なのはが日常に戻ってから数日がすぎた。
昼頃、ユーノは高町家で二人分の昼食を作っていた。高町夫妻は翠屋、恭也は大学、美由紀は部活。家族はそれぞれの理由で家におらず、留守番はユーノ一人。昼食は土曜の半日授業から帰って来るなのはと二人でとることになっていた。
チャーハンを炒め、おかずとして昨日の残り物のコロッケをレンジに入れて、いつでも温められるようにしておく。
窓から見える空模様はコンクリートを溶かしこんだような陰鬱な塩梅。なのはは傘を忘れずに持って行ったかなとユーノが心配した時、玄関が開き、なのはが帰ってきた。
「おかえり」
「うん……ただいま」
声には張りがなく、眉は八の字。落ち込んでいることがまるわかりだ。ユーノが何か話す前に、なのはは自分の部屋に上がって行った。なかなか降りてこないなのはが心配になり、部屋の前まで行きドアをノックする。
「なのは、入って良い?」
「…………いいよ」
返事を待ってドアを開けると、なのはは着替えもせずに、ベッドに仰向けに寝転がっていた。
「どこか具合でも悪いのかい? それとも、学校で何かあった?」
なのははゆっくりと上半身を起こすと、悲しげに笑う。
「ちょっとアリサちゃんに怒られちゃって」
「喧嘩したの? どうして?」
「多分、わたしが最近うじうじしてたからだと思う」
今の状態は言うまでもないが、昨日までのなのはも元気がなかった。月村邸での会談の後から、ずっと心ここにあらずといった様子。
なのはに親しい者は、みな気付いていた。そして詳細はともかく、何について悩んでいるかも、おおよそ想像はついていた。
「やっぱり管理局を手伝いたいから?」
「うん。……ううん。わからないの」
士朗や桃子は少し放っておいた方が良いと言っていたが、こんなさまを見て放っておくことは、ユーノにはできなかった。学習机の椅子に座り、ベットに腰掛けるなのはと向き合う。
「なのはが悩んでいること、僕に話してみて。うまくアドバイスできるかわからないけど、相談にのるくらいはできると思うから」
なのはは少し考えて、ぽつりぽつりと話し出した。
「わたし、魔法に出会えたことがうれしかったんだ」
それを皮切りに、なのはは幼い頃の自分のことを語り始める。父親の士朗が大きな怪我を負って入院したこと。変化した家庭と、その中で自分が感じたこと。それから、人の役に立ちたいと願うようになったこと。
「小さい頃のわたしは、人を助けたいって思ってもなんにもできなかったの。それが嫌で、頑張ってたくさんの人を助けることのできる大人になろうって思ってた。でも、最近怖くなっていたの。このまま大きくなってもたくさんの人を助けられるようにはなれないんじゃないかって。お父さんとお兄ちゃんはすごいんだよ。とっても強くて、いっぱい困った人を助けてる。お姉ちゃんだってそう。お母さんは……言わなくても、ユーノ君ならわかるよね」
ユーノはうなずいた。翠屋の客の顔を見ていれば、桃子がどれだけの人を笑顔にしているのか、どれだけの人を助けているのか、わからないはずがない。
「わたしもみんなみたいになりたいって思ってた。でも、できることが増えるたびに、みんなとの差がはっきりとわかるの。わたしは運動なんて全然できないし、料理だってそれほど上手くない。みんなみたいにはなれない。それがわかったら、何を目指せば良いのか、わからなくなったの。アリサちゃんやすずかちゃんは、わたしと同じ年なのに、ちゃんと自分の道を決めているのに…………わたしだけ、いったい何をしたらいいのかわからなかったの」
それが彼女の迷いで、緩やかに心を蝕む恐怖。いつだって、願いこそが恐怖と絶望を生みだす原因だ。「なのはも頑張れば、きっとなれるよ」と言うことは簡単だろう。頑張ればなんにだってなれる――子供に大人がよく言う言葉だ。論理的には間違っているが、頑張らなければ何にもなれないので、助言としては間違っているわけではない。が、その小さな可能性を信じて何年にもわたって努力し続けることはとても難しく、怖い。
さらに、なのはの目的が人を助けるという漠然としたものだったことが、その恐怖に拍車をかけた。いくら小さな可能性でも一本しか道がなければ迷う必要はない。しかし、なのはの目的は漠然としているため、達成する手段もたくさん考えられた。父のように力で人を守る道を選ばなくても、母のように料理で人を笑顔にさせる道を選ばなくても、介護士になったり、医者になったり、人の役に立つ発明をしたり――選択肢はいろいろあり、どの道を通っても人を助けることはできる。
