至近距離からの接射砲撃は闇の書の業を飲み込み、空に光の桜を咲かせた。
その一撃に全力全開の魔力を注ぎ込んだなのはは、発生した衝撃を受け止められずにその身を木の葉のように吹き飛ばされ、慌てて駆け付けたフェイトとヴィータに受け止められた。
「無茶すんなよ高町! あと金色の! でも助かった!」
「き、金色……!?」
あまりにもな呼び名にフェイトが愕然としている一方、少し離れた場所ではザフィーラとシグナムが収まりつつある爆煙の中心地を睨みつけていた。
「あれで多少は削られてくれればいいのだが」
爆煙の中央から突風が吹き、煙が一瞬で晴れる。その内から現れた闇の書の業は肉体に汚れ一つない。
けれど、その髪色は純白から薄い赤に、肌は白いが生気の感じる人の色へと変じていた。
取り乱している様子はなくなっているが、視線の険しさは増している。
「効いてないってわけじゃなさそう……それなら何度でもやるよ! フェイトちゃん!」
「わかってる! 行くよ!」
そんな二人の頭をヴィータが掌で叩いて静止する。
「いたいよヴィータちゃん!」
「ああいう無茶は一回だけにしとけ! お前らは後衛! それでいいよな!」
「……たしかに前衛五人は多すぎるな」
などと言っていると、突然すぐそばにいたはずのフェイトやヴィータとの距離が離れ始めた。近づこうと動くと、とたんに別の方向へと視界が動く。
視界は一秒ごとに向きを変え、フェイトと合流しようとそちらに向かって飛行魔法で加速した瞬間に、フェイトは別の方向へと動かされて合流できず。
「ああくそっ! そりゃ使えるようになれば使ってくるよな!」
ディストーションシールドが効果をなくした今、空間駆動魔法を発動しない理由もない。
空間自体を動かし続けられれば、前衛は近づくこともできず、後衛は照準を定めることもできない。たとえ撃てたとしても暴風吹き荒れる中でキャッチャーめがけてボールを投げるようなもの。闇の書の業へは届かずにあらぬ方向へと反れて飛んでいく。
その時、地上から穏やかな波動が広がっていく。
包み込むようなその波が通った場所では、あれだけ荒れ狂っていた空間が凪いでいく。
「こんな感じでええんかな……?」
『御見事です』
はやてが握りしめた十字杖の先端から、不可視の波が結界内に広がっていく。
魔力を変換する魔法そのものは妨害できないが、遠距離にある己の魔力を運動エネルギーへと変化させるための信号自体を妨害する。その意図で即興で組まれた専用妨害魔法は正しく効果を示してくれたようだ。
これなら、先ほどまでのディストーションシールドとは異なり、射撃や砲撃魔法も減衰されず、後衛も存分に前衛の支援ができる。
額に浮かぶ汗を袖で拭う。
魔力の使用。体内から自分の活力のようなものが抜けていく感覚にはいまだに慣れない。
はやては一息つくと上空を見上げ、闇の書の業を見やる。
ヴォルケンリッター三人と接近戦を繰り広げながら、なのはとフェイトの魔法をさばき続けている。その技量は恐るべきものではあるけれど、
「ウィルさんの姿、またちょっと変わった? あれって良い変化なのか、悪い変化なのか、どっち?」
距離が遠いのではっきりとは見えないが、髪色に赤が混じったことも含めて、先ほどまでと少し雰囲気が違っているように感じられた。
それに先ほどまでは、ディストーションシールドの影響下でもシグナムたちの攻撃を軽々とさばいていたが、今は三人の攻撃も当たり始め、向こうに余裕がないように見える。もちろんなのはとフェイトが援護しているからというのも大きいのだとは思うが。
『原因はわかりませんが、彼らの融合率が低下しているようです』
「なのはさんの攻撃が効いたのかしら?」
リインフォースの言葉にリンディが食いついた。
『たしかにそれも関係あるのでしょうが、先ほどの攻撃でも内方する魔力量の絶対値に比すればさして大きくはないはずです。何よりも先ほどの攻防、ヴォルケンリッターと戦っていた時の闇の書の業の出力なら、高町なのはの突撃も容易とはいかずとも防ぎきれたはず。攻防の最中には融合率は落ちていたように思えます』
「直前に何か白い粒子が出ていて、闇の書の業の魔力が減ったように見えたけれど?」
