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No.32434の一覧
[0] さようなら竜生 こんにちは姫生(完結 五話加筆 竜♂→人間♀ TS転生 異世界ファンタジー)[スペ](2012/05/16 23:14)
[1] さようなら竜生 こんにちは姫生2[スペ](2012/03/26 08:59)
[2] さようなら竜生 こんにちは姫生3[スペ](2012/04/10 12:28)
[3] さようなら竜生 こんにちは姫生4[スペ](2012/11/08 12:57)
[4] さようなら竜生 こんにちは姫生5 <終> 加筆[スペ](2012/06/20 12:31)
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[32434] さようなら竜生 こんにちは姫生3
Name: スペ◆20bf2b24 ID:e262f35e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/10 12:28
さようなら竜生 こんにちは姫生3


 ああ、つまらない。私、シオニス・リモネシアは煌びやかに飾り立てられた王宮の大ホールの壁に背を預け、嘆息せざるを得なかった。
 今日は我がイルネージュ王国第三王女レアドラン・クァドラ・イルネージュ様が、王都を御出立なさる前日の祝宴。
 領地こそ持たないが長く城勤めの騎士として王家に忠を捧げて来たリモネシア家は、このような上級貴族でもなければ出席を許されない場にも在る事を許される。
 当代のジュド国王陛下は質実剛健を好まれ、刹那の享楽を忌避される方ではあるがこういった宴に関してだけは糸目を着けずに贅を尽くされる方だ。
 一年のほとんどを離れて暮らすレアドラン様の為、というお題目の元に金にあかせて国内外から集めた食物と美酒が、所狭しと並べられている。

 その無駄の極致としか思えない贅沢も、こちらの鼻が曲がりそうなほど強い香水の匂いをおしつけがましく振りまく他の貴族達も、すべてが気に食わない。
 なによりこんな格好をさせられてこの場に出席させられている自分が、そして父からの命令を断れない自分が気に食わない。
 私は詩の朗読よりも軍記や戦記物語を読むのが好き。
 華美に飾り立ててダンスを踊るよりも、盤上の駒を操って競うチェスの方が好き。
 年の近い貴族の女子達が好む色恋の話よりも、父の同僚の騎士や兵士達と戦術や戦略、実際の戦場について語る方が好き。

 けれど父上も母上も兄上も、私が私の好きな事をするのをお許しにはならない。
 他の婦女子のように男を立て、家を支え、子を成して血を繋ぐ貴族の女としての有り様を強いる。
 いやだ、私は私。私は父上や母上の道具ではない。敷かれた道の上をただ歩くだけの人生なんてまっぴら! 自分の生き方は自分で決める!
 私はそう叫ぶ。ただし、心の中でだけ。本当に口に出して父上や兄上に抗った事など一度もない。私は臆病なのだ。
 ああ、どうしてこの本当の思いを口にする事が出来ず、ただ言いなりになって生きているのだろう!

 今日だって上級貴族や騎士の子弟が顔を並べるこの宴で、私が誰かの目に留まることを期待した父上に命じられて、いやいや出席しているだけ。
 せめて誰の目に留まる事のない様にと壁に背を預けて顔を俯かせて、この煌びやかな宴の光が落とす影の一つに化ける事が、せめて私にできるささやかな反抗。
 宴の始まりからずっとそうして誰の目からも耳からも隠れるようにしていた私だったが、不意に私の目の前に立つ人影に気づいて顔を上げた時、ああ、私は自然と熱い吐息を零していた。
 それは恍惚という名前を持った吐息だった。
 私の目の前に美という概念がそのまま人と化したかの如き美しい方の姿があり、さらにはお声をかけてくださったのだ。

「よろしければ私と一曲踊って頂けませんか?」

 ああ、ああ! この方が、この方がレアドラン様。その美貌と才覚を王国に知らしめた最も貴い血統を受け継ぐ御方。
 恐れ多くもレアドラン様は私へとその御手を伸ばされ、ダンスの相手をお求めになっていらっしゃる。
 私はレアドラン様の金色の瞳に、心の全てを見透かされている様な気持ちのまま、レアドラン様の御手に自分の手を重ねた。
 なんと、なんと畏れ多いこと。イルネージュ王家の血を引く証たる金の瞳、金の髪、雪色の肌、薄紅色の唇、なにもかもが私の心を捕らえて離さぬ魅惑の業。

 レアドラン様の御手に自分の手を重ねた瞬間、私の背筋を稲妻が貫いた様な感動が走っていた。
 それには得も言われぬ快楽さえ感じられた。こんな感動は知らない。こんな快楽は知らない。レアドラン様、貴女様は本当に人間なのですか?
 これは夢ではないのか? 人生の全てを詰まらぬと感じ、世界が色褪せて灰色にみえている私を憐れまれた天上の偉大な御方が、レアドラン様を天の御使いの如く御遣わしになられたのではないだろうか。
 私が恍惚と意識を蕩かせている間に、レアドラン様は大ホールの中心へと私をお導きになり、さらに、ああ、なんということか私の腰に手を回し、ぐいと驚くほど力強く抱き寄せられた。

――レアドラン様の、お顔、が、こんなに近くに!

 互いの息が頬に掛るほど近くなったレアドラン様が、にこりとどこか艶然と微笑まれる。私はそれだけでもう何が何だか分からなくなった。
 これは夢なのだ。夢に違いない。そうでなければこんなにも美しく、そして妖しい人間がいる者か。
 レアドラン様の瞳、レアドラン様の御手、レアドラン様の吐息、レアドラン様のぬくもり、レアドラン様の御髪、レアドラン様の唇、レアドラン様の匂い。
 その全てが私を狂わせる。私の心を絡め取る。それは抗う術なき蜘蛛の糸。
 レアドラン様という美しい金の姫蜘蛛の糸は、私の心と体を未知の快楽と感動で絡め取る。

 夢の様な、いいえ、夢とさえ思えない様な甘い時は、大ホールに流れていた楽曲が止まり、姫様が私の体を離されて一礼されたことで終わりを告げた。
 ああ、今も思い出すだけで体の隅々までを痺れさせる甘美な時よ。この時私は心の底から理解した。それはこの上ない喜びを伴う理解だった。
 私は、私、シオニス・リモネシアは、レアドラン様と出会う為に、お役に立つ為に生まれて来たのだ!
 この血の一滴から髪の一本に至るまで、その全てがレアドラン様の御為にこそある!
 私はこの日、運命に出会ったのだ。レアドラン様という私の全存在を捧げる絶対の運命と。

