「ヒューが、任務中に死んだ」
窓から赤い光が差し込む黄昏時、ウィリアム・カルマン――ウィルは、伯父から父の死を告げられた。
伯父は嘘を好まず、幼いウィルの冗談にも怒るような人だった。だから、たとえ信じられないような言葉でも、彼が言うのだから嘘ではないと考えた。
でも、理解できなかった。
ヒューは父の名で、死ぬとはもう会えなくなること。四才になったばかりのウィルにも、そこまでは理解できた。ただ、その二つがどうしても結びつかない。父親は強くて、正しくて、かっこよくて、だから死ぬだなんてありえない。
その日はいつものように寝た。次の日もいつものように寝た。数日後におこなわれた父の葬儀には死体はなかった。父は欠片も残らなかったと聞いた。だからだろうか、葬儀の日もいつものように寝た。そのうちひょっこりと帰って来て、いつものように遊んでくれるのではないかと、心のどこかで考えていた。
一月たって、父とよく行った公園で一人でぼうっと夕日を眺めている時に、なぜだか急にもう会えないのだと理解できた。
目からは涙が、口から言葉が漏れる。
ふざけるな
誰に対しての、何に対しての感情だったのかはわからない。ただ、その時、呪った。漠然と、何か形のないものを、自分から父を奪った何かを、たしかに呪った。
殺してやる
涙を袖で拭いながら誓う。何を殺すのか、それさえわからないままに誓う。ウィルの赤銅色の髪、赤褐色の瞳は、夕陽を受けて燃える炎のように赤く揺らめいた。
刻まれた憎しみの記憶が胸の内に火を灯す。以来、ウィルの内面にはずっと炎が燃えている。呪いを固めたような、永遠の炎が。
それから十年の時が過ぎた。
とある辺境世界にある時空管理局基地の隊舎内。士官用の一人部屋でウィルは目を覚ました。
開かれた瞳に浮かぶ凶暴な色はすぐに消え、代わりに知性の輝きが戻る。手をのばしてベッド横のサイドテーブルに乗せていたタオルを取り、汗ばんだ額に張り付く髪をかき上げ、顔を拭う。
部屋の中も窓の外も暗い。携帯端末を手に取り時間を確認すると、起床時間には一時間ほどの余裕がある。
今更眠る気にもなれず、かといって消灯時間中に出歩いて自主訓練をするわけにもいかず、ベッドに寝そべって先ほどの夢を思い返す。
あの夢をもう何十回と見ただろう。
夢は記憶の整理のためにおこなわれると聞いたことがあるが、だとすれば、いまだに自分は当時のことを整理しきれていないのだろう。
あの時から、ウィルは父を死なせたモノに復讐するために生きている。
不毛なことかもしれない。父を死なせた“それ”は特定の個人や組織ではなく、いうなればハリケーンや地震のような災害に近いモノだ。いつかは必ず現れる。だが、現れたその時その場所にウィルが居合わせることができる可能性は限りなく低い。報道管制が敷かれるから、現れたと知ることすらかなわない。
それでも、諦めきれない。
だから、数多の世界をまたにかける巨大治安維持組織『時空管理局』に入局した。いつかそれが現れた時、対処のために動くのは時空管理局だ。努力して士官学校に入学したのも、将来エリートとして多くの世界に散らばって行く士官候補生たちとのコネクションを得れば、それが活動した時にその情報を得られる事ができると考えたから。
それでも、いざその時に自分が関われる可能性は極めて低い。仇討ちなんて諦めた方がきっと楽だ。
それでも、と思う。それでも――
突然、基地内に警報が鳴り響き、まだ消灯時間にも関わらず一斉に照明がつき始める。
深夜の訓練予定はなかったはず。ということは、何か事件が起こったのだろう。
「……珍しいな」
ため息をつき、ウィルは立ち上って時空管理局の制服に袖を通す。ウィルがどんな過去を持とうと、どんな気分であろうと、世界はおかまいなしに回り続ける。
*
その少し前、同基地の管制室。
部屋の中を青白い照明の光が満たす中、少女は頬杖をつきながらぼうっと前方を見ていた。
視線の先には壁に取り付けられたディスプレイがある。いまどき珍しい平面型だ。
ホログラム技術の発達により、空間投影型のディスプレイ――ホロ・ディスプレイが現れ、個人用携帯端末でさえ採用されるほどの主流となった昨今、場所を大きくとるうえに柔軟に対応できない平面型は次第に数を減らしている。それがいまだに現役なのは、単に買い替える金銭的余裕がないからに他ならない。
