闇の書の業が両手を広げると、頭を押さえつけるように上空から降り注いでいた圧力が消失する。
即座、各々が身体の自由を取り戻し行動に移り始めたが、それを嘲笑うかのように、次は下方から間欠泉めいて噴出する圧力。
それは小屋の屋根をいともたやすく吹き飛ばし、中にいたクロノたちや転送ポートを構築する機材を天高く舞い上げる。
クロノは飛行魔法の慣性制御とバリアジャケットの耐衝撃へのリソースを増加させ、姿勢を制御し宙にとどまろうとするが勢いは止まらず、停止したのは上空百メートルほどに到達してようやく。
何かに殴り飛ばされたわけではない。まるでその場にあったもの全てが空に向かって落ちていったかのよう。さらに慣性制御によりその場に留まろうとしても、途中まで効果がなかったのも理解できない。
いや、今はそれよりも。闇の書の業がウィルの体と技を使うのであれば、なによりも警戒しなければならないのはその速度だ。空に巻き上げられてから静止するまでの三秒。それだけの間、音速を超える高機動型の魔導師から目を離すのは致命的すぎるミスだ。
クロノの懸念に反して、闇の書の業はいまだ地上付近、吹き飛んだ小屋の跡に立っていた。
その足元に浮かび上がる奇怪な魔法陣。歪な円と不揃いな三角形から構成されるそれが光を放つと、世界が色を変えた。
雪が舞う夜闇という光景が、さらに純白に染めあげられる。風の音が消失し、耳が痛くなるほどの静寂に包まれる。闇の書の業が展開した結界に取り込まれた。
相手は追撃で一人二人に攻撃を加えるよりも、強固な結界を張って逃亡を阻止する方を選んだ。逃げられさえしなければ確実に倒せるという自信があるのだろう。
こちらもウィルを――友人を乗っ取られた以上最初から逃げるつもりはなかったが、アースラとの連絡を取れなくなったのは痛手だ。
アースラ側もずっとヴォルケンリッターを監視していたため、すでに異変には気づいているはず。ただし、アースラの武装隊は昨夜の闇の書の残滓との戦いで魔力を使い果たしているため、戦力として期待するのは難しい。
昨夜の戦いを越えてなお戦える者たちは、もとより並外れた魔力量をもっていた者のみ。奇しくもこの場にいる面々のみが最後の戦力だ。
「これから奴を拘束する! リインフォース! 奴の状態を分析できるか?」
「すでにやっている!」
アースラとの通信ができない以上、融合騎である彼女が頼りだ。
ウィルの身に何が起きているのか。どうすれば元の状態に戻せるのか。それがわからないことには対応ができない。
そして、闇の書の業は薄く笑みを浮かべて――
不可視の翼が煌いたと思った瞬間にその姿はかき消えて、次に目に飛び込んできたのは闇の書の業の拳を受け止めるザフィーラの姿。
昨日の戦いで見たウィルの動きよりもさらに速い。動きの起こりと終わりしか認識できず、接近する中途の認識が抜け落ちるほどの速度。
それに反応できたザフィーラの反射神経も常軌を逸している。
至近距離、ザフィーラが闇の書の業に掴みかかろうとするも、その腕を悠々とかいくぐり、蹴りが腹を打ち抜く。また動きの中途が抜け落ちたかのような速度の蹴り。その威力は頑強さにかけては追随を許さないザフィーラが一撃でくの字になるほど。
さらに追撃を加えんとする闇の書の業の動きを阻止するため、音速を越えたフェイトがすれ違いざまにバルディッシュで薙ぎ払おうと。
その光鎌振り切る前に闇の書の業の手がバルディッシュの柄へと伸び、一瞬だけ抑えつけられる。全速力で走っている時に足払いをかけられたようなもので、姿勢を崩されたフェイトはそのままの速度であらぬ方向へと投げ飛ばされる。
そしてフェイトとタイミングを合わせてヴィータから放たれた鎖に対しては、背後からだというのに身体を半身にして回避し、そのまま半回転しての回し蹴り。
間合いの外にあったはずのその蹴りは、なぜかヴィータが自ら闇の書の業の元へと飛び込むかのように動いたことで衝突し、とっさに身体の前で盾としたグラーフアイゼンごと蹴り飛ばされる。
蹴り飛ばした方向には、大規模な拘束魔法を準備中のシャマルの姿。
「スティンガーレイ ローカストシフト」
闇の書の業の周囲に数十の黒光が現れて、ヴィータとシャマルに向かって飛び立つ。蝗の群れが空を埋め尽くすような禍々しい唸り音とともに。