 それを理解した私は、次の日からすぐさま行動に移った。
 レアドラン様は馬車に乗って三日を掛けてご領地であるエルジュネアにお戻りになられる。
 私がレアドラン様のお役に立つには、エルジュネアにて私を取りたてて頂く他にない、と私はこの時思いこんでいたのだ。
 この時点でレアドラン様がエルジュネアの御領主となられて二年が経過し、その間レアドラン様は常に人材をお求めになっていた。

 エルジュネアでは三ヶ月ごとに文官と武官を募集する試験が行われる。
 試験を受ける資格は特にない。文官ならば最低限の読み書きと計算能力が求められるが、そんなものは常識以前の話だ。
 年齢や性別、種族を問わぬエルジュネアの試験は非常に人気があり、能力はあるが身分が低かったり、なんらかの理由があったりして役人になる事や出世が見込めない者が、少なからずエルジュネアを目指していた。
 なかにはエルジュネアの内事情や、レアドラン様の懐に近づかんとする不届き者もいるだろうが、レアドラン様が噂どおりの御方であるのならば、それさえも見越しての事だろう。
 そして私は身命を賭してレアドラン様に忠誠を誓う真の忠臣となる為、エルジュネアにて士官の道を求める者のひとりとなるのだ。自信はある。

 これでも本職の上級軍人をチェスで負かした事があるし、実際に参謀として活躍している方や、引退した軍師の方などに時間は短いが教えを受ける機会にも恵まれた。
 軍師や参謀としてだけでなく治水や法律、経済、哲学に関しても私は貪欲に学んできたのだ。
 城勤めの騎士の給金は下手な爵位貴族よりも良いものだ。
 それを利用して私は時には父上にお叱りを受けながらも、古今の書物を買いあさり私学に通い詰めて来たのだから。
 ああ、レアドラン様。我が生涯唯一の君、私の生まれた意味、私の存在する意義たる御方。すぐにでもこのシニオスが参ります。どうか、いましばしお待ちくださいませ!

 父上に宛ててしたためた手紙を部屋に残し、当座の上で必要そうな金子と着替え、書籍や筆記用具、保存の利く食料を家の倉庫から持ち出して纏めた私は、まだ陽の昇らぬうちに家を出た。
 次にエルジュネアの採用試験が行われるのは、レアドラン様がお戻りになられてから五日後、つまり王都を御出立される今日から数えて八日後だ。
 道中の安全の為に傭兵を二人雇い、旅馬車を飛ばせばレアドラン様のすぐ後にでもエルジュネアの首都に到着するだろう。
 その間に採用試験の事前公開情報を改めて確認し、備えれば私の合格はほぼ間違いはないだろう。私の心はようやく光を見出した私の人生に対する悦びに踊っていた。

 エルジュネアの首都グレーシャトラは、以前から王家直轄領で厚い援助と優秀な代官が派遣されていた事もあり、領土の規模と比すれば十二分に発展した都市だ。
 そこに加えてレアドラン様が王国の最東部まで続く交通路を敷いたことで、人と物品の新たな流通路が敷かれ、日夜莫大なお金と人と物とが流入して更なる発展を遂げている。
 規模や人の数では王都に及ぶべくもないが、都市に漲る熱意と活力ではこちらの方が上だろう。
 ごった返す人々と副次的に生み出される猥雑な音、匂い、雰囲気が、王都からあまり離れた事のない私の意識を酔わせようとしてくる。

 護衛を依頼した傭兵達と別れ、適当に見つくろった旅籠に部屋を取り採用試験までの時間を、レアドラン様のご政策や現地の人々の意見、他所の土地から来た商人からの情報収集などに宛てた。
 用立てた金子の半分以上を消費する事にもなったが、私はそれに見合うだけの成果を得られたと判断していた。
 やはりレアドラン様のご政策は領民の視点に寄ったものだ。支配者としての視点しか持たないほとんどの貴族からすれば、奇異に映るほど領民に甘いのだ。
 だがその一方、自分達で自分達自身の生活を良くする為にできる事を考える事、自分達で出来得る限りの事を尽くす事を領民にお求めになる厳しさがある。

 そして領地全体が富んでいるのには、レアドラン様がご考案されたと言う数々の道具や例を見ない政策に依っている。
 農地改革や市場開拓、交通整備などにも目を奪われるが、特に領民の生活に大きな災いとなる恐獣狩りの戦果が凄まじい。
 かつてスノー様とレアドラン様が引き取られたケモノビト達や、王都の騎士団で名を知られたレーヴェ卿の実力もあるだろうが、おそらくは対恐獣用に考案されたという戦術や武装に寄る所が大きいのだろう。
 噂ではそれさえもレアドラン様がご主導されたものと聞く。改めて知れば知るほどレアドラン様の非凡さ、いやもはや異才と呼ぶべきものが理解できる。

 いったいレアドラン様にはこの世がどのように見えているのだろうか? その異才には戦慄さえ覚えるが、そのような方にお仕え出来ると思うと血が沸き立つかのようだ。
 そのような方ならば私の才能を余すことなく全て使って下さるだろう。まずはその為にも採用試験に合格し、あの方の目に留まる機会を得る事から始めなければならない。
 私は採用試験の本番の日、轟々と胸の内に火を燃やしながら試験の会場となるガウガブル城へと向かった。
 文官と武官の採用試験はそれぞれ日程をずらして行われる。

 グレーシャトラの郊外に在るガウガブル城までは、用意された馬車に受験者が相乗りして向かう。
 今回の採用試験の受験者達は私より若い子供としか見えない者から、腰の曲がった老人と年齢から種族もさまざまな顔ぶれがあった。
 ふふん、私という存在によって合格枠の一つは埋まるのだから、考えてみれば哀れなものだ。
 試験の合格者の数は特に定められてはいないようで、試験ごとに設定された水準を超えた結果を残したものが採用される仕組みとなっているらしい。

 ガウガブル城はなだらかな草原の真ん中にぽつんと建っており、戦を前提とした構造をもってはいない。
 エルジュネアが王国の心臓である王都にほど近い場所である事から、過去戦禍に見舞われた事が少ないのが、大きく関わっているだろう。
 分厚い木を鉄板と補強した城門と太い鉄格子の二重の門が、重々しい音と共に開かれて私とその他の受験者を乗せた馬車を順々に飲みこんで行く。