ディスプレイは、少女がこの部屋に入ってからの数時間、変わらぬ輝きを放っている。表示されているのは、彼女がいる基地を中心とした数百キロメートルのマップ。
少女は菓子の袋やカードが散らばる机に肘をつきながら、あくびをする。変わらぬ画面をじっと見ていても退屈なだけで、どんどん眠たくなってくる。ディスプレイに表示される情報が、だんだん単なる模様に見えて来る。
睡魔に引き込まれる直前、突如首筋に冷たいものを感じて、少女は思わず跳び上がった。
「なぅふぁっっ!!」
「……何奇声あげてんのよ」
少女の後ろには、また別の少女が立っていた。彼女は手に持った二つのドリンクの片方を少女の前に置き、自分は隣の席に座る。
「遅いよ! あんまりにも暇だったから、思わず寝ちゃうところだったじゃん!」
「いや、寝ちゃだめでしょ」
「だってさ、当直って言っても何も起こらないじゃない。そりゃ眠たくもなるわよ」
「あんたねえ……もう少し危機感ってもんを持ちなさいよ。寝てる間に何かあったらどうするの」
少女は指を人差し指と中指を立て、びしっと突き出す。
「二回!」
「……なんのこと?」
「あたしたちがここに配属されてからの半年で、うちの部隊が出動した回数だよ! 遭難した調査団の救助が一回と、危険な現地生物の駆除が一回。しかもどっちも昼間で、夜間に出動した回数はゼロ」
「仕方ないわ。この世界は調査団と私たち管理局の人間、合わせても千人くらいしかいないんだから。人がいなければ事件が少なくなるのは当たり前のことよ」
もしも管制室のある事務棟から外に出てみれば、隊舎や格納庫といった、基地の敷地に立ち並ぶ建造物が見えるだろう。そして、基地の敷地から少し行くと小さな町がある――が、そこに住む人はほとんどいない。さらにその町の外に出れば、地平線の彼方まで続く砂、砂、砂。砂漠がどこまでも広がっているだけで、この世界には人がほとんどいない。
第百二十二無人世界と番号をつけられたこの地は、豊かな緑と多くの生命にあふれ、その中で人類が高度な文明を築いていた――というのは調査の結果わかった過去の姿。
今はもうない。それらは全て、五百年ほど前に起こった大災害で滅んだ。
災害の影響で気候が変化し、地表の半分以上が砂漠化。建造物の多くは大規模な地殻変動の影響で地の底に沈み、年月が流れるうちにほとんどが砂のベールで被い隠された。
人類は死に絶え、その他の生物もほとんど消えた。あるものは災害で、またあるものはその後の環境の変化で。どれだけの地獄絵図だったのか。それは調査による断片的な情報によってしかわからない。ここの砂漠の砂が白いのは、砂が死んだ生物の骨でできているからだ――なんて薄気味悪いジョークもあながち間違いではないのかもしれない。
この滅びた世界に異世界の人間がやって来たのは、数十年前。
やって来た人間たちの目的は、滅びた文明の調査。そしてその文明が生み出した、現代技術では再現不可能な発掘品――『ロストロギア』だった。
当時は、ロストロギアを求めて多くの者たちがこの世界に訪れ、調査団同士のいさかいが頻繁に起こり、酷い時には発掘されたロストロギアを巡って小規模な抗争に発展することさえあったとか。
そこで動いたのが、多くの世界の治安維持を使命とする巨大組織『時空管理局』だった。管理局は、治安の維持と発掘されたロストロギアへの対処を兼ねて、町のそばに基地を置いた。
が、それから数十年。この世界への無断渡航の禁止や、めぼしい遺跡の調査が終わったことなど、様々な条件が重なり訪れる者の数は激減した。往時では一万人が住んでいた町は、駐留する調査団が減ったせいで今では数百人。灯りがついていない日の方が多いゴーストタウンだ。
管理局も一時はこの世界からの撤退を考えたが、まだ使える基地を廃棄するのはもったいないと考えたのか、規模は縮小したもののいまだに存続している。現在は広大な土地を利用しての長期訓練や開発局の装備品のテストが主な業務で、捜索・救助は年に数回、犯罪の捜査などここ数年まったくない。
だから、事件なんて起こるはずがない。この基地のほとんどの者はそんな風に考えている。
