誰も居ない学園長室。
部屋の外からは、階下から響き渡る少女達の声が聞こえる。
窓の外には、小高い丘に集まりパソコンを覗き込む少女達が見える。
食堂や玄関にも生徒・先生が集まり、皆ソワソワとした様子を隠さずにいる。
そんな中。椅子に座り書き物をしているような姿勢を維持していた黒い人型は、すくりと立ち上がった。
◆職員室◆
「おや、ネギ先生は玄関ホールへ行かないのですか?」
「あ……新田先生。」
3時間目。職員室の中は閑散としていた。
担任を持つ先生は殆ど玄関ホールか教室へ行き、その他の先生も食堂や体育館へと向かっていったためだ。
職員室に訪れる生徒も居らず、いつの間にか職員室にいるのはネギと新田のみになっていた。
ネギは机に座ってクラス名簿の一点を見つめたままボンヤリとしていたが、新田に声をかけられたことで顔を上げる。
「ほら、もう直ぐ結果発表が始まりそうです。」
そう言い、新田は壁際に置かれたテレビを指差す。そこには玄関ホールに展開された巨大スクリーンと、『第1学年成績順位発表』の文字。それを取り囲む1年生達の姿が映し出されていた。
スクリーンの前では『報道部』と書かれた腕章を巻いた生徒、朝倉和美がしきりに紙を確認している。他の生徒から見えないよう、隠しながらだが。
ネギは少々テレビを見つめた後、首を横に振り視線を落す。
「……いえ、僕はここで良いです。」
「ふむ?」
ネギのその様子を見て、新田は眉間に皺を寄せ首を捻る。普段は生徒と共に仲良く生活しているネギだ、少々仲が良すぎる嫌いがあるものの、今まで生徒と距離を置くという事とは無縁だった。
それが今日の朝からどうも様子がおかしい。職員室ではずっと元気が無く、ため息を吐き、何かを考え込んでいる様子だった。クラス名簿を見てペンを取り何やら書くものの、それも長くは続かない。
そんなネギの様子を気にして見ていた新田だが、その原因については想像出来ずにいた。
「最下位になって正規の教員になれないのが怖い、という様子では無さそうですな。」
テレビの中では1年生の結果発表が始まった。1位が発表された途端、テレビの中からだけではなく、体育館、食堂、校庭、そして玄関ホールと学校中から歓声と落胆の声が聞こえてくる。
新田はテレビの音量を少し下げるが、あまり意味は成さないようだ。
「何か悩み事ですか? 相談に乗りますよ。」
今なら生徒達に聞かれる心配も無いですからね、と。新田はそう言葉を重ね、笑う。
その言葉を聞きネギは悩む素振りを見せたが、新田を上目遣いで見つめ、おずおずと喋りだす。
「実は……生徒に取り返しのつかないことをしてしまって……。」
「と、言うと?」
詳しいことは言えませんが、と前置きした上でネギは次のように語る。
「安静にしていなくちゃいけない、起こしてはいけない生徒を無理矢理起こそうとしたんです。他の生徒が気付いて僕を止めてくれたので、大事には至りませんでしたが。
いえ、それだけではなく、その前からも僕は色んな失敗をしました。それこそ生徒の人生を左右するような失敗も。僕は、それを大したことじゃないと思っていたんです。」
「状況が良く判りませんが……。それで、その失敗を悔やんでいる、と?」
「……はい。それに、その失敗を指摘されたとき、僕は最初にこう思ったんです。『ああ、怒られちゃう』って。そうじゃない、それより先に思うべきことがあるのに、僕は……!」
そう言うと、ネギは机に突っ伏して肩を震わせる。
新田はそんなネギの様子を見ながら少々考え込んでいた。
ネギの先生としての態度、生徒との関り方について思うところはあるものの、それでもあの特殊なクラス相手に良くやっている、そう思っていたが。
やはり荷が勝ちすぎていたのか、前途有望な教員が潰れてしまうのは忍びない、そんな事を考えつつ。自身の若い頃とも重なる今のネギを見て、新田は言葉を放つ。
「それで、その生徒や止めてくれた生徒にはきちんと謝罪はしたのですか?」
「あ――、い、いえ。でも謝ったところで、とても許してくれるなんて……。」
ネギは、千雨の部屋で自分を睨みつけた美空を思い出す。あの憎しみが込められた視線を思い出すたび、ネギは肩を震わせ目に涙を滲ませていた。
明確に憎しみと呼べる感情を向けられたのは初めてのネギだが、あれはとても謝って許してもらえるものでは無い。そう判断していた。
だが、そのことを新田に伝えた途端。
「この、バカモン!」
「っ――、え、え!?」
ガツンッ! と、ネギの頭に衝撃と痛みが走る。
思わず新田の方を振り返るネギ。そこには一度振り下ろした拳を再度振り上げる新田の姿が有り、ネギは何故自分が殴られたのか判らず、目を白黒させる。
