「あのね……ずっと思ってたの。みんな事情があって、引けなくて、だからぶつかってるっていうのはわかってるつもりで……。でも、やっぱり我慢できないから、言わせて」
その声は震えていて、その身体もデバイスを握る手も小刻みに震えていて。
だけどその震えは決して怯えによるものではなく、むしろ真逆。
腹の底の五臓六腑から湧き上がる熱量を、そのかわいい頭と小さな身体で処理しきれずに噴出しているがゆえの現象。
簡潔に表現すれば――なのはがキレた。
「みんなみんな勝手ばっかり! そりゃお互い納得できなくてぶつかり合うことがあるのはわかるよ! だけどどうしてそんな極端ばかりなの! すぐに相手を殺さなきゃ駄目だとか、自分が犠牲にならなきゃ駄目だとか! どうしてもっと時間をかけた方法を話し合おうとしないの!」
「話し合ってどうにかなる領域は――」
闇の書の業が口を挟もうとするが、キレたなのはの言葉は止まらない。
「ダメかどうかはじっくりと時間をかけてお話してからにすればいいじゃない! 罰でも償いでも、まずは裁判とか受けて! えっと……どういうのがあるのかわからないけど、その結果を見てからでいいじゃない! 悪いことしたって思っているなら、それで決められたことをきちんとこなせばいいし、ちゃんと償えてないと思ったら、それが終わった時にもっと別の方法で償ってもらうようにすればいいじゃない!」
「いや……一度決まった量刑をこなした後で増やそうとされるのも困る――」
クロノが口を挟もうとするが、ボルテージの上がったなのはの勢いに飲まれる。
「なんでもいいの! とにかくみんな極端すぎるの! もう! もう!!」
怒りが臨界点を越えたのかもはや言葉にならず。顔は真っ赤で柳眉は吊り上がり。
なのはの隣にいたヴィータはぽかんと口を開けていた。至近距離であの声量をうけた耳が心配になるほどに。
フェイトはどうしていいのかわからないのか、おどおどとなのはと闇の書の業とクロノの間で視線をいったりきたりさせている。
全員、十歳の女の子の本気の怒りを叩きつけられて所在なさげで。次に発言する勇気がなくて。
「話をすれば満足なのか?」
最初に口を開いた闇の書の業の胆力はさすがの一言。
ただし闇の書の業の視線はなのはでもヴォルケンリッターでもなく、クロノに向けられる。
「殺す以外に方法がある……と。ちょうど聞きたいこともあるから良い機会だ。なぁクロノ、お前は死以外に妥当な裁きがあると思うか? お前だって俺と同じ経験をしているんだ。殺したいとは思わないのか?」
それは闇の書の業が目覚める前に、ウィルがした質問と同種。
なぜ被害を受けた側がやり返そうとしないのか。
「犯した罪は法によって裁かれるべきだ。僕個人の裁量でするものじゃない」
「誰がやったって同じことだ。奴らのせいでどれだけのものが、どれだけの俺たちが無念のうちに死んでいったと思っている」
「彼らだって強いられていた面はある。それをただ悪だと断じて殺すのか?」
「事情は誰にだってある。それでも罪を犯したのなら、罰をもって裁かれるべきだ」
「違う! 裁きは償いと共にあるものだ!」
クロノも彼らのことを許せるわけではない。悪いのは闇の書だけでヴォルケンリッターには一分の否もないと思えるわけがない。
それでも先ほどの彼らの姿と言葉はクロノの心を揺さぶった。
「きみたちはさっきの彼らの言葉に何一つ感じなかったのか!? 彼らはもうただのプログラムじゃない! 闇の書に関係ない僕たちを逃がすため、きみたちが使っているウィルを助けるために、自分の命を投げ出そうとしたんだ! 今の彼らには他人を思いやる気持ちがある! それがあれば罪を償うことだってできるはずだ!」
クロノの主張を受けて、しかし闇の書の業は何も感じるところがない様子。それどころか薄っすらと笑みを浮かべる。
「どうやって? こいつらがやってきたことにふさわしい償いなんてあるのか? なによりも、そいつらに本当に償うつもりなんてあるのか? 数え切れないほどの罪を重ねて、ようやくその因果から解放されたのに、死のうとしているのは管制人格一人だけ。残りの奴らはここに至るまでそのまま生きながらえるつもりだったじゃないか。こんな奴らが本当に命の重さを理解して改心したと思えるのか?」
