気持ちまでも晴れ渡るような良い陽気の休日の午後。ウィルとはやては、なのはと彼女の兄である恭也と共にバスに乗っていた。
バスは坂の多い海鳴市における主要な交通機関であり、休日であることも相まって、乗車したばかりの頃は席に座れないほどの盛況ぶりだった。それも市内までで、郊外に近づくにつれて乗客は減って行き、席は次第に空き始める。
「なのはちゃん、今日は誘うてくれてありがとうな」
「はやてちゃんのことを話したら、二人とも会いたいって言ってたから」
はやてとなのはは、空いた席に隣同士に座り談笑する。彼女たちの膝の上では、フェレットの姿のユーノが寝ていた。
やがて窓の外に見える建物が次第に少なくなっていき、反比例して山の木々が増加し始める。
「そろそろ降りるぞ」
恭也は降車ボタンを押してみんなに声をかける。その声に反応して、なのはは急いで立ち上がるが、バスは停留所に止まるために減速を始めていたので、おもわず転びそうになり、恭也に支えられた。
「ウィルさん、私らも降りよ……ね、寝とる」
バス停から少し歩くと、大きな門が見えて来る。その門が、今日の目的地である月村邸の入り口だ。
月村家の上の娘は恭也の恋人で、下の娘はなのはとクラスメイトであり、月村家と高町家は家族ぐるみの付き合いがある。
その月村家では、たびたびお茶会が開かれる。と言っても、格式ばったパーティーではなく、親しい友達と一緒にお茶とお菓子を楽しむという程度だ。
はやてが学校に通っておらず、同年代の友達がいないことを知ったなのはは、月村の娘に相談し、お茶会にはやてを誘った。はやては二つ返事で了解。
なのはがついているのなら大丈夫だろうと、最初はウィル(とユーノ)は参加せずに、お茶会当日もジュエルシードの捜索をおこなうつもりだったが、月村の家が非常に広大な敷地を持っていることを知り、急きょ予定を変更した。土地が広い分、その場所にジュエルシードが落下した可能性もある。敷地内に合法的に入ることができる機会を逃す手はない。
さすがに遊びに行った間だけで捜索できるわけもなく、敷地全てを調べるには夜中にユーノに結界を張ってもらって不法侵入することになるが、その手間を少しでもはぶけるのなら儲けものだと考えた。
年季の入った重厚な門扉を通り、舗装された道を歩き続ける。道の両側に植えられた常緑樹は、その全てが見事に剪定されていた。木々の向こう側には庭が、さらに奥には森が続いているが、見える範囲にある木々は同様に手入れされている。さすがに森の全てを手入れしているわけはないとは思うが、それでもどこまでやっているのかと考えると底知れないものを感じる。
月村の屋敷は、門から歩いて数分ほどのところにあった。
「……でかいね」ウィルが思わずつぶやき、「うん、おっきい」とはやても呆然と相槌をうった。
屋敷は大きかった。物理的な大きさだけではなく、存在感が大きかった。
一目見ただけでも、屋敷が丁重に造られた一級のものであるとわかる。毛の一本に至るまで職人が心魂を込めて作ったビスクドールが、実物の大きさ以上の何かを内包しているように感じるのと似ている。さらに、屋敷を囲む庭、それをさらに囲む森や山が持つ雰囲気までもが屋敷へと集約されていた。
魔法による結界とは意味が異なるが、これもまた結界だと言えるだろう。屋敷を囲う森という物理的な意味での結界、そして屋敷が与える底知れない印象は心理的な結界として、この屋敷を世俗から隔離された幽世。
もっとも、なのはたち兄妹にとっては見慣れたものなのか、彼女たちはまったく物おじせずにインターホンを鳴らした。扉の向こうで待ち構えていたかのようにすぐに現れた若い女性、屋敷の使用人のノエルにサンルームへと案内される。
