目的地に向けて、私が若干先導する形で半歩分だけ前を歩いていた。
弓道場。
衛宮さんが案内して欲しい場所とはそこだった。
私自身は行った事は無いが、道場や茶道部で使用される茶室等といった、主に『和』関係の建物が並ぶ一角にあった筈だ。
チラリと、後ろを歩く衛宮さんを見やる。
衛宮士郎さん。
寮のすぐ前にある喫茶店のマスターさん。
パッと見は、私とそんなに年は離れていないだろうとは思うけど、正確な年齢はユーナが聞いていたが、はぐらかされてしまって、結局は分からないままだった。
最初はこんなに若い(と推測)のに店主なんてなれるんだろうかとも思ったが、考えてみれば私のクラスには超(チャオ)と言う『超包子』のオーナーをやっている学生のような前例もいるし、まあ、そんなこともあるんだなと納得しておく。
それと、格闘技でもやっているのか、とっても強い人。
どれくらい強いとかの基準は私には今一つ分からないけど、あわや乱闘になろうという場面を、誰も傷付けることなく解決してしまう程強かった。私は喧嘩とかは嫌いだけど、衛宮さんのようにその力を誰も傷つけない為に使う、と言ったそれには共感できる。
背は余り高くはなく、むしろ私のほうが背が高いくらい。
まあ、これは私が女にしては高い部類だろうからでもあるのだろうけど。
人を見た目で判断する気は微塵もないが、ルックスはいたって普通。
決して悪くは無いが、騒がれる程の美男子と言うわけでもない。
ただ特徴的なのはその目。
意志の強さを物語るかのように輝きを放つ、そんな真っ直ぐな瞳。
その瞳を見るだけで、この人はきっと悪い人じゃない、そう思わせる不思議な瞳をしていた。
「……衛宮さんは弓道やってるんですか?」
「昔はやっていたんだけどな。今は離れてしまってるんだ」
「……久しぶりにやって見たくなったとか?」
「そうだな。まあ、そんな感じ」
余り饒舌な方ではないのだろう。
案内し始めてそこそこ時間が経つが、私達はそんなに言葉を交わしてはいない。
私自身もそんなに饒舌でない事は自覚しているから、そんな二人が一緒にいれば会話が弾むわけは無かった。
普通ならそんな雰囲気を気まずく感じる物なのだろうけど、不思議とそんな感じはしない。
自然体、とでも言うのだろうか? 衛宮さんからは気負うといった雰囲気がまるでない。
きっと、そんな衛宮さんのお陰でお互いに無言のまま歩いていても苦にはならなかったのだ。
それから暫く歩きながら、ふと思い出したように一言二言会話を交わしながら歩いていると、それらしい建物が立ち並ぶ一角にやってきた。
どうやら目的地付近に着いたらしい。
「……衛宮さん着きましたよ」
後ろを振り返りながら言うと、衛宮さんは珍しそうに辺りを見回していた。
「……すごい所だと思ってたけど、まさか、ここまで揃ってるなんて桁外れだな……」
感嘆の声を上げる衛宮さん。
まあ、その気持ちは非常に良く分かる。
この学園は、施設一つ一つがどれも本格的なのだ。
ここに来てまだ日の浅い人には驚きの連続かもしれない。
「えっと……、たしか弓道場は……」
私は立ち並ぶ建物の看板を見渡す。
この一角にあるのは知っていたが、正確な場所までは把握していないからだ。
すると、近くの建物の扉がガラリと開いて、人が出てきた。
「……桜咲?」
「ん? ……ああ、大河内さんですか」
そこにいたのは、クラスメートの桜咲刹那だった。
彼女とはクラスメートではあるものの、余り話したことは無かった。
とても落ち着いていて、いつも物静かな人だとは思ってはいたが。無口と言うよりは寡黙と言った方が彼女の雰囲気にはぴったりだった。