それを見た新田は、今度は拳を広げてネギの頭の上に置くと、手近な椅子に座りネギと目線を合わせた。
そして先ほどの怒った様子の声色から一変、今度は諭すように優しくネギへと語り掛ける。
「謝罪と言うのは許してもらうために行うんじゃない。真に自分が悪いと思うなら、一も二も無く謝罪する、いや、勝手に謝罪が口をついて出てくる物だ。対価が望めないから謝らないのか?」
「い、いえ、そんなつもりじゃないです!」
「なら謝るべきだ。謝らせてもらえないなら、それが出来るように努力するべきだ。今ネギ先生が悩むべきはそのことだろう? こうして逃げていては何も進まないぞ。」
それに――。新田がそう言葉を続けたとき。
玄関ホールから、教室から、食堂から、体育館から、校庭から。
そこら中から、割れんばかりの、いや、まるで爆音のような歓声が響き渡り。
ネギが驚き思わず立ち上がるが、新田は予想していたかのように平然としていて。
少々の笑みを零しながらテレビの方を指差す新田を見て、ネギの視線もテレビへと向かい、そこには。
「あ……凄い。」
「他人のためにこんなに頑張れる子達だ。案外、解決さえすれば許してもらえるかもしれませんよ?」
『第一位 2年A組 81.3点』
この文字が映し出されていた。
「「「ネギ先生ー!」」」
「あ、え、えっと、えっと!」
職員室に向かい大勢が駆けてくる足音と共に、生徒達の歓声が近づいてくる。
ネギは立ち上がったまま、職員室の入り口と新田の顔を見てワタワタとしているが、新田はそんなネギをみて笑いながら言葉を放つ。
「行って上げなさい。頑張った生徒を労うのも、感謝の気持ちを伝えるのも、責められることじゃないでしょう。」
「は、はい!」
「ああ、最後に一つ。法は正義に勝るが、人が求めるのは正義です。貴方がどんな先生になるか楽しみですよ、正義の側は難しいのでオススメしませんが。」
なんせ基準が無いですからな。そう言い笑いながら、新田は廊下へと出る。そして――
「コラー! 廊下を走るなー!!」
「わー、ごめんなさーい!」
「ネギ君確保!」
「私達1位だったよー!」
「ほら、みんな待ってるよ!」
「あ、えっと、あの!」
職員室に雪崩れ込み、ネギを連れ去ろうとする2Aの面々。勢いに負け廊下へと連れ出されたネギだが、そのまま連行される前に何とか一度踏みとどまる。
そしてその様子を苦笑しながら見ていた新田へ向き直ると、勢い良く頭を下げた。
「新田先生、ありがとうございます!」
「さて、何のことかな?」
そんなやり取りをした後。ネギは2Aの生徒達と共に、その場を走り去った。
◆夜半過ぎ 図書館島◆
「……いやぁ。急に動いちゃいましたねぇ。」
「いやぁ。じゃないですよ! どうするんですか!?」
時間は少々戻って深夜。千雨の部屋を追い出されたガンドルフィーニは、学園長と別れた後家に帰らず、その足で図書館島の地下深くへと訪れていた。
そこは巨大な木の根が縦横無尽に張り巡らされており、その根の間からは滝のように水が流れ落ちていて。
その中でも一際大きな滝が作る滝つぼ、そこにはまるで待ち構えていたかのように……いや、真実待ち構えていたのであろう、アルビレオの姿があり。
ガンドルフィーニの姿を確認した彼は、開口一番、笑顔で冷や汗を垂らしながら先の言葉を口にした。
「正直私も、何故寝たのか、何故起きないのかは調べていましたが、まさか別の人格として起きるとは。やはり近右衛門の情報だけではダメですね、なんと使えないことか。」
「い、いや、そこまでは言ってませんが……」
さらりと人のせいにするアルビレオ。実際誰のせいという訳でもないだろうが、それでも誰かに責任の追及をしたい。そんな自分の事を棚に上げた仄暗い思いを暗に見せられた気がし、ガンドルフィーニは口ごもる。
この目の前の英雄なら簡単に解決してくれるのでは、そう思っていたことには違いないのだが、やはりそう簡単には行かないらしい。いや、寧ろ英雄をもってしても難題という事だろう。そう気持ちを切り替える。
「さて、物質転移が起こっている事と夢見の魔法にて様子が見れることの両立。あの千雨さんが……ややこしいですね。ちうちゃんが起きた後でも千雨さんの様子は夢見で見れたようです。これらを踏まえて再度考えましょう。」
「ちうちゃん……。いっそちうちゃんの記憶を直接見てしまったほうが良いのでは?」
「スマートではありませんが、それも手ですねぇ。」
ですが、まぁ見当くらいはつけて置いて損は無いでしょう。アルビレオはそう続ける。
しかし見当といっても何も思い浮かばないのが現実だ。なぜ物品が移動するのか? なぜ人は移動しないのか? ちうちゃんとは何者なのか? 多重人格? 精神世界との入れ替わりなんて起こりえるのか?
