茶々丸を引き取った翌日の事。
「シャークティさんと茶々丸さんがいれば、もうバイトの募集は要らないわねぇ。」
「というか、来ない方が良いかもな。」
結局茶々丸を私の家に住まわせるのは無理と判断し、シャークティがお世話になっている教会に住むこととなった。認識阻害を使えば簡単なのはわかっちゃいるが、気に入らない。私自身認識阻害には色々思う所があるし、それに騙されている人をみると何とも言えない気分になる。
それに、元々認識阻害のネックレスを外すために忍さんへ改造をお願いしたんだしな。その意味が無くなっちまう。
人間と同じ外見となった今じゃ、茶々丸のネックレスは何の魔法もかかっていないただのアクセサリだ。最初は単に外せばいいんじゃねーかとは言ったんだが、茶々丸は頑として譲らなかった。あいつはあいつなりに何か思う所があるらしい。
「ねぇねぇ、やっぱりエプロンじゃなくて制服にしない?」
「いいけど、あれはちょっと……。」
そして教会に住むのは良いが、普段何もすることがなく暇を持て余す茶々丸は、シャークティと共に翠屋で働くこととなった。本人曰く時間の有効活用らしい。
茶々丸は金を稼いでも食事するわけでもなく、何かを買うということもないんだが。一体何に使うんだと聞いても教えてくれなかった。まぁ、金は有るに越した事はないか。そういう流れでシャークティの紹介により、今日は体験バイトみたいなことをしているんだが……
「え~、いいじゃない、修道服にメイド服。あんなに可愛いんだもん~。」
「母さんは翠屋をコスプレ喫茶にしたいのか?」
シャークティは吸血鬼に慣れるために未だ修道服(+十字架)、茶々丸に至っては他の服が無いということであの猟犬メイド服のままだ。くそ、来なきゃよかった……! それか、せめて茶々丸だけでも私の家で他の服に……!
「ねぇねぇ千雨ちゃん、茶々丸さんのあのメイド服って……」
「それ以上言っちゃダメです。ただのメイド服です。」
美由希さんが何かに気付いたようだが、私はその言葉を遮る。とはいっても客の中にも知ってそうなのがチラホラと。ほら、その証拠に、
「店員さん、写真撮っていいですか!?」
「は、はぁ。」
「うわー、すごい良く出来てる。まさか自作ですか!?」
何人か茶々丸のメイド服、シャークティの修道服に食いつく客が。いろいろ面倒なことになる前に、茶々丸は服を買う必要があるな。シャークティも今日のに懲りたら私服になるだろう。はぁ、私は茶々丸の保護者じゃねーんだが……。
そんな事を考えていると、また一人の客が茶々丸を捕まえてメイド服の製作者を聞く。私は他人のふりをしながらその会話を聞いていたんだ。だけど――
「いえ、作ったのはあちらの……」
や、やべぇ!? 逃げろ!!
◇前日の夜 教会◆
教会の脇に建てられた家の一室で、シャークティはパジャマを着てベットに座り、茶々丸は修道服を着て椅子に座り。二人はお互いに向かい合い、これからの事について話をしていた。
「千雨ちゃんが起きれば私も茶々丸さんも向こうへ戻れるとして。どうすれば千雨ちゃんは起きるのかしら。」
「前提条件として、起きても良いと思う事。さらに何か必要なのでしょうか?」
シャークティはテーブルの上に手を伸ばし、コーヒーが入ったコップを手に取る。翠屋でバイトするようになってから飲むようになったコーヒーだが、もちろんインスタントなので翠屋の味には遠く及ばない。茶々丸の脇の机にもコーヒーがあるが、これはフェイクであり口をつけてはいないようだ。
「わからないわ。そもそも、その前提条件すらどうすれば叶うのか。こちらに長くいればいるほど、起きたく無くなるのではと思っているのだけど。どうかしら?」
「……私には分かりません。」
茶々丸の回答を聞きながらコーヒーを飲むシャークティ。眉をひそめたその表情の渋さは、決してコーヒーによるものだけではない。
「そもそもすずかちゃん達と仲良くするのも、あまり良い事とは思えないのだけど。こちら側にのめり込みそうですし。翠屋でバイトする私がいう事じゃないけどね。」
「そういう物ですか?」
「親友と呼べるような人ともう会えなくなる……そう思えば、躊躇うのは当然よ。いくら頭ではわかっていても、ね。」
まさか仲良くするな、なんて言えないし、ままならないわよねぇ……。そう呟き、シャークティは頭を抱える。茶々丸は少し困った表情を浮かべるも、わずかに首を傾げるに留めた。