『あれで減ったのはせいぜい一割程度かと。追い風ではありますが、それだけであそこまで弱体化するのでしょうか』
大人二人が悩んでいる傍らで、はやては奇妙な確信を持っていた。
「なのはちゃんの声が届いたんとちゃうかな、心に……あ、ごめんなさい。やっぱり今のなしで……ってリインフォース? どないしたん?」
言ってから場が静まり返っていることに気付いて、真面目に考えている二人にふわふわしたことをいうのはよくなかったのでは。と不安になったはやてだったが、自らの内側にいるリインフォースはその言葉に何か思うところがあったのか、何かを考えてる様子だった。
『そう……なのかもしれません。ウィリアムと闇の書の業は我らへの憎悪の一念で強く結びついていた。高町なのはの呼びかけでウィリアムの憎悪以外の意識が強くなり、互いの融合率を低下させた。その結果があの戦力の弱体化なのだとすれば……。我々ヴォルケンリッターではなく、あなたたちの存在を意識させることができれば融合率をさらに下げることができるかもしれません』
「でも、あくまでも融合率が落ちるだけなのよね? それだけで分離させられるわけではなくて」
とすぐさま状況を把握するリンディ。
『ええ。融合率が低下すれば、一度に出力できる魔力量は落ちる。ただ、それだけで融合が解除されるほどにまで落とせる可能性は極めて低い。分離させるためには最後の一押しが必要になるでしょう』
「何かええ方法は?」
はやての問いに、リインフォースは即答する
『一つだけ、あります。彼の内部で起きているのは融合事故。今の彼は浅い眠りについているような状態です。呼びかけられれば反射的に答えはしても、意識が覚醒しているわけではない。であれば、内部にいるウィリアム自身の意識を覚醒させ、彼自身に拒絶させれば』
「それはただ呼びかけるだけで戻せるものなのかしら?」
『難しいかと。私が彼の内側に潜り内部の彼を起こします。ただ、そのためには彼に干渉できる状態に持ち込まなくてはいけません。一時的にでも彼の周囲を纏う魔力を消し飛ばす必要があります』
破損していないバリアジャケットや騎士甲冑を纏う相手には、シャマルも旅の鏡によるリンカーコア引き抜きができないように、纏う魔力には他者からの干渉を阻害する効果がある。
「総攻撃で彼のバリアジャケットを破壊し、再び纏われる前に潜るのね。問題点は?」
『潜った後のことで、二つあります。一つは私が持つ魔力よりも、闇の書の業が内包する魔力の方が遥かに量が多いこと。魔力が多いほど、内部にいる闇の書の業を押しとどめられる時間が増えます。私が彼の内部に潜った後で、あなた方が持つ魔力を全て夜天の書に注ぎ込んでいただきたい。書を中継して、内部の私に魔力が届きます。多少の魔力の質の違いは夜天の書の方で補正します』
「魔力なら何でもいいの? それならなんとかなるかもしれないわ。それで、もう一つの問題点は?」
『私だけが潜っても、それで彼を呼び戻せるとは思えないのです。私と一緒に潜ってくれる存在が必要です。彼の心を揺さぶれるような人が』
そのやり方には既視感があった。昨日ウィルがはやてを助け出すために闇の書の内部に潜り込んだのと理屈としては同じこと。
それならばと、はやてはぐっと拳を握る。
「わかった。私も一緒に潜ればいいんやね。昨日はウィルさんに潜って助けに来てもらったんやから、今度は私が助ける番――」
『いえ、主にはそのまま外に残っていただかなければ困ります。主まで内部に入ると、私に魔力を中継してくれる夜天の書を外に残せなくなります』
「えぇ……でもそれなら誰が行くん? なのはちゃん?」
先ほどウィルの意識を表層化させたなのはなら役者不足にはならないか。
と、そこでリンディが微笑みを浮かべた。
「あら、それならうってつけの人材がいるじゃない」
白濁した視界、耳朶を振るわせる声は右から左へと流れ、肌は寒さも痛みも覚えず、五感は具象を掴み切れず、茫漠とした印象だけをクロノの内に残す。
鈍化した意識に一つの言葉が浮かんでは消える。失敗した。失敗した。失敗した。
自らを虐する思考の渦に沈む意識に、光が当たる。
『クロノくんっ!!』
聞きなれた声に、頭の中の線が繋がった。
