その日の夜、いつもより少し遅くなった俺は、閉店の片付けを終え、店のドアの鍵を閉めた。
外に出ると、夜ともなれば冷え込むのか、ヒヤリとした冷気が身に刺さる。
首に巻いた赤いマフラーで口元まで覆い隠し、急ぎ足で帰路へと着いた。
夜なのに妙に明るい。
無論、街灯などの力もあるが、何よりも遥か頭上に輝く存在の力が大きい。
「綺麗な月だな……」
歩きながら夜空を見上げる。
そう言えばエヴァと初めて出会ったのも、こんな満月の綺麗な夜だった。
その時のエヴァは月明かりに照らされて、とても綺麗だったと覚えている。
――だけど、まあ。その後に、子ども扱いして怒られたり、あまつさえお菓子で懐柔しようとしたらブチ切れられたり、何だかんだで戦う事になってしまって、首に刃物突きつけて脅迫まがいの事をしたりと、色々と台無しだったりするんだけど。
「………………」
うん、とんでもねーな、俺。
……とりあえずそれも思い出の一つの場面としておこう。
そう思っておけ、俺。
――サッ……。
「……ん?」
そんな風に、微妙な過去の情景を思い出している時だった。
今、何かが視界の端で動いた。
微かな動きだったが間違いない。
”何か”がいる。
眼球に魔力を叩き込み、視力を水増しさせ、辺りを探る。
加えてこの明るい月夜だ。微かなものとて見逃しはしない。
――ザッ……。
動いた!
間違いない、200m程離れた建物の屋上を、飛ぶように何かが蠢いている。
あの動き……普通の人間じゃない――!!
――もしや侵入者か!?
「――投影(トレース)」
俺は瞬時に魔力回路を起動させ、頭の中に弓と矢の設計図を浮かべ、
「開始(オン)――!」
一瞬のウチに実体化させる!
すぐさま矢を番え、目標を射抜かんと弓を構えた。
強化した視力で目標を細部まで見通して、
「――…………あれ?」
気が抜けた。
風船に入った空気が、ゆっくりと抜けていくように気が抜けた。
なにやってんだアイツ?
って言うかどうしようこの弓と矢。
折角出したのに、処理に困る。
…………困る。
……困る。
困る。
「………………えい」
困るのでとりあえず射ってみた。
やる気もへったくれも無い、気の抜けた矢だが、狙いだけは正確だ。
狙うは頭のテッペンのテッペン。
何を考えているのか分からんけど、目標が被っている、いかにも魔女が被っていそうな帽子の端っこも端っこ。
矢は狙いから寸分の狂いも無く飛んで行き……今、刺さった。
「おお、おお、驚いてる驚いてる」
わはは、などと笑ってみる。
矢の突き刺さった帽子は、その衝撃で頭から吹き飛ぶと、黒いコウモリへと変わって消えた。
目標はビクゥッ! と、心底驚いた様子でキョロキョロ辺りを見回している。
そこで飛んできた矢の方向から割り出したのだろう、俺目掛けて物凄い勢いで飛来して来た。
それこそ、勢いだけなら俺の放った矢に勝るとも劣らない。
「………………――ぉぉ」
それに続いて聞こえてくる、奇妙な叫び声が次第に大きくなってくる。
もちろん目標が近づいて来ているからに他ならない。
「こぉぉぉぉおおおのおおおおぉぉ!! なぁーーーにするかぁぁぁああああ!!!!」
怒号一閃。
矢の如く飛来する”それ”は、俺の顔目掛けてグーで殴りかかって来た。
「馬鹿士郎おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおお!!」
飛び掛ってきたのは、まあ、当然の如くエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルその人だった。
怒ってはいるけど、目の端にちょっと涙が浮かんでいるのはご愛嬌。
「よお、エヴァ」
とりあえず俺は飛んできたエヴァの拳をヒラリとかわす。
だって当たると痛いし。
そのままの勢いで、ズジャーーーと地面を滑っていくエヴァ。
