フェイトが意識を取り戻したのは、本局メディカルルームの治療室だった。
ぼんやりとした意識のまま顔を横に向けると、壁際の椅子に座っていた医務官と目が合う。彼はフェイトのそばに歩み寄ると、病人をいたわるような優しい声色で呼びかけてきた。たどたどしい言葉で返答を重ねていくうちに、霞がかかったようにあやふやだった意識と記憶が明朗になっていく。
意識を取り戻したフェイトは、ここは本局メディカルルームの治療室で、フェイトの怪我の具合や、フェイトの治療は終わったがアルフはまだ治療に時間がかかることなど、医務官から簡単な説明を受けた。
説明が終わると、フェイトは治療室から個室に移された。ベッドの他には机と椅子しかない簡素な病室だ。
移ってすぐ、今度はまた別の局員がやって来た。闇の書事件の捜査員の一人で、フェイトにも見覚えがある人だ。
昨夜のヴォルケンリッターとの戦闘では武装隊や捜査官に多くの怪我人が出ており、フェイトやアルフのように重傷と判断された者たちは治療のために本局に移送された。軽傷の者は待機していた医療班の応急処置を受けて、逃亡したヴォルケンリッターの捜索を続けている――と、フェイトが気を失ってからの顛末を教えてくれた。
そして、嘱託のフェイトに怪我をさせてしまったことを詫びると、心配しなくていいからゆっくり体を休めるようにと言い残して病室を去って行った。
捜査員と入れ替わるようにして、再び先ほどの医務官がやって来た。
なんでも、フェイトたちが本局に運ばれてきた時に一緒についてきた子がいて、その子は今もフェイトを心配してメディカルルームのラウンジで待っているらしい。
フェイトは意識を回復したばかりで、なるべく休息をとる必要がある。だから会わなくてもいい――と、医務官が言い終わるよりも、その子に会いたいとフェイトが言う方が早かった。
フェイトがベッドから上半身を起こして待っていると、病室の扉が開いて少女が病室に入って来た。予想していた通りの人物。フェイトにとっての数少ない、そして初めての友達――高町なのは。
なのはは起きているフェイトの姿を見て安堵し、それから患者衣の隙間から見える包帯を目に止め、表情を曇らせた。
「体、大丈夫なの?」
なのはの声は不安に揺れていた。安心させようと、フェイトはできるだけ元気に答える。
「私は平気。怪我はたいしたことないし、リンカーコアも何日かしたら元に戻るらしいから。アルフの怪我はもう少し重いみたいだけど、魔力が結構残っているから完治するのは私より早いかもしれないって」
使い魔はただでさえ人間よりも頑丈なうえに、高い自己回復能力を持っている。十分な魔力さえあれば、欠損でもしない限りほとんどの怪我は自然に治るようになっている。
重傷を負ったとはいえ、魔力を消耗していない序盤のうちに物理的な攻撃によって気を失ったのは、ある意味では幸運であったとも言える。
「ところで、医務官の人から聞いたよ。私たちを心配してずっと待っていてくれたんだって」
心配をかけて申し訳ないと思う気持ちと、心配してくれて嬉しいと思う気持ちがあふれる。相手のことを本気で心配して気にかけられるなのはの優しさが、フェイトに家族以外の他者を意識させるきっかけとなり、友達という言葉に実感を与えてくれた。
背筋を伸ばし、姿勢を正す。その様子を不思議そうに眺めるなのはに、頭を下げる。
「ありがとう」
フェイトは短い言葉を精一杯の感謝の気持ちを込めて発し、なのはは少し照れくさそうに笑った。
二人の会話は自然と闇の書事件のことになった。
「フェイトちゃんは、はやてちゃんが闇の書の主だっていつ知ったの?」
「私が教えられたのは昨日の朝の会議だった。なのはは?」
「私は昨日のお昼に、ユーノ君と一緒にグレアムさんに教えてもらったの」
なのはの表情には陰りがあった。
闇の書の騎士、ヴォルケンリッター。彼らは複数の次元世界で魔導師を襲い、その魔力を蒐集している。そんな彼らに命令を下している元凶とも言える存在――闇の書の主が、よりによって友達である八神はやてだったのだから無理もない。
「本当にはやてちゃんが命令してるのかな?」
「みんなそう思ってるみたい。でも、会議で説明を受けた時には、そうじゃない場合も考えられるとも言われたよ」
「そうなの?」
「うん。ヴォルケンリッターに歪んだ知識を教えられていたり、本当の闇の書の主が別にいて、カモフラージュのためにヴォルケンリッターにはやてと同居するように命令しているってことも考えられるから」
フェイトとはやてはそれほど仲が良いわけではない。二人が会ったのはPT事件でなのはと協力してジュエルシードを集めていたほんの数日の間。しかもなのはやアルフ、ウィルを交えて少し話をしただけだ。
そんな程度の付き合いだが、当時まだ人と話すのになれていなかったフェイトを気づかって積極的に話しかけてくれたりと、はやてが優しい子であることはフェイトにもわかった。なのはといい、地球には優しい人ばかりが住んでいるのかと思ったほどだ。
だから、はやてが闇の書の主でなければ良いと思っている。ただ、だからといってはやてが無実だと確信しているわけでもない。
「はやてちゃんと一緒に暮らしてた人たちが、ヴォルケンリッターじゃないってことはないのかな?」
「それは……さすがにないと思う」
はやてと同居している三人と一匹は、かつて出現したヴォルケンリッターと同じ容貌をしており、一昨日には他世界で蒐集をおこなったヴォルケンリッターが八神家に帰還しているところも確認されている。
「そっか。……そうだよね」
