時空管理局の本局は、次元空間に浮かんでいる。
ロストロギアにも指定されている旧暦の機動要塞を再利用したものだが、いくつもの棘が飛び出している攻撃的なデザインは、どちらかというと悪玉の本拠地に近い。時の庭園といい、旧暦のデザインは現代人の感性には適していないようだ。
本局内の執務室にこもって黙々とデスクワークに励んでいるクロノ・ハラオウンは、本局に帰還してから一月の間、休日を返上し続けていた。その甲斐あってようやく今回の事件――首謀者であるプレシア・テスタロッサの頭文字をとって、PT事件と呼称されることとなった――の事後処理は終わろうとしている。もっとも数日後にはアースラに乗って地球に行かなければならないので、休みをとることができるのはさらに先の話。
フェイトは近々クラナガンの海上隔離施設に入れられ、短期更生プログラムを受けることになっている。
プログラムを問題なく消化してさえいれば、優秀な魔導師であることを利用して、途中からは嘱託魔導師として管理局で働かせることでプログラムの替わりとする方法がとれる。
嘱託魔導師とは人手不足を解消するために管理局が設けた制度の一つ。平たく言えばアルバイト局員の一種だが、必要とあれば武装隊と同等の任務に動員されることもある危険なもので、事前対策もなしに通るほど試験は甘くない。フェイトは魔法知識や戦闘系技能は優れている反面、教養知識に疎いので、隔離施設でも試験勉強を続けることになっている。
一方、プレシアは病人ということもあり、拘置所ではなく管理局御用達の病院に入院している。裁判が進めば非常に重い刑が科せられるんのは確実だが、本局に帰ってからの検査で、彼女の余命が残り少ないことはが判明している。
だから、クロノは彼女の裁判についてはそれほど重視していない。どれだけ低く見積もっても、数百年単位の幽閉は確実。刑期が百年でも二百年でも人間にとっては同じことで、そもそもプレシアは裁判期間中に亡くなる可能性の方が高い。
それならば、余生は静かに過ごさせてあげたいというのがクロノの考えだ。その考えが先ほど売店で買ったアイスクリームより甘いということは自覚している。
幸い本局は彼女たちに大して関心を払っていない。良くも悪くも、海は終わった事件よりもこれからの危険に備える方を重視するから。
つまり、重きをおいているのは――
クロノは自らのディスプレイに、時の庭園の調査結果の中でも、この事件で最も重要となる案件を表示させる。
『プロジェクトF』
クロノは執務官になるために法曹に必要な知識や魔法の修練に多くの時間を費やしてきたため、科学に関しては人並み程度の知識しかない。その点エイミィは普段の軽薄さとは裏腹に、様々な分野にわたる幅広い知識を活用して、クロノを補佐している。
そんなクロノでも、記憶移植というものが世界を変え得る技術だということはわかる。
まず、移植のために記憶をデータとして取り出すという点が恐ろしい。
クロノには『思考捜査』というレアスキルを持つ友人がいる。記憶を覗くことができるという恐ろしい能力だが、これはどのような記憶があったかは使用する魔導師の証言に頼ることになるので、能力のすさまじさとは裏腹に法廷ではまるで重視されていない。しかし、プロジェクトFが実用化されれば、同じことが――それも、機械という絶対的客観をもってできるようになる。
また、プレシアはアリシアの“死体”から記憶を取り出し、フェイトに移植した。死体から情報を得ることができるようになれば、犯罪捜査は非常に楽になる。また医療面では、脳が物理的に傷ついたことによる、記憶の損壊を治療することも可能となるかもしれない。
そして記憶移植。これが普及すれば、学習形態は大きく変わるだろう。
いちいち本を読まずとも、記憶と一緒に知識を移植すれば良い。あたかもコンピュータにデータをインストールするように。
そんな時代が訪れれば、知識の量は能力の優劣を判定する基準にならず、もっと根源的な思考能力が優秀さを競う大きな要因になる。もっとも、ウェブの発達が多くの情報へのアクセスを容易にした現代の時点で、その傾向は現れているのだが。
もちろん良いことばかりではなく、実用化の前に安全性という大きな問題が立ちはだかっている。
