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No.32434の一覧
[0] さようなら竜生 こんにちは姫生(完結 五話加筆 竜♂→人間♀ TS転生 異世界ファンタジー)[スペ](2012/05/16 23:14)
[1] さようなら竜生 こんにちは姫生2[スペ](2012/03/26 08:59)
[2] さようなら竜生 こんにちは姫生3[スペ](2012/04/10 12:28)
[3] さようなら竜生 こんにちは姫生4[スペ](2012/11/08 12:57)
[4] さようなら竜生 こんにちは姫生5 <終> 加筆[スペ](2012/06/20 12:31)
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[32434] さようなら竜生 こんにちは姫生4
Name: スペ◆20bf2b24 ID:e262f35e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/11/08 12:57
さようなら竜生 こんにちは姫生4


 レアドラン殿下が十三歳の秋を迎えられる頃、私、レナスは朝食をお摂りになる殿下のお側に控えておりました。
 殿下は普段ほとんど贅沢というものをなさらぬ方なのですが、こと食事に関してだけは大量にお食べになります。
 といっても食事の質それ自体はごく控えめで、たくさんお食べになってもそれほどお金のかからない食材をわざわざご指定され、城の料理人達に作らせています。
 金色の月の君、とその美貌を讃えられる殿下は、十三歳になられる頃にはますます体の線が柔らかになり女性らしさが増して、同じ女性である私たちでも意識を強く持たなければ自然と見惚れてしまうほどです。
 であるにも関わらずその御身体のどこに、というほど殿下は三食お食べになるのですが、一向に余分なお肉が着く様子が無い事は、私達の間でも不思議とされている事の一つです。

 私が初めて殿下に拝顔の栄を賜ったのは四年前、殿下が九歳で私は十四歳の時でした。  
 その頃の殿下は風が吹けば簡単に転んでしまうような、それは小さなお人形さんのように愛らしく、それ以上に可憐な方でしたがその頃より既に侍女たちの心を奪っておられました。
 そんな殿下が日を追うごとにお美しくなられるのですから、殿方ばかりでなく同性である女性の心を奪うのも当然であったかもしれません。
 殿下が湯浴をされる時にお側に控える者達は当番制なのですが、その当番を決めるまでの間は随分と侍女たちの間で激しく口論をしたものです。

 ただその中にあって侍女長のジーナ様やロミのような例外を除いて、ウシビトである私やクモビトであるラケシスなどは種族としての特徴から殿下と接する機会に多く恵まれています。
 ラケシスは自分で作る糸を使って姫様の衣服を仕立てる名誉あるお仕事を任されていますし、ウシビトである私の場合は朝・昼・番と殿下の食卓に供される乳を提供するお仕事を任されています。
 私の種族であるウシビトの女性は人間や他のケモノビトとは違い、おおよそ十代半ばごろになりますと、妊娠していなくても乳房から乳が出るようになるのです。

 昔からその為に他種族から狙われて誘拐されたり奴隷にされたり、とウシビトは過酷な歴史を歩んできましたが、同時にその特徴を利用して社会や国家の中に自分達の役割や地位を築く術に長ける結果に繋がりました。
 ウシビトの女性を囲む事は貴族階級の者達の一種のステータスシンボルとして考えられるようになり、私もウシビト達のコミュニティから殿下の元へと派遣されたのです。
 幼いころから貴人に仕える為の教育を受けて育ってきた私にとって、王家に連なる方の元へ奉公に行く事が出来るのはとても名誉なことでありましたし、私が選ばれた事を知った時には、両親や姉妹と一緒に思わず飛び跳ねて喜びを露わにしたものです。

 そしてお仕えする殿下に直接お会いし、お傍に居続ける間に私の胸の中にはこの方の為に私にできる事は何でもして差し上げたい、この方のお役に立ちたい、という偽りなき忠誠心と慕情が募っていったのです。
 人間もケモノビトも分け隔てなく扱い、公正に能力を評価し、本人も気づいていない適性や能力を見抜いて適材適所に配し、いえそうでなくともそもそも労働条件が他所の土地とは比較にならぬほど良い殿下の元へは、多くのケモノビトや流れ者の人間が集っています。
 そのような一癖も二癖もある者達の多くもいまの私と同じように殿下に対して、本物の揺るぎなき忠誠心と敬慕の念を抱いている事でしょう。

 夏の足音が遠くへ遠ざかり、代わりに秋の息遣いが耳に届く様になっていたその日の朝も、私は朝食をお取りになる殿下のお傍で搾りたての乳を入れたポットを手に持って控えておりました。
 既に述べた事ではございますが殿下は大変な健啖家でございます。
 王宮を離れられこの地の領主として赴任された当初は、可憐と言う言葉では到底言い表せない御姿に相応しい少量の食事で済ましておられました。
 ですが殿下のご指導による農業政策が結果を表し、穀物の収穫量が格段に増加した頃からでしょうか、殿下は食事量の自重をおやめになり、驚くほど食べるようになられました。
 王宮に居られた頃からお仕えしていた私やジーナ様を除き、それまでの小鳥の様な食事量で済ませていた殿下の御姿しか知らぬ新しい侍女や城の者達は、本来の食欲を露わにした殿下にそれは驚いたものでした。

 今、殿下のテーブルには窯から出されたばかりのパンが籠に盛られ、小さく切り分けられたチーズが何種類も並んでおります。
 さらに丁寧に煮込まれたギャッターの尻尾のスープや、分厚く輪切りにされたギャッターのステーキがお皿の上で湯気を立てています。
 皮も形もほとんどそのままの温野菜の鍋、姿をそのままに焼かれたり揚げられたりした尾頭付の魚たちが殿下の一度の食事でした。
 それでもお肉の多くは討伐した恐獣のものですし、魚にしても土地の者達でも泥臭さや癖の強さから口にすることの少ない下魚で、お野菜も殿下ご自身が鍬を振るって育てている菜園から採取したものと、本来王族が食事に掛けるだろう費用と比べればごくごく少額に抑える工夫がされています。
 どうして最初からこのようなお食事になさらなかったのか、もっと王族に相応しいお食事になさらないのか、殿下にお尋ねした事があったのですがその時に殿下はこうお答えになりました。

“誰かが泣いている横で食べるご飯は美味しくありません。自分がお腹いっぱい食べるのは少なくとも目に映る人々がお腹いっぱい食べられるようになってからです。民なくして私達は暮らして行けませんからね。自分達の事は二の次で良いのですよ”

 その御言葉を耳にした時、私はこのような考え方をする貴族が居るのか、と心から驚いたものです。
 なぜなら民とは貴族の為に存在しており、貴族の暮らしをより豊かにする為に存在するという考えが当たり前でしたから、殿下の様な考えをされる方に私は初めてお会いしたのです
 おそらく他の貴族や王族の方だがレアドラン様のお考えを耳にしたら、奇異なものと感想を抱き、レアドラン様を奇妙なものを見る目になることでしょう。
 もちろん歴史を振り返れば民の事を想って下さる名君、聖王と讃えられる方々もいらっしゃいましたし、実際世界のどこかにはいるのでしょうが、少なくとも私はレアドラン様のような方にはお会いした事はなかったのです。

 そして殿下があれほどお食べになるようになられたのは、同時に殿下の目に映る領民たちの暮らしが、それだけ豊かになったことの表れでもありました。
 農村の倉には収穫した穀物が山と積まれ、家では黒いパンではなく白いパンが食卓に上り、飢えに涙を流す子供の姿はなく、泣く泣く子供を人買いに売り渡す親はなく、天災にも等しい恐獣達の脅威は遠く、明日の暮らしへの不安を誰も抱かずに済んでいるのです。
 この方にお仕え出来て本当によかった。
 私は胸を張ってそう言う事ができる今を誇らしく思います。
 あら、いけない。私の目の前で殿下のカップが空になっています。ついつい熱中してしました。ですが自分の仕事を疎かにするわけにはまいりません。

「レナス、お代わりを頂けますか」

「はい、殿下」

 殿下が差し出された陶器のカップに、お代わりのお乳を注ごうとしたのですが、幾ら傾けても出てくる事はありません。
 なんて事でしょう。先ほど絞ったばかりの私のお乳はすでに空になっていたのです。ああ、殿下がせっかくご所望くださっていると言うのに。
 私が思わず顔を青くすると、すぐに事情を察せられた殿下が穏やかな笑みを浮かべられて、私に声をおかけになりました。