お天道様の慈悲を余すところなく受け止めるように設計されたその部屋は、包み込むような暖かさで、先ほどまでバスで寝ていたウィルなどは、再び眠気を感じて立ったまま眠りたいと感じるほどだった。
部屋の端には観葉植物が並べられており、その中心に机と椅子、そして大量の猫が配置されていた。椅子にはすでに数人の参加者が座っており、その中の一人が立ち上がると、はやてたちの方へとやって来た。ウィルとはやては、その子に見覚えがあった。
「いらっしゃい、はやてちゃん」
「ええっと……なんでここに?」
かつてウィルとはやてが図書館で出会った黒髪の少女だ。彼女ははやての前まで来て、にこやかにほほ笑む。
「なのはちゃんから最近知り合ったお友達のお話を聞いた時に、ぴんときたの。車椅子に乗った同じくらいの年の女の子っていえば、きっと図書館で出会ったあの子だろうなって」
「そやったんか。ええっと……」
「私はすずか。月村すずかって言います。よろしくね、はやてちゃん」
「すずかちゃん、今日はお呼びいただいてありがとうございます」
「どういたしまして」
続けて、各々が自己紹介を行った。
金髪の少女がアリサ・バニングス――なのはとすずかの同級生で、二人とは親友らしい。
すずかをそのまま大きくしたような女性がこの屋敷の主で、月村忍――すずかの姉で、恭也の恋人。
給仕の少女は、すずか専属の使用人で、名をファリンというらしい。ファリンはノエルの妹だというが、その印象は正反対で、ファリンが動、ノエルが静だ。
自己紹介が終わると恭也と忍はノエルと共に別室へと移り、四人の少女はそのままサンルームで机を囲みながらお茶を楽しみ始める。
ファリンが新しいお茶とお菓子を用意するためにサンルームを出ていったので、ウィルは少女たちに一言ことわって彼女を追いかけた。
廊下で彼女に追いつき、声をかける。
「ファリンさん。おれも手伝いますよ」
「とんでもないです! お客様にそんなことさせられません!」
ファリンは時計を持った兎が二足歩行で歩いているのを見たのか、というくらい意表を突かれた顔をして、それから大きく首を振った。
給仕としては当然の反応だが、ウィルは残念そうに肩を落とす――ふりをした。
「そうですか。実は、はやてがあの子たちと仲良くするには、おれはあの場にいちゃいけないと思ったんですよ。ほら、年上がいるとあの子たちも遠慮して思ったことを話せないでしょう。それに、おれがいなかったら、あの素敵なお兄さんは誰なのー、って話題で話がはずむかもしれません。だから、手伝うってのを口実にして、席をはずそうと思ったんですが――」
半分は嘘だ――というか冷静な人が聞いたら「だったら最初から来るなよ」と言われるようなことをほざいているが、このファリンという純真そうな少女なら大丈夫だと判断した。
これは単なる敷地内をうろつきまわるための方便だ。探索自体は、屋外に出た後で勝手に森に入っていくユーノ(フェレット)を追いかける、という形でおこなうことにしていた。しかし、それではあまり長く席をはずしていると不審がられるかもしれない。そこで、この嘘話を事前に話しておくことで、なかなか帰って来ないのは気を利かせているからだと思わせる。
たとえ実際に手伝うことになっても、菓子を運ぶ程度ならすぐに終わるから、こちらにとっては特に損も出ない。
「でも、手伝うことがないのなら仕方ないですね。それじゃあ、少し庭を散策させてもらって――あの、ファリンさん、聞いてます?なんで涙ぐんでいるんですか?」
「うう……妹さん思いなんですね。わかりました! 不肖ながら、このファリン! 全力をもってあなたに仕事を与えます!」
「……い、いえ、やっぱりいいです」
「心配いりません! 簡単な仕事ですから!」
「……ただいま~」
やっとのことで解放されたウィルが戻って来た時には、四人はとっくに屋外へ移ってた。