フェイトがアリシアにならなかったと言っても、アリシアの記憶はフェイトに大きな影響を与えているはず。しかし、成功例がフェイト一つしかない現状、移植先にどれだけの影響があるのかは未知数だ。それにフェイトのように生みだされる段階で記憶を移植する場合と、成人に移植する場合では結果も大きく異なる。
危険性を調べるためには、多くの実験を重ねなければならない。それこそ万単位の実験を必要とする。旧暦ならまだしも、このご時世に人体実験を認めるわけにはいかない。
実用化されれば人類は確実に発展するが、実用化にもっていくことは不可能な、時代の徒花のような技術だ。
その処遇を巡って、本局上層部は秘密裡に各分野の有識者を招いて、今日も喧々諤々の議論をおこなっている。
クロノはエイミィを見る。執務官補佐である彼女は、同じ部屋でディスプレイに向かいながらコンソールを叩き続けている
「プロジェクトFについて、何かわかったか?」
エイミィはディスプレイの方を向いたまま、視線だけをクロノにやって答える。
「プロジェクトFって、ちょっぴりアングラな研究の世界だと結構有名だったみたい。一人の天才の残した遺産――もしくは課題って感じでね。ただ、理解できる人が全然いなかったから、実際にそれをもとに何かを作り出した人は今までいなかったんだ」
「その天才の名前は?」
「ジェイル・スカリエッティ」
「広域指名手配犯の一覧で名前を見た気がするんだが……どんな人物だったかな?」
「彼の経歴、すごいよ。読む?」
クロノが首肯すると、エイミィはクロノの前にホロ・ディスプレイを投影する。
クロノはその内容に目を通し始めた。
彼の人物が表舞台に現れたのは十五年前のこと。
生物学において、次元世界で最も権威のある学術雑誌に、ジェイル・スカリエッティという人物から一編の論文が送られてきた。その内容はとある未解決問題を解決するためのブレイクスルーになり得る、非常に価値のあるものだった。
論文が雑誌に掲載される前には、査読(研究者たちによって論文に誤りがないか調べる行為)がおこなわれる。厳密な査読の末に、その論文の掲載が決定された。だが、その論文が掲載されたのとほぼ時を同じくして、生物学のみに留まらず、魔導工学、通信工学、魔素物性論など、様々な分野の学術雑誌にジェイル・スカリエッティの論文が掲載され始めた。
当然人々は想像する。これだけ多くの分野に精通する、ジェイル・スカリエッティとは何者なのかと。
最も有力な予想は、ジェイル・スカリエッティとは罪を犯して表に出ることができない複数の違法科学者たちが作りだした、架空の名前だというもの。
その予想を嘲笑うように、それからまもなくジェイル・スカリエッティはとある学会に姿を現した。
現れたのは二十代前半の若い男。誰もが彼を本物とは考えず、せいぜいジェイル・スカリエッティの代理人なのだろうと考えた。だが、彼は自分こそが、自分一人がジェイル・スカリエッティであることを示していった。
どのような問いにも、非常に的を射た答えが返し、学会の場で得たコネクションを利用して、多くのプロジェクトにも参加し始める。共に仕事をしていてもまったくぼろを出さないどころか、一人で十分だと言わんばかりの優秀さを間近で見せつけられれば、嫌でも認めざるをえない――彼こそが、ジェイル・スカリエッティ、稀代の天才なのだと。
彼を信奉する者、嫉妬する者、負けじとより一層研究に打ち込む者、反応は様々だったが、その存在は多くの研究者に影響を与えた。
彼の数多くの業績の中で最も価値があったのは、業績の数そのものだと言われている。
科学は無限の広がりを持つ。一つの問題が解決したからといって、そこで終わることはない。科学において問題を解決するということは、新たな土壌を切り開く行為に等しい。真理は数多の問題を生み、問題を解決するために仮説が生みだされる。仮説はやがて証明され、真理へと変わる。一つの論文が、何百もの論文を生みだし、後に続く数多の開拓者を受け入れる土壌となる。
彼によって開かれた全く新しい土壌は、何人たりとも足を踏み入れたことのない広大な処女地。それは多くの野心家な科学者――特に若い者たちに好まれた。誰も踏み入れたことのない地を自分が開墾することに知的な興奮を覚える者もいれば、それを手段にして歴史に名を残そうと考えた者もいた。