 馬車はそのまま城の大広場へと続き、そこで私達は降ろされた。城門を背後に正面には城内に続く大扉があり、大扉の上にはテラスが覗いている。
 他の受験者達の姿もあり、なにごとか話し合っている者もいれば瞑目して自己の世界に耽っている者もいる。
 私が到着したのはほぼ最後の方だったらしく、私の後に一つか二つ馬車が来ると城門が完全に閉められて、締め切りを告げる大鐘が鳴らされる。
 体の奥の方を揺さぶる大音量がおさまると、テラスに磨き抜かれた黒金の鎧を纏った女騎士が姿を見せる。

 なんだろう、普通の鋼鉄の鎧とは違うどこか甲殻を思わせる鎧だ。
 女騎士は見る者の目を強制的に覚まさせるような凛冽とした雰囲気を纏う、金髪を太い三つ編みにした美女だ。
 眦鋭くまるで猛禽を思わせる瞳を眼下の私達に向けている。おそらく、この女騎士こそが近衛騎士団で将来を嘱望されたというレーヴェ卿に間違いない。
 レアドラン様の懐刀にして、王都の士官学校では勉学のみならず剣を握らせれば、教官さえ倒したと言う若手の中では三指に入ると言う使い手だ。
 レーヴェ卿の左右に赤と緑の鎧を着た騎士二人が控え、赤い鎧を着ている方は表情を引き締め、緑色の鎧を着た方はにやにやと浮ついた笑みを浮かべて受験者達を見ている。

「諸君、このガウガブル城に良く集まった。これより城内の試験会場に移動してもらうが、その前に畏れ多くもイルネージュ王国第三王女レアドラン・クァドラ・イルネージュ様よりお言葉がある。皆、心して聞くように」

 おお、と誰しもの口からどよめきが零れる。私はレーヴェ卿と思しい女騎士の言葉に、生唾を飲み込んで私の主君を待つ。
 レーヴェ卿が脇に下がり、赤と緑の騎士もそれに倣うと、燦々と輝く太陽の光を浴びながら、レアドラン様が遂にその御姿を御見せになられた。
 テラスにレアドラン様の後光の指すかの如き美貌を認めた瞬間、大広場につめていた受験者達の唇から、魂ごと零れ出る様な溜息が出る。
 太陽は、今日この方を照らす為だけに天に昇ったに違いない。
 飾り気の少ないシンプルな白いドレスを纏い、純銀とルビーのティアラを被り、金の御髪を結いあげたレアドラン様は、その全身に数え切れぬ陽光の粒を纏っていらした。

 あまりに畏れ多くレアドラン様の御姿を見た瞬間、私は目がつぶれてしまうかと思った。
 いいや、違う。この恍惚を胸に抱いたまま死にたいとすら思ったのだ。まさしくこの瞬間、私はこれまでの人生において絶頂にあった。
 私と同じように心揺さぶられた多くの者は、その場に立ち尽くして滂沱の涙を流していた。
 天上人たるレアドラン様のご登場に、受験者達が次々と石床に膝を折り、頭を垂れて視線を伏す。
 お言葉を待たずに高貴なる方のご尊顔を覗き見る事は、この上ない無礼なのである。
 私もまたその場で膝を突いてレアドラン様の金鈴のお声が、私の穢れた耳を震わすのを待った。一語たりとも聞き逃すまい。ただそれだけを念じる。

「皆、まずは顔をおあげなさい。私に皆の顔を見せてください」

 ああ、ご尊顔を拝謁する栄を許されるとは。私は忘我のままに顔を上げて、テラスに立つレアドラン様のご尊顔を仰ぎ見た。
 どくん、と激しく心臓が脈打つ。体の中を流れる血が全て煮えたぎる熱湯に変わったかのように熱い。血が巡る度に体が灼熱し、心が浮き立って思考が熱に浮かされる。
 いまなら分かる。同年代の少女達が憧れるように、夢を見るようにして語っていたこと。
 かつての私がつまならい、くだらないと見下していたもの。
 これが、この感情こそが、この熱こそが“恋”! 私はあの大ホールで一目見た瞬間から、レアドラン様に恋をしていたのだ!!

「はじめまして、皆さん。そうでない方もいらっしゃるかもしれませんが、私がレアドラン・クァドラ・イルネージュです。私の求めに応じて、本日集まってくれた事にまずは感謝を。
 私はこのエルジュネアを統治するに辺り、常に志のある者、あるいは能力のある者を求めています。
 民により豊かな暮らしを送って貰う為に、ひいてはこのエルジュネアという地がイルネージュ王国にとって、無くてはならぬ地となるようにと願っているからです。
 この場に集った皆の思いはさまざまではありましょうが、私のこの思いをどうか知っておいて欲しいのです。
 さて、あまり外で長々と話をしては皆の体に毒というもの。これより試験会場に移動して、試験を開始といたします。皆、悔いなきよう試験に臨みなさい。
 私は試験にこそ立ち合いませんが皆の解答には目を通します。試験の結果を楽しみにしていますよ」

 そう言われるとレアドラン様は踵を返して、城内へとお戻りになられた。レアドラン様、一目その御姿を見る事が出来ただけでも、このシオニスは天にも昇る気持ちでございます。
 しかし私はレアドラン様のお役に立つ為に生まれたと理解できた以上、この場で昇天するわけには行かない。
 かならずやこの採用試験に合格し、レアドラン様の臣下となって一助とならねば、このシオニス死んでも死にきれない。

 周囲を見渡せば他の受験者達の多くも、レアドラン様のご尊顔とお声に触れたことで私と同じような感情を抱いたのか、覚悟を決めた顔をしている。
 強敵が増えた、か。いやレアドラン様の元に志と能力のある者が集う事それ自体は歓迎すべきだ。
 だがその中でもレアドラン様のお目に留まる為には、さらなる精進が必要となるのは、間違いがなさそうだった。
 負けるものか、私の人生に鮮やかな色彩を与えて下さったレアドラン様の御為に!