それらはシャマルの貼ったシールドに衝突しても消滅することなく、あろうことかシールドに取りついて齧り始める。
それへの対応でシャマルは詠唱中の魔法を破棄し、発生させた魔力の風で黒蝗を吹き飛ばして迎撃する。
闇の書の業を取り囲むようにケージが生じる。クロノが発動させたその拘束魔法は、一辺三メートル程度の立方体の内部に相手を閉じ込めるもので、
「ディバインバスター!」
その立方体を丸ごと飲み込む回避不可能な砲撃がなのはから放たれる。
けれど、その砲撃はウィルに当たる前に軌道が曲がって反れた。
何かの防御魔法が発動したようには見えない。まるで投げたボールが横合いから吹き付ける強風に煽られたように自然と曲がって外れた。
それから悠然と、家の中に貼られた蜘蛛の巣を払うように手を軽く振るい、自らを捕らえるケージを破壊して外に出る。
闇の書の業は六人がかりの波状攻撃をあっさりとしのいで平然としている。
ウィル自身ももはや一流の魔導師と言っても過言ではない実力を有していた。
けれどこれはあまりに異常な強さだ。暴走する管制人格のように強大な魔力であらゆる攻撃を防いでいたのとは別種の強さ。
強大な魔力を有していながら、こちらの行動の意図を見抜いて潰してくる。その動きと読みの巧みさもウィルの実力を大きく上回っている。
「リインフォース、戦っている途中で前衛の動きが遅くなったように見えたが」
今の攻防には不審な点がいくつもあった。
たしかに闇の書の業の動きは巧みであったが、同時にこちらの動きが鈍っているようにも見えた。ザフィーラも、ヴィータも、フェイトも、本来はもっと速かったはずだ。
なのに闇の書の業に攻撃を仕掛けた瞬間その動きが遅くなった。そして最後に放ったなのはの砲撃の軌道が曲がったこと。
「以前にウィリアムから蒐集した魔法式の中にこれに近いものがあった。彼の持っていた魔力変換資質を応用した、空間駆動魔法ユートピア――周囲に己の魔力を拡散させ指向性を持ったエネルギーに変換することで、空間そのものに動きを与える魔法だ。相手にではなく空間に作用するから、その影響を防護魔法で防ぐこともできない。相当に厄介な魔法だ」
リインフォースからの解答は耳を疑うようなものだ。
自分への攻撃は減衰するように。自分からの攻撃は加速するように。
そんな机上の空論めいた魔法が本当に存在するというのか。
「ウィルのあれは自分の肉体しか動かせないと言っていたぞ」
「魔力が濃く巡る己の内にしか作用しない魔法と、外に影響を与える魔法では構築の複雑さは桁違いだ。人間や普通のデバイスの演算能力なら体内が限界だろう。蒐集したその魔法式も完成度の低い不完全なものでしかなかった。ただ、ユニゾン状態にある今の彼の魔法構築能力と演算能力なら不可能ではない」
「ユニゾン……奴らもまた融合騎のような存在だと?」
「蒐集や闇の書の暴走で取り込まれた魔導師の情報が、闇の書が内包する魔力の影響を受けて、実体のない極小のプログラム体――意識体となっているのだろう。無数の意識体が折り重なることで膨大な並列処理能力を得た彼らは、一種の巨大演算装置とも言える。疑似的ではあるが融合騎と言っても過言ではない」
魔力で構成されるがゆえに実体持つ者と重なることができ、高度な自立判断能力と演算能力で主を補助できる存在。
それはたしかに融合騎の在り方に近い。
「きみと比べてどちらの方が上だ?」
「これまで蒐集した相手だけでも数千……闇の書の暴走に取り込まれた犠牲者も含めれば、意識体の数は少なく見積もっても数万ではとどまらない。その演算能力は少なくとも今の不完全な私とは比べるまでもない。……つまり私より遥かに格上だ」
その言葉を裏付けるように、闇の書の業が次の魔法を展開する。
突然身体が右へと吹き飛ばされる。上空に打ち上げられた時と同じその現象は、リインフォースの言う空間そのものを動かす魔法なのだろう。
その場に留まる慣性制御では対応できない。なら、体そのものを動かせばいいと、飛行魔法で左に飛ぶことで位置の変位を打ち消そうとする。
その瞬間、次は身体が上へと引っ張られる。対応しようとした瞬間、今度は前へ、次は後ろへ、さらに左へ、途端に下へ。