自分は一度きりの人生で、どの道を選べば良いのか。もしも間違った道を選んだら、どれだけ努力をしても、何にもなれずに終わってしまうのではないか。そう考えてしまうと、怖くなり動けなくなる。
「だけど、ユーノ君とレイジングハートに出会って、魔法の力を手に入れて、やっとわたしも人を助けることができた。こんなわたしでも、誰かの役に立てることが、他の誰にもできないことができるようになれたんだ」
その時のことを思い出し、なのはは一片ほどの笑みを浮かべた。
彼女の目には魔法がとても魅力的に映った。これ以上なくわかりやすい形で、明確に人を助けることができる。父や兄にだって、こんなことできやしない。魔法という自分だけの道が見つかったような気がした。
しかし、かけらのような笑みは、儚く溶けて消えた。
「でも、今はどうしたらいいのか、全然わからないの。今までみたいに力になりたいんだけど、こんな大きな事件で、ウィルさんとかクロノ君とか、管理局の人たちがいるのに、わたしが手伝っても何の役にも立たないんじゃないかなって。もし役に立たなかったら、わたしはやっぱり、魔法でもたいしたことないって言われる気がして。そう考えたら、とっても怖くて、どうしたらいいのかわからなくなって、すずかちゃんのお家で、力になりたいって言えなかったの。
えへへ……変なこと言ってごめんね」
話を聞き終えたが、ユーノには具体的なアドバイスができなかった。なのはの悩みは、生まれながらにして、スクライアとして生きることを目指していたユーノにはわからない。
はっきりした意見といえば、なのはは管理局を手伝わない方が良いということくらいだが、それはなのはには危険なことをして欲しくないというユーノの考えにすぎず、なのはの気持ちを考えての言葉ではない。
「なのは……僕は――」
ユーノが何でも良いからとにかく話そうとした時、二人は叩きつけるような膨大な魔力波を感じた。リンカーコアを直接揺さぶられるほどの振動に、冷や汗が止まらない。いったい何個のジュエルシードが発動すれば、ここまでのレベルになるのか。
魔力波はすぐに消えた。管理局かフェイトか、どちらかが結界を張って外部への影響を遮断したのだろう。
なのはは反射的に動こうとして、しかしレイジングハートを握りしめたまま動けずにいた。迷いがぬぐいきれていない。
もしもユーノが「大丈夫だよ、きっとウィルさんたちが、管理局が何とかしてくれるよ」とでも言って止めれば、なのはが行くことはないだろう。
でも、本当にそれで良いのだろうか。
「すごい規模だね。これだけ大きいと、ウィルさんたちが気付いて向かっているはずだ。僕たちが行かなくても、きっと大丈夫だよ」
その後に考えていなかった言葉を発する。多くを付け加えるわけではなく、ただ一言。
「でも、後悔しない?」
なのははその問いかけに、体を震わせた。やがて、なのははドアではなく窓を向く。その姿に、ユーノはなのはの意思を理解した。
「行くつもり?」
「うん」
「今回はすごく危険だよ。多分、今までの比じゃないと思う」
「前に、男の子がジュエルシードを持ってたのに、気のせいだって思って何もしなかった時、すごく後悔した。ここで行かないと、またあの時みたいに後悔しそうなの。それはもう、いやだなって」
なのはの眼には、久しぶりに強い決意がうかんでいた。ユーノは嘆息をもらすが、これで良いとも感じた。なのはがこれ以上落ち込むのは見たくない。それに、危険だと言うのなら、誰かが守ってあげれば良いだけだ。
「わかったよ。なのはがそう言うのなら、僕も行く」
「ユーノ君は無理に付き合わなくて良いんだよ。わたしのわがままなんだし」
「僕も自分がやりたいことをやるだけだよ。僕はなのはを守りたい。僕になのはを守らせて」
数秒置いて、なのはの顔が真っ赤になる。ユーノ自身も自分の発言の恥ずかしさに顔を赤くするが、自分の決断に満足していた。
「え、えっと……そうだ! 行く前に、お母さんに連絡しないと」
なのはは慌てて携帯を取り出すと、翠屋に電話をかける。手短にこれから出かけること、危険なことにまた首を突っ込むことを告げると、携帯を切ってポケットにしまう。
