていたが……。
ああもう……折角勉強再開したと思ったのに。
「まあ仕方ないか。それより注文何にする?」
「———へ!? あ、ああ……それじゃあコレを……」
俺が注文を聞くと、大河内さんは少し慌てながらメニューの一つを指差しながら言った。
ふむ。100%オレンジジュースね。
「了解。ちょっと待っててな」
そう言いながら傍らにあるグラスに氷を入れる。オレンジジュースは予め絞って出来上がっているので、後は注ぐだけなので一瞬で完成した。
「はい、オレンジジュース」
「あ、ありがとうございます……」
大河内さんは目の前に置かれたオレンジジュースを目で追いながらも、早速ストローを差し込んで飲み始めた。
「にしても、漸く来てくれたな。なかなか来てくれなかったから忘れられたのかと思って心配だったんだ」
「い、いえ……忘れてなんかは無いですけど……その、恥ずかしくて……」
「? ……ふーん」
大河内さんはゴニョゴニョと語尾を濁しながら言う。
何が恥ずかしいかは良く分からないけど取り合えず頷いておく。年頃の女の子が恥ずかしがるような事を聞き出すほど俺だって野暮じゃない。
「———そ、それより! 本当に奢ってもらって良かったんですか? 私はお金を払っても全然良いんですけど……」
む、なにを言いますか。
男たる者、一度言葉にしたら撤回はしないのですよ?
「いいんだって。俺が好きでやってる事だから大河内さんは気に病まないで楽しんでいってくれ」
「……は、はあ」
大河内さんが曖昧に頷く。
むう、こういう時は気楽に受け取ってもらえた方がこっちとしても嬉しいんだが……まあいいか。
と、そんな丁度切りの良いタイミングでセットしておいたタイマーの電子音が聞こえた。どうやらスポンジも完成したらしい。
「そんじゃ俺はケーキ作りに戻るけどゆっくりしててくれ」
「……ありがとうございます」
俺がそう言うと大河内さんは嬉しそうに微笑んだ。
うん、結果的にだけど喜んでくれたみたいで良かった。
さてさて、それじゃあ俺はケーキを完成させてしまおう。
粗熱を取り終わったスポンジと共に、冷蔵庫から苺を取り出す。
苺は水洗いした後に適度なサイズにスライス。合わせてスポンジも崩れないように気をつけながら横からナイフを入れて二つに分けた。
その上に、刷毛でオレンジリキュールを塗ってから、先程から掻き混ぜていた生クリームをたっぷりと載せてヘラで平らにならしていく。同じ事を切り分けた方にも。
そして遂に苺の投入です。
もう、これでもかって位大量に散らしていく。
下の生クリームが見えなくなるくらいに苺を載せたら上下に切り分けたスポンジを再びドッキング。
さて、ここからは飾り付けだ。重ねたスポンジの回りを生クリームでコーティングして行く。
専用のナイフを使ってムラが出来ないようにクルクルと回しながら飾り付けていくと、スポンジが雪化粧したように真っ白になった。
と、そこまで完成したときだった。
「…………上手ですね」
「———ん?」
そんな声に、ケーキ作りに集中していた意識をあげると、大河内さんが心底感心したようにケーキを見ていた。
「そうか? まあ慣れっていうのもあるけど。それでもやっぱり俺が作ると飾り付けがイマイチできなくて華が無いようにみえちまうんだけどな」
自分としてはもっとデコレーションに拘りたい所だがこれがまた難しい。桜あたりだったらこういうのが得意そうだけど俺にはどうも向かないというか、その方面でのセンスがないというか。
「……いえ、そんなことは無いです。私はそういったシンプルな飾りの方が好きですから」
「そっか。そりゃ良かった」
そんな大河内さんの賛辞。
確かにシンプルって言えばこれ以上にシンプルな飾りは無いだろう。なんと言っても絞り袋を使わないでナイフだけで表面を綺麗にならしてその上に苺を飾っただけなのだ。
そんなんでも気に入ってくれると言う大河内さんの言葉に嬉しくなっても仕方のない事だろう。
「大河内さんは料理とかやるのか?」
「わ、私……ですか? いえ、やるってほどじゃ……出来ても簡単な料理くらいしか」
「そっか。寮だと料理とか出来ないのか?」
「一応部屋にも簡単なキッチンはありますけど……」
ああ、それもそうか。そういえばこのかだって料理作ってるって言うんだからそのくらいの設備はあるのか……何気にスゲェよな、寮の部屋にキッチンあるって。
「……それに私の場合は部活とかもあるからあまり作ってる時間が無くて」
「へー、部活。何部に入ってるんだ? やっぱりバスケ部とかバレー部か?」
背も高くて何となく運動神経も良い様に見える大河内さん。さぞかし活躍している事だろう。
「あ、いえ。私は水泳部で……」
「水泳部か」
なるほど。
予想は外れたがスラリとした彼女にはぴったりなイメージだ。しなやかな様で泳ぐ大河内さんはさぞかし美しい事だろう。
「そういえば衛宮さんはどうなんです?」
「———へ? 俺がって……何が?」
突然の話の振りに思わず間の抜けた返事を返してしまう。
はて、何の事だ?