「えらい遅かったなぁ、何してたん?」
「なぜか厨房の掃除をしてた。ノエルさんに助けてもらわなかったら、帰るまでずっとやってたかも」
「何やってるのよ」と、あきれ顔のアリサ。
ウィルはとぼとぼと歩き、ユーノをむぎゅっとつかみ、念話で語りかける。
≪はぁ……それじゃあユーノ君、予定通り逃げてもらおうか≫
≪わかりました。……最初っから小細工しない方が良かったんじゃないですか。捜索する時間も減っちゃいましたし≫
≪確かに今回は失敗したけど、自分の目的の為に自分で方法を考えて行動するっていうのは大切なことだよ。そりゃあ失敗することもあるけど、与えられた選択肢を選んで状況に流されることを良しとせず、自分から選択肢を作って行動することは、将来的にきっと役に立つことになる≫
≪なるほど、たしかにそうかもしれませんね≫
≪まぁ、ただの言い訳なんだけどね≫
≪ええっ!? ちょっと納得したのに!≫
その時、ウィル、なのは、ユーノの三人はもはや慣れ親しんだともいえる感覚を感じる。
≪これって――≫
≪ジュエルシードだね。行くぞ、ユーノ君≫なのはにも念話で語りかける。 ≪なのはちゃんはどうする?≫
≪わたしも行きます!≫
≪わかった。でも、まずおれが行って危険がないか調べるから、数分おいてから来て。一度に来たら怪しまれるから≫
*
ウィルとユーノがジュエルシードの反応を追いかけて森の中を進むと、突然空が陰り出した――ように思えたが、それは錯覚だった。何か巨大なものが、太陽とウィルたちの間に現れていた。
猫だ。
足は森の木よりも太く、頭は木々からはみでるほどような、猫だった。かつて出会った犬のように醜悪に変化してはおらず、子猫としての形を維持したまま巨大化していた。ただし、体は高さだけでもゆうに五メートルを超えており、身に着けていた首輪の鈴の音は、小さい時はちりんちりんと耳を休める良い音だったのに、大きくなった今ではがらんがらんと頭に響くような大音声。
「ガリバーかアリスの世界だな、これ」
「なんです、それ?」
「はやてが読んでた本に、そういうのがあったんだ。それにしても、これだけ大きいと目立つな」
可愛い子猫がそのまま巨大化しただけの見た目が非常にシュールで、現実感を薄れさせていた。周りの木々という比較対象がなければ、自分たちが小さくなったのだと思ってしまったかもしれない。
「なら、結界を張って隔離します。設定はどうしましょうか?」
「範囲は屋敷の手前まで、あの猫以外の生命体は全て結界外に、おれたち三人のみ自由に結界の出入りを可能に……できる?」
ユーノは行動でその問いに答えた。さすがは結界魔導師。いとも簡単に十分な広さを持つ結界を張り終える。理論に基づいた精密な魔法の構築からは、彼の性格がうかがえるようだ。
結界の中で二人は巨大猫を観察した。一見すると無害で、じっと眺めていてもやっぱり無害だった。
「これもジュエルシードのせいだよね?」
「多分。猫の大きくなりたいって願いが正しく叶えられたんじゃないかと」
「単純な願いなら、正しく叶えられるのかな?」
「そうかもしれませんね。……あそこまで大きくなりたかったのかはわかりませんけど。なんだか怖がってるみたいですし」
巨大猫は突然大きくなったことに戸惑っているのか、縮こまってぷるぷる震えていた。
「なら、さっさともとに戻してあげようか」
ウィルはデバイスを起動させ、そのままバリアジャケットを身に纏う。剣型デバイスF4Wを右手に持って飛び上がろうとした瞬間、ユーノが突然あわてだす。
「待ってください! 誰かが結界内に侵入しました!!」
「なのはちゃんじゃなくて?」
「違います! こんなあっさり侵入されるなんて――!」
ウィルたちとは反対方向からの魔力弾が巨大猫を襲う。金色の魔力弾が、巨大猫の横腹に直撃する。