若手の活躍は全体の活性化につながる。彼の最大の功績は、多くの分野をたった一人で活気づけたことだった。
「……超人だな。こんな人物なら、もっと知られていてもおかしくないはずだ。単に僕が物知らずだったとは考えにくい……考えたくないんだが」
「業績のわりにあんまり有名じゃないのには、いくつか理由があるよ。まず、次元世界――特にミッドチルダでは科学に関心を持たない人が多いからかな。ニュースを見ていても、魔導師はよく取り上げられるけど、魔法の研究とかはあまり取り上げられないでしょ? 魔法が関係しない研究なんて、もっと扱いが低くなるし。
次に、スカリエッティ自身、マスメディアへの露出が極端に少なかったみたい。学会もコネクション確立のためだったのか、後半はそれほど出席しなかったみたいだね。
とどめに、犯罪者になった時に業界全体が自粛したらしいの。現在出版されている書籍のほとんどから、彼の名前は消されている。犯罪者にさえならなかったら、今頃子供でも知っているくらいには有名になっていたんじゃないかな?」
クロノは知らずの内に顔をしかめていた。ジェイル・スカリエッティの経歴は、百五十年前に管理局の雛型を創り上げた始まりの人々や、七十年前に活躍した伝説の三提督と並べても、勝るとも劣らない輝かしさだ。
それだけに残念に思う。彼が本気で管理世界と人々のことを考えて行動すれば、どれだけの人々が救われることか。
「いったい、どんな人物なんだろうな」
*
来客を告げる音が病室に響きわたり、プレシアは最新の論文雑誌を投影していたホロ・ディスプレイを消した。
今日はフェイトが面会に訪ねて来る日だ。しかし、その時間にはまだ余裕があった。予定には少し早いが、早くに到着してしまったのだろうか――そう思って、扉に視線をやる。
病室に入って来たのはフェイトではなく、青い薔薇の花束を抱えた男だった。
年は二十前か。紫の髪を肩まで伸ばし、線のやわらかい吊り目――いわゆる狐目をした男。スーツを着崩したその姿は、一見すればただの優男。
しかし顔を見れば、見た目よりもずっと子供っぽい笑顔をうかべている。全体を見れば、見た目よりずっと老成した雰囲気を纏っている。男は相反する要素を兼ね備えていた。そしてその両極を、金色の瞳に内包している。
「やあ、久しぶりだね。プレシア・テスタロッサ」
「この病院は管理局御用達よ。よくもここまで入って来られたわね、ジェイル・スカリエッティ」
驚きはある。なぜ彼がここにという疑問もある。だがプレシアは、それを表には出さずに強がって言い返す。
対して、彼はおどけたように両手を肩の高さまで上げて、驚いたというジェスチャーをとった。
「嬉しいよ。私のことを覚えていてくれたんだね」
「あなたのことを知らない科学者がどれだけいて?」
「悲しいことに最近はあまり知られていなくてね。これも管理局の地道な活動のたまものだ。そうそう、警備のことは気にしなくていいよ。娘の一人が監視機器をごまかしているから」
「子供がいたの? ……いえ、そもそもあなたはジェイル・スカリエッティ本人? その姿、十年以上前に会った時と全く変わっていないじゃない」
ジェイル・スカリエッティの容姿は十五年前で二十前後。本人であれば三十代半ばのはずだ。
だというのに、目の前にいるスカリエッティを名乗る人物の顔は若々しかった。十五年前同様、もしかするとそれ以上に。もっとも彼はアンチエイジングに関しても多大な業績を残している。老化を抑制することなど、彼には造作もないのかもしれない。
「最初の質問については――きみにとっての子供の定義が、生殖によって生産される自身の遺伝子を継ぐ存在に限定されているならば“NO”だ。そしてもう一方の答えは“YES”だ。私はまぎれもなくジェイル・スカリエッティだ。その理由はじきにわかるよ。だが容姿のことを言うなら、きみも以前とさほど変わっていないようだ。相変わらず綺麗だよ。沈魚落雁の風情とでも表現すれば良いのかな」
「お世辞はいいわ。私に何の用?」
彼は手に持った花束を近くの机に置くと、来客用の椅子に座り、あらためてプレシアに向きなおった。
プレシアは横目に薔薇の花束を見る。綺麗な青色。市販されている一般的な品種よりもさらに純粋な――引き込まれそうな――青だ。