自分があおむけに横たわっていることを理解すると、急いで跳ね起きようとして、肩をがっしりと掴まれて地面に押し付けられる。
「ダメです! 動かないで!」
かすむ視界の曇りが晴れれば、妙齢の美女が自分の身体に覆いかぶさるようにして、吐息のかかる至近距離で顔をのぞき込まれていた。
「シャマル……?」
「良かった、意識は正常のようですね。傷口が開いてしまうからすぐには動かないで。動く時はゆっくりと、ね?」
言いながら、ゆっくりとクロノの肩から手を放し身体を離す。
「くっ……状況はどうなってる?」
焦るクロノの眼前に、ホロディスプレイが投影される。そこに映るのは見慣れた顔、聞きなれた声。
『援軍が到着してるから、クロノくんはひとまず大人しくしていて』
「エイミィ……そうか、アースラから……」
アースラの通信士にして自らの補佐官でもあるエイミィ・リミエッタの声は、聞き分けのない子に注意するように若干の怒りを含んでいたけれど、その顔は泣き出しそうに頼りなさげで。普段は何があっても飄々としている彼女にそんな顔をされては、言われたことに逆らう気概もなくなってしまう。
仕方なしに、あおむけのままで聞く。
「わかった。状況を把握するまでは大人しくする。あれから何があったんだ?」
「刃で貫かれて落ちていったあなたをフェイトさんが助けにいったのよ」
シャマルが上空を見上げる。その視線の先には飛び交う金色の光がある。フェイトから放たれる魔力光だ。
フェイトは落下するクロノを回収し、シャマルへと引き渡して無事を確認した後で、再び空での戦いへと戻っていった。
「そしてきみが怪我を治してくれたと……すまなかった。きみたちを助けるつもりで食いかかって、逆に手を煩わせてしまうなんて」
「それこそ気にしないで。それに怪我も完全に治ったわけではありませんし……刃が運良く臓器をはずれていたのは幸運でした」
偶然なのだろうか。あれだけ巧みに戦える相手が、本気で相手を殺そうとしていたのなら、急所を外すようなことをするだろうか。
もしかするとわざと――と考えるのは都合のいい妄想か。
『そのタイミングで武装隊が結界を壊して、リンディさんたちが突入。あのウィルくんみたいな……闇の書の業? だっけ。彼と戦っているよ』
引き継いで語ったエイミィの言葉に驚く。
「母さんまで来ているのか!?」
『魔力残ってる人がほとんどいなかったから。武装隊も結界壊す程度にしか魔力回復してなかったし。だから指揮は私が代理でとって、艦内で戦える人は残らず連れて行ったよ。ユーノくんに、アルフさんに、目を覚ましたばかりのはやてちゃんとシグナム。それから……』
周囲を見渡したクロノは、少し離れたところに立っているその人物を見つけた。
事情聴取に行った時には患者着を着ていたのに、ブランドものだろうドレスシャツとスラックスという最低限ながらも見れる格好に着替えている。いついかなる時も人に見られていることを忘れるなという彼の教えを思い出す。
その足元には二匹の猫の姿もあった。
視線が合うと、彼は少し気まずそうに微笑みを浮かべた。
「無茶をする……。自分を巻き込んで凍結魔法をかけたと聞いた時は肝が冷えた。一歩間違えば腹の傷よりもそちらが原因で死んでもおかしくはなかった」
「グレアム提督……。ロッテとアリアも……」
三人とも安静を厳命されていたはずなのに。
彼らの顔を見て、先ほどの光景が頭をよぎる。死に行こうとする者を見送る側の気持ち。
それを口にしようとする前に、エイミィが口をはさむ。
『さっきリインフォース発案の作戦が出たの。そのためにはまず純粋魔力による飽和攻撃が必要で……えっと、シャマルさん? クロノくんはどれだけ戦えるかな?』
「えっ……? まだ戦わせるつもりなんですか?」
信じられないといったシャマルの態度は常識的な反応だ。ただ、クロノという人物をよく知らない反応でもある。
『って言われてるけど、クロノくんはこのまま大人しく帰るつもりある?』
「絶対に嫌だ」
『ほらね。こういう人だから』
そのやり取りを見せられて、シャマルは嘆息して状況を語る。