闇の書の業はヴォルケンリッターに顔を向ける。
クロノに対してとは一転し、憎悪に燃える灼熱と愚者を憐れむ絶対零度を兼ね備えた瞳で、彼らを責める。
「のうのうと生きるお前らを見る被害者の気持ちを考えたことがあるか? 頑張ればどうせみんな許してくれると思っていたか? ああ、大多数はお前らのことを許してくれるに違いない。許すことが倫理的に正しいのだと思い。法に反した私刑で自分の人生を棒に振ることができなくて。お前たちに罰を与えるほどの力を持たなくて。お前たちが生きているだけで、お前たちが幸せそうにしているのを見るだけで、苦しむ者がこの世にはいるんだよ。どうしてお前たちが生きているのに、自分の大切な人は生きていないんだ。どうしてお前たちは笑っているのに、自分の大切な人はもう笑えないんだって。そして悩むんだ。許すことが正しい道だと思いながらも、抑えられない怒りにその身を焼かれ。理性と感情の板挟みの中で、許せない自分がおかしいのではないかと悩んで。苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて――その心の底がどうなっているのか、本当に思いを馳せ、寄り添えることができたのなら、生き続けるなんて選択肢は生まれなかったはずだ」
語る口調には、途中から奇妙な優しさが含まれていた。
殺された、奪われたという直接的な憎悪とはまた違う。まるで、そのように感じる誰かを気遣っているような。その誰かの代わりに義憤に燃えるような。
「それなのにお前たちは……主を守るため、主が望んでいるから、死では何も解決しないから。だからこれからは償いながら生きて行きます――そんなおためごかしで取り繕い、いざ死が不可避になってようやく仕方がないと悟ったような、受け入れたようなふりをする。飽きれ果てた性根だ。だから俺たちもまたここにいる。いまだに罪から目を背け、白昼夢を見るものを本来いるべき闇の底へと連れ戻すために」
一転して、語る言葉には深い絶望が込められていた。
闇の書の業は自分たち以外の心を信じていない。行動で示されぬモノに何の期待も抱いていない。
彼らは救われなかった。闇の書という絶望に未来を奪われて、次の誰かが解決してくれるかもしれないと淡い期待を、闇の書に加わる犠牲者の命で塗りつぶされてきた。
「今からお前たちを殺す。これから無限に殺し続ける。安心しろ。死は苦痛であると同時に救済でもある。無限の死に勝る罰はない。もしお前たちが真実過去の所業を悔いているなら、これから無限の苦痛と引き換えに、心は安寧を得られる。罪も償いも考えなくて良い。俺たちが全ての罰を与えてやる。だから、安心して、奪われて、苦しみ続けろ」
だとしても、クロノは放たれる彼らの言葉に、どうしようもなく怒りが湧いた。
「僕の友人の口を使って、勝手なことばかりを言うな」
「違う。これは俺たちの遺志であり、ウィリアム・カルマンの意思でもある。彼自身が心の内に抑圧していた絶望だ。友達なのに知らなかったのか? クロノ・ハラオウン」
友がその意思を抱いていたことを否定するつもりはない。彼が闇の書への憎悪を募らせていたことは知っていたし、クロノ自身そんな彼の危うさがずっと気になっていた。
ただ、自分の友人はたしかに闇の書やヴォルケンリッターへと恨みを抱いていて、憎しみを押さえられなかったかもしれないが、それでも優しさも持っていた。
人をからかって、騙して、屁理屈で言い繕って。だけどずっと思い悩んでいた。
なのはは怒るだろうが、自分の本音を口にすることで誰かを不安にさせ、傷つけるかもしれないと思って、似たような過去を持ち辛さと思いを共有できるクロノにすら、滅多にこぼそうとしない男だった。
こんな風に、誰かを傷つけるためにその思いを口にするような男ではなかった。
そんな自分以上に不器用なところが、クロノは好きだった。
「それが事実だとしても――お前たちの言い分には納得できない。これ以上誰かを不幸にするな! お前がつらい目にあったからって、誰かを不幸にして良い権利なんてないんだ!」