「それじゃあ行こう、ユーノ君!」
なのはは、バリアジャケットを身に纏うと、窓を開ける。同時にユーノが人目払いのために結界を張り、二人は空に飛び上がる。
そして、ジュエルシードの気配がする方――海へと一緒に向かった。
*
意気込んで向かった先。海上に張られた広域結界の中は、二人の予想をはるかに超える光景が広がっていた。
上空を厚い雲に覆われた海上は、日中でも月夜の晩程度の明るさで、不規則に吹き荒れる暴風が全てを薙ぎ払う竜巻を発生させている。巻き上げられた海水は意思を持っているかのように蠢く。空から降り注ぎ、海から昇り、横から叩きつけ、四方八方から水が襲い来る。
死の予感に、二人は入ったばかりの場所で止まってしまった。ジュエルシードを封印するには、ここから先に行かなければならない。ここでさえ風のせいで姿勢を保つのが精一杯で、雨で目がほとんど開けられないのに、なお先に進まなければならない。
ユーノは恐怖を覚えながら、隣のなのはを見た。なのははユーノよりも、もっとおびえていた。おびえながらも、一点を見つめていた。
暴風の中心で、見覚えのある金色と橙色の魔力光が煌めいている。
なのはは風と雨の影響を減らすように、バリアジャケットを調節すると、中心地に向かって再び飛び始めた。ユーノは離れないように、急いでその後について行った。
風に耐えつつ近づいた先にいたのは、二人が想像した通り、フェイトとアルフだった。
風に煽られながらも懸命に嵐を抑えようとしているが、肝心のフェイトの消耗が激しく、余力の残っているアルフに支えられていなければ、今にも飛ばされてしまいそう。
なのははフェイトのそばに行き、アルフに変わってフェイトを支える。そして、ユーノはアルフに質問する。
「これはジュエルシードのせいで?」
「あ、ああ。海に魔力流を流し込んで、海のジュエルシードを見つけるつもりだったんだ。でも、無理だった。見つかったけど、あたしたちだけじゃ、とうてい抑えられるものじゃなかったんだよ。結界ももうもちそうにない。ごめんよ、なのは。このままじゃ、あんたたちの街を危険にさらすことになっちゃう」
「後はわたしたちに任せて、アルフさんはフェイトちゃんを連れて離れてください」
なのはがそう言ってレイジングハートを構えるが、ユーノはそれに反対する。
「駄目だよ、二人にも残ってもらわないと」
「どうして!? フェイトちゃんはもう倒れそうなのに!」
「ジュエルシードは周囲の魔力に反応して活性化するから、全てのジュエルシードをまとめて封印しないと、他のジュエルシードのせいで封印が破られてしまう。でも、僕となのはだけだと、六個のジュエルシードを一度に封印するなんてできない。フェイトの力が必要なんだ」
「無理だよ!」アルフが叫ぶ。 「もうフェイトの魔力は残り少ないんだ。これ以上消耗したら倒れてしまうよ!」
たしかにフェイトの魔力はかなり減少しているが、ユーノの見立てではまだ身体に異常が出てはいなかった。ブラックアウト――魔力を短期間で大幅に失うことで身体機能に悪影響を及び、ついには意識を喪失する現象――直前だが、魔力さえ元に戻れば再び動けるようになるだろう。
「だったら、魔力を回復させれば良いんだよ」
「そ、そういえば、あんた回復魔法が使えるんだっけ。それで――」
ユーノは首を横に振る。
ユーノの回復魔法は、あくまで自然治癒を強化するもの。魔力を回復させる魔法とは、リンカーコアを強化して大気中の魔力素の吸収を促進させるだけで、すぐに効果があるわけではない。普通でさえ完全な回復には数十分はかかるうえ、このように魔力素が荒れ狂う嵐の中では、おちついて魔力素を取り込むこともできない。
「じゃあ、どうすれば良いのさ!」
アルフは怒鳴るが、それはもはや悲鳴に近く、声には涙がにじんでいる。
ユーノは思いついた方法を口に出す。
「なのはの魔力をフェイトに与えるんだ」
ユーノの提案はなのはによる魔力の譲渡だった。なのはとフェイトの魔力量はほぼ同じ。むしろ使い魔にリソースをふっているフェイトよりは、なのはの方が多いくらいだ。
「でも、わたしはそんな魔法は知らないんだけど……」
なのはがおずおずと声をあげる。
問題点は、なのはがそういった魔法を知らない、そしてレイジングハートにもそんな魔法プログラムはインストールされていないこと。