 太陽が西の彼方に沈み月が夜空の女王として君臨する時刻、文官の採用試験が終わってから数刻後の事である。
 場所はグレーシャトラ城内にある湯殿。白い湯気がもうもうと湯面から立ち昇り、湯殿を白く煙らせている。
 斜めの天上に開かれた円形の丸窓にちょうど月が映り込む形になっており、差し込む月光と覆いを被せられた蝋燭の明かりが白い湯気に朧に溶けている。
 ぼんやりと湯気に煙った月光はほのかな月輪を浮かびあげ、趣がある。
 薄く肌が透けて見える湯衣を纏った侍女数名を従えて、城主であるレアドランが小さな部屋ほどもある湯船に身を沈めていた。

 侍女たちはいずれも湯衣が湯気や湯飛沫に濡れて生地が透け、白や小麦、褐色と言った肌の色や乳首を隠す役割を成せていない。
 レアドランの統治下にあるエルジュネアを象徴するように、侍女たちの人種は人間、イヌビト、タカビト、ネコビト、ウシビト、ヒツジビトと様々である。
 生まれたままの姿で湯の中に未成熟な体の大部分を沈めるレアドランの髪を掬いあげて、数名の侍女達が先ほどから丁寧に香油を馴染ませていた。
 その他にレアドランと共に湯船に身を沈めて手拭で体を揉みほぐしているのは、ジーナとロミである。
 ロミはいかんせん技術的な面では拙い所ばかりではあるが、その無垢な所作や言動をレアドランが愛している事もあって、特別に傍に在る事を許されている。
 その事に不平や嫉妬の念を覚える侍女もいないではなかったが、いかにも無邪気で無欲なロミは、そういった負の感情を帳消しにして余りあり、つまりは誰からも愛されていた。

 レアドランの白く透けた肌が湯の熱に温められてうっすらと紅色に染まっており、その妖艶さに同性ながらジーナはついつい見とれてしまう自分を叱咤しなければならなかった。
 自分よりも一回りも年下で、まだまだ体の肉付きが薄く青い果実でしかないというのに、レアドランの持つ魅力は、不敬極まりないが魔性と称するのが相応しいと感じるほど妖美なものだった。
 いつ声が掛っても良いようにと周囲に控えている侍女たちが視線を伏せてレアドランを視界の中に入れないようにしているのは、貴人への礼儀もあるがそれ以上に幼い主君への恋慕と欲情の念を抑える為でもある。

「殿下、今日の試験の結果はいかがでございましたか」

 自身の高鳴る胸の鼓動を紛らわす為に口にしたジーナの質問に、心地よさに身を任せて目を半ば閉じていたレアドランは、ふむ、と一つ口癖を置いてから答えた。
 文官試験においてレアドランは立ち合いこそしないが、受験者達に説明した様に解答の全てに目を通す。
 ただそれだけのことでも受験者達の数を考えれば、かなりの労働と言える。ましてやこの小さな姫君は、領主として常に取り組んでいる執務も手を抜かずに行っていた。
 成長途上の体が一体どれだけ疲れているものかと、ジーナは案じている。

「ふむ、そうですね。今回も求める水準を満たす者はそう多くはありませんでしたね。ただ熱意のある者は多かったので、多少は大目に見るつもりですよ。
 文官教育の方もおおよその手順は確立できましたし教える側の用意も整ったので、採用してから育てる余裕が出来ましたからね」

 基本的にレアドランはいったいその体のどこにそんな元気があるのか、というほど精力的に働いているが、自分が手を出さなくても回る業務に関しては臣下に任せる傾向にある。
 例え自分が取り組んだ方が良い結果を出すことが明白であっても、臣下たちを育てる意味合いもあって、任せられると判断した物は他者に回している。
 行政組織として業務が少人数に集中することの弊害を嫌っている為だ。
 レアドランの赴任以前からエルジュネアを統治していた文官達と、レアドランが折を見てはスカウトしていた野の碩学達、採用試験で採用された学徒たちなどが、ようやくものとなりつつあった。

「そうでございますか。それはようございました」

 うんしょ、うんしょと声に出してレアドランの左腕の内側から指先までを、一生懸命に揉みほぐしていたロミが、無邪気にレアドランに問いかけた。
 まだ幼い事とレアドランと年齢が近い事もあってか、このオオカミビトの少女はレアドランの事を主君というよりは大好きなお姉ちゃんという風に捉えている節がある。
 ロミの姉であるロナは妹がそのようにレアドランに接する事に恐縮しきっていて、しきりに頭を下げているがレアドランが軽く笑って許している事もあって、目こぼしされているのが現状である。

「姫様姫様、試験を受けた人達ですごいって思うような方はいらしたんですか?」

「ふふ、そうですね。受験者の中で私の事を熱心に見ている方がいましたが、試験の結果はもちろん素晴らしかったですし、解答も独創的で良かったのですが、他に気になる所もありましたね。ジーナ、貴女はリモネシアという家名に覚えはありませんか?」

「リモネシアでございますか。六代に渡って王城に勤めている騎士の家系と記憶しておりますが」

「ええ。そのリモネシア家のご息女が試験を受けていましたよ。王都を出立する時の宴で私と最初に踊られた方です。ふふ、まさか採用試験でお見かけする事になるとは意外でした」

 レアドランの肉付きの薄い脇腹からようやく膨らみかけて来た乳房を、ことさら優しく素手で慰撫していたジーナが、少し考える素振りを見せてから答える。

「リモネシア家の許しを得ての事でしょうか? 殿下の口ぶりでは文官として採用される御積りとお見受けいたしますが……」

「ええ。彼女の能力は手離すにはあまりに惜しい、というよりも手に入れないという選択肢はありません。
ご両親の許しを得ての事かどうかは分かりませんが、私としては是非私の下で働いて欲しいと思います。なんでしたら私が直接説得に赴いても良いと考えています」

 もうすっかりその気になっている主君の姿に、ジーナはこれ以上何かを言う事を諦めた。
 この方ならなんでも上手くやってしまうだろう、という経験則の為でもある。
 大抵周囲の人間はレアドランが上手くやってしまう過程に巻き込まれて、大いに苦労と心労を覚える事になる。
 だからジーナはレアドランの体を清め、疲れを解きほぐす作業に没頭する事にした。いつかどっと押し寄せてくるだろう心労から、一時的にでも目を背けたかったのである。

「ロミもいつか姉様みたいに姫様のお役に立ちたいです!」

 ロミは太い尻尾をバタバタ動かして湯面に波紋を起こしながら、大粒の瞳をきらきらと輝かせて大好きなレアドランの顔を見つめながら言う。
 レアドランはロミの嬉しい言葉に小さく微笑むと、自分よりも一回り小柄なロミの体を抱き寄せる。

「もうロミは私の役に立っていますよ。ロミが傍に居てくれるだけで、私の心はとても穏やかな気持ちになれますからね。
 ロミはロミの出来る事をすればよいのですよ。それがロミにしか出来ない事なのですから」

