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No.32422の一覧
[0] 【後日談完結】スタンドバイ/スタンドアローン (オリ主・再構成・復讐もの)[上光](2020/10/18 20:30)
[1] プロローグ 当世の魔法使い[上光](2016/02/27 14:37)
[2] 第1話(前編) 異世界出張[上光](2013/06/18 05:25)
[3] 第1話(後編) [上光](2013/06/18 05:25)
[4] 第2話 少年少女の事情 [上光](2012/10/28 00:01)
[5] 第3話 黒来たる[上光](2012/07/16 00:50)
[6] 第4話(前編) 袋小路[上光](2012/08/16 22:41)
[7] 第4話(後編)[上光](2012/07/09 23:13)
[8] 第5話(前編) 戦う運命[上光](2012/07/05 03:03)
[9] 第5話(後編)[上光](2014/07/26 23:37)
[10] 第6話(前編) 海鳴の長い午後 [上光](2012/07/07 00:03)
[11] 第6話(後編) [上光](2012/07/07 00:55)
[12] 第7話(前編) 子供と大人の思惑 [上光](2012/07/09 03:44)
[13] 第7話(中編)[上光](2012/07/09 03:44)
[14] 第7話(後編)[上光](2012/07/16 00:50)
[15] 第8話(前編) 愛は運命[上光](2012/07/15 23:59)
[16] 第8話(中編)[上光](2012/07/11 03:13)
[17] 第8話(後編)[上光](2012/07/11 03:40)
[18] 第9話(前編) 後始末[上光](2014/01/08 21:15)
[19] 第9話(後編)[上光](2012/10/10 04:31)
[20] エピローグ 準備完了[上光](2012/07/15 23:57)
[21] 閑話1 ツアークラナガン [上光](2012/07/16 00:18)
[22] 閑話2 ディアマイファーザー [上光](2012/07/16 00:50)
[23] 閑話3 ブルーローズ[上光](2012/07/16 00:50)
[24] プロローグ 成長~グロウナップ~[上光](2012/10/15 07:42)
[25] 第1話 予兆~オーメンレッド~ [上光](2012/08/07 18:24)
[26] 第2話(前編) 日常~エブリデイマジック~ [上光](2012/08/07 18:29)
[27] 第2話(後編)[上光](2012/08/15 15:27)
[28] 第3話(前編) 開幕~ラクリモサ~ [上光](2012/08/15 15:24)
[29] 第3話(後編)[上光](2012/08/15 15:27)
[30] 第4話(前編) 邂逅~クロスロード~ [上光](2015/12/09 00:22)
[31] 第4話(後編) [上光](2012/08/29 02:37)
[32] 第5話(前編) 激突~バトルオン~[上光](2012/09/28 00:52)
[33] 第5話(後編) [上光](2012/09/08 21:55)
[34] 第6話(前編) 舞台裏~マグニフィコ~ [上光](2020/08/26 22:43)
[35] 第6話(後編)[上光](2020/08/26 22:42)
[36] 第7話(前編) 漸近~コンタクト~[上光](2016/11/16 01:10)
[37] 第7話(後編)[上光](2014/03/05 18:54)
[38] 第8話(前編) 致命~フェイタルエラー~[上光](2015/10/05 22:52)
[39] 第8話(中編)[上光](2016/02/26 23:47)
[40] 第8話(後編)[上光](2016/11/16 01:10)
[41] 第9話(前編) 夜天~リインフォース~[上光](2016/02/27 23:18)
[42] 第9話(後編)[上光](2016/11/16 01:09)
[43] 第10話(前編) 決着~リベンジャーズウィル~[上光](2016/12/05 00:51)
[44] 第10話(後編)[上光](2016/12/31 21:37)
[45] 第1話 業[上光](2020/08/20 02:08)
[46] 第2話 冷めた料理[上光](2020/08/20 22:26)
[47] 第3話 諦めない[上光](2020/08/21 22:23)
[48] 第4話 傷つけられない強さ[上光](2020/08/22 21:51)
[49] 第5話 救済の刃[上光](2020/08/23 20:00)
[50] 第6話 さよなら[上光](2020/08/24 20:00)
[51] 第7話 永遠の炎[上光](2020/08/25 22:52)
[52] エピローグ[上光](2020/08/26 22:45)
[53] はやてED 八神家にようこそ[上光](2020/09/13 23:13)
[54] IF 墓標 ゆりかご(前編)[上光](2020/10/03 18:08)
[55] IF 墓標 ゆりかご(後編)[上光](2020/10/05 00:33)
[56] シグナムED 恩威並行[上光](2020/10/12 00:39)
[57] クアットロED 世界が彩られた日[上光](2020/10/18 20:29)
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[32422] 閑話2 ディアマイファーザー
Name: 上光◆2b0d4104 ID:495c16aa 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/07/16 00:50
 淡い光が視界を覆い、続いて一瞬の浮遊感。数秒ほどするとどちらも消えて、十分な広さをもった無機質な部屋が目に映る。数秒前までいた部屋と同じつくりの、だが確実に異なる部屋。
 ウィルは先ほどまで、ミッドチルダ中央部のクラナガンにいたが、わずか数秒で西部のエルセア地方に到着した。鉄道でも数時間はかかる距離をこうも一瞬で移動できるのは、転送装置という魔法文明の利器のおかげだ。まったくもって、魔法文明様様。