その時、フェイトはようやくなのはが顔を曇らせている理由に気が付いた。
なのはとはやては友達なのだから、フェイトがいなくなった後もはやてとの交流は当然ある。はやての家に暮らしていたヴォルケンリッターとも、何らかの関係を持っていて当然だ。
「もしかして、ヴォルケンリッターとは知り合いだったの?」
「……うん。みんな、すごくいい人たちだった」
なのははヴォルケンリッターと呼ばれる四人のことを語り始めた。
フェイトたちが地球を離れてから一ヶ月後。はやての誕生日に現れ、はやての家に住み始めたこと。はやてからは自分の世話のために送られてきたお手伝いさんだと聞かされたこと。最初はあまり話もしてくれず、なのはがはやてと話をすること自体を心良く思ってなかったみたいで、それでも何度も通う内に次第にうちとけていったこと。やがて、彼らの方も翠屋にやって来てくれるようになったこと。
剣道を習っているクラスの友達が道場でシグナムに相手をしてもらっていたり、翠屋の常連のお爺さんが公園でやっているゲートボール大会にヴィータが参加するようになったと話しているのを聞いたり、シャマルと一緒に惣菜を買いに行ったり、ザフィーラの散歩に付き合ったり。
なのはは普段のヴォルケンリッターのことを切々と語った。その様子から、なのはが彼らのことも友達と思っていたことが伝わってくる。
「……だからなのはは、その人たちとヴォルケンリッターは別人だと思ってるんだね」
なのははうつむいていたが、しばらくしてゆっくりと首を横に振った。
「グレアムさんから話を聞いた時は、絶対に別人だって思ってた。なにか勘違いしてるだけで、すぐに本当のことがわかるって思って……だけど……昨日、ヴォルケンリッターの人の仮面が壊れた時、顔が見えたの。……あの顔は間違いなくシグナムさんだった。信じたくないけど、シグナムさんたちがヴォルケンリッターだっていうのはほんとのことなんだと思う。
でも、グレアムさんが言ってたみたいに、シグナムさんたちが命令されて人を襲うだけのプログラムで、はやてちゃんがそんな命令をしていたなんて思えないの。でも、でも……違うって思ってたのにシグナムさんたちはヴォルケンリッターだった。私の考えてることって、全部的外れな思いこみなんじゃないかな。友だちって思ってたのに、わたしははやてちゃんのこともシグナムさんたちのことも、なにもわかってなかったんじゃないかな」
「そんなことない。なのはが何ヶ月も一緒に過ごして、それで悪い人じゃないと感じたのなら、その人たちは本当に悪い人じゃないんだと思う」
「でも……」
だけど、とかぶせる。
「悪い人たちじゃないからって、悪いことをしないとは限らない。……私は裁判の後に更生施設に入ってたんだけど、そこで会った子の中には優しい子もいっぱいいた。でも、そんな子も、環境だったり人だったり、いろんな原因があって犯罪に手を染めていたんだ」
誰も彼もがなのはやクロノのように正しく生きられるなら、どんなに素敵なことだろう。
だが、そうではない。フェイトは、世の中には正義や倫理よりも大切なものを持っていたり、身近な人のためなら見知らぬ他人を犠牲にできる人がいることを知っている――実感として。
かつてのフェイトもそうであり、今でもきっと変わらない。なのはは大切な友達だ。クロノやリンディはお世話になった恩人だ。それでも、もしも自分の前にプレシアが現れて、フェイトのことが必要だと言って、手を差し伸べてくれたら。
「……説得はできないのかな」
「……わからない。でも、もしあの人たちが自分たちだけで完結しているのなら、きっと戦うしかない」
「話しかけても、意味はないってこと?」
「意味はあるよ」なのはの言葉がフェイトに届いていたように。 「でも、言葉だけじゃ止まらない」届いていても止まれなかったように。
*
海鳴を囲む山の稜線に、太陽の輪郭が現れた。空は宵の黒から明けの橙に移り往き、陽光は紅や黄に色づいた山を照らしあげる。市井の人々は眠りから目覚め始め、山麓の月村邸では夜通し活動していた管理局の局員たちが交代で休憩に入り始めていた。
なのはは本局から帰ってきたことを報告するために、月村家の一室を訪れた。
青白色のほのかな光が満ちる部屋に、十人ほどの局員がいた。局員の視線は自分の前に投影されたホロ・ディスプレイに向いており、指先はコンソールを縦横無尽に飛び跳ねている。
この部屋は管理局が間借りしているうちの一つで、主に指揮所として使われている。アレックスやランディ、エイミィなど、大半はアースラで艦橋にいた面々だ。リンディも海鳴にいる時はたいていこの部屋にいるが、今はリンディの席には誰も座っていなかった。
入ってきたなのはに気づいたエイミィが、ホロ・ディスプレイから視線を外した。
「あ、なのはちゃん帰って来たんだ」
「はい。……あの、リンディさんは?」
「艦長ならさっき本局に向かったよ。途中ですれ違わなかった? 捜索が一旦中断になったから、今のうちにお偉いさんへの報告とか、もろもろをすませておくつもりなんだって」
「中断って、なにかあったんですか?」
「なにもないよ。ただ日中は活動しにくいから」
エイミィはなのはが本局に向かってからのことを、簡潔に説明してくれた。
エイミィたちは海鳴に残った武装隊を総動員して、行方をくらませたはやてとヴォルケンリッターを捜していた。
だが、成果はあがらないまま、夜が明け始めた。そうなれば空を飛んでの捜索はできなくなる。朝になれば人目が増えるし、明るくなれば見つかりやすい。結界魔法や幻術魔法を駆使して、日中でも飛行しての捜索を続けることもできないわけではないが、魔力消費量に対する捜索効率はぐんと落ちる。