 可愛い妹に言って聞かせる様にしてロミを諭すと、レアドランは抱き寄せたロミの顔を自分の胸に抱き寄せて頬ずりをする。
 ロミがオオカミビトという事もあり大型犬に頬ずりする子供のようにも見える。レアドランとロミの様子を盗み見ていた侍女の何人かは、うっと小さく呻いて鼻を抑えた。
 こらえ難い何かを覚えた様である。

「姫様~、くすぐったいです」

「ふふ、少し大きくなりましたか? ちゃんと好き嫌いをしないで食べるのですよ。そうしないと大きく育ちませんからね」

「は~い」

 レアドランはまたくすり、と小さく笑みを零してからロミの体を解放した。

「でも姫様、ロミはレナスさんみたいにお乳は出ませんし、ラケシスさんみたいにお裁縫が上手でもありません。姉様みたいに剣を振るう事も出来ません。こんなロミが本当に姫様のお役に立っているのでしょうか」

 レナスというのは後ろで控えているウシビトの侍女である。
 ウシビトの女性は妊娠の是非を問わずに乳房から大量の乳を出すのだが、その乳が牛乳や山羊の乳などよりも美味で滋養に富むと評判で、富裕層や貴族階級の間では愛飲されている。
 レアドランもレナスの乳を三食愛飲している。
 ラケシスは城に奉公しているお針子の一人で、クモビトと呼ばれる蜘蛛の下半身と人間の上半身を持つ種族の女性だ。
 蜘蛛の臀部から出す糸を使った裁縫を得意とするクモビトだが、ラケシスはレアドランが抱えているお針子の中でも一番の腕の主だ。
 昆虫と人間の特徴を併せ持った外見を持つムシビトの中でも、クモビトは忌避されがちな種族なのだが、レアドランは気にすることなく迎え入れていた。

 レアドランはしゅんと伏せられたロミの耳の先端を軽く抓む。親が子にするような優しい仕草であった。
 金髪金眼の姫君は、時折外見にそぐわぬ慈父か慈母を思わせる非常に大人びた言動をする事でも近しい者達に知られていた。
 いまもロミを見つめる眼差しは、我が子を慈しむ親のようであり、本当に何人もの子供たちの成長を見守ってきた実績があるかのようだ。
 親元を離れて城に奉公に来ている者や元奴隷の孤児たちなどは、この小さな姫君の事を時に実の父母であるかのように慕っている者も少なくはない。
 姉や兄ではなく父母のように感じているというのが、このレアドランという少女の特異な点の一つだった。

「ロミは私の言う事が信じられませんか?」

 レアドランに抓まれたままの耳をおおきくはたりはたりと動かして、ロミは驚いた顔を拵えてレアドランの言葉を否定した。

「そんなことはありません! ロミは姫様の事を信じております。疑ったことなんて一度だってありません」

「なら、いま私が言った事を信じることもできるでしょう? それでも自分が私の役に立っている自信がないと言うのなら、ロミが役に立ってくれる事を私が一緒に探して上げます。
 だから、ロミは難しい事は考えないで、ジーナとロナの言う事を良く聞いて良い子にするのですよ」

「はい、姫様」

 ロミは元気よくレアドランに返事してから、くぅんと甘える声を一つ上げ、レアドランに咽喉を優しく撫でられるとより一層機嫌よく甘える声を出す。
 それからしばし湯殿には子狼が母狼に甘えているかのような声が響き続けた。


 採用試験の合格発表がガウガブル城の大広場で行われてから数日後、合格者達は適正を計る為に文官が負担するあらゆる業務ばかりでなく、希望者には軍師としての適性を計る為の試験も課せられる。
 城内に用意された宿舎へと居を移し、官服を支給された新米文官達は少しでも大きく自分達の実力を示し、出世への第一歩とすべく奮起してそれらの業務と試験に臨んでいた。
 以前の自分達の姿が思い起こされるのか、新米文官達の教育を任されたベテラン勢は青臭さを残す新米達の姿に、微笑ましさと過去の自分を思い返す恥ずかしさを覚えながら、時には鉄拳を交えて厳しく教育していった。

 ひとえにレアドランから求められる能力の水準が高く、また厳格なほどに公正に仕事を評価するレアドランの下で働くには、わずかな妥協も落ちこぼれとなる要因となる事を、教育を任された者たちが骨身に知っていた為である。
 いわば彼らなりの新米達への優しさと歓迎の意の表し方と言えた。
 エルジュネア流あるいはレアドラン流の業務体系は慣れぬ新米達を大いに戸惑わせたが、それが合理性に基づく極めて効率的な体制である事を理解すれば、新米達は感心と共に貪欲に業務に励んだ。
 この地で学ぶべきものが多い事を理解した為であろう。

 時に血刀を下げて討伐した大型恐獣の骸を荷車に載せ、軍勢と共に城に帰還するレアドランの姿に呆気にとられる者も多かったが、それが何度か繰り返されるとこの地では姫が直々に恐獣を討伐する事が当たり前なのだと理解し、驚く回数も減っていった。
 だがそういった諦観を含んだ認識には、若干の訂正を必要とする。
 装備を整えれば大型恐獣を単騎で討ち取る尋常ならざる戦闘能力を保有するレアドランだが、恐獣討伐や賊退治などに必ず出ているか、といえばそうあることではなかった。
 レアドランはエルジュネア領内最高戦力であるが、同時に領主でありその時間は戦いにばかり費やされるものではない。

 領民や商人、近隣の貴族との謁見に臨み、予め選別されるとは言えそれなりの量がある陳情書に目を通し、朝議をはじめとした家臣たちとの今後の統治について話し合わねばならない。
 必然的に準備も実行も膨大な時間を要する恐獣討伐に、レアドランが自ら姿を見せるのは、レアドラン抜きでは大きな被害を避けられないだろう大型恐獣や大規模な賊討伐に限られる。
 文官・武官の教育を推し進めた成果で、レアドランの裁可を待たずに滞りなく政務が回るようになってきているから、領主になって一年が経つ頃になってようやく時間に余裕をとれるようになった。

 自ら先陣を切る事を厭わぬレアドランであるが、領主であり王国の王女という立場からすれば、そもそも戦死の危険性を孕む戦場に顔を出すことそのものがあり得ない。
 もともとレアドランも自ら戦場に立つ事の弊害というものは理解しており、文官も武官も任せられる程度に育ってくれば、任せられる事はどんどん任せてなるべく大人しくしているつもりだったのである。
 春が過ぎ、夏の盛りを迎え、秋の実りが麦穂を大きく下げさせはじめたある日も、レアドランは城に残り、エルジュネア南西部から近隣の領地に跨るエバンス大森林地帯に出没する恐獣討伐に向かう兵達の姿を見送っていた。