 多数の異世界が共存する管理世界においては、離れた距離、異なる世界の移動を一瞬でおこなう転送技術が持つ価値は大きい。とはいえ、それは国家や企業にとってであり、市民にとっては車や水用船舶、航空機の方が親しみ深い。
 これは転送の仕組み自体が大規模、そして連続の運用に適していないことに起因する。
 空間と空間を歪めて一時的に同期させることで、物質は異なる座標間を移動するが、この時、空間を歪める代償として、転送元と先の座標近傍に波――超小規模な次元震が発生する。大規模な転送はもちろん、小規模でも短時間に何度もくりかえすと、波が相乗して大きくなり、次元震を発生させてしまう。
 そのため、転送装置はせいぜい数十人程度の小規模な移動手段。または、待機状態のデバイスのような軽量かつ小型の物の移送にしか利用されない。供給が少ないのだから、値段も高い。

 ウィルが利用しているような民間の転送施設は、安全性を考慮して特定の場所に設置されたポート間を行き来するようになっている。
 一方、次元航行艦船の転送装置は――PT事件でアースラが、ウィルや武装隊員を海鳴沖や時の庭園に転送したように――任意の場所に転送することができるが、これは次元航行艦船には転送元と先の座標の相対的な変化、そして魔力素の偏移を観測できるだけの、高性能なレーダが多数装備されていたからだ。
 技術力の低かった旧暦の頃などは、転送機能付きの次元航行艦船を建造するには、船と同体積の金塊が必要とまで言われており、当時の管理局はベルカ崩壊以前から存在するロストロギアまがいの物を艦船として運用していた。
 現在では、各管理世界の国家はもちろんのこと、企業でさえも複数隻を所有できるほどには安価になっているが、さすがにそれなりの規模のある企業でなければ自前で建造したりはしない。次元空間の航路は、今後百年以上は渋滞とは無縁そうだ。
 ロストロギアというオーパーツが存在し、ベルカという現代以上に栄えた時代があったため、あまり実感はできないかもしれないが、次元世界全体の技術力は確実に進歩しているという証左だ。


 転送施設から出ると、いまどき珍しく石畳でできた道が、わずかに右曲がりの弧を描きながら前方に続き、道の左右には緑の広場が、その先には小規模な城のような建築物が見える。見た目はまさに白亜の城で、光を反射して輝くさまは、そこだけ空の青と地の緑から切り抜かれたようだ。
 近代的なクラナガンとは正反対の光景は、ベルカが国家として存在していた頃のこの地方を模して、意図的に作られたものだ。

 ここは、エルセア地方の観光名所でもある『メモリアルガーデン』だ。
 城のような建物は、ミッドチルダの自然科学に関係する展示をおこなっているミッドチルダ自然博物館だ。同じエリアにはメモリアルガーデンの設立に多大な貢献をおこなったフレデリカ・ランチェスターの名を冠した、ランチェスター美術館がある。どちらもミッドチルダでは二番手の美術館と博物館である。
 隣接するエリアには、ミッドチルダでも最大級の劇場やコンサートホールが集まっており、この他にもメモリアルガーデンには数々のエリアがあり、庭園内の施設は全て、“生きることを記録し、伝える”というテーマを持っている。
 多数あるエリアの中でも最も広いのは霊園エリアだ。人がこの世界にいたことを記録している墓が並ぶエリアは、ある意味メモリアルガーデンの名に最もふさわしい。
 クラナガン市民や、管理局の局員の墓の八割はここにあると言っても過言ではなく、ウィルの父――ヒュー・カルマンの墓も、そこにある。


 エリア間移動のレールウェイに乗り、霊園に到着する。
 霊園エリアは、埋葬様式といったさまざまな要因でわけられた、複数の区画からなる庭園式の霊園だ。花壇や池が要所に配置され、霊園をただ墓石が並ぶ無機質な墓地ではなく、光と色彩あふれる庭園へと変えている。美術館の監修をうけた彫刻や、博物館から寄贈された歴史的記念物も並べられているので、ただ散策するだけでも十分に楽しい。
 ただ、もとから広大な敷地であるのに、景観を重視するあまり道が入り組んでしまい、初めて墓参りに訪れた者が迷ってしまうこともある。本末転倒というかなんというか。
 ウィルにとっては何度も通った道なので、道を確認する必要はない。景観を楽しみながら散歩気分で歩く。入場口は人も多く騒がしいが、数分も歩けば喧騒は枝に止まる鳥の囀りよりも目立たなくなる。
 ところどころに広場があり、芝生に寝転がって昼寝をしている者もいる。空を見上げれば、思わず飛びたくなるような透き通った青空。雲量は二。空の青と雲の白のコントラストがはっきりとしている。この空の下での昼寝はさぞかし気持ちが良いだろうとうらやましくなり、墓参りを終えたら自分も昼寝をしてから帰ろうと予定をたてた。