しばらくそうしていたが、コーヒーから湯気が立たなくなったころ。シャークティは顔を上げ、こう切り出す。
「とにかく今は、バイトでお金を貯めて。今度3人で旅行にでも行きましょうか。」
「旅行、ですか?」
「私達とはもっと仲良くした方が良いでしょうし、私も旅行したいし。あとは千雨ちゃんにストレスを掛けないのと、魔法の訓練ね。燃える天空クラスまで覚えたら、学園長に撃ちたくて起きるかもしれないわ。」
まぁ、燃える天空は冗談だけど。そう続け、シャークティは立ち上がる。
起きるでしょうか? そんなことを呟く茶々丸を無視し、シャークティはコーヒーを片付け洗面所へと向かう。明日も早いからもう寝ましょう、茶々丸にそう言うと扉の向こうへと消えて行く。
「私には……わかりません。指示に従うのみです。」
そんな茶々丸の呟きは、誰の耳にも入ることは無い。
◆現刻 翠屋◆
「作ったのは私の友達ですよ?」
「本当ですか!? う、売ったりはしないんですか!?」
茶々丸の言葉を遮り、コスプレに食いつていた客にそう返すシャークティ。ちらりと千雨が居た場所を見るも、既にカウンターの向こうへと避難した後だった。シャークティは他の客を茶々丸に任せると、改めてコスプレ好きの客へと向かい合う。
「売り出したりはしていないけど。今度本人に確認しましょうか?」
「是非! お願いします! あ、これ連絡先です!」
メモ帳を1枚破り、そこにメールアドレスを書いて渡す客。シャークティはそれを受け取ると、あまり期待しないでくださいねと念を押す。とりあえず客はそれで満足したのか、再度食事へと戻った。
シャークティは茶々丸の手が空いたことを確認すると、近寄り言う。
「ダメじゃない、千雨ちゃんのストレスになるようなこと言っちゃ。」
「コスプレ衣装を作ることはストレスなのですか?」
「というか、作っていると知られることが、ね。」
シャークティがそう言うも、茶々丸は納得がいかないような、困ったような顔で店内を見回す。そうして先ほどの客が会計をしているのを見つけ、その様子を見ながら次の言葉を放つ。
「しかし、あのお客様はそんな感じでは無いようですが。」
「……そういう人もいるのよ。」
そうなのですか。そうなのよ。
二人はそういうと、再度接客へと戻っていった。
◆翠屋 休憩室◇
「はぁ? コスプレ衣装を買いたい?」
変な客から逃げるためにカウンターの向こう、休憩室へと逃げ込んでいた私は、茶々丸とシャークティのおかげで仕事が無いと喜ぶ美由希さんと喋っていた。なんてことはない、高校の話や兄の恭也さんの話ばかりだったが。内心さっきのコスプレ衣装の話が出てくるかと警戒していただけに、私は安堵の息を吐いた。
そして美由希さんがフロアへ戻るのと交代でシャークティが休憩室へと入ってきて、コスプレ衣装を買いたい人がいると切り出してきたわけで。
「お客さんが茶々丸さんの服を見てそう言っていたのよ。あれは千雨ちゃんが作ったって聞いたけど、それは誤魔化しておいたわ。」
「あー、ありがと。あんまり大勢に知られたくは無いんだ。」
さっきの客か。それにしてもコスプレを買いたい、ねぇ……。
向こうにいた時は自分で作って、HPに上げて、その後はクローゼットに仕舞いっぱなしだったからな。パソコンを新調する時なんかは何着かオークションに掛けたりはしたが。あれがまた意外と良い値段で売れるんだよな。
こっちでもそれをやるか? どうせ売るなら特定の相手よりオークションだよな。茶々丸に材料費を出してもらって、プラス幾らかの値段からオークションにかける。それなら売れる限り損も無いか。
けどなぁ、既に作った服を売るのは兎も角、売るために作るっていうのも私の美学に反するんだよな。どうせ作るなら着る奴の体型や要望に合わせて、文句無い物を作って着て貰いてーし。どーすっかなぁ。
「いっそそういうホームページを作って、オーダーメイドするか。私も小遣いだけじゃ流石にやってらんねーし。」
「あら、乗り気なの?」
シャークティが意外そうに言う。金銭感覚は向こうにいた時と一緒だから、どうもストレスが溜まるんだよ。財布に小銭しか入ってないと不安になるし。それに顔見知りじゃない奴に知られるのはどうでもいいしな。私までたどり着くわけがない。