「弓道部の事ですよ」
「———あー……」
あー、はいはい。その話か。
大河内さんに案内してもらった弓道部の事だ。
でも”アレ”はなあ……。
「聞きましたよ? あの時の衛宮さんの弓を見てた弓道部の人が物凄く驚いて、是非とも指導してくれって言われたとか……」
本当に凄かったですけど、と言って何故か頬を赤らめる大河内さん。
何故その話で赤くなるのかは分からないから、取り合えず触れないで置く。
「や、確かに来たんだけどな、弓道部の人。……でも断った」
「なんでですか?」
「色々と理由はあるけど……弓道から長く離れてた俺が他人に教える訳にはいかないし、それにこの店の事もあるからな」
「ああ、なるほど」
得心いったという風に頷く大河内さん。
まあそれ以前に、俺のは魔術を応用してる為、邪道と言っても良いかもしれないから教える事が不可能だってこともあるんだけど。
「———って、きゃーー!?」
と、なにやらアスナの悲鳴が聞こえた。
何だと思いそちらの方向に目を向けてみると、勉強会をしていたテーブルで皆が慌てていた。
良く見るとカップが倒れていたので、恐らくアスナが紅茶を零してしまったのだろう。
「ああもう、仕方ないヤツだな。悪い、大河内さん。ちょっと行って来るな」
「……あ、はい」
大河内さんにそう断ってから布巾を持ってテーブルに駆け寄る。
「あ、ゴメン、シロ兄。紅茶零しちゃった」
駆け寄る俺に気付くと、アスナが殊勝に謝ってくるのでそれに苦笑で返す。
「別に良いから謝るな。それより服とかには零して火傷してないか?」
持って来た布巾でテーブルを拭きながら確認する。
もしも火傷してしまったようなら直ぐに冷やさないといけないし、服にかかってたらすぐに洗濯しないとシミになってしまう。
「あ、それは大丈夫」
「そっか、それなら問題なしだな。……っと、良し。これで大丈夫だ」
綺麗に拭き終わったテーブルを確認しながら頷く。
「今、代わりのカップ出すからちょっと付いて来てくれ」
「うん、ありがと、シロ兄」
アスナの感謝の言葉に、あいよと気楽に答える。
片手に倒れたカップを回収して、カウンターの中からアスナに新しいカップを手渡した。
「今度はあんまりはしゃぎ過ぎるなよ」
手渡す際に軽く釘を刺しておく。
別に零したら零したで構わないのだが、服とか筆記用具に零してしまうとマズイだろうし。
「う……了解、シロ兄」
アスナはバツが悪いように顔を引きつかせながらカップを受け取ってテーブルに戻って行った。
まあ、これで大人しくなるようなヤツではないと分かっているが、何も言わないよりはマシだろう。
「……さて、お待たせ大河内さん。何の話だっけ?」
手を洗いながら大河内さんに話しかける。
考えてみれば、会話の途中だったのだ。
「…………」
が、大河内さんは何かに驚いたような顔をして俺を見ていた。
「えっと……大河内さん、どうかしたか?」
思わず訪ねてみる。
何をそんなに驚いていると言うのだろうか?