ああ、こりゃ後で地ならし必要かなぁ……。
「『よお、エヴァ』――では無ぁぁああいっ!! お、おお、おま、おま、お前は私を殺す気かッ!?」
スーパーボールよろしく、地面に跳ね返った勢いで俺の首根っこに捕まりガクガク揺するエヴァ。
「まあまあ、落ち着いて」
俺はガクガクと揺れる視界の中、平然と応える。
「これが落ち着いていられるか!? ビックリしたんだぞなんか私が優雅に空を飛んでいたらなんか耳鳴りみたいなのが聞こえてきてイキナリ物凄い勢いで帽子が吹き飛んで心臓がひっくり返るかと思ったわっ!!!!」
――スゴイ、ワンブレス言い切った。
じゃなかった。
「おお、おおおお、お前はなななな、なんだ!? 嫌なのか!? 嫌いなのか! 私のことが嫌いなのかっ!?」
……や、もはやエヴァはパニくリまくって何を言っているかわかってないっぽいな。
「どうすればいい!? 私はどうすれば嫌われずに済むのだ!! 教えろ士郎!?」
「…………ああー……オーケー。今回は俺が悪かった。完璧に悪かった。この通りだ、スマン。だから戻って来てくれエヴァ」
「見た目か! 見た目が子供っぽいからいけないの――…………お? ……なんだと?」
「だから今のは俺が悪かったから謝るって。悪かった、ゴメン」
「…………――嫌いになったのではないのか?」
「………とりあえずそれは何の話だエヴァ」
「………そもそも私は何で怒っていたのだったか?」
「それは俺がイキナリ弓で射ったからだろう」
「……そうだったか?」
「ああ、きっとその思いは間違いなんかじゃない」
「――――嫌いじゃない、よな?」
「……だからそれはなんの話だ」
あれ? なんで俺は自分の悪戯を逐一丁寧に説明してんだろう?
それと微妙に弱気なエヴァが少し可愛いと思ったのは秘密だ。
そこで漸く首にしがみ付いたままだったエヴァから開放される。
「そうか……違うのならば良い。――それで、何か用か士郎?」
「や、そう言う分けじゃないけど……怒ってないのか?」
「……なんだか私もどうでも良くなった。しかし幾らなんでもいきなり射撃をするとはあんまりではないか?」
「いや、本当にスマン。ちょっと驚かせようかと思っただけなんだ。それにエヴァなら途中で気がつくかと思って……」
「無理を言うな。幾ら私でも、あんな長距離からの殺意も敵意も害意もまるで無い物など、気が付けるわけがないだろう」
「そりゃ、エヴァを傷つけるつもりなんて微塵も無かったからな……」
きっと悪戯心という邪気はてんこ盛りだったろうけど。
「――仕方のないヤツだ。ならば本当に用も無く呼び止めたのか」
「いや、まあ、なにやってんのかなーとかは思ったけど」
「そんな事か……。魔力の補充をしようとしていたに過ぎん」
へえ、そうか、魔力を………って!
「ちょっと待てエヴァ。お前まさか人を襲いに行くって言うんじゃないだろうな!?」
「何を当たり前のことを……言っただろう? 私は吸血鬼だ、魔力の回復には当然人間の血が必要に決まっているだろう」
馬鹿なことを聞くな、とエヴァは言う。
その言葉に一瞬、頭に血が上りかけるが、なんとかギリギリの所で踏みとどまる。
待て、きっと何か理由があるはずだ。
「エヴァ……、幾つか質問してもいいか?」
「ん? 何だ?」
「エヴァは……基本的に血を吸わないと生きていけないとかじゃないよな?」
「そうだな……昔はそうではなかったが、少なくとも今では生きていく上で必要と言うほどの物でも無いな。私にはある種の嗜好品といった趣が強い」
「……じゃあエヴァはなんで血を吸おうとしているんだ? ――自分の快楽を満足させる為か?」
「快楽って……お前、聞き方が意地悪だぞ士郎? それに最初に言っただろう馬鹿者。私は魔力を回復させる為に血が必要なのだ」
…………あれ?