私がそんなことを言うと、納得したように頷くシャークティ。しばらくは材料費なんかの金を出して貰わないといけないが、その辺は気軽に頼んでくれだと。茶々丸の給料がそのまま浮くしな、今のままじゃ。
「ちゃんと利子つけて返すさ、オーダーメイドなら売れる分しか作らねーんだ。」
「まぁ、そこまで気にしなくていいわよ。何十万って訳じゃないんだから。」
こうして。私は家に帰って早速ホームページ作りに勤しむことになった。
本当、何が切欠になるかわかんねーよなぁ。
◇一月後 海鳴市◆
長かった残暑も既に終わりを告げ、北からは早くも冬の足音が迫ってきている頃。冷たい雨がパラパラと降り注ぐ中、シャークティは両手に紙袋をぶら下げて急ぎ足で千雨の家へと向かっていた。
紙袋の中味は様々な布や糸、あと変わった所でプラスチックシートや各色塗料だろうか。右手と左手で袋の中身が違うため、アンバランスなのか小まめに持ち替えている。
人によっては傘が欲しくなる程度の雨だが、塗料が入った紙袋の強度を心配して、シャークティは少々早歩きで千雨の家へと急いでいた。
「はぁ、タクシーでも使えばよかったかしら……。」
でも目標の金額までもう少しなのよねぇ……。そんなことを呟きながら、とうとう千雨の家へと到着する。シャークティは玄関で紙袋を一旦足元に置くと、インターホンを鳴らした。
ピンポーン……ピンポーン……
『はーい?』
インターホンを押すとすぐに反応があった。この声は恐らく千雨のお母さんだろう。そう判断したシャークティは、失礼があってはいけないとインターホンについているカメラへ向かいお辞儀をしようとし――
『あー、宗教の勧誘なら間に合ってますが?』
そのままヘナヘナとしゃがみ込み、カメラの外へと消えて行った。
「もう、何度目ですかお母さん!」
「あはは、ごめんなさいねーつい。」
千雨の家、リビング。
どうやら千雨は出かけているらしく、シャークティは荷物だけ置いて帰ろうとしたが、千雨の母に誘われて帰ってくるまでリビングでお茶をすることとなった。良くある事なのかコーヒーは千雨の母が居れ、シャークティが持参した翠屋のシュークリームをお茶うけにし、話が弾む二人。
最近の天気や噂話に興じていたが、近所に不審者が出たという話を皮切りに、話題は2人が初めて会った時の事へと移って行った。
「もう、あのときは千雨を悪の道へ誘う新興宗教かと思ったわよー。」
「し、新興宗教……。いえ、全て悪いとは言わないですが、流石にそれは……。」
敬謙なカトリックが新興宗教と間違われていた。そのことにショックを隠せないシャークティ。元々は魔法関連の話をするために千雨の部屋へと来ていたシャークティが、自作の教本や魔法陣を書いた本を元に千雨へと教えていた所を、偶然部屋に来た母親に見られて騒がれたことが切欠だった。その時は千雨の取り成しで何とか事なきを得たものの、最後まで怪しい目で見られていたシャークティである。
結局誤解も……誤解……も、解け、確かに宗教関係者ではあるが勧誘をしているわけではなく、飽く迄も友人のような関係であることを理解してもらい。それ以来何度かこうしてお茶をしている二人だった。
「それにしても御免なさいね、千雨に裁縫まで教えてもらっちゃって。」
「いえいえ、私も楽しんでますので。最近じゃ私の方が教えて貰うくらいなんですよ?」
さらに話題は跳び、今度はシャークティが買ってきた荷物の話へ。もちろんコスプレ衣装を作る材料だが、素直にそうは言わずシャークティが千雨へ裁縫を教えているという事になっていた。
話を合わせるために普通の服を何着か作り、母親や父親にプレゼントしている千雨の苦労もあるが、それは余談だろう。
「2年生になってから千雨は随分変わったのよー。それまでは暗い子で、もう私どうしたら良いのか随分と悩んでいたんだけど。」
「あら。……そうなのですか?」
そんな折。何気なく、いや、千雨の母親本人にとっては本当に何の気も無く放っただろう言葉を聞き。シャークティは思わず背筋を伸ばし、もっと詳しく聞こうと近寄る。
聖職者という事もあり多少の信頼を得ていたのか、母親は場合によっては恥とも取れるその話題を続けて話してくれた。
「昔からたまに変なことをいう子でね。私は仕事に復帰してたから、まともに取り合わなかったのだけど。」
