「……夏休み、か。」
そう、とうとう明日から夏休み。夢から覚める気配が全くない。悪夢のほうも以前のあれ以来見ていない。普通の夢はちょくちょく見るけど、そもそも夢の中で夢を見るのが普通なのかという話だ。
もうあれだ、これも現実なんだと腹をくくるしかない気がしている。
「前も書いたよな~、夏休みの予定表。」
そして今は夏休みの宿題を片付けている。小学生の頃の憧れだった、休み前半で宿題を終わらせて残りを何の気兼ねもなく遊ぶ、それを実践している最中だ。
いまの私の学力なら小2の宿題なんて楽勝もいいところだしな。厄介なのは自由研究だけど、こればかりは朝顔の観察日記でも作らないといけないだろう。ホームセンターで植木鉢と種を買ってこないとな。
まぁ、それは兎も角――
「温泉旅行かー。どうするかな?」
夏休みの前半、なのはたち3人組とその家族から温泉旅行に誘われている。ゴールデンウィークに行ったらしいけど、今度は私を含めてまた行きたいらしい。
私も温泉そのものは嫌いじゃない。けど3人はともかく、あいつらの家族となんて面識ないからなー。でも断るとアリサとか煩いんだろうし。
金もかかるだろうから、その線で断るか? さすがにそれなら食いついても来ないだろう。
Trurururu……
なんか電話が鳴ってるな。まぁほっといてもお母さんが出るだろう。
さて、そうすると夏休みは何をするかな。こっちでもホームページを開設してランキング1位目指すか?
……無いな。むしろ小2のホームページが1位になっちゃ可笑しいだろ。子供にコスプレさせて写真とって、小2を騙る痛い親が運営してるホームページ、そんな評判になるのがオチだ。
――まぁまぁ月村さん? どーもいつも娘がお世話に……え? 温泉旅行?
ある意味アクセス数は伸びるだろうが、私は笑いものになる気は無い。それによく考えたらコスプレ衣装作るお金もないしな。お小遣い300円とかの世界だぜ。しゃーないが。ということでホームページ作る案は却下だな。
――はい、はい、え? いや私はいいですよ~、娘だけお願いします。
ホームページといえば、パソコンで新しいOSとCPUが出たな。グラボもか。もちろん買う金なんかないけどよ。
前はフォトショッ○を動かしたり、ムービー撮ったりする関係でそれなりの性能のPCにしてたけど、いまの使い方なら性能なんてほとんど要らないよな。必要ないか。
――ええ、はい、はい。それでは娘に持たせるわけにもいかないですし、お金の方は後程お宅へ伺いますね。それでは宜しくお願い致します~。失礼します~。
ネットブックも種類増えてるんだろうな。この姿で電気屋を練り歩くのも気が引けるんだけど、ショッピングセンターの中の店なら大丈夫か?
大型専門店に一人で入るのはまずいだろうな、やっぱり。見たら欲しくなるし、いっそ行かないほうが良いか? うーん。
「ということで温泉旅行決定したわよ!」
「やっぱりかよ! 薄々気づいてたけど!」
断る理由考えた意味無いな!? っていうかお金はいいのかよ!?
「温泉旅行なんて高いよ? いいよ、断っても。」
夏休みなんてシーズン真っ盛りじゃねーか。割引も無いだろうし、あんま親に負担かけるわけにもいかねーし。
あー? つっても夢、か? まぁ深く考えたらダメだろ、うん。私は私の思う通りに行動すればいいのさ。
「何言ってるのよ。温泉旅行にも行けないならそもそも私立に通わせてないわよ。」
……なるほど。ごもっともで。
なんて納得してると、お母さんはソファーに座ったまま私を招きよせる。
何だろう? そう思い近づくと、そのまま手を取られ抱きしめられた。
「うわっ!? な、なに!? お母さん?」
「それにね? 私は嬉しいのよ、パソコンとカメラくらいしか見向きしなかった千雨が、旅行に誘ってくれるような友達を作れたことが。」
な、なんだ? お母さん……泣いてる?
それにパソコンとカメラくらいしか見向きしなかった……って、何の話だ?
