「———ハッ……クシュンっ!」
いつものカウンター席に腰掛けたエヴァがくしゃみをした。
その隣にはポケットティッシュを取り出す茶々丸の姿。
今日は修学旅行の付き添いから帰って来た次の日の日曜日だ。
京都を舞台とした事件は、未だに不透明な所を多く残したままだったがなんとか無事に集束を向かえた。
それで昨日、麻帆良に帰って来たのだが、本来なら定休日である日曜日にも関わらず何ゆえこうして店にいるかと言うと、エヴァが修学旅行中に店に来れなかったから行こう、と言い出したのでここにこうして来た訳である。
……来た、訳なのだが。
「———ハッ……クシュンっ!」
「おいおい……大丈夫か?」
昨日からくしゃみをしっぱなしのエヴァ。
なんでもエヴァは魔力を封印されている間は、10歳の女の子と同程度の体力しかないらしい。
だから体力はないし、風邪もひく。
……でもまあ、今回のはそれと少し違っていて、
「……まさかエヴァが花粉症なんてなぁ……」
そうなのだった。
真祖の吸血鬼が花粉症ってどうなのよ、とも思わなくも無いが、こうして苦しんでいるエヴァを見ると可哀想で、出来る事なら変わってやりたいと思う。
昨日まであんなに元気だったからその落差が大きい分、それは余計に思えてしまう事だった。
「グスッ……私もなりたくてなった訳ではないからどうしようも出来ないさ。これでもお前から定期的に血を分けて貰っているから随分マシになった方だ」
「うーん……でもやっぱり辛いんだろ?」
そりゃそうだ、とエヴァは言う。
少し熱っぽいのか目は潤んでるし、くしゃみは何回もするし、鼻はかみ過ぎで赤くなってしまっている。
エヴァは元々肌が白いので結構目立つのだ。
「そんなに辛いんなら無理してここに来てまでお茶を飲む事なかったのに……」
家にいる時はもう少しマシだったのに、外を歩いてここまで来たもんだから症状が悪化してるみたいだ。
お茶なら家でも飲めるのに……。
「私がそうしたいと言ったのだ。お前は気にするな。ここの店の雰囲気を5日の間も味わってないと調子が狂う」
「……お前がそこまで言うんならいいけどさ」
ずるい。
そんな事を言われたら俺も強い事を言えなくなってしまう。
そりゃ、俺もエヴァや茶々丸とここでこうしてノンビリといるのは好きだから文句は一つも無い。
辛い筈のエヴァがそうまでしてここに居たいと言ってくれるのは、とても嬉しい事だ。
そこまで言ってくれるのなら、これ以上この話題には触れない方が良いだろう。
「で、京都観光はどうだった? 二人とも」
「うむ、やはり京都は風情があって良かったな。とても満足だ」
「はい、私も色々な物が直に見られて勉強になりました」
「そっかそっか」
うんうん、と頷く。
良かった。やっぱり久しぶりの外は良いものだったのだろう。そう言うエヴァと茶々丸の顔はとても満足そうだった。
それなら俺も睡眠不足の身体を引き摺って行った甲斐があるってもんだ。
———まあ、途中、歩きながら寝そうになったとかは秘密にしておこう。エヴァの良い思い出の為にも。俺の為にも。
「それにしても……、あの白髪のガキ。フェイト・アーウェルンクスと言ったか? あやつが何者かは結局分からなかったな」
「ああ、あいつか……」
エヴァが言う通り、あのフェイトっていうヤツの事は分からない事だらけだった。
昨日、詠春さんと会った際に聞いた調査結果は、一ヶ月前にイスタンブールの魔法協会から日本へ研修として派遣されたと言う事くらいしか掴めていないとの事。
あの名前も本当かどうか怪しいもんだ。
「しかし……ふん、”アーウェルンクス”……ね。どうせ偽名かなんかだろうが大仰な名前を名乗りおる。災いを幸福に変えると言われる神を名乗るとは……余程のナルシストか大物のどちらか……ま、力を見た限りではあながちハッタリとも思えんかったが」
「だな。 昨日もエヴァが来てくれなかったらどうなってた事か……あ、そう言えば聞いたぞエヴァ。危ない所だったネギ君を助けたのってエヴァだったらしいじゃないか。この前まであんなに嫌ってたぽいのに……どう言う風の吹き回しだ? や、ありがたかったのは違わないけど」
「…………ふん。あの坊やに死なれては私がここから出る事が叶わなくなるからな。あくまで私のために生かしてやっただけだ。あの坊やではどうあがいても歯が立たない相手だったしな……」
それだけだ、と言ってそっぽを向き、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
まったく……やっぱり素直じゃないな、エヴァは。
俺はそれを苦笑交じりに眺めた。
と。
そんな風に和んでいると、扉の開くベルの音が聞こえた。
はて? 定休日の看板は出しているはず。もしかして俺達が店内にいるのを見て営業中だと思われたんだろうか。
「あ、すいません。今日は定休日で、」
「衛宮さん、こんにちは。エヴァンジェリンさんもここに居ましたか……早く見つかって良かったです」
お客さんだと思っていたのはネギ君だった。その後ろにはアスナもいる。
最近この二人はいつも一緒にいるから別に珍しい事ではないが。
「あれ? ネギ君にアスナ……どうしたんだ? 休みだってのにスーツまで着て……」
アスナは普通に私服を着ているのに対し、ネギ君はしっかりとスーツを着込んでいる。
学校の仕事でもあるのだろうか?
エヴァは二人が入ってきたのを横目で見ると、我関せずって感じで紅茶の入ったカップに口を付けていた。
「あ、なんだ。弟子ってシロ兄の事だったのね。うん、それなら納得ね」
アスナが得心いったとばかりに、うんうん頷く。
えっと…………何の話? 勝手に納得されても意味わかんないんだが……。
「あ、いえ、そうでなくてですね……エヴァンジェリンさんに……」
「———あん? 私が何だって?」
急に名前を呼ばれたエヴァが不機嫌そうに顔を顰めながらカップをソーサーに戻した。
瞬間、
「———え、え、えええぇぇ!? 弟子入りって……シロ兄じゃなくてエヴァちゃんになの!? 本気? エヴァちゃんはまだあんたの血を諦めてないのよ!?」
アスナが思いっきり驚いた声を上げた。
「エヴァンジェリンさんが悪い人じゃないのはアスナさんも知ってるでしょ?」
「だからって……! シロ兄にしときなさいよ! あんたもシロ兄が強いのは知ってるでしょ!?」
「それは十分に理解してますが……どうも衛宮さんの魔法は、僕には理解できない術式が使われているみたいで……でも、それを抜きにしてもエヴァンジェリンさんに教わりたいんです」
———えっとー……取り合えず何も分からない俺達を無視して二人で話すのはやめてくれないだろうか。
それとアスナ。
何気にエヴァを貶めるような発言をするんじゃありません。
さっきからエヴァのコメカミの辺りがこう……ピクピクっと。
「貴様等……イキナリ現れて私達の平穏を邪魔するだけでは飽き足らず、目の前で訳のわからん事をゴチャゴチャと……ええい! 何なんだ貴様等! 喧嘩でも売りに来たのか!?」
言わんこっちゃ無い。案の定、エヴァが爆発してしまった。
あーあー……、エヴァも花粉症で鼻が詰まってるクセに大声を出したりするから鼻水が……。
「ほれエヴァ。鼻出そうになってるから、こっち向け」
「む……」
エヴァが素直にこっちを向いてくれたのでカウンターから身を乗り出してティッシュでその鼻を綺麗にしてやる。
むう……やっぱり鼻、赤くなって痛そうだ。
確か、ぬる目の紅茶で鼻を洗浄すると良いって聞いた事があるけど……どうなんだろ? 民間療法なんだろうか?