冷静になって聞いて行くと、そんなに大事と言うわけではないのだろうか?
エヴァもいたって普通に受け答えしているし。
「えっと、じゃあなんで魔力が必要になったんだ? 今までそんな事言わなかっただろう?」
「そうだな……言うなれば、漸くこの忌まわしい封印を解ける目処が着いた……と言うところか。その為には少しでも魔力を回復させておく必要があるのだ」
「エヴァの……封印が解ける?」
エヴァを苦しめている封印が解ける……なるほど、そう言う事か。
恐らく解呪の魔法とか儀式に多大な魔力を使うのだろう。
だから、その為にエヴァは自身で補充しきれない魔力を他から集めているのだろう。
だったら――。
「エヴァ、その魔力って誰から吸っても回復できるのか?」
「ん? そうだな……基本的には人間ならば誰から吸っても回復は可能だ。まあ、潜在的な魔力が多い者ほどその度合いも上がってくるがな」
よし、それならば尚更に都合がいい。
「だったらエヴァ――」
「なんだ?」
「――俺から血を吸え」
「――――」
一瞬、エヴァが息を飲むのが分かった。
余りにも唐突過ぎただろうか?
エヴァには、その選択肢は全く持って存在していなかったようだ。
「吸うなら俺から吸え、エヴァ」
もう一度言う。
驚くエヴァの瞳から目を離さずに言う。
「良い……のか?」
俺の問いかけに暫しの逡巡の末、搾り出すようにエヴァは言った。
戸惑い気味に、俯き気味に、俺の顔を伺う様に覗き込む。
「ああ、”他の世界”の人間だとしても、俺だって魔術師の端くれだ。少なくとも普通の人間よりは魔力はあると思う。それに俺から血を吸えば、余計な騒ぎを引き起こすリスクだって回避できるだろ?」
「それは……そうだが……構わないのか?」
俺は「ああ」と頷き、首に巻いたマフラーを外してからしゃがむと、エヴァを招き入れるように両手を広げた。
エヴァはそんな俺に何度か戸惑いを見せたが、最後にはトコトコと歩寄って、俺の腕の中に納まった。
「…………本当に構わないのか?」
俺の首筋を前に、エヴァは未だに少し戸惑いを見せていた。
「ああ、構わないさ」
そんなエヴァを俺は右手で頭の後ろを、左手でエヴァの細い腰を抱きしめるようにして促す。
エヴァは少しビクリと反応を見せるが、すぐに落ち着いたようだった。
そして彼女は、まるで労わる様に首筋をペロリと一舐めすると耳元で囁いた。
「……以前に話したよな? 吸血鬼は相手の血を吸う事によってその者を下僕にする事が可能だと」
「……そんなことも言ってたな」
「不安にならんのか? 私はこのままお前を下僕として意のままに操ってしまうかもしれんのだぞ?」
チクッ、と薄く皮膚にエヴァの牙が当たる。
脅し……、のつもりなのだろうか。
だとしたら、それはまるで脅しにもならない。
「エヴァを信頼している」
「――――」
微塵の迷いも、戸惑いも無く答えられる。
そしてエヴァの髪を何度も撫でる。月の光に濡れた、金糸のような髪を何度も。
それにエヴァは安心したように身を委ねると「ん……」と小さく声を漏らし、安心したように言った。
「――ああ、そうだな。お前はそのままの方が好ましい」
つぷっ、と皮膚に牙が突き刺さる。
微かな痛みと共に、エヴァが俺をギュッ、と抱きしめるのが分かった。
小さな喉がコクコクと音を鳴らし、俺の血を体内に取り込んで行く。
その間も俺はずっと彼女の髪を撫で続けていた。
何度も、何度も。
どれ位そうしていただろう。
エヴァは俺の首筋から離れると、最後に気遣うように、愛しげに傷口をペロリと舐めとった。
「ん…………素晴らしいぞ士郎。お前の血には魔力が満ち満ちている……」
どこか恍惚とした表情で、口の端に着いた俺の血を舌で舐めた。