同時に、森に設置された電柱に誰かが降り立った。
黒い少女。
手には黒いデバイス。身を包むのは体のラインに沿った黒いバリアジャケット、そして黒いマント。その衣装は黒一色だ。
しかし、衣装以外は全く黒くない。髪はさながら光の束のように輝いている。ユーノやアリサと同様に金髪に分類されるのだろうが、二人とはまた違った様相でもある。ユーノが大地の稲穂だとすれば、アリサは陽光の煌めき、そして目の前の彼女は視覚化した風のようだ。肌は白く、輪郭は上質の羽二重のように繊細を極めており、彼女の存在をあやふやなものと化している。
ただ、そのような精緻を尽くした容貌の中で、瞳だけが安物の硝子玉のように何も映さず――それが彼女の存在感を薄くし、人形のような印象を抱かせる。だからだろうか、黒い衣装は着る者を際立たせるように働かず、逆に彼女の容姿が衣装の黒を引き立ててしまっているのは。
「バルディッシュ、フォトンランサー連撃」
『Photon lancer full-auto fire』
少女の構えたデバイスの前にスフィアが出現。金色の魔力弾が次々と発射され、巨大化した猫に容赦なく命中する。猫は苦痛の声を上げその場にうずくまった。
「彼女の魔法はミッド式ですね。管理局のかたでしょうか?」
「他人の張った結界に侵入したのに声もかけてこないなんて、お行儀の良い海の局員ではあまり考えられないな。むしろ、ジュエルシードの話を聞きつけたどこかの犯罪者って可能性の方が高い」
「もしかして、あの襲撃犯の仲間……とか?」
ウィルとユーノの頭には、かつてジュエルシードが発掘された時の襲撃犯が頭に浮かぶ。
「だとしたら、戦闘も想定しておかないとな。ユーノ君はなのはちゃんと合流して、少し離れた場所で待機していてくれ」
「手伝わなくて良いんですか?」
ウィルには、相手の手のうちが見えるまではユーノを戦わせるつもりはなかった。そして、なのははそれ以前の問題だ。
なのはは先天的な魔力の高さだけではなく、二十を越えるサーチャーを操ることができる高度な思念制御と、高威力の砲撃魔法を行使できるほどの優れた魔法構築能力を持っており、とても魔法と出会って半月もたっていないとは思えないほど器用に魔法を使う。
しかし、どれだけ魔法の才能にあふれていたとしても、戦闘訓練を積んだわけでもないただの女の子だ。単調なジュエルシードの暴走体が相手ならまだしも、魔導師相手の戦いは危険に過ぎる。
もしも彼女たちを戦わせるとすれば、その力を安全かつ最大限に生かせるような状況になった時だけだ。
「ユーノ君の結界に侵入できるなら、彼女は魔導師としてはおれよりも優秀だ。まずはおれが一人で様子見をする。……負けるつもりはないけど、万が一おれがやられることがあれば、ジュエルシードの捜索はまかせたよ」
「わかりました。でも、危なくなったら助けに入りますから」
「そうならないように願いたいね」
ユーノはウィルの肩から飛び降り、こちらに向かっているであろうなのはと合流するために駆けだした。その姿が茂みの奥に消えていったのを確認すると、ウィルは改めて乱入してきた少女を見た。
少女は倒れた猫にさらに魔力弾を撃ち込む。そして弱った猫に砲撃魔法を放ち、一気にジュエルシードを封印した。一連の動きは流れるようで非の打ちどころがない。
少女がジュエルシードを回収するために動こうとした時、ウィルは大きな声で少女に呼びかける。
「ちょっと待った!」
少女は驚くこともなく、声の方向に向き直った。結界の中に侵入したのだから、自分以外の魔導師の存在は想定内している。
「自分は時空管理局の局員です。そちらの氏名と所属を述べてください。また、管理外世界での活動は管理局法によって禁じられています。許可をとっておられるようでしたら、それらを提示してください」