「そうそう、だから私が眠くなるのも仕方ないんだよ」
「仕方なくない」
「じゃあさ、せめて眠気覚ましにもう一回勝負しようよ」言いながら、少女は机の上に広がってたカードをかき集める。 「次は何賭けよっか? さっきはジュースだったし、今度はもっと大きなものにしないと面白くないよね。明日の昼食でも賭ける?」
「あんた、カード好きよね。わざわざそんな実物使わなくても、端末のソフト使った方が楽じゃん」
ちっちっち、と口で言いながら、少女は指を振る。
「始まる前にカード切る時の高揚感、手に持ったカードから伝わる感触、そういうのがないと勝負してるって感じにならないじゃん。……それにソフトだとイカサマできないし」
「おい最後なんて言った」
その時だった。女性局員たちの前にあるディスプレイが音をたてる。ディスプレイの表示を見れば、基地外部からの通信だった。となると、調査団からだろう。
この世界のインフラはまったくと言って良いほど整備されていない。通信衛星も基地局もないため、民間人の大半が持っているような携帯端末による通信はできない。そのため各調査団は、少々高価になるがそういったものに頼らない長距離通信機をいくつか持ち込み、それによって管理局や他の調査団との通信をおこなっている。
調査団からの通信のほとんどは無事を知らせるための定時連絡だが、それをまさかこんな夜中におこなうわけがない。つまり、予定外の何かがあったということ。
少女たちはお互い顔を見合わせた後、そのことに思い至りはっとした顔になる。一人が即座にヘッドセットを装着し、通信を繋ぐ。
前方の巨大ディスプレイに相手の通信地点が表示される。基地からの距離は百キロメートル弱。そのあたりには遺跡が多いため、いくつかの調査団が調査中のはずだ。このように離れた場所の遺跡に行く調査団は、いちいち町に帰っていると時間が足りないため、遺跡のそばや入り口でキャンプをしていることが多い。
「こちら時空管理局―― 『たすけてくださいっ!!』 ――うわっ!」
通信がつながった瞬間、聞こえてきた大声にヘッドセットが震える。
「お、落ち着いてください。まず深呼吸――」
『私っ、よその調査団の無線を借りているだけでっ! 本当はスクライアなんです!』
「スクライア?」
少女は隣の少女に目線をやりながら言う。それを聞いて、もう一人の少女がスクライアについて基地内のデータベースを用いて調べる――と、すぐにわかった。
スクライア調査団。一月ほど前からこの世界に駐留している調査団だ。通信機の反応がある地点から数キロメートル離れた場所にある遺跡を調査中。
となると、支離滅裂な通信もなんとなく意味がわかる。
スクライア調査団のキャンプで何かがあった。こんな夜中に連絡をしなければならないような何か。その何かのせいなのかはわからないが、スクライアが持つ通信機は使用できない状態に陥っており、そのため近くの調査団のところに通信機を借りに来たのだろう。
遺跡の崩落といった事故に巻き込まれたのだろうか――という少女の予想は、次の言葉で裏切られた。
『私たちの調査団が襲われたんです!』
「しゅ、襲撃!?」
応答していた女性隊員の声が裏返る。事故ではなく事件。しかも、人による犯罪。
基地全体に警報が鳴り響いたのは、この少し後のことだった。
**
この世界にあった建築物はたいてい瓦礫と化しており、もとの形を残している遺跡はあまりない。まずは災害による大破壊に耐え、その次におこった地殻変動にも耐え、最後に建造物の上に積もる砂の莫大な質量に五百年間耐え続けられるような建造物など、そうそうあるものではない。
スクライア調査団が発掘調査をおこなっていた大型遺跡は、それらの破壊活動に耐えきった数少ない代物だったが、さすがに無傷とはいかず壁や床の崩落がそこかしこに見受けられる。
重なる瓦礫の間に、灯りもつけずに身を潜める者がいた。まだ十歳に満たないような、あどけない顔の少年だった。
しかし彼の姿――汚れて輝きを失った山吹色の髪も、疲労の色が濃く表れている顔も、闇に隠されて見えはしない。もちろん、彼がその手に握る大きな鞄も同様に。
スクライア調査団のリーダー、ユーノ・スクライアは遺跡内部で隠れていた。