「あんたはもっと小さいころから、周りと距離を置いてたからね。お母さんが働いてて一人にさせちゃったせいよね、きっと。」
「お母さん……」
「お仕事辞めて家にいるようにしても変わらないし、遅かったって、どうしようかって一生懸命に考えてたんだけど。ふふ、そんなの関係なしに成長しちゃうのよね子供って。」
通知表の成績も良いし、お母さんすっごく安心しちゃった。
そういって笑うお母さんの顔はとても綺麗で、見てるこっちが恥ずかしくなってしまうほどで。
「わ、わ、わたしスーパーいってくる!」
「ふふふ、いってらっしゃーい。」
なんだか居てもたってもいられなくて、溜まらず私は逃げ出した。
ああ、もう。慣れてないんだ、こういうのは。
「さてさて。スーパーについたわけだけど……。」
スーパーに行くといった手前、来ないといけない。余計な心配するだろうし。スーパーと言いつつショッピングセンターだけどな。いいんだ、うちではスーパーで通じるから。
お小遣いを使って自販機でジュースを買おうと思ったが、生憎ジュースは上の段にあって届かない。仕方ないので下の段のコーヒーを買い、ベンチに座ってちびちび飲む。けど、やっぱ味違う……あまり美味しくない。年齢と共に味覚が変化するっていう話は本当だったらしい。
なんてどうでもいいことを考えつつ、一方でさっきのことを考える。
どうもこっちの私はパソコンとカメラくらいしか見向きしなかった幼稚園児……なんか自分で言ってて嫌になるな、おい。なんでそんなことになってるのか、ちょっと昔のことを思い出そうとし―
――エーン、エーン……
はいはい、千雨、怖い夢見たのね~? もう大丈夫よ~?
う……ヒック、私、変じゃないもん……
どうしたの? どんな夢みたの?
変なのは皆だもん、車より早く走れないもん……
車より早く? そんなの誰も走れないわよ。誰がそんなこと言うの?
お母さんと、先生とか……
やーね、お母さんそんなこと言わないわよ?
うん……。でも、言ってたの。
うーん、それは私にとっても嫌な夢ね。大丈夫、お母さんはここにいるし、そんなこと言わないわよ?
――エーン、エーン……
だれも、いない……
私、変じゃないもん!
うぅ……ぐすっ
ふぇ……お母さん……お父さん……
エーン、エーン……――
「いっつ!?」
ズキリ、と。頭の奥のほうが酷く痛んだ。
……なんだ? この記憶は。これが私の幼少時代? これじゃ、これじゃあ、まるで……
「君、大丈夫? お母さんは?」
「ふぇ!?」
ベンチで頭を抱えていたら、警備員っぽい格好をしたおっさんに声を掛けられた。心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
まぁ、そりゃそうか。ガキが一人でベンチに座って頭抱えてたら、声もかけるわな、仕事柄。
「あ、だ、大丈夫です、お母さんは家で、すぐそこです。」
「そうかい? あんまり一人で来ちゃだめだよ?」
「はい。」
素直に返事をすると、おっさんはすぐに警備の巡回に戻った。たぶん。
くそ、仕方ない、帰るか。元々なにか買いに来たわけでもないしな。こんなところの電気屋をみてもたかが知れてるし。
コーヒー、残ってるけど……どうしよう。捨てるか?
「処分しておきましょうか?」
「え? あ、はい、お願いしま……す?」
なんて悩んでいると、突然後ろから声を掛けられる。振り返ると、そこには典型的な修道服に身を包み、首から十字架をぶら下げた褐色のシスターが私に向かい手を差し出していた。
すごい美人……美人なんだけど……周りから浮いてるよ、お姉さん!!
「捨てるのでしょう?」
「あ、はい。」
すこし唖然としていると、お姉さんに促されたためコーヒー缶を渡す。お姉さんは缶を受け取ると、笑顔で手を振り立ち去って行った。
近くに教会があるのか? あの修道服さえ除けば優しくてきれいなお姉さん、か。いや修道女属性も結構な需要があるしな。でも結構高い確率でヤンデレルートが用意されているイメージが……って、何考えてるんだ私は。
ま、帰るか。温泉旅行の準備でもしようかな。カバンなんかはあったかな? バスタオルとか歯ブラシは要らないのかな。着替えはどれを持っていくか。
なんて考えながら家路についた。
◇麻帆良学園長室にて◆
「皆さん、お集まり頂きありがとうございます。」
「しゃ、シャークティ君? これは一体何かの?」
夜。麻帆良学園の学園長室には大勢の人間が集まっていた。学園長、シャークティを始めとし、エヴァンジェリン、無精ひげにメガネの男性、サングラスの男性、刀を持った女性、太った男性など、数えるときりがない。なんとか広い学園長室に収まっているといった様相だ。
シャークティは無表情で学園長室の中心に佇み、集まった先生達は互いにヒソヒソと話をしている。
「私たちもシャークティに呼ばれて、何かあったのかと取りあえず来ているのですが……。」
スーツを着た黒人男性がそう話す。シャークティは人を集めただけで、まだ何も話してはいないようだ。
部屋に集まった人の殆どの視線がシャークティに集まる。ただ一人、エヴァンジェリンだけは窓際の壁によりかかり夜空を見上げている。
「私がこれから話すのは、この麻帆良の中学生の少女に起きた、いや、今この時も起きている悲劇の話です。」
少女に起きている悲劇。そんな穏やかではない言葉を聞き、部屋に集まった面々は俄かにざわめき出す。その大半は、なんのことだ? この麻帆良で悲劇など……。といった否定的な呟きだった。
しかし。当然耳に入っているであろうそんな呟きを無視し。シャークティは淡々と語り始める。
「私が知り得たことを可能な限り話します。その上で、皆さんの判断を頂きたいのです。」
すべてはある少女が偶然認識阻害をレジストする体質を持って生まれたのが始まりだった。
物心がついたころ、その少女は車より早く走る人や、走り回るロボット。そして当然、あの蟠桃を目にすることになる。
少女は思った。
『なんでこの麻帆良にはこんなにすごいものがあるんだろう?』
そう思った時から、少女の悲劇は始まった。
ある日、またも車より早く走る人を見た少女は、一緒にいた母親に問う。
『なんであの人は車より速く走れるの?』
しかし、それを聞いた母親は、車より速く走れることを凄いともなんとも思わない。当然だ、母親は認識阻害の影響下なのだから。
だから少女の疑問に答えることも……いや、少女が何を疑問に思っているかさえもわからず、少女を理解することができない。
また、少女のほうも"自分の言うことが理解されない"ことを理解してしまう。
もう少し成長して、幼稚園に入っても。
『なんであの樹は有名じゃないの?』
と、幼稚園の先生に問う。
しかし当然、少女が何を疑問にしているかを理解されることはなく。
次第に少女は回りの人間はみんな変だと思い始める。けど、それは。
『ひょっとして変なのは自分なの?』
という思いを、必死で自ら否定するためで……。
変なのは周りなの!
変なのは私じゃない!
そう、ずっとずっと心の中で泣き続けて!!
だれに言っても、自分の親にすら理解されない自分の心を
『寂しくなんかないんだ』
『みんな変だから、友達なんていらないんだ』
って!!
ただただ必死に、自分の心を嘘で塗り固めて!!
「まさか、そんなことが……!」
思わずといった体で、スーツを着た黒人男性、ガンドルフィーニが目頭を抑える。
その横では刀を持った女性、葛葉刀子が表情を見せまいと俯いて口をきつく結ぶ。
一方、無精ひげにメガネの男性、高畑タカミチは表情を無くしていき、もっとも若い男性、瀬流彦は焦った表情で学園長の傍へ移動していく。
「その少女は今にも崩れ落ちそうで……いや、もう崩れ落ちているかもしれません!! とうとう優しい夢という居場所を作り、もう起きなくても良いと、もう現実なんてどうでもよいと、そう思うまでに思いつめているのですから!!」
ざわざわ、と。それを聞いて一気に学園長室が騒がしくなる。ある者は解決策を隣の先生と検討しはじめ、またある者はなぜ認識阻害が効かないのかを考えだす。学園長の傍には高畑と瀬流彦が寄り、エヴァンジェリンはそんな全員の様子を無表情で眺めている。
そしてシャークティは流れる涙を拭くこともせず、最後の言葉を紡ぎだす。
「そして、少女をそこまで追い詰めたのは他の誰でもない、私たち魔法使いであり! 学園長、あなたはこの少女が苦しんでいる様子を、かなり初期から把握しているはずです!! 私は皆さんに問いたい、これは仕方の無い事なのですか!? 私達のせいで苦しむ少女を見捨てるのは、必要なことだったのですか!?」
かなり初期から把握していた。つまり、少女がこのような状態になるまで知っていて手を打たなかった。
そう言外に言われ、学園長室は戸惑いの空気に包まれる。そして、すべての視線は学園長へと集まった。
「……確かに。正しくは小学2年の頃から把握していたのう。」
「学園長!?」
ガンドルフィーニを筆頭に、複数の先生が学園長の机へ詰め寄る。その後ろでは、泣き崩れたシャークティを葛葉が真っ赤な目をしたまま介抱している。
学園長の後ろでは高畑が目を瞑ったまま佇み、瀬流彦がキョロキョロと頻りに視線を動かしている。
そんななか当の学園長は、ため息をついて疲れたように椅子へ沈み込んだ。
「どういうことですか!? 苦しむ少女を見捨てるような真似をするなんて!!」
「ガンドルフィーニ先生、これには理由があるんだ。」
「どんな理由ですか! 高畑先生と瀬流彦君はそれを知っているというんですか!?」
何も言わない学園長から視線を外し、ガンドルフィーニは高畑へと視線を移す。
「ああ……。その少女の担任は僕だからね。」
「そんな、AAAともあろう貴方が、どうして……!」
信じられないことを聞いた。
まさしくそんな表情で、目を見開き、高畑を見つめるガンドルフィーニ。高畑は眉間に皺を寄せたまま、その理由を語りだそうとし――
「いいんじゃ。タカミチ君。」
学園長がそれを止める。
そして椅子から立ち上がり、集まっていた先生たちの間を通り、シャークティの元へと歩み寄った。
「のう、シャークティ。お主はなぜここに認識阻害の結界があると思うかの?」
「……一般人を魔法関連のトラブルから遠ざける、ひいては守るためです。体も、心も。」
「うむ。いま考えると、もっと良い方法はいくらでもあった。魔法をばらし調査に協力してもらうも良し、小さいうちは麻帆良から出すも良し……。」
いつのまにか、『魔法の秘匿』が、手段から目的にすり替わっておったようじゃのう。
そう言い、学園長は全員が見える場所で頭を下げる。
「すまなかった。魔法使いの品位を下げる行為をしておったようじゃ。」
全員が何とも言えない顔で、頭を下げ続ける学園長を見る。
「ハッ、魔法使いに品位ねぇ……。」
静寂に包まれた学園長室に、そんなエヴァンジェリンの呟きがやけに響き渡った。
「なるほど。私を呼んだのはこちらがメインか。」
その後。処罰や報告は後日決めるとしてその場は解散し、エヴァンジェリンはシャークティと共に千雨の部屋へとやってきた。
千雨の部屋は夕方と何も変わらず、千雨は制服のままベットの中ですやすやと寝息を立てている。床に落ちたシャークティの十字架がなければ、あれは白昼夢だったのかと見まごう程だ。
「はい。もしかして、という思いではありましたが……。」
シャークティは千雨の夢を垣間見たとき、千雨の心の底の一部を覗いていた。
このまま起きたくない、こちらが現実であればいいのに。
その思いが作用し、本来ならすぐに起きる昼寝でも、もしかしたら起きないのではないかという不安があった。そして外れていれば良いという想いもむなしく、結果だけを見れば見事に当たってしまったようだ。
「長谷川さんを起こすには、この麻帆良で一番の年寄り「マテコラ」もとい、魔法の知識があるエヴァンジェリンさんの助けが必要だと判断しました。」
「いいのか? 聖職者が吸血鬼の力なんぞ借りて。」
「自ら堕ちたわけではないのは知っていますし、神がダメだというなら改宗するまでです。」
人を救えない宗教に、何の価値がありましょう。
そう言うと、シャークティはベットへと歩み寄り、床に落ちていた十字架を拾い上げる。
エヴァンジェリンはそんなシャークティの様子を見て薄く笑った。
「いい度胸だ。眠り姫を起こすのは王子のキスと相場は決まっているが、お前の場合は女王の加護を願う方が良いだろうな。」
「女王の加護、ですか?」
「ああ。要はより深く夢へと入るのさ。垣間見るだけではなく、登場人物になることで長谷川と対話してみろ。」
まぁ、いきなり麻帆良の教師であなたを起こすために魔法で夢の中に入ってきました、なんて言ったら現実逃避が酷くなるだろうがな。
そう続けると、エヴァンジェリンはシャークティの首筋に口を近づける。
「な、何を……?」
「手伝おうというのだ、血をよこせ。唯でさえ今日は余計なことに魔力を使ったからな。」
思わず身を引いたシャークティだが、エヴァンジェリンの言葉を聴きその場に留まる。
そして、つぷり、と。
エヴァンジェリンの牙がシャークティの首へ刺さった。
「あ、んっ……」
コクコクと、エヴァンジェリの喉が鳴る。
「良い血だ。魔力も申し分ないし……生娘か。」
「よ、余計なお世話です!」
「なに、褒めてるのさ。」
顔を真っ赤にしたまま、しかしシャークティは動かない。
そのまま数十秒ほどはシャークティの喘ぐ声と、エヴァンジェリンの咽下の音だけが響いていたが、やがて満足したのかエヴァンジェリンはシャークティの首から顔を上げる。
「さて。注意することがいくつかある。長いがよく聞けよ。まず夢に入っている間の現実での経過時間は正直さっぱりわからん。夢の1日がこっちの1時間かもしれんし、1年が5分かもしれん。さらには一定に流れているわけでもない。まぁ私の別荘に突っ込んでおくくらいのサービスはしてやろう。次に、夢へと深く入れば入るほど、お前は現実と同じ能力を得るだろう。だが長谷川が自然に目覚めない場合は死につながるし、夢の中の長谷川に死んだと認識された場合も死だ。長谷川本人が死んでも死だ。まぁ……あとは長谷川が認識していない夢の中がどうなっているかもわからん、気をつけろ。覚えたか?」
「は、はい……なんとか。」
突然の長口上に若干目を回しながらも、なんとか飲み込んで頷くシャークティ。
それで、お前はどの程度の深さで夢へと入るのだ?
そう問われたシャークティは、迷いのない顔で即答する。
「もちろん、最大限深くです。」
「まぁ、こいつの夢の中にそんな危険があるとも思えないが……いいのか?」
「当然です。」
そうか。そう言ってニヤリと笑い、エヴァンジェリンはさっそく詠唱を始める。
「しくじるなよ? 私はお前を気に入った。」
「吸血鬼に気に入られるとは、いい気がしませんね。」
ははは、いい度胸だ。
そう言った後に、静かに魔法は発動した。
「……私の時には、こんな聖職者は居なかった、な。」
私の運が無いだけか?
そうつぶやくと、エヴァンジェリンは二人を運ぶため絡繰を呼ぶべく、携帯電話と格闘を始めるのだった。
「よかったのですか? 学園長、理由を話さなくても。」
エヴァンジェリンが電話で絡繰を呼んでいる頃。人が殆ど居なくなった学園長室に、高畑の声が響き渡る。
「あれでいいんじゃよ。どう言い繕っても、悪いのは儂じゃ。」
学園長はいつもの椅子に座ったままお茶を飲み、高畑は窓を開けて煙草を吸っていた。
「長谷川君の件はいまだに腑に落ちないままではあるが、別のやり方があったのも事実じゃ。」
「あの時は、様子見が最善だと思っていたんですけど、ね。」
高畑はなんともやりきれないといった面持ちで、外をみたままそうつぶやく。
「僕たちの正義は、古いのですかねぇ……。」
「なに、新しい正義がすべて正しいわけではないように。古い正義もまた、そぐわない場面がある。それだけじゃ。」
「新しい正義が、長谷川君を救ってくれれば良いですね。」
「侘びの言葉を考えておかねばのう。一緒に考えるか?」
「遠慮します。言い訳がましくなりそうだ。」
「おぬしも酷いこと言うの……。」