少女はデバイスを答えず、デバイスを握る腕に力を込めた。その姿からは緊張がうかがえる。すでに彼女は戦うつもりなのだと、ウィルは判断した。これ以上の勧告は無駄だと考えつつも、管理局の局員として続ける。
「それから……そのロストロギアは管理局の介在のもとで輸送中に紛失したものであり、その回収における優先権は管理局と発掘者にあります。ですので、譲っていただけないかなぁ、なんて」
「申し訳ないけれど」彼女はデバイスの形状を杖から鎌へと変化させ、明確に宣言する。 「ロストロギア、ジュエルシードはいただきます」
ウィルは宣戦布告に舌打ちすると、自らもまたF4Wを構えて少女に向き直った。
**
少女はデバイスを構えてウィルに向かってまっすぐ飛行し、鎌を振りかぶる。
ウィルもまたF4Wを振りかぶり、少女に向かって振るう。剣と鎌がぶつかり、互いにはじかれあう。ただし、振った当人たちまで同じようにはじかれたわけではない。突撃してきた少女の方が、受け止めただけのウィルよりも総エネルギー量は上。ウィルの体は衝撃を受け止めきれずに後方に吹き飛ばされてしまう。
飛行魔法によって空中で体勢を立て直すウィルに少女は追いつき、追撃のために再び鎌を振るう。しかし、鎌の軌道は先ほどと同じ。基本に忠実といえば聞こえは良いが、フェイントもない単純な軌道は見切りやすい。少女が戦い慣れしていない証左だ。
ウィルは鎌が描く軌道の外側に体を置くことで攻撃を回避し、体をひねって少女に切りかかる。
少女はさらに加速し、ウィルが剣を薙ぐ前に間合いから逃れると、そのまま空中にあがる。ウィルも少女を追って空中にあがる。
接近戦に持ち込もうとするウィルとは対照に、少女は先ほどとはうって変わって直射弾の連射で牽制し、中距離を保とうとする。接近できなければウィルも直射弾を撃つしかない。二人は一定の距離を維持しつつ、円を描くように飛行しながら魔力弾を放ち続ける。
射撃魔法が不得手なウィルとは異なり、少女はジュエルシードの封印時に見せたように、射撃でも十分な実力を持っていた。だが、少女の方が射撃戦における火力が優れていても、それが即勝利に繋がりはしない。
互いに移動している状態での射撃はそうそう当たるものではないからだ。当たったとしても、それが一発二発ではバリアジャケットで防がれる。高機動空戦では優れている程度の射撃では意味をなさず、少女の射撃は今のところはその域を越えてはいなかった。
だから、この状況はお互いに次の行動に移るまでの前哨戦にすぎない。
先に仕掛けたのは少女だった。離れているにも関わらず、ウィルを切り裂かんとばかりにデバイスを振るう。
『Arc Saber』
鎌の刃を形成していた光刃がデバイスから離れ、輪刃となり不規則な軌道で向かってきた。その独特の軌道に意識をやってしまい、少女に対する注意が希薄になってしまう。
まさにその瞬間に、少女は大きく動き出した。
『Blitz Action』
空に響くデバイスの音声。爆発的な加速力で少女は動く。意識がそれていたとはいえ、高速戦闘になれたウィルが視界から消えたかと錯覚するほどの加速力。
少女のデバイスには新たに光刃が生まれ出で、すれ違いざまに振るわれる。鎌の軌道は先ほど同様に読みやすく、ウィルもまたデバイスを前に出して防ごうとする。だが、速度が違いすぎる。速度とはエネルギー。少女の鎌はウィルの剣を圧する。
防ぎきれずにウィルは吹き飛ばされた。さらに、湾曲している鎌の刃の形状のせいで、防いだにも関わらず右肩を切られていた。剣に比べて使い勝手の悪い鎌も、圧し切るという点では有効な武器だ。
とっさに動いたおかげで深く斬られることはなく、少女の攻撃が非殺傷設定だったため肉体への影響もあまりないが、体内の魔力は確実に削られていた。
