天壌に闇がわだかまっていた。星々の微かな光を遮り、灯のない森を囲み、結界が月村邸周辺を覆っていた。
結界で逃げ場をなくし、結界内部に通信妨害をおこなう。月村邸にどれだけの数の魔導師がいようと、通信が封じられた状況で奇襲を受けたなら、統率のとれた動きを回復するまでには時間がかかる。その間にできうる限り敵の数を減らすことで、その後の戦闘を有利に運ぶ――というヴォルケンリッターの目論見は、しかしたやすく覆されていた。
「なんでこんなにいんだよ」
ヴィータが呆然とつぶやく。見えはしないが、仮面の下の顔にも動揺は表れている。
四人のヴォルケンリッターと相対するのは、十倍の数の武装隊の隊員たち。前衛が隊列を組みデバイスを並べ、後衛のデバイスから放たれる魔力光が、サーチライト代わりに四人のヴォルケンリッターを照らす。
彼らはヴォルケンリッターが月村の敷地に結界を張り終え、通信妨害をおこない始めた頃にはもう姿を現し始めていた。
その中の一人が、声を大きく張り上げる。対峙する魔導師たちの中でも、一二を争う幼さの少年だ。
「僕は時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ。武装を解除して同行してもらおう」
飲めない要求にシグナムが剣で答えようとした時、シャマルから三人に念話による通信がおこなわれた。
通信妨害をおこしているのはシャマルだが、彼女は通信妨害環境下でもヴォルケンリッター間の通信をおこなうために、妨害に小さな穴を開けている。
時間稼ぎのために、シグナムは剣を一旦下ろして、クロノの呼びかけに答える。
「拒否した場合はどうなる?」
「管理外世界での許可なき魔法行使の現行犯。多数の傷害事件の容疑。なにより、“ヴォルケンリッター”を放置するわけにはいかない。投降するのであれば攻撃はしない。だが、抵抗するのなら、容赦するつもりもない」
ヴォルケンリッターは答えない。考え込んでいるように見えるが、その実は異なる。
彼らはクロノが話している間に、シャマルの推測を聞いていた。その内容は
≪管理局は私たちの居場所をつきとめていたのかもしれないわ≫
というものだ。
武装隊はシャマルが月村邸周囲に結界を張り終わる直前に現れた。襲撃される可能性を考慮していたとしても、あまりに反応が早すぎる。時間を考えると、月村邸に向かう前から、ヴォルケンリッターの行動が監視されていたとしか思えない。
八神家を出てすぐに見つかったのか。それとも、八神家にいた頃から見張られていたのか。後者であれば、はやてが危険だ。ヴォルケンリッターがここに出向いている間に、管理局の別働隊が動いている可能性も有り得る。
≪ヴィータ。結界から離脱して、主はやてを家から移動させろ≫
≪シグナムたちはどうするつもりだよ? これだけの人数に三人じゃ、いくらなんでも危ないって≫
≪心配するな。ある程度蒐集したら、すみやかに撤退するつもりだ≫
魔力消費の少ない肉弾戦を得意とするザフィーラと防御魔法に優れたシャマルは、戦闘継続時間と安定性に秀でており、よほどのことがない限り即座に倒されることはない。そして、将たるシグナムの戦闘能力には微塵の不安も持っていない。
彼ら三人なら、勝てなくとも、引き際さえ間違えなければやられることはない――はずだ。
「このまま返答がなければ、敵対の意思があるとみなす」
何も答えないヴォルケンリッターに、クロノが最後通告を送る。武装隊がデバイスをヴォルケンリッターに向けて構える。
≪行けっ!≫
シグナムの叱咤を受け、ヴィータは短距離の高速移動魔法を行使し、その場からはじかれるように離脱する。
逃すまいと動く武装隊を防ぐようにシグナムが前に出る。
≪はやてを安全な場所に連れて行ったら、すぐに戻ってくるから! それまでやられんなよ!≫
≪約束する≫
≪絶対だからな!≫
ヴィータは結界の外へと離脱し、 シグナムは武装隊に突撃。シャマルは動かず、ザフィーラはシャマルのそばに位置どる。
クロノが迎撃命令。
「射撃準備! ――斉射!」
魔導師たちのデバイスに、それぞれの魔力光が灯る。号令するクロノのS2Uにも青色の魔力光。
色とりどりの魔力弾が一斉に放たれる。シャマルは多数の誘導弾を生み出して迎撃し、ザフィーラは体で弾く。そして、シグナムは異なる角度から迫る魔力弾を見極め、隙間を縫うようにして敵に接近する。
シグナムの周囲の空間が青く発光し、幾重もの青色の輪が体を拘束する。空間指定型のバインド。クロノは味方の弾幕を冷静に俯瞰し、弾幕の隙間に捕縛魔法を設置していた。
「行くぞお前ら!」
前衛の指揮官であるギャレットの号令で、彼を含む前衛の魔導師が一斉に突撃を開始する。
エレメントであろう二人の隊員が縛られて動けないシグナムにいち早く接近する。
「はぁっ!」
シグナムは短く吼え、拘束するバインドの構成式に魔力をもって強引に介入。クロノのバインドを引きちぎる。
左右からシグナムに切りかかる隊員たち。シグナムは同時に二人を相手にしようとせず、まずは右から迫る隊員に向かって剣を振る。相手をはるかに上回る剣速で打ちのめす。
もう一人の隊員が背後から一撃を叩き込もうとする。が、シグナムの騎士甲冑の外套の陰から鞘が現れる。威力はないが、不意をつかれ隊員の攻撃の勢いが鈍る。