結界内は攪拌機にぶちこまれたような有様で、誰もが翻弄されてまともに動けない中で唯一不動であった闇の書の業がヴィータへと手をかざす。
「ディバイン――」
「高町の砲撃も使えんのかよ!」
黒色の砲撃が放たれた瞬間、ヴィータがの両足に魔力が竜巻のように渦巻いた。短距離高速移動魔法で、空間駆動魔法による減衰も承知で砲撃の軌道線上から強引に離脱する。
砲撃はカンマ数秒前までヴィータがいた座標を貫いて、
「――スクリーム」
伸びた砲撃が空中で固定化された。砲撃を固めたあまりに長大な魔力刃。
魔力刃は自由自在に長さを変えることはできるが、伸ばせば伸ばすほど刃の形状を維持するのが困難になる。
熟練の魔導師ならば十メートルを超えて伸ばすこともできる。カートリッジの助力を得たフェイトのプラズマザンバーなら一振りの間だけなら五十メートルにも届く。けれど今目の前にあるそれはゆうに百メートルに達する巨大さだ。
闇の書の業が手を振るい、回避したヴィータの背へと昏黒の巨刃が迫る。
直前、ザフィーラの咆哮が轟き、巨大な白色の杭が次々と発生して巨刃を抑え込む。
「悪いっ! 助かった!」
ヴィータの声にザフィーラは答えず。険しい表情のまま闇の書の業から視線を外さない。
闇の書の業は動かせなくなった魔力刃を消すと、両手を広げた。そして先ほど同様の魔力刃が生成される。今度は両手に一本ずつの二刀流。
脅威を二倍に増やした昏黒の魔力刃が再び振るわれる。
「くそっ!!」
ヴィータはグラーフアイゼンをギガントフォルムへと変え、迎え撃った。
「何か解決策はないか!?」
クロノも魔力刃に狙われ続けるヴィータたちを援護するように動きながら、リインフォースに問いかける。
彼我の戦力差は圧倒的。こうしてリインフォースと会話していられるのすら、闇の書の業の動きにある特徴を発見したからに他ならない。
「ユニゾン時の融合騎は、魔力で構成された情報体だ。純粋な魔力ダメージなら融合騎にのみダメージを与えることができる。魔力を削りきれれば、彼を解放することもできるが……」
「それなら――」
「だが、奴が保有する魔力量は莫大だ。夜天の書がない以上、暴走した時の私のように瞬間的な魔力結合ができるわけではないから、いずれは枯渇するはずだが……それでもここにいる者たちだけで削りきれるほど瑣末でもない」
闇の書の管制人格は六六六の頁に相当する魔力をもって、魔力素の取り込みと結合を極めて短時間で行う半永久機関を実現していた。
これは夜天の書の機能であり、闇の書の業は異なる。
これまで何度も蒐集を繰り返して集められた六六六頁に相当する魔力。暴走した闇の書との戦いで死して闇の書に取り込まれた魔力。
転生機能が発動されるたびに抹消されるはずのそれらの残り滓は、闇の書の業を構成する犠牲者の人格情報と結びいて残り、その累積は膨大な量の魔力と化した。頁に換算すれば数千か、それとも万か。それほどの量の魔力。
闇の書の管制人格は規格外の回復力で、闇の書の業は規格外の体力を有しているようなもの。
魔力を削るには魔力を当てる必要がある。
十の魔力を削るには十の魔力を当てなければならない、というほど単純ではなく、攻撃を受けた側が削られる魔力の方が多く、受けた魔力や魔法の性質にも左右されるのだが。
それでも、覆し得る限界というのはある。たとえこの場にいる者の魔力全てを足したとしても、リインフォースの見立てた闇の書の業の魔力全てを削るには桁が足りない。
絶望的な戦力差だと思えた暴走状態の管制人格。奴も恐るべき脅威だったが、本来の管制人格たるリインフォースの姿を借りているだけの暴走体であった奴は、戦い方が洗練されていなかった。
大規模な魔法を次々と唱えてくる砲台に等しく、その何分の一かの魔法でも直撃すれば並みの魔導師は吹き飛んで消えるというのに、不必要なほどの大規模魔法を唱える戦い方には隙も大きく、つけいる隙もあった。
だが、目の前にいる敵は違う。魔力だけではなく戦闘経験や技術すらも積み重ねた規格外の存在。
「一度に大量の魔力を失わせて、リンカーコアへの負荷で意識を喪失させるというのはどうだ?」
思考を回す。全ての魔力を削らなければ倒せないわけではない。もしそうなら、クロノですらなのはやフェイトを非殺傷設定では倒せないことになる。