 ヒューの墓のある区画が見えてくる。その区画は、殉職した局員たちのためのもの。
 管理局には殉職者に対して、全ての手続きと費用を管理局が負担して墓を建てている。百年以上前の管理局が小さな組織だった頃、仲間の墓を自分たちで建てていたのが発祥だとか。さすがに今は、管理局自身が墓を建立するのではなく、メモリアルガーデンに委託している。
 ヒューの墓もその制度で建ててもらった物だ。非常に簡素で飾り気のない、墓として最低限のもの。

 しかし近年、費用削減の一環として、その制度を変えようとする動きがある。今は一人につき一つの墓を建てているが、いくら墓が簡素な物だとしても積み重なればかかる費用は馬鹿にならない。
 そこで、殉職者のための共同霊廟を建ててはどうかという案が出ている。大きな建物――霊廟を用意し、その中に大勢の遺骨を納める方式で、墓石や土地にかかる費用を大きく削減することができる。
 この案を後押する者たちの中には、ウィルの養父レジアスも含まれている。

 でも、ウィルは霊廟が好きではない。安くてすむこの様式は人気があるので、メモリアルガーデンにもいくつもある。遺骨はロッカーのように区切られた、小さなスペースに整然と納められ、霊廟の壁面には納められている人たちの名前がずらりと記されていた。
 ウィルもかつて中を見たことがあるが、その時に感じたのは、なんとも言い難いやるせなさ。ここに納められたら、個人という概念が消えてなくなり、霊廟という大きな存在を構成するただの部品になってしまうのではないかという感覚。
 これは本末転倒なのではないか。生物は死んだ瞬間に個などなくなっている。どんな墓を建てようが、そんなことは死者には何の関係もない。墓は死者のためではなく、生者のために建てるものだ。
 ならば生者が死者を個人として認識できないような墓は、本当に意味があるのだろうか、という疑問だ。

 レジアスの晩酌につきあった時に酒の肴としてこの話題を出して聞いてみたところ、ウィルとは理由が少し異なるものの、意外にもレジアスも霊廟を好ましく思っていなかった。
 殉職者はその一人一人が管理局の命令に従い、平和のために自らの命を捧げた者たちだ。だからこそ管理局は彼ら一人一人に報いるべきであり、それを十把一絡げにまとめては死んでいった者たちに申し訳ない、とレジアスは語った。
 ウィルよりも情に重きを置いた考えだ。それも当然か、管理局で働き始めて三年もたっていないウィルとは違い、レジアスはその十倍以上管理局にいる。数えきれないほど多くの上官と部下、そして仲間たちと出会ってきた。その中には亡くなった者も大勢いるに違いない。
 死んでいった者たちに報いたいというレジアスの気持ちは、ウィルなどでは想像もつかないほど重い。

 だが、この意見は私人としてのものだ。公人としてのレジアスは、相も変わらず霊廟推進派だ。
 変えることで予算が浮けば、その一部は地上部隊に回ってくる。レジアスが優先するのは治安維持という大。墓に関する問題は小でしかない。自分がどのように考えていようが、小であるのだから、大のために切り捨てる。
 情や自身の考えを持ちながらも、もっとも大切な目的のためなら切り捨てることができる。それがレジアスの在り方。“剛腕”と評される所以だ。
 表沙汰には絶対にできないことだが、ウィルが先生と呼び慕う人物、広域指名手配犯ジェイル・スカリエッティとレジアスの関係も、そんなレジアスの人間性を表している。

 管理局の幹部と、管理世界中に名を轟かせる犯罪者。本来なら敵対以外の繋がりがあってはならない二人だが、その実ある種の協力――共存関係にある。
 正確には“スカリエッティ”と“レジアスが所属するとある派閥”が共存関係にあるのだが。さすがに詳しいことは知らされていないが、その派閥にはレジアスよりさらに上の階級の者たちも名を連ねているらしい。
 レジアスは自身が首都防衛隊に所属していることを利用して、ミッドチルダではスカリエッティに捜査の手が伸びないように配慮しているが、これもその派閥における彼の役目なのだそうだ。
 派閥はスカリエッティに安全な研究施設や研究に必要な物資を提供し、その対価に研究成果をもらっている。
 犯罪者と同時に稀代の科学者でもあるスカリエッティの研究は、人倫に悖るものも多いものの、とても大きな価値を持つ。市販されているデバイスにも、管理局の技術開発局が開発したとされているが、実際はスカリエッティから提供された技術であるものがいくつも使われている。
 もちろん、どれだけ有益でもスカリエッティとの癒着は犯罪だ。彼らはそれを承知で、科学者スカリエッティが生み出す技術という“大”の方が、犯罪者スカリエッティが生み出す害という“小”よりも有益だと判断し、小を切り捨てた。
 そして、そんな彼らに賛同し、協力しているレジアスもまた、大のために小を切り捨てている。

 目的のためなら、より優先順位の低いものを切り捨てることができる。平均を少しでも善くするためなら、一部が悪くなることを受け入れることができる。白も黒も呑み込んで自らの目的に向かって邁進する、灰色のレジアスをウィルは尊敬している。
 しかし大恩ある養父とはいえ、犯罪者に加担している者を尊敬の対象として良いのかと悩みもしている。その上、ウィルが他に尊敬している人といえば、スカリエッティやプレシアなど、完全に犯罪者の人たちばかりだ。
 できる限り清く正しく生きていきたいとは思っているが、なかなかうまくいかない。クロノやなのは、そしてはやての生き方がまぶしい。