「なら、やられた側は膝を抱えて座り込んでいろと? たとえ十分な罰が与えられなくとも黙って見ていろと言うのか?」
闇の書の業がせせら笑う。
そんなはずはないとクロノ自身わかっているだろう? と言外に語っている。
その瞬間、クロノもまたキレた。口から出た言葉は説得のための理屈を超えた、彼の心の底だった。
「ああ、そうだ」
闇の書の業が初めて、不快気に眉をひそめた。
吐く言葉は理論をかなぐり捨てた、クロノ自身の本音だ。誰にも言わないように、自分自身でも気づかないようにしていた、心の声。
「なぜやり返そうとしないかと訊いたな! その答えはシンプルだ! 世界はそういうものなんだ! こんなはずじゃなかったことばかりなんだ! 非がなくても、理由がなくても、奪われる時は奪われるんだ! 理不尽に、無意味に!」
迸るクロノの言葉にも強い諦観と絶望があった。
クロノだって恨んでいないわけではない。憎しみが消えたわけでもない。
同時に、クロノはすでに過去を諦めている。世界はどうしたって不公平にできていて、理由なく不幸が襲いかかる。何一つ悪いことをしなかった父が死んでしまったように。そのせいで平和を求めたグレアムが過った道に進んだように。
この世界は、納得できないことばかりの、こんなはずじゃなかったことばかりでできている。
「だからこそ未来は――自分が築いていけるものくらいは! 幸せなものにしなくちゃならないんじゃないのか!!」
闇の書の業から笑みが消え、顔が怒りに歪む。
その表情は泰然としていた彼らではなく、見覚えのある彼のもの。
「それでクロノは納得できたのか!? なら、どうすれば良い! どうやって諦めれば良い! 俺はまだ奪われた時の怒りと苦しさを覚えている! 頭がどうにかなりそうで、諦められない、おさまらない、止められないんだ! 教えてくれ! どうか、頼むから、教えてくれ! 俺はどうやって諦めれば良いんだ! どうすれば!! あきらめられるんだよ……!」
その時、気づく。
どうして抑えられるのか。
問われていたのは「なぜ」という理由ではなく、「どうすれば」という方法の話なのだと。
「そんなの、つらくたって、納得できなくたって、無理やり抑え込んで生きていくしかない」
「ふざけるな! それができないから――」
「できる! 僕にだってできた! それなら、きみにだってできるはずだ!」
それもまたクロノにとっての本音だ。自分たちは勝った負けたはあっても優劣はない。同じ過去を持ち、共に励み、たとえ負けたとしても諦めずに追いつこうとしてきた。自分だけが耐えられたのだとしたら、それは自分の方が先にできたというだけのこと。
「きみはできないからと諦めるような奴じゃ――」
「お前の強さを、俺たちに押し付けるな」
氷のように冷たく、刃のように鋭い、拒絶の声。
闇の書の業の背、黒い八翼が大きく広がって。
クロノは無意識に突き動かされるように、デバイスを展開した。
その動きを認識できた者はいたが、誰も防ぐことなどできなかった。
動こうとした瞬間には闇の書の業の姿は消失していて、気づいた時にはクロノの目の前に現れていて、昏黒の刃が深々とクロノの腹に突き刺さっていた。
そして、その刃に貫かれたクロノの腹も、その刃を握る闇の書の業の腕も、どちらも結晶で固められていた。触れれば崩れそうな儚い氷の結晶。しかし絶対に崩れることのない、元素も魔力素も動きを止める絶対零度の封印。
「弱さを……人を傷つける理由にするな」
クロノが展開したのは、氷結の槍デュランダル。
右手に握っていた使い慣れてS2Uではなく、事後処理に追われて技師に渡しそびれ、懐に入れていたままだったそれを展開した理由はわからない。もしかしたらデュランダルが自ら飛び出したのかもしれない。そう思えるほど、無意識の行動だった。
闇の書の残滓との戦いで使用したことで、内部に蓄積されていたカードには魔力がほとんど残っていない。けれどデバイスに刻まれた凍結封印の魔法式は残っている。師に支えられて唱えた魔力の扱い方も体が覚えている。
今この瞬間に、自分を中心とした半径五メートルに疑似的な凍結封印を展開するくらいはできる。