「あら、ついつい飲み過ぎてしまったようですね。ありがとう、レナス。もう十分に頂きましたから、そのように慌てずとも良いのですよ。
 貴女にはいつも美味しいお乳を頂いていますから感謝こそすれ、責める様な事はありません」

「殿下、申し訳ございません。私の不手際でございます」

「ふふ、ですから気にする事はないと言っていますのに」

 普段はあまり表情を変えられる事の少ない殿下なのですが、私達のようにお傍に仕えている者達にはふとした拍子に微笑みを見せてくださいます。
 いまも慌てふためきそうになる私を落ち着かせる為に、とても穏やかな笑みを向けてくださいました。
 ああ、殿下。私が責めを負うべき所をそのようにお優しい言葉を掛けてくださるなんて。
 私は深く腰を折って頭を下げながら、殿下の御寛大なお言葉に胸の詰まる思いでした。
 私が安堵の息を胸の中にだけ留めていると、私に向けられる厳しい視線に気づき、目だけを動かしてその視線の源を辿りました。

 私に厳しい視線を向けていたのは、ヤギビトのメーヴェルです。
 私と同い年でつり眼にやや癖のある白い髪と角を持った同僚の侍女なのですが、他の同僚たちと違いこのメーヴェルと私はお互いを強く意識しています。
 ウシビトである私が殿下にお乳を提供しているのと同じように、ヤギビトであるメーヴェルもまた殿下の為にお乳を搾っているからです。
 私が三食担当している、とはいったもののメーヴェルも同じく殿下の三度のお食事を担当しているのです。
 殿下は私もメーヴェルもそれぞれに味の違いがありどちらも美味、と優劣をつける様な事は口にされないのですが、当の私達の間では常に私の方が殿下のお口に合う、とお互いに主張して退く事はありません。
 いまのメーヴェルの視線はまさに私のしでかした失態を嘲る視線なのでした。
 メーヴェル、貴女には負けません。何時の日にかどちらがより殿下をお喜ばせする事が出来るのか、必ずや決着をつけますよ!

「今日もご飯がおいしいですね。これで今日も一日頑張る事が出来ます。ふむふむ」

 殿下の穏やかな声音を耳にしながら、私とメーヴェルは視線を交わし続けるのでした。



 朝食と朝議を終えたレアドランは、城の裏手に増築した竜舎へと足を運んでいた。
 レアドランが十一歳の春にブランネージュを騎竜としてから既に二年と半年近くが経過している。
 その間、レアドランは折を見てはブランネージュに跨り、領内に侵入してきたドラッケンを迎え討ち、また逆に野生のドラッケンの巣に向かっては、自領の戦力に組み込むべく何頭かのドラッケンを捕らえていた。
 さらに年に四回行う武官採用試験でも、なにかしらの事情によって没落した竜騎士の子孫や、生国を出奔した竜騎士が見つかれば積極的に採用し、航空戦力の拡充に勤しんでいた。

 イルネージュ王国は始祖が金鱗の竜王ジェスターと契りを交わしたと言う竜使いであり、また領内に多種多数の竜が棲息する事から一般に“竜の国”と呼称される。
 エルジュネア領内の湿地帯に棲息するギャッターのような大型爬虫類といった姿をしている恐獣も竜扱いされる為でもあるが、山岳地帯に行けばまずドラッケンが棲息し、平原地帯には走竜の素体となるドライトプスが群れを成しているのも大きな理由である。
 この二年間でレアドランが配下に加えた飛竜は六頭。これにブランネージュを加えた全七頭が、エルジュネアの保有する航空戦力の全てである。
 その内竜騎士が決まっているのは四頭で、残りの二頭は訓練中の竜騎士見習いが将来的には騎手となる予定である。
 竜舎の中に残っている竜は、アビスフィアー、フレアルディアス、ヴァリゾアと名付けられた三頭と飛竜達のリーダー格となったブランネージュの四頭だ。
 残るクレリューフ、エンパイア、バラハムは飛行訓練と領内の巡察を兼ねて竜舎を飛び立っている。

 それぞれの飛竜の竜騎士達が、それぞれの飛竜の世話をしている所で、レアドランはブランネージュの手綱を引いて竜舎の外に連れ出し、手ずからブラシを使ってブランネージュの雪のように白い鱗を磨きはじめる。
 レアドランは頭の上にちょこんと乗ったティアラこそいつもと変わらぬが、動きやすい運動着に着替え、袖を肘の上までたくし上げている姿は、とてもではないが王家に連なる者の姿として相応しくはない。
 ジェリアやアスティアなどからは王女としての自覚に欠ける、品格を損なうなどと重ねて苦言を貰っているのだが、レアドランはブランネージュの世話を他者に委ねる事を頑として認めなかった。
 たっぷり薬液入りの水をブランネージュの体に掛け、その上から硬い毛のブラシでごしごしと音を立てて洗い出すと、ブランネージュはレアドランの絶妙な力加減になんとも気持ちよさそうな声で鳴いた。

「痒い所があったら言うのですよ、ブランネージュ」

「くぅう、ぐるう」

「ふむ、そうですか。それはよかった。さ、じっとしていい子にしていてくださいね」

 ブランネージュが心地よさそうに瞼をとろんと閉じて、レアドランにされるがままにされている姿に、竜舎から出て来た竜騎士が心底から感心した声を出した。

「姫様は竜の心を掴むのが本当にお上手ですね。流石はドラゴンテイマーの血を引かれるだけの事はある」

 心の底から感心した風に言うのは、赤い鱗を持ったフレアルディアスを騎竜とするエイリル・フレッドバーンという若い竜騎士だ。
 下級貴族の四男坊で、齢十六と飛竜騎士団の規定では見習いでもおかしくはない年齢だが、天賦の才能に恵まれ本人も努力を怠らない事、そして何よりフレアルディアスの心を掴んだ事から、レアドランに抜擢されて正規の竜騎士に叙されている。

「ふふ、ありがとう、エイリル」

 ここで自身の努力があればこそ、と言えればいいのだがレアドランの場合はドラゴンテイマーの血以前に、そもそもその魂が全竜族の頂点に君臨していた存在である為に、竜族の眷族であるドラッケンの心を掴んでいる。
 もちろん竜騎士らと同様に飛竜を家族とし、相棒とする努力も併せて行っているのだが、かような事情がある以上は努力しているからなどとは口が裂けても言えない。
 その事を誰よりも自覚している為、あくまでレアドランはエイリルの称賛に、小さく微笑んで答えるきりであった。
 この世のものと思えない美貌の片鱗を開花させつつあるレアドランの微笑に、その中身が雄の竜である事など知らぬエイリルは、頬を愛竜の鱗と自分の髪と同じ赤色に染める。

(ふむ。この年頃の少年にこの外面で微笑みかけるのは少々刺激が強過ぎる、と)

 これまで数多く人間や亜人に生まれ変わってきたレアドランであるから、相応の人間的美醜感覚は育んでいる。
 ましてや度重なる転生で魂が劣化し、肉体の影響を強く受けるようになった現状では、感性の大部分が竜のものから人間のものへと変わりつつある。
 レアドランは自分の微笑みを目撃したエイリルが頬を赤に染めた理由が、どのような感情によるものかをきちんと理解していた。
 もっともエイリルには見ている方が恥ずかしくなるほど中仲睦まじい相思相愛の婚約者がいるし、さして気に留めるほどのものではないとばっさり切り捨てる。

 人間の女性に生まれ変わったとはいえ、レアドランはあくまで自身の事を雄ないしは男性として強固に意識しているし、常に心には太くて硬くて長くて逞しい、暴れん坊な逸物が一本屹立しているのだ。
 男性を相手に恋愛感情など欠片も抱くつもりはないし、ましてや肉体関係など怖気が走る、というのが今の所のレアドランの偽らざる心情である。
 王族への礼儀作法として手の甲への口付けや抱擁くらいなら男性からであっても許容範囲だが、それらの行為に邪な感情が含まれていれば当然気分はよくないし、反射的に殴り飛ばしそうになった事がこれまでに何度かあった。
 抑制をせずにレアドランが本気で人間を殴り飛ばしたら、良く熟れた果実を思いきり地面に叩きつけたように、人間の頭などは四散して赤い花を咲かせてしまうため、そのたびに自制しなければならなかった。
 今回の転生における肉体の外見は、絶世の美女であった母スノーの血の成せる技ではあったが、時折その突きぬけた美しさがレアドランの悩みの種ともなっていた。