感覚だけでも魔法を構築できるなのはなら、今から即興で魔法を構成することもできる。だが、即興で作られた魔法は構成が粗い。魔力の譲渡をおこなう魔法は、ダメージを与える攻撃系魔法よりもさらに慎重な構築が必要とされるので、感覚で魔法を構築するなど論外だ。
理論を理解し基礎が完璧であるユーノなら、今から完全な魔力移譲魔法を構築することも可能だが、彼の全魔力を渡したところで柄杓の一杯をバケツに入れるようなもの。
「大丈夫。僕に案がある」ユーノはそれらの問題を解決する方法を考えていた。 「僕が今から魔法プログラムを作って、レイジングハートに送る。だから、なのははそれにそって魔法を使ってくれれば良い」
構築と行使を別々の人間がおこなうのが、ユーノの考えた解決策。
「ただ、なのはにとっては初めての経験だから、正確に発動させるのは難しいと思う。レイジングハートには僕のプログラムを解析して、なのはの魔法構成を修正してもらいたいんだけど……できる?」
魔法を発動させる過程を一枚の絵画に例えるなら、即興の魔法構築は下書き(プログラム)を描かずに、ペンで直接描くようなもの。
今回はユーノが下書きをして、なのはが下書きをなぞって完成させる。絵のさまざまな技法を知らないなのはでは、ユーノの下書きを完全にトレースすることはできないから、レイジングハートがなのはの手をとって描くのを助ける。
そのためには、レイジングハートがユーノの描き方に熟知している必要があるが、
『Too easy. I remember your structure of magic well, my masters. (簡単ですよ。マスターたちの魔法構成はしっかりと覚えていますから)』
「そうだったね」
なのはに貸しているとはいえ、ユーノもまた、レイジングハートのマスターだ。何も問題はない。
ユーノは早速魔法を構築しようとする。しかし、風に飛ばされないように、そして時折迫る竜巻を回避しながらでは、集中できない。
突然、ユーノたちの体、正確には胴がバインドで縛られる。だがそれは、動きを封じるものではなく、逆にバインドのおかげで体が空間に固定されて吹き飛ばされなくなっている。
リングバインド――空間固定型バインドの基本魔法。そして、接近する竜巻もまた、縄のようなバインドで縛られて手前で停止する。
チェーンバインド――術者を起点にして対象を縛り付ける、これまたバインド系の基本魔法。
バインドの色は橙。この薄暗い空間の中で、太陽のように温かな光を放つ。
ユーノたち三人の前に、アルフが仁王立ちする。そして、彼女は胸の前で両拳を打ちつけて笑う。野生の狼のように攻撃的な、それでいて頼もしく思えるような笑みだ。
「守りは任せな。準備ができるまで、三人きっちり守りぬいてみせるさ」
ユーノは意識を集中させ、プログラムの構築を再開する。
単に組むだけではなく、なのはがトレースしやすい形にする。難しいことではない。なのはに魔法を教えていた時に、なのはがどんなふうに魔法を構築し、行使するのかは把握している。教える生徒の得手不得手――傾向を知るのは教育の基本。とはいえ、教えたことがなのはの役に立つのではなく、ユーノ自身の役に立つことに、思わず笑ってしまいそうになる。日本風に言うなら、情けは人のためならず、と言うところか。
幾度目かの迫りくる竜巻をアルフが食い止め、ついに魔力移譲魔法『ディバイドエナジー』の魔法プログラムの組み立てが完了する。
「できたっ! 送るよ、レイジングハート!!」
ユーノはレイジングハートにふれ、プログラムをインストールさせる。レイジングハートのコア、赤い宝石の部分が明滅する。
『Received. It's a good one.』
なのはが掲げるレイジングハートを中心に、魔法陣が宙に浮かび上がる。続けて、なのはの体からあふれる桜色の魔力光。
「わたしの力をフェイトちゃんに……届けてっ!」
『Divide energy.』
魔力はレイジングハートを介して、フェイトのバルディッシュへと流れ込む。そして、バルディッシュからフェイトへと。
流れ込む魔力が止まった時、フェイトは一人でしっかりと空に浮いていた。
「ユーノ、アルフ、それになのは……ありがとう」