ユーノは二親の顔を知らない。どのような経緯があったのかは知らないが、物心がついた頃にはすでに、遺跡の調査をなりわいとするスクライアという一族で暮らしていた。
流浪の生き方がそうさせたのか、スクライア一族は“使えるものを無駄にしてはいけない”という、どこか吝嗇家のようなルールを持っていた。その考えは物だけでなく人にも及ぶ。“才能を無駄に埋もれさせてはいけない”――これも、スクライアのルールの一つ。
高い魔法の才能を持っていたユーノを魔法学校に入学させたのも、卒業して戻ってきたばかりの彼を中心として調査団を編成したのも、彼の才能を埋もれさせないためだ。
とはいえ、いきなり本格的な調査を任されたわけではなかった。今回の調査の目的は一族の若者に実地で経験を積ませることで、団員はユーノをはじめとして子供たちがほとんど。場所もかつてスクライアの大人たちが調査をおこなった場所で、新しい発見は期待されていなかった。
だから、最近崩落したと思われる瓦礫の向こうに、未知の通路を発見したのは偶然のこと。瓦礫をどかすために他の調査団に協力を依頼したのも、その調査団がロストロギアを手にするために襲ってくるような奴らだったのも、全ては偶然だった。
ユーノたちは彼らの協力を得て瓦礫をどかし、その向こうに発見された通路を一緒に進み、小部屋を見つけた。
小部屋は遺跡にあるどの部屋とも違っていた。壁は周囲からの魔力素の侵入を許さず、魔力的影響をシャットアウトするように作られており、ユーノたちが扉を開けて入るまでは、内部の魔力素濃度が異常に薄く保たれていた。
小さな部屋というよりは大きな箱――忌々しい物を封印するための筺のよう。
部屋の中にあったのは、植物の種に似た形の、二十一個の青い石。
ユーノをはじめとして魔導師たちは、石のそばにいるだけで奇妙な感じを覚えていた。魔力が揺らされるような、そんな感覚。
石の調査が進むにつれて、調査団を包む熱気は大きくなっていった。調べれば調べるほど、発掘品はロストロギアに認定されるほどの物である可能性が大きくなってきたからだ。そうとなれば慮外の大功だ。一族の大人たちだって、ロストロギアの発見なんてめったにできない。それを自分たちが――
この発見は、背伸びをしたい年頃の子供たちから冷静さを奪うには十分すぎた。
だからだろうか、ユーノたちは協力してくれた調査団に注意をはらうことをおこたってしまった――いや、もともと一族という結束の強い環境で育ったユーノたちには、人を疑うという経験が不足していたのか。
その結果が今だ。
彼らは日が沈んでからの輸送は危険だと言ってユーノたちを遺跡に留まらせ、寝静まった頃に襲いかかってきた。起きて応戦したが、相手はこちらより数が多い上に戦い慣れていて勝ち目はなかった。
だからといってロストロギアを渡して投降するわけにはいかない。そうしたからと言って安全が確保される保証はない。それにロストロギアを犯罪者に渡すなんて、発掘業に携わる者として絶対にやってはいけないタブーだ。ことは自分たちだけでとどまらず、スクライア自体への信用にも影響する。
迷った末、ユーノはロストロギアを持って遺跡内に逃げ込んだ。自分が囮になることで相手の注意をひきつければ、仲間たちは逃げやすくすると考えたからだ。もしかしたら、逃げた仲間が管理局に連絡できるかもしれない。
それから数時間。外では太陽が昇り始める頃。ユーノは今もロストロギアの入った鞄を持って、隠れ続けている。しかし、ユーノは少しずつ追い詰められていた。
地の利がそれほど大きなアドバンテージでなかったのが原因だ。協力してもらっていた時に、自分たちが作ったこの遺跡のマップを見せていたのだから、当然と言えば当然なのだが。
突然、周囲がほんの少し明るくなる。
隠れている瓦礫の影から顔をのぞかせると、暗闇の中を十ほどの鬼火があちらこちらを行ったり来たりしているのが見える――サーチャーだ。
ユーノが身を隠す瓦礫が存在する部屋は、一人で捜索するのであれば半時間はかかる大きさがある。だが、十個ものサーチャーがあれば、ものの数分で調べ終えることだろう。
迷っている暇はない。すぐに行動しなくては見つかってしまう。
でも、どう行動するのが最善なのだろう?