生まれたわずかな時間で、シグナムは瞬時に反転、即斬撃。隊員の魔力刃とレヴァンティンの刀身が激突。拮抗する互いの刃の隙間を縫って放たれたシグナムの前蹴りが、隊員を吹き飛ばす。
同時攻撃を凌ぎきっても物思いにふける暇はない。上空から急降下する者が一人。
「るるるるうううああああぁぁッ!!」
謳うような雄叫びと共に、ギャレットの一撃が振り下ろされる。
「おおおおおおおおおおおおぉっ!!」
咆哮――シグナムは向かい来る敵を調伏する獅子吼を発しながら切り上げる。瀑布のごとき打ちおろしと疾風のごとき切り上げが衝突。衝撃波が森の木々を揺らし、煽られた紅葉葉が夜空を踊り狂う。
ギャレットが押し勝ち、魔力刃がシグナムの肩口に食い込む。いくらシグナムといえど、左手に鞘を持ったまま右手一本でとっさに切り上げた剣では、AAランクの純前衛の渾身の攻撃を受け止めることはできなかった。
ふらつく体を制御、さらに体をひねることで攻撃の威力を受け流しつつ、上にいるギャレットの腹部に回転蹴りを叩き込む。が、ギャレットはデバイスから片手を離し、シグナムの脚を掴み取った。
「足癖の悪いやつだ!」
ギャレットはシグナムを周囲に誰もいない方向へと放り投げる。シグナムはすぐさま飛行魔法で姿勢を制御する。
「第二射! 放てっ!!」
クロノの大音声。
ギャレットたち前衛の攻撃は、初めから後衛が砲撃魔法を構築するための時間稼ぎ。
クロノと十人を超える後衛魔導師の砲撃魔法が、体勢を立て直すために動きが止まったシグナムに狙いを定めていた。
「砲撃なんぞ、撃たせんっ!!」
砲撃がシグナムを貫くより早く、ザフィーラが魔法を放つ。腕の先に百メートルにも及ぶ巨大な白色の槍が現れ、砲撃を放たんとする後衛に向けて一閃される。ザフィーラの奥の手、拘束魔法『鋼の軛』の応用技。
後衛は砲撃を中断し回避するが、その中の二人の魔導師が避けきれずに直撃する。どちらも一撃で意識を刈り取られ、ゆらと体が傾き、自然落下を始める。
落ちる二人の体を鎖が捕える。シャマルの捕縛魔法『戒めの鎖』だ。落下死を防ぐという配慮では決してなく――今のヴォルケンリッターなら、それも理由の一つになるのだろうが――意識を失った魔導師から魔力を蒐集するためだ。
鎖に囚われた魔導師たちの胸部前方に光球が浮かび、収縮。シャマルの手にある闇の書の頁が増加する。
蒐集を止めるため、前衛数人がシャマルに接近し魔力刃を振るう。
ザフィーラがその間に割り込み、身体をはって魔力刃を受け止める。生半な刃ではザフィーラの強靭な肉体を貫けない。
「前衛は下がれ! 第三射!」
クロノの指示を受け、前衛が一斉に下がる。と同時に、後衛の魔導師が魔法を放つ。今度は広域魔法だ。
≪二人とも下がって!≫
シャマルの指示を受け、シグナムとザフィーラがシャマルのそばに寄る。シャマルは防御魔法を行使。空中に魔力の盾が現れる。
放たれた広域魔法の魔力の総量は、シャマルの防御魔法の許容量を超えていたが、同一空間に放たれた広域魔法が互いに干渉し合い威力が減殺されたため、壊れることなくかろうじて攻撃を受けきった。
しかし、広域魔法はヴォルケンリッターの動きを止め、前衛を後退させるためのもの。本命はまた別にある。
広域魔法が終わり、クロノが紡いでいた魔法が完成する。
「スティンガーブレイド! エクスキューションシフト!」
クロノの周囲には、百にも及ぶ魔力刃が浮かび、ヴォルケンリッター目掛けて一斉に飛翔する。範囲魔法で弱っていたシャマルのシールドが破壊される。
ザフィーラがシャマルの体を引き寄せ、刃の群れを代わりに受けた。青色の魔力刃が腕に突き刺さる。
ほぼ同時に、天空にわだかまる闇のとばりが取り払われ、フェイトが姿を現した。
彼女の周囲には金色の球が浮いている。数は十より少し多いくらいだが、その一つ一つが、莫大な魔力を込められた発射台(スフィア)だった。
フェイトは前衛と後衛の波状攻撃のどちらに加わることもなく、着々と一つの大魔法を構築し続けていた。
魔法の構築がヴォルケンリッターに悟られなかったのは、幻術魔法を覚えている隊員が魔力反応を隠していたからだ。フェイトの巨大な魔力反応を完全に隠蔽することはできなかったが、数十人の魔法が吹き荒れるこの戦場では、ヴォルケンリッターでさえも漏れた魔力反応に気がつくことはできなかった。
「シグナム! お前も俺の後ろに――」
「フォトンランサー! ファランクスシフト!!」
シグナムがシャマル同様、ザフィーラの背後につく。
四秒間に放たれる千二十四発の魔力弾が襲いかかり、ヴォルケンリッターを飲み込む。クロノのエクスキューションシフトが青の雨であるなら、フェイトのファランクスシフトは金の滝だ。
四秒後、合計千二十四発の魔力弾を吐き出し、発射台が消える。滝はやがて線となり、消失した。
フェイトの最大魔法の直撃を受けたザフィーラの騎士甲冑は、もはや原型を留めていない。だが――
「……まじかよ」
隊員の誰かのつぶやきは、その場にいる者たち全員の心中を代弁していた。
あれだけの攻撃魔法が直撃してなお、ザフィーラは意識を保っていた。彼の背後のシャマルにいたっては無傷。そして、同じくザフィーラの背後にいたはずのシグナムの姿は、すでにその場にいなかった。