何より捜査員が消耗して効率が落ち始めていたので、このまま無理に捜索を続けるよりも、休息をとる方が優先と判断された。
「そんなわけで、交代で休むことになったんだ。この部屋にいるメンバーは残念ながら後の番。夜の間に集まった観測データの解析もまだ残ってるしね」
一晩中海鳴を飛び回り駆け回りして捜索していた武装隊や捜査官たちは、肉体も魔力も消耗していたので、優先して休息に回された。執務官であったクロノも同様だ。
また、治療班の手伝いをするために、なのはについていかず海鳴に残ったユーノ。彼は何度も治療魔法を使ったせいで、今は疲れて眠っているそうだ。
「エイミィさんは休まないんですか?」
「心配してくれてありがと。私も後の番。まぁ、徹夜は慣れてるからそんなにキツくはないよ。それより、なのはちゃんも疲れてるでしょ。いろいろ心配だろうけど、今はお家に帰った方が良いよ。何か見つかったらまた連絡するからさ」
そう答えるエイミィの顔には隠し切れない疲れが表れていた。この部屋にいる他の隊員たちも同じだ。武装隊たちが一番疲れているのはたしかだが、エイミィたちとて一晩中活動していたことには変わりない。
みんな、精一杯を尽くしている。
なのはが月村の車で送り届けてもらい、家に到着した頃には、時刻は七時を過ぎており、すでに太陽は完全に昇っていた。
家の中では、桃子がキッチンで朝ごはんを作っていた。士郎と恭也、美由紀の姿は見えない。おそらく、いつもどおり道場で早朝の鍛錬をおこなっているのだろう。
朝帰りを怒られるかと思ったが、ユーノが事前に連絡しておいてくれたらしく、桃子はあまり怒らなかった。ただ、なのはが寝ていないことに気づいて眉をしかめた。
「ご飯ができるまでもう少し時間があるから、今のうちにお風呂に入ってきなさい。学校には連絡しておくから、お風呂から出たらご飯を食べて、今日はゆっくり休みなさい」
言われるままに、なのはは浴場にやってきた。
蓋を開くと湯気が濛々と広がり浴場に満ちる。バスタブにはすでにお湯がたまっていた。恭也たちが朝の稽古を終えた後に使うつもりだったのだろう。
髪と体を洗って熱めの湯に体を浸した時、突然ガラガラと音をたてて風呂場の扉が開き、美由紀が顔をのぞかせた
「おかえり、なのは」
「お姉ちゃん!?」
美由紀はそのまま浴場に入ってきた。漂う湯気の他には一切の衣類を纏っていない。
「ごめんね。順番待ってたら遅くなるから一緒に入りなさいって、お母さんがね」
と言いながら洗面器に湯を張り、片膝ついた姿勢で肩から湯をかけ、朝の鍛錬で生じた汗を洗い流す。
体を洗い始めた美由紀の体をなのはは打ち眺めていた。
今の美由紀は眼鏡を外して、ほどいた髪を頭の上にまとめているので、いつもよりはっきりと顔の造形がわかる。毎日見ているはずの姉の顔が、まったく違ったものに見えてくる。
外した眼鏡の下に見える、意外と鋭い目。ほどいた髪を頭の上にをまとめたせいで、あらわになったうなじ。呼吸に合わせて上下する双乳、引き締まりつつもふっくらと女性らしさを描く腹から腰へのライン。
鍛えられた武人の魅力と完成されたばかりの大人の魅力を兼ね備えた姿。
ふいにシグナムのことを思い出した。
「どうしたの? 何か悩み事?」
「え?」
「そういう顔してるから」
しばらく考えて、なのはは水面を眺めながらぽつりと言葉を漏らした。
「やりたいことはわかっているの」
フェイトは戦うしかないかもしれないと言った。
シグナムたちと戦うのは嫌だ。できることなら戦いたくない。
だが、戦わなければどうにもならない時があることは、なのはも知っている。時の庭園でフェイトと対峙した時のように、お互いにどうしても引けなくて、止めるために撃つしかなくなる時があることを。
あの時のなのはは止めようとするあまり、フェイトを傷つけてしまった。なのはがこの半年間、欠かさず訓練を続けてきたのは、同じような状況になった時に、今度は傷つけずに止めるためだ。
だから覚悟はある。必要とあれば戦う覚悟。そのために友達であっても撃つ覚悟。傍観していて最悪の事態になったらきっと後悔するから。
「でも……ほんとにこれで良いのかなって」
「なるほど。迷ってるんだね?」
覚悟だけあれば良いと思っていた。
だけど、本当にそれしかないのか。もしかしたら、もっと良い道があるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎって離れない。
「どうしたら、迷いって消えるんだろう」
「いいんじゃない、迷ったままで」
意外な言葉に、なのはは思わず美由紀の方を向いた。
「迷うってことは、考えてるってことでしょ。悪いどころか、良いことだよ」
美由紀は体を洗うのを止めて、じっと自分の手を見ていた。
荒野の岩石を思わせるごつごつとした掌。鍛えていながらも女性らしさを失わない美由紀の体の中で、唯一女性らしくない部分。
それを見る美由紀の姿は、どこか後悔しているように見えた。
「本当にダメなのは、迷いを無理に断ち切ろうとすること。これで良いんだって思い込んで、全部一人で抱え込んで。なんとかしようと気負って、それがどんどん積み重なっていって、結論を出したつもりで自分が何をやってるのかも見えなくなって……みんなに迷惑だけをかけて」
「……お姉ちゃん?」
美由紀は微笑を浮かべながら、なのはの方を向いた。