少女は空中に静止すると、落下するウィルへと追撃の魔力弾を放つ。ウィルは避けるが、姿勢を立て直せずに墜落同然に森に落下した。
だが、幸いにもそれが功を奏した。旺盛に葉をつけた木々は身を隠すにはもってこい。葉のせいで視界が通らないので、遠距離魔法で上空から狙われることはない。木が邪魔になるので、先ほどのような高速移動で近づかれることもない。守るにはうってつけの場所だった。
木の影に身を潜めながら、空に留まる少女の様子を見る。彼女は森の中からの不意打ちを警戒して上昇して高度をとると、光刃を飛ばして木を切り倒したり、サーチャーを飛ばしたりして、ウィルを探し始める。ウィルは広大な森の中を移動し続けることで、その捜索から逃れ続ける。
だが、隠れていれば良いというわけではない。ウィルが見つからないのであれば、少女はジュエルシードの回収のみで良しとするかもしれなかった。少女がその選択をとる前に、何か手を打たなければならない。
少女の高速移動魔法は要注意だが、それも無制限に行使できるわけではない。吹き飛ばされて森に落下するウィルを、もう一度高速移動で接近して切らずに、不確かな魔力弾で追い打ちをかけたことから、おそらく連続で行使することはできないと予想。
しかし、高速移動を除いても、少女が遠近両方をこなせるバランスのとれた良い魔導師であることに変わりはない。才能に恵まれ、努力を積んだであろうことがはっきりとわかる。
つけいる隙があるとすれば経験の差か。少女の戦い方からは、対人戦の経験が希薄であろうことが読み取れる。
ウィルは策を弄することにした。
今のウィルでは、真正面から彼女と戦えば負ける可能性が高かった。そしてここで負ければ、今後のジュエルシードの探索に大きく影を落とす以上、分の悪い賭けをおこなうのは得策ではない。狩るときは確実に狩る。ウィルにはそんな獣のようなしたたかさがある。
確実な勝利のために、後方に控えているなのはたちに念話を送る。
≪なのはちゃん、ユーノ君、聞こえる? 聞こえてたら、返事をしてくれ≫
≪は、はい。聞こえてます≫と、ユーノが返事をする。
ウィルが思いついた作戦では、なのはたちにはさほど危険はない。だからと言って、少し前まで戦いに巻き込むみたくないと思っていたなのはたちを必要だからと利用する行為は、良識のある者が見れば眉をひそめることだ。が、ウィルのしたたかさはそれができる。それをやってしまう。
二人に指示を出し終えると、ウィルは森の中を移動する。
やがて、少女はウィルの発見を諦め、ジュエルシードを回収するために動き出した。
のんびりと降下すればそれだけ森に隠れたウィルから不意打ちを受ける可能性が増えるため、少女は先ほど見せた高速移動でジュエルシードに向かい、一瞬でジュエルシードのもとへたどり着いた。
タイミングを合わせてウィルも飛行する。森の木々をかいくぐり、加速。
少女がジュエルシードを手にするのと、ウィルが森から飛び出したのはほぼ同時だった。
向かい来るウィルを迎撃するため、少女が魔力弾を連続で放つ。少女とてジュエルシードに向かえば隙ができ、その瞬間をウィルが狙ってくること自体は予測しており、あらかじめ高速移動魔法と並行して射撃魔法の構築をすませていた。
まっすぐ突っ込めば、魔力弾をくらう。一発二発ならバリアジャケットで耐えられるが、全弾くらえば確実に落とされる。そのため、ウィルは突撃を諦め、回避せざるを得なくなった。
ウィルがもう一度突撃しようとするまでに、少女はジュエルシードを持ってゆうゆうと去ることができる。
≪ユーノ君!≫
ウィルが、ユーノに向けて念話を送る。直後、結界が解かれた。それにともない、先ほどまでは阻害されていた結界内外の波長が干渉しだす。