「……ん、もういいぞ士郎。———で、何の話だったか」
「…………ごめん、ネギ。何か私もエヴァちゃんがとても良い子に見えてきたわ」
アスナが急に珍妙なモノを見るような目で俺達を見ていた…………って、なんでさ。
茶々丸は微笑ましいモノを見るような目してるし。
「あの、エヴァンジェリンさん。今日はアナタに弟子入りをお願いしたくて来ました」
ネギ君がそんな俺達を無視して、エヴァの座る椅子の後ろのほうで跪いた。
その表情を見るに真剣な話だろうから、こっちも真面目に聞かなきゃいけないんだろうけど……エヴァの弟子だって?
そんな事言ってもエヴァの答えは一つだけだと思うんだが……。
「私の弟子だと? アホか貴様」
やっぱり。
エヴァはいかにもやってられん、と言わんばかりに椅子を回転させて再びカップを掴むと、空いた方の手でしっしっ、と犬でも追い払うような仕草をした。
「一応貴様と私はまだ敵なんだぞ? 貴様の父、サウザンドマスターには恨みもある。士郎を傷付けた事を許した覚えもない。大体、私は弟子など取らんし、戦い方などタカミチにでも習えばよかろう」
そう言い捨ててカップを傾ける。
まあ、エヴァだったらそう言うだろうな……。面倒な事が嫌いなヤツだし。
そのクセにいざ面倒を見るとなったら、やたらと面倒見が良いと言う不思議な性格でもあるが。
「それを承知で今日は来ました! 何より京都での戦いをこの目で見て、魔法使いの戦い方を学ぶならエヴァンジェリンさんしかいないと!」
それでも尚、食い下がるネギ君。
そんなネギ君の言葉に反応したのかエヴァがカップを持った手の動きを止めた。
「……ほう。つまり私の強さに感動した……と?」
「ハイ!」
エヴァの唇の端が喜色に釣り上がっていく。
カウンターの方を向いているから他の連中には見えないだろうが、俺には丸見えだった。
あー……なんかイタズラを思いついたような悪い顔してんなー、おい。
「……本気か?」
「ハイ!!」
「ふん……よかろう、そこまで言うならな」
「え……」
「ただし……!」
一瞬喜びかけたネギ君を制すようにエヴァが次の言葉を紡いだ。
その顔はまだイタズラを思いついた子供のような顔。
何しようとしてんだか……。
「坊やは忘れているようだが……私は悪い魔法使いだ。悪い魔法使いにモノを頼む時にはそれなりの代償が必要だぞ……」
エヴァはくくく、と薄く笑うと椅子を回転させてネギ君の方に向き直る。
そして何を思ったのかネギ君の前に靴を履いたままの足を突き出した。
そして、
「———まずは靴をなめろ。我が下僕として永遠の忠誠を誓え。話はそれからだ」
なんて言いやがった。
な、何考えてんだエヴァ……大体それやったら本当に弟子にするって言うのか?
と。
俺が思った瞬間、
「って、アホかーーーーーーッ!!」
アスナが例のハリセンを取り出してエヴァに突っ込みを入れようとしていた。
ああ、もう! コイツはコイツで喧嘩っ早いんだから!
「———おっと!」
取り合えずそのハリセンを身を乗り出してエヴァに当たる寸前に手で掴んで止める。
アスナはそれでもジタバタともがく様にして暴れるのを止めようとしない。
「———シロ兄! お願いだから叩かせてぇ〜! 私はここで……ここで突っ込んどかなきゃいけないのよ〜〜!!」
「……まあ、突っ込みたいのは俺も同感だけど。取り合えずすぐに手を出すクセは直しなさい。そんな芸人根性みたいなのはいらないから」
突っ込みだとしてもいきなり暴力はいけません。
それにエヴァは只でさえ調子が悪いんだから。
それでもアスナは俺の手を何とか振り解くと、エヴァにハリセンを突きつけながら言った。
「エヴァちゃん! 突然子供にアダルトな要求して何考えてんのよーっ! それにネギがこんなに一生懸命頼んでるのにちょっとひどいんじゃない!?」
いかにもお冠といった状態で怒るアスナ。
だがそれに、エヴァは鼻で笑うような仕草をした。
「馬鹿か。頭下げたくらいで物事が通るなら世の中苦労せんわ。———ハン、それより貴様……」
エヴァがアスナの全身を舐めるように眺める。
こちらには背中を見せているから、その表情は窺えないが……間違いなく笑ってる。しかも嫌な感じに。
「———何で坊やにそこまで肩入れするんだ? 身内でもないのに……。やっぱりホレたのか? それも10歳のガキに」
「———なっ!?」
アスナの顔が見る見るうちに沸騰する。
———って。
「え? 本当に?」
そりゃネギ君は10歳に思えないくらい大人びてる所があるから実年齢通りの印象を受ける事は少ないけど……。
それなら分からなくも……ない……のだろうか? 良く分からんな……。
「ちっ……ちちち、違うわよ! ネギは子供なのよ!?」
「ハハハ! どうした耳まで赤くなってるぞ。カワイイじゃないか神楽坂明日菜!」
「ち、ちがっ!? 私はただ……」
「ムキになって否定とはハハハ! つまり図星か!?」
エヴァ、絶好調。
アスナがムキになるのがそんなに面白いのかドンドン追い込んでいく。
アスナもアスナで落ち着けばいいのに、慌てるもんだからエヴァに突付かれて窮地に陥っていく。
そんなことしてるとまた……。
「———違うーーっ!!」
ほら、来た。
アスナがまたハリセンでエヴァを叩こうとしたのでそれをもう一度止める。
「ワハハ! そらどうした? 実力行使で私の言葉を止めようとした所を見ると自分で認めているのとさして変わらんぞ!」
「だーーーっ! だから違うって言ってんでしょーー!?」
エヴァも俺が止めるって分かってるもんだから益々調子に乗ってアスナをからかう。
アスナは俺にハリセンを何度止められようと打ち込んでくる。
……って、いい加減誰か止めて!?