これまで通り、管理局が来ると信じて奥に逃げ続けるか。
それとも――
***
黎明、地平線から恒星が昇る。
鮮烈な光が白い砂で覆われた大地を照らしあげ、急激に熱せられた地表が朝露を蒸発させる。熱気をはらんだ水蒸気が生じたせいで蜃気楼が発生し始めた。
三百六十度全周囲、地平線の彼方まで続く砂漠に、蛇がのたうったような形の砂丘という自然物と、地面の下から突き出る数多の建造物――遺跡という人工物が入り乱れ、それらが陽光を遮ることでできた影が、無彩色の砂漠に白い砂と黒い影という単純で、だからこそ美しいコントラストを作り出していた。
青へと変わる空を飛ぶものは、鳥ではなく人――ウィルだ。砂漠の色に溶けるダーク・カーキのロングコートを纏い、両脚には膝まで覆う銀の金属ブーツ、右手に一振りの剣を握っている。
高度百メートルほどを低速で飛行しながら地表を見下ろす。地上にはいくつもの瓦礫――砂の下に埋もれた遺跡の一部で、大きなものは数十メートルもある――が転がっているだけ。
地平線の先まで広がる景色はずっと変わらず、砂と遺跡のみ。白い砂が陽光に照らされ、きらきらと輝くが、動くものはまったくと言っていいほどない。この世界では、どこにいってもこんな光景ばかりだ。
遠方に目を向ければ、離れたところに他よりもひときわ大きな建造物が見える。襲撃されていたスクライア調査団が調査しており、今は襲撃犯が立て籠もっている遺跡だ。逃げられなかったスクライアのメンバーも一緒に捕らえられている。
現在は、戦闘系の魔導師部隊が遺跡に突入中。守りに入った襲撃犯に手こずりながらも、少しずつ押している――とのこと。
ウィルも戦闘系魔導師だが、こうして突撃部隊から外されて空を飛んでいる。一般局員や、ウィルのように飛行魔法を得意とする魔導師たちは、逃げたスクライアのメンバーの捜索と、周囲の哨戒をおこなっている。すでにスクライアの子供たち十人ほどの保護と、襲撃犯の仲間と思われる者たち数名の捕縛に成功している。
ウィルはひときわ大きな瓦礫のせいで上空からでも視線の通らない場所を見つけると、その傍でぴたりと静止する。そして右手に握る剣を前に突き出し、語りかけるように声を発する。
「F4W、エリアサーチ」
『Roger. Create searchers.』
無機質な機械音声が応え、音声に合わせて剣の表層に光の筋が走り、明滅を繰りかえす。
直後、剣から赤色の光の球が五つ現れ、それぞれ地上に向かって降下していった。
ウィルの持つ剣はただの武器ではなく、デバイスと呼ばれる魔法行使の補助をおこなうための機械端末だ。
そして先ほど現れた光球は、魔法で作りだしたサーチャーという端末だ。魔法の行使者はサーチャーと視覚や聴覚を共有できるという、何かを探すにはもってこいの魔法。得意な者なら数十というサーチャーを同時に扱うこともできるが、ウィルはこういう細々とした魔法は苦手なこともあり、たった五つでもいっぱいいっぱいだった。
光球はそれぞれ地表に転がる瓦礫の周辺をぐるぐると回り、その映像がウィルの頭にも流れ込んでくる――が、何も見つかることはなかった。
デバイスの通信機能を使い、同じ隊のメンバーに連絡を取る。
「こちらサンドガル・ワン。こっちは人っ子一人見えない。みんなはどうだ?」
『サンドガル・ツー、見慣れた砂丘が広がってるだけだ』 『スリー、異常なし』『フォー……同じく』『サンドガル・ファイブ、現在遮蔽の影を探っています。まだ途中ですが、今のところ誰も見つかっていません』
デバイスを通して、同じ隊の仲間たちの声が聞こえてくる。彼らからの報告も全てウィルと同様に異常なしを知らせるものだった。
ウィルは次に、離れた場所にいる通信車のオペレーターへと連絡をする。
「バースツール、そっちのセンサーに何か異常はないか?」
『全然、まったく、なーんにも。レーダもセンサーも特に反応なし、だよ』
通信インフラが整備されていないこの世界で、ウィルが離れた場所にいる仲間たちと通信ができるのは、この通信車を使った通信系統があるおかげだ。さらに、通信車にはこのような遠距離通信や通信傍受といった機能だけでなく、搭載された各種センサーによる赤外線や電磁波、魔力波の感知もおこなえる。