疑問が疑問を呼び、明確な回答など何一つわからない。正しく思考の袋小路、いや、もはや入り口も無く地面すら無くなったような心境だ。
ガンドルフィーニは靴と靴下を脱ぎ、スーツのズボンをたくし上げて滝つぼへと侵入する。そうして水没した本棚に腰をかけ、そのままゆっくりと考え事に集中しだす。
一方のアルビレオも白紙の本をパラパラと捲るが、その表情は険しいままだ。
「考えてわからない物は、いっそそういう物だとしてしまったほうが良いでしょう。」
「物品が移動するということは現実世界。千雨君に夢見の魔法をかけると見れるのは、精神のみ行っているから。ちうちゃんは千雨君の精神が入った肉体の持ち主。それらから素直に考えるなら――」
アルビレオの言葉を引き継ぎ、ガンドルフィーニが目を瞑ったままそう答える。
だが、素直に考えるなら。その先の言葉はどちらからも出てこず、一時の静寂が二人の間に訪れた。
そのまま暫くは静寂があたりを包み続けるかとおもわれた、その時。アルビレオは何を思いついたか、ピッと人差し指を一本立てて――
「実はちうちゃんはヘラス帝国の人間で、千雨さんはクローン。千雨さんを哀れんだちうちゃんが夢と空間を媒介とした精神入れ替わりの秘術を使い、自らがクローンの立場に甘んじようと――」
「真面目にやってください!?」
「おや。ヘラス帝国のモルモットであることに耐え切れなくなったちうちゃんが予備である千雨さんとの入れ替わりを画策する、のほうが好みでしたか?」
「それの何処が素直に考えてるんですかー!?」
ハァ、ハァ、ハァ。と、全力で突っ込んだために肩で息をするガンドルフィーニ。一方のアルビレオは『良い突っ込みです』と満足げだ。
「しかし、今の情報ではこんな妄言すら否定出来ないのも事実。更なる情報収集が必要です。」
「っく……やはり、記憶を?」
「そうですね。場合によってはエヴァンジェリンにこの場所を教えることも已む無し、です。」
こうして。2人は今後の方針をもう少しだけ語り合い。ガンドルフィーニはその場を後にした。
◆学園寮 千雨の部屋◆
(記憶を読む、か……)
扉が修理された千雨の部屋。そこには朝からガンドルフィーニ、葛葉、美空の3人が詰めていた。
最初はシャークティと千雨の体に配慮しカーテンを締め切っていたが、千雨の言でシャークティを日陰に追いやり、千雨は長袖に帽子を被り対策したうえで今はカーテンを開けていた。
一応の部屋の主である千雨は少々おどおどとしているものの、ごく普通に葛葉が用意した朝ごはんを食べ、美空と共にテレビを見ている。
テレビでは丁度2Aが第2学年首位であることが流されており、その結果に美空は歓声を、葛葉は驚きの余り声を上げていた。
「ほら、2Aが私と長谷川さんのクラスなんすよー!」
「知ってる。」
「そ、そうっスか……。」
美空は始め千雨が起きていることに大いに驚いていたものの、ガンドルフィーニと葛葉による説明を受け、理解は兎も角、そういう物だと納得した様子だ。千雨がシャークティの首を絞めようとしていた事は、2人の判断で美空には伏せられているが。
美空は2人の説明を聞いて以来積極的に千雨へと話しかけているものの、しかしそっけなく返され続けている。
『仲良くなれば何か教えてくれるかもしれないっス』と美空は言っていたものの、今のところ実を結んではいないようだ。
「いやー、でもコレでネギ君も首にならずに……」
そして、再度話題を振ろうとした美空。
だが、思わず口にしたその話題は最後まで言い切られることは無く。美空は、そのままシャークティの方を向いて押し黙る。
葛葉とガンドルフィーニの2人も居た堪れない面持ちで美空のほうを見るが、もう一人。千雨も、クイクイと美空の袖を引っ張った。
「な、なんすか?」
「……ごめんなさい。」
「悪いと思うならっ――!」
千雨の言葉を聞き、思わず激昂しかける美空。
これは不味い、そう思ったか葛葉は急いで美空の下へと駆け寄るが、美空はそれ以上何もせずに踏みとどまる。
それは千雨の目に光るものを見つけたからであり、それに気付いてしまった美空はがっくりと項垂れ、そのまま千雨を抱き寄せた。