俺も無理な体勢で連撃を止めるのは結構きついんですけど!
「———あ、あのー……」
ネギ君が弱々しく声をあげる。
———あ、忘れてた。元々の話は弟子がどうとかだったっけ……。
「なあエヴァ。取り合えず見るだけ見てやったらどうだ? 試験みたいな感じでさ」
アスナから打ち込まれた一撃を手で掴み止めてから言う。
「む……わかったよ……。お前もそこまで言うんだったら仕方ない。今度の土曜、私の家に来い。弟子にしてやるかどうかテストしてやる。それでいいだろ?」
俺が言うと、エヴァも少し悪ふざけが過ぎたと思ったのか、バツが悪そうにそう言った。
ネギ君はその意味をゆっくりと理解して、
「え……あ……ありがとうございます!」
と、嬉しそうに言った。
それを聞いて、俺も掴んでいたアスナのハリセンを放す。
やれやれ……話が纏まったのは良かったけど、もう少し穏便に出来ないのだろうか。何かある度こうやって暴れられちゃ、店の物が壊れてしまうじゃないか。
アスナはネギ君の返事に毒気を抜かれたのかハリセンをしまった。
「うぐっ……ならいいけど……あ、そうだシロ兄。シロ兄って刹那さんのお師匠さんなんでしょ?」
「は? なんだ突然……。まあ、一応そうだけど……」
何の脈絡も無いアスナの話に少し戸惑う。
で、その師匠がどうとかが何だってんだろうか?
「じゃあさ、私にも教えてくんない? 剣道」
「———剣道って……なんでまた」
「ほら……私、昨日はほとんど何にも出来ないまま終わっちゃったじゃない? だからこれから身を守る為にもそういうの習ってた方がいいかなーって……」
はあ、なるほど。アスナの言いたい事は何となく理解できる。
しかし、昨日のような場面なんて何も出来ないのが普通だと思うんだが……。
しかし身を守るため、ね。
「悪いなアスナ。そりゃ無理だ」
「え〜……なんでよ〜? 刹那さんには教えてるんでしょ?」
俺がそう言うと案の定アスナがブーブー文句を言った。
そんな事言われても仕方ないのだが……。
「あのなアスナ……俺は元々誰かにモノを教えるのとかって苦手なんだよ。口下手だし柄じゃないんだから。大体、刹那の師匠って言ったってそんなに大した事してる訳じゃないんだぞ? 少し手合わせとかしてるだけだし。それに刹那のヤツは元々基本がしっかりしてるからな、わざわざ教えるような事自体少ないんだ。だからこそ刹那はなんとかいいとして……アスナ、剣道とかの経験は?」
「な、ないけど……」
「じゃあ尚更だ。俺は口下手だから、基本的に指導者には向いてないからな。全くの素人のアスナに教えてやるのは無茶ってもんだろう?」
「うー……でも何も教えれないって事は無いんでしょう? じゃあ良いじゃないのよ〜」
なおも食い下がるアスナ。
俺はそれに頭の後ろを掻きながら考える。
参ったな……本当に苦手だから言ってるのに……。どうしたモンか……って、そうか!
「そうだ! 刹那に習うと良い」
「……刹那さんに?」
「ああ、そうだ。考えてみれば俺のは我流だからな、人様に教えるようなモンじゃないんだ。それに引き換え刹那のは由緒正しい流派。基本から学ぶって言うんならそっちの方がためになる」
「……良くわかんないけど……そうなの?」
「勿論だ。じゃあこっちからも逆に聞くけど、アスナ、俺みたいに二刀使えると思うか?」
「う……格好良いとは思うけど……すんごい難しそう」
「だろ? だったら尚更刹那に教わった方が良いって。俺からも刹那に言っておくからさ」
アスナはむーっ、と暫く唸った後、顔を上げた。
「分かった。刹那さんにお願いしてみる」
「ああ、そうしろ」
アスナは不承不承といった感じだったが、何とか納得したようだった。
まあ、刹那も断ったりしないだろう。
刹那自身、これでもっとあの子達と打ち解ける事が出来るだろうし、一石二鳥だ。
それを皮切りに、ネギ君は満足そうに、アスナはどこか不満気に帰って行った。
「珍しいな士郎。お前が人の頼みごとを断るなど……私はてっきり二つ返事で了承するものだと思っていたが」
二人が帰った後、エヴァが紅茶を飲みながらそう切り出した。
「そうでもないさ。俺だって何でもかんでも引き受けてるわけじゃない。出来ないものは出来ないってキチンと断ってる。今回の事だって、俺には本当に向いてないから断っただけだし」
「……そうか? 幾ら教えるのが苦手と言ってもヤツが言ってた通り、基本くらいは教えられただろう。私には”お前が”教えたくないように見えたぞ」
……お見通しか……。全く、エヴァに隠し事なんて出来そうも無い。
俺はそれに苦笑して自分の分の紅茶を淹れ始める。
「そりゃな。俺だって基本くらいなら教えられるさ。基本の基本は殆どの流派で一緒なんだからな。でもさ、俺の剣は…………わかるだろ?」
「ふん……剣道ではなく剣術、か」
「そう言うコト」
そう、俺の剣は剣術。
『道』ではなく『術(すべ)』。
人を守るための力とか、誰かを助けるためとか、どんなに綺麗な言葉で飾り立てても根っこの所は相手を殺し、叩き潰し、破壊する事にある。礼節を重んじる剣道のような精神論を挟む余地も無いほどの戦うためだけに特化した”術”。
そんな血生臭いものを、アスナに教える訳には行かないのだ。
刹那の使う神鳴流とかもそれは同じだろうが、多かれ少なかれ精神論を重視する教えはあるはずだ。それに刹那なら俺より上手くそこら辺を教える事が出来るだろう。
……もっとも、剣道だろうが剣術だろうが身を守るための力にそれらを選ぶのは少し早計だとも思うが。
「それより、エヴァこそ良かったのか? 俺から言っておいてなんだけどさ、ネギ君を弟子にするって……本気か?」
「嘘は言わんさ。テストの内容はまだ考えていないが、それをクリアしたならば考えてやらんでもない。ま、良い暇潰しにはなるだろうさ」
「…………」
暇潰しかよ。
ワハハ、と笑うエヴァをため息混じりに見る。
エヴァの事だから弟子にしたらキチンと教えるんだろうけど……些か不安だ。
それもこれもテストとやらに合格してからの話———か。
◆◇—————————◇◆
「ハァ、ハァ…………あ、ありがとうございました!」
「あいよ、お疲れさん」
刹那との日課の早朝練習。
それを終えて挨拶をする。
最近は随分暖かくなってきて早朝の露を含んだ空気が気持ち良い。
「あ、そういえば刹那。アスナのヤツ、お前の所に行ったか?」
「ええ、私に剣道を教えて欲しいと言われたのでお引き受けしましたが。士郎さんから薦められたと仰っていましたが……貴方が教えた方が良かったのではないですか?」
「お前もそう言うコト言うのか……刹那、俺、一番最初に言っただろ? 誰かにモノを教えるのは苦手だって……それに刹那の方が剣道部とか入ってるし、教えたりするのは適任だろ?」
「はぁ……まあ、確かに剣道部で練習した事なども教えたりはしますが……」
「だろ? 俺は我流だから刹那に頼んだんだ。だからヨロシク頼むよ」
刹那は俺がそう言うと柔らかい感じの笑みを漏らした。
うん、刹那も変わってきたかな? 前だったらもう少し硬い感じだったんだけど、ここ数日で随分と険が取れて来たように見える。
やっぱりこのかと和解したのが精神的に大きかったんだろう。
「士郎さんに頼まれては益々断るわけには行かなかったですね。……お任せを。この後も明日菜さんと練習しますので」
「そっか。そりゃ良かった」
はい、と刹那が笑って答えたので俺も笑う。
俺達は少し休憩をしながら雑談をした後に別れた。
手に竹刀の入った袋をぶら下げ、肩からスポーツタオルをかけたまま、明るくなり始めたばかりの道を歩く。
「さて、今日の朝食は何にしようかな……」
昨日の晩の残り物のひじきはまだあったからそれをサイドメニューとするとして……後は、魚かな?