クロノは周囲に素早く視線を巡らせ、叫ぶ。
「フェイト、後ろだ!」
フェイトの背後の空間に歪み。転送魔法によって、シグナムが虚空から姿を現す。
クロノは転送途中のシグナムに向けて魔力弾を放つが、プログラム体であるヴォルケンリッターの転送は普通よりも遥かに早く、クロノの魔力弾が届く前に完了する。
フェイトが避けようと体を動かし始めるが、大規模な詠唱魔法を行使した直後のため、反応が遅れる。ギャレットもフェイトを守ろうと駆けているが間に合う距離ではない。
レヴァンティンの刀身が、戦場を飛び交う魔力光を照り返し、夜空に七色の光の筋を描く――が、最後まで描かれることはなかった。横薙ぎの一閃がフェイトを打ち据える前に、フェイトとシグナムの間に割って入ったアルフが、自らの体を盾に斬撃を止めていたからだ。
「がっ、頑丈なのが、取り柄でね」
フェイトは呆然とそれを見ていた。何が起こったのかわからないという様相だ。
アルフは激痛に顔をしかめながらも、横腹にめりこむレヴァンティンの刀身を抑え込む。
「いまだよ!」
アルフの合図で我に返ったフェイトは、バルディッシュに魔力刃を形成。シグナムに切りかかる。さらに、フェイトとは逆方向からギャレットが迫る。
剣を押さえられ、残る鞘だけで二人を同時に相手するのは困難と判断したシグナムは、全身に纏う魔力を使い、防御魔法を行使。
右からフェイト、左からギャレット。両者の斬撃は防御魔法を貫いてシグナムを切り裂く。
その瞬間、レヴァンティンの鍔がスライドし、魔力を込めたカートリッジがロードされた。
『Explosion!!』
爆発。熱風。
レヴァンティン・シュランゲフォルム。分割された剣の破片を細い糸で繋いだ、鞭状連結刃による全方位斬撃が、フェイト、アルフ、ギャレットの三人を同時に攻撃。さらに、剣に纏う魔力が炎に変換された。
宙空に現れたのは赫焉として燃え出ずる炎の球。違う、蛇だ。長い長い炎の蛇が、とぐろを巻くようにして球を形成していた。
シグナムは炎球の中心に悠々と立つ。右腹と左腕の騎士甲冑は、それぞれフェイトとギャレットの攻撃によって破壊されていた。
シグナムは、あえてギャレットとフェイトの攻撃を受けてからシュランゲフォルムを展開。負傷と引換に両者を至近にひきつけて、回避を許さず直撃させるという荒業をみせた。
傷ついた騎士甲冑は、魔力が通うと共に修復されていく。一秒後には、数分前と変わらない、無傷のシグナムが戦場を睥睨していた。
吹き飛ばされたフェイトは、隊員の一人が放った網状のバインドに受け止められる。 フェイトは自分同様にシグナムのそばにいたアルフとギャレットを探し、周囲に視線を巡らせる。
アルフは空中で隊員によって受け止められていた。最も至近距離で攻撃を受けたため、気を失っている。ギャレットは誰の手も借りず、自ら空中に留まっていた。しかし、その右腕はだらりとぶら下がり、デバイスを左手に持ち替えている。おそらく、右腕が折れたのだ。
フェイトも無傷ではない。黒色のバリアジャケットに、幾筋もの白い模様が描かれていた。それは肌だ。縦横無尽に疾った連結刃に触れた部分のバリアジャケットが綺麗に消失し、その下の柔肌が外気にさらされていた。破れた部分が痛み、ミミズ腫れのように赤く腫れ始める。
シュランゲフォルムによる攻撃が、斬撃ではなく打撃の性質を持っていたのは、殺さないようにとシグナムが手加減をしたからだ。もしも斬撃であれば、今頃フェイトは血まみれ、ギャレットは右腕を失い、アルフは――
彼我の実力差を実感しながらも、フェイトの心は折れない。アルフが我が身を挺して助けてくれたのだから、ここで踏ん張らなければと考えて、バルディッシュを構えようとして――激痛で腕が上がらなくなる。
「つかまえた」
フェイトの胸から、腕が突き出されていた。白くて細い腕から伸びる白魚のような指の先に、輝く光球――フェイトのリンカーコアが掴みとられていた。
フェイトの背後には誰もいない。腕はフェイトの胸部からわずかに数センチメートル先の空間から突き出されていた。
空間連結によって二つの空間を同期させ、離れた場所にいる相手の体内に干渉。魔力によって構成された実体のない腕によってリンカーコアを体内から押し出し、体内に戻ろうと働くそれを、連結された空間を通して送られた己の腕によって保持する。相手の肉体に直接の負傷を与えずリンカーコアのみを掴みとるという、曲芸めいた高等技術。
ヴォルケンリッターの一人シャマルの奥の手、空間連結魔法『旅の扉』の応用技。
シグナムの攻撃によって、フェイトのバリアジャケットが破壊された――すなわち、外部からの魔力干渉を阻害する防御が消失した瞬間を狙っての奇襲だった。
闇の書の頁が埋められていく。
*
結界がはられた直後、月村邸の一室。
前面に投影されたホロ・ディスプレイには、ヴォルケンリッターと武装隊の姿が映しだされていた。映像は不鮮明で、頻繁にノイズがはしって画面がぶれる。結界内部における通信妨害――ジャミングが、無線による情報伝達を著しく阻害しているせいだ。
エイミィは部下とともに通信妨害の解析をおこない、リンディは部下たちに指示を飛ばす。命令を受けた局員たちは無線通信が使えないので伝令のため走って部屋から出ていく。急な事態に焦りながらも、リンディの指揮のもとに確実に対応していた。
ヴォルケンリッターの襲撃はリンディたちにとって予定外であっても、想定外ではなかった。こちらから攻撃をしかけようとしている日に限って、向こうから攻めてくるのはさすがに予想していなかったが、襲撃自体は地球に拠点を置くと決めた時点で考慮されており、その場合の対処法も検討されている。
月村の屋敷が拠点とされたのも、転送ポートから近いという利点だけが原因ではなく、襲撃される可能性があることを知った忍たち月村の者が自発的に貸し出してくれたからだ。街中に拠点をかまえれば、襲撃された時に周囲に被害が及び、騒ぎが広がる。だが、月村の屋敷の周囲は森と山。ここに襲撃をかけられても、月村家の所有物にしか被害はでない。
我が身の危険をかえりみず、最低限の費用のみで屋敷の一部を貸し出してくれた彼らには頭が上がらない。
命令を出し終たリンディは、砂糖の入った緑茶をのどに流し込みながら、少しでもこの状況を有利に変えるために何ができることはないかと思考する。
数秒後、リンディの脳裏に一つの作戦が閃いた。
視線を前方のディスプレイから外し、ノイズのかかった映像を食い入るように見ているなのはとユーノを見る。思いついた作戦には、彼らの協力が必要だ。
リンディが彼らに声をかけようとする前に、そばに座っていたグレアムがエイミィに尋ねた。
「結界を解除することは可能か?」
「ジャミングによってセンサーが軒並み機能していませんから、ジャミングを解除するまでは結界の解析ができません。残っている魔導師では、結界に干渉しての解除はほぼ不可能です」
「では、高出力の魔法による破壊しかないか。なのは君、ユーノ君。きみたちの力を貸してくれないだろうか?」
なのはとユーノは驚き、グレアムを見返す。
「何をすれば良いんですか?」
「なのは君の砲撃魔法で結界を破壊し、ユーノ君に新たな結界を張って欲しい。きみたちなら可能だ」
「そのくらいなら――」
「待って下さい」エイミィが会話に割り込む。 「結界を破壊できるくらいの砲撃魔法を構築したら、ヴォルケンリッターにも気づかれます。そうなれば、なのはちゃんとユーノ君が危険です」
言って、エイミィはリンディを見る。捜査司令はリンディだ。いくらグレアムが提案したところでリンディが却下すればそれまでだ。
「この状況では有効ね」
しかし、リンディの判断はグレアムの提案を支持するものだった。先ほどリンディが思いついた作戦とグレアムの提案は、まったく同じ。
結界を管理局側の魔導師が張り直すことには、二つの利点がある。
一つは結界内外の出入りを、こちらが自在に操れるようになること。
リンディやエイミィのようにこの場を離れられない者もいるが、それ以外の非戦闘員を結界外に脱出させることができる。ヴォルケンリッターがわざわざ武装隊に背後をつかれる危険を犯してまで、邸内の人間に襲いかかるとは思えないが、戦闘の余波を受けて屋敷に被害が出て、非戦闘員が傷つく危険は小さくない。武装隊も非戦闘員がいない方が、気兼ねなく戦える。
反面、ヴォルケンリッターは管理局の結界を破壊しない限り、逃走することはできなくなる。
もう一つの利点は、通信妨害を無効化できることだ。
過去の戦闘記録から、ヴォルケンリッターの通信妨害は他者の張った結界内部では機能を著しく低下させることが判明している。張り直してすぐとはいかないが、十分もたてば通信も復旧するはずだ。
抗議を続けようとするエイミィを、リンディは手で制す。
「もちろん護衛はつけるわ。エイミィ、戦闘訓練を受けたことがある者をリストアップして」リンディは席から立ち上がる。 「それから、私もなのはさんとユーノ君の護衛に回るわ。私が加われば、持ちこたえることくらいできるでしょう? 以降の指揮はあなたが引き継いでちょうだい」
「それはいけない」グレアムがリンディの判断を否定するように、首を横に振った。 「この戦いに勝利しても闇の書事件が終わるわけではない。リンディ君にはこれからも指揮をとってもらわなければ」
「では、十分な護衛もなしに、なのはさんとユーノ君を危険に飛び込ませろとおっしゃるのですか?」
「そうではない。護衛はたしかに必要だ。だが、リンディ君が行かずとも、ここに手の空いている魔導師が一人いる」
グレアムは将官服の胸ポケットから、一枚のカードを取り出す。待機状態のデバイスだ。
「セットアップ。フルンティング」
『At your pleasure.(仰せのままに)』
純白のカードが光を放つ。グレアムは現れた純白の槍を右手で握ると、戦士の顔を見せる。
「衰えても戦い方を忘れたわけではない。二人を守るくらいなら、今の私でもできるだろう」
**
結界内部の戦いは徐々に均衡状態を作り出していた。
フェイトとアルフを含めても、管理局側の脱落者はいまだ六人だけだ。
武装隊は個人でも精鋭にふさわしい実力を持っているが、その真価は連携による数の暴力だ。人数が減れば自分たちの長所がなくなると理解している武装隊を、そう簡単に落とすことはできない。
ヴォルケンリッターは三人とも健在といえ、十倍以上の敵に囲まれた状況では手を抜くことはできない。ザフィーラとシャマルは共に奥の手を見せており、シグナムもカートリッジを一つ消費している。魔力の減少速度は激しい。
このまま戦い続ければ、いずれ物量に押されて負けてしまう。ある程度で切り上げて逃走しなければならないのだが、その予定を覆すような事実がシャマルからの通信によって告げられた。
≪シグナム! 東に五百メートル――屋敷の反対側に魔力反応! 誰かが大規模な魔法を使おうとしているわ!≫
この状況で大規模魔法を使うとすれば、ヴォルケンリッターへの攻撃か、結界の破壊のどちらかが目的だ。どちらであっても放っておくわけにはいかない。
≪ここは頼んだ!≫
シグナムはこの場を二人に任せ、屋敷に向かうために、屋敷の反対側へ向かって移動する。速度において、シグナムに勝る魔導師はこの場にはいないが、武装隊の陣形を強引に突破して屋敷へ向かうには、かなりの痛手を覚悟しなければならない。
武装隊とある程度の距離が開いたのを確認すると、シグナムは転送魔法を行使した。壁を乗り越えるのが困難なら、すり抜ければ良い。
目に映る光景が変化する。
武装隊が駆け、色とりどりの魔力光が輝く戦場はもう見えない。新たに視界に映ったのは、地上にいる数人の魔導師。その中の一人、桜色の魔力光を持つ者が砲撃魔法を構築していた。翡翠の魔力光を持つ者は広域結界の準備中。それ以外の者は二人を守るように立つ。
最優先で止めるべきは砲撃魔法。
桜色の魔力光に向かって急降下するシグナムは、構築中の魔導師の姿を視認した。同時に相手もシグナムに気が付き、両者の視線が合う。
――高町なのは
風を裂く音と衝撃。
動揺でわずかに意識がそれたシグナムの顔を、純白の槍が殴りつけ、吹き飛ばす。幻術魔法で隠れていたのか。
空中で姿勢を制御しながら攻撃した相手を確認しようとしたが、目に映るのは氷と液体のみ。
「アイスコフィン」
シグナムの周囲を取り囲む氷の花と液体が動きを阻害し、強壮で知られるベルカの騎士甲冑をいとも簡単に貫いた。
液体が体に触れる。体温が急激に奪われ、肉が溶ける。あまりの激痛にシグナムが悲鳴をあげようとするが、そのために開かれた口から侵入した極寒の冷気が喉を内部から破壊する。死ぬような痛みを幾度となく味わってきたヴォルケンリッターでなければ、痛みで動くことさえできなくなっただろう。
シグナムはその魔法の正体を理解した――いや、覚えていた。もちろん、その対処法も。
体内の魔力を全身に纏わせると、それを炎熱へと変換する。炎が氷を溶かし、液体を蒸発させる。しかし、生み出した炎が液体と触れた途端、急激に勢いを増す。炎が制御できなくなり、術者であるシグナムの肉体を燃やし始める。
炎にあぶられながら、即座に飛行魔法でその場から離れる。
炎はシグナムがいなくなった後でも、空中で燃え続けていた。あのまま留まっていれば、焼かれて致命傷を負っていたに違いない。
そう、“かつて”はそれで死の寸前まで追い込まれた。シャマルの回復がなければ、“あの時”も死んでいただろう。
先ほどの魔法は『凍結魔法』――凍結の魔力変換だ。
魔力変換のほとんどがエネルギーを発生させるのに対して、凍結は熱――エネルギーを奪う性質を持つ。
シグナムの周囲に現れた氷は、気体中の水蒸気。液体は酸素と窒素。凍結によってシグナムの周辺の空間の温度を、超低温――おそらくマイナス二百度前後――にまで下げたのだろう。
バリアジャケットは熱変化に強い。雪の降る凍土や灼熱の砂漠といった厳しい環境でも、バリアジャケットを纏う魔導師にとっては、そよ風の吹く春の草原と変わらない。
反面、千度を超える炎やマイナス百度の氷といった極度の熱変化には非常に弱い。そのような特殊な状況に耐えられるバリアジャケットを構成するには、多くのリソースを必要とする。滅多に必要にならない熱変化への耐性よりも、基本である耐衝撃、耐魔力を重視するのは当前のことだ。
シグナムがしばしば剣に炎を纏わせるのは、その弱点を突くためだ。炎でバリアジャケットを簡単に破壊できれば、剣と魔力をより効率良く相手へと叩きこむことができる。
しかし、その弱点はシグナムにとっても同じ。超低温の氷と液体窒素と液体酸素の三重奏の前では、騎士甲冑も簡単に破られる。
騎士甲冑を破って侵入した液体窒素はシグナムの体を凍てつかせ、生命活動を停止させる。液体酸素は触れた有機物を酸化させる――肉や骨を溶かす。さらに、液体酸素は高い支燃性を持つため、シグナムが低温に対抗するために炎を生み出せば、炎は爆発的に勢いを増してシグナム自身をも焼きつくす。かといって、炎を生み出さなければ氷と酸で殺される。
唯一の対処法は、炎によって氷を溶かし、動けるようになった瞬間にその場を離れることだが、それでも相当の負傷はまぬがれない。
現に、即座に魔法の正体に気づき、迅速に対処したシグナムでさえ、致命傷一歩手前の重傷。その姿はあまりに悲惨でむごたらしい。人体にあるべきものがいくつも失われており、とても直視できるものではない。
シグナムは空中で静止して、肉体の再構成をおこない始める。一刻も早くなのはの砲撃を止めなければならないとわかっていても、身体操作に影響を及ぼすほどの傷を放置して無理に動けば、先ほどの魔導師に返り討ちに合うだけだと考えたからだ。
魔力が再びシグナムの肉体を形作る。古いコンピュータのデータを新しいコンピュータにコピーするように、意識の連続性を保ったまま肉体を移し替える。
傷ついたぼろぼろの姿はなくなり、数分前とまるで変わらない姿のシグナムが現れた。
同時に、燃える炎が消える。
晴れた視界の向こう、悠然と立つ魔導師の姿が見える。見忘れるはずがない。前回のヴォルケンリッターを倒した管理局の魔導師。その彼らを率いていた指揮官――ギル・グレアム。
「やはりお前か」
凍結魔法も他の魔力変換と同様で、魔力変換資質を持たない魔導師でも、そのためのプログラムを構築すれば使うことができる。
しかし、凍結は破壊力という点では純粋魔力運用の攻撃魔法や他の魔力変換に劣るうえに、発動には高度な制御力が必要とされる使い勝手の悪い魔法だ。
凍結魔法を実戦で使用できるレベルの魔導師は、管理世界でも極少数。シグナムの記憶にもグレアム一人しか存在しない。
「十一年ぶりだな。お前たちにとっては、そうでもなかろうが」
グレアムが鮫のような笑みを浮かべると同時に、なのはの砲撃魔法が完成。桜色の砲撃が天へと奔り結界を貫いた。穴が開き、構成を維持できなかった結界が崩壊する。
間髪入れず、ユーノが新たな結界を張る。
シグナムはレヴァンティンの切っ先をグレアムに向ける。
これで逃走はできなくなった。ならば、対峙する強敵を倒して進むより他に道はない。
***
海鳴の街の空をヴィータは駆ける。月のない晩だ。一般人に見咎められる可能性は低いので、低高度を飛んでいた。
結界を出てからというもの、ヴィータははやてをどこに連れて行くべきなのかと、考え続けている。
今日一晩隠れるだけなら、街の廃ビルなり、港湾部の倉庫なり、いくつかの選択肢がある。最悪、海鳴を囲む山中でも良い。
しかし、相手に知られている恐れがある以上、もう八神家に戻ることはできない。もっと遠くへと逃げなければ。
では、どこに行けば良いのか。
はやてがヴォルケンリッターのように自在に次元世界を渡れるなら、管理局の目が届かないほど遠くにまで逃げることもできるが、あいにく闇の書の主は生身の人間。プログラム体のヴォルケンリッターのように次元世界を渡ることはできない。
これまでの闇の書の主が捕まって来たのも、結局のところそれが原因だ。主が世界間を移動できないから、ヴォルケンリッターの蒐集範囲は一定範囲に留まり、蒐集が進むごとに範囲が特定されていく。
結界のおかげで、今のところ管理局の魔導師が追いかけてはこない。
その代わり、逃げ切れるのだろうか、そもそもはやてはもう捕まっているんじゃないだろうか――そんな不安の影が後を追いかけてきて、それを振り払うためにヴィータはさらに加速する。
八神家の外観が見えてきた。出かけた時と同じく、玄関とリビングに灯りがついたままだ。
その光に照らされて、玄関に三人、裏庭に二人。計五人の男が八神家の周辺に倒れているのが見えた。
急降下し、裏庭に降り立つ。倒れている男に触れ、生体反応を確かめる。気を失っているだけで、死んでいるわけではなかった。目立った外傷もない。
「なにもんだ、こいつら」
もしも管理局の魔導師だとすれば、いったい誰が倒したのか。わざわざ管理局に敵対して、闇の書を助けようとする者など、いるはずが――いや、心当たりがあった。
だが、まずははやての安全を確認する方が優先だ。出かける時に鍵をかけずにおいた掃き出し窓から家に侵入する。扉を開け放った音が家中に響き渡る中、リビングのソファを飛び越え、廊下側からはやての寝室に向かう。
寝室の前で、ヴィータは足を止めた。扉の向こうからわずかな魔力が漏れている。魔力の流れは無秩序。魔法行使による魔力が漏れているわけではなく、ただ魔力を垂れ流しているだけ。
意味のない行為か――違う、ヴィータを誘っているのだ。
ヴィータは防御魔法を張り、グラーフアイゼンを構えながら、寝室へと踏み込んだ。
「早い帰りだ」
ベッドの前に男が立っていた。月よりも寒々とした、仮面をつけた戦士。
仮面をつけたその姿は見覚えがある。自分たちが八神はやての騎士となってから初めて蒐集をおこなった、あの夜に現れた魔導師だ。
「やっぱりお前か」
部屋の中が荒らされた様子はなかった。いつもヴィータがはやてと一緒に寝る時と変わらない。しかし、仮面の戦士の背後にあるベッドは無人。寝ているはずのはやての姿がない。
「はやてはどこだ」
ヴィータの濃密な敵意を受けても、仮面の戦士に動揺はない。問いかけに答える言葉は、仮面同様に冷ややか。
「彼女はもう、この世界にはいない」
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無風のはずの結界内に強い風が吹き荒れ、シグナムのまとめた髪がなびく。冷気と炎が空気の対流を生み出したせいだ。
「シグナムさん!」
シグナムは空いた左手で己の顔に触れ、舌打ちした。仮面がない。肉体を再構成した時に、具現化し直すのを忘れていた。
誰がシグナムの名前を呼んだのかは、考えるまでもない。
「お願い、戦いを止めて! こんなこと、はやてちゃんが悲しむだけだよ!」
地上のなのはが、上空にいるシグナムに言う。
彼女の言うように、主がこのことを知れば悲しむだろう。それでも、止まるわけにはいかない。
「邪魔はするな」
せめてこの戦いに巻き込まないようにと、それだけを告げ、シグナムはグレアムへと突撃する。
なのははシグナムのもとへと駆けつけようと、飛行魔法を行使。靴に羽根が生えて、今にも飛び上がろうとした時、なのはの腕をユーノが掴んで止める。
「離してっ!」
「落ち着いて! あそこに飛び込んで行ったら、死んじゃうよ!」
ユーノの顔は蒼白だ。グレアムの魔法の効果を理解できた彼には、上空の戦いがどれほど恐ろしいのかがわかる。
グレアムの凍結魔法は、肉体を再構成できるヴォルケンリッターだからこそ戦闘が継続できているのであって、人間が直撃すれば死をまぬがれない。
超級の魔導師と騎士の戦いは小型の災害のようなものだ。巻き込まれれば命はない。
「でも、でも――!」
なのはだって、魔法の効果がわからなくとも、上空でおこなわれている戦いがとてつもなく高レベルなことくらい理解できる。
それでも、何かをしたいと願う。みんなが不幸にならないために、自分には何かができるはずだと。魔法にはそれだけの力があるのだと。
でも、なのははユーノの腕を振りほどけなかった。もしかしたら、振りほどく気がなかったのかもしれない。いったいどう動けば状況が良くなるのか。それがまったくわからない。
十を超える魔力弾がシグナムに襲いかかる。巧みに軌道が変化する魔法を回避するのは困難だ。だが、足を止めて打ち落とそうとすれば、その瞬間に凍結魔法の餌食になる。
凍結魔法のみなら騎士甲冑の低温への耐久力を上昇させて防ぐこともできるが、純粋魔力による攻撃を織り交ぜられてはそうもいかない。
騎士甲冑にマイナス二百度の低温を防ぐほどの耐冷性を持たせることはできる。しかし、その騎士甲冑は耐魔力と耐衝撃が皆無に等しい物になってしまう。冷気と魔力、両方への高い防御を持たせることは、さしものシグナムでも不可能だ。
移動し続けるシグナムに、前方から誘導弾が迫る。魔力を纏わせたレヴァンティンでなぎ払う。魔力構成が崩壊し、誘導弾が霧散する。わずかにタイミングをずらし、斜め前方から異なる誘導弾が迫る。速度を上げて回避するが、誘導弾が髪をかすめてリボンがちぎれる。
レヴァンティンに魔力をのせ、グレアムに向かって振る。魔力が衝撃破となってグレアムを襲う。
グレアムは瞬時にシールドを展開して防ぐ。
シールドを展開した瞬間、誘導弾に若干のぶれが生じたのをシグナムは見逃さなかった。シールドの高速構築と魔力弾の誘導を両立させることはできなかったのか。
これを好機と捉えたシグナムは接近を試みる。誘導弾の反応は予想通りにわずかに遅れ、シグナムは誘導弾の包囲を抜けてグレアムに肉薄する。
グレアムの背後から、二つの青白い壁が現れた。グレアムの左右を通って前方に出ると、合流して一つの波濤となる。
ぶれたように見えたのは、シグナムの接近を誘うためのフェイク。
接近したシグナムを飲み込まんと、液体窒素と液体酸素が白煙をともなって迫る。触れれば先ほどの再現となるだけ。
しかしここで下がっても状況は改善されない。グレアムは脅威だが、いつまでもかかずらわっていて良いわけではない。こうしている間にも、ザフィーラとシャマルは武装隊を相手に戦い続けている。
レヴァンティンのカートリッジの装弾数は三発。シュランゲフォルムへの変形に一発消費。レヴァンティン内には残り二発。
「カートリッジロード!」
レヴァンディンの鍔がスライドし、カートリッジに込められた魔力が刀身を覆い、薄紫の魔力が炎に変わる。
シグナムがレヴァンティンを振るうと、炎が横向きの火柱となって波濤と激突する。
氷は溶けたが、液体酸素のせいで炎が激しく燃え盛り、新たに炎の壁が生み出される。このまま突っ込めばただではすまない。
「紫電一閃!」
超高速で振るわれたレヴァンティンが風を裂き、衝撃破を生み出した。
炎の壁に風圧で穴が空く。シグナムはさらに加速。開いた穴を通過し、ほどけた赤い髪を戦旗のようになびかせながらグレアムに肉薄する。もはや両者の間には何の障害物も存在しない。
レヴァンティン内に残った最後の一発のカートリッジをロード。再度の紫電一閃。炎を纏った剣が夜空に赤い軌跡を生む。
グレアムは凍結魔法によって作り出した氷をフルンティングの先に誘導。氷の長槍が触れた空間を凍てつかせながら迎撃する。
凍結と炎熱が激突。マイナスとプラスが互いを打ち消し合い、纏う炎と氷の穂先が互いに消失。
白煙を裂き、レヴァンティンが一閃。フルンティングは弾くことさえできず、甲高い音をたてて真っ二つに断ち切られた。グレアムは衝撃で吹き飛ばされ、姿勢を制御する間もなく月村邸の屋根に衝突する。
屋根に手をついて立ち上がろうとするグレアムに、追撃を狙うシグナムが迫るが、青色の光弾が接近を阻止した。
「スティンガースナイプ!」
光弾に遅れて、クロノとともに武装隊一小隊が現れる。彼らはグレアムの前に立つと、シグナムへと魔力弾を放ち続ける。
「無茶をなさらないでください!」
「すまないな。だが、私もまだ戦える」