「……あ、いえ。少し驚いてしまって……」
大河内さんはそう言うと、オレンジジュースをストローを口に咥えた。
そしてなにやら考え込む仕草をして俺を見ながら、
「……あの、神楽坂とは親戚か何かなんですか?」
と、言った。
「は?」
はて、何をイキナリ言うんだろうか。
無論、そんな驚きの新事実などありはしないし、そう見えることがあったとは思えない。
が、大河内さんは俺のそんな考えを悟ったのか、付け加えるようにして言った。
「……その、今、神楽坂が衛宮さんのコトを『シロ兄』って……」
「ああ、それか」
納得。
考えて見れば、そういった呼ばれ方をするのは親類か何かだと思ってしまうのも無理はないだろう。
俺も最近ではこの呼ばれ方に慣れてきて違和感がなかったが、事情を知らない人から見たらかなり奇妙に映るのだろう。
「俺とアスナはそんなんじゃないよ。アスナとはここに来てから知り合ったんだしな。だからその呼び方も単なるアダ名みたいなもんだ」
「……そう、なんですか? なんかソレにしては異様にぴったりって言うか、妙に違和感がないって言うか……」
そう言うと大河内さんは首を傾げた。
いやまあ、その呼び方に疑問を持たれても俺ではいかんともし難いのだが……俺自身、なんでそういった風に呼ばれたのかはイマイチ不明だし。
「……。あの、衛宮さんは妹さんや弟さんとかいらっしゃいますか?」
「妹や弟? 何でまた」
「あ、いえ、ただ……なんかそういうのが似合いそうだなって思って。それに兄弟がいるならそういう呼ばれ方に慣れてるんじゃないかと思いまして……」
「はあ……よく分からないけど……そうだな、とりあえず質問に答えると、いるぞ、妹が一人」
思い浮かべるのはイリヤの事。
例え血の繋がりが無くとも、俺達は兄妹。それは揺るぎのない事実だろう。
「あ、やっぱりいらっしゃるんですね。何かそう呼ばれるのに慣れていそうでしたから。お名前はなんていうんですか?」
「名前はイリヤ」
「いりや……さんですか。あの、どういった字を書くんですか?」
「どういう字って……ああ、そうか。イリヤは漢字じゃないんだ」
「……と、言いますと、カタカナですか」
「惜しいけどちょっと違う。日本で表記する時は合ってるかもしれないけどな。そうじゃなくてだな、イリヤの名前はドイツ語。フルネームでイリヤスフィール・フォン・アインツベルンっていうんだ」
「……え?」
意味が分からないといった表情をする大河内さん。
いや。確かに分からないよな、普通。
「……えっと、衛宮さんの妹さん……ですよね? それなのにその……イリヤスフィール何々って……」
「えっとな……イリヤはドイツ人なんだ。正確にはハーフなんだけど。親父が日本人で、母方の方がドイツ人。母方の姓なんだ、イリヤは」
「……それじゃあ衛宮さんもハーフ? あれ? でもそうなると何で名前が……」
大河内さんが顎に手を当てて考え込む。
確かに、兄妹って言っておきながら名字が違うどころか、国籍まで違ってたら混乱するのも無理はないだろう。
でも、俺の場合はそんなに複雑なわけでもなく単純だ。
だから俺は、特に自分の発言の意味を意識もせずに言った。
「ああ、俺、養子だから。俺は親父の名字を貰ったんだ」
「——————え?」
俺の答えに大河内さんが一瞬固まってしまう。
「……っ! ご、ごめんなさい! 私、無神経にこんな事聞いてしまって……!」
そして次の瞬間にはワタワタと謝られてしまった。
……いや、まあ。
俺自身、何も気にしてないし、むしろ言ったのは俺なんだから謝られても対応に困るんだが……。
だがしかし、この場合は俺の配慮が足りなかったんだろう。
確かに他人からそういった微妙な身内話とか聞かされてもどういった反応を示して良いか分からないものなのだろうし。