だが、実際にはある程度の魔力を削られれば魔導師は意識を喪失する。短時間で急激に削れば、それだけ意識も落ちやすくなる。
「主の意識が落ちても融合騎は動き続ける。まして今の奴は融合騎側が主導権を握る融合事故に近い状態だ」
「くそっ……厄介にすぎるな、融合騎は。……なにか、なにか方法は……」
しばらく間をおいてから、リインフォースが口にした案は。
「一番速いのは器を破壊することだ。彼らは融合騎と似たような性質をもっているが、守護騎士機能によって肉体を持つ私とは異なる形のない存在だ。宿る器がなければこちらに干渉できない可能性は高い」
「ウィルを殺せ、と……本気で言っているのか?」
「最も可能性の高い方法というだけだ。……たとえ誰が賛同したとしても、私はその手段をとるつもりはない。そうするくらいならいっそ……いや……」
リインフォースにそのつもりがなかったことに安堵する。もしもその案を本気で唱えられたら、戦いの最中でありながらクロノとヴォルケンリッターの間に拭い切れない不信が生まれていただろう。
一応、その解決策について全員に念話で伝えたところ、案の定全会一致の否。
「他に方法はないのか?」
問われたリインフォースは黙して答えず。
ない、とも言わないその態度に違和感を覚える。それに先程何かを口にしようとして言い淀んでもいた。
「あるんだな? どんな案でも良い。このまま打つ手がないよりはマシだ」
クロノも手詰まりの状況に焦っていた。
少し考えを巡らせれば、やるつもりはないにしてもウィルを死なせるという案を口には出したリインフォースが、口にすることすらはばかる案がどのようなものか想像がついたはずだ。
「ま、こうなったらあれしかねーな」
魔力刃との追いかけっこをしていたヴィータはそう言うと、再度カートリッジをロード。ギガントフォルムへと変形したグラーフアイゼンと闇の書の業の巨大魔力刃が激突して相殺。
闇の書の業はまるで気にもとめず新たな魔力刃を生み出そうとするが、
「やめだ」
ヴィータは突然手に持っていたグラーフアイゼンを待機状態に戻した。
平然と戦っていた闇の書の業が、初めて怪訝そうに眉をしかめた。
「和平の使者なら槍は持たない。お前らもベルカ人の記憶があるなら知ってんだろ?」
「小咄のオチだろ、あれは」
即座に返すあたり、闇の書の業に過去の人間の記憶があるのは事実のようで。
闇の書の業はそのまま動きを止めると、伺うようにこちらを見ながら挑発的に笑う。
「和平ね……見逃してくださいと?」
突然争う様子をなくしたのはヴィータだけではなく、シャマルもまた先ほどまで断続的に発動し続けていた魔法を全て止めて、闇の書の業に向き直る。
「あなたの目的は私たちを殺すこと。そうでしょう? それならこの場にいる他の人たちまで巻き込む必要はないはずよね。現にあなたはこれまで私たちヴォルケンリッター以外の、クロノさん、なのはちゃん、フェイトちゃんには避けたり吹き飛ばすだけで、攻撃を当てようとしていなかった。だったら――」
わずかに言い淀むシャマルの言葉を引き継いで、ザフィーラが宣言する。
「我らの命が欲しいのなら持っていけ」
闇の書の業の嘲笑が止まる。
クロノはその発言の意味を理解して、隙を見せることになるというのも忘れて振り返り、リインフォースを見た。
リインフォースは悔しげに顔を歪ませつつも何も答えない。仲間が自ら命を差し出そうとしているのに、何も。
それを見てクロノもようやく気が付く。これがリインフォースが口にしたくなかった別の手段。
先ほどのウィルを殺す案とは違って、この手段は犠牲になる当人らがそれを受け入れるとわかっていた。だからリインフォースは口にしたくなかったのだ。気付いてほしくなかった。仲間に死んでほしくなかったから。
けれど、ヴォルケンリッターもまた同時にその結論に到達していた。
「その代わり、私たち以外の子らを帰らせてあげて。そして私たちを殺した後は、その体を返してあげて。消耗した身体でそんなに大きな魔法を何度も使って、大丈夫なはずがないわ。お願い、その子とはやてちゃんは闇の書の……私たちが犯した罪とは関係ないわ」