出てきた建物の看板を見てみると、そこには『剣道場』と書かれている。
そういえば彼女は剣道をしていると聞いた事がある。
凛とした桜咲にはなんとも似合っているな、とそんな事を薄ボンヤリと考える。
「どうしたんですか、こんな所に? 貴女は確か水泳部の筈。ここで貴女を見た事は今までありませんでしたが……」
「……ああ、それはこの人を――」
説明しようと後ろを振り返り、衛宮さんを紹介しようとしたら、
「……士郎さん?」
「よう、刹那」
衛宮さんはシュタ、と片手を挙げていた。
二人の意外な反応に、続けようとした言葉が止まってしまった。
「……知り合い?」
桜咲の方に聞いてみると、彼女も少し意外そうな顔をする。
「え、ええ。少しありまして……。それより士郎さんがどうしてここに?」
「ああ、店の休憩がてらブラブラしてたら、なんか困ってた大河内さんに会ってな。それの手助けしたお礼にって事で弓道場に案内して貰ってたんだ」
「そうだったんですか。しかし、それならそうと言って下されば、私が幾らでも案内しましたのに……」
「や、只の思いつきなんだから気にしないでくれ」
楽しそうに話す二人を見て、私は少しだけ驚いた。
衛宮さんと話している桜咲は、普段見る桜咲より随分と柔らかい感じがする。
少なくともクラスにいる彼女がこんな表情を見せた事はなかった。
「それにしても士郎さんが弓ですか。初めて聞きましたね」
「隠してたわけじゃないんだけどな。まあ、言うような機会もなかったし」
「そうですか。……しかし士郎さんが弓を――もし良ければ、私もご一緒してもいいですか?」
「え、俺は別に構わないけど……刹那は部活じゃなかったのか?」
「いえ、私は忘れ物を取りにきただけですので」
「そっか。じゃあ行くか」
「ありがとうございます」
ではこちらに、と言って桜咲は先に立って歩き出したのでそれに付き従う。
彼女が案内してくれるようだ。
正確な場所を私は知らないので、そうしてくれる分には助かる。
――しかし二人はどういう関係なのだろう?
先程から聞き流していたが、下の名前で呼び合っているし、結構親しそうだ。
(……付き合ってるのかな?)
邪推したくはないけど、そう考えてしまうのは仕方ないだろう。
聞いてみたい気もするが、そう言う事を聞くのは失礼な気もする。
等と考えていたら、一つの建物の前で立ち止まった。
なるほど、看板にも書かれているしここが弓道場らしい。
「――失礼します、見学をお願いしたいのですが」
桜咲はそう言って扉を開くと、先に立って中にへと入って行く。
それに私と衛宮さんも、失礼しますと言って続いた。
「おや、見学かい?」
部員らしい袴姿の大柄な男性が応対してくれる。
随分と大人びた雰囲気もあるし、恐らく大学部の人だろう。
「ええ、自分なんですけど良いですか?」
それに対し衛宮さんが前に出て答えた。
「ああ、全然構わないよ。じゃあこっちへおいで。連れの方もどうぞ一緒に」
そう朗らかに笑って、道場の一角に案内をしてくれた部員さんは、じゃあここで少し待っててと言い残すと、彼は何処かへと行ってしまった。
衛宮さんはそれに礼を言うとそこに正座で座った。
それに習うように私と桜咲も正座で座る。
そうやって改めて弓道場を見渡す。
広い。凄く広い。
そこにいる部員の数は、見える限りで大体40人。
弓道というと静かなイメージを持っていたけれど、少なくともここでは和気藹々として、とても楽しそうに映る。
板張りの床は幅で20mはあるだろうか?