「あー……スマン。こんな事話しても大河内さんには迷惑だよな」
「……え、衛宮さんが謝らないで下さい。問いただしたのは私の方なんですから。……その、すいませんでした……」
大河内さんはそれっきり俯いてしまった。
俺も何と返事していいか分からず、何となくケーキ作りを再開したのだが……。
「…………」
「…………」
———気まずい。
大河内さんの背後からは、アスナたちの楽しそうな話し声が聞こえてくるものだから、こっちが無言でいるのが余計に気まずく感じてしまう。
だが一体どうしたものか。
これ以上言葉を重ねたとしても、大河内さんはきっと恐縮してしまうだけだろうし、そもそも俺にそんな細かいフォローができるとは思えない。
……自分で言ってて若干情けなくはなるが。
「…………うーん」
手を動かしながら唸る。
だからと言って妙案が思い浮かぶという訳ではないのだが。
「…………って、ん?」
と。
そこで思いついた。
そうだ。詰まる話、お互いに話題が無いのがいけないのだ。
だったら、
「———なあ、大河内さん」
「……は、はい。なんですか?」
俺の呼びかけに大河内さんが顔を上げた。
そして、
「——————ケーキ、作ってみるか?」
「………………は?」
俺の言葉に口を丸くして答えたのだった。
◆◇—————————◇◆
「———うん、そうそう。あんまり力は入れないでナイフを寝かせる感じで……」
「……は、はい」
………………えっと。
何なんだろう、この状況は?
私は何故かエプロンを着てカウンターの中に入り、衛宮さんの隣に並んでいた。
「…………」
もう一回言おう。
何なんだろう、この状況は?
いや、確かに気まずくはあった。
私がそうとも知らずに衛宮さんのデリケートな所に触れてしまったのが確かに心苦しくはあったんだけど……。
———私、なんでケーキ作ってるんだろうか。
恐らく自己嫌悪で俯いていた私を衛宮さんが気遣ってくれたんだろうけど……どう考えても、ソレとケーキ作りが結びつかないのは私だけなのだろうかと首を捻る。
けど既に状況は決定している。
私はケーキ用のナイフを右手に持って生クリームをスポンジに塗りつけているんだから。
けどこれがまた、
「……む、難しい」
予想以上に難しい。
確かに簡単だとは思ってなかったのだけど、目の前で衛宮さんが慣れた手付きで作業をしているのを見ていたので尚更だ。
生クリームを均等に、ソレでいて波打たないように滑らかに塗るのは想像以上に集中力がいる。
「まあ、そんなモンだろ。誰だって最初から上手くなんて出来ないもんだ」
「……そ、そうですか」
そう答えながら手元に意識を集中する。
少しでも手元が狂うだけで生クリームが波立ってしまうのだ。これは余計な事を考えてる余裕がない。
「…………」
チラリと、横目で隣に並んで作業している衛宮さんが作っている、もう一つのケーキを見る。
……凄い、としか表現が出来ない。
まるで、機械で作業しているんじゃないかと思ってしまうぐらい、正確無比に整えられた表面が衛宮さんの技術の高さを物語っている。
それに対して自分の作の出来栄えは、とてもじゃないが比較の対象にもならない。
と、そんな風に余所見をしたのがいけなかったのだろう。
「———あ」
手元がかすかに狂って、生クリームが波立ってしまった。
それは微かなものだったが、全体を見ればその部分だけがどうしても目立ってしまう。
「……失敗した」
今まで比較的上手くいっていたのにここに来てミスをしてしまった。
「ん、どれどれ……? ああ、大丈夫。コレ位なら何とかなる」
私の隣で作業をしていた衛宮さんが、私の声が聞こえたのかそんな事を言う。
そして、目の前のケーキに集中していた視界の中に、にゅっと、手が伸びてきた。
………………………………………ってぇええ!!?