『Thanks a lot.』
バルディッシュが再び展開。槍状に変形し、四枚の光翼が生える。レイジングハートも同様に槍状に、そして二枚の光翼。お互いに最も出力の高い形態へと姿を変える。
「ディバインバスター!!」
「サンダーレイジ!!」
桜色と金色の光が絡み合い、海中に吸い込まれた。
**
嵐はすっかりやみ、厚い雲も拡散して、雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいる。薄明光線、天使の階段とも呼ばれる現象は、達成感も相まって目を奪われるほどに美しかった。
海面からわずかに上、封印されたばかりの六つのジュエルシードが浮かんでいる。
「なのはのおかげで助かった。ありがとう」
「にゃはは、わたしはあんまり……ユーノ君がいなかったらなにもできなかったの」
「ユーノにも感謝してる。もちろん、アルフにも。……でも」フェイトの顔が険しくなる。 「ジュエルシードは譲れない」
フェイトがこんな危険なまねをしたのは、ジュエルシードを手に入れるため。なのはがそれを止めようとするのなら、ぶつかり合うのは必然。
「フェイトちゃん、あのね、そのジュエルシードはすごく危険なものなんだよ。わたしにはよくわからなかったんだけど、管理局の人が言うには、ジュエルシードを使ったら次元断層っていうのを引き起こしかねないんだって」
アルフが驚く。ジュエルシードがそこまでの危険性を持つと、初めて知った様子だ。
「やばいよ、フェイト。あいつがなんのつもりでこれを集めろって言うのかわからないけどさ、これ以上そんなものに手を出したら――」
フェイトはアルフの言葉に首を振って否定し、なのはにバルディッシュの矛先を向ける。武器を向けられたことに、なのははショックを受ける。
「わたしはフェイトちゃんと戦いたくないよ」
「私もなのはと戦いたくない。でも、お互いに引けないなら戦うしかないんだ」
初めから嵐の中にいたフェイトは、なのは以上に疲れていた。だが、そんなことは何のアドバンテージにもならない。両者のモチベーションの高さが圧倒的に違う。
なのはを見据え、デバイスを向けているフェイト。本当は戦いたくなくても、その思いを塗りつぶしてでも戦う決意が彼女にはある。なのははレイジングハートを胸の前で抱えている。そこには決意などない。ただ困惑し、迷っているだけ。なのはとフェイトが戦えば、なのははなすすべもなく敗れるだろう。
ユーノはなのはを守れるように身構えながら、アルフに視線を送る。アルフも身構えてはいたが、その顔はあきらかに困惑していた。
緊張が高まり爆発する直前、両者の間の空間に、コート状のバリアジャケットを纏った青年が現れた。
「修羅場ってるところ悪いけど、そこまでにしてくれるかな?」
両者が共に見覚えのある人物――ウィルだ。
「ウィルさん!」
「遅れてごめんね。きみたちがいてくれて、本当に助かったよ」
ウィルはいつものような笑顔を浮かべている。だが、本来なら管理局こそがイの一番に駆けつけていなければならない。局員であるウィルがこんなタイミングで現れたことは、一つの事実を指し示していた。
「……ずっと見ていたんですか」
ユーノの言葉に、ウィルは鷹揚にうなずく。その顔には一片の曇りもなく、むしろ気付いたユーノをほめるように笑っていた。
「頭の回転が速いようで何よりだ。なら、どうしてこのタイミングで出て来たかもわかるよね」
悪びれもせず話し続ける。常ならば親しみを感じさせるほほ笑みも、今は癪にさわるものでしかない。敵に――フェイトたちに封印を任せ、消耗したところで現れる。理屈ではわかる。それが最善であると言うことが。だが、心では納得がいかない。
そのユーノの思いを察しているのかいないのか、ウィルは肩をすくめる。
「おっと、抵抗はしないでくれよ。きみたちが暴れるようなら、すぐにでも執務官や武装隊が来て取り押さえることになっているから。おれが一人先鋒として来たのは、きみたちと話し合って、お互いできる限り傷つくことなく、おとなしく投降してもらうためなんだ」
「だからって、僕たちが――」
ユーノが反発した時、待て、と言うかのようにウィルは手を前に出した。そして、そのまま人差し指を立てて、上空を指し示す。と同時に、海上に雷鳴が響き渡り始めた。雲は晴れたはずなのに、なぜ?