「ロナ隊、突っ込むぞ!!」

 四名の部下を引き連れて、オオカミビトの剣士ロナは全身に獣気を巡らせて、前方に姿を見せた三頭の恐獣ラプノスへと突っ込んだ。
 頭高が成人男性ほどもあるラプノスは、二足歩行の大型爬虫類といった外見を持つ。
 背中は薄紫色、腹は橙色の硬質の皮膚をもち、前肢に鋭い鉤爪と細長い口にはびっしりと細かい牙を生やしており、発達した後肢の跳躍力を活かした素早い動きを有する。
 小型恐獣の中では最も数が多いとされる種のひとつで、エルジュネアの民にとっては馴染みの恐獣とも言える。
 ロナ達がラプノスと一戦交えている場所はエバンス大森林地帯の最外縁部に繋がる平原地帯。

 上半身が地面と水平になるように体を倒して疾走するラプノス達の合間を、ブロードソードを手にしたロナを筆頭としたオオカミビト達五名が駆け抜ける。
 五名いずれもが脚甲や籠手、革鎧程度の軽装に留めて動きやすさに重点を置いた剣士であった。
 戦場に出れば被害は免れぬ、しかし相対した相手に必ず流血を強制する歩兵戦力であり、オーソドックスに敵の戦力を減らす事を前提としている。

 赤い髪を翻してさながら赤い風と化したロナが、ラプノス達の間をすれ違いざまにブロードソードで斬りつけ、続く部下達も手に手に持った長剣や双剣でラプノス達を斬り裂く。
 全身に漲らせた獣気と気迫の爆発によって爆発的な速力を得、目にも留まらぬ動きで敵対者をことごとく斬り捨てるオオカミビトの得意とする戦法である。
 二つの群れが交差した後、三頭のラプノス達の首や胸、腹に無数の斬痕が刻まれて噴水のように血が噴き出す。

 緑の絨毯が敷かれていた平原が瞬く間に朱に染まり、ぷんと濃い血の香が辺り一帯に立ちこめる。
 周囲の光景が溶けて見えるほどの高速疾走をロナ達が終えると同時に、ラプノス達が大地に倒れ伏す音が連続し、じわりじわりと血溜まりの領土が広がって行く。
 ロナ達以外の部隊も小規模な群れで森林から追いやられてくるラプノス達と戦っており、上手く被害を抑えながら順調に討伐を進めている様だった。
 ロナは愛剣を大きく一振るいして、刀身を濡らしていたラプノスの血を掃う。

「殺られた馬鹿はいるか!?」

「全員怪我一つありません、隊長」

「よし。次の恐獣共を迎え討つ。一瞬たりとも気を抜くなよ。……左翼のレーヴェ卿もそろそろ始めている頃か」

 ロナの隊は右翼の一端を務めており、左翼はレアドランの専任騎士であるアスティアが自ら指揮をとっている。
 身分を考えれば専任騎士であるアスティアと元奴隷で五人隊の隊長に過ぎないロナとでは比較にならぬ差があるが、実の所この両者はお互いを好敵手として見ていた。
 根底にあるのは両者ともに激烈な忠誠心なのだが、アスティアは自分に将来をあっさりと捨てる決意をさせたほどのレアドランの王気と覇気に魅了されているのに対し、ロナは自分と妹と同胞たちを救ってもらったという恩義を源としている所に違いがある。
 原点こそ異なるがレアドランに向けられる忠誠心という点においては、この二人がエルジュネア領で一、二を争い、その事を二人とも気付いているものだから、身分の差を忘れて自分がどれだけレアドランの役に立っているか、と張り合う悪癖があった。
 ロナの瞳は遠くラプノスの群れを真っ向から迎え討つアスティアの姿を映していた。

 アスティアは恐獣の甲殻から作りだした漆黒の鎧を身に纏い、刃零れ一つない白銀の刃を閃かせながら、指揮下にある兵士達への指示を飛ばす。
 左翼がロナ達の様な小規模の隊を複数配置してラプノスを迎え討っているのに対し、アスティアの右翼は複数の兵種を組みあわせた部隊が担っている。
 数十単位で森林から走り出てくるラプノスへと向けて、ハンドルを回して弦を引かねばならないほど硬い弩を構えた兵士達が、三列に並び迫るラプノス達へと狙いを定める。
 しわぶき一つ立たない張りつめた緊張の糸を、アスティアの号令が断った。

「いまだ、放て!!」

 風切る音も鋭くプレートアーマーの最も分厚い胸板の部分も貫通する矢が、次々とラプノス達の頭と言わず胸と言わず突き刺さって行く。
 多くの矢はラプノス達の皮膚や筋肉を貫通し、後ろを走る別のラプノス達の体にも浅く突き刺さるほどの威力を見せる。
 半数は高価な鋼鉄製の矢だったが、残る半数は恐獣の骨や牙を加工して作ったエルジュネア領特有の矢だ。
 矢を放った後は最後列へと下がり、次の列の者が前へと出て片膝を突き、狙いをつけて次々と矢を放つ事で、間断なく矢がラプノスへと襲い掛かって行く。
 一度発射の指示を出してからは、順次発射の用意が終わった者から発射する仕組みとなっている。

 体に何本もの矢を生やしたラプノス達が疾走途中に力尽きて地面にもんどりうって倒れる中、前列の屍を踏み越えて減ったとは見えない無数のラプノスが邪魔者達へと殺到してくる。
 彼我の距離が一定まで詰まった時、アスティアが後退の指示を出して弓兵士達の代わりになにやら綱を手に持った屈強な兵士達が前に進み出た。
 最低限の鎧と小剣を腰に帯びただけの、戦闘を行うには心許ない装備の兵士達である。
 横の間隔を広く持った男達が縦に三人、横に二十人ほど列を成して並び、馬と変わらぬ速度で迫って来るラプノス達が、今にもこちらの喉笛を噛み千切りに来るような恐怖を堪えて指示を待つ。

 ぎゃあぎゃあと血に飢えた鳴き声を上げるラプノス達の黄色い瞳は、同族を殺した目の前の毛のない猿どもへと怒りの視線を注いでおり、一人残らず食い殺すまでラプノス達の怒りが収まる事はないだろう。
 エバンス森林地帯から見て、緩い勾配を描いて盛り上がっている丘の上に陣取ったアスティア達へ向かって迫るラプノス達が、いよいよもって間近にまで近づいて来た時、愛剣を振りあげたアスティアが次の号令を出した。

