「な、何いってんだよ!? 私は! 麻帆良のっ!!」
「エヴァンジェリンさん、一体何を……?」
千雨は立ち上がりエヴァンジェリンを見つめ、身振り手振りを交えて焦ったようにその言葉を否定する。他の面々も聖祥小学校などという所に聞き覚えなど無く、その唐突な言葉に目を白黒させてエヴァンジェリンへ視線を送る。
エヴァンジェリンは壁際へと移動し、背を付ける。そこは丁度玄関から見た突き当たりであり、今この場に関っている6人、いやエヴァンジェリン本人を除く5人全員を確認出来る場所だ。
驚き、戸惑い、そして焦り。様々な視線が自らに集まっていることを確認しながら、エヴァンジェリンは皮肉気に薄く笑う。そして、自身に焦りの視線を送る千雨と目を合わせ、言葉を放つ。
「長谷川、お前玄関を認識出来ていないな?」
「……っ!」
玄関を認識出来ていない。その言葉を聴き、千雨は息を呑んで押し黙る。また葛葉、ガンドルフィーニ、学園長といった教師陣は何かに気が付いたように緊張を露にし、しかしただ一人、桜咲だけは首を傾げつつエヴァンジェリンに問う。
「玄関には真名の張った認識阻害結界があります。認識できないのは当然では?」
「馬鹿かお前は。認識阻害が効くなら、そもそもこんな事態になっていないだろうが。」
そ、そうでした……。そういい、顔を赤くして俯く桜咲。エヴァンジェリンはそれを見て呆れたように溜息を吐く。
また、葛葉の視線はエヴァンジェリンから千雨へと移動する。その様子は顔を青くし小刻みに振るえ、怯えているように見て取れた。
千雨は一度かぶりを振ると改めてエヴァンジェリンへと向き直る。
「一体、何を根拠にそんな事を言うんだよ!?」
「根拠、か……。根拠を出してやってもいいが、お前が玄関まで移動して否定して見せたほうが早いだろう。」
ほら、移動して見せろ。
そういい、緩んでいた口元を締め千雨へと言い放つエヴァンジェリン。
千雨は怯んだようにうめき声を漏らす。が、桜咲、葛葉、エヴァンジェリンの3人が何も言わずに自らを見つめていることに気付き、ノロノロと壁際へと移動する。
そして左手を壁に付け、右手を不自然に前へ後ろへと動かしながら、玄関へと近づいていく。
その玄関にはガンドルフィーニと学園長が困惑した顔で待ち構えるも、エヴァンジェリンは2人へ視線を向け真剣な面持ちで首を横に振る。
そして、千雨は徐々に玄関へと近づいて行き――
「ほ、ほら、ここだろ? 大体私には認識阻害なんて――」
――ボスリ、と。ガンドルフィーニの胸の中へと収まった。
「そ、そんな……。」
「一体、何故?」
「これで決まり、だな。」
千雨の部屋は重苦しい空気に包まれる。認識阻害が効かないことによりストレスが掛かり、夢の世界へと囚われた――そう思われていた千雨。その千雨が、眠りから醒めると認識阻害を受け付けるようになっていて。そして更に、エヴァンジェリンが放った『多重人格』という言葉。それら、この千雨に纏わる答えの断面が、各々の頭の中で勝手に組み合わされて行く。
そして。おぼろげながらも、それは一つの答えとなり。
「玄関がそっちの方向に有る事は知っている。認識阻害という物が有ることも知っている。そして長谷川にはそれが効かないことも知っている。更に自身が認識阻害に掛かっていることも判っているが、それを隠す必要があった。……そんなところか。」
「じゃ、じゃあ! この長谷川君は!!」
「本来の長谷川さんじゃ、無い?」
「まさか……多重人格? ほ、本当に?」
再度、千雨のすすり泣く声が部屋の中に広がりだす。しかしガンドルフィーニはそんな千雨を軽く抱きしめたまま、どう対処すれば良いのか判らないでいた。
いま腕の中にいる千雨は、本来の千雨ではない。そう言われても得心することなど出来ず、ただ思ったことをエヴァンジェリンへと質問する。……しかし。
「この玄関の認識阻害は少々強力そうだ。長谷川君にも効いているだけではないのか?」
「確かに効くかもしれんが、それでは隠そうとしたり、泣いたりといった理由にはならんぞ。」
そう返され、言葉に詰まる。確かに単純に効いているのであれば認識出来ないと告げれば済む話であり、千雨が実際に取った行動との合理性が取れなくなる。ガンドルフィーニは一つ呻くと、困惑した表情で取り敢えず千雨の背中を撫で始めた。
一方隣の学園長はガンドルフィーニの腕の中で泣く千雨を見つめていたが、暫し後そんな2人の横を通り、千雨の部屋の中へと足を踏み入れ。そして、同じく千雨を見つめているエヴァンジェリンへ問いかける。
「色々と説明してもらおうかの。」
「ああ、構わんさ。」
こうして。エヴァンジェリンは事のあらましを話し出した。