「凍結されかけた影響で動きが停止しかかっていたリンカーコアは正常な動作に戻りました。魔法の使用に問題はありません。でも、お腹の傷は臓器こそ外れてましたけど、かなり深いです。今は一時的にくっつけましたけど、激しく動いたら傷がまた開いて動けなくなります」
「わかった。やるなら一回だけにしておけと」
「……本当にわかってる?」
クロノはゆっくりと身体を起こし、自らのデバイスS2Uを杖代わりに立ち上がる。
そんな弟子の様子にはグレアムも苦笑いして、足元にいる二匹の猫のうち片方に語り掛ける。
「アリア、クロノの補助を。クロノは防御も移動もアリアに任せ、きみ自身は無理に動こうとしないように」
にゃあと一鳴きすると、クロノの服に軽く爪立ててするすると昇って、肩に鎮座する。
怪我もしているし消耗もしている身体には猫一匹でもなかなかのもので、
「重いな」
肉球で頬をぶん殴られた。
エイミィから作戦についての説明を聞き終えた後、シャマルは一足先に上空の戦いに加勢に戻っていった。
クロノとグレアム、それからリーゼ姉妹の病み上がりカルテットは終盤になってから加勢するようにと言われた。
グレアムと並び立ちながら、クロノはこれまでの戦いで感じた想いをこぼす。
「さっき、彼女たちが僕たちのために命を捨てようとしたんです。ヴォルケンリッターが、です。ずっと絶対に倒さないといけない相手だと思っていた彼女らが、僕たちのために」
「そうか、彼らはそこまで……」
「それを見て、思いました。ヴォルケンリッターでこれほどなら、父さんが死に行くのを見ていた時のグレアム提督のお気持ちはいかばかりだったのかと」
ずっとグレアムの背中を追いかけてきた。
いなくなった父に代わり、父ですら憧れの対象としていたこの人のようになりたいと。そうすることで、父に近づけると思って。
「あなたがヴォルケンリッターに協力して独自に動いていたと気づいた時、どうしてそんな間違った道をと思ってしまいました。……でも、僕は目の前で誰かを失うことの辛さをわかっていなかった。結局、失うのが怖くて代わりに自分の命を使おうとしてこのザマです」
「それが私ときみの大きな違いだ。私は再び失うのを恐れるあまり、その痛みを他者へ――罪のないはやて君を犠牲にしようとした。困難な道を選ぶ勇気を失ったのを、管理局のため、世界のためとうそぶいて己の理想に背を向け、守るべき無辜の民の命を天秤で測って犠牲を強いようとした」
憧れ、追いかけていた背中はもう目の前にない。
憧れていた人と並び立ち、空を見上げる。視線の先には救うべき命がある。
「私は……きみに最後まで正しい道を示せなかった自らを嫌悪する。そして、それなのに正しく生きようとするきみを尊敬する。たとえかつての敵であっても、仇であっても守ろうとし、そのために命を燃やせる。きみは私の誇りだ」
「……ありがとうございます」
言葉が胸にしみわたり、クロノの迷いは晴れた。
己に戦う力をくれるデバイスを――S2Uを握りしめ、天を見上げる。
あそこで戦っている仲間たちの力になるため、いまや仲間となったかつての敵を助けるため、そして敵になろうとしている友を連れ戻すため。
「自己犠牲が過ちだったと思うなら、これから取り返せばいい。きみはまだ何も失っていないのだから」
上空に極大の魔力が三つ。
桜色と金色、そして白灰の三色の魔力が高まる。
作戦の前段階としての純粋魔力攻撃の要となるのは当然この三人。
規格外の魔力を持つ、高町なのは、フェイト・テスタロッサ、八神はやて。
妨害せんと放たれた黒蝗の魔力弾の群れを、彼女たちに合流していたユーノとアルフが協力して防ぎ、さらに追撃として振るわれんとする長大な魔力刃をザフィーラの鋼の軛が抑えこむ。
魔力刃を消失させ、一発一発が致命となり得る砲撃を連射すればヴィータのギガントフォルムがその大質量そのものを盾代わりにして受け止め。
けれど次の瞬間には闇の書の業の姿はその場から音だけ残して忽然と消え、圧倒的な速度でなのはとフェイトの元へと到達する――その最中に、その驚異的な速度に反応して進路上に身体を割り込ませるシグナム。
激突する剣と剣が弾き合い、次の瞬間にはシグナムの蹴りが放たれる――より早く闇の書の業の貫手がシグナムの身体を貫通する。しかし自らの身体を貫いた手が戻るより早く、シグナムがその手を掴む。