そこに部員の人たちが並び、遠くにある的に向かって弓を構えて矢を打っていた。
良く見てみると、その的を置いている距離にも2種類あるのに気が付く。
近い方は大体30m位だろうか? それでも的は随分と小さく見える。
それに対して、遠い方はその倍はあるのではなかろうか? 恐らくは60mはあろうかと思われる遠方に見える的は、全くの素人である私には、とてもではないが当たるとは思えない位小さく見えた。
そうやって、暫く初めて見るものだらけの場所を興味深く観察していると、先程案内してくれた人が、弓を片手に戻って来て衛宮さんに話かけた。
「君は弓道やった事あるのかい?」
「ええ、以前に少しの期間だけですけど……」
「じゃあ良かったら弓を引いてみるかい?」
「えっと……ありがたいですけどいいんですか? 部外者にいきなり引かせても」
「別に構わないよ。精神論も大事だけど、こういうのはやって見ないと面白さは伝わらないだろ? それに君は一応経験者らしいし」
「……じゃあ、お願いします」
「オーケー。じゃあこれを使ってくれ。カーボンファイバー性だから、ちょっと強いかもしれないけど構わないだろ? 服装は……まあ、そのままでもいいだろ」
「はい、ありがとうございます」
そう言って弓を受け取ると、衛宮さんは感触を確かめるように、弦の部分を引いたり戻したりを繰り返した。
「――君等はどうする? 良ければ女の子にも引けるような、弱い弓持ってくるけど」
「……え? えっと……そうですね――」
弓道か……。
少しだけやって見たいとも思うけど、今日は衛宮さんの付き添いだし、衛宮さんがどれ位上手いのか少し気になった。
「……遠慮しておきます」
「私も結構です」
私に続き、桜咲も辞退を申し出た。
彼女ならばきっと弓を構える姿も似合うと思ったが、言葉には出さないで置く。
「そうかい? ま、無理強いはしないさ。それじゃあ君は近的と遠的、どっちで行く?」
「それじゃあ遠的で」
「そうか、それじゃ礼とかはいいから、自由に射ってくれていいぞ」
ほら、と2本矢を衛宮さんに渡す。
衛宮さんはそれを右手で受け取ると、目を閉じて深呼吸を始めた。
集中する為なのだろう。大きく深く、それでいてゆっくりと。
そんな衛宮さんから意識を逸らしてみると、他の部員の人たちが皆注目していることに気付く。
やはり部外者と言う事もあって、どうしても目立ってしまうのだろう。
隣に座る桜咲は、深呼吸を繰り返す衛宮さんの一挙手一投足だろうと見逃さないとばかりの、真剣な表情で見つめていた。
そんな当人である衛宮さんは、準備が終わったのだろうか、今までより更にゆっくりと深呼吸を始めた。
――ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり吸って、
――ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり吐く、
そして今まで閉じていた瞼を、スッと開いた。
――瞬間、全てが止まったかのような気がした。
今まで聞こえていた、話し声のような雑音が聞こえない。
目の前の光景から視線を逸らす事が出来ない。
自分が呼吸をしているのかも分からなくなる。
そんな全てが静止したかのような世界で、衛宮さんは当然の様に動き出した。
流れるような動きで射場に立つ。
淀みの無い動作で右手に持った矢を弦に番える。
大きな動作で弓を引き絞り、視線で的を射抜く。
右手が弦を手放すと、矢は風を切り裂く悲鳴を奏でながら飛翔した。
そして、まるで同じ映像を繰り返して見ているかと錯覚してしまいそうな正確さで、同じ動作をもう一度繰り返した。
そして、衛宮さんがゆっくり弓を下ろしたのと同時に、凍結していた世界が正常に戻るのを感じた。
「……――っは!?」
今の不思議な感覚を感じたのは私だけでは無く、他の人達も全員らしかった。
まるで夢から突然覚めたかのように呆然としている。
「……うん」
そんな中、衛宮さんが一人満足気に頷くと、平然とした様子で私達の座る場所へと帰ってきた。
「これ、ありがとうございました」
そう言って、衛宮さんが持っていた弓を、いまだに呆然としている部員の人へと渡すと「あ、ああ……」と呆けたまま受け取った。
衛宮さんは、そんな不思議な表情をしている人たちに首を掲げると、私達へと向き直った。
「……さて、そろそろお暇しようか、大河内さん、刹那」
そのまま帰ろうとする衛宮さんに私と桜咲はまるで夢遊病者のように続いた。
そのフラフラとした足取りで靴を履き扉を潜る。
後ろ手に扉を閉めることより遅れて数瞬、背後から歓声のような怒号のような叫びが聞こえた。
――私が知ることになるのは大分後のことだった。
それの原因である、衛宮さんの放った矢は的のど真ん中に一本だけ命中していた。
そして、もう一本の矢は突き刺さっていた矢を引き抜いた先に埋まっていた事を。
その叫びを切欠にやっと思考が正常に回りだす。
けれど弓道に親しみのない私では、何をどう言ったらいいか分からない。ともかく凄かったといった感想しか出てこない。
「――素晴らしい腕前でした、士郎さん」
そんな私を尻目に、桜咲は衛宮さんへと賞賛を送っていた。
私としてはまるで夢を見ているような光景だったが、やはり凄い事だったのだろう。
「私は弓術に関しては聡い方ではありませんが、あのような射がどれ程の物かと言う事ぐらいは理解できます。改めて感服しました」
少し興奮気味に桜咲は語る。
そんな彼女の様子に、少しであろうと今の衛宮さんがやった事の凄さを理解できるのが、羨ましいと私は思った。
それと同時に、分からないことに少し悔しさも覚える。
(――……あれ?)
そこで考える。
(…………なんで、私は悔しいなんて考えてるんだ?)
わからない。自分の感情がわからない。
連れ立って歩く衛宮さんの横顔を見る。
幼さを僅かに残した顔立ちに、ドキリと心音が高鳴るのを感じた。
胸に手を当ててみると、トクトクと心臓が早鐘を打っている。
「…………――、さん?」
なんだろう、この感じは?
これではまるで、まるで――…………。
「……大河内さん?」
「っっっっ!? は、はい!!?」
気が付くと、衛宮さんの顔が間近にあって、私の顔を覗き込んでいた。
瞬時に頭の中が真っ白になり、裏返った声で返事をしてしまう。
「……大丈夫か? なんか呆けてたみたいだけど……」
「い、いえ!! 大丈夫です!」
近寄った衛宮さんから距離を取るように二歩、三歩ヨロヨロと後ろに下がる。
そんな私に、衛宮さんは心配するような視線を向けるが、特に追求してくるようなことはしなかった。
「……そっか。で、どうする? 俺たちは店に行くけど……良かったら来るか? 奢る位するけど」
気が付くとそこは既に寮の前。
知らず知らずの間に帰ってきていたようだ。
「……い、いえ。今日は遠慮しておきます!」
ワタワタと手を顔の前で振りながら何とか答える。
今の私は、どうにもこうにも頭が上手く回らない。
とても嬉しい誘いではあるが、醜態を晒してしまいそうな自分が怖くて行けそうにも無い。
「そうか? 遠慮する事なんてないんだけど……ま、仕方ないか。じゃ、大河内さん、またな」
「――失礼します」
シュタ、と手を上げて踵を返す衛宮さん。
桜咲はそれに習い、軽く頭を下げてその後に続いた。
その後姿を目で追う。
衛宮さんを見るとまた、ドキリと胸が高鳴った。
桜咲と二人、連れ立って歩くのを瞳に映すと、ズキリと胸が疼いた。
「……ホント、何なんだろう」
ポツリと、小さく呟く。
目を閉じるとハッキリと思い出す、弓を構える衛宮さんの姿。
突如として湧き上がった奇妙な気持ち。
遠ざかる二人を眺めながら、持て余し気味の感情が心の中で渦を巻く。
寒さが日に日に増す、とある日の空の下。
私には、そんな二人の後姿を見送る事しか出来なかった。