闇の書の業は刃を引こうとするが、びくともしない。すでに凍結は手を越えて右肘の先まで及んでいる。
「俺たちごと凍るつもりか! 馬鹿な……それで死ぬのはお前だけだ! こんな不完全な凍結魔法では――」
わかっている。
デュランダルはもとより一度きりの凍結封印のために使われたデバイス。
使い手のクロノは実戦の最中に一度教えられただけの不十分な使い手。
そんな凍結魔法では、これだけ強大な魔力を内包した相手なら一日足りとて封印は持たないかもしれない。
だからこそ、これでいい。
クロノは微笑んでみせた。
「無駄じゃない。その間に増援が期待できる。それにウィルを助ける方法も見つかるかもしれない」
万全のデュランダルの凍結封印なら、闇の書の業ですら抗えず、融合しているウィルをも殺してしまうだろう。
けれど、先ほどリインフォースが言っていた。闇の書の業は疑似的な融合騎であっても、リインフォースのように個としての肉体を持つわけではない。器となる肉体がなければ存在を保てないはずだと。
ならば、完全に封印できずにいずれ内側から解かれる程度の封印なら、それまでの間は闇の書の業が宿主であるウィルの肉体を死から守ってくれるはずだ。
我が身の犠牲を許容する覚悟か。それとも友を助けようとする意志にか。闇の書の業が愕然と目を見開く。
急速に低下する体温が身体の動きを鈍化させ、視界も思考も白に染まっていく。雪のような、氷のような、何もない空白に。
誰かが何かを叫んでいる。闇の書の業か。それともなのはあたりか。
(ごめん、なのは。あんなに怒られたのに、結局僕まで自己犠牲だ)
消えゆく思考で最後に家族の顔を思い浮かべようとする。
(ごめんなさい、父さん。せっかくつないでくれた命をここで途絶えさせてしまって。ごめんなさい、母さん。また家族を失う悲しみを味わわせてしまって……それから、ごめん、エイミィ)
凍結封印が完成する直前、ひときわ甲高い音をたててデュランダルにひびが入り、動きを止めた。
デュランダルはもとより一度きり、闇の書という規格外の存在を確実に凍結封印するために使われるデバイス。短期間に二度の負荷に耐えられるようにはできていなかった。
魔法の構築がほどけ、行き場のない魔力が周囲を揺らし、二人を覆いかけていた氷は砕けて消える。
低下した意識の中、凍り付いた唇で言葉を発そうとして、けれど舌も唇もまわらない。
闇の書の業が発生させていた昏黒の魔力刃が消滅すると、二人を繋ぎ止めていたものがなくなり、意識を失ったクロノの身体は宙へと投げ出され。
重力に引かれ、空中に血でわずかに赤い軌跡を描きながら、地上へと落下していった。
闇の書の業はそれを呆然と見ていた。
「クロノ!!」
フェイトが落下するクロノを助けるためにその場から飛び出し、一拍遅れてからシャマルもまた腹を貫かれたクロノを救おうと急降下する。
闇の書の業は妨害する気配もなく、しばらくの間まるで意識ここにあらずといった有様をしていたが、やがて顔を上げると、一切の表情が消えた顔で残りの面子に向かい合う。
「……もう、いい。邪魔をするなら全員殺す。……いいや、死じゃない。ヴォルケンリッターだけじゃない。邪魔をする者も全て取り込んで連れていこう。ヴォルケンリッターのように死なせ続けたりはしない。みんな俺の内で永遠に幸福な夢を見続ければ良い」
何か、決定的な枷が外れようとしている。
これまではヴォルケンリッターにのみ向けられていた殺意が、指向性のあった殺意が拡散する。
溢れ出る殺意は結界という空の器を満たすように空間に注がれる。ただの意志に質量なんてないはずなのに、あまりに密度の高いそれは、その場に居合わせる者の五感を変質させる。
ただの空気がまるで粥全身に重苦しくまとわりつき、息一つ吸うだけにも全霊をかけなければならない。
ヴォルケンリッターですら不可避の死を感じるその中で、一人だけがデバイスを構えて、闇の書の業と対峙する。一文字に結んだ口元には強い決意。纏う魔力は清浄さを持って。不屈の精神を体現した少女が立ち向かう。