それに玉子焼きと豆腐とわかめの味噌汁にでもしようか。
「そうなると、魚と豆腐でも買って帰るかな」
朝食の献立を頭の中で組み立てながら商店街へと足を向ける。
さて、なにか良い魚でも入ってるだろうか?
と、テクテク歩いていくと見知った顔にバッタリと出くわした。
「———って、あれ? エヴァ?」
「ん? 士郎か」
エヴァと茶々丸、それにチャチャゼロが茶々丸の頭の上にいた。
茶々丸とは家を出て来る時に会ったからここにこうしているのもそんなに不思議じゃない。
でも、エヴァが基本的にこんな時間に起きて出歩くのは珍しい。
「どうしたエヴァ。随分と早いじゃないか」
「別段どうと言う事ではない。何か知らんが目が覚めてしまっただけだからな。折角だからお前達の修練でも見に行こうかと思ったが……その様子では終わってしまったようだな」
エヴァが俺の手に握られた竹刀袋を見ながら言う。
「ああ、今さっき終わったとこ。惜しかったな」
「ま、仕方ないさ。思い付きだったしな。……さて、そうなると無駄足になってしまった訳か……困ったな」
やれやれ、とエヴァが明後日の方向を向きながら言った。
折角早起きして来たのに、それが無駄になってしまい時間を持て余しているのだろう。
……ま、そう言うコトなら。
「じゃあさエヴァ。俺、これから商店街の方に行って朝飯の材料買いに行くんだけど……一緒に行かないか?」
「朝食の? ……そうだな、たまにはいいか。よし、行くか」
エヴァが二つ返事でそう言った。
単純に暇だったからそれを潰せるのだったら何でも良かったんだろう。
「二人はどうする? 俺たちは行くけど……」
茶々丸とチャチャゼロにも聞いてみる。
「私もご一緒致します。お米はもう洗って来ましたので」
「俺モイクゼ。何カオモシレーモンデモネェーカ見テミタイシナ」
ふむ、それなら一家総出でお買い物としゃれ込みましょうか。
「うし、それなら行くか」
「うむ。士郎、卵だ、卵。私は生卵をかけたご飯が食べたい」
「はいはい」
隣を歩くエヴァが俺を見上げながら楽しそうに言う。
こんな笑顔を見られるのも早起きは三文の徳の内に入るんだろうか?
商店街の道を皆で適当な話をしながらゆっくり歩く。
そんな時だった。
「———ん? なんか変な音しないか?」
聞き慣れない音が聞こえてくる。
なんと言うか……足の裏を思い切り地面に叩きつけるような乾いた音と言うかなんと言うか……。
そんな音が辺りに響いている。
「む……言われて見れば確かに……」
エヴァも少し考える仕草をしてキョロキョロ辺りを窺って音の出所を探ろうとしている。
「———マスター、士郎さん、あそこです。世界樹広場の所に誰かがいます」
茶々丸がそう言って指差す方向を見やる。
そこを見ると確かに人影があった。
———でもあれって……。
「ネギ君……だよな?」
「……そのようだな」
エヴァもその姿を見つけたのかジッと見つめている。
それは俺も同じだ。あの音はネギ君の足元から鳴っていた。
———流れるような動きで身体を縮めてはまた伸ばし、虚空に向けて肘を打ち込む。大地をしっかりと蹴り、その力を無駄なく一点に集中させるあの動き……。
「あの動きは……中国拳法か?」
その動きはまだまだ未熟だったが、間違いなく中国拳法のソレ。
しかし、ネギ君はあんなの使えただろうか? 京都での動きを見た限り、そんな素振りは見せなかったが……。
それを見ていたエヴァが不機嫌そうに舌打ちをした。
「……ふん、なるほど。戦い方を学ぶのなら私しかいない、などと言って置きながら……」
エヴァはそう言うと、ちょっと怒ったような感じでネギ君のところに足を向けた。
「あ、おい……エヴァ?」
俺が話しかけても黙って歩き続ける。
どうしたんだろうか? さっきまであんなに機嫌が良かったのに。
ネギ君のいるすぐ近くまで歩いていくと、ネギ君の他にも佐々木さんがいつの間にか側にいた。
格好を見るにジャージ姿なので、ランニングかなにかの途中なのだろう。
そんな二人の会話が風に乗って聞こえてくる。
「ね、ね、今のもう一回やってよ♪」
「あ、はい」
会話の内容から推測するに、佐々木さんもネギ君の姿が見えたからここに来た、と言う所か。
エヴァはソレを見て、また不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン……カンフーか。随分と熱心じゃないか、坊や」
「あれー? エヴァさま、茶々丸さん、衛宮さん、おはよー♪」
「あ、お早うございます!」
二人が気が付いたのでそれに手を上げて返す。
茶々丸もお辞儀をして返す。
……が、エヴァは不機嫌そうに顔を顰めたままだった。
そしてむすっ、とした顔のまま続けた。
「カンフーの修行をする事にしたのか? じゃあ、私への弟子入りの件は白紙と言う事でいいんだな」
———あー、納得。
そうか、そう言うコトか。
つまりエヴァは弟子になるのはエヴァしかいないとまで言われたのに、他の人間に師事していることが面白くないのか。
「あっ、いえ、これは、そのっ……あの少年の戦い方の研究をしているだけでっ……」
ネギ君がしどろもどろになりながら何とか弁明しようとしている。
だがエヴァはそれを聞こうとはせずにさっさと帰ろうとする。
「いいよ、別に。私は元々弟子を取るつもりなかったしな」
「あわわ! 違うんですーーっ!」
そんなエヴァにネギ君が慌てるがどうしようもない。
「どゆこと? ネギ君」
「えとあのっ、僕、エヴァンジェリンさんの弟子にして貰うつもりだったんですけどーっ」
ネギ君が事情を知らない佐々木さんに何とか説明しようとしている間にも、エヴァは俺の手を取って商店街へと向かおうとする。
「じゃあな。ま、子供にはカンフーはお似合いだよ」
「あ……待ってくださーい!」
ネギ君、最早半泣きである。
俺を縋るような目で見るが……すまん、無理だ。俺も以前に同じような事をしてひどい目に合って大変だったんだよ……。
「……ヤキモチですか? マスター」
「違うわっ!」
茶々丸がそんな事を言って、その頭の上でチャチャゼロがケケケと笑っている。
「ちょっとー、エヴァちゃん。何でネギ君にイジワルするのー? 弟子にくらいしてあげればいーのに……何の弟子か知らないけどー」
「ヤキモチだそうです」
「違うっつーのコラ!!」
茶々丸の発言にエヴァは掴みかかって否定しようとしている。
そうだぞー、師匠の二股がばれると怖いんだぞー……、俺も以前にライダーから習った体捌きをセイバーに見せた時なんかそりゃーもう……。
「………………………………」
うお! 思い出しただけでブルっと来た!?