「引き上げ、急げ! 次いで長槍隊槍構え、剣士隊抜剣!」

「おおおおお!!」

 前列に出ていた兵士達の腕が一回り膨れ上がり、筋肉の瘤が盛り上がりこめかみに青黒い血管が浮かび上がって、兵士たち全員が渾身の力で綱を引く。
 今回のラプノスの大量討伐にあたり森林地帯から追い出す前に、戦場として予定していた平原の地面に偽装して隠していた柵が、繋がれている綱に引き上げられて立ち上がり、即席の檻と化してラプノス達の前進を阻み、あるいは前後を囲いこむ。
 先端を鋭く尖らせた木製の檻であるが全力疾走中のラプノスからすれば、足元や前後の地面から突然柵が起き上がられては堪ったものではない。
 ラプノス達は草をまぶし土中に浅く埋めて隠されていた柵に正面から激突し、あるいは運悪く腹に檻の先端が突き刺さって串刺しになり、またあるいはちょうど柵に持ち上げられて前方に放り投げられる結果となった。
 大いに足並みを乱して戸惑いの鳴き声を上げるラプノス達へと、アスティアは容赦なく長槍隊と剣士隊を率いて一気呵成に突っ込む。

「かかれ! 恐獣共は死に体だ。これを討てぬとあっては姫様の臣下の名折れと心得よ!!」

 柵を引き起こした兵士達が綱を手離し、再び倒れ込んだ柵によってラプノス達は上から押さえつけられる形になり、多くが動きを拘束される形になる。
 体を起こして襲い掛かってくるラプノスも少なからずいたが、一斉に長槍が突き出されれば牙や爪を届かせる間もなく串刺しにされて、苦痛の鳴き声を上げて絶命することしか許されなかった。
 長槍隊が次々とラプノスを串刺しする中、後続のラプノス達が柵を避けて左右に分かれるに呼応して、アスティアも残りの戦力を左右に分けて迎え討った。
 この間に弩を持った兵士達は長槍隊の背後に移動し、壁役となる他の兵士達の背後から援護を行える位置取りを行う。
 綱を手離した兵士達も予め用意されていたカイトシールドや刃が大きく湾曲した剣を手に取り、こちらも壁の一列に加わる。

 アスティアは後ろに倒していた兜を被り直し、柵を避けて襲ってきたラプノス達に真っ先に突っ込んだ。
 戦場において騎士や将軍には、コマンダーであるだけでなくリーダーであることも求められる時代である。
 兵士達と共に先陣を切る者には兵士達から惜しみない称賛と崇敬が捧げられ、貴族達からは勇者として名声を知られることとなる。
 それらが生命を落とす多大な危険性と引き換えに得られるものだった。
 アスティアは一族伝来の長剣を振りかぶり、こちらの喉笛を狙って来たラプノスの首を一撃で斬り落とし、倒れ掛って来るラプノスを蹴り飛ばす。

 一般の兵士に支給されている鉄か恐獣の鎧ならば、ラプノスの牙や爪程度ならばなんとか防いでくれる。
 鎧が覆っていない箇所への攻撃さえ気を付ければ、そう簡単に命を奪われることはあるまい。
 アスティアはラプノスを倒すよりも、部隊の状況を見回し危うい状況に陥った者を助ける戦い方を選んでいた。
 突き出した槍の下を掻い潜ってきたラプノスに、危うく脇腹を噛まれそうになった兵士の前に出て、左手の盾でラプノスの頭部を殴りつけ、仰け反るラプノスの胸に全身で体当たりする要領で長剣を突きこむ。

 名工の手によって鍛え上げられたミスリルの刃は、さしたる抵抗もなくラプノスの胸部を貫いて、血に濡れた切っ先が背中から突き出た。
 ふっと小さく鋭い呼気を一つ零し、ラプノスの腹に足を掛けて思いきり蹴飛ばして、次に飛びかかろうとして来たラプノスにぶつける。
 背後に庇った兵士を振り返らぬままアスティアは激を飛ばした。ラプノスの数はまだまだ多い。

「怯むな! 動きは素早いがあくまで直線の動きばかりだ。腰を落としてしっかりと構えていれば、狙いが外れる事はない」

「レーヴェ卿、騎馬隊、走竜隊がラプノス後続に突撃を仕掛けました」

 走竜は飛竜と並びイルネージュ王国の戦力の中核を担う騎竜の一種だ。
 飛竜と同様に硬質の皮膚と鱗を持つが、大樹の幹のように太い四肢と小屋ほどもある巨体を持ち、首周りには鰓が生えて眼の上の辺りからは前方に向けて太く鋭い角が二本伸びている。
 雑食で気性の荒い所のある飛竜と比して草食で大人しい気質を持ち、比較的人間になつきやすい騎竜である。
 圧倒的な質量を誇る巨体とその膂力で持って敵戦列を崩壊させ、陣形をズタズタに引き裂く突破力を誇る。

「ノイッシュとアルバか。合わせてこちらも出る。このまま押し潰すぞ!!」

 森林地帯から姿を見せるラプノス達の姿が途切れて、今回討伐の対象となったラプノスの群れは、現在アスティア達が交戦しているもので全てのようだ。
 それを見て取った今回の討伐隊の指揮官が、アスティアの副官であるノイッシュとアルバに預けられた騎兵隊に突撃を命じたわけだ。
 土煙を上げて勢い凄まじくラプノスの群れへと迫る騎馬隊と走竜隊に合わせ、アスティアが残る兵士たち全員に突撃を命じてから、ラプノス達の討伐完了までにさしたる時間は必要なかった。

 兵士達は討伐の完了を確認後、後方に下げていた輸送部隊と合同で今回討伐したラプノス達の死骸の血抜きと、素材として使える状態の死体の選別を行いはじめる。
 アスティアは、今回の討伐隊の指揮を任された将来有望な新人軍師としてレアドランから紹介された軍師の元へ戦果の報告に向かっていた。
 野戦などで用いられるテントの所にアスティアが顔を出すと、件の新人軍師シオニスがそわそわと落ち着かない様子で辺り一帯の地図や駒を乗せた机の周りをうろうろとしていた。