結界の中にいたウィルや少女にも、結界の外の光景が見える。そして、少女のそばには、レイジングハートを構えたなのはの姿。レイジングハートの先には、桜色の魔力光――砲撃魔法ディバインバスターの発射準備が完了していた。
なのはが結界外で、砲撃魔法の準備をする。結界内と結界外は遮断されているので見ることも魔力を感じることもできず、したがってその姿に気付かれることはない。
少女がジュエルシードを回収に行くことはわかっていたので、その地点の近くで準備をしていれば不意打ちができる。高速移動直後の隙を狙ったウィルの攻撃が成功すれば良し、失敗してもすかさず結界を解除してなのはが砲撃を叩きこむ二段構えの攻撃。
少女はウィルへの対応に意識をやっており、さらに結界が解かれたことにわずかでも動揺するため、なのはへの対応はどうしても遅れてしまう。
砲撃を放とうとしたなのはと少女の視線が合う。
奇妙な静寂が訪れた。なのはは、魔法を撃たなかった。
静寂を先に破ったのは少女でもなのはでもなく、ウィルだった。なのはが撃たないとわかった時、彼は動揺した。それでも瞬間的に回避機動から切り返しをおこない、再び少女に向かって突撃できたのは、彼が戦いなれていたから不測の事態に対応できたからに他ならない。
寸前でウィルに気づいた少女は、デバイスでウィルの剣を受ける。不意打ちの一撃に姿勢が崩れ、そこにウィルの二撃目が叩き込まれる――その直前、ようやく使用可能になった高速移動を発動させ、少女はその場から離れた。
上空に逃げた少女はウィルたちを一瞥すると、街の方へと飛んでいった。二対一では分が悪いと判断したのか、ジュエルシードさえ手に入れば良いと考えたのかは定かではない。確実なのは、ジュエルシードを犯罪者に奪われてしまったという結果だけだ。
「ごめんなさい。あの――」
彼女が見えなくなった後でなのはが話しかけてきたが、ウィルはそれを遮った。
「いや、気にしなくていいよ。今回はおれのミスだ」
笑顔でそういいながらも、ウィルは己の失策を悔いていた。撃たなかったなのはを責める気持ちはなかった。
いくら覚悟があっても、なのはは最近まで魔法の力を持たないただの女の子で、今も精神的に何かが変わったわけではない。非殺傷設定とはいえ、いきなり人を撃てと言われても撃てるものではない。その相手が自分と同じような年齢の子供ならなおさらだ。
それなのに、なのはの能力だけを見て、戦いに利用しようとしてしまった。
(おれ一人でなんとかするしかないな)
ウィルはF4Wを腕輪に戻すと、ネックレス――待機状態のエンジェルハイロゥにそっと触れた。
これが使えるようになれば、一人でもあの子と戦うことができるだろう。
***
翌日の早朝、ノエルは森の中を歩いていた。昇り始めたばかりの太陽の光が、木々の葉の隙間から漏れだし、まぶしくて思わず目を細める。
昨日の昼、自らの主の月村忍と、彼女の恋人の高町恭也。彼らと共にいた部屋の窓から、森に何か大きなモノがいるのが見えた――ような気がした。見えたのは一瞬で、それからは何も見えなかったが、それでも何となく気になってしまい朝の散歩を兼ねてその辺りの様子を見に来てしまった。
「あら……これは」
彼女は切り倒された木々を見つける。その切断面は、非常に鮮やかなもので、どんな道具を使えばこんなに見事に切れるのだろうか皆目見当がつかない。しかも、木に登らなければ切れないような場所が切られていたり、幹が真っ二つにされているものもあった。
彼女が、この場で何があったのかを正確に推察はできない。だが、彼女は自らの主に見たことを伝えるために、屋敷に戻った。
(あとがき)
速度自慢の人たちはだいたい亜音速から音速(無印フェイトがこのあたり)。高ランクの速度特化が超音速(Asのソニックフォームフェイトがこのあたり)。真ソニックやトーレくらいになると常時超音速、最高速は極超音速のイメージで書くつもりです。