そう言うコトなので文字通り身体に叩き込まれた教訓を胸に、俺はこの件に口出ししませんです、はい。
あん時のセイバーはすごく怖かったし……。
「———フン、子供の遊びに付き合う趣味はないんだよ。お前みたいなガキっぽいヤツと話すのもな、佐々木まき絵」
「なっ…………!! 何よー! エヴァちゃんだってお子ちゃま見たいな体型じゃん。ふーーんだっ、いいもんねー! ネギ君、あーんなに強かったんだもん。エヴァちゃんなんかに教えてもらわなくてもすぐに達人だよーだ!!」
「ぬ……?」
エヴァがこめかみをひくつかせる。
……や、エヴァの名誉の為に言って置くと、エヴァは真祖になってしまったその時から成長できないのであって、成長してたら間違いなくとんでもないクラスの美人になってた筈だった……とかはこの際どうでもいいのか。
———でも、なんでこの子がネギ君が強かった、とか言ってるんだろう? まさかこの子にもバレてたりするのか?
「……いいだろう。たった今貴様の弟子入りテストの内容を決めたぞ。———そのカンフーもどきで茶々丸に一撃でも入れてみるが良い。それで合格にしてやろう。……ただし一対一でだ」
エヴァが唐突に言う。
茶々丸と一対一でって……それってかなり難しい事なんじゃないかと思うんだが。
「いーよ♪ わかった!! そんなのネギ君なら楽勝だよー!」
「ま、ま、ま、まき絵さんっ!?」
や、何で君が自信満々なのさ? 当のネギ君は後ろで慌ててるのに。
エヴァはそれを見て鼻で笑うと、茶々丸の方を向いた。
「もんでやれ、茶々丸」
「———ハ、しかし……」
「いいから行け、怪我せん程度でいいから」
「ハイ」
おいおい……穏やかじゃないなあ。
茶々丸の事だからちゃんと加減するだろうから心配はいらないけど。
「———失礼します、ネギ先生」
茶々丸はそう言うと一瞬でネギ君の懐に入り込んでいた。
「へ?」
「!」
何の反応もできない佐々木さんとなんとか反応したネギ君。
茶々丸がバックブロー気味の一撃を放つと、何とかそれにギリギリ反応した。
掌で茶々丸の腕を受け止めたネギ君。
今のに反応できただけでも少しはマシにはなってはいる。
———だけど、今の彼にはここまでが限界だろう。
「ぎゃう!?」
続いて放たれた茶々丸の横蹴りに全く反応できないままネギ君は吹き飛ばされた。
そしてそのまま目を回してしまう。
結構派手に吹き飛んだが怪我はしてないっぽい。茶々丸も思い切り加減をしたんだろう。
ま、今の二人の実力差を考えればこんなもんだとは思うが。
「茶々丸に一発も入れられないようならどの道貴様に芽はない。場所はここ。時刻は日曜日午前0時にまけてやる。ま、せいぜいがんばることだな」
エヴァはそう言い残すと、俺の手を引っ張ってさっさとその場から去る。
その手に引かれながら考える。
やり方は少し乱暴だったけど、弟子入りテストって言うなら納得の内容だ。
ある程度の実力がなければ訓練についてこれなくなってしまうわけだし。
「———さて、ネギ君。君に残された時間はあと二日。どうやって攻略するか見せて貰うからな」
「そんな物より飯だ、飯。
士郎、新鮮な卵を買いに行くぞ」
「……はいはい」
エヴァに急かされながら商店街へと足を向ける。
一人の少年の健闘を祈りながら——————。
◆◇—————————◇◆
「オイ、御主人。コレジャ試合ガ見エネーゾ。モットイイ位置ニ座ラセロヤ」
チャチャゼロがそうぼやく。
今宵は一人の少年の運命の夜。
時計の針が二つ揃って真上に来るまであと僅かだ。
俺たちは連れ立って世界樹広場に来ていた。
当人であるネギ君はまだ来ていない。
「全く、役立たずのクセに口うるさい奴だ」
「仕方ネーダロ。動ケネーンダカラ」
御主人ノセイダゼ、とチャチャゼロが文句を言う。
エヴァのせいかどうかは知らないが、ここまで来ておいて事の成り行きを見れないのは可哀想だろう。
「ほら、チャチャゼロ。お前は俺の頭の上にでも乗っかってろ。これで見えるだろ」
地面に座らせられていたチャチャゼロを抱え上げて頭の上に置く。
「オー、良イ眺メダゼー。ヨシ、手前ェハ今日一日、俺ノ乗リモンニナレ」
「へいへい」
「あ、こら士郎! そんな羨まし……じゃなかった。そんな甘やかす真似するな!」
「まーまー、良いだろエヴァ。これで全部解決するんだから」
恨めしそうにチャチャゼロを見上げるエヴァを取り合えずなだめる。
全く……チャチャゼロは動けないんだから仕方ないだろうに。
「———しかし良いのですか、マスター」
と。
俺達が話していた間、ずっと黙っていた茶々丸が口を開いた。
「ネギ先生が私に一撃を与える確率は概算3%以下……ネギ先生が合格できなければマスターとしても不本意なのでは……」
3%……まあ、妥当な数字だろう。
それだけ今の茶々丸とネギ君の実力はかけ離れている。
エヴァは茶々丸の台詞を聞いて呆れたようにため息をはいた。
「……おい、勘違いするなよ茶々丸。私はホントに弟子などいらんのだ。メンドイからな。それに一撃当てれば合格など破格の条件だ。これで駄目なら坊やが悪い。いいな茶々丸、手を抜いたりするなよ。抜いたら士郎に代わらせるからな」
「……勝手に俺を引っ張り出すなよ」
なんでそこで俺の名前を出すかっ。
それでもエヴァは俺の文句を適当に聞き流してしまった。
「……ハ。了解しました」
茶々丸が頷いた。
……でも手を抜くなって言ってもな……。
「なあ、エヴァ」
「———ん?」
エヴァの側にしゃがんで茶々丸に聞こえないように耳打ちして小声で話す。
「……茶々丸に手を抜くなって言うのはちょっと無理があるんじゃないか?」
どう考えても茶々丸にそんな事が出来るとは思えない。
只でさえ優しい子なのに、子供を本気で叩きのめせって言われても出来るもんじゃないだろう。
するとエヴァが俺の意図を察して小声で話し返してくる。
「……そんな事は分かっている。茶々丸では坊やを相手に本気にはなれんだろうさ。それでもああやって言っておかないとわざと一撃を喰らってやりそうだからな。それでは意味がなかろう?」
「……それもそうか」
呟いて立ち上がる。
どうやらエヴァもそこら辺を理解しての発言だったらしい。