 汚れちまった悲しみに――などとそらんじるうちに、ウィルは父の墓に辿りついた。


  *


 ヒュー・カルマン、と名が刻まれた墓石の前に立つ。ウィルの一人目の、そして実の父親の名前の刻まれた墓だ。

 ヒューはウィルがまだ四才の時に亡くなったため、どんな人物なのか、本当のところはよく知らない。
 もちろん経歴くらいは知っている。新暦二十八年に生まれ、五十四年に亡くなった。享年二十六才。本局武装隊所属で、魔導師ランクは空戦AAA。
 生まれはミッドチルダ以外の管理世界。十代前半の頃に、自分の親戚――当時士官であったレジアスのもとを訪れ、彼に入学と奨学金の手続きをしてもらって訓練校に入った。卒業後は陸士部隊で数年間働き、本局の武装隊から勧誘を受ける。
 この時、ヒューとレジアスは大喧嘩をした。あくまでも地に足をつけて、一つの世界を守るべきであると唱えるレジアスと、任務の危険が小さい地上に必要なのは突出した戦力ではなく数であり、自分のように高ランクの魔導師は力を存分に発揮できる場所――危険な戦場で戦うべきだというヒューの主張が、まっこうから対立し、そのまま喧嘩別れとなった。
 その後、結婚して子供が生まれてからも喧嘩は続いていたが、妻を病気で亡くしたことをきっかけにして、レジアスと和解した。当時、次元航行艦船付の武装隊に配属されていたヒューは、船が長期哨戒に出るとウィルの面倒をみることができなくなるので、その間ゲイズ家で預かってもらうために頭を下げたそうだ。
 よくよく考えてみると、本局にも子供を長期間預ける施設くらいあるので、単にレジアスと和解する方便にウィルを使ったのではないか、などという疑問もうかぶが、その可能性からは積極的に目をそむけたいと思う。

 こんな経歴を知ったのは、ウィルが士官学校を卒業してからのことで、それまでレジアスは――いや、レジアスだけではなく、ウィルの周りの人々は、ヒューのことをまるで英雄か何かのように語ってくれた。幼いウィルが自分のそばにいない父親のことを恨まないようにと、周囲が気づかったからだろう。今では聞きなれたレジアスの海への不満話も、幼い頃は一度も聞いたことはなかった。
 その結果、ウィルの中で、父は天下無敵のヒーローとして確立されていった。憧れであり、尊敬であり、もはや崇拝にも近かった。帰ってくる日を指折り数え、急な任務で帰ってこれなくなれば、事件をひきおこすような悪に対して本気で怒ったものだ。


 そんなヒューの最後の任務は、ロストロギア『闇の書』に関するものだった。
 闇の書は、十年から二十年ごとに世界に現れて、多くの犠牲者を生むロストロギアだ。十年前に現れた闇の書の捕獲、または破壊のために、管理局は複数隻からなる艦隊を派遣した。戦いの果てに、闇の書とその主を捕えることに成功。
 ヒューの配属されていたエスティアは増援として派遣されたので、到着した時には争いはほとんど終わっていた。しかし先遣部隊は随分と消耗していたため、ほぼ無傷だったエスティアが捕獲した闇の書を保管することとなり――研究施設に輸送する途中に、闇の書が動き出した。
 エスティアの制御を奪おうとした闇の書を止めるために、管理局は他の艦船による攻撃で、エスティアごと闇の書を消滅させた。
 闇の書事件にかかわることになった艦船には、魔導砲アルカンシェルが装備されていた。効果範囲百キロメートル以上。範囲内に存在するものを、この世から消滅させる兵器。
 もしもエスティアの制御が完全に奪われることになれば、近隣世界全てに滅びをまき散らす災厄と化しただろう。だからそうなる前に、エスティアは闇の書ごと消えなければならなかった。
 闇の書が艦の制御を完全に掌握するまでの間に、エスティアの乗員のほとんどは無事に退艦できた。退艦できなかった――しなかったのは、たった二人。エスティアの艦長であり、クロノの父の、クライド・ハラオウン。そして、エスティア付武装隊の隊長にして、ウィルの父、ヒュー・カルマンの二人。
 クライドはエスティアの制御が奪われ、アルカンシェルのチャージが完了するまでの時間を演算するために残り、エスティアが消滅するまでずっと、残り時間を周囲の艦船に送信し続けていたそうだ。絶対に他の艦船や世界が犠牲にならないようにという、執念にも近い念の入れ方だ。

 では、ヒューは何のために残ったのだろう。
 当時のヒューの部下に会って、尋ねたことがある。その人はクライドを連れて来て一緒に退艦するつもりではなかったのかと言った。別の人は艦長と一緒に死ぬつもりだったのではないかと言った。
 おそらくそんなところなのだろう。もちろん本人がいないので、真意は謎のままだが。
それに、そんな推測はどうでもいい。父が死んだという事実こそが、最も大切で普遍的な真実なのだから。

 ウィルはひざまずき、祈りを捧げる姿勢で父を偲ぶ。願うわけでもなく、誓うわけでもなく、ただ確認するために。


  **


 次元航行艦船エスティアは犯されていた。平和を守るという誇りを汚されていた。
 艦内には血管――樹の静脈のようなものが脈動し、莫大な魔力によって物理的に、魔術的に、機械的に、エスティアを蹂躙している。