「何か……理由が、あるんすよね。」
コクリ。そう、美空の腕の中で頷く千雨。
「それ、どうしても教えてくれないっスか?」
……コクリ。今度は暫く間を置いた後に頷く千雨。
ハァ、と、溜息を吐いた後。美空はそのまま千雨を押し倒し、床へと寝転がった。
千雨を抱いて寝転がった姿勢のまま結果発表の続きを見る美空の様子を見て、葛葉は一先ず胸を撫で下ろす。
そして、ガンドルフィーニは、ずっと悩みながらそれらを見つめていた。
「……そろそろ総会ね。一応私達は出なくても良いことになっているけど。」
その後テストの結果発表も終わり、テレビは何時もの麻帆良放送に切り替わった時。葛葉は何気なくそう切り出した。
「あの……。ココネには、本当の事を教えても良いっスか?」
総会の内容は高畑からガンドルフィーニを通じて既に二人には伝えられている。
勿論その内容はかなり端折られた物であり、事実のほんの一部分でしかない事も。
美空は、せめて自分と同じシャークティの弟子であり、仮契約における自分のマスターであるココネには本当の事を知ってもらいたいと、そう葛葉に訴え出た。
「えっと、一応先生には自分の弟子に対して事実を教える裁量は与えられているけれど……。」
葛葉はその言葉を聞き、悩む。
シャークティが命を懸けている以上、美空の気持ちは良く判る。だがココネに事実を教える裁量はシャークティが持っており、事実上学園長辺りが動かないとココネには教えられないことになってしまう。
そう悩んでいると、それを見ていたガンドルフィーニが次のように発言した。
「ココネ君も知るべきだろう。何かあれば僕が責任を持とう。」
「本当っスか!?」
「なんて珍しい……。ガンドルフィーニ先生がそんな事を言うなんて。」
規律やルールを重んじるとばかり思っていたガンドルフィーニが、裁量破りをする。その事に驚く葛葉だが、ガンドルフィーニも自覚しているのか苦い表情で葛葉へと視線を向けるに留めた。
美空は早速携帯電話を取り出しココネへメールを打とうとするものの、ガンドルフィーニはそこへ更に言葉を重ねる。
「文章で残るのは辞めてくれ……。総会へ出て、それが終わった後にココネ君へ直接伝えなさい。この場は僕達だけで十分だろう。」
「あ、それもそうっスね。」
それじゃー行って来るっす! そう言い、千雨へ手を振りながら部屋を出て行く美空。千雨は手を振り返し、葛葉は溜息を吐きながら、ガンドルフィーニは無表情でそれを見送った。
バタン、と、扉が閉められ、部屋の中にはテレビから流れる声だけが響く。テレビは映画チャンネルが映し出されており、中身は一昔前の洋画だ。
まだ余り進んでいないのか、場面は浮浪者のような人物がスポーツ年間を片手に奇抜な車を盗み出したところである。
千雨はテレビに集中している様子で食い入るように見つめており、二人の様子は一切気にかけていない。
この中りは子供らしいのか、などと思っている葛葉だったが。その横でガンドルフィーニは唐突に魔法の杖を取り出すと、そのまま千雨を眠らせた。
「ガ、ガンドルフィーニ先生! 一体何を!?」
「静かに。ただ眠らせただけだ、すぐ起きる。」
極めて真剣な表情でそう言われ、言葉に詰まる葛葉。
ガンドルフィーニは葛葉の方を一瞥するが、再度魔法を唱え魔法陣を出現させる。
「一体何をするつもりですか!?」
小声でだが、それでもしっかりと聞こえる声でそう問い詰める葛葉。
ガンドルフィーニは手を止めず、魔法陣を展開したまま葛葉へと説明する。
「この子の記憶を見る。喋るのを待つなど、悠長な事は言ってられない。」
「何故です!? 美空さんが仲良くしようと頑張っているのに!」
「人の命が懸かっているんだ。仲良くするのは良い、だがこれもリスクの少ない手段だろう。」
「え、エヴァンジェリンさんでさえ記憶を見ても良く判らなかったのですよ!? その報告を聞いているでしょう!」
葛葉のその言葉を聞き、ガンドルフィーニの手が一端止まる。
だが。葛葉へ視線を向けて――
「ッフ、あの吸血鬼が、こんなカンニング紛いのことをするものか。」
そう言い、ガンドルフィーニの魔法が発動した。