「エイリルもフレアと良く心を通わせて下さい。貴方達は我がエルジュネア領の貴重な戦力であり、そしてなにより私の大切な民の一人でもあるのですからね」

 フレア、というのはフレアルディアスの愛称である。流石に名前が長いと言う事と、親しみを持てるようにと言う事でこのような愛称が着けられていた。

「はい。お言葉、胸に刻みます。姫様のご期待にこたえないとな、フレア」

 まだあどけなさを残し若干頼りない所のある主人に対し、フレアルディアスは短くぎゅお、と唸って答える。
 どことなく不満そうな、レアドランに言われたから仕方なくといった響きを含んだ唸り声に、レアドランとエイリルが揃って苦笑を浮かべる。
 エイリルとフレアルディアスが主従関係を超えた真の戦友となるには、まだまだ時間が必要なようだ。
 エイリルに続いてアビスフィアーとその竜騎士たるティナ・フォルト、ヴァリゾアの竜騎士たるジェリア・ブッシュフィールドらも竜舎から出てきて、四組全員が燦々と降り注ぐ陽光の下で飛竜達の体を洗いだした。
 ごしごしと硬い飛竜の鱗と皮膚を擦る音が、しばし竜舎の周囲で続く。

 それから一時間ほど飛竜達の体を洗っていると、城の方からアスティアがレアドランを呼ぶ為に姿を見せた。
 最近身につけるようになっていた恐獣の甲殻を用いた甲冑ではなく、襟や袖を白く縁取った青地の平服姿である。
 太い三つ編みに束ねられた金髪を揺らしながら、アスティアは一直線に主君の名を呼びつつ歩み寄る。
 乾いた布で濡れたブランネージュの体をくまなく拭く作業に入っていたレアドランは、己が右腕と恃む忠実な騎士の声に振りかえった。

「姫様、こちらにおいででしたか」

「ふむ? アスティア、どうかしましたか? もう執務に戻らねばならない時間でしたでしょうか。もう少し余裕があると思っていましたが……」

 レアドランが竜舎に来ているのは、執務の合間を縫って作った自由時間だったからである。
 時を計る様なものはないが、それでもレアドランの体内時間はまだ自由時間に余裕があると回答している。
 小柄で線が細い事もあって肉体年齢よりも幼く見えるレアドランがあどけなく首を傾げる仕草に、アスティアは思わず足を止めて微笑を浮かべる。
 アスティアが生命の全てを賭してでもお守りしたいと想うものが、いま目の前にあった。

「はい。本来であれば姫様の言われる通り時間に余裕はあったのですが、姫様にお目通りを願う者の件で、火急お耳に入れたく参った次第でございます」

「私に? ふむ、見る所の無い者なら事前に貴女達が真っ先に門前払いにする所を、わざわざ貴女自身が足を運んでまで呼びに来るとは、一角の人物と期待して良いのでしょうか?」

 するとレアドランの問いにアスティアはわずかにばつの悪そうな顔を拵えた。レアドランを相手にする限りにおいて、アスティアがこのような表情を浮かべるのは極めて稀な事である。
 顔ばかりでなくレアドランに応えるアスティアの声も歯切れが悪い。ますます珍しい事態に、レアドランの瞳に興味の色が新たに浮かびあがる。

「は、それが憚りながら私が王都に居た頃の知り合いでございます。いえ、もちろん姫様のお眼鏡にかなうだけの力量はあることは間違いないのですが」

「ふむ。確かに血縁や縁故を頼っての人事は叶う限り避けるべき行為。かねてより私が実践してきた事ですから、その事をアスティアが気にするのも当然ではあります。
 しかしながらこれまでアスティアが長年に渡って私に誠実に仕えてくれたのは、誰より私自身が理解しています。今回はこれまでアスティアの忠義と献身に免じ、特例として採用試験をその者の為に行うとしましょう」

 一度特例を作ってしまうとなし崩しに同じ事が繰り返される危険性があるのですが、とレアドランが心中で溜息に近いものを零すと、アスティアはしきりに恐縮した様子で神妙な顔を作る。

「このアスティア、姫様の御寛大なるお言葉にただただ頭を下げることしかできませぬ。必ずや姫様の力となる者達であると家名に掛けて保証致します」

「ふーむ、アスティアがそこまで言うとなればこれは有用な人物と期待しましょう。いつでも能力のある人物は歓迎していますしね。
 では、ブランネージュ、貴女は竜舎にお戻りなさい。私はこれからお仕事に戻ります。少し早いですけれど、貴女の体も洗い終えましたから」

「くう」

 はぁい、と言わんばかりにブランネージュはレアドランに返事をし、くるりと踵を返して竜舎の中にある自分の部屋へと戻り始める。
 完璧に人語を解しているとしか見えないブランネージュとレアドランのやり取りを、三人の竜騎士達は呆気にとられた様子で見ていた。
 アスティアなどはもうすっかり見慣れている事と心底からレアドランに心酔しているので、さして気に止めた様子もないがなまじ竜騎士としての知識と技術を持ち、飛竜の能力を知る彼らからすれば、このレアドラン達のやり取りはいささか常識を超えたものだったのである。
 頭のてっぺんでぴょんと跳ねた一房の茶髪と気の強さがよくあらわれた赤い瞳が印象深いジェリアが、十九歳になったばかりのまだあどけなさを残す顔をかすかにひきつらせ、主君とその愛竜の様子に思わずと言った調子で呟いた。

「飛竜は普通の動物よりは知能は高いし、熟練の竜騎士とは言葉が分かるように振る舞うとは言うけれど、我らの姫様は流石にものが違うみたいね……」

「ジェリア、それ以上先は言いっこ無しですよ。言いたい事は分かりますけれどね」

 明るいオレンジ色の髪を長く伸ばした柔和な顔立ちのティナが、まだ付き合いの浅い同僚を窘めるように言った。
 現在レアドランが抱える竜騎士四名は、男女それぞれ二名ずつ。
 エイリルのような下級騎士出身者や、父親が敵前逃亡を行ったことで不名誉印を刻まれて貴族位を剥奪された者、主を持たない流浪の竜騎士といずれも事情のある面子である。
 これら全員が氏素性を正直に告げていると信じるのはいささか人が良すぎるだろうが、少なくともこの四人の性格や能力に関してレアドランは既に信を置いていた。

 四人共がエルジュネアに来る以前からある程度竜騎士としての訓練を積んでおり、教師役の竜騎士達やレアドラン謹製の訓練手引書、そして血反吐を吐けといわんばかりの過密訓練によってめきめきと実力を身につけている。
 なまじその実感と自負がある為に、余計にレアドランの異常さが理解できてしまって、エイリル達三人はせっかく積み上げて来た自信が揺らぎつつあった。
 時にレアドランの高過ぎる能力が、本人の意図していない所で配下や近しい者達に対して重圧となり鬱積を与えてしまうことがあった。
 いまの三人もその症状に軽度ではあるが陥っている状態と言えよう。

「やっぱり金鱗の竜王ジェスターと契りを交わしたと言う始祖イルネージュ一世の血なのかな?」

 もっともそれらしい理由をエイリルが口にすると、ティナもまた同意するように首肯した。そう納得が行くほどにレアドランの血の源流となる人物は、竜騎士達からすれば偉大なのであった。

「この大陸に数頭しか存在しない正真正銘のエンシェントドラゴンの加護を受けた、歴史上はじめてのドラゴンテイマーの偉大な血と言われればなにも反論できませんね。
 イルネージュ王国が竜の国と言われるのも竜王ジェスターの加護によって、数多の竜の眷族達が助力して建国が成り立った事もありますし、なにより竜騎士発祥の国ですから」