「でも、迷ってるだけなのもダメだよね。迷いを捨てて走るんじゃなくて、迷っていつまでも足を止めたままでもなくて、迷いを持ちながら歩いてるくらいがちょうど良いんじゃないかって、私は思うよ」
たしかに美由紀の言う通りだと感じた。
もしかしたら、戦わなくてもいい道があるかもしれない。でも、それは今いる場所にあるとは限らないし、一本しかないとも限らない。
道があるかもと思い続けてこのまま動かなければ、見える風景は変わらない。
今は歩いて行くしかない。歩いて行くことで新たな風景が見えてきて、新たな道が見えることもあるかもしれない。
大切なのは歩きながらも考え続けて、見落とさないこと。
「そっか……迷いがあっても良いんだね」美由紀の言葉を心の中で何度も反芻する。 「お姉ちゃん。ありがとう」
「どういたしまして」
二人は顔を見合わせて、笑いあった。
**
本局に帰還したリンディは周辺世界への警戒を促すかたわら、闇の書事件に関わる少数の関係者――外務や法務、遺失物管理など、いくつかの部局の高官たち――へと昨夜の経緯を報告した。
闇の書の主の潜伏先が判明しているという千載一遇の好機を逸した結果に、関係者は大いに落胆した。中にはリンディを糾弾する者もいたが、オブザーバとして行動を共にしていたグレアム、運用部の代表として出席していたレティらのとりなしもあり、リンディは依然変わらず闇の書事件の指揮をとり続けられることになった。
報告を終えたリンディは、そのままレティの執務室を訪れる。
「さっきはありがとう。あなたが味方してくれたおかげで助かったわ」
「礼を言われるようなことじゃないわ。責任の追求なんてものは終わった後にすれば良いのよ。今はそれよりもどうやって闇の書を確保するのかを第一に考えるべきでしょう?」レティがすっと目を細める。 「私たちの相手は闇の書の主と思われる少女八神はやてと彼女につき従うヴォルケンリッターだけじゃない。それに協力する正体不明の仮面の戦士。彼らはとても厄介だわ」
仮面をつけた正体不明の魔導師たち――仮面の戦士。
彼らは月村邸に姿を現してヴォルケンリッターの逃走を助けた。八神家周辺に待機していた捜査官の話によれば、ヴォルケンリッターの襲撃直後に八神家にも現れ、止めようとする捜査官を倒し、八神はやてをどこかに連れていった。
実力は極めて高く、不意打ちとはいえグレアムとクロノを一蹴するほど。魔法陣の形状や使用魔法の種別から、魔法体系はミッド式と推測される。だが、仮面の戦士が幻術魔法を行使していたのか、それともヴォルケンリッターによる通信妨害の影響が続いていたせいか、あるいはその両方か。観測された魔力波形はまるでデタラメで役にたたず、彼らの正体を特定する情報はほとんど皆無と言える。
しかし、本当に厄介なのはその実力や謎ではなく、彼らのような存在が闇の書に協力しているという事実そのものだ。
「そうね。これまでの蒐集は地球の周辺世界でおこなわれていた。だからこそ私たちは闇の書の主の居場所を徐々にしぼりこんでいくことができた。でも、仮面の戦士のせいで、そのやり方が通用しにくくなるかもしれないわ」
ヴォルケンリッターはプログラム体――情報が本質という性質を利用して、単独での次元間転移を可能としている。対して闇の書の主は生身の人間であり、ヴォルケンリッターのように次元を渡ることはできない。
生身の人間が次元を移動する手段は三つ。膨大な魔力と専門的な知識が必要な次元転移魔法。内部に転送装置を有する高価な次元空間航行船。あらかじめ建造しておく必要のある転送ポート。どの手段も地球に生まれたはやての力だけで用意できるものではない。はやては地球を出る手段を持たない、と昨夜までは思われていた。
しかし、管理世界の人間の支援があれば話は変わってくる。ミッド式の魔法を行使していた仮面の戦士はおそらく管理世界の人間だ。そして彼らが管理局に気づかれることなく地球に来ていた以上、彼らが地球と他の次元世界を行き来できる手段を有している可能性は非常に高い。
彼らの手引きがあれば、はやても地球から出ることができるようになる。
「仮面の戦士が用いた次元間移動手段……十中八九転送ポートでしょうけど、発見できそう?」
では、仮面の戦士はどのようにして地球にやって来たのか。
使用者が極めて限られる次元転移魔法はありえない。地球周辺の次元航路に不審な艦船の痕跡は見られないので、次元空間航行艦船の可能性も小さい。
したがって、最も有力な候補は転送ポートとなる。数人が移動できる程度の小型のポートであれば、管理局に見つからずに設置するのも不可能ではない。
「状況を考えれば海鳴市内か、海鳴市からそう遠くない場所にあると思うのだけど、管理外世界では表立って捜査するわけにはいかないから、発見までにどれだけの時間がかかるかわからないわ。それに相手も足取りを掴まれるような情報は消しているでしょうし」
「かかる手間を考えると割に合わなさそうね」
「ええ。だからこれからは周辺世界の調査――特に蒐集の痕跡の発見に力を入れるつもり。海鳴での捜査の方だけど、今後数日は武装隊による捜索を続けるけど、成果がでなければ捜査官によるはやてさんの身辺調査程度に留めようと思うの」
闇の書事件では、リンディの要請を受けて多くの部隊が動いている。
地球周辺の次元世界では駐留部隊と本局から出向している武装隊が共同で巡回をおこなっており、捜査官は転送ポートを中心に検問を設置しつつ、目撃情報を集めるために自らの足で奔走している。本局では多数のオペレータが動員されて、観測所や定置観測用プローブから得られる莫大なデータを昼夜を問わず解析し続けている。