そこで一旦区切り、愁いを帯びた表情でコーヒーを一口飲む。そしてカップを戻すと、まるで懺悔室に来る者のような……そんな、悲しみや自己嫌悪とも取れる雰囲気のまま、続きの言葉を放つ。
「多分それが良くなかったんでしょうね。あの子は誰に何を言ってもまともに取り合ってくれない、嘘つきって言われるって。そう言って陰でこっそり泣いてるのを見て、ああ、私はなんてダメな母親なんだろうって。それ以来仕事も辞めて出来る限りあの子の傍に居たんだけど、遅かったのよねぇ……。」
コーヒーカップとソーサーを膝上に持っていき、顔を伏してかき混ぜているために、シャークティからは母親の表情は一切見えない。しかし、どんな表情をしているのかは容易に想像でき、シャークティはどんな言葉を掛けるべきか悩んでいた。
気休めや甘言を言うのは簡単だが、それは単なるその場凌ぎにしかならないことは良く知っている。今はその時ではないと判断し、熟考するシャークティ。
「2年生になって、友達が出来て。いつの間にかシャークティさんのような人とも付き合うようになって、それで元気になっちゃうんだから。たまに母親なんか要らないのかなーって思っちゃうわよねぇ。」
「そんなことはありません!」
しかし。そのまま続けられた母親の言葉を聞き、それまで考えていた言葉も捨て思わず反論する。びっくりして顔を上げた母親の目には、光る物が滲んでいた。
「母親がどれだけ必要か、聖書や故事を用い説明することはとても簡単です。ですがそんな物を持ち出すまでも無く、母親というのは無償の愛を与えることが出来る存在なのです。迷う事も有るでしょうが、どうかそんな悲しいことは言わないで下さい……。」
そして、千雨が何故2年生から変わったか。その要因については心当たりがあるだけに、シャークティは自身の言葉が、そのまま自分にも突き刺さる思いであった。
「ちなみに……その、千雨ちゃんが言っていた変な事、とは?」
涙を流す母親と、シャークティが落ち着いた頃。シャークティは先ほどから気になっていたことを切り出した。
「うーん、駅前のビルよりおっきな樹が生えてるとか、車より早く走ってる人が居たとか。最初は夢の話でもしてるのかと思ってたけど、そうでもなさそうなのよね。確か千雨の部屋に日記があるはずだから、見ればわかるわよ。あの子書いてたから。」
「日記、ですか……。」
人の日記を勝手に見ることに抵抗を感じるシャークティ。だが、最近はこの夢から覚める方法については全くの手詰まりだったこともあり、なにかヒントが有ればと母親と共に千雨の部屋へと移動する。
ついでに先ほど買ってきた紙袋を部屋に置き、子供らしく少々散らかった机の上を片付けた母親は、ごそごそと引出の中を漁る。
「あら? 確かこの辺にあったはずなんだけど……。中学の教科書? なんでこんなものがあるのかしら。えっと、日記はこの下に……あれ? 無いわね。」
「無い、ですか?」
上から下へと引出を何度も開け、数分間日記を探していた母親だが。心当たりがある場所は全て探したのか、諦めたように椅子に座って肩を竦める。
「ごめんなさいね、捨てちゃったのかしらあの子?」
口ではそう言うが、母親のその手には以前千雨とアリサ、すずか、なのはの4人で撮った写真があり。ニコニコととても嬉しそうなその表情を見て、シャークティは言葉を返すことが出来ずにいた。
ガラガラガラ……
「ただいまー。」
「あ、帰って来ちゃった!」
怒られる前に逃げないと!
そう言い、部屋を出て1階へと降りていく様子を無言で見送った後。シャークティは椅子に座り、千雨が部屋へと上がってくるまで一人考え込む。
「大きな樹……は、蟠桃よね。どう考えても麻帆良の様子を語っている……。茶々丸さんの事もあるし、これは、やっぱり夢じゃない……?」
そして。
シャークティの頭の中には先ほどの母親の涙が浮かび。
「それなら。もし、千雨ちゃんが起きたら。この世界は、お母さんや、ここの千雨ちゃんは、どうなるの……? ただ起こすことだけを考えて、本当に良いの……? ここの千雨ちゃんは、どこへ……?」
元々は学園長から千雨の調査を依頼されたことが切っ掛けだった。その学園長への反発もあり、心のどこかで千雨について調べる事を放棄していたシャークティ。
しかし。4人が楽しそうに笑って映った写真を見つめたまま。この先どうすれば良いのか、シャークティは千雨が来るまでに答えを出すことは……出来なかった。