 現在竜騎士は大陸の一定以上の国力を持った国では、天馬騎士や飛鳥騎士などと並び重用されている兵種だ。
 イルネージュ王国がドラッケンを飼いならし、調教と交配を重ねた飛竜を国外へと輸出した事で他国でも運用され、またあるいはイルネージュ王国内部から秘伝の技術の流出、捕虜となった竜騎士が情報源となり竜騎士と飛竜の存在は広がる結果に繋がった。
 紆余曲折を経た結果、現在イルネージュ王国は軍事力に置いては大国に匹敵し、国力では準大国といったところに落ち着いている。
 いまではジェスターをはじめその他のエンシェントドラゴンは姿を消し、エルダードラゴンなど高位の知恵あるドラゴン達を率いて人跡未踏の地に隠遁している。
 イルネージュ王国が竜王を失ってすでに久しいが、いまなお竜騎士発祥の国としてイルネージュ王国の保有する竜騎士団は大陸で一、二を争う精鋭として畏怖されている。

「王族が必ず金の髪と金の瞳を持って生まれるのは、そのジェスターの加護がいまなおイルネージュ王国に脈々と受け継がれている証、か」

 そう呟くジェリアにつられて若き竜騎士達は城の中へと戻る自分達の主君の、金色に輝く髪や瞳に対し畏敬の念を交えた視線を送るのだった。
 金色の鱗を持つ竜王の加護を受けたイルネージュ王国の王族は、代々竜の霊的因子を保有し常人を超越した身体能力を発現させている。
 彼らから見ればレアドランの常軌を逸した能力は、まさしくジェスターの加護そのものと映っていた。
 イルネージュ王国の王族が尋常ならざる力を持つのは確かな事であるが、最強最古の竜の魂を持つレアドランは、歴代のイルネージュ王族の中でも最強と言って過言ではない。
 なぜならば母親が平民とはいえ王族の血を引くレアドランの肉体は、元から人間離れしたポテンシャルを有していたが、そこに竜の魂が宿ったことで竜の霊的因子がより高次のものへと進化し、さらにその能力を底上げしているからだ。
 とはいえレアドランの中身を知らぬ者からすれば、レアドランは開祖以来極めて強く竜王からの加護が発現した人物としか見えず、その認識がまたレアドランを脅威と捉える認識と敵を作る結果にも繋がってしまっている事は、皮肉としか言いようがない。

 レアドランが、アスティアから紹介したいと言う人物と謁見の間で直接顔を合わせる事になったのは、それから三日後の事である。
 すでに決まっていたスケジュールを調整し、なんとか謁見の時間を捻出した結果が、三日後だった。
 アスティアが王都に在る士官学校に通っていた時分の学友だそうで、さらにその妹も共に謁見を申し込んできている。
 曰く槍の扱いに関してはアスティアでも三本に一本を取るのがやっとという腕前であり、座学に関しても優秀な成績を収めた人物だと言う。

 それほどの人材であるのなら、レアドランの元を訪ねる以前にどこかに仕官するか、王軍なり近衛騎士団でそれなりの地位に就く事も出来ただろう。
 それを不思議に思ったレアドランがなにか事情があるのかと問いただした時、アスティアは苦々しげな顔を拵えてその事情を口にした。
 そしていま、城主の椅子に腰かけたレアドランの目の前で、その事情を持った姉妹が膝を突いて、頭を垂れている。
 レアドランの左右をアスティアとジャジュカが守り、知恵袋として昨今頭角を表しているシオニスが同席している。

 軍師としては一流だが剣の扱いはいいとこ三流のシオニスはともかくとして、アスティアとジャジュカも一騎当十の力量を備えた兵(つわもの)である。
 レアドラン自身が一騎当千の戦闘能力の主である事も考えれば、仕官を求めて来た姉妹がどれほど腕の立つ暗殺者であっても、レアドランを害する事は不可能と言えよう。
 レアドランの言葉を待つ姉妹は共に赤い衣装を身に纏っているが、それぞれが槍を携えた動きやすい戦士風の軽装とロングスカートとローブを纏った服装と正反対だ。
 共に菫色の巻き髪で槍戦士風は毛先がうなじに掛る程度、ローブ姿の方は腰に届くまで長く伸ばしている。

「面を上げなさい。私がイルネージュ王国第三王女、エルジュネア領主レアドラン・クァドラ・イルネージュです」

 レアドランの声に従い姉妹が顔を上げた時、ジャジュカとシオニスがはっと顔を強張らせた。
 揃って顔を上げた姉妹は寸分たがわぬまったく同じ顔立ちを持っていたのである。
 翡翠色の大粒の瞳は共に挑戦的な光を宿し、目の前に在る金髪金瞳の美しい王女を値踏みしているかのようだ。
 戦士風もローブ姿の方もどちらも衣服の上から適度に引き締められた肉体と、女性特有の柔らかさ、そして腰のくびれに繋がれている突き出た尻と胸の豊かさも見て取れた。
 血を佩いているかのように鮮烈な赤色の唇は、揃って引き締められているが笑みを浮かべればろうたけた男も思わず見惚れよう。

 顔立ちも体つきも美女の水準を頭一つも二つも突きぬけた美貌を持ったこの姉妹は双子、それも一卵性双生児であった。
 それがこの姉妹がわざわざレアドランの元へと仕官を求めて来た最大の理由である。
 この時代のこの大陸では、イルネージュ王国に限らず双子という出生は人々から忌み嫌われている。
 同じ顔と同じ声を持った人間が同時に二人生まれる事に対し人々は根拠のない不気味さを覚え、そして家を割り、国を割るものであるとして忌避している。
 それがためにこの姉妹はこれまで仕官の道を閉ざされてきていたのだろう、という所まで推測してから、レアドランは二人の顔をじっくりと見つめた。

「拝謁の栄に預かり、恐悦至極にございます。私は姉のレイン・アシュフォードと申します」

「お目にかかる機会を賜り、ありがとうございます。妹のミァン・クイントです」

 戦士風の姉がレイン、ローブ姿の妹がミァンだ。
 二人の名乗った家名に、レアドランはイルネージュ王国の全貴族の家名を思い出し、それぞれの家名に纏わる情報を脳裏で整理しながら、こう尋ねた。

「ふむ、アスティアより推薦があり、このたび二人の仕官を認めるか否か確かめる為、今日招く事となりました。
 不躾な質問で申し訳ありませんが、アシュフォードにクイントと姓が異なりますが、二人ともあるいはどちらかお一人だけ養子ですか?」

「はい。私達は二人とも養子でございます。元々アシュフォード家でもクイント家の生まれでもありません。イルネージュ王国のさる貴族の家に生まれました。
 しかし双子であった事から、十歳の時に生家と親交のあったアシュフォードとクイントの家に別々に養子に出されたのです」

 最初にレインがレアドランに返答し、その言葉の接ぎ穂をミァンが接いだ。一人の人間が続けて喋っている錯覚を覚えるほど息があっている。

「ですが二年前、私どもの生家がある事をきっかけに没落の憂き目に遭ってしまいました。
 育ててくれた両家には多大な恩義がございますが、私どもは没落してしまった生家の復興を願い、姉妹力を合わせて仕官の道を求めているのです。
 幸いアシュフォードもクイントも良き後継者に恵まれておりましたし、養父母達も快く私達を送り出してくれました」

 双子の姉妹の意気込みと熱意は確かなものと言葉に込められた力と瞳の力強さから分かるが、その想いが実を結ばなかったからこそアスティアの縁故を頼ってまでエルジュネアに来る事になってしまったのだ。
 忌まわしき双子と言う事からこれまで仕官を求めた先からは門前払いを喰らわされ、さぞや失意と屈辱の日々を重ねてきたに違いない。
 その果てに種族や身分、性別を問わず能力ある者を採用するレアドランに一縷の望みを託し、たまたまレアドランの側近であったアスティアを頼って、今の状況が出来上がったというわけだ。

「なるほどそれで私の所へ来たと言うわけですか。古来より双子は凶兆の証、生まれれば家が没落し、周囲に在る者を不幸にすると伝承されています」

 レアドランが口にしたのは一般に双子に対して言われる風説の一つである。レアドランが淡々と仮面のような無表情で口にする言葉に、レインとミァンがそれぞれ眉根を潜めた。
 これまで散々二人が浴びせかけられ、苦渋を味わった言葉に違いない。

「ましてや貴女方の生家が没落したとあっては双子にまつわる迷信を後押ししましょう。
 二人ともそんな話は迷信だと思っていたのに、生家が没落してしまった時には心揺らいだのではありませんか?」