アースラの整備も急ピッチですすみ、新たに装備されたアルカンシェルの試運転を残すのみとなっている。次元空間航行艦船に備え付けられている高性能な各種レーダは、ヴォルケンリッターの発見に大いに役立つことになるだろう。
それでも、事件の規模を考えると足りていないくらいだ。
そのことへの不満はある。しかし、リンディもレティも、人員や装備がいつも万全とはいかないのが世の常だと、経験として知っている。そして、どんな時だって現状でできることをやっていくしかないとも。
レティは口角を釣り上げ、皮肉げな笑みを浮かべる。
「なら、私はあなたが失敗しないように注意して見ておいてあげる。あなたは昔から、どこか抜けているところがあるから。手始めに、今のうちに仮眠でもとっておくことをおすすめするわ。顔、ひどいわよ」
「だけど、エイミィさんに任せて来たから、早く戻ってあげないと……」
「あの子ならクロノ君と交代でなんとかやっているはずよ。それよりもふらふらなままのあなたに指揮をとられる方が、あの子たちにとっては迷惑で不安でしょうね」
「じゃあ、少しだけ……九十分たったら起こして」
リンディの決断は早かった。言うやいなや制服のジャケットを脱ぎ、崩れるようにソファに横になった。
「ここで寝ろとは言ってないんだけど……仕方ないわね」レティはデスクのインターカムで秘書官に連絡する。 「毛布を一枚持ってきて。あと、枕代わりになりそうなものも。……私が使うわけじゃないわよ」
寝息を立て始めたリンディを見ながら、レティは昨夜の襲撃について思考を巡らせていた。
タイミングを見計らったかのように現れた仮面の戦士はもちろんだが、それ以前のヴォルケンリッターの行動にも不可解な点がある。
武装隊が集結していた月村邸に襲撃をかけ、結界による通信妨害環境下に置くことで、武装隊の移動と外部への通信を妨害。その隙にはやてを逃す。
数時間後にははやての逮捕のために、武装隊が八神家を包囲する予定だった。仮面の戦士という管理局が想定していないイレギュラーの助力があれば、その状態からの突破も不可能ではなかったと思われるが、万全の状態の武装隊に包囲された状態で突破を試みるよりは、先んじて襲撃をかけた方が断然良い。最悪の場合でも闇の書の主は逃げることができるから。
ヴォルケンリッターの襲撃は管理局から逃れるために、最高のタイミングでおこなわれたと言える。まるで管理局の動きを知っていたかのようなタイミングの良さ。これを単なる偶然と考えていいのだろうか。
内通者――という言葉がレティの脳裏をよぎる。
だが、理由がわからない。
捜査本部の情報を漏らせるほどの高官であれば、闇の書の味方をしたところで得られるものがないことは理解しているはずだ。
闇の書は制御の効かない危険な代物だ。暴走を起こせば最低でもその周辺地域の消失は間逃れず、とても隠蔽できる規模ではない。普通の神経を持っている人間が手を出すはずのない代物だ。
闇の書そのものが目的の可能性は低いとなると、次に浮かんだのはリンディを狙った可能性だった。
管理局は人間が運営する組織だ。部署や人脈など、様々な要因で派閥が形成される。派閥同士の足の引っ張り合いが起きることも少なくない。
これまで七度に渡り失敗を重ねてきた闇の書は、管理局史に残る汚点だ。もしも完全に解決できれば、それを為したリンディには誰もが羨む栄光の道が約束される。各部局の最高ポストである統括官への道さえ拓くだろう。
逆に闇の書の捜査に失敗し、暴走した闇の書が甚大な被害を及ぼすことになれば、どれだけ最善を尽くしていたとしても司令の責任は免れない。十一年前、英雄とまで謳われ次期法務統括官を確実視されていたグレアムが、闇の書事件の失敗をきっかけに顧問官という閑職に引っ込むことになったように。
今回の闇の書事件はリンディを追い落とすには絶好の機会――と、そこまで考えてからレティは自分の想像に苦笑を漏らした。
派閥同士の足の引っ張り合いと言っても、普通は非協力的な対応をとる程度。相手の出世を妨げるために犯罪に加担するなど、あまりにリスキーすぎて現実味に乏しい考えだ。
ヴォルケンリッターは前々から月村邸が管理局の捜査拠点となっていることにも気づいていて、その動きからこちらが仕掛けることを察知して行動を起こしただけといったケースもありえる。リンディは気づかれないように月村邸周辺に探査妨害を仕掛けていたそうだが、見破られていた可能性は高い。
なにしろ八神はやてはPT事件に関わり、局員であるウィリアム・カルマンと親交があった。PT事件の後、ウィリアム・カルマンは月村邸に設置された転送ポートを通って地球を訪れていたし、はやての友人である高町なのはも同じ転送ポートを通ってミッドチルダや本局を訪れたこともあった。はやてが月村邸の転送ポートの存在を聞いていた可能性は十分にあり、月村邸周辺を見張っていれば管理局の動きをつかめるのではと考えたとしても何ら不思議はない。
こういった可能性を考慮せずに安易に内通者の存在を疑うのは、解決に繋がる突破口を求めるあまり、簡単で劇的な答えを求めているだけに思える。
一通り考え、ため息をつき、寝ているリンディに視線をやる。
どれだけ考えても、内通者の可能性は低い。だが、レティの勘がその小さな可能性を無視することを良しとしなかった。
それにリンディは優秀だが、今回ばかりは事件の規模が大きすぎる。各部署からの報告はあまりに膨大で、捜査状況を把握するだけでも手一杯だろう。もしも誰かが暗躍していたとしても、それに気付けるだけの余裕があるとは限らない。
「とりあえず、お偉方の動向に注意しておくくらいのことは、してあげようかしらね」
***
スカリエッティのラボに連れて来られたシグナムたちは、先に連れて来られていたはやてと顔を合わせた。が、それもつかの間。はやては引き続き検査があるからと、シグナムたちは部屋から追い出され、再びウィルに先導されて談話室に戻って来た。
部屋の中では先ほどと同様に、グレアムとリーゼ姉妹、そしてスカリエッティが彼らを待っていた。先ほどと比べて誰一人欠けていない。どうやらあれからずっとシグナムたちが戻って来るのを待っていたようだ。
グレアムがシグナムたちにも席につくように勧める。シグナムたちが席につき、リーゼアリアが一人一人の前に紅茶を淹れて回るのが終わってから、グレアムはようやく口火を切った。
「疲れているところを悪いが、今度はこちらから尋ねたいことがある」
その様子にシグナムたちは不安を覚えた。
ほんの一時間ほど前に、蒐集を完了した闇の書が暴走するという真実を突きつけられたばかり。元気そうなはやての様子を見て少し落ち着きはしたが、精神的に立ち直れたわけではない。また新たな衝撃の真実を突きつけられようものなら、今度こそどうなるかわからない。
その不安をよそに、グレアムは淡々と語り始めた。
「私は十一年前の闇の書事件の後も、個人的に闇の書を調べ続けた。管理局のデータベースはもちろん、管理、管理外を問わず様々な世界の伝承や記録を集め、そして発見した資料の中にとある魔導書の記述を見つけた。
『夜天の書』――この名前に聞き覚えはないか?」
「夜天……」シグナムは声に出し、言葉の響きを口と耳で確かめる。 「……いや、ない。それはどのような?」
「夜天の書は古代ベルカに作られた魔導書だ。発見した文献によれば、夜天の書は他者の魔法を書へ自動で記述する『収集機能』を有しており、書によって造り出された騎士を護衛として、いくつもの世界を渡り歩いていたとある」
「闇の書と似ているな」
魔導書は古代ベルカ時代によく見られた大型の魔法行使補助端末であり、魔導書の製作には非常に優れた魔導師と設備が必要とされ、そのほとんどは国家によって製作されたものであった。
そのように数の少ない魔導書の中でも、闇の書は類を見ないほどに珍しいものだ。似たような魔導書があるというのは少し衝撃だった。
「ほんとうに、覚えがないのだな」
「ない」
念を押されたところで、シグナムの答えは変わらない。本当に覚えがないのだから。
「……そうか」
グレアムの視線はシグナムからそれ、その隣、ヴィータに移った。机に視線を落としていたヴィータがグレアムの視線に気づいてつぶやいた。
「あたしは……その名前を聞くとなんかもやもやする」
「何か心当たりがあるのか?」
「ぜんぜん。聞いたこともない」弱々しく首を横に振る。 「……ないはずなのに、もやもやするんだ」
シグナムはヴィータも自分同様知らないだろうと思っていただけに、そのどこか不安げな様子は予想外だった。たまらず尋ねる。
「なぜその書のことを聞く。私たちとその書には、何か関係があるのか?」
「夜天の書は、闇の書のかつての名だ」
あっさりと告げられた衝撃の事実にヴォルケンリッターの顔が驚愕に染まる。
「二つの魔導書にはいくつか異なる点がある。闇の書は主の死亡や本体の消滅をトリガーとして、無作為な転生によって新たな主を見つけ出すが、夜天の書は通常のデバイスと同じように、管理権の譲渡によって主を変えることができた、というように。何より、夜天の書であった頃には暴走を起こすようなことはなかった。私たちはそれらの相違点は歴代の主による改竄によって変化したものであり、その変化に闇の書が暴走したきっかけがあるのではないかと考えている」
と、グレアムは話を締めくくった。
談話室に重苦しい沈黙がおちる。十数秒ほどたって、真っ先に口を開いたのは、指をほほにあてて考え込んでいたシャマルだった。
「もしも闇の書が夜天の書だったとしたら……私たちは闇の書じゃなくて夜天の書の騎士って名乗るべきなのかしら?」
シャマルは大真面目な様子で、しかしどこかピントの外れたその発言に、部屋の空気が弛緩する。
続いて、シグナムが率直に述べる。
「すまないが何も思い出せない。そのせいか、闇の書のかつての名と言われても、どこか人事のように感じられる」ヴィータの方を見る。 「ヴィータは何か思い出せたか?」
「さっきと同じだ。もやもやするけど、それ以上は何も」
「ザフィーラ、お前はどうだ?」
ザフィーラは先ほどからずっと腕を組んで目を閉じていたが、シグナムに声をかけられると、目と口を開く。
「俺にも心当たりはない。もし覚えている奴がいるとすれば、おそらくあいつだけだろう」
“あいつ”
誰のことを指しているのか、シグナムはすぐに理解した。彼女だけではない。ヴィータもシャマルも。四人のヴォルケンリッター全員が知る人物。
「あいつとは誰のことだ?」
問いかけるというよりも、詰問するようなグレアムの声。灰色の瞳は真冬の雪雲のように、重厚な圧力を伴っていた。
シャマルが不安げにシグナムをうかがう。
“あいつ”のことまで教えるべきか。そこまでグレアムたちを信用しても良いのか、シグナムにはわからない。だが、寡黙なザフィーラがその存在を示唆する言葉をわざわざ口に出した。単に口をすべらしただけのはずがない。毒を食らわば皿まで。ザフィーラは彼女のことを話すべきだと判断したのだ。