ウィルにならって空を見上げると、雲の隙間のその向こうに極彩色の闇が見える。闇の正体は次元空間。次元を歪めて、次元空間とこの世界が繋げられていた。
その向こうに見えるのは、山のように巨大な何か。そこから、紫色の稲光。
全員が気をとられていたその隙に、ウィルはすでにユーノのそばまで来ていた。
「逃げるよ」
ウィルはなのはとユーノを片手でまとめて抱え、そしてフェイトとアルフをもう片方の手で掴もうとする。だが、フェイトはウィルに掴まれる前に、ジュエルシードの方に向かって飛び出し、アルフもそれを追うように移動したため、その手は空を切った。
ウィルはそれ以上二人を追おうとせずに、エンジェルハイロゥを作動して、ユーノとなのはを抱えて一気にその場を離れる。
ほんの三秒で六百メートルほど移動。直後、先ほどまでいた空間に雷が落ちた。威力は恐ろしく高いわけではないが、消耗しているなのはやユーノが直撃していれば、間違いなく意識を持っていかれたはずだ。
「次元跳躍型広域魔法――ってところかな。やっぱり、おれが来て正解だったな。それにしてもすごいね、こんなのなかなかできることじゃない」
ウィルは顔色一つ変えていない。そして口ぶりからも、これはウィルにとって予測していたことにすぎないとわかる。意図はわからないが、彼は時間稼ぎをしていた。
雷が消えると、フェイトたちの姿は海上から消えていた。
「さて、いろいろ説明したいし、アースラに来てくれるかな。フェイトちゃんのことなら心配いらないよ。彼女たちがどう動こうが、この事件はすぐに終わるから」
***
アルフは、次元空間に存在する本拠地『時の庭園』に帰って来ると、まず部屋にフェイトを運んで寝かせた。
フェイトはジュエルシードを取ろうとしたが、雷に直撃して意識を失った。幸いフェイトの命に別状はなかったが、それでもアルフの心には抑えきれない猛りがあった。
アルフがここに転移した理由は、逃げるためだけではない。それなら、海鳴で拠点にしているマンションに逃げれば良かったのだから。
部屋を出て、玉座の間――彼女たちに命令を下す、フェイトの母親のいる場所に向かう。薄汚れた暗い通路を進み庭に出る。植物のほとんどは手入れもされずに枯れ果てている。雨も降らないような次元空間で、手入れもせずに長い間放置されればほとんどの植物は生きていけない。
アルフは歩きながらおもむろに片手を振るい、その指先に触れた彫像が砕け飛んだ。
「あのババア……!」
一際大きな扉の先は大広間になっており、中心には玉座とも言えるような椅子が一つ。ここが玉座の間。かつては貴い身分の人間の別荘だったと言われる、時の庭園。在りし日は、訪れる者がここで庭園の主に拝謁したという。
その椅子には女性が一人座っている。怜悧な刃物を、さらに削って作った針のような女だ。美しい女だが、病的なまでに青白い肌は生者には――まっとうな人間には思えない。
腰まで伸びる黒色の髪は天然のウェーブがかかっていて、暗い海を連想させる。髪と同色の黒いドレスは遠目に見ても上等だとわかるが、普段着に用いるものではない。だが、この女はいつもこうだ。家族であるフェイトの前でも、こんな仰々しい衣服――いや衣装を身に纏っている。
彼女こそフェイト・テスタロッサの母親。そしてフェイトにジュエルシードを集めるように命令した首謀者。プレシア・テスタロッサ。
プレシアはアルフを一瞥すると、表情一つ変えずに問いかける。
「ジュエルシードはどうしたの?」
「あんな石ころを拾う趣味なんてないさ。食えないもんなんて、犬でも拾わない」
アルフはジュエルシードを回収しなかった。あんな物は、もう必要なかったから。
「ふざけているの」
苛立ちを隠さないプレシアの言葉には答えず、逆に問う。
「なんでフェイトを巻き込んで……」