 脱出艇に続く通路の途中で、ヒューは煙草を吸う。茶色がかったくせのある赤髪と、トレンチコートに似た形状のバリアジャケットを、その身に纏いながら。
 エスティア付武装隊の最後の任務は、乗員たちを脱出艇まで誘導することだった。その任務は無事に果たされ、武装隊員もすでに退艦を終えた。
 ヒューがここに残っているのは、友人を――クライドを待っているからだ。脱出するためには、必ずこの通路を通らなければならない。
 もっとも、クライドは退艦せずに最後まで残ると、ヒューは予想していた。彼がそういう気性だということは、友人として、そして部下として理解している。
 万が一予想が外れ、彼が退艦するようなら一緒にヒューも退艦しよう。残るのであれば、ヒューも付き合う。クライドがこのことを知れば嫌がるだろうから、こっそりと。

 煙草の煙が肺を満たす。古くから主流の紙巻き煙草(シガレット)
 喫煙者に対するスタンスは管理世界ごとにさまざまだが、ミッドチルダでは年々風当たりが厳しくなっている。ヒューも子供の頃は、喫煙なんて健康を害するだけで、何の得もないものだと考えていた。
 そんな彼が初めて煙草を覚えたのは、クラナガンの地上部隊に配属された時だ。その部隊には珍しく喫煙者が多く、しばしば喫煙室がいっぱいになることもあった。配属されたばかりのヒューは、そんな先輩たちと少しでもコミュニケーションをとろうとした。よく知らない人と一緒に戦うのは、訓練校を卒業したばかりの彼には怖かったからだ。
 そして、手っ取り早くコミュニケーションをとるための手段として選んだのが、煙草だった。吸い方もよく知らないまま、適当な銘柄のものを買って喫煙室に入る時は、どきどきしたが、それをきっかけに先輩たちと打ち解けることができたと思う。
 実際、煙草ほど便利なコミュニケーションツールはないと思う。煙草を吸いながらする会話には、適度な間がある。会話のネタがつきれば、一服して間を開ければ良い。そうやって時間をあけると、そのうちに話すことも浮かんでくる。
 また、社会的に肩見が狭いもの同士の妙な連帯感も生まれるため、喫煙者同士は距離が縮まりやすい。なるほど、この魔法全盛の時代に宗教がなくならないのも、きっと似たような理屈なのだろう。

 それが、海――本局武装隊に来てからは、ほとんど吸わなくなった。
 原因の一つは、環境の変化だ。海の喫煙者への対応は地上よりずっと厳しい。海の拠点や艦船は密閉された空間なので、空気を汚すものを嫌う。小型の次元航行艦船では煙を出すタイプの煙草は完全に禁止されている。
 だがやはり、息子ができたから、というのが一番大きな理由だろう。自分が顔を近づけるたびに、赤ん坊の顔が歪んでいやいやと首を横にふるのは、なかなか胸に突き刺さるものがあった。

 だから煙草は本当に久しぶりだ。吸わなくなってからも、未練がましく一本だけ持っていた、お気に入りの銘柄。たった一本を、ゆっくりと楽しむ。
 静かに吸い、煙を肺に流し込む。体に煙を入れるかわりに、心の中にあるもやもやとした嫌なものを追い出す。
 追い出すのは、死への恐怖と生への渇望――今すぐに脱出艇に乗って、逃げだしたいという欲望。
 だが、ヒューはもう決めた。クライドを一人で残しはしないと。友人を残して逃げはしないと。

 ただ、それはクライドのためではなく、自分の息子のための選択だ。


 最期の一服を楽しむヒューの前に、通路の向こうから何かが現れる。黒い不定形な塊のようであり、植物のようでもあり、多くの動物や人間を混合したようでもある、形容しがたい化物。それ以上に表現する方法はないが、この状況で出てくるのだから闇の書に関係したものだと断定しても良いだろう。
 つまりは敵だ。運命は人生の最期をのんびりとすごさせてはくれないらしい。

 ヒューは短くなった煙草を足元に落として、踏みつけて火を消した。
 煙草の先の赤い火が消え、代わりに、展開されたデバイスの先に赤い魔力刃が形成された。



 耳をつんざく不快な音が、休むことなく通路に響き続けていた。踏み込む足が鳴らす轟音、うなる剣閃が風を切り裂く音、互いの剣がぶつかり合い打ち鳴らす音。
 音が発生し、壁で反射する。発生、反射、干渉、残響。幾百の音色が重なり合い、溶け合い、一つの連続した和音となって通路に響き続ける。

 ヒューの短杖型デバイスの先端からは、緋色の魔力刃。槍というよりは薙刀のように、デバイスを振るう。その一挙手一投足は、人の限界を悠々と超えていた。
 静から動へ、零(ストップ)から最高速(トップギア)への急激な変化。微塵も溜めが存在しない動きは、挙動からの行動予測を不可能にしている。
 魔力変換資質:キネティックエネルギーによる、自身の肉体の強制動作。『肉体駆動(ドライブ)』と名付けた、ヒュー独自の戦闘技術。肉体への負荷が大きいため、常人であればすぐに行動できなくなるが、長年鍛え続けた彼の肉体は、負荷に難なく耐える筋肉の鎧を纏っている。

『Flash Flash』 腕の魔力を変換することで、目にも止まらない閃光の如き剣閃をふるう。
『Ghost Step』 脚部の魔力を変換することで、急激な移動を可能とし、敵との位置関係を常に支配する。間近で相対している相手には、ヒューが幽霊のごとく忽然と消えたように感じられる。
 肉体駆動を利用した二種の魔法を間断なく行使することで、ヒューは近接戦闘では無類の強さを誇る。

 彼と戦う化物は、姿の不気味さに反して、さして恐ろしい相手ではなかった。見た目通りの化物で、力も魔力もある。だが、技がない。
 力まかせに棒を振りまわす猿や、プログラム通りに正確無比に動作する機械など、経験に裏打ちされた戦闘技術の前ではただの児戯。

 ヒューにはこの化物が何なのかわからなかったが――そもそも知るすべのないことだ――この化物は、闇の書の暴走によって現れた、防衛プログラムの一部だった。今回蒐集された生物全てがまじりあった、生命のるつぼ、混沌のスープ――――闇の書の闇の、ほんの一欠片にすぎないもの。
 それは明確な意志などもたないにもかかわらず、目の前の存在を倒すための手段を模索する。
 選択した手段は、蒐集して闇の書に取り込んだデータから、最も強い者へと変化するという、極めて単純なものだった。

 不定形な化物が、明確な形をとり始めた。まずはおおまかに、樹を寄せ集めて作ったまがいものの人間へと姿を変える。そして樹から本物の質感を持った人間へと、少しずつ変化させる。
 樹のような手が変わる。ヒューの剣をさばくほどの、精妙な動きをする五指へと。
 樹のような足が変わる。ヒューの動きについていくほどの、力に満ちた脚へと。
 樹のような目が変わる。ヒューの行動を全て見切るほどの、主神のごとき瞳へと。
 樹のような体が変わる。ヒューの攻撃を受け止めるほどの、騎士甲冑を纏う身体へと。
 一撃を交わすたびに、人の形へと変り、化物の動きが精彩を増していく。
 そして最後に、ツタを寄せ集めて作られた棒が、一振りの剣に変わる。光沢のない灰の柄に、白く輝く刀身。その武骨ななりを唯一彩る、柄から刀身にかけてのスミレ色の装飾。

 その瞬間、照明が一斉に消え、周囲が暗闇に包まれた。残った光源はヒューの魔力刃の光。
 そして――

 対敵の剣、その装飾が動き、薬莢が排出される。膨れ上がる魔力が刀身を纏い、魔力は炎へと変換され、もう一つの光源となる。
 灼熱の炎は周囲を包む闇のとばりを吹き飛ばし、剣を振るう者の姿を凄絶に浮かび上がらせた。
 死神――ヴァルハラへと戦士をいざなうワルキューレのごとく、戦と死の気配を纏った美女。その姿は、これから訪れる避けようもない死を、ヒューの脳裏に刻みこんだ。
 だからこそ、ヒューはさらに一歩、前方の死地へと歩を進める。もとより死ぬ気。ならば、こちらも出し惜しみのない全力を。
 全身の魔力を、可能な限り運動エネルギーに変換する。方向は前方。限界を超えた肉体駆動(オーバードライブ)が、体そのものを弾丸と化す。
 だが、全霊をかけた一撃よりも、横薙ぎに振るわれた刃が、炎の軌跡を描く方がなお早かった。


 気がつくと、ヒューは壁に上半身をもたれかけていた。激突の衝撃で吹き飛び、そのまま壁に当たったからだ。
 もしや勝ったのかと思ったが、腹部の激痛がそれを否定していた。流れ出る血が臓腑を直接愛撫しているようで、きもちわるい。
 傷を手で押さえようとするが、両手はともに動かない。両足も動かない。限界を越えた肉体駆動の反動で両手両足の感覚がなくなっている。動くのは胴と首から上だけだ。
 首を下げる。バリアジャケットが切り裂かれ、腹部に大きな創傷ができていた。傷の大きさのわりに流れる血の量が少ないのは、炎で傷が焼かれたからだろうか。それでも少しずつ流れる血が、自分の下に血だまりを作り始めている。

(もって十分ってところかな)

 冷静に自分の余命を予測する。もっとも、とどめをさされれば、そんなものは一瞬でゼロになってしまう。

 今度は首を上げ、目の前に立つ女性を見上げる。その姿は樹をよせ集めたような化物ではなく、ひとりの女性だった。身を包む甲冑は禍々しい装飾がほどこされ、己の力を周囲に誇示していた。力に溺れた製作者の姿が透けて見えるようだ。
 だが、甲冑を纏うその人は、意匠の醜悪な印象を打ち払うほどに美しい。

 彼女の胸を、ヒューのデバイスが貫いていた。良かったと安堵する。全霊を込めた、文字通り命をかけた一撃。届かなければ立つ瀬がない。
 彼女はそれをいとも簡単に引きぬく。傷口からは勢いよく血が噴き出すが、次第にその勢いは小さくなっていく。
 傷が治っているのか。だが、こんな時間を巻き戻したかのように傷を治すなど、どんな治療魔法でも適わない。闇の書の力か、それとも彼女はもとから人ではないのか。

 視線に気づいた彼女がとった行動は、とどめをさすことではなく、引き抜いたデバイスを持ち主へと返し、そして名を尋ねることだった。戦った相手の名を知ることは、自分のせいで死ぬ者のことを、自分だけは覚えておこうとすること。彼女がまさに騎士だということの証明。
 ヒューは自身の名を告げ、今度は自分からも名を尋ねる。それが騎士である彼女に対する礼儀だから。だが、ただ単純に、純粋に、全力を出してなお勝てなかった相手の名を知りたいと思ったからでもあった。

「ヴォルケンリッターの将……剣の騎士シグナムだ」

 その名乗りに驚愕する。ヴォルケンリッターとは、闇の書を守護する四人の騎士の名。
 だが、彼女は闇の書が暴れる艦の中に現れた存在。理由はわからないが、少なくとも他のどんな答えよりも信憑性はある。

 シグナムは問いを発する。ここはどこで、何がおこっているのかと。彼女は現状をまったく把握していなかった。
 ヒューは正直に答える。どうせ、もうすぐこの船は消滅する。教えたところで何も変わらない。そして話し終えたヒューは、自分からシグナムに一つ頼みごとをする。

「話した代わりってわけじゃないけど、一つお願いがあるんだ。俺の右胸のポケットに端末が入ってるから、それを取り出してくれないか」

 少々怪しげな提案を、シグナムはためらわずに頼みを聞いてくれた。死にいくものへの慈悲だろうか。
 今回の作戦前、ヴォルケンリッターは人間ではなく、彼らには血も涙もないと聞かされていたが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

 シグナムは頼み通りに端末を取り出す。続けて画面に触れて床に置くように指示。シグナムが触れると、端末が起動する。持ち主であるヒューが起動させていないので、それ以上の操作は受け付けず、待機状態の画面のままだ。
 その画面にはヒューと、彼が腕に抱きかかえられた子供が写っていた。

「これは?」
「俺の息子だよ。かわいい奴でね……死ぬ前に、もう一度顔が見たくなったんだ」

 ヒューの顔がほころぶ。しかし、シグナムの顔は対照的に険しくなった。

「守るべき者がいるのであれば、私と戦うべきではなかった。守りたい者は、傍にいなければ守れない」
「俺は守るために行動したんだよ」シグナムの言葉を否定する。 「身体じゃなくて、心――誇りだけどね。息子はさ、こんな俺のことを、世界の平和を守るために働く、ヒーローみたいなものだって思ってくれているんだ。そんな父親が、友達を置いて逃げたなんて知ったら、きっと失望する。情けないやつの息子だなんて、思わせたくない。自分の生まれを恥じてほしくない。俺の命で、息子が自分に誇りを持てるのなら、それで良い。心に信じるべき柱があれば、俺がいなくても立派に育ってくれるさ」

 親としての意地を張った言葉をシグナムは聞き、何も言い返さずに立ち上がった。

「私はもう行かねばならないが、介錯は必要だろうか」
「いらないよ」ヒューは遠慮する。 「あまりにも痛くて、もう麻痺してきた。こうなったら、後数分、物思いにふけりながら人生の最後を楽しませてもらうよ。きみみたいな美女に看取られて死ぬのなら、なかなか良い死にかただと思うんだけど――」
「すまない……死に逝く戦士の願いは聞いてやりたいが、それはできない。私はヴォルケンリッターだ。闇の書に何がおこっているのかを知らなければならない。こんな状態は、我らにとっても異常だ」

 シグナムはヒューに背を向ける。そして、歩み始めるが、数歩で止まる。
 表情に少しのためらいと恥じらいを混ぜ込み、かすかに赤めた顔で、シグナムは振り返った。

「闇の書の保管場所を教えてくれないだろうか。どこにいけば良いのか、皆目……」
「……意外とドジっ子なんだな」


 場所を聞いて去る彼女の後ろ姿を見て、笑いがこぼれる。見れば見るほど、話せば話すほど、彼女は人間のようだった。とてもヴォルケンリッター――闇の書を守護する役目を与えられただけの『プログラム体』とは思えないほどに。
 人間とプログラムの違いは、どこにあるのだろう――そんな疑問を抱いたが、その哲学的命題に答えを出すには残りの人生は短すぎるため、疑問はさっさと心の虚数空間に捨てた。

 視線を動かし、床に置かれた端末――その画面に写る画像をもう一度見ようとする。無邪気に笑うその幼い顔。親としてはたいしたことのできなかった自分を、無邪気に慕ってくれた息子の姿を。
 自分がいなくとも、きっと立派に育ってくれるだろう。レジアスは見た目通りに厳格すぎるところがあるが、悪を許さぬ正義の心を持っている。彼のもとでなら、正しく育ってくれるはずだと信じられる。
 だからこそ、レジアスの教育を受けて成長したウィルが、恥じずに名前を言えるような父親でありたい。たとえ自分が死ぬことで、悲しませることになったとしても。
 ヒューの行動は、ウィルのことを思うがゆえなのだろうか。それとも、自分勝手な親のエゴなのだろうか。

「ごめんな。帰ってやれなくて」

 体の下には、血だまりができている。血を流しすぎたのか、妙に寒い。急激に力がぬけ、すべるように崩れ落ちる。血だまりの血がぱしゃりとはねる。
 もう一度息子を見ようとして、最後の力を振り絞って身をよじり、画面に顔を近づけるが、端末の画面は飛び散った血で隠れていた。

 残念だ。息子を放って死ぬ、勝手な父親に対する罰だろうか。いや、本当に罰なら、一目たりとて見ることはできなかったはずだ。一目でも見ることができたのだから、もうこれ以上は欲張るなということなのだろう。
 もう十分だ、これ以上は何もいらない。そう思いながらも、さらに心にうかぶ一つの欲。

 ――できればもう一度、息子を抱きしめたかった。

「死にたくないなぁ」

 自分の口から出た言葉と、その欲深さに苦笑して、ヒューは目を閉じた。寒さはもう感じない。

 こうして、ヒュー・カルマンはその人生を終えた。


  ***


 ウィルは目を開けた。外界は閉じる前と何も変わらない。変わったのは内界。ヒューのを思い出すことで、普段は抑えている我が身に宿る炎を露わにする。
 腹の底から熱が湧きあがってくる。根から吸った水が葉脈にいきわたるように、熱は血流と共に体の末端にいたるまで、余すことなく遍く伝わる。
 この熱が怒りか、悲しみか、それとももっと別の何かなのか――ウィルにはわからない。メーターの限界を超えた速度をただ速いとしか表現できないように、度を越したこの感情はただの熱としか認識できない。

 熱は拡散せずに、明確な指向性を持って、訴えかける。
 グツグツと、煮え滾る、五臓六腑が叫んでいる。

  消せ、殺せ、滅ぼせ
  やられたことをやり返せ
  奪われたものを奪い返せ
  殺されたのだから殺し返せ

 嫌いなものをただただ排除しようとする、子供じみた幼稚な行為。やられたからやり返そうという、身も蓋もない本能に近い反応。

 ――ああ、おれは十年前から、何も変わっていない

 それが確認できて満足する。プレシアが言った、「どんな思いも時間がたてばやがて薄れる」という言葉が、ウィルに不安を与えていた。もしかしたらウィルの感情も知らないうちに薄まっているのではないかと。
 だが確信が持てた。ヒューの死を知ったあの時に感じたこの激情は、十年前たっても微塵も薄れてはいない。きっと、次の十年も大丈夫だ。次の次の十年も大丈夫だ。復讐を遂げるまで、ずっと大丈夫だ。
 素晴らしい。諦めなければ、闇の書を滅ぼす機会は何回も与えられる。次で滅ぼせなければ、次の次で滅ぼせばいい。それが駄目なら次の次の次――十数年周期で世界に現れるのだから、死ぬまでに四回か五回は挑戦できるだろう。何度でも何度でも何度でも、おれが死ぬか闇の書が滅びるまでずっと――

(少し、興奮しすぎだな)

 心を落ち着かせるために、立ちあがって深呼吸をする。感情は子供の頃のままで良いが、頭まで子供では駄目だ。普段から強い意志や衝動に惑わされているようでは、いざ闇の書との戦いになった時に、状況を見誤ってしまう。
 この熱はあくまでも、自分を動かすためのエンジンだ。行動は知性というハンドルで制御し、危険な速度であれば、理性というブレーキをかけなければ。ゴールする前にコースアウトするようでは、どうしようもない。

 立ち上がり、大きく背筋を伸ばし、わざとあくびをする。数秒もすると熱は再び腹の底に、箱詰めにされて沈められた。


 目的を終えたウィルは、墓石から離れようとして、もう一つやるべきことを思いだす。
 踵を返して、墓石の前にまたひざまずき、再び目を閉じて祈る姿勢をとる。今度は確認ではなく謝罪のためだ。

 ヒューは、きっとウィルが復讐することを望んでいない。息子が復讐に一生をかけようとするのを喜ぶ父親などいない。
 だから復讐はウィルのエゴだ。父のためでなく、世界のためでもなく、ただ己がやりたいからやる。とんだ親不幸だ。
 同じような境遇のクロノは、父の後を継ぐために管理局に入った。父の守った平和を、自分もまた守り継いでいくために。それに比べてなんとあさましいことか。

 だが、こうするしかない。こうする以外に考えられない。それ以外にこの思いを――“欲望”を充足させる方法があるのであれば、誰でもいい、どうか教えてほしい。

「親不幸でごめんね。もしも嫌だったら……生き返って止めてみてくれ……なんてね」

 おどけるようにそう言ってから、立ちあがって墓石に背を向けた。
 冗談まじりのその願いはもちろん叶うことはなく、一陣の風が言の葉を、どこか遠くへと連れていった。




(あとがき)
 今さらですが、主人公の父に関する設定は本編と矛盾しています。アニメではエスティアで亡くなったのはクライド一人となっています。
 はっきりと矛盾しないように、闇の書を捕獲するまでの戦闘でヴォルケンリッターと戦い、そこで死んだとしても良かったのですが、クロノと対照的にするためにこの設定にしました。
 ご了承ください。


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