その様が、幼いくせに妖艶に見えて、ドキリとさせられる。
「そうか……、あれだけで足りそうか?」
「ああ、十分だ。しかし、他世界とは言え流石は魔法使い……いや、お前の呼び方をすれば魔術師だったか。この世界の者の魔力とは多少異なるとは言え中々だ」
「そっか……」
「しかし、こうして見て初めて分かったが……士郎、お前の魔力、そうそう多い方ではないな」
「……これでも普通位はある筈なんだけどな」
「そうか? ……まあ、言われて見れば比べる対象が元来の私というのは酷な話か」
「この世界では魔力が多い方が強かったりするのか?」
「ん? 間違ってはいないが一概にそうとは言い切れんな。幾ら魔力量が多かろうとも、使い方を知らなければ宝の持ち腐れだしな。それが戦力という話になれば尚更だ。相性、運、運用用途、錬度など多岐に渡る。だから魔力が少ない者が多い者に勝ると言うのも、そうそう珍しい事ではない」
「そっか……。にしてもやっぱりエヴァの元々の魔力って凄いのか?」
「私のか? そうだな、これでも最強と謳われた魔法使いだ、比肩するものなどそうそうはおらんよ」
「へえ、ちょっと見てみたいな、それ」
「なに、もう暫くの辛抱だ。そうなったら幾らでも見せ付けてやるさ」
クックック、とエヴァは笑う。
え……と、なんでそこでそんなに邪悪に笑うんでしょうか?
「え、えっと、取り合えずだ。そろそろ帰るかエヴァ」
「そうだな。帰ったら茶を淹れてくれ」
「ん、了解」
二人で並んで帰路へと着く。
ふと見ると、エヴァの格好は黒く長いマントを身に着けているが、どうにも生地が薄そうで寒そうに見える。
「ほら、エヴァ」
俺はエヴァの前に屈むと、自分の首に巻いていたマフラーを解いてエヴァの首筋に回した。
「お、おお……済まないな……」
エヴァは多少驚きながらもそれを素直に受け入れる。
シュルシュルと自分の首筋に巻かれていくマフラーを黙って見ている。
ただ、元々が長いマフラーだった上に、小柄なエヴァには殊更長くて、どうにも余り過ぎてしまう。
なので、胸の前でリボン結びを作ると、丁度いい具合に巻き終える事が出来た。
長めのマフラーだったので綺麗な形の真っ赤なリボンがエヴァの胸元を飾る。
「どうだ? 苦しくないか?」
「ん……、問題ない。しかし、お前は寒くないのか?」
「気にすんな、エヴァに風邪を引かれる方がよっぽど大変だ」
「……そうか」
エヴァは短く答えると、胸元に出来た赤いリボン結びを、指で撫でながら物思いに耽ってしまう。
無言のまま歩き続ける。
他には誰も居ない月明かりの下をテクテクと。
思い返してみれば初めて出会った夜もこうして歩いたものだ。
あの時はまだ帰るべき場所とは言えなかったエヴァの家に。
考えてみれば、ここに来てからまだ一月も経っていないのだ。
にもかかわらず知り合いは結構出来たし、こうして帰るべき場所もある。
もう随分と長い間ここにいるような錯覚すら感じる。
「……フフ」
と、
今まで無言で歩いていたエヴァが小さく笑った。
「どうした?」
するとエヴァは面白そうに自分の顔の前で手を、何でもないとでも言うようにパタパタ振った。
その様子は楽しげで、何かを懐かしんでいるように見えた。
「いやなに、少し前の事を思い出していたのだ」
「昔の事?」
俺がそう言うと、「ああ」と答え、目を閉じながら呟いた。
「……お前と出会った夜もこのような感じだったなと思ってな」
「……ああ」
そうか、エヴァもさっきの俺と同じ事を考えたのか。
「そうだな、あの時も綺麗な満月だったな」
夜空を見上げる。
そこには大きな月が俺達を照らすように優しく輝いていた。