クロノ、なのは、フェイトを逃がすため、そしてウィルを助けるため、彼らは自らの命を差し出そうとしている。人の命を奪ってきたヴォルケンリッターがだ。
クロノは先ほどまでヴォルケンリッターのことを信用はしていなかった。
昨日共闘したのも、同じ敵を前にしたがゆえのその場しのぎにすぎないのではないかと疑っていた。
たしかになのはを始めとして八神はやてと交流のあった人たちからは、同居人たる彼らがいかに良い人なのか様々な証言を得ていた。
そんなものは日常生活に紛れるための擬態のようなものではないと、どうして言い切れるだろう。過去に大勢を犠牲にしてきた奴らが、プログラムで構成されたシステムが、急に善性に目覚めただなんて、どうして信じられるだろう。
その彼らが今まさに、主たる八神はやてのためでなく、同胞たるヴォルケンリッターのためでもなく、第三者のために命を捨てようとしている。
その事実に胸が締め付けられるように痛む。
「ダメだよそんなのっ!」
なのはが敵前だということも忘れ、悲痛な叫び声をあげてヴィータの元へと飛びついて詰め寄る。
ヴィータは寂しげに笑うと、なのはの額を指で弾く。
「いいんだよ。もともとリインフォースだけを逝かせる時点で釈然としないもんはあったんだ。一番苦しんできたあいつだけが消滅して、あたしたちが残ってていのかって」
「我らはみな主と共に生きられるという誘惑に抗えなかった」
「ちょっと夢を見てしまったのよ。もしかしたら新しい生き方があるのかもって……」
三人は憂愁をたたえた瞳で生への未練とその末の諦めをつぶやいた。
リインフォースはその瞳に涙を浮かべる。
「そんなこと……気にする必要はない。私は消えても、主と騎士たちが幸せな未来があればそれだけで十分に幸福で……」
「ごめんな」
押しとどめようとする声を袖にして、ヴィータは闇の書の業に向き直り、ヴォルケンリッターを代表して宣言する。
「夜天の書もヴォルケンリッターも消える。あんたらも悲願を果たして消える。それで終わりにしよう」
その姿に、クロノは亡き父の背を見た気がした。
母や自分のいる世界を守るために、自ら犠牲になった父クライド。
そして、他に打つ手もなく犠牲を見ているしかない自分は師グレアムと同じ立場で。
――ああ、これがグレアム提督の絶望か。
「……そんなのはダメだ」
「そう、ダメだ」
クロノのつぶやきにかぶせるように、声。
ウィルの――闇の書の業の声。
苦渋に顔を歪めてしぼりだすように声を発したクロノとは違い、闇の書の業はその顔に笑みを浮かべてヴォルケンリッターの提案をあっさりと切って捨てた。
続けて、ぐはあ、と吐き出した息を皮切りに、決壊したかのように笑う、笑う、笑う。ヴォルケンリッターの決意を踏みつけ嘲笑う。そして憐れむようにヴォルケンリッターを見下す。
「思い違いをしているようだ。お前たちを殺す――それは確かに俺たちの願いだ。けれどそれだけじゃない。その程度で満足はできない。俺たちの願いは闇の書に関わるもの全ての消滅と裁きだ。そのためにまずはヴォルケンリッターを殺し、夜天の書を手に入れる。俺たちのための防衛プログラムを創り出し、永遠結晶を手中に収め、二つの天を塗りつぶす真の闇の書となる。そして永劫に転生を繰り返し、お前たち夜天の眷属とこそこそ隠れている紫天の構築体どもに無際限の死を与えよう」
笑みの中にはおぞましいほどの憤怒の塊があった。
吐く言の葉の一つ一つに乗せられた憎悪は、聞く者の心までをも焼かんばかり。放出する殺意はヴォルケンリッターに向けられているはずなのに、そばにいるクロノですら死神の鎌を首元にかけられていると錯覚するほどに濃密。
「命を差し出せばそれで終わりだと思ったか? 一度の死で全てが帳消しになると思ったか? たった一度殺す程度で満足するものかよ。
知ってるか? 復讐という料理は冷めれば冷めるほどうまいそうだ。お前たちは永遠の中でこれからずっと俺たちのために冷めていくんだ」
反論しなければと、否定して、彼らを殺させないと言わなければ。
そうしてクロノが全霊を込めて金縛りの如き殺意を破らんと力を入れようとした時に、
「馬鹿なことばかり言わないでっ!」
これまでの誰よりも、先ほどの闇の書の業の笑い声よりも、さらなる大音声が響き渡る。
高町なのはが、声をあげた。