「シャマル。彼女のことを彼らに話してくれないか」
「いいの?」
「彼らには闇の書を調べ、解決方法を見つけ出してもらわなければならない。こちらの知る情報は少しでも伝えておくべきだ」
「……そうね」
シャマルは落ち着きを取り戻すと、グレアムに向き直る。
そのたたずまいからただならぬものを感じ取ったのか、グレアムたちの間の緊張感が高まる。
「守護騎士は私たち以外にも、もう一体、『管制人格(マスタープログラム)』という子がいるんです」
シャマルの言葉に、今度はグレアムたちの顔が驚愕に染まった。
「彼女は主を敵からお守りすることを使命とする私たちとは、まったく違った役割を持つ守護騎士です。闇の書は数多くのアーキテクチャを包括する巨大な魔導書で、人間である主一人ではとても管理しきません。彼女は主に代わって闇の書の全システムを管理し、プログラムに調整を加え、状況に応じて主が望む機能を提供するために存在しているんです」
「五人目のヴォルケンリッター……」グレアムの顔には焦燥。 「まさか、実体化できるのか?」
「はい。ですが、管制人格は普段は実体化せず、闇の書の中でシステムとして動いています。蒐集を一定の段階にまで進めた後に、主の許可があれば、私たちと同じように姿を持って顕現させることもできます。ですが、その時もユニゾンによって主を補助することが多く、私たちのように単独で戦うことはほとんどありません」
今度はスカリエッティが、「ほぅ」と感嘆の声をあげた。
「ユニゾン。管制人格は融合騎か。しかも古代ベルカに作られたオリジナルとは興味深い。データはいくつか見たが、そのものにお目にかかったことはまだなくてね」
「あの――」
これまで言葉を発さなかったウィルが、初めて発言した。
「話の腰を折って申し訳ありませんが、融合騎とはどのようなものなのですか?」
「なんだ、ウィルはそんなことも知らないのかい?」
「すみません。不勉強なもので」
呆れた様子のスカリエッティ、肩を落とすウィル。それを見てグレアムが苦笑を浮かべる。
「知らないのも無理はない。融合騎はすでに失われた技術だ。士官学校でも技術系のコース以外では学ぶ機会もないだろう」グレアムがスカリエッティに向く。 「一度簡単にでも説明した方が良いのではないか? 私たちが知る融合騎と闇の書の管制人格がまったく同じものであるとは限らない。認識の齟齬は早めに潰しておくべきだ」
「では、少し説明するとしよう。ヴォルケンリッターの諸君には、管制人格の特徴と異なる点があればその都度訂正をお願いしたい」
スカリエッティはヴォルケンリッターに向けてそう言うと、ウィルに顔を向けて説明を始めた。
「融合騎――ユニゾンデバイスとは、古代ベルカを発祥とする極めて特殊なデバイスだ。まずは外見だが、現代のデバイスのように一見して道具とわかる機械的な形状ではなく、魔力によって人間と区別がつかないほどの有機的なボディ――プログラム体を形成している。目の前にいるヴォルケンリッターのようにね。大きさには個体差があるが、人間の子供より小さいことが多い。妖精や精霊といった呼び名で伝承に記されている場合もある」
「管制人格の体は、私やシグナムと同じくらいでした」と、シャマルが補足する。
「人間大とは珍しいね。おそらく、そうしなくてはならない何らかの理由があったのだろう。単なる推測だが、融合騎の肉体構成式を流用して守護騎士機能を実装したのかもしれないね」
「なるほど……しかし、一人だけ身体的特徴が大きく異なっているな」
と、スカリエッティの推論にグレアムが疑問をはさむ。それを受けて、ヴォルケンリッターの一人に視線が集中した。
「――って、あたしかよ!? 普通そこはザフィーラだろ! 一人だけ男なんだから!」
大声で抗議するヴィータをスルーして、スカリエッティが説明を再開する。
「次に行こうか。融合騎は人間と違和感なくコミュニケーションをとれるほどの高度な人工知能を有している。これも説明するよりも目の前にいるヴォルケンリッターを例として挙げた方が早いだろう」
「でも、デバイスにそこまで高い知能が必要なんですか?」と、ウィルが問う。
「その疑問に答える前に、最後の特徴を挙げておこう。融合騎は、実体を捨てて所有者と一体化する、『融合(ユニゾン)』と呼ばれる極めて特殊な能力を有している。よりリンカーコアの近くで、よりダイレクトに魔法行使を補助するためにね。一般的なデバイスが外付けの演算装置であるのに対して、融合騎は内蔵式と言ったところかな。
さらに、融合状態の融合騎は主の肉体や魔力を代わりに使えるだけでなく、デバイスがパーツを内部に収納するように、主の肉体を格納して融合騎自らが前面に出て戦うこともできる。これらの機能がどのような目的で作られたのか。ウィル、なんだと思う?」
「いざという時に主を保護するためですか?」
「半分は正解。残り半分は教育のためだ。主の肉体と魔力を操作できるということは、体の動きや魔力の流れを体感をもって教えることができるということだ。手取り足取りどころではない。未熟な主を迅速に教育するには非常に都合の良い機能だ」
「すごいですね。……でも、そんなことまでできると、どちらが主なのかわかりませんね」
ウィルにとっては何気ない素直な感想。しかし、スカリエッティの口元には生徒の感性への称賛が笑みという形で表れていた。
「その見方はあながち間違ってはいない。融合騎は主を何度も変えて、何十年も使い続けるのが普通だったそうだからね。なにせ融合騎は当時の技術をもってしても莫大な予算と手間が必要とされた。だから、たいていは国家がスポンサーとして製造され、優秀な騎士に使わせることが多かったそうだ。中には一度に何人もの主を持ち、状況に応じて使い分けていた融合騎というのもいたみたいだね。こうなると融合騎が使い手で、主は道具のようなものだ」
ザフィーラがスカリエッティをじろりと睨みつける。
「あいつは我らの中でも、最も主のことを大切に思っていた。主を軽んじるような奴ではない」
「一例を挙げただけさ。主の扱いは融合騎によって多種多様。製造目的に大きく左右されるし、高度な知能が生み出す擬似的な自意識による変化も存在する。ちなみに先ほどの融合騎のように一度に複数の主を持つというのは、当時の倫理観ではあまりよろしくないことだと思われていたようでね。尻軽と言われていたそうだ」
冗談めかした口調で言い、誰もにこりともしないとわかると、スカリエッティは肩をすくめた。
「さて、融合騎の説明はこれで終わるとして、私の方からもいくつか質問をさせてもらおうか。と言っても、話はあまり変わらないのだが」スカリエッティはシャマルに向き直る。 「闇の書の場合は、管制人格と書の主、どちらの権限の方が強いのだろうか?」
「初期段階での主の権限は非常に限られています。例えば、今のはやてちゃんは私たち守護騎士とほぼ同程度の権限しか持っていません。仮の主と呼ばれるこの段階では、管制人格の方が強い権限を持っています。ですが、主が闇の書の全てを統べるにふさわしい高位の魔導師――真の主に育ったと判断されれば、主には管制人格以上の管理者権限が与えられます」
「真の主の基準は? 管制人格が独断で決定するのかい?」
「いいえ。私の知る限り、真の主と認められる手段はたった一つ。蒐集によって、六百六十六頁を満たすことだけです」
「蒐集を完了させた主への管理者権限の譲渡を、管制人格の一存で破棄することはできるのかな?」
「それは……管制人格にしかわからないと思います。でも、おそらくできないはずです。管制人格の意志で権限の譲渡を決定できるのなら、そもそも選定方法が存在する必要性がなくなりますから」
「では、管制人格の権限と主の管理者権限に、何か具体的に違いはあるのだろうか」
「管制人格の持つ権限はあくまで管理者代行としてのもの。システムの修復や一時的な改変は可能ですが、システムやノードの破棄といった機能は真の主にしか許されていません」
「ありがとう。今のところはこれで十分だ」
スカリエッティは鷹揚にうなずき、背もたれに体を預けた。何を思考しているのか、宙空を見る瞳からは何も読み取れない。
「暴走の原因は、管制人格にあるのではないか?」
沈黙を破るようにして、グレアムが発言した。
「先ほども言ったはずだ。あいつはどのような主であれ軽んじることはしなかった。暴走を引き起こし、主を殺すようなことをする奴ではない」
反論したザフィーラは顔こそ無表情だったが、声には怒気を纏っていた。
しかし、グレアムは意に介さず続ける。
「管制人格が暴走を望んでいないのであれば、主に管理者権限が渡るのは望ましいことのはずだ。だが、実際には蒐集を完了させると暴走が起きる。これは管理者権限の移譲を阻止しようとして起こしたとは考えられないか?」
ザフィーラは黙った。反論できないのか、する必要がないと考えているのか。変化の乏しい表情からは読み取れない。
代わりに口を開いたのは、再びのスカリエッティだ。
「なるほど。それがグレアム君の考えか」
「お前は違うと考えているのか?」
「今のところは私も同じ意見だよ。しかし、気にかかるところもある。自立判断能力に優れた融合騎が任意で暴走を引き起こしているにしては、暴走が起こる状況が限られすぎているように感じる。本当に管制人格が原因なら、ヴォルケンリッターが私による解析を承諾した時点で暴走を起こしてもおかしくないだろう?」
「……たしかに、それは気にかかるな。闇の書が解析されて解決方法が見つかるのは望ましくないはずだ。では、暴走の原因はなんだ?」
「それはまだわからないさ。私たちが考えすぎているだけで、やはり管制人格が元凶かもしれない。ただ、違うとすれば、原因は闇の書を管理する管制人格にも手を出せないに部分にあることになる。管制人格の権限を受け付けないのか、改変が製造目的に反するのか、改変のために止めることでシステムに危険を引き入れるのか、改変が論理矛盾を起こすような構造を持っているのか」
列挙される多くの可能性。しかし、スカリエッティの笑みが崩れることはない。
「アプローチするべき箇所が見えてきたのは大きな収穫だ。無限の欲望の名が伊達ではないことを証明してみせよ」
(あとがき)
少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
以前から読んでくださっていた方、旧年中は投稿できず申し訳ありません。これを機に読んでくださった方、ありがとうございます。
去年は自分の文章や当初予定していた先の展開にいまいち納得できず何度か書きなおしたり(SCPにはまってそっちにうつつをぬかしていたり)と、なかなか投稿できませんでした。
せめてA'sは完結、できればその後の数話かけたちょっと長いエピローグまでは書き切りたいと考えています。のろのろとした更新速度になると思いますが、よろしくお願い申し上げます。
ちなみに今回の話は七話となっていますが、後々時系列に合わせて順番を変え、五話と六話の間に入れることになると思います。