「そんなことを怒っているの? 広域魔法を敵だけに狙って当てるなんて、できるわけがないわ。少しは行動する余裕を与えたのに、避けられなかったあの子が鈍かっただけのことよ」
なんの感慨も持たない声に、抑え込んでいた感情が噴き出す。
「そんなことを聞いているんじゃないよ! なんでフェイトを巻き込んで、そんなに平然としてるんだ!!」
あふれる衝動を拳にのせ、アルフはプレシアに突撃する。が、その手前で設置型のバインドに身体を捕えられる。アルフを見るプレシアの瞳は、実験動物を見る科学者のように、何の感情も浮かんでいない。
「なんのつもりかしら」
「ようやくわかったのさ……あんたはフェイトの敵だ」怒りのままに叫ぶ。 「もっと早く決断するべきだったよ! あんたといると、フェイトが壊れてしまう!」
もう我慢が出来なかった。このままフェイトが使いつぶされていくのを、ただ見ていることはできない。
使い魔として生まれた時、死ぬまで共にいると、守り続けると誓った。騎士のように、家族のように、彼女と共に在ると。その矜持をアルフは示す。
「だから、あんたを倒して管理局に引き渡す!」
フェイトはプレシアから、ジュエルシードの詳細を教えられていなかった。ロストロギアであること、そして実際に回収する時の経験から危険な物だとはわかっていたが、先ほどなのはから聞いたような、世界を危機に陥らせるほどの物だとは知らなかった。
ここでプレシアを倒して管理局に引き渡して自首すれば、真実を知らずに利用されていたのだと弁明できるかもしれない。使い魔の功績は、フェイトのものとなり、少しは減刑されるだろう。
逆に、なのはから危険性を教えられた今、なおも管理局に逆い続ければもはや言い逃れはできず、罰は一気に重くなる。
だから、元凶はここで狩る。
「それは、あの子が命じたの?」
「違う! あたしが考えたんだ!」
力尽くでバインドを破り、振りかぶった右の拳をプレシアにふるう。
しかし、それはプレシアの手前で止まっていた。二段重ねのバインド。
「そう。あの子は使い魔を作るのが下手ね。こんな――」
プレシアの右手に、紫色の魔力弾が生成され、バインドごとアルフを飲み込んだ。アルフは十メートルほど吹き飛ばされて背中から壁に叩きつけられ、反動で前のめりに倒れる。天然石を用いた硬質的な床と額が、鈍い音とともに接触する。
伏すアルフを悠然と見下ろしながら、プレシアは感情のこもらない淡々とした声で語る。
「こんな余計な感情を持ったものを作ってしまうなんて。使い魔は使用用途に応じて必要最低限の思考能力だけ与えれば良い。こんなに感情機能に割り振っていては、消費する魔力量の割に合わないわ。やっぱり、間違った物からは、間違った物しか生まれないのね」
「……どういう、意味……だい」
「知る必要はないわ。それじゃあ消えなさい。失敗作を二つも置いておくほど、私は寛容ではないの。フェイトには逃げたとでも言っておくわ」
身体を動かそうとするが、顔を上げてプレシアを睨むだけで精いっぱいだった。
ここで自分が死んだら、フェイトはまたプレシアの命じる通りに動く。ブレーキのない車のように壊れるまで走り続ける。自分が殺されることよりも、その未来予測がアルフを絶望させた。
アルフには願うことしかできない。誰でも良いから、フェイトを助けて下さい、と。
「そこまでだ!」
アルフの前に誰かが現れた。その誰かはシールドを展開し、プレシアの魔法を防ぐ。もっとも、完全に防げなかったようで、壁に叩きつけられる。
アルフはその人を見る。青年だが、その顔に見覚えはない。しかし、その格好は管理局――確か、武装隊の――
玉座の間に次々と人が現れる。先ほどの青年を含めて、その数六名。みな武装隊の格好をしていた。青年も立ち上がり、五人がプレシアを囲む。残った一人、女性は彼らから離れ、アルフを抱え起こす。
隊員の一人が告げる。
「プレシア・テスタロッサ。時空管理法違反、および管理局艦船への攻撃容疑であなたを逮捕します」