『もうこのあたりには誰もいないんじゃないですか?』
「かもしれないな……でも、言っちゃなんだけど、うちの通信車はおんぼろだからなぁ。それに、やっぱり最後は人の目で確認しないと」
辺境の装備のさがか、現在の第一線の装備に比べると型落ち感はいなめない。ウィルはくどいとは思いながらも、隊の仲間に注意を喚起する。
「もう一度調べよう。敵が遮蔽に隠れていることを想定して、常にある程度の高度は維持しておくように。地上に降りる時は、バリアジャケットの脚部設定の調節を忘れるなよ。砂に足をとられるぞ」
『了解』という仲間たちの返事を聞き、ウィルは再び周囲を捜索し始めようとするが、その時、通信士が『あっ』と声をあげた。
『新しく反応あり。これは……個人用の携帯端末のものかな』
「通信反応か?」
『違うよ。オンになっている携帯端末からは常に微弱な電波が出ているから、それを捕まえたんだと思う。どうする?』
今時の携帯端末には通信以外にも日常的に用いられる様々な機能が備わっているため、端末を使った通信ができないこの世界にも、自らの携帯端末を持ち込む者は多い。管理局からも、万が一遭難した時の位置検出に使えるので持ち込みは推奨されている。
ウィルは考える。これまでなかった反応が急に表れたということは、先ほどまでは電源を切っていたのか、それとも反応がない場所――地下に埋もれた遺跡内にでもいたのか。
その端末の持ち主は、はたして敵(襲撃犯)か、味方(スクライア調査団)か。
「位置情報を送ってくれ。おれが確認に行く。行くのも、何かあった時に逃げるのも、おれが一番早い。陽動の可能性もあるから、みんなは哨戒を続けてくれ」
送られてきた情報を確認すると、ウィルはその方向に向き直る。
銀のブーツが輝くと、ウィルはその場から姿を消していた。さらに一拍遅れて、風のない砂漠に起こった颶風が、砂塵を大きく巻き上げた。
****
暗い遺跡の中を駆ける人影。ユーノの魔力は自らの瞳と同じ翡翠の色を放つ。それを光源にして、ユーノは遺跡の中を駆けていた。
駆けるユーノの後ろから、サーチャーが追いかける。
ユーノは結界魔法を展開。周囲の空間に結界が展開される。この魔法は結界の内外での波動の干渉を防ぐことができるので、結界外に追いやられたサーチャーでは結界内の光や音を認識できない。結果、結界内のユーノの姿を見失う。
そのようにしてサーチャーを撒き、ユーノ自身は結界内を走って移動する。結界の端まで行けば、いったん結界を解き、また新たに結界を作ってその中を移動する。
ユーノは、自力で遺跡から脱出することを選んだ。このまま遺跡の中にいても追いつめられる。隠れるためにより奥深く逃げ込めば、それだけ管理局からの救援も遅れてしまいかねない。
それならば一か八か外に出て、自分から管理局に合流する――それがユーノが下した決断だった。
幸いにも、ユーノは遺跡に存在する抜け道を知っていた。それは意図して作られたものではなく、隣接する遺跡と衝突したことで偶然できたもの。
遺跡内にいくつもある崩落して行き止まりになっている通路。その中の一つは、他と同じように見えても、よく見れば瓦礫の間に隙間があって隣接する別の遺跡に抜けられるようになっている。
今にも崩れそうなので地図上では行き止まりとしておいた。仲間うちでも知っているのは一部だけ。だからこそ襲撃犯は知らないはずだ。
ここまではサーチャーに見つかりながらも、なんとか逃げてこれた。このまま逃げ切れるか。
その時、結界が揺れた。続けて数度の揺れの後、結界が破壊される。
「見つけたぞ!」
背後からの怒号が通路に反響する。デバイスを構えた魔導師がユーノを追いかけて来ていた。デバイスの先から輝く鎖が現れ、ユーノに向かって飛ぶ。バインドと呼ばれる、相手を捕獲する魔法だ。
ユーノは飛びながら後ろを振り向き、バインドに合わせて防御魔法を行使。現れたシールドがバインドを防ぐ。が、直後ユーノの体に強い衝撃。後ろを向きながら移動していたため、前方の瓦礫に気づけず体をぶつけてしまった。
壁に二度三度体をぶつけながらも飛行魔法で体勢を整えようとするが、うまく発動せずに、そのまま床を転がってしまう。
転がる勢いをとどめて、口に入った砂利を吐き出して逃げるために走り始めるが、視界が傾いてまっすぐ進めない。
ぶつけた衝撃による軽い脳震盪。そしてそれが、魔法がうまく使えなくなった原因だった。魔法を使うにはある程度の演算が必要で、それらをおこなうのはユーノの頭脳だ。特にデバイスを持たないユーノは全てを自分でおこなわなければならない。そのユーノにとって脳震盪――思考能力の低下は、事実上の魔法行使不可を意味する。
くらくらとする頭で、今度からはデバイスを持とうと思いながら、ユーノは駆ける。
「おとなしくしろ! 逃げても怪我するだけだ!」
迫る魔導師の声は、先ほどより近くなっている。もう一度背後からバインドが飛ぶ。ユーノは転がるようにして通路を曲がって回避。ふらふらとした足で、懸命に走る。
このままではすぐに追いつかれる。当初の予定では、抜け道に入る直前にもう一度結界を展開するつもりだった。結界は数秒で破壊されるだろうが、それまでの数秒間は追跡する魔導師の視覚から消えることができる。その間に抜け道の中に入ることで、どこに行ったのかわからなくさせて、追跡を撒くつもりだった。
だが、今は結界どころか魔法が使えない。結界を展開せずにこのまま飛び込んでも、どこで消えたのかわかるため、抜け道がすぐに見つかってしまう。
それでも、飛び込まなければ捕まるだけ。ユーノは意を決して抜け道に飛び込んだ。
飛び込む瞬間にまた瓦礫で頭を打ち、潜り抜ける時には肩をぶつけ、ようやく向こう側に抜けるという時にはロストロギアの詰まった鞄をぶつけてしまった。
だからだろうか。ユーノが抜けた瞬間に、背後で瓦礫が崩れ、轟音をたてて抜け道を埋めてしまった。
そのあまりの音に、ユーノは抜け道を出たところでぺたんとしりもちをついてしまった。振り返れば、先ほど通った通路はもう瓦礫と砂で埋まって通れそうにない。
これで少なくとも、追撃される心配はなくなったわけだが。
「あ、あはは……怪我の功名、かな。……あの人、埋まってないと良いけど」
自分を追いかけていた魔導師の心配をしながらも、ユーノは遺跡から脱出するべくゆっくりと立ち上がった。
やがて、進む通路の先に自然の光が見え始める。鼻で感じる臭いは遺跡内の湿ってかび臭いものから乾いた砂のものへ、通路の床は外から吹き込む風で運ばれた砂で白くなり、足音が、こつんこつん、から、じゃりじゃり、へ変わる。
ユーノはついに遺跡から抜け出した。目の前には広がるのは一面の砂漠と、それに埋もれた遺跡群。あまりのまぶしさに目をつむった瞬間、
「ゴールだな、少年」
空から降り注ぐ声を聞いた。
同時に、目の前に現れた藍色の光鎖がユーノの体を絡めとる。
「俺のゴールテープはお気に召さなかったか? って、気に入るわけねーか」
目の前に男が現れる。ユーノたちの調査団に協力してくれた別の調査団の一人。つまり、ユーノたちを襲撃した奴らの一人だ。彼は縛られたユーノの手から鞄を奪い取る。
「どうしてこんなところに」
「犯罪ってのは、短い時間でどれだけ準備できるかってのが成功の秘訣でな」鞄を開き、中身を確かめながら語る。 「襲撃前に、少年のお仲間から遺跡のことをできるだけ聞き出しておいたのさ。で、念のために俺がこっちに待機していたんだよ。いやはや、少年を見失ったうえに管理局まで来ちまったから、もう駄目かと思っていたが……少年のおかげだよ」
きみのおかげ/せいだ、というその言葉に、ユーノは悔しさのあまり唇をかむ。
男は鞄の中に目当てのロストロギアが入っていることを確認すると、にこにこ顔で鞄を閉じる。
「そんな顔するなって。後何分かすれば、管理局が助けに来てくれる。まだ若いんだから、命さえあれば次があるさ。それじゃあ、俺はそろそろ退散させてもらう――」
男は去ろうとして、何かに気づいて振り向いた。同時に、遠方から小さな音が聞こえ始める。かすかだったその音は、すぐに風を切る轟音に変わる。
風よりも早く表れたのは、赤銅色の髪の青年――ウィル。彼は困ったような顔で、男とユーノを見た後、口を開く。
「時空管理局だ。何が起こってるのかよくわからないけど、子供をいじめるのはよくないな」
*****
「さて、事情は後で聞くから、まずはデバイスを解除して投降してくれないか」
ウィルは右手の剣を男に向けながら告げる。
「この少年がどうなっても――」
男は勧告に従わず、ウィルに背を向けてバインドで捕らえられているユーノへと向かう。ユーノを人質にする気か。
瞬間、ウィルの銀のブーツが輝く。男がユーノとの十メートル程度の距離を詰めるより、ウィルがその何倍もある距離を詰める方が圧倒的に早かった。
ウィルは男の直前で減速。そのままの速度で切ると、男との直線状にいるユーノにぶつかるからだ。
男の背後につき、右手の剣を振り上げる。刀身が陽光を反射して煌めき、剣の峰が男の背を打ち据える
「――なんてな」
と思われた瞬間、ウィルの体がバインドで絡め取られる。男がユーノを捕らえるためにあらかじめ設置し、隠蔽しておいた設置型バインド。
男はウィルに背を向け、なおかつユーノとウィルとの位置関係を調節することで、ウィルを設置型バインドの効果範囲内に来るように誘導していた。
「念には念をってな」
男は反転し、ウィルの方を向いて笑いながらデバイスを向ける。デバイスの先に魔力光が集まる。
ウィルもまた笑う。こんな程度のバインドで動きを止められたと思っていることに。
ウィルのブーツがさらに輝き、絡め取るバインドが砕ける。速度とはエネルギー。ただ物理的な力によるバインドの破壊。
男は驚愕しながらも、魔法を放とうとする。が、男の体はその直前に翡翠色のバインドで絡め取られる。男の背後で、バインドに捕まっていたはずのユーノのものだ。
男の意識がユーノからそれている内に、ユーノもまたバインドを破壊していた。ウィルのように力だけではなく、バインドの構成式を解析、式に干渉して強度を弱体化させ、そして破壊――と、時間はかかったが、お手本のようなバインド破り。
動けなくなった男の肩に、今度こそ剣が叩き込まれた。峰打ちと言えども、叩き込まれた剣の物理的な威力と、剣を介して叩き込まれた魔力の威力は莫大で、男の意識はあっけなく途切れた。その手から滑り落ちた鞄をウィルが空中でキャッチする。
ウィルとユーノは向かい合い、どちらからとなく笑った。
「ナイスアシスト」
ウィルが拳を軽く突き出す。一拍遅れてその仕草の意味を理解し、ユーノもまた拳を突き出す。二人の拳がこつんとぶつかる。
それで安心したのか、ユーノもまた意識を手放し、その体が落下する――が、ウィルが彼の体を抱きとめて一安心。と思いきや、ユーノが気を失ったせいで襲撃犯の男を捕縛していたユーノのバインドが解けて、今度は男が頭から地面に落下しかけたりといった一幕があった。
その後、ユーノは基地のベッドの上で目を覚ました。
やって来た管理局の医務官は、半日ほど眠っていたとユーノに告げた。その頃には襲撃犯はほとんどが捕らえられ、スクライア調査団のメンバーはちょっとした怪我を負った者はいたものの、全員無事に保護されており、そのことを教えられてユーノもほっと胸をなでおろす。
ユーノ・スクライアが遭遇した事件は、こうして終わりを迎えた。が、この時に発掘されたロストロギア『ジュエルシード』を巡って新たな事件に遭遇する。
そして、その時には何の縁か、この時にユーノと一緒に戦った管理局の局員、ウィリアム・カルマンと、再び出会うことになるのだが。
(あとがき)
改訂版です。再投稿にあたって前回のプロローグを読み直し、ちょっと気になったところを書き直し始めたはずだったのに、気が付いたら全然違うものに。
展開以外のちょっとした変更点として、主人公の持つ二つのデバイスのうち、剣の方の名前を変更しました。前回の名前はかなり適当につけたうえに、略称がアイゼンになるのでヴィータとかぶるなぁ、なんて思っていたので。(のちに改定後の名称もクラールヴィントとかぶっていると指摘を受け、自分のマヌケさを再認識)
改訂後の名前は、ヴィルベルヴィント。由来はForceでラプターという兵器が出たので、同じく兵器であるドイツの戦車から。作中でF4Wと呼んでいるのは、ヴィルベルヴィントの正式名称のFlakpanzer IV Wirbelwindから。なんだかS2Uみたいでデバイスっぽく聞こえるかなと。