そうやって言っておけば、加減をしても過剰に手を抜くって事はないだろう。
「さて、そろそろ時間か……」
隣にいるエヴァが懐から懐中時計を取り出して呟く。
それを覗くと、指定の時刻を指し示していた。
その時、
「エヴァンジェリンさん! ネギ・スプリングフィールド、弟子入りテストを受けに来ました!」
ネギ君の声が広場に響いた。
声のした方を向いて見ると、階段の下の方にネギ君が来てこちらを見上げていた。
「………………ん?」
が、俺はその光景に違和感を覚えた。
———何か変じゃないか?
目をこすってもう一度確認するように観察する。
ネギ君がいる。
うん、それは当たり前なんだけど……その後ろはナンデスカ?
「よく来たな坊や。では早速始めようか」
エヴァがネギ君を振り返りながらそう言った。
「お前のカンフーもどきで茶々丸に一撃でも入れられれば合格。手も足も出ずに貴様がくたばればそれまでだ」
エヴァが最後通告を告げるようにネギ君を見た。
———あれ? 異変には突っ込まないのか?
「———その条件でいいんですね?」
ネギ君が含みを待たせたような笑みで笑い返す。
「ん? ああ、いいぞ……それよりも」
エヴァもそれに少し怪訝な顔をしたようだが、たいして気にも留めずに流す。
そして小刻みにプルプル震えだした。
———そして。
「———そのギャラリーは何とかならんかったのか! ワラワラと!!」
ドッカーンと、やっとエヴァが突っ込んでくれた。
いや、良かった。なかなか突っ込まないから俺にだけ見える錯覚かと思った。
「……何考えてんだか」
思わず呆れた台詞が口から零れてしまった。
ネギ君の背後には多数の人間が立っている。
刹那、アスナ、このか、大河内さん、明石さん、和泉さん、佐々木さん、古菲さん。
うわー、団体さんだー……。
「…………って、アホか」
一体どういう経緯でこうなっちまってるんだか。
まあ、今回は魔法ではなくカンフーで戦うってテストだから居ても問題ないのかもしれないけど。
大河内さんや明石さんといった、俺がここに居る理由が分からない子達は俺を見て驚いてるみたいだが。
「はぁ……エヴァ、茶々丸、俺は下がって見学してる。何か疲れた」
「……私もだ。こんな茶番はさっさと終わらせて帰るか」
俺は側の階段に腰掛けて観戦モードに入る。
全く……、皆で着いてくるあの子達もだが、ネギ君もネギ君だ。
本当にやる気あるんだろうか? そりゃテストなんだから応援とかはあっても良いんだろうけど、少し甘く考え過ぎているんじゃないだろうか。
それとも明らかな地力の差を覆す何かがあるとでも言うのだろうか。
観客の子達からネギ君に応援の黄色い声が飛ぶ。
「茶々丸さん、お願いします」
「———お相手させて頂きます」
階段の踊り場で二人が対峙する。
ネギ君側の背後には刹那やアスナ達が応援団のように見守っている。
それを見届けてエヴァが俺の隣に座り、手を上げ、
「———では始めるが良い!!」
振り落とした。
その掛け声と共に茶々丸が地を蹴り、ネギ君へと肉薄するべく間合いを詰めた。
「契約執行90秒間、『ネギ・スプリングフィールド』!」
が、ネギ君はその寸前にが何やら唱えていた。
……あれは?
「エヴァ、今の何だ?」
「自身への魔力供給だ。我流で術式もかなり強引だがな」
それを聞いて納得した。
そう言えば京都でも同じようにして犬上小太郎って少年に勝ったんだった。
つまりあれは一種の『強化』みたいなものなんだろう。
「———失礼します」
茶々丸が飛び込んだ勢いを左の拳に乗せ、ネギ君へと叩きつける。
ネギ君はそれを肘で払いのけるように軌道を逸らして防ぐ。
が、茶々丸はそれを最初から読んでいたかのごとく、立て続けに右の拳を打ち込む。
ネギ君はその拳を左の手で受け流し、その勢いを利用して茶々丸の側面に回りこむとバックブローを放った。
狙いも、タイミングも良い。とてもじゃないがにわか仕込み拳法の動きには見えない。
しかしそれは茶々丸に容易く防がれてしまった。
『———おお!?』
観戦をしている女の子達からどよめきのような声が上がる。
戦うといってもここまでの戦いになるとは想像していなかったのだろう。
無論、俺だって驚いてはいる。
ほんの僅かな期間で拳法の形になっているのだ。ネギ君の覚えの早さは目を見張る物があるだろう。
———だが、
「———士郎、どう見る」
事の成り行きから視線を外さないままエヴァが問いかけた。
それに俺も同じ様に視線を固定したまま答える。
「……短期間でここまでの体術を身に着けたのは正直に言ってすごいとは思う。ネギ君は間違いなく天才ってやつだろう……」
茶々丸が回し蹴りでネギ君のガードごと吹き飛ばす。
あれはガードした所で体重の軽いネギ君が踏ん張れた物ではない。
「術式の補助のお陰だろうと思うけどスピードもパワーもそこそこのレベルまで上がってる。——————けど、」
茶々丸が吹き飛んだネギ君に追い討ちをかけようと迫る。
が、それを狙い済ましたかのようにネギ君は茶々丸から放たれた拳を掴み取り、自分の方に引き寄せてカウンターで肘を叩き込んだ。
完璧なタイミング。
かわしようもない一撃。
それを、
「——————まだまだ甘い」
茶々丸は掴まれた腕を支点に、半円を描くように大きく跳躍してかわす。
そしてそのままの勢いで、
「かふっ!?」
ネギ君を大きく蹴り飛ばした。
地面を派手に転がるネギ君。
寸前に障壁で緩和したようだが今の一撃は決定的だろう。
「まあ、こんなモンだろ」
これは予想と言うより確信に近い出来事を自分の目で見ただけの話。
驚きも何もない。
こうなる事は最初から分かっていたのだ。
「ちっ……だろうな。この前の戦いを見てもう少しマシかと思っていたが……この程度か」
エヴァが失望したように吐き捨てる。
その表情は予想通りになってしまったつまらなさと、予想以上の不甲斐無さに苛立ちを混ぜたようなモノだった。
「———残念だったな坊や。だがそれが貴様の器だ。顔を洗って出直して来い」
エヴァが倒れたままのネギ君を見下ろしながら言う。
……どうしたネギ君、君は本当にこのままで終わってしまうのか?
「ネギ!」
「ネギ君!」
アスナと佐々木さんが倒れたネギ君へと駆け寄る。
ピクリとも動かないので不安を募らせたのだろう。
が、
「……へ、へへ」
倒れたネギ君の指が動いた。
そして聞こえた笑い声も同一人物のもの。
「まだです……まだ僕くたばってませんよ、エヴァンジェリンさん」
ぐっ、と四肢に力を込めて再び立ち上がる。
けれども先ほどの一撃は足にきているのだろう、ガクガクと震えて今にも倒れてしまいそうだった。
「ぬ……? 何を言っている? 勝負はもう着いたぞ、ガキはさっさと帰って寝ろ」
エヴァが呆れたようにネギ君を見ている。
けれど、ネギ君はその視線を受け止めて———笑った。
「……でも条件は『僕がくたばるまで』でしたよね。それに確か時間制限もなかったと思いますけど?」
———は、そう言う事か。
思わず笑いが込み上げてくる。
なるほど、少々言葉遊びが過ぎる気もしないでもないが……君も男の子だなネギ君。
「な、何っ!? まさか貴様……!」
「へへ……その通り、一撃当てるまで何時間でも粘らせてもらいます……茶々丸さん続きを!」
「し、しかし先生……、っ!?」
ネギ君は戸惑う茶々丸を無視して突っ込んでいくが、あっさりと迎撃されてしまう。
その打ち込みは凡百で今までの目を見張るようなスピードは見る影もなくなっていた。
「あ、おい! 何を勝手に……!」
エヴァがそれを止めようと腰を浮かせるが、その手を掴んで引き止める。
「まあ、やらせとけよエヴァ」
「し、しかしこれ以上は無駄だろう? 見ろ、魔力供給も切れてスピードもがた落ちだ」
「それでもだ。男の子には引いちゃいけない時があるんだよ。———おい、茶々丸!」
エヴァを引っ張って無理矢理座らせ、茶々丸に呼びかける。
俺の声に茶々丸が振り返る。
「本気でやってやれ! そうじゃなきゃネギ君にとって意味がない事になっちまう!」
「——————士郎さん」
ジッと俺を見つめる。
ネギ君も茶々丸のほうを見上げて次の言葉を待っている。
そして、
「……わかりました」
茶々丸が頷いたと同時にネギ君を手の甲で殴り飛ばした。
———さて、どこまで頑張れる? 男の子。
◆◇—————————◇◆
かれこれ1時間以上にもなるだろうか?
周囲には打撃音が響き続けていた。
しかしそれは戦いの音などではない。戦いとは両者が互いに争う事を言うもの。一方的な力の行使は暴力となんら変わりはないだろう。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
「ネギ先生……」
打ち込む側と打ち込まれる側。
それは一度たりとも逆転することなく今に到っている。
ネギ君の顔はボロボロになり、うって変わって茶々丸は綺麗なままだ。
「お、おい坊や……もういいだろ? いくら防御に魔力を集中しても限界がある。 お前のやる気はわかったから……な?」
あまりの一方的な展開にエヴァでさえネギ君を気遣っている。
もうどうしようもならないと思っているんだろう。
……でも、俺は。
「ほらほら、どうしたネギ君! そんなんじゃエヴァの弟子になんてなれないぞー!」
更にハッパをかける。
ネギ君側の応援団の刹那と佐々木さん以外の全員から睨まれた様な気がするが気にしない。
ネギ君は俺の声を聞いて———確かに笑った。
「……わ、わかってまふ……まだまだでふ……」
頬が腫れ上がって上手く喋れないのか、まともな発音が出来ないまま答えてまた茶々丸に突っ込んでいく。
うん、それでこそ男ってモンだ。
「……おい、士郎。お前、なんでそんなに笑ってられるんだ?」
「え? 笑ってるか、俺?」
俺にはそんな自覚なかったんだけど……まあ、そんな気分にもなるってもんだ。
「ま、そうかもな。こんなに気持ちの良いモノを見れるなんて思ってもなかったからな、良かったよ」
「……この状況がか? 私には一方的な虐待にしか見えんぞ?」
「虐待って……それは茶々丸に失礼だろうが。ちゃんと加減してるんだから」
「それはそうだが……」
そう、何だかんだ言っても茶々丸は手加減している。
そうじゃなければとっくの昔に気絶させられて終わっている筈だ。
……恐らくだが、茶々丸はネギ君に何かを期待して気絶させていないのではないのだろうか?