「そもそも長谷川が起きたのにシャークティが起きない。これは本来有り得ない事だ。最初はただ寝ているだけかとも思ったが、馬乗りになられて起きない魔法教師なぞ居ないだろう。次にこれはガンドルフィーニにしか言ってなかったが、長谷川の夢の中にはこの部屋の物が転移してい――」
「ちょ、ちょっとまっとくれ! なんじゃそれは!?」
夢の中へ物が転移している。その言葉を聞いた学園長は、即座にエヴァンジェリンの言葉を遮り詳しい説明を求める。
エヴァンジェリンは言葉を途中で遮られ少々不機嫌そうに眉を寄せていたが、何時の間にか千雨を抱いたままソファーに座るガンドルフィーニ以外の面子、葛葉と桜咲もまた、何か言いたそうな表情で居ることを確認し溜息を吐く。
それもそのはず。物質転移についてはっきりと判っている事は殆ど無いとはいえ、夢の中に転移するなど本来有り得ない事だ、そう思い直し。まぁ、仕方ないか。エヴァンジェリンはそう小さな声で呟いた後に、転移に関する説明を始めた。
「部屋を良く見てみろ。長谷川の趣味はパソコンらしいじゃないか、それが無いだろう?」
「むぅ!? な、なんと、パソコンもコスプレ衣装も無いじゃと!?」
「こ、このジジイ……。折角人が気を使っているというのに……!」
「コ、コスプレ……?」
エヴァンジェリンの言葉を聴き、急いで部屋を見渡した後に思わず漏らした学園長の言葉。それを聞き桜咲は首を傾げ、エヴァンジェリンはこめかみをひくつかせながら、言葉を続ける。
「この部屋で無くなった物は、長谷川の夢の中で見る事が出来る。ついでに言うと茶々丸も夢の中だ。」
「む……。か、絡繰君も? しかし夢の中で見れるのは、別に可笑しな事では無いと思うんじゃが。絡繰君を除けば元々長谷川君の持ち物なんじゃし。」
「良く知らん筈の茶々丸のボケ具合まで再現していてもか? それに夢への転移でなければ、何処へ行ったというんだ。」
その言葉を聴き、葛葉は驚いた表情を隠せずにいて。学園長は頭を抱えて悩みだす。ちなみに桜咲は既に話しについていけないのか、先ほどからただ首を傾げるだけだ。
ガンドルフィーニは既に聞いた話であるため特に目立った反応は無く、自らが抱く千雨を持て余しているようだ。そして、そんな千雨は未だすすり泣いてはいるがエヴァンジェリンの言葉を聴いている様子であり、エヴァンジェリンはそれらを確認した後に再度語りだす。
「そういえば夢の中の長谷川の様子を語ることは無かったな。あそこでは聖祥小学校という所の、2年1組に通っているらしいぞ?」
「そ、それって! つまり!」
「夢の中の人物と入れ替わった……まさか、そう言うつもりか!?」
千雨の背を優しく撫でる手を止め、思わず大声で問うガンドルフィーニ。それを受けてエヴァンジェリンは無言で頷くも、ガンドルフィーニはかぶりを振って否定する。
「ありえない! 夢への物質転移だけでは飽き足らず、今度は精神世界の人物との入れ替わりだと!? そんなバカげた話、今まで聞いたことなど……!」
「フン。ありえない、なんてことはありえない。何の言葉だったかな、漫画だったような、アニメだったような気もするが。兎に角ありえないことだらけなんだ、今更一つ増えたところで何だというのだ。」
更に。困惑するガンドルフィーニを見て、エヴァンジェリンは言葉を続ける。
「長谷川の認識阻害が効かない体質。体質とは言うが、肉体に依存するのか、精神に依存するのかも判っていない。だが精神に依存する物と仮定し、その精神が入れ替わったとすれば。辻褄が合うとは思わないか?」
そして。お前は、その答えを知っているんじゃないか? 長谷川千雨。
エヴァンジェリンはそう言い、そして全員の視線は再度千雨へと向けられた。
「わ、私は……!」
何かを言いかける千雨。全員が固唾を呑んでその続きの言葉を待つ。
千雨の部屋は再び痛いほどの緊張に包まれ、動く者は誰も居らず。唯一人、千雨は何度か喋ろうとはするものの、逡巡し言葉にはならず。
この緊張の糸が切れるのが先か、千雨の口から言葉が漏れるのが先か。誰とは言わず、そんな考えが頭をよぎった頃。
「ん、そうだ。ちょっとまて長谷川。」
再度躊躇いながらも言葉を発しようとした千雨、その行動を遮る形で言葉を放つエヴァンジェリン。
千雨をはじめ他の面々も、一体何故止めるのかと困惑した表情でエヴァンジェリンを見る。
しかしエヴァンジェリンは実に楽しそうな顔で、千雨の腕を引きガンドルフィーニから引き剥がす。
されるがままに引っ張られ、自分より背の低いエヴァンジェリンに支えられる形となった千雨。そしてエヴァンジェリンはそんな千雨をチラリと一瞥し、今度は男性二人へ視線を送る。
「やはり約束というのは守らねばな。お前ら、出て行け。」
「な、何!? 此処まで来てそれか!?」