若いころは、気品と誇りを感じさせる紫の薔薇が好きだった。だが、アリシアを失った時にすべて捨てた。気品や誇りなんていらない。そんなものはアリシアの復活のためには邪魔になるだけ。
その代わりに青い薔薇を置くようになった。それは自然に存在しない、人為的に作り出された花――だから良い。人間の科学が不可能を可能にしたという事実そのもの。科学への祝福を表す花だ。
スカリエッティはプレシアのことを調べて、この花を持ってきたのだろうか。それとも彼自身もこの花が好きなのだろうか。
「アルハザードを目指そうなんて、思い切ったことを考えたものだね」
そんな風に考えていたところ、スカリエッティの声で引き戻された。
「……耳が早いわね。もう報道されているの?」
「いいや、まだだよ。ただ、きみの起こした事件に私の友人が関わっていてね。ウィリアム・カルマン――と言ってもわからないかな? きみと戦った赤い髪の局員だよ。行方不明になった彼の様子を調べていたら、偶然事件のことを知ったのさ」
「ああ……あの変わった子とあなたが。……愛と憎しみはそれぞれ独立パラメータだ――なんてませたことを言っていたけど、もしかしてあなたの影響?」
スカリエッティは嬉しそうに笑う。
「それは彼が子供のころに、愛情と殺意は共存し得るのかと聞かれた時の答えだね。
正確には、『愛と憎しみに限らず、全ての感情は同一平面上に存在しない。それぞれの感情自体は、異なる次元に属するパラメータ――つまり数学的に独立しているものさ。きみという人格は、そんな複数のパラメータが複雑に統合されて形成された、非常にあやふやなものだ。だから愛や憎悪という一つのパラメータだけを見て悩むことはない。迷った時はただ心から湧き上がる衝動――欲望に任せれば良い。それこそが、きみ自身の望みだから』と、言ったと記憶しているよ。彼はちゃんと覚えていたようだね」
「……あきらかに子供に教えることじゃないわね」
目の前の男は子供に何を教えているのだろうと、プレシアは呆れを通り越して完全に引いていた。こんな男の影響を受けたのであれば、あの局員も多少変わっていて当然だ。
そんなプレシアに対して、スカリエッティは呆れたように首を振った。
「嘘やおためごかしを告げるよりはずっと良い。子供は大人が思う以上に賢いから、適当なことを言っては信用を失うよ? 多少難しくとも真実を教えるべきだ。そうすればその時は理解できなかったとしても、彼のように覚えていてくれることもあるからね。成長してから私の言葉を理解して、彼自身が自分で思考して間違いだと判断したのなら、それはそれで良い。私の考えは彼にとっての真理足りえなかったと言うことさ。だが、科学者であるきみには私の言葉が真理であることがわかるはずだよ。プロジェクトFを理解したきみならね」
スカリエッティの言葉は、プロジェクトFの根幹を成す考え方の一つ。全ての感情や記憶がそれぞれ独立したパラメータでなければ、人間の完全なコピーはできない。
しぶしぶ納得したプレシアの顔を見て、スカリエッティは続ける。
「そう、プロジェクトF――FATEを完成させたみたいだね。そのことでお礼を言いに来た。きみがやってくれて助かったよ。昔から反復作業が嫌いでね。結果がわかりきったことをやるのは、どうにも面倒だった」
「完成と言えるのかしらね。あれで生みだしたフェイトはアリシアにはなれなかった」
その言葉に、スカリエッティは大きくため息をつく。
「やはりそうか。もしかしたらと思っていたが……あれを理解できるほどの頭脳を持ちながら、きみは初歩的な間違いを犯していたようだ」
「間違い……やっぱり私は間違っていたの?」
「単なる“記憶の移植”で、人間を再現できるはずがないじゃないか。きみは記憶を共有しただけで同じになれると思っているのかい? ある船とまったく同じ船を造るために、同じ資材を用意した――プロジェクトFは所詮そこまでだ。資材だけを見ても、当然船には見えない。同じ船を造りたいのであれば、そこからさらに一歩踏み込んで、“建造”する必要がある。人間で言うなら、モノとモノをつなげるネットワークのコピーが必要だ。プロジェクトFだけで人間の再現をおこなおうなんて、最初から無理な話さ」
その言葉が学術的に正しいのかはわからないが、スカリエッティの言葉には信じてしまうような正しさがあった。
平衡感覚を失いかけ、思わず手をついて体を支える。フェイトとアリシアは違うと、すでに自分の中で結論を出していなければショックで倒れていたかもしれない。結論が出ている今でさえ、これだけの衝撃を受けているのだから。
はっはっ、と息が漏れる。呼吸がおかしくなったのか。それとも、嗤っているのか。
スカリエッティは、そんなプレシアをいたまし気に見やる。心の底から同情しているような目。実力があるのに、ケアレスミスで試験に落ちてしまった生徒を見るような目だ。
しばらくの間、プレシアは何も答えられなかった。
「きみの聡明さなら考えればわかったはずだ。それができなかったのは、相当焦っていたからかな? それとも、わざと気付かないふりをしていたのかい?」
スカリエッティの問いかけに、プレシアは追い打ちをかけられているように感じる。落ち着いてくると、目の前の男が憎たらしくなる。本当に、何をしにきたのだ。
「あのね……あなたは私を落ちこませるために来たのかしら? それとも怒らせるため?魔法が使えなくても、あなたをひっぱたくことくらいはできるわよ」
「すまない、そんな意図はなかったんだが」スカリエッティは心の底からの謝罪をする。が、直後にはまた笑みを浮かべ話続ける。 「ところで、実は花以外に“もう一つ”プレゼントを持って来たんだ。
きみは病に犯されているらしいね。ここに来るまでにカルテを盗み見させてもらったが、よくもこれだけ長い間放置していたものだ。ここまで腫瘍が転移しているようでは、多少の延命程度ならともかく完全な治療は私にも不可能だ。このままでは良くて半年といったところだろう」
スカリエッティの言うことは、プレシア自身も重々承知している。今さら彼に言われることではない。治療などもはや不可能――いや、彼は“完全な治療”は不可能と言った。そして、“延命程度なら”とも。
プレシアはスカリエッティの意図を推測する――おそらくプレゼントとは延命のことだ。
だが、プレゼントと言ってはいるが、ただでそんなことをしてくれるとは思えない。彼が要求する対価はなんなのか。
――なんだってかまわない。どうせ、このまま朽ちていくよりは良い。
「延命処置をしてくれるというのなら、喜んで受けるわ。私はまだ、アリシアの復活を諦めてはいないから」
スカリエッティは首をかしげる。深読みしすぎたかと、後悔と恥ずかしさがないまぜになったプレシアに、彼は問いかけた。
「そんな程度で満足なのかい?」
スカリエッティは椅子から立ち上がると、病室を歩きながら話し始める。生徒に講義する教授を思わせる仕草だ。
「今から数百年前、数多くの王国が乱立し、覇を争っていた時代があった。国家の主たる王は、その存在自体が強大な兵器を兼ねていた。王の前ではどれだけ強くともただの魔導師など有象無象にすぎず、現代では考えられないことだが王の強さこそが国家としての強さを表していたのさ。だがそれは逆に、王の死が国家の崩壊を意味していた。それを防ぐために当時の科学者たちは、常に保険をかけていた」
「いきなりどうしたの?」
プレシアの疑問を無視して、スカリエッティは続ける。
「彼らは、王が死んだ時に保存していた細胞から王のクローンを生み出す――そんな技術、ロストロギアを造りだしたのさ。生みだされたクローンは、魔法の才能(リンカーコア)や稀少技能(レアスキル)といった魔法的素養はもちろんのこと、記憶や精神をも受け継いだ、故人と完全に同一の存在だ。
プロジェクトFは、その装置の記憶継承方法を説明したものでね。装置は王のためのものだけあってほとんどがブラックボックスで、いまだに記憶の継承部分しか“解析”できていないのだけどね。さすがにそんな劣化コピーを世に出すのはプライドに障ったから、死者からでも記憶データを復元して取り出せるように改良したのさ。我ながらこれはなかなかの出来だったと自負しているよ」
簡単に言うが、隔絶した技術で造られたものを解析することがどれだけ困難なことか。
だが、スカリエッティが何を言いたいのかわからず、プレシアは戸惑う。
「それがいったいなんだというの? その技術があればアリシアを蘇らせることができると、紹介してくれているのかしら?」
「残念ながら、それは不可能だ。死体からでは十分な情報が得られないからね。私が完全に解析した暁には、死者の復活くらいはできるようにするつもりだが……それは当分先の話だね」
「なら、いらないわ。ただの自慢なら――」
そこでプレシアは気付いた。彼は“解析”したと言った。つまり、そのロストロギアを所有、もしくは解析させてもらえるほど所有者に近しい立場にある。
そして、使用することもできる。彼の年齢にしては若すぎる容姿は単なる老化抑制ではなく、その装置によるものではないのか。つまり今の彼は十年前と同じ体ではなく、今の話はアリシアのためではなく――
「私はきみに新しい生をプレゼントしよう。
きみはもう一度――いや、望むのであれば何度でも、意志が折れぬ限り永遠にアリシア・テスタロッサを蘇らせるための研究を続けることができる。再びアルハザードを目指すのもいいだろう。疲れたなら少し休んでも良い。誰か他の者が死者蘇生の技術を発見するまで待つのも一つの手だ。時間は無限にある。何をしようときみの自由だ。装置が正常に機能することは保障しよう。ほかならぬ私自身で証明済みだから、何の心配もいらない。
後はただ一つ――すべてはきみの自由意志」
「悪くないプレゼントだろう?」と、聖者のように微笑みながら、スカリエッティは救いを差し伸べる。地獄へと蜘蛛の糸を垂らすように。そして誘う。リンゴを勧める蛇のように。
考えるまでもなく、プレシアの答えは決まっていた。
「いやよ」
スカリエッティの顔に、初めて笑み以外がうかぶ。その唖然とした表情に小気味のいいものを感じる。
――なんだ、笑ってばかりいたが、ちゃんとそれ以外の顔もできるんじゃないか。
「……ノータイムで答えられるとは思わなかった。理由を聞いても?」
「たしかに新しく生み出された私は、フェイトとは違って記憶だけじゃなくて精神もコピーしているのかもしれない。他人から見れば私と全然変わらないように見えるのかもしれない。でも、今ここに生きている私には、どうしてもそれが私と同一の存在だとは思えない。フェイトという失敗を経験したからでしょうね。結局新しい命を作り出して受け継がせるという方法では、よく似た別人を生みだしているようにしか思えないのよ。
そして――」
プレシアはスカリエッティをしっかりと見返して言った。
「私はどうしてもアリシアを蘇らせたい。これは私のエゴよ。このエゴは――アリシアへの思いも記憶も、私一人だけのもの。ほかの誰にも譲ってなんかあげないわ」
断言。スカリエッティはゆっくりと首を横に振る。
「こんな私にも親はいるんだが……きみは彼らと同じことを言うんだね。同じ肉体と同じ精神をもっているなら、それらは同じ存在じゃないか。魂など存在しないのだからね」
見上げるプレシアの視線と、見下ろすスカリエッティの視線がぶつかった。
「あなたは歪んでいるわ」
「遅れているんだよ、きみたちが」
スカリエッティは椅子にすわりなおす。二人の視線は再び等しくなる。
「……残念だよ。興味を持ってくれたなら、引き換えにきみに仲間になってもらいたかったんだが」
「仲間? それがあなたの求める対価なの?」
思いもかけない、そして似つかわしくない言葉に思わずくすりと笑う。この男が群れている姿など想像がつかない。
スカリエッティはテーブルにのせた青い薔薇の花を指でいじりながら、再び笑う。
「そうだよ。私はね……プロジェクトFを完成させる者がいるとすれば、それは集団だと思っていた。だが、その予想は外れた。きみはたった一人で私の研究に届いた。……そんな人物は初めてだったんだ。もしかしたらと期待を抱いたよ。私と同じフィールドに立てるきみなら、私の理解者になってくれるかもしれないと」
「仲間になってあげても良いわよ」
スカリエッティの表情が止まる。指の動きも止まる。口だけが短く動き、「望みは?」と音を発する。
「私を私のままで延命させることはできるの?」
「可能だが、死期を遅らせるだけだよ。長くて五年といったところだろう」
「それで良いわ。私を延命させる。それが一つ目の条件。二つ目は、私をここから逃してかくまうこと。命だけ延びてもどうしようもないわ。三つ目は、研究のためにあなたのラボを貸すこと。時の庭園の設備はもったいないけど、あなたのところならもっと良いものがそろっているでしょ?四つ目は、アリシアの遺体を回収すること。最後に……片手間でも良いわ。あなた自身もアリシアの復活に力を貸しなさい。
この条件を飲んでくれるなら、私もあなたに協力してもいいわよ」
スカリエッティから、ふっふっ、と息が漏れる音がする。それは次第に大きくなり、ついには病室に響きわたる大音声になる。防音されているとはいえ、外に漏れるのではないかと心配になるくらいの大きな笑い声だった。
彼は心の底からおかしそうに笑う。
「あははははははははは! 私が望みを言った途端、あっさりとそれを利用して望みを通そう、だなんて! あははははははははは! きみはとてもしたたかで、そして強欲だ! これでは私も、『無限の欲望』の名を返上しなければならないじゃないか!」
無限の欲望? いったい何のことなのかわからないが、その言葉は、目の前の男にとても似合っていて、そしてまったく似つかわしくなかった。
ひとしきり笑った後、彼は何事もなかったかのように普通の笑顔に戻って、鷹揚にうなずいた。
「わかった、条件はすべて飲もう。きみを口説くためだ。そのくらいは貢がないとね。……あらかじめ言っておくが、私が手伝ったとしても、きみが生きている間にアリシア君を復活させることができる可能性は極めて低いよ。それでも良いんだね?」
「構わないわ。ここで終えるよりはましだから」
「それでは、いつ逃がそうか。望むなら今すぐでも可能だが」
できる限り早い方が良い。だが、少し考えてからプレシアは首を横に振った。
「フェイトの裁判が終わってからにして。今逃げると、あの子の方にも影響するから」
「それはかまわないが、きみはフェイト君を虐待していたそうじゃないか。今さら気にかけるなんて、どういう心変わりだい?」
「そんなことまで知られているなんて、嫌になるわね。……まだ嫌いよ。でも、あの子は私に足りないものを与えてくれた」
「ふむ、興味はつきないが……どうやらもうすぐそのフェイト君が来る時間だね。今日はこのあたりで失礼するよ。主観的に見れば、なかなか充実した楽しい時間だった。たまには外にでるのも良いものだね」
腰を上げ扉に向かう途中で、振り返ることなく背を向けたままで、思い出したかのように彼は言った。
「――ああ、そうだ。この後のフェイト君との面会だが、その最初の五分間は監視機器を狂わせたままにしておくよ。好きなことを話すと良い」
彼は扉を開けて帰って行った。その言葉と、薔薇の花束だけを残して。
**
フェイトは、面会時間ぴったりに部屋に入って来た。
時の庭園の頃は地味な服を着ていた彼女も、今は流行りのかわいらしい服を着ている。服に無頓着なフェイトやアルフが自分で選んだとは考えられないので、管理局の者が世話を焼いているらしいとわかる。悪い扱いは受けていないと考えても良いだろう。
彼女は、机の上に置かれたままの青い薔薇を見て、首をかしげる。
「誰か訪ねて来たんですか?」
「ちょっとした知り合いよ。……近い内に、ここを離れるわ」
びくりとフェイトは震えるが、拳を握りしめながらも言葉を発した。
「ついていっても――」
「駄目よ。あなたは残りなさい」
「……わかりました」
口ではそう言ったが、フェイトの瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれる。
プレシアは手招きし、おずおずと近づくフェイトに手を伸ばし、抱き寄せた。自分の胸に顔をうずめるフェイトの耳に、唇を近づける。
「そんな顔をしなくても、きっとまた会えるわよ。会えないなんて、私の方がまいってしまうわ」
プレシアはフェイトの髪をなでる。あの時も、こうして抱きしめた。
アースラが地球から本局へと帰還する時のこと。
ベッドで上半身を起こしたプレシアとその横の椅子に腰かけたフェイト。二人の視線は重なっていない。その原因はプレシアにある。フェイトはプレシアを見ているが、プレシアはフェイトから視線をそらしていた。
「……いろいろ、聞きました。私のこととか……アリシアのこととか」
無言を打ち破ったのはフェイトの言葉。
「知ったのなら何をしにきたの。もうわかったはずよ。私はあなたの母親ではないし、あなたは私の娘ではないわ」
フェイトはうつむき震える。それをプレシアは、怒りによるものだと解釈した。自分を利用し、関係ないと切って捨てる自分に対する怒りだと。それは正当な感情だ。だから告げる。