そうでなきゃ、あんなに優しい子があそこまで人を痛めつけるような事はしないだろう。
「それにさエヴァ。こういうのって男の子にとっては通過点みたいなもんなんだ」
「通過点……か?」
「ああ」
頷いて前を見る。
そこではまたしても茶々丸から吹き飛ばされているネギ君が見えた。
このかはネギ君に一撃が入る度に悲鳴を上げて目を背けたり、そうでなくても目の端に涙を浮かべて今にも泣き出しそうにしている。
それはあのアスナですら例外ではなかった。
そうでないのは武道の心得のある刹那と古菲さんだけだ。
それを見ながら話す。
「壁って言い換えても良いのかな? 超えられないと分かっていても向かって行かなきゃいけない時があるんだ。それがネギ君にとって今なんだと思う。そしてその壁の向こう側にある目標が今はお前の弟子になるって一点だけだ。それは誇っても良いことだと思うぞ? それだけの目標にされている訳だからな」
「…………ふん」
「だからこそ俺はネギ君を止めたりはしない。むしろ応援する。ボロボロになってたってちっとも心配なんかしてやらない。そこまでする価値がある事を心配とかされてみろ、俺だったらそっちの方が嫌だけどな」
「………………」
「エヴァだって分かってるんだろ? ネギ君がどれだけ真剣なのか。俺だって最初はあんなに応援のギャラリー連れて来た時、甘く見てるんじゃないかって思ってたけど……甘かったのは俺の方だったかもな。ネギ君はその意思を身体を張って見せてくれた。これ以上にはないくらい……だろ?」
「…………それでも私は茶々丸に一撃を入れるという条件を翻す気はないぞ」
「そりゃそうだ。そんな事されても見ろ、情けなくって落ち込む所の話じゃなくなるぞ」
エヴァはふん、と鼻を鳴らしてもう一度ネギ君を見る。
俺はそんなエヴァに苦笑すると、同じようにネギ君を見た。
さ、後は君次第だ。根性見せてみろ。
◆◇—————————◇◆
「——————も、もう見てらんない……止めてくる!!」
目の前の惨状に耐えられなくなったアスナが二人を止めようとする。
あいつ等にはまだ分からなかったか……。
「仕方ない、ちょっと言ってくる」
エヴァにそう言い残して腰を浮かせる。
さて……素直に聞いてくれるかどうか……。
その時。
「———ダメーー! アスナ、止めちゃダメーーーッ!!」
そんな佐々木さんの叫び声で浮いた腰を止めた。
見ると、飛び出そうとしたアスナの前に両手を広げて立ち塞がっていた。
「で、でも……あいつあんなにボロボロになって……あそこまで頑張る事じゃないよ!」
「わかってる、わかってるけど……。ここでネギ君を止める方がネギ君にはヒドイと思う! だってネギ君どんな事でも頑張るって言ってたもん!!」
……はは、分かってる子もいるんだな。
二人の声を聞きながら立ち上がり、アスナ達の元へと階段を下っていく。
「まきちゃ……でもっ……あいつのアレは子供のワガママじゃん! ただの意地っ張りだよ、止めてあげなきゃ……」
「違うよっ、ネギ君は大人だよ!」
「ま、まきちゃん、シャワー入ってた時もそう言ったけど、あいつどこからどう見たって……」
「子供の意地っ張りであそこまでできないよ。う、上手く言いえないけど……。ネ、ネギ君にはカクゴがあると思う……」
「か、覚悟?」
「うん、ネギ君には目的があって……そのために自分の全部で頑張るって決めてるんだよ。アスナ……自分でも友達でも先輩でも良いし男の子の知り合いでもいいけど、ネギ君みたいに目的持ってるって子いる? あやふやな夢みたいのじゃなくて、ちゃんとこれだって決めて生きてる人いる?」
「そ、それは……」
歩きながら佐々木さんの言った言葉を考える。
俺的には半分賛成で半分は同意できない……かな?
ネギ君が大人とか覚悟を持っているかはちょっと同意できないけど、目的がはっきりしてるってのは賛成だ。
それらはネギ君の年齢を考えれば……及第点ってところか。
「———ネギ君は大人なんだよ。だって目的持って頑張ってるんだもん。だから……だから今は止めちゃダメ———」
佐々木さんがアスナの目を見てそう言った。
アスナはそんな佐々木さんを黙って見ていた。
「———俺も概ね佐々木さんの意見に賛成だ」
「……シロ兄……」
アスナの頭に笑いながら手を乗せる。
アスナはそのまま俺を見た。
「アスナ、お前がネギ君の一番側にいるんだ。だったら信じてやれよ。意地だってなんだって良いじゃないか。目的の為に意地になれるんだったらそれは止めるべきじゃない。その意地が無駄になんてならない。それに……」
片目を瞑り、茶々丸の方に視線を向ける。
茶々丸はこちらの言葉に気を取られている。
そしてその背後には—————ボロボロになったネギ君が拳を振りかぶっていた。
「———諦めなければ、意地だって張り通せば届くかもしれないだろ?」
ネギ君が動く。
「———あ、オイ! 茶々丸!!」
エヴァが叫ぶがもう遅い。
「…………あ」
ぺちん、と言う痛くも痒くも無さそうな一撃だが……確かに茶々丸に届いた。
「……あ、当たりまふぃた……」
それだけ言うと精魂尽き果てたようにネギ君は倒れた。
それでも、その顔は最後に笑っていた。
「———ほら、届いた」
一瞬の静寂の後に、歓声が響く。
倒れたネギ君は一瞬で女の子達に囲まれていた。
———ま、少し反則っぽかったけどこういうのもネギ君の力の一つって事でいいだろ?
たくさんの女の子に囲まれたネギ君を見ながらそんな事を思った。
◆◇—————————◇◆
「———ふん、負けたよ坊や。約束通り稽古はつけてやる。いつでも私達の家に来な」
夜も明け始めた頃、ようやく気が付いたネギ君にエヴァはそう言った。
ネギ君は佐々木さんに膝枕されたままでそれを聞いている。
先ほどまでのダメージを考えれば当然だろう。
「……ああ、それとな、そのカンフーの修行は続けておけ。どのみち体術は必要だしな。理屈っぽいお前に中国拳法はお似合いだよ」
それだけ言うとエヴァはその場を立ち去るのでそれに続く。
背中にはネギ君の「ありがとうございます」と言う言葉。
エヴァはそれに頬を緩ませながら歩く。
二歩先には金の髪を揺らしながら歩く彼女の小さな背中。
「———なあ、エヴァ。良かったな」
俺がそう言うと、エヴァは露骨に嫌そうな顔をして振り返り、後ろ向きのまま歩く。
「……お前までそのような事を言うのか?」
「だって…………なあ?」
隣の茶々丸を見る。
「ええ、そうですね。私も士郎さんに同意です。きっとこれからは賑やかな毎日でしょうね」
「ケケケ、喧シイノ間違イジャネーカ?」
俺の頭の上に乗ったままのチャチャゼロが笑う。
そう言えば乗ったままだっけ。
「……ふん、私としてはお前達がいれば問題ない。それよりチャチャゼロ! お前いつまで士郎の頭の上に乗ってるつもりだっ、さっさと降りろ!」
エヴァはチャチャゼロ目掛けて俺の目の前でぴょんぴょん跳ねる。
その様は子供っぽくて微笑ましいものだった。
「はは……ま、いいじゃないかエヴァ———って、引っ張るな! 転ぶ転ぶ転ぶーーっ!?」
朝靄の中を騒がしく歩く。
それでも、これから来るであろう未来の方がきっと騒がしいんだろうなと思いながら—————。