回避不可な状態からの蹴りを叩きこもうとしたシグナムの身体がふわりと浮く。投げ飛ばされたのではなく、触れ合った箇所から運動エネルギーを流し込まれて強制的に動かされた。
身体の自由を奪われたところに、至近距離で放たれた砲撃がシグナムを飲み込む。一撃で騎士甲冑を砕かれ意識も刈り取られ、無防備な状態にさらに続けて砲撃が。
とその直前に、闇の書の業の身体を翠のバインドが抑え込む。
リンディが生み出したバインドはさらに数を増し、何重にも闇の書の業を抑え込み、けれど数を増やす倍の速度でバインドが壊される。
闇の書の業の背後に生成された旅の鏡から伸びるクラールヴィントの鋼糸が四肢を拘束。さらにアルフとユーノの橙と若草色のバインドが重ねられ。
一つ一つ破壊しようとするのではなく、大量の魔力放出により一瞬で破壊せんと闇の書の業が纏う魔力が膨れ上がったその瞬間、その眼前にグレアムが姿を現し、右手で杖を突きつけながら左手の人差し指を口元で立てる。
『Be quiet』
凍結魔法で生成されたデクラインタイプの魔力場が闇の書の業を包み込む。
氷は発生しない。凍結魔法の本質はエネルギーを奪うこと。通常の凍結魔法が物質の温度を低下させ氷の棺を作り上げることであり、凍結の極致が元素と魔力素のエネルギーを奪う物魔双方の完全な静止。そしてこれは物質の温度を低下させず、魔力の温度のみを低下させる――すなわち魔力のエネルギーを減衰させるための凍結魔法。
バインドを破壊せんと膨れ上がった魔力は放出直前に勢いをなくし、自らを縛るバインドの半分を壊すにとどまった。
そしてグレアムの肩に乗っていたリーゼロッテは、意識を失ったシグナムにとびかかって襟を咥えると、グレアムともどもその場から瞬時に離脱。
「スターライト――」
「プラズマザンバー――」
なのはとフェイト、極限にまで高まった二人の魔力が解き放たれる。
「「ブレイカァアア!!」」
二人の声が重なり、桜と金の二条の光が絡み合い、その力の奔流が闇の書の業へと迫る。
闇の書の業の前方に展開された積層シールドがそれを受け止め、一枚一枚削られて徐々に迫る中、闇の書の業はそれを補うように新たなシールドを展開する。
「リインフォース! 力を貸して!」
「もちろんです。我が主」
白灰の魔力が集う。なのはやフェイトをさらに上回る魔力量を持つはやてが、夜天の書に蓄えられた魔力を消費し、リインフォースという最高級の補助を受けて紡ぐ。人類最大級の純粋魔力運用。
「響け終焉の笛――ラグナロク!」
目も眩むほどの閃光が結界内を白の一色で染め尽くし、シールドを消し飛ばして闇の書の業を飲み込んだ。
光の靄が晴れた後にいたのは、両腕をだらんと垂らし、瞳は焦点を失ったウィル。
白髪はいまやそのほとんどが赤へと戻っている。黒い魔力光は黒と赤が入り混じった血のような色へと変化している。
作戦は成功したと誰もが思った瞬間、その顔がはやての方を向き、背に再び黒い八翼が形成される。
今のはやては大規模魔法を使った直後で、対応できない。そばにいるなのはとフェイトも同様。
あと一押しが足りない。ここではやてがやられることになれば、計画の全てが瓦解する。
リインフォースがそれを庇ってもやられても、夜天の書を奪われてもおしまいだ。
そして八翼が気を孕み、飛び立とうとする刹那に
「ウィル」
先ほどまで焦点の合わない瞳ではやてを向いていた闇の書の業の首が、声の方を向く。
そして焦点の合わない瞳のまま、ウィルは彼を見た。
いつも着ていた黒のロングコートすら形成せず、その内側に着ていたスポーツウェアのようなバリアジャケットをむき出しにして、両腕の手甲もなく素手でS2Uを握りしめ、その両目にはたしかな光を宿し、真っ向から闇の書の業を――ウィルをにらみつけるクロノの姿。
ウィルという人間の意識を表層にもってくるのに最も適した存在は、クロノを置いて他にいない。
「構えろ」
それを告げ、その場から動かずに魔法の構築を始める。
空から落ちずにいられるのは、傍らにいるリーゼアリアが足元にフロータを生み出してくれているから。
叩きつけられた挑戦状に反応したのは、闇の書の業ではなく、きっとウィリアム・カルマンなのだろう。
ウィルもまた剣を掲げる。体の内側から黒と赤の粒子が湧き出て、剣と化す。
百メートルにも及ぶ大刀。黒の混じった赤色は渇いた血の色にも見える。
クロノが掲げたS2Uの前方に、数百本の魔力刃が構築される。
スティンガーブレイド・エクスキューションシフト――プログラムによって無慈悲に作り出された、咎人を裁く執行の刃の群れ。
今のクロノの持ちえる魔力だけでなく、破損したデュランダルに組み込まれていたカードに残されていた魔力すらも制御して生み出されたその刃の数、普段の三倍の三百本。
だが、そんな小さな刃がいくらあったところで、血塗れた大刀の一閃で砕かれるだけではないのか。
争い溢れる戦場に、まるで場違いな音が流れる。静かで、どこか心安らかになる、優しい曲。音の発生源はクロノが持つデバイス。
その曲を耳にしたリンディは耐えきれずに瞳を震わせた。
それは亡くなった夫に代わり、派閥の長として皆を率いなければならなくなったリンディが、一緒にいてあげられない我が子へ――子守歌さえ歌ってあげられない我が子へと贈った一振りのデバイス。
S2U――きみに贈る歌(Song to You)という名を冠するデバイスに込められた、母の思い。
曲が干渉し、魔法プログラムが変化する。詠唱魔法は、声という新たなパラメータを用いて複雑なプログラムを練り上げる。そしてクロノは発声ではなく曲をもって、詠唱魔法を構築する。
音の連なりに合わせて、無数の魔力刃が一つに重なり始める。いくつもの音の連なりが一つの曲を作り出すように。大勢の思いが集って一人の人間を育て上げるように。
無数の魔力刃が重なり合って、巨大な一つの刃が現れる。長さが百メートルにも及ぶ巨大な魔力刃。クロノですら、詠唱なしでは維持できないほどの巨大な刃。
それはもはや、咎人を裁く無慈悲な刃の群れではない。
憎悪と肉体を切り離さんとする、救済の巨刃。
「スティンガーブレイド――――サルベーションシフト!!」
青と赤の刃が激突し、互いを食い合うようにせめぎ合い、そして同時に砕けた。
結果は互角。
けれどウィルは砕けた刃を捨ておいて、再び昏赤の大刀を生み出す。
一方のクロノにとっては魔力を振り絞った一撃。二度は同じものを生み出すだけの余力はない。
その時、折れた柄の部分からバインドが伸び、折れた刀身をつなぎとめる。互いに手を伸ばし合うように。
ウィルがもう一度生み出した刃を振るうよりも、手を伸ばし合って再び一つになった刃が振るわれる方が速く。
青い巨刃がウィルの纏う魔力を切り裂いた。
役目を果たしたとばかりに砕けて消えていく自分の魔力刃を見ながら、クロノは大きくため息をついた。その足元でリーゼアリアが褒めるようにじゃれつく。
「最後まで待機しておいて正解だったな」
「お手柄よクロノ」
ダメ押しの一撃を受けたウィルは意識を失い、クラールヴィントをはじめとする多種多様なバインドで拘束されている。
ただし、闇の書の業の全てをこの攻撃で祓えたわけではない。全体量としては二割か三割を削った程度でしかなく、これまでの攻防で削れた分をまとめてもまだ半分以上は残っていると思われる。
この一連の攻撃はウィルの肉体を操るために表層に出てきていた魔力を飛ばしたにすぎない。
うかうかとしていると、内部に巣くう残りの闇の書の業の魔力が再びウィルの肉体へと行き渡り、ウィルは再び闇の書の業としての活動を再開する。
問題を根本から解決しなければ意味はない。
「行くぞ」
「ああ」
クロノの背後にリインフォースが現れる。
ユニゾンを解かれたはやては、なのはとフェイトに支えられて宙に怖々と浮かんでいる。
クラールヴィントで肉体を拘束され、グレアムの凍結魔法で魔力の動きを緩慢にさせ、その隙にウィルの肉体へと潜り込む。そのために必要な人材は、リインフォースとクロノだ。
『Absorption』
リインフォースは隔離領域にクロノを収納すると、ウィルの肉体へと目掛け空を翔ける。
「リインフォース!」
『クロノくん!』
その背にはやてとエイミィの声が届く。
「『頑張って!!』」
そしてリインフォースとクロノは、ウィルの内面世界へと飛び込んだ。