「いいか? こういう時はだな……」
「——————っ!」
きゃー! きゃー! わーわーーッ!!
近い近い近い近いーーーーッ!? 衛宮さんすっごく近いですよーー!?
「……ん? なんか手先が震えてるな……少し力み過ぎだぞ? もっとリラックスした状態で……」
———リラックスなんて出来ません!
思わずそう叫びそうになるがギリギリの所で飲み込んだ。
衛宮さんは私より若干だが背が低く、更にケーキに集中しているせいで少しだけ頭を下げた状態なので私の顔は視界に入っていないのだろう。
もしくは私に教える事に集中しているせいで気が付かないのかもしれないが……。
——————衛宮さんの横顔が本当に目と鼻の先にある。
息をすれば間違いなくかかってしまう距離。
そんな距離に思わず呼吸を抑えてしまう。
漂ってくる花のような甘い香りはシャンプーの香りだろうか。
かすかに少年の面影を残した顔が真剣な表情を作っている。
少し視線を下げれば、捲り上げられた腕が見える。女の私とは明らかに違う筋肉質で、鍛えられているのが良く分かる。
……顔が熱い。
ああ、ダメだ。なんか凄くクラクラして頭がボーッとする……。
周りの音が聞こえない。
心臓が耳にもあるんじゃないかと思ってしまうぐらい、ドキドキうるさい。
「—————————」
「………………」
衛宮さんが何かを一生懸命説明しているのだがソレも聞こえない。
私はただ、熱に浮かされたように目の前にある衛宮さんの顔から視線を外せないでいる。
ともすれば、荒くなりそうになる呼吸を必死に抑え込んでは胸が締め付けられる。
顔を離せば良いのだろうけど、何故かソレが出来ない自分がいた。
「…………………」
それどころか、もっと衛宮さんに近づきたいなんて……そんな事を熱に浮かされた頭は考えてしまう。
いけないと、そう何処かで考えていながらもボーッとした頭では上手く制御できない。
そんなアベコベなことを考えながらも何故か衛宮さんの横顔が段々と視界一杯に広がっていく。
高鳴る心臓は留まる事を知らず、胸は痛いくらいキュンキュンと締め付けられる。
「……………衛———宮、さん……」
その横顔が私の視界を埋め尽くす。
……その寸前。
「———くぅぉぉおおおおら士郎おおおおーーー!!! 飯だ飯だ飯いいぃぃーーっっ! そして貴様等は人の店でいつまで騒いどるかあーーー!!」
バッターーン! と。
それこそ、蹴破るような勢いで扉が開かれた。
「——————っ!!」
私はその音で夢から覚めるように我に返った。
……わ、私は今一体何をしようとしていたんだ!?
「エヴァ!? おまっ、何ドア蹴破って……って、ぎゃーー!? お前、何取っ手ぶち壊してんだーー!? それと一応ここは俺の店だろ!」
「否! 確かに店長はお前だがオーナーは私だ!」
「なにその新事実!? 俺、初耳なんだけど!?」
「ふはははははは! お前の物は私の物、私の物はお前の物だ!」
「なんかさらりと良い事言われた!?」
表れたのは同じクラスのエヴァンジェリンだった。
衛宮さんはそのエヴァンジェリンの元に「何やってんだー!?」と、叫びながら走って行ってしまう。
けれども私はその場から動けなかった。
自分の行動が理解できず。
自分の思考が理解できず。
そっと、唇に手を当ててみる。
衛宮さんに触れて……はなかった筈だ。
それはそうだ。イキナリそんな事をされてたら衛宮さんだって迷惑だろう。
「…………でも」
それでも、考えてしまうんだ。
もしも。
もしもあのまま、この唇が衛宮さんに触れていたならば。
私は一体どうなったのだろう?
そして……衛宮さんはどう思うのだろう?
目の前で騒がしく言い合う衛宮さんとエヴァンジェリンの二人を見ながら、私はそんな『IF』を考えてしまうのだった。