「考えてみれば士郎がここに来てからそれ程時間は経っていなかったのだな……思い返してみれば長かったのか短かったのか。なにやら昔からの知り合いのような気がするよ」
「そっか……サンキュ、エヴァ」
エヴァは俺を見上げながら穏やかな笑顔を見せてくれる。
月明かりに照らされたその笑顔は、ただただ――綺麗だった。
……エヴァは少し変わったのかもしれない。
最初の頃はそれこそ笑ってはくれるけど、ソレは苦笑や嘲笑のような『笑顔』、と呼べる物ではなかった気がする。
でも今は、
「はは……何を礼なんか言っているんだ? 士郎」
「ん、なんとなくな……」
こんな心からの笑顔を見せてくれている。
こういう表情を見せてくれるようになったのは――、
「……ああ、そうか」
――あの地下室での夜からか。
俺が差し出した手を、本当に嬉しそうに見つめ、握り返しながら向けてくれた笑顔。
自らの過去を語り、俯いたエヴァに何かを伝えたくて、只、差し出した俺の手を眩しい物でも見るかのように見上げながら、心からの――本当に、本当に嬉しそうに握ってくれた、あの時の笑顔からだ。
「ん? なんか言ったか?」
「いや……今日はなんのお茶淹れようかなって」
考えていた事と違う事を言って適当にごまかす。
別に後ろめたい事を考えていた訳ではないが、ソレをそのまま言葉にするのは少し気恥ずかしかったのだ。
「そうだな。日本茶や紅茶もいいが……うん、ココアでも淹れてくれ」
「ココア……か?」
エヴァは楽しそうに言う。
確かに菓子作りにも使うから買い置きはあるけど……珍しい事もあるもんだ。
いつもなら紅茶か日本茶なのに。
「ああ、ココアだ。今日は少し冷えたからな、偶にはココアも悪くないだろう?」
「……そうだな」
エヴァの言う通り、悪くない。
紅茶等とは味も風味も全く違うが、ココアだと身体はもとより心まで暖まりそうなそうな気がする。
楽しそうにしているエヴァを見れば尚更、だ。
エヴァは俺の返事に機嫌よく頷くと、歌い出しそうな調子で歩く。
「……なあ、士郎」
「ん?」
どれ位そうやって歩いただろう?
暫くはお互いに無言で歩いてきたが、唐突にエヴァが消え入りそうな声でポツリ、と囁いた。
語りかけるエヴァに、俺は視線を前に向けたまま答える。
「――今の時が続けば、いいな……」
先程まで明るく話していたと言うのに、そう語るエヴァは何処か儚げで、悲しげで――。
「お前と私と茶々丸……まあ、チャチャゼロも入れてやってもいいか。……このままの時は続く、……よな?」
小さな手がキュッ、と俺の手を掴む。
不安、恐怖、そう言った感情のどれかなのだろうか?
それはまるで、道を見失い迷子になってしまった子供のような仕草だった。
――この子には脆いところがある。長い時間をかけて育んで来た精神力は強靭な物があるだろう。それは孤独を物ともしない、強い心を持っていて他人を必要としない。
けど、それとは反対に、一度でもその心の内に入ってしまうと途端に”脆く”なる。
長い孤独の反動なのだろうか。
心の内に入った者が離れるのを、この子は極端に恐れる。
「――そうだな」
いつしか、俺が元の世界に帰れる時がきた時、俺は――どんな判断をするのだろうか?
この頼り無く握られた手を振り解いて行くのだろうか。
――そうなったら、この子は……。
…………わからない。俺はその時どうすればいいのだろうか?
もう一度月を見上げ、その姿に何かを見出すように見つめる。
ジッと見上げているとその姿自身がなんだか分からなくなってくる。
――答えは、出なかった。
……だから俺は、
「そうなると、いいな――」
俺には、その小さな手を握り返すことが出来なかった――。