「フォ……。まぁ、人数は少ないほうが話しやすかろう。行くぞい、ガンドルフィーニ君。」
突然の、あんまりと言えばあんまりなその言葉。しかしこの場の主導権がエヴァンジェリンにあることは誰の目にも明白であり、学園長が言うことも事実ではある。
決して両人納得してではないが、学園長とガンドルフィーニは玄関へと向かう。ガンドルフィーニはしきりに振り向くも、学園長に先導されしぶしぶといった体だったが。
学園長は玄関で靴を履き、最後に部屋の中へと振り向きエヴァンジェリンを見つめ。
「無責任かもしれぬが。この場、後のことは任せてよいか?」
「フン。乗りかかった船というやつだ。長谷川にとって悪いようにはせん。」
「フォッフォッフォ。何より安心できる言葉じゃわい。」
そして。
「どうか……宜しく頼む。」
そういい、頭を下げた後。千雨の部屋を後にした。
「……さて。」
2人が出て行った玄関を暫し見つめた後。エヴァンジェリンは千雨へと振り返る。
目が合った千雨は大げさなまでに怯え、びくりと肩を震わせる。しかし先ほどと同じように、何かを言葉にしようと口を開く。
「え、えっと……その……」
しかし。エヴァンジェリンはそんな千雨の前に立つと、その顔に手を翳す。それは先ほどの再現のようで、今度もその顔には僅かに笑みがあり。
その手は困惑する千雨の目を優しく閉じさせると、薄暗闇の中でも何とか判る程度に発光し。
その直後、千雨はガックリと崩れ落ちた。
「何、今すぐ話す必要はない。少し……眠れ。」
エヴァンジェリンは千雨の身を受け止めると、葛葉へと視線を送る。
その意味を理解した葛葉は千雨の身を受け取り、ベットへと運ぶ。
再度ベットの中に戻りすやすやと寝息を立てる千雨を見ながら、葛葉と桜咲はエヴァンジェリンへと説明を求めた。
それに対しエヴァンジェリンは、推測の域を出ないが、と。そう前置きし。
「小2相当の精神だ、そう負荷をかけることも無いだろう。何、じじいには黙秘を貫いているとでも言っておけ。」
ついでだ。私が直接記憶を見たが、良くわからなかった。そう伝えろ。
葛葉を見てそう続けるエヴァンジェリン。
「随分優しいのですね?」
「さて。私の予想通りなら、優しいなど口が裂けても言えんがな。」
「よ、予測が付いているのですか?」
思わず、といった体で桜咲が問いかける。
途中から全く話についていけず蚊帳の外だったのだが、それでも先生達が答えの一端すら掴めていないことはわかっている。
そしててっきりこのまま千雨を尋問し、この謎の全容を喋らせる物だとばかり思っていたのだが。エヴァンジェリンの予想外の行動、そして言葉に、ますます混乱が深くなるばかりだ。
「言っただろう、まだ推測……いや、邪推といってもいいかもしれん。」
「はぁ。ならば、なぜ?」
その桜咲の言葉を聞き、エヴァンジェリンは窓際に行って宙に浮き。腕を組み足を組み、月をバックにニヤリと笑う。
「推理というのはな。謎が完全に解けて、文句無しの答えを叩きつけ、有無を言わせないから楽しいのさ。確信も無しに問い詰めて、実行犯の供述で全容が明らかになるんじゃ、面白くないだろう?」
その為には、まだヒントが足らん。そう牙を剥き出し笑いながら言う。その様子は実に楽しげで、桜咲は背筋が凍りその場に固まる。
そんな2人の間に、葛葉が何時の間にやら用意した刀を片手に躍り出る。エヴァンジェリンとは対照的に剣呑な様子であり、すでに一人の剣士としての佇まいだ。
「長谷川さんを救うことより、自身の楽しみが重要だと? そんな事、許すとでも?」
「私は嘘はつかん。長谷川の悪いようにはしないことは約束しただろう? それに自慢じゃないが、今最も答えに近い場所にいるのは私だぞ?」
何、ちょっとした余興とでも思え。そう言われてしまっては葛葉に返す言葉は無く。また、何かに気付いている様子であるエヴァンジェリンの協力無しに、この件を解決することも非現実的に思え。
葛葉は溜息を吐くと、そのまま刀から手を離す。
それを確認したエヴァンジェリンは、再度自分の足で立った後に部屋の片隅へと移動する。そこにはずっと放置された三脚が置かれており、エヴァンジェリンはポケットからペンを取り出すと、三脚へ自身のサインを書き出した。
「今度は一体何です?」
「ん、これか? ヒント集めをしようと思ってな。おお、また夢の中へ行くのに血を貰うぞ?」
その言葉を聞き、葛葉は呆れたように溜息を吐いて頭を抱える。
「はぁ。貧血になりそうね。」
「ククク。化け物退治で流血するより意味はあるさ。」
そして。再度葛葉からの吸血を済ませ、エヴァンジェリンは詠唱を開始し。
「ふん。子供が背負おうとするには、少々重すぎる荷物じゃないか?」
そんな言葉を残し、千雨の夢の中へと旅立った。