「私に復讐するつもりなら止めておきなさい。たしかにあなたにはその資格があるわ。でも勝手に私を殺せば、執務官もあなたをかばいきれなくなる。私のことなんか放っておきなさい。あなたが何もしなくても、じきに死ぬわ」
フェイトは音がするほど激しく、首を横に振った。ピンクのリボンで結ばれた金の髪が揺れる。
「復讐なんてする気はありません。私はただ、伝えに来たんです。あなたがどう思おうが構わない。私は今でもあなたのことが大好きです。そして、あなたが娘だと思ってくれなくても、私はあなたを母親だと思っています」
不意打ちだった。だが、半ば予想していた言葉でもあった。あれだけひどい目に合わせて、それでも自分についてきたフェイトならもしかしたら、と。
時の庭園で意識を失う直前、誰かに――おそらくあの赤髪の局員に――抱きしめられた時、プレシアは自分に足りないものを認識した。そして、フェイトならそれを与えてくれるのではないか、と。
思わずフェイトに手を伸ばす。だが、今さら――
やっぱりやめようと手を引っ込めようとして、体がふらついた。
バランスを崩したプレシアの体を、フェイトが抱きとめる。その手から、フェイトの暖かさが伝わる。あれだけ憎んでいた模造品だというのに、嫌悪感はわかなかった。
「私は……まだ、あなたのことを娘だとは思えない」
「かまいません」
フェイトは即答する。紅玉の色を持つ瞳には、一人の人間としての意思の輝きがあった。
「アリシアを蘇らせることも、諦めていない」
「だったら、私も手伝います。あなたの役に立てることが、私の喜びだから」
再度即答。フェイトは揺るがない。「馬鹿な子」とフェイトの愚かさを嘲笑う。これだけの目に合って、なおも変わらない愚かさ。おとなしそうなくせに、賢そうなくせに――わがままで、向こう見ずで、無鉄砲で、人の言うことを聞かない。
やっぱり、フェイトはアリシアではない。全然似ていない。
「まったく、誰に似たのかしらね」
プレシアは、初めてフェイトを抱きしめた。
あの時と同様にフェイトを抱きしめ、その熱を感じる。
そしてもう一つの熱を感じる。自分の内側から湧き上がる、衝動のような熱さ。
歓喜
私以外の誰かが、私を見てくれている。支えようとしてくれる。味方でいてくれる。すべてを知ったうえで肯定してくれている。
自分を愛してくれる人。そして、自分が愛せる人――となりにいてくれる人。もっと、もっと即物的に言えば、抱きしめることができて、抱きしめ返してくれる人。
人の意志に永遠はない。時間の中で思いは変質する。抱きしめることのできない死者への思いを、いつまでも持続させることなんてできない。
だから、誰か活力を与えてくれる、生きた人間――“パートナー”が必要だったのだ。プレシアの望みを知って、プレシア自身がくじけそうになった時に、活を入れてくれる他者が。
私はついに、それを手に入れた。
フェイトを完全に受け入れたわけではない。憎いという気持ちはまったく薄れていない。
だが、あの局員が、そしてあの科学者が言った通り、愛情と憎悪は異なるパラメータだ。憎みながら愛することはできる。
それに、ここまで自分を愛してくれて、なおかつアリシアの復活を応援してくれる人間には、もう出会えないだろう――そんなひどく打算的な理由もある。
――まあいいや。打算的かもしれないが、これも一つの愛だろう。
プレシアは、強く強く、大切なフェイトを抱きしめた。
***
それからしばらくの後、プレシア・テスタロッサは病院から忽然と姿を消した。
その事実は、本局のアルフや、隔離施設に入れられたフェイトにも伝えられた。アルフは怒り狂ったが、フェイトは「そうですか」とうなずいただけだった。その平然とした態度に、何か知っているのではないかと怪しむ者もいたが、具体的な証拠は何も出なかった。
プレシアの失踪とほぼ同時刻、時の庭園に存在していたアリシアの遺体を保存していたポッドがなくなったため、管理局は彼女に共犯者がいると考えている。
だが、どのようにして共犯者とコンタクトを取ったのかはわからず、依然としてプレシアの足取りはつかめていない。
彼女はまだ生きている。
いつか自分とアリシアとフェイトの三人が出会う、その一瞬を夢見ながら。