実力差は明白。七人がかりですらあしらわれたのに。三人減ったこの状況で敵うはずがない。その力の差が理解できないほど未熟でも愚かでもないのは、絶対の殺意を受けて恐怖に濁る瞳を見れば明らか。
けれど彼女は双眸に怯えを宿しながらも、眉尻を下げないように眉間に力を入れて、視線は粥のような大気を清冽に裂いて、闇の書の業を射貫く。
採算も勝率も度外視し、ただそうあるべきという想念だけで、高町なのはという少女は遥か高みにいる相手に挑むことができる。
「わたしも、諦めないから」
高らかな宣言に呼応するかのように、結界が粉々に砕けた。
結界の消失にともない、白く染まっていた周囲の光景は、再び夜の黒と雪の白のモノクロームに包まれる。
結界の内側にいた者は何もしていない。何かするような予兆があれば闇の書の業が即座に止めていただろう。
だから原因があるとすれば、それは結界の外側にある。
「駄目だ……もう魔力一滴も出てこねえ」
「かたすぎんだろこの結界……」
「すみませんが、あとはお願いします……」
地上に大人たちが転がっていた。二十人はいるだろうか。その大半がその場に寝転がって、デバイスを握るほどの力もないほどに消耗している。
アースラ付きの武装隊の隊員たちがそこにいた。
一日の間に回復した少量の魔力を使い果たして、もはやバリアジャケットすら纏っていない。その場に膝をつく者、雪原に大の字で寝転がっている者、肩を貸し合って立っている者、すでに意識を失っている者もいるほどで。
その中心に立ち、疲れて伏せる武装隊へと労わりの言葉をかける女、一人。
「お疲れ様。後は私たちに任せて」
翠の髪をひとくくりにしたその女は、このような前線にいるはずのない将官服を着用している。
彼女は地に伏せる武装隊から視線を外すと、上空のなのはたちへの視線を移す。
「それから、待たせてごめんなさい」
「リンディさん!?」
アースラ艦長リンディ・ハラオウン。
アースラの指揮を執る艦長直々に戦場へと足を運ぶなど考えられないことだが、その姿はまぎれもない実体。
続けて、世界が再び色を変える。
ただし、闇の書の業が張った時のような白に染まる異形の結界ではなく、色彩の明度と彩度を落としたような、ミッド式のお手本のような結界。
「ごめんなのは! 遅れた!」
そういうと、膝をついていた者が――いや、膝立ちになって大地に描かれた魔法陣に手をつけ、自身が出来得る限りの精緻で強大な結界魔法を発動させた少年が、顔を上げる。
「ユーノ君!」
なのはにとってはもはや見慣れた顔。最も信頼できるパートナー。ユーノ・スクライア。
闇の書の業の周囲に浮かびあがった三十の黒球が、ユーノをめがけて襲い掛かる。
同時にリンディの周囲にも翠の誘導弾が構築され、迎撃に向かう。
黒と翠が衝突し相殺し合うが、撃ち漏れてユーノの元に迫る黒球が五つ。
それを陽光にも似た橙の影が打ち払う。
「どおりゃあっ!!」
豪腕一閃。防ぐなんてまどろっこしい真似はしない。黒球そのものを殴りつけ、衝撃で魔力構成そのものを崩して消滅させる。
動くたびに長髪をたなびかせ、まるで橙色の風。歯をむき出しにして笑う様は野生の荒々しさ。
今のアルフは、主以外の盾となることを厭わない。
そして、闇の書の業がリンディたちに意識を取られている間隙を抜いて、菫色の流星が奔る。
それはリインフォースの前で静止すると、宝物のように大切に腕に抱えていた少女をそっとさしだした。
「ごめんな、いっつもお寝坊さんで」
リインフォースへと渡された少女がはにかむ。
ゆったりとした寝間着のままで、茶色の髪も乱れていて、本当に慌てて来たとわかるその少女は、戦場にそぐわない優しい笑みを浮かべている。
そして、はやてを連れてきた女性は愛剣レヴァンティンを鞘から抜き放つと、闇の書の業に向き直る。
「すまない、遅くなった」
守るべき仲間には威風堂々とした背を見せつけて。ヴォルケンリッターの将。剣の騎士シグナムの髪が、風にゆられて深紅の戦旗のごとくたなびいた。
「事情はよくわからんのやけど、ウィルさんを連れ戻せばいいんやろ? みんな、力を貸して」
五人のヴォルケンリッターを従えて、夜天の書の主、八神はやてが声をあげた。