グレアムはそう言って、クロノの横に立つ。その周囲に次々に魔力弾を発射するためのスフィアが現れる。
「凍結以外なら、デバイスがなくとも使えるからな」
シグナムの前には、武装隊の一小隊とAAAを超える魔導師が二人。
シグナムの指が二つのカートリッジを虚空から取り出し、レヴァンティンに装弾する。
ザフィーラの鋼の軛、シャマルの旅の扉のように、シグナムも奥の手を持っている。状況を打破する必殺技。
そう、必殺技だ。使えば、このうちの幾人かは必ず殺してしまう。
それでも――
カートリッジがロードされる、まさにその直前。結界に重低音が響き渡った。
天と地を揺るがす振動。結界に大きくひびが入り、甲高い音を立てて崩壊する。
闇の空を、小型のビルに匹敵する巨大な円筒が高速で動いていた。円筒の側面から伸びる細い棒を、十歳前後の少女が握って振り回している。非現実になれている魔導師さえも唖然とさせる、現実離れした光景だ。
円筒を振り回すのは、ヴォルケンリッターの鉄槌の騎士、ヴィータ。そして円筒は彼女が持つ槌型デバイス、グラーフアイゼンの頭部だ。
グラーフアイゼン・ギガントフォルム――カートリッジ二発分という巨大な魔力によって、内蔵していた超質量を量子の海から引きずり出し、デバイスの外装とする。ヴォルケンリッターの中でも最大の破壊力を持つヴィータの奥の手。
クロノでさえ、突然のことにヴィータの方に気をやってしまった。対峙するシグナムへの警戒を怠るなどという初歩的なミスはしなかったが、ヴィータとシグナム以外への注意が低下する。
その意識の間隙をついて、上空から仮面の戦士がクロノに襲いかかる。
急降下の勢いのまま、かかと落とし。直前で気が付いたクロノは上方向にシールドを張り攻撃を防ごうとする。
仮面の戦士はかかと落としの途中で強引に体をねじる。巧みな姿勢制御で蹴りの軌道が縦から横へと変化し、シールドのない横方向からの蹴りがクロノを吹き飛ばす。
返す刃で放たれた横蹴りがグレアムの腹部に命中。グレアムもクロノ同様に吹き飛ばされた。
指揮官二人が文字通り一蹴されたことで、隊員が動揺する。
その隙に、仮面の戦士はシグナムに念話を送る。
≪まだ転送をおこなうだけの魔力は残っているな? 今から指定する座標に行け。逃走の手はずを整えている≫
≪お前は、あの時の――≫
≪新たな結界を張られる前に急げ。八神はやても我らが保護している。返して欲しければ従え≫
信用できないが、戦場から撤退するのが最優先と判断。仲間と合流するために、隊員たちの間を強引に突破して、月村邸を越える。仮面の戦士もシグナムの後に続く。
前方ではヴィータがシャマルとザフィーラと合流していた。ヴィータが振り回す巨大なグラーフアイゼンのせいで前衛はおいそれと近づけず、後衛が魔力弾を用いて遠距離攻撃をしかけ、それをザフィーラとシャマルが防御している。
三人の仲間に向けて、念話を送る。
≪座標は――≫
≪聞いている!≫ ≪聞いたわ!≫ ≪二人にも伝えた!≫
シグナムが接近すると、ヴィータはギガントフォルムを収納。シグナムはレヴァンティンを鞘に納め、すれ違いざまに右手でザフィーラ、左手でシャマルを掴み、戦場から逃走する。ヴィータと仮面の戦士もシグナムの後を追いかける。
邪魔されずに多重転移をおこなうために、一旦敵から距離をとらなければならない。
「逃がすな!」
ギャレットに指揮された前衛が彼らを追いかける。
さらに、クロノが片手で腹部を抑えながら、月村邸の屋根の上に立ってデバイスを構えていた。周囲には魔力刃が次々と生成されていく。
「アクティブガード」
シグナムたちの後方で爆風が発生。逃げるシグナムたちは後押しされて速度が上昇し、追いかける隊員たちは押しとどめられて速度が低下する。
いったい誰が――と周囲に視線を巡らせる。
シグナムたちの前方に、もう一人の仮面の戦士が立っていた。手には一枚のカードを持っている。
≪後は任せろ≫
仮面の戦士の周囲に、魔力弾が次々と生成される。さらに、カードが輝きを放ち消失すると、仮面の戦士の魔力が増加する。カートリッジのようなものかと、シグナムは推測。
さらなる魔力を得て、生成される魔力弾の数がさらに増加する。
クロノの魔力刃と、仮面の戦士の魔力弾。ともに百を超える数の魔力の塊が空中でぶつかり合う。
次々と起こる爆発で、シグナムたちの姿が隠される。
爆発が晴れた時、空には誰もいなかった。
「エイミィ! 追跡は!?」
「やっています! でも――」
邸内では、エイミィが額に汗をかきながら、コンソールを一心不乱に操作し続けるが、いまだに完全には消えていないジャミングの影響や、結界内で大量に消費された魔力が周囲に急激に拡散することで発生した魔力流が、各種センサーを狂わせていた。
やがて、エイミィの指の動きがぴたりと止まった。
「……反応、ロストしました」
ヴォルケンリッターも、仮面の戦士も、どちらもその場から消えてしまった。
次第に鮮明さを取り戻していくディスプレイを見つめながら、リンディは命令を下す。
「負傷者の回収に医療班を向かわせて。それから、本局への連絡も」
そして、椅子の背もたれに体重を預け、長い長いため息を吐いた。
「私たちの負けね」