「シオニス、軍師がそう落ち着かない様子を見せるべきではない。もっとどっしりと構えていなさい」

「レーヴェ卿、これはお見苦しい所を」

 貴族としてもレアドランの臣下としてもはるか格上のアスティアに対し、シオニスが膝を突いて礼を取ろうとするのを手で制し、アスティアは机の傍まで歩み寄って足を止めた。

「うまくシオニスの読み通りの展開になってくれたお陰で、被害は最小限に抑えられたな。姫様も及第点を下さるだろう」

「レーヴェ卿のお墨付きとあれば、胸を撫で下ろす事が出来ますわ。レアドラン様の手となり足となり眼となり、わずかなりともお役に立つ事がこのシオニスの生涯の勤めなのですから。
 それにこれまでの戦いで、レアドラン様やレーヴェ卿が考案された恐獣用の装備や戦術の礎があればこその戦果です」

 うむ、とひとつ頷いてからアスティアは、今回の採用試験で数こそ少ないが見込みのある軍師や武官を採用できたと、内心で喜んでいた。
 レアドランの赴任以前の代官は有能で王国への忠誠も篤いのだが、文官畑出身の人物でどうにも軍事には疎く、大型恐獣への対応などには後手に回り、兵士や下士官の質がいまひとつだった。
 それを教育し直し、また有望株を貪欲に野に求めた結果、いまでは安堵して指揮や差配を任せられる人材が揃い、他領の正規の騎士団と比べても遜色はないだろうと思っている。
 まあ恐獣を素材とした装備で固めているのはエルジュネア領の兵士達くらいのものだろう。

「リモネシア様、ご報告にあがりました」

 ――と一声かけて来たのはロナである。ラプノスの返り血を拭い身だしなみを整えた姿である。
 右手の握り拳を心臓の上に置くイルネージュ王国の敬礼を取り、鋭い眼差しをシオニスとアスティアへと向ける。

「報告をお願いします」

 シオニスの言葉にロナは頷き返して、つらつらと左翼を任されたケモノビトを中心とした部隊の戦果と被害を述べた。
 負傷者が多数出たものの、幸い二ヶ月ほど治療に専念すれば再び戦場に立てる程度で済んでいた。

「そう、右翼と中央も合わせて事前に予測した範囲に収まる被害で済んだわね。これならレアドラン様を落胆させる事もないでしょう」

 この場の三人に取って共通する最大の悩みは、主君であるレアドランを失望させてしまう事であった。
 その最大の悩みを避けられたであろうことに三人が、揃って内心で安堵しているとロナがさらりとこんな事を言った。

「レーヴェ卿やリモネシア様のお力あればこその成果ですが、レアドラン様一の臣下であるこのロナも一助となれて幸いでございます」

「ほう?」

「へぇ」

 にわかにアスティアとシオニスが眦を険しくする中、ロナは凛々と引き締めた顔のまま、どうだ、と言わんばかりに太い尻尾をはたりはたりと振っていた。

「ふ、まあロナの隊もよく戦ったが、姫様の懐刀であり右腕である私も力の限りを尽くしたからな。当然の戦果だろう」

「レーヴェ卿の仰る通りですわね。これからレアドラン様の知恵袋として今後傍らに立つ私も、采配の振るい甲斐があるというものです。これからも皆でレアドラン様のお役に立ちましょう」

「シオニス様のお言葉の通りです」

「そうだな」

 ――とその様に一同は合意を示すのだが、表面上は友好的な笑みを浮かべてはいても、三人の瞳は決して笑ってはいなかった。
 アスティア、ロナ、シオニスはレアドランの家臣団の中でも特に目を掛けられ有能な三人だったが、レアドランの事を好き過ぎて自分が一番だと主張し合い、たまさかいがみ合うという欠点を共通して持っていた。

「…………」

「…………」

「…………」

 三人の無言の牽制のし合いは第四者が報告に来るまでの間続けられた。



 城内の執務室で羽ペンを片手に裁可待ちの書類に目を通していたレアドランは、討伐隊の戦勝報告にほっと安堵の息を吐いた。
 討伐を失敗はしないと分かってはいても、やはり自分の目が届かない所の事であるから、どうしても心配してしまう。

「そうですか。ふむ、皆の労をねぎらわねばなりませんね。ジャジュカ、負傷者には出来る限りの治療を。戦死者の遺族にも最大限の配慮をお願いします」

「はっ」

 レアドランへ報告に来たジャジュカと呼ばれた獅子頭人身のシシビトは、恭しく頭を下げて主の意を了承した。
 ロナ・ロミ姉妹と同様に元奴隷としてレアドランとその母スノーに保護されたケモノビトである。
 ただこのジャジュカと言う名前のシシビトは、亡国の騎士という経歴の持ち主でレアドランを除けばエルジュネアで一、二を競う戦闘能力と高い教養を持っていた為、レアドランに抜擢されて騎士隊長の地位にあった。

「今年はこの程度で済みましたが、来年あたり大きく仕掛けてくることでしょう。ジャジュカ、貴方達にはさらに苦労を掛ける事となります。これからもこの非才の身にどうぞ力を貸して下さい」

「もちろんでございます。ですが、姫様。やはりこのたびの恐獣の件も……」

「私の事を疎ましく思う方がエルジュネア領に出没するように仕向けた、と見ています。あ、ここだけの話ですから口外はしないでくださいね?
 私は王位の継承を考えていませんが、それでも継承権は持っていますし、その事で敵視する方もいましょうし、平民の娘という事で疎んじられている方もおりますから。ふむん」

「滅多な事を仰られますな」

「ふふ、ですがおじい様の私嫌いは貴方も知っているでしょう? 私がもっと可愛げのある孫娘だったらよかったのでしょうけれど、生憎とこのような性分ですから可愛さ余って憎さの方が強いのでしょう。
 それにしても今回の事などはほんのささやかな嫌がらせ程度の事でしょうが、私で遊ぶのが楽しくて仕方がないのでしょうね。まったく困った方です」

 レアドランの祖父に当たる先代国王イプシロンが、平民の血を引くレアドランの事を嫌っているのは王宮の中では周知の事であった。
 しかしレアドランの口ぶりはもっと近しい者に対するもののようで、ジャジュカは王室の一体誰がレアドランと敵対する立場にあるのか、わずかな時間だけ思案に耽った。
 普通に考えればレアドラン以外の王位継承権保有者の全員が政敵になる所だが、さてレアドランの言う困った方が誰なのか、推し量ることはできそうになかった。
 もっともレアドランは困ったと言うものの、悪戯の過ぎる子供を前にした教師の様な表情を浮かべており、言うほどには困っていないのかもしれなかった。

<続>

あまり評判が良くないようですし、本編もあるので後1、2話で終わりにします。

4/8 12:56 投稿
22:03 修正
4/9 08:49 修正


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