 このレアドランの言い回しにジャジュカとアスティア、シオニスの三人が程度の差こそあれ揃って怪訝の色を浮かべる。
 彼らの知っているレアドランという主君は、決してこのような皮肉気で相手の心の傷をえぐる様な言葉を口にする人物ではない。
 亡国の騎士であったジャジュカと初めて会った時も、家を飛び出て来たシオニスと会った時も、それぞれの事情を慮り言葉を選んでいた。
 だというのに今のレアドランはまるでレインとミァンを言葉で責めるのが楽しい、と言わんばかりでさえある。
 レアドランの辛らつな言葉にレインとミァンが悔しげに唇を噛み、視線を伏せるのを見て、レアドランは悪戯っぽい微笑を一瞬だけ浮かべた。

「なればこそ私に仕える事を望むのなら、そのような双子にまつわる逸話などは、根拠のない迷信であると笑い飛ばせるように働いてもらう事になりますよ。
 私は人使いが荒いともっぱらの評判ですから、その点は覚悟しておいてくださいね。それと貴女達の心を傷つける様な事を口にした事を謝罪します。ごめんなさい」

 王女という立場上流石に頭を下げる事こそしなかったが、視線を伏せて謝意を露わにし、謝罪の言葉に込められた誠意にはレインとミァン達は思わずお互いの同じ顔を見合った。
 一方でアスティア達は双子を罵る事がレアドランの本意ではなかった事が分かり、どこかほっとした様子であった。

「既に実技以外の試験に関しては採点も終えていますが、今の所採用するに十分な結果でした。残る実技試験はこれから練兵場にて行います。なお相手は私が務めます」

 言い終えるや否や椅子から立ち上がり、風の様な速さでその場を後にするレアドランの背中をレインとミァンは茫然と見送ってしまった。
 二人とも残る実技試験に対しては当然意欲を燃やしていたのだが、よもやその相手が仕えるべき主君である事に関しては、完全に考えの外であった。
 双子と違ってアスティア達はレアドランのこのような振る舞いに慣れたもので、さして驚いた風もない。精々がああ、またか、と言った所である。
 良くも悪くもレアドランが色々と規格外である事を、理解しているということだろう。

「レイン、ミァン、二人とも色々と驚いているとは思うが、姫様はああいう方だ。二人ともあの方に仕える気があるのなら、精神を頑丈にしないとこれからやっていけないぞ」

 ジャジュカとシオニスがレアドランの後を追って謁見の間を下がった後も、アスティアだけはその場に残りいまだ戸惑いの色を隠せぬ双子に声を掛けた。

「アスティア……。そうね、確かに私達がこれまで出会って来た方達とは随分と違うみたいね」

 傍らに置いていた愛用の槍を手に立ち上がりなら、レインは学友の言葉に笑みを零した。
 アスティアと士官学校で同期だったのは姉のレインの方で、ミァンは王都の士官学校とは別の場所に通っていた為、直接の面識は数えるほどしかない。
 ミァンが不思議そうな顔を作って正直に疑問をアスティアに吐露した。

「姉さんの言う通りとは思うけれど、武術の腕前の方はどうなのかしら? 不敬を承知で言うのなら、恐獣退治の勇名は私達も耳にしているけれど、ご本人はあんなに可憐で美しい少女ではないの」

 ミァンの言う事は、レアドランを初めて目にした時にほとんどすべての人間が抱く感想と言って良かった。
 レアドランの外見を見て、どうしてこの少女が並みの騎士の十人や二十人では髪の毛一本斬る事さえ叶わぬ武力の主であると看破する事が出来ようか。

「それも実際に立ち合えば分かる。言っておくが私やジャジュカ殿ばかりでなくエルジュネアの全騎士、全兵士の中で姫様から一本とれたものはいない。
 剣でも槍でも弓でも、武芸百般全てにおいて姫様がエルジュネア最強だ。時には単独でギャッターを討つほどの武威の主であらせられると覚悟して挑めよ」

「ギャッターを!? いくらなんでも嘘でしょう。大型恐獣を相手にするのなら飛竜か走竜を動員しなければならない筈よ」

「まあ、それが普通なのだがな。お前達の言いたい事も気持ちも分かるが、実際に槍を交してみれば分かる」

 アスティアにそう言われてもなお二人はまだ今一つどころか今二つも三つも信じがたい様子であったが、それもアスティアの言う通りレアドランと手合わせをすれば、嫌でも実感する事になる。
 ガウガブル城にある練兵場には、常の通り兵士達が刃を引いた剣や槍、あるいは木製の武具を振るって丸太や案山子に打ち込み、あるいは模擬戦を行っていた。
 城の外で集団戦の訓練なども行うが、今日の所は通常通りの訓練風景であった。 しかしそれもレアドランが姿を見せたことで、すべての訓練はいったん中止された。
 レアドランは白銀に輝く甲冑こそ纏ってはいなかったが、戦場での動きやすさを考慮してスリットを多く入れてあるドレス姿であった。

 穂先を丸めた訓練用の短槍を右手に持ち、左拳を腰に当ててレインとミァンが来るのを今か今かと待っているのだ。
 レアドランが武官採用試験の実技試験に必ず顔を出すのは、レアドランに仕える者達なら知っている事だが、直接相手をして腕前を確かめると言うのは、これは滅多にない事態である。
 その為、訓練の手を休めた兵士や騎士達は、実に興味深そうにレアドランの様子を観察しており、レアドランが直々に手合わせをしようと言う相手にも関心を抱いているようだ。

「レアドラン様、やはり御自ら槍を手に取る事はないかと臣は愚考致します。他の者達でも力量を計るには十分でございましょう。レーヴェ卿やジャジュカ殿もいらっしゃいますでしょう」

 レアドランを宥めるのはやや慌てた様子のシオニスである。万が一、いやさ億が一にでもレアドランの球の肌に傷の一つでも着いたら、と危惧しているのだ。
 そしてシオニスの言い分を認めて隣に立つジャジュカも首を縦に振っていた。

「シオニスの言う通りでありましょう。翻意は願えませぬか?」

「二人とも心配症ですね。アスティアの推薦ですしやはり自分で確かめたいのです。それに体を動かしたい気分ですしね。それに周りもこれだけ盛り上がっています。期待には応えませんと」

 レアドランの言う通り、周囲の兵士達は騒ぎだてこそしていないがすっかりと期待している様子である。
 大型恐獣討伐以外では、あまり見る機会のないレアドランの戦う姿に興味が注がれるのは、仕方のない事であろう。

(ふむ、これほどの注目度なら見物料を取る事も出来そうですね。あるいは賭博か興行試合を定期開催するのもよいかもしれません。
 人死にが出ない様にルールを厳格に定める必要がありますし、専用の闘技場と医師の手配、参加者は募集を掛ければすぐにでも集まるでしょう。腕の立つ者がいれば取りたてるのも良いですし……)

 レアドランがそのような事を考えて頭の中で算盤をパチパチ弾いて、興行試合で得られるだろう収入と問題点をリストアップしていると、アスティアに案内されたレインとミァンが姿を見せる。
 自分達の主君が相手をするのが、まだ二十歳になったかどうかという少女たちである事に、周囲の観客達から意外そうな声が上がったが、外見で言ったら今年で十三歳になるレアドランの方がよほど悪い冗談の様なものだ。
 すぐさま外見で判断する愚に思い至り、観客達の雰囲気がぴりぴりと緊張を伴う張りつめたものに変わる。

「姫様、お待たせして大変申し訳ございません」

「いえ、楽しみにしておりましたから気に病む事はありませんよ。レインは槍、ミァンは魔法でいいですね?」

 レアドランの指摘に答えるように、レインは穂先に覆いを被せた愛用の槍を掲げ、ミァンはローブの内側から掌に収まる大きさの薄緑色のオーブを取り出した。
 この世界に置いて魔法を扱う事の出来る者は希少である。
 というのもこの世界の人間種は、世界に普遍的に存在している魔力に対する適性が他世界の人間種と比べて著しく低い為である。
 人間種は神々によって生み出された被創造種なのだが、例えばレアドランが最初に転生しドランと言う名前を与えられた人間種は、最高神や高位の神々が協力して生み出した全人間種の原型と呼べる存在で、数ある人間種の中でも最も潜在能力が高い。
 しかしレアドランとして転生したこの世界における人間種は、大神の御業を模倣した中位の神ケーファーが創造した種族なのだが、所詮はより位階の低い神の手による模倣に過ぎず、魔力適性が低いという欠陥を備えてしまった。
 言わばデットコピーなのである。

 その事に落胆したケーファーは創造物達が生きる為の宇宙を一つ作り、そこに人間を住まわせるともう関心を失ってしまい、現在レアドランが生きる世界は創造主の加護を失った世界となっている。
 その為に人々に主に信仰されているのは、レアドランがかつてドラゴンの名で原初の神々などと付き合っていた頃には、名前や存在を聞いた事もない女神イールーである。
 これはおそらく人間が妄想した架空の神である、とレアドランは結論を出している。
 太古の昔に権力者たちが自分達の権力基盤を盤石にする為にでっちあげるか、どこかの誰かが幻想した神なのであろう。
 しかし永い年月、数多の人間から信仰を注がれた結果存在しなかった女神が誕生し、現在女神イールーは実在している。
 魂を持つ者の言葉や想いには“力”がある。
 その力が結晶化した結果として誕生した女神イールーは、人々に望まれた様に慈悲深い善なる神性である、とレアドランは劣化したなりに高次の霊的知覚の名残からおぼろげに理解していた。
 まあ、大雑把にいえば、あの女神はなんとなく良い女神そうだな、という程度の認識である。

 しかしながら神としてのイールーは混沌から生まれた原初の神々とは比べ物にならないほど弱く、魔界から悪しき者が現れれば抗するのはかなり難しい、というのがレアドランの感想である。
 幸いなのは創造した神の関心さえも失われた世界である為に、邪なる神や魔界に住まう邪悪な存在からもさして興味を持たれておらず、神々からも魔なるものからも捨て置かれたある意味平穏な世界であることだろうか。
 いわば世界で起きる災いはすべて自然の営みによるものであり、また戦禍の炎はすべて悪しき者の計略などによるものではなく、人間が人間の意思で起こしたものである。

 さて色々と横道にそれてしまったが、創造神ケーファーの拙い御業によって魔力適性が低く作りだされた人間種は、魔法を使うに辺りオーブや杖、魔道書などを触媒にして自身と世界に満ちる魔力に干渉しないと、ろくに魔法を行使する事も出来ない。
 この世界で一流と称される魔法使い――マージでも、レアドランの最初の転生体であるドランの世界の並みの魔法使いと同程度かそれ以下に過ぎない。
 魔法の度重なる行使によって触媒となるオーブや杖、魔道書が壊れてしまえば、途端に無力になるマージは、触媒それ自体がなかなかに高価である事もあって、数は決して多くはない。
 特に強力な竜騎士団を抱えるイルネージュ王国では、脚光を浴びる機会の少ない存在であると言う他ない。

 ミァンはその機会に恵まれる事の少ないマージの道を選んだようだが、使い方を良く考えれば強力な駒となり得る可能性に賭けたのだろうか。
 レアドランの見る所、双子ながらレインはマージに不向きだが、その分を引き受けたかのようにミァンは魔力適性がこの世界の人間種としては例外的に高いように感じられる。
 大成すれば人間砲台と呼べるくらいの火力を得る事も出来よう。これは思いの外良い拾いものかも、ふむ、とレアドランは内心で零した。
 ミァンの手にしているオーブは薄緑色。オーブの色によって込められた魔力の属性を判断する事が出来る。赤なら火、青なら水、黄なら雷、白なら氷、金なら光、黒なら闇、そして緑ならば風だ。
 レアドランの指摘にミァンは恭しく頷いて答える。

「私はユリノワールにて魔道を学びました。この魔法の力以外にも知恵と知識を持って姫様にお仕えする所存でございます」

 イルネージュ王国で魔法があまり重要視されていないとはいえ、その知識や価値がまったく認められていないわけではなく、王国内の学術都市ユリノワールで本格的に魔法を学ぶ事が出来る。
 戦闘用の魔法ばかりでなく大地の実りを豊かにする呪いや、天候、星の運行を調べる魔法、また魔法を通じて世の理を探りそこから知識を得る研究なども行われている。
 飛竜が空を飛ぶ仕組みや炎の吐息がどのようにして吐かれるのか、繁殖や生態の研究にも過去一役買っており、ユリノワール出身者であれば一目置く者もそれなりにはいる。

「ふむん、一粒で二度美味しい人材というわけですか。これは加点するべきですね。ではまずはレインの槍の技のほどを確かめさせてもらいましょう」

 レアドランの言葉にミァンが数歩下がり、反対に一歩前に出たレインとレアドランが相対する形に落ち着く。
 レインはすでに気持ちの切り替えが出来たようで、すでにその表情からは戸惑いが消えていた。
 周囲の兵士達やシオニス、アスティアがごくりと咽喉を鳴らす音がひと際大きく響く。

「ジャジュカ、審判をお願いしますね」

 レアドランの指名を受けたジャジュカが両者から等位置の、三角形が描かれる位置に立ち、肩幅に足を開き地面と水平に愛槍を構えたレインと穂先に近い位置を右手一本で握り、無構えのレアドランの顔を一瞥してから、ジャジュカは右手を振りあげてそれを振り下ろす。

「では、始め!」

「ふむ」

 ジャジュカが開始の合図をしてもレアドランの構えは変わらない。丸められた穂先は変わらず地面を指し、突く動きも払う動きも見せる前兆はない。
 思いもかけぬ展開でレアドランと槍を交える展開になったが、これは絶好の機会だ。主君直々に腕を試すと言うのだから、思う存分技の冴えを披露して評価してもらおうではないか、とレインは前向きに考えた。

「参ります」

「お好きなように」

 人間離れした美貌を持っているだけに、かえって小生意気さが百倍も二百倍も増して感じられて、レインは少々ムキになりながら一歩を踏み出した。
 重心の安定した実に堂に入った構えからの淀みない動作であった。
掌は潰れた血豆が層を成して皮が固く変わり、岩肌の様な触感に変わるほど鍛え抜いた成果である。
 周りの兵士達の目には、動きだす前のレインの姿がまだ残像として網膜に残っているだろう。
 レインは流石に初手は加減して槍を突きだした。
剣を握った事もない様な普通の姫君ならそれでも到底避けるべくもないが、レアドランが噂通りの人間とは思えない武勇の主なら難なく避けられる筈だ。
 だがその一撃を見て、アスティアが苦々しく呟いたのだが、レインの耳には届かなかった。

「馬鹿もの。遠慮もあるだろうが、見た目で侮るなとあれほど言ったろうに」

 瞬間、レアドランの左肩へとまっすぐに伸びるレインの槍を銀光が薙ぎ払い、レインは弾かれた勢いそのままにたたらを踏んで、数歩あとじさる。
 レインの知覚を超えた速さでレアドランの槍が翻り、閃光の速さでレインの槍を右方から打ち払ったのだ。
 じん、と骨を痺れさせる衝撃にレインは眼を見開いて自分の槍とレアドランの顔をまじまじと見つめた。見つめざるを得なかったというべきだろう。
 骨の痺れは腕ばかりではなく全身にまで至っていた。まるで無数の蟻が体の中に入り込み、骨に牙を突き立てているかのような衝撃である。

「仮にも王族相手に遠慮をしてしまうのは仕方ないとは思いますが、しかしいささか度が過ぎます。今の一手で私は三度貴女を殺せました」

 はらり、とレインの視界に斬られた前髪が数本落ちるのが見えた。
さらに鼻の頭と咽喉にかすかな痒みがあり、レインがレアドランから視線を外さぬまま左手でまさぐれば、指先にはわずかに血が付着していた。
 槍を払われたあの一瞬で、額を斬られ、顔面の中央を貫かれ、咽喉を突かれていた、という事実に気付き、レインの全身に鳥肌が立ち冷や汗が一瞬で滴った。
 士官学校で教鞭をとっていた教官を相手にしても、ここまで一方的に打ち負かされた経験はない。
 これはアスティアに言われた事が紛れもない事実なのだ、とここに至りレインは理解させられた。
 レアドランはくるりと手の中で槍を回転させて、穂先をレインへと固定しにこりと笑んだ。

「実戦のつもりで行きますよ。殺気くらいは込めますからね」

 ゆら、とわずかにレアドランの重心が傾ぐのにレインは全霊を持って反応した。
 レアドランの手に握る槍が閃光と化す――レインにはそうとしか見えなかった。だから反応が出来たのはほぼ奇跡だとしか思えなかった。
 気付けば槍を胸の前で払う動作をし、再び襲い来る衝撃を耐えながらレアドランの右からの薙ぎ払いを弾いていた。
 ひゅっと甲高い音を立ててレインの唇から細く短い息が零れる。
 まだ衝撃と激突の残響が耳に残っている中、すでにレアドランの腕は槍を引きもどしている。薙ぎ払う動作も引き戻す速さもレインの知覚を超えていた。

 レインは神経を剥き出しにしたかのように集中して、かろうじて視界に映る銀光に反応している。
おそらくこれもレアドランが手加減をしているからこそ、とレインは思考の片隅で驚愕していた。
ぎぎぎん、と連続する硬質の音は絶え間ないレアドランの刺突とそれを捌くレインの穂先の衝突音であるが、息つく暇もない連続突きの最中もレアドランの表情は崩れず息を荒げる様子もない。

 対するレインが見る間に消耗してその美貌に汗の粒を散らしているのと比べれば、まるで消耗しておらず、すでにこの光景だけでも勝敗の行方は明らかと言って良かった。
 なにも出来ずにレインが一方的に守勢に回っているだけだが、その光景を見る周囲の反応は意外にもレインに対する称賛の色が濃い。
 というのもエルジュネアの兵の大多数は、レアドランを相手にして一合二合打ち合わせるのが精々なのである。
 アスティアやジャジュカなどでも本気になったレアドランが相手となると十合保たせるのも厳しい。
 それを考慮すれば多少遊んでいるとはいえ、レアドランの攻撃を受け続けているレインは十分に称賛に値するわけだ。

「こ、のぉ!」

 レインは腹を突きに来た丸い穂先にこちらの穂先を合わせ、力の流れを逸らしてそのまま槍をくるりと回転させ、石突でレアドランの脇腹を突く為に踏み込んだ。
 防御から攻撃への流れを一つの動作で同時に行う見事な技であった。ふむ、とレインの耳にレアドランの口癖が聞こえた、と認識した瞬間にはレインの体が宙を舞っていた。
 え? と疑問符が脳裏に浮かんだ時にはレインは背中から地面に叩きつけられて、肺腑の中の空気を絞り出す様に吐いた。
 右のくるぶしに鈍い痛みがじんじんと熱と共に疼いている。どうやら穂先を合わせたのにやや遅れて強烈な足払いを掛けられたようだ。
 混乱と苦痛が思考をかき乱す中、レインはレアドランの振り下ろした槍の穂先が、ずぶりとくぐもった音と共に自分の胸板を貫くのを感じた。

 丸められた穂先は使い手の手練と速度によってレインの胸を貫く鋭さを与えられ、ちょうど胸の真ん中を貫き、咽喉の奥と貫かれた個所から血が溢れて灼熱の激痛がレインの脳裏を白く染める。
 ――そこまで体感してから、レインは自分の胸にちょん、と軽く突くようにレアドランの穂先が乗せられている事に気付いた。
 何の防具も身につけていない胸は貫かれていない。レアドランの手が握る槍の穂先も鮮血に塗れてはおらず、鈍い銀色に輝いている。

「そこまで、勝負あり!」

 力強く練兵場に響くジャジュカの声に、レインの意識が明朗なものに変わる。

「え、まぼ、ろし?」

「ふむ。私の殺気に当てられて見えないものを見たようですね。顔色が青いですよ。さ、立てますか?」

 レインの胸に置いた穂先をどかして手を差し伸べるレアドランの声に、レインは先ほど感じた胸を貫かれる感覚が、正しくレアドランの殺気に当てられて見た幻である事を悟る。
 殺気は込める、とは言っていたがよもやあのような生々しい感覚を錯覚するとは思ってもいなかった。
 レアドラン自身は大した事をしていないと考えているようだが、レインの浴びせられた殺気はこれまでも、そしてこれからも味わう事のない規格外の質のものだったといえよう。  
 差し出されたレアドランの手を借りて立ち上がり、レインはこの少女の手が繊細なまでにほっそりとした美しいものである事に気付く。
 鍛錬に熱中するあまりさんざんに荒れた自分の手とはまるで別物だと、レインは己の手を恥じた。

「どうかしましたか?」

「は、いえ、なんでもありません。お見事でございます。このレイン、己の技の未熟さを改めて知りました」

「ふふ、私が言うのではあまり説得力がないとよく言われるのですが、貴女の腕前は十分に一流と称するに足るものです。
 我がエルジュネアの兵の中でも、まず間違いなく一、二を競う腕前です。こういっては何ですが貴女が私の元を訪ねて来てくれた事を考えると、これまで貴女達が仕官を求めた者達の目が迷信に曇っていてよかったと思ってしまうほどです」

「身に余るお言葉です」

 心の底から恐縮するレインが視線を伏せて微笑を浮かべると、不意にレアドランが握っていた手を離し、レインの左手の甲を握り直すと掌を上向きに返した。
 そのレインの掌は無数の細かい傷と潰れた豆の痕が重なるように密集しており、元の傷の無い肌の面積は随分と少ない。

「ふむ、それにしても良い手をしていますね。弱音を吐いても仕方のない厳しい鍛錬を欠かさず続けて来た事が、この手に現れています。アスティアも貴女の事を大変な努力家であると褒めていましたしね」

 自分の傷だらけの掌を晒す事に恥じ入るレインであったが、意に反してレアドランの口から出て来たのは偽りのない称賛の言葉であった。これには思わずレインも目を見開いて主君にと考えた少女の顔をまじまじと見つめる。
 レインの瞳には、穏やかな笑みを浮かべる金髪金眼の少女の笑みが映っていた。
その笑みにレインは魂の奥底まで見透かされる様な気がして、我知らず心臓がどくんとひと際力強く脈打っていた。
なぜか頬が熱くまともにレアドランの顔を見る事が出来なくなっていた。

「実技試験はこれで終わりです。結果はおいおいお知らせしますが、きっと貴女の意に沿うものでしょう。まずは体を休ませなさい」

 レインはレアドランに手を繋がれたまま、いつのまにやら練兵場に用意されていた椅子に座らされた。
 ジーナをはじめとした侍女たちがその近くにおり、レアドランの笑みに心奪われたままのレインは、抗う術を忘れて椅子に座り全身に浮かべていた汗を侍女たちに清められ、渡された木製のコップを満たしていた水で咽喉を潤した。
 されるがままのレインの様子にふむんと満足の吐息を一つ吐き、訓練用の槍を兵士の一人に手渡してから、固唾を飲み込んでこちらを見ていたミァンへと振り返る。
 レアドランの金色の瞳に見つめられて、ミァンの体がにわかに緊張に強張った。

「お待たせしました。貴女はウィンドマージのようですね。手持ちの触媒はそのオーブだけですか?」

「は、はい。あ、いえ、このウィンドオーブとヒリングの杖を持っております」

「ふむ。風の初級魔法と癒しの杖ですね。そうですね、貴女とは私と軽く魔法の撃ち合いでもして頂きましょうか」

「は? 姫様、それはどのような意味で……」

 剣や槍と違い模擬戦で魔法を撃ち合うというレアドランの言葉に、ミァンが驚きを隠せずにいる間に、レアドランは侍女の一人が恭しく持ってきたオーブを手に取った。
 それは燃える炎の色に染まった赤いオーブであった。それを手に取るレアドランの姿に、ミァンは更なる驚きを浮かべる。

「もしや姫様は魔法も嗜まれるのですか?」

「ええ。ブランネージュの火炎がありますからあまり戦場で使う事はありませんが、一通り扱う事は出来ますよ。
 ただ費用の割にあまり使う機会もありませんし、恐獣殺しの大剣やハンマーを使う方が性に合っておりますから、以前頂いたこのファイアーオーブの他に四個ほど初級のオーブや魔道書があるだけです。
 ところでミァンの現在のマージとしての位階はどの程度か伺ってもよいですか?」

「はい。私は現在三属性総合第五位階にあります。風は第三位階、火と雷は第一位階の魔法を扱う事出来ます」

 位階というのは要するにマージとしての力量を示す位階だ。それぞれの属性は最高第五位階まで設定され、扱える魔法の位階全てを足した総合位階で実力を示す。
 通常戦場に投入されるマージは一つの属性の第二位階を扱う者が普通であるから、ミァンはやや器用貧乏かもしれないが、かなり優秀な人材と言える。

「ふむん、姉のレインともども有望な人材が来てくれたものですね。ありがたやありがたや」

 耳にした事の無い奇妙な言い回しをするレアドランに、不思議そうな顔をしてからミァンは聞かない方がいい予感のする事を尋ねずにはいられなかった。

「あのところで姫様の位階はどれほどなのでしょうか?」

「私ですか? 七属性総合二十一位階ですよ。七属性全て第三位階まで扱えます」

 全ての属性を第五位階まで扱えるわけではないのか、とミァンは思っていたよりはと自分を納得させることにした。
 とはいえ七つの属性を扱う事が出来るというのは、ミァンの胸に驚愕の感情を与えるのに十分だ。精々が多くても二つの属性に適正を持つのが平均的なマージなのだ。
 しかしそんなミァンに追い打ちを掛けるようにレアドランがこんな事をぽつりとつぶやいた。

「第五位階まで計る機会がなかったので、取り敢えず第三位階どまりなのですよ」

 本当は七属性総合三十五位階だと思いますけれどね、と軽い調子で言うレアドランにミァンは一瞬言葉を失くしてから答えた。
つまりレアドランはマージとして最高の適性を備えていると言う事に他ならない。

「……さようでございますか。流石は姫様」

 また失言してしまったかしら、とレアドランはミァンの様子に心の中でふむぅ、と唸った。
自分としてはもはや笑ってしまうほど今の自分が全盛期に比べて弱り切っているのだが、それでもまだ人間から見ると色々と規格外らしい。

「ではミァン。私がファイアーを撃ちこみますから、それをウィンドで撃ち落として下さい。ユリノワールの実戦練習でもこれ位はするのではないかと思いますが?」

「はっ、確かに行いは致しますし、私の得意とする所でもあります」

「それはよかった。思いがけずレインの実技試験で長く時間をかけてしまいましたし、早速行いましょう」

「はい……」

 本当に構わないのか、という意味を込めてミァンがアスティアに視線を向ければ、アスティアは嘆息一つを零すだけで、頷いて返した。そうしろ、という意味だ。
 それでもなお今一つミァンが踏ん切りをつけられずにいると、痺れを切らしたかのようにレアドランが右手の赤いオーブを掲げて、その周囲に直径一メートルほどの燃えさかる火球が生じる。
 ぼぼぼ、と連続して生じる火球の音と熱に、ミァンの生存本能が激しく警鐘を鳴らす。
一つ一つの火球に込められた魔力が尋常ではない上に、一度に複数の火球を生じさせるなど、ミァンの学んだユリノワールの教師の何人ができるものか。

「色々と悩んでいる様ですが、私はわりとせっかちな人間ですから、容赦なく行きますよ。ほいっと」

「え、あ、う、ウィンド!」

 レアドランの周囲に燃えさかる七つの火球の一つが、レアドランの気の抜ける掛け声と共にややゆっくりとした速度を放つ。
対して視界を埋め尽くしながら迫りくる火球に慌てたミァンがオーブに魔力を込め、手元から巨大な風の刃を作りだして放つ。
 集中力を大いに欠いた状態でミァンが作りだしたのは、長さ二メートルにも達する巨大な風の刃であった。
 咄嗟に放ったものではあったが狙い過たず火球を真っ正面から真っ二つに切り裂き、半分になった火球を無数の火の粉へと散らす。

「ふむ。咄嗟の事態にも魔力制御と操作は間違えない、と。よろしい。では続けますね」

「っ、はい!」

 切り替えが早いのは姉妹共通の様で、ミァンは一発目と違って間を置かずに連続して放たれる火球に、立て続けに風の刃を放って行く。
 魔法を発動させる際、名称を口にするのはより魔法をイメージしやすくする為の暗示としての意味合いが強く、慣れたものならば魔法の名称を口にしなくてもよい。
 ミァンの放った風の刃は左右正面から襲いかかってきた火球を見事捉えて真っ二つにしたが、三度連続しての魔法行使にわずかにミァンの注意が途切れた瞬間に、上空から大きく弧を描いて四発の火球が隕石の如く降り注ぐ。
 一度放った火球の遠隔操作、こちらもこの世界に置いて高等技術とされている。それを複数同時に行うなど、ミァンは舌を巻く思いであった。
 だが舌を巻いたきりのままではいられない。もちろんレアドランはミァンに当たる直前に火球を散らし、ミァンに火の粉一つ当てるつもりはない。

「くっ、なんて技量と魔力なのよ!?」

 思わず口汚い言葉を吐きながら、ミァンは咄嗟に後方に転がりながら、上空の火球へと視線を移し、腕を薙ぎ払う動作と共に風の刃を再び連続して放った。
 四つの火球の内半分は切り裂いたが、残る二つは無事でさらにレアドランが新たに補充した火球が迫り、ミァンは判断の余裕など欠片もない状態で判断を強いられた。
 速度の異なる火球二種を躱しきれるほどミァンの身体能力は優れていない。必然的に風の魔法を持って撃ち落とすしか方法がない。
 となれば問題は撃ち落とし方となるだろう。

「連射が間に合わない以上、まとめて撃ち落とすしかないじゃない! 難問を出して下さる事!!」

 レインが文句一つ口にせずにレアドランと戦った事を考えれば、ミァンは切羽詰まると自分の心情を口にしてしまう性分らしい。

「あらあら正直な方。ふむふむ、しかし判断は誤らぬ様子。心は熱く頭は冷たくを自然体で出来るのは高得点ですね」

 次々と燃える火球を生み出しながら見惚れる他ない笑みを浮かべるレアドランの姿は、この世の終わりに罪人を裁くという冥府の女神の如く禍々しく、そして同時に美しい。
 かつての生で芽生えた嗜虐癖を疼かせている所為もあるだろうが、その人間離れした美貌が醸す妖美な雰囲気がそうさせているのだ。
 燃えさかる炎に色白の肌と金色の髪と瞳を煌々と照らされるレアドランの姿に、余裕のないミァンを除く練兵場の全ての人間が呼吸さえ忘れて見惚れていた。

 レアドランがファイアーの魔法を撃つのを止めたのは、オーブに込められた魔力が枯渇する寸前であった。
 赤色が薄くなり透明になる寸前のオーブを侍女に預け、レアドランは息も絶え絶えに膝を突くミァンに目を向ける。
 ミァンが迎撃したレアドランのファイアーは総数二十四発。もはやミァンの魔力は空になりオーブに込められている魔力も大幅に減じている。
 レアドランは立ち上がる事もできそうにない様子のミァンに近づいて、肩を貸して立ち上がらせる。
 はあ、はあ、と荒ぐミァンの息がレアドランの首筋をくすぐり、レアドランはついつい小さな笑いを零してしまう。

「ひ、姫様。おやめ下さい。自分の足で立ちます」

「遠慮は無用です。私がずいぶんと無茶をさせたせいなのですから、肩の一つくらいは貸すべきでしょう」

「は、はあ、申し訳ございません」

 遠慮はいらないと申したでしょうに、と困ったように言い、レアドランはミァンを先に休んでいたレインの傍らに置かれた椅子まで運んだ。
 二人の対面にも新たに椅子が置かれ、それにレアドランが座してアスティアとジャジュカが左右を固め、ジーナとロミが傍に着く。
 思わず席を立って膝を突こうとする双子を手で制止して、レアドランが穏やかな口調で語りかける。

「椅子に座ったままで構いません。さきほどはおいおいと申し上げましたが、私の一存でいま結果を伝える事とします。この場に居る全員がその証人です」

 レアドランの言葉に改めて席に座り直した二人が、思わずといった調子でずいと身を乗り出す。

「お二人とも今日からでも我がエルジュネアの禄を食んでもらいます。もちろん強制はしませんけれどね。衣食住はこちらで手配しますから、用意が整い次第居を移してもらえますか?」

「は、ありがたき幸せでございます」

「姉共々全身全霊を持って姫様にお仕えいたします」

 音を立てて椅子から立ち上がる二人が、全力の敬礼を持って応えるのにレアドランは満足そうに笑って頷いた。
 レアドランが半ば追放に近い形で王国を後にする一年前の出来事である。

<続>

 次で最終回です。

4/29 23:46 投稿
4/30 11:36 修正 三兄弟様、ありがとうございました。
5/9  21:21 修正
6/18 08:51 修正 科蚊化さま、ありがとうございました。


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