ソード・シルエットは鉄筋に噛まれ動かせる気配はない。すぐ目の前に敵が迫っているにも関わらず、シン・アスカの視線は下半身だけになってしまった隊長機の姿を探していた。コクピットのモニターの中にその姿はあった。上半身を消し飛ばされ、ただ足だけが無重力の空に漂っていた。
「隊長……」
墜落の衝撃にいまだ震えるシンの瞳。マッド・エイブス隊長の死を悼みながらも、しかしその腕には力がこもる。
「……お力、お借りします!」
その眼差しが力強さを取り戻すとともに、敵が、緑のガンダムが斬りかかっていた。鋭利な鎌が振り下ろされる。フェイズシフト・アーマーさえ切断する刃が通り過ぎるよりもわずかに早く、シンは機体の上半身ごと飛び出していた。
鎌は鉄筋の網に残されたソード・シルエットと下半身を切断した。下半身は強烈な輝きとともに切り裂かれた。
両手に対艦刀を持ったまま上半身だけが飛んでいる。ZGMF-56Sインパルスガンダムは分離合体機構を持つ。上半身と下半身、そしてコクピット部分がそれぞれ単独行動が可能である。
隊長機の残された下半身も同時に飛行を始める。シンはこのために操作を続けていた。
現在は上半身だけとなった機体の中で、シンは上半身と下半身を操作し続けていた。敵のレールガンが機体をかすめ、コクピット内に警報が鳴り響く。急接近した敵機が繰り出した蹴りをまともに浴びる。上半身しかない軽い機体は勢いよく弾き飛ばされた。
思わず左手の対艦刀を取り落とす。全身を揺さぶる衝撃に、それでもシンは必死に耐えた。下半身の誘導を続けていた。
弾き飛ばされた上半身に下半身が急速に接近。ガイド・ビーコンに導かれドッキング。再び1個のインパルスガンダムとして完成する。
だが、シンの顔は晴れない。瞬時に終わるはずの認識がいまはまどろっこしい。下半身がコントロールを受け付けるまでのわずかな間にも、敵は攻撃の手を緩めるつもりはないようだ。
これ見よがしに鎌を振り上げる敵のガンダム。右手に残された対艦刀で受け止めようとすると、鋼鉄の刃はビームごと長刀を両断する。コクピットに向けてレールガンが突き出されていた。
発射までの一瞬。その時、認識が完了する。
「こんなところで!」
力任せに繰り出されたインパルスの蹴り。それは敵のガンダムの体勢を崩す。レールガンの弾丸がインパルスの腹部をかすめた。
危機は辛うじてしのいだ。前蹴りを敵の胸部にお見舞いする。相手を踏み台にする形で距離をあけると、インパルスは腰部に備えられた1対のダガー・ナイフを抜いた。
攻撃力をバック・パック、フォース・システムに依存するインパルスにとって、ダガー・ナイフが唯一の固定武装の固定武装だった。これが、シンに残された最後の武器だ。
ナイフを構え、敵のガンダム、フォービドゥンと対峙するインパルス。
不利は明白だった。
「こんなところに、ガンダム・タイプがいるなんて……」
単なる新造コロニーではなかった。思わぬ強敵の出現に、シンは焦りを押さえられないでいた。鼓動がいやなリズムを刻む。
敵が動いた。バック・パックの甲殻類を輝かせて、ミノフスキー・クラフトの推進力を高めることでインパルスの背後にあっさりと回り込む。慌てて振り向いたインパルスの顔めがけて鎌が振り下ろされた。
すんでのところでかわす。しかし、ガンダムの象徴とも言えるV字のブレード・アンテナを切り裂かれた。
シンは急いでインパルスを逃がす。ところが、敵はさらにインパルスの背後を取ると、その背中を蹴りつけた。弾き飛ばされる衝撃。悲鳴を上げている余裕などない。体勢を立て直しながら敵がいたはずのところへ機体を向けると、すでに敵の姿はない。背後から接近する物体あり。そう告げるアラームとともに再び背中から伝わった激震がシンを揺さぶった。
パイロット・シートのショック・アブソーバーがなければこれだけでシンは絶命していただろう。口の中に広がった胃液の酸味を無理矢理喉の奥へと押し戻しながら、シンは操縦桿を握り続ける。
今度、敵はインパルスを蹴った場所から動いていなかった。
どこか構えがいい加減で、鎌をもてあそんでいるようにも見える敵。
「遊んでるのか……?」
狐が獲物のネズミをいたぶるように。このたとえは状況ばかりでなく実力にも当てはまる。
ミノフスキー・クラフトの搭載によってモビル・スーツの機動力は飛躍的に向上した。エネルギー消費の問題で全身に施すことはできないため、多くの機体ではバック・パックに組み込むことで機動力を向上させている。インパルスガンダムも例外ではない。そして、シンはソード・シルエットを、ミノフスキー・クラフトを搭載するバック・パックを失っていた。
追えば逃げられ、逃げれば追われる。敵の気まぐれだけが、シンの命綱であった。
インパルスガンダムの3つのシルエットの内、最も射撃力に優れるブラスト・シルエットを装備したルナマリア・ホークの機体が対峙するのは、同じく射撃に特化した機体であった。
敵は上半身の持てるところいっぱいに大砲を担いだような厳つい風貌のガンダム。互いに遠すぎず近すぎず、撃ち合いを続けていた。いくつもの火花が互いの背後に巻き起こる。
それでも腕前はルナマリアより敵の方が一枚上手であるらしい。直撃こそないものの、装甲は端々が削ぎ落とされていた。だが、敵は綺麗なものだ。命中率にわずかでも決定的な違いがあるのだ。
ヘルメットの奥で、ルナマリアは憔悴した様子で荒い呼吸を繰り返していた。
「いつも貧乏くじばっかね……」
こちらはかわすのに精一杯。なのに敵は一手ずつ命中精度を上げてきている。撃墜されるのは時間の問題。このまま、正攻法の戦いを続けていれば。
通信が入ったのは、ちょうどその時のことだった。母艦からオペレーターの女性の声がした。
「ルナマリア軍曹、これより艦砲射撃でコロニーの外壁を破壊します。機を見計らって脱出してください」
「シン……、じゃなかった、アスカ軍曹は?」
「位置は把握しています。同時に穴を開けます。外壁破壊後、作戦時間を180秒に設定。本艦はこの宙域から脱出します」
「って、3分……!? ……ああ、もう。了解」
いつ敵が攻撃を再開するかわからない。撃墜する気満々なのに、安全を優先しているのかどこか敵の攻め手は一歩欠けている。
コクピットのモニターに点灯する着弾までの時間。表示された時点で5秒を切っていた。身構える時間もない。音のない衝撃がインパルスを揺さぶる。爆心地から周囲に吹き出した煙の奥に、外壁に開いた風穴が確認できた。
「ついてこないでよね!」
ブラスト・シルエットに残された小型ミサイルをすべて撃ち出す。当てる気などない。ただばらまくだけばらまいて、ルナマリアは機体を風穴へと向けて加速させた。
コロニーの大地にあけられた風穴。まだ密閉されていないコロニーに大気があるはずもない。静かなものだった。その穴を縁に、重火器を携えたガンダムがのぞき込むように立っていた。
ザフト軍にはカラミティと呼称される地球軍のガンダムの正式名称はGAT-133イクシードガンダム。そのカスタム機であり、バスターカスタムと言う機体である。
そのコクピットの中では、どこか軽薄そうな少年がノーマル・スーツもなしにパイロット・シートにだらしなく座っていた。目つきが悪く髪はつんと立った状態で固められている。大西洋連邦軍の制服を着崩した少年の名はスティング・オークレー。これでいてれっきとした軍人である。
通信が入る。モニターに映し出された顔もまた少年だった。
印象は、溌剌そうな悪ガキ。戦場にいるにも関わらず不釣り合いな笑みを浮かべているのが印象を強くしている。
「スティング、そっちどうだ?」
「逃げた。たく、姉貴から深追いするなって言われてなきゃ、徹底的に叩き潰してやるんだがな」
「こっちも。弱っちい奴ほど逃げ足早いよな。で、ステラはどうなってる?」
もう1人の仲間、ステラ・ルーシェは敵の母艦を狙っているところだ。敵モビル・スーツが逃げた以上、母艦に帰投するつもりなのだろう。
スティングはモニターにステラの姿を映し出す。その表情のあどけなさから、見た目の年齢以上に幼く見える少女がパイロット・シートに座っていた。
「ステラ、話せるか?」
「うん。撃沈までは狙ってないから」
受け答えもどこか幼い。しかし、ステラは今、GAT-370ディーヴィエイトガンダム特装型に乗ってザフト軍の軍艦と戦闘を繰り広げている最中であった。
それはスティングがのぞき込んでいるコロニーの風穴の奥深く、何もない宇宙のただ中での戦闘だった。
褐色のウイングを輝かせ、ディーヴィエイトが飛行する。バーナードからの対空砲火を難なくかわし、完全に戦艦を翻弄していた。ステラは攻撃に転じる時だけ、表情を険しく叫び声をあげた。まるで子どもがそうするように。
バルカン砲がバーナードの甲板に火花を縦一列に咲かせる。
ミノスフキー・クラフトは噴出口が必要なスラスターと違い、装甲がさえあれば好きな方向に機動できる。その力で急旋回したディーヴィエイトがもといた場所を太いビームが通り抜けた。
ルナマリアのインパルスガンダムが戻っていた。
ステラは視線鋭くインパルスを見る。しかし、その表情はすぐに幼さを感じさせるものに戻った。通信から姉の声が聞こえたからだ。
「ステラ、もういい。帰還して」
「うん、わかった、お姉ちゃん」
モニターに映る桃色の髪をしたヒメノカリス・ホテルの命令に、ステラはあっさりと従った。ディーヴィエイトをモビル・アーマーへと変形させ、戦闘機を思わせるシルエットにふさわしい加速でバーナードから離れる。
ただ、その帰り際、もう1機のインパルスの姿を確認した。宇宙の暗闇の中を、ナイフを握りしめただ、バック・パックさえ持たないインパルスが飛行してくる。
ステラはいたずら心を起こした子どものように、操縦桿を握りしめた。
「あれだけ、壊してく」
シンのもとに通信が届いた。母艦の艦長からのものだ。
「シン・アスカ軍曹、こちらアーサー・トラインだ。バーナードはこれから加速に入る。緊急着陸で構わない。何としてでも帰還してくれ」
アーサー・トライン。バーナードの艦長であり、シンの上官だ。モニターに投影されるローラシア級バーナードのスラスターにはすでに火が点されている。これ以上待てないということなのだろう。
シンはインパルスを急がせようとして、敵機の接近を告げる警報に気づいた。
褐色の鷲を思わせるガンダムがバルカン砲の弾丸をまき散らしなら接近していた。ウイングはミノフスキー・クラフトの明かしである淡い光に包まれ、その圧倒的な機動力を見せつけていた。
フェイズシフト・アーマーの防御力を頼りに受け止めるつもりでいた。ところが、バルカンの掃射が通りすぎた時、インパルスの左腕が肘から引きちぎられていた。
「フレームを狙われた!?」
フレームにフェイズシフト・アーマーは採用されていない。敵は高機動の中、それでも正確に狭い装甲の隙間を狙ったことになる。
敵は周囲を旋回して、シンを逃がすつもりはないらしい。スラスターだけではとても動きについていくことができない。無理矢理インパルスを加速させ、シンは右手に残されたナイフを敵に突き立てようとした。
しかし、空振りする。完全にタイミングが遅れていた。敵はすでに飛び去り、一瞬で姿を見失ってしまう。簡易レーダーを頼りに振り向くと、敵機はモビル・アーマー形態のまま接近していた。
迎え撃つように構えるダガー・ナイフ。敵はその姿を変える。固定されていた四肢を伸ばし、一瞬で人型になると、構えた右手をつきだした。何かが近づいてくる。気づきながら、シンの反応は完全に遅れていた。黒い塊がインパルスの右肩に命中すると、撃たれたとは思えない強烈な衝撃がコクピットを揺さぶった。
投げ出されるような勢い。
右腕が肩からもぎ取られたことが表示され、右目のデュアル・センサーも死んだのだろう。モニターの画像が不鮮明になる。その不鮮明な画像の中で、敵の攻撃の正体を確認することができた。
鉄球だ。シンが武器コンテナくらいに考えていた何かは、実は敵に叩きつけるための武器であったらしい。
「何だってこんな武器……?」
奇想天外な武器に、それでもシンは追いつめられている。
鉄球そのものに推進器が取り付けられているのだろう。敵は思いの外軽々と振り回すと、再び鉄球を投げつけてくる。
フェイズシフト・アーマーは衝撃には脆い。
浮き上がるようにかわそうとすると、つま先がひっかかる。鉄球の質量にやられたフレームが破断。足首から先が脱落する。
このままでは悪くて撃墜、よくても取り残されてしまう。
危険を承知で、シンは敵に背中を見せながらインパルスを加速させる。バーナードはすでに加速に入っていた。
機動力ではかなわない。敵のガンダムはあっさりとインパルスの上に回り込むと、鉄球を再び投げようとしていた。
だが、シンにもまだ奥の手が残されている。合体シークエンスを逆の手順で起動する。下半身が分離し、外れた下半身をそのまま弾丸として敵めがけて加速させる。質量弾が有効であることは敵が証明してくれた。数十tの塊が敵をめがけて突き進む。
敵は冷静だった。鉄球を正確に命中させ、下半身を打ち砕く。それでも、シンはすぐ次の手に打って出た。今度は上半身を飛ばす。両腕を失い、ただ胴体だけになった上半身が敵に突っ込んでいく。シンは上半身から分離したコクピット・ブロックにいた。インパルスのコクピット・ブロックはそのものが独立して活動できる。機首とウイングを展開し、小型戦闘機の姿になって、シンは敵の脇をすり抜けるように加速する。
上半身は敵に軽々とかわされてしまった。それでも、時間を稼ぐことができた。身軽になった戦闘機の姿で、シンはバーナードを目指す。追いかけてくるバルカン砲。それは左のウイングを撃ち抜いた。
必死に悲鳴を飲み込みながら、シンは飛行を続けた。崩れた重心のバランスを補正するため、操縦桿を小刻みに動かし続ける。
ここまでくればバーナードからの援護射撃もある。敵の攻撃はやんでいた。しかし、ここで気を抜けばバーナードまでたどり着けない。ふらふらと、頼りない軌道を描きながら、なんとかローラシア級バーナードの脇を通り過ぎた。
ローラシア級の格納庫は艦体下部に取り付けられている。突き出した上部構造を頭上に眺める形で艦体の下に回り込む。後ろではすでにハッチが開いている。ゆっくりと速度を落として、バーナードよりもやや遅いくらいを維持する。そうすることで小型戦闘機は加速を続けながらも端から見ればゆっくりと格納庫へと収まっていく様が見えることだろう。
後少し。後少しの間この体勢と速度を維持すればいい。腕が震える。不自然な位置に操縦桿を固定していたため、腕に軽い痺れが起きていた。それでも後少し。
体力は保つという確信は、しかし悪い形で裏切られた。OSが重心位置の補正を完了し、操縦桿を水平に保っていても機体を安定させるよう修正してしまった。このタイミングで。
戦闘機が右へと傾く。シンが操縦桿を右に傾けていたため、それは当然なことだった。
傾きを補正する時間はなかった。格納庫の床に車輪を叩きつける。右翼が床を擦り、ブレーキがかけられた車輪が火花を散らす。防護ネットが墜落同然のシンを辛うじて受け止めてくれた。コクピット全体が軋んだ音を立てて、加速するバーナードの力が直接シンを揺さぶっている。
やがて揺れはゆっくりと治まった。
シンの目には、傾いた天井と、風防を覆う白い泡。消火剤が大量に撒かれているのだろう。それでも、燃料には引火しないでくれたらしい。
「何とか、生きてるな……」
緊張からすっかり筋肉が固まってしまった腕を操縦桿から引き離し、シンは風防が泡に覆われすっかり暗くなってしまったコクピットの中、疲れ切った様子でシートに体を預けた。
今日1日を、何とか生き延びることができたらしいと、安堵しながら。
ローラシア級にはブリーフィング・ルームは存在しない。ブリッジ後方に様々な図面を映し出すことができるテーブル型のモニターが置かれ、作戦会議はそこで行われる。
赤い制服に着替えたシンたちの前で、艦船クルーであることを示す黒い軍服を身につけたアーサー・トライン艦長がパイロットを前に話をしていた。まだ若い男性でありながら、疲れた様子はどこか老けた印象だと、シンは考えていた。
「今回確認された3機は、連合で運用されているガンダム・タイプのカスタム機だ。これは非常に重要なことを示唆している」
モニターにはお世辞にも映りがいいとは言えない映像で3機のガンダムが映し出されている。インパルスの映像記録から直接引っ張ってきたもので、写真写りは期待する方が酷であった。
オペレーターの女性が説明を引き継いだ。アビー・ウィンザーという名前だったとシンは何となく思い出していた。
「アスカ軍曹が遭遇したガンダムは、おそらくインテンセティガンダムだと思われます。ザフトでフォービドゥンと呼称される機体ですが、ビームを弾く特殊なシールドを持つなど間違いありません」
シンが遭遇した蟹の被りものをしたようなガンダム。それは地球連合軍が所有するGAT-252インテンセティガンダムだった。ただし、細部の武装が異なり、カラーリングにしてもインテンセティガンダム本来の青ではなく緑系統であるという違いが見られた。
続いて映し出されたのはルナマリアが戦った重武装のガンダム。これは呼称でカラミティ、正式名称はGAT-131イクシードガンダム。ただ、本家本元のイクシードガンダムは格闘戦に特化した機体である。カラーリングも赤。こちらはずいぶんカスタマイズされている印象だ。
最後にバーナードを強襲した可変機はGAT-333ディーヴィエイトガンダム。ザフト軍はレイダーと呼称されている。鉄球などの極端な武装さえ除けばカラーリングが褐色か水色かの違いしかない。
どのガンダムも正規量産型とは違いが見られた。
アーサー艦長が難しい顔をしていた。いい歳してアイドルが好きという一面があるらしいが、激務の中、少なくともシンはそんな艦長の顔を見たことはない。
「実験機ということかな、アビー君? そうなると、あのコロニーは極秘実験施設だということになる」
「新型機の開発をしていたと考えられます。ただ、それにしてはコロニーの設備があまりに貧弱です。まだ蓋も閉じられていないまま開発を進めていたとは考えられません……」
まだ建造途中であるのならそこに実験機が運び込まれている理由が説明できない。筒の両端がいまだ閉じられておらず、内部が外から簡単に見渡すことができる。それでは極秘も何もあったものではないだろう。
そんな辺境のコロニーに3機ものガンダム・タイプがあること自体、異常だと言えた。
コロニーの名前はアポロン。どこかの神話の太陽の神の名前だそうだ。ただ、この謎のコロニーを正体を見極めることは、ここにいる誰にもできなかった。
シンの関心は自然と眼下に表示されるガンダムに移っていた。
「これが、連合のガンダム……」
これまでガンダムとの戦闘経験はない。シンがつい見入っていると、アーサー艦長は目を瞬かせた。
「アスカ軍曹、君は軍学校で敵の機体について学ばなかったのかい?」
シンの浅学を責める様子はなかった。それでもシンは自然と口の端をつり上げ、自嘲じみた笑みが顔の痣を歪める。
「軍学校じゃ、必要最低限のことしか学んでません。本当は1年卒業のところを半年とちょっとで追い出されましたから」
成績優秀と認められ、エリートの証である赤服とZMGF-56Sインパルスガンダムを与えられた。それでも、シンは正規のザフト軍人とは同列とは扱われない。
「俺、在外コーディネーターですから」
在外コーディネーター。この言葉を使うだけで、アーサー艦長もアビー・オペレーターもそれ以上のことは聞こうとはしない。2人ともばつが悪そうに目をそらして、アーサー艦長は自然な様子で話題を変えた。
「今後の作戦について説明しよう。あのコロニーから敵艦が3隻移動を始めたことが確認されている。ガンダムも、おそらく一緒だ。そこで、僕らはこの艦隊に追撃をかけることにする」
バーナードただ1隻で攻撃を仕掛ける。こんな無謀な作戦に対して、シンとルナマリアは思わず声を荒らげた。
「ちょっと待ってください! たった1隻で勝てる相手じゃありません! エイブス隊長だってもういないんですよ」
「シンの言う通りです。援軍を要請するとか、戦力を整えてからじゃないと!」
「いいや、作戦は決行する」
アーサー艦長は普段と同じ沈んだ調子で、しかし強い言葉でパイロット2人の意見を黙殺する。シンが食い下がろうと息を吸い込んだところで、思いも寄らないところから声が挙がった。
オペレーターのアビーがうつむいたまま、シンたちのことを見ることもなく言葉をこぼした。
「アスカ軍曹、ルナマリア、わかってください……! 私たちも、在外コーディネーターです……」
アーサー艦長もアビーも、この艦の人たちは全員、信念だとか決意によって戦っている訳ではない。そのことはシンがよく理解していた。在外コーディネーターという言葉に、今度沈黙せざるを得ないのはシンの番であった。
作戦は、決行されることが決まった。
わずか旧式の戦艦1隻、モビル・スーツ2機で敵の艦隊に攻撃を仕掛ける。
シンは壁を強く殴りつけた。八つ当たりではなかった。
ここはパイロットに与えられる寝室。2人部屋であるがもう1人の同僚はすでに戦死している。実質、シンの個室と化していた。
シンはもう一度壁を殴りつける。これは八つ当たりでは決してない。
このローラシア級という戦艦そのものがシンの、在外コーディネーターの境遇を象徴しているからだ。本来、合体機構を有するインパルスガンダムは専用の設備を持つ母艦を必要とする。だが、シンにはそのような新造艦は与えられず、装置を増設しただけのこんな型遅れで満足しろと押しつけられた代物だった。
何も八つ当たりではなかった。
もう1度殴りつけてやろうか。シンが拳に力を込めると、部屋のインターホンが鳴った。誰がこんな時に。シンは壁を離れ、無重力を漂いながら扉の脇のボタンへと手を伸ばす。スライド式の扉が開き、そこには赤い髪をした同僚の姿があった。
シンと同じく赤い軍服。艦長たちに比べればまだ明るい表情で手を振って見せるルナマリア。
「何だ、ルナか……」
拍子抜けした。そんな気持ちがついシンの口を出た。
「何だはないでしょ、何だは」
ルナマリアは怒った様子を見せながらシンを押し退けて部屋に入ってくる。すぐにベッドという座りやすいものを見つけたらしく、そこへと腰掛けた。
どうやら話があるらしいと、シンもまたルナマリアとは反対側、自分のベッドに腰を下ろした。シンが促すまでもなく、ルナマリアは話し始めた。
「艦長……、本気みたいね」
やはり話題はそのこと。ルナマリアが少し声を潜めたのは、あまり他の人に聞かせたい話ではないからだろう。
「もうこれ以上危険な戦場をたらい回しにされるのが嫌なんだろ。みんな、そろそろ任期満了でもおかしくない頃だからな」
ザフトは志願制を採用している。自警団を統合する形で発展した軍隊であるためだ。休戦条約以後、階級が設定される軍隊としての性質を強めたが、それでも義勇兵としての性質は固持していた。
それでも、徴兵制が敷かれていない訳ではない。シンは自分の境遇を思い出しながら言葉を漏らす。
「移民の扱いなんてどこも似たようなもんだから」
シン・アスカ。コーディネーターではあってもプラント出身ではない。オーブ首長国と呼ばれる地球の国家の生まれで、休戦条約後、プラントに移り住んだ。
逃げるように母国を離れ、流れ着いたのがプラント。コーディネーターの国だった。それでも、コーディネーターのための国は、すべてのコーディネーターのために存在してはいなかった。
プラント政府は移民に簡単には市民権を与えようとはしなかった。様々な制約を課し、市民権の獲得には高いハードルを設けた。同時にプラント政府は救済策を用意していた。ザフト軍として1年の任期を戦い抜けば無条件に市民権を与えるとしたのだ。シンのように身よりもあてもない移民が市民権を得るのにほぼ唯一の方法だ。
事実上の徴兵。プラントは移民を利用して、先の大戦で失われた戦力を補充している。シンとルナマリアが軍学校を期間短縮で放り出されたこともそんなプラントの熱心な活動の1つだ。
シンはまだ半年の任期を残している。しかし、アーサー艦長をはじめとするほかの移民たちはそろそろ任期が切れるはずだ。
シンが話し出すことを待っていたのだろう。ずっと黙っていたルナマリアは我慢できなくなったように話し始めた。
「除隊は本国でしか行えないから、任期切れが近い部隊は補給も前線基地でさせられるっていう噂、本当かな?」
「艦長たちは信じてるみたいだけど。勲章ものの活躍して、本国に戻りたいって気持ちもわかるよ。そうじゃなきゃ、マッド隊長だって無理することなかったんだ……!」
プラントには妻と娘を待たせている。そう、隊長はシンたちによく言っていた。
シンは自分の膝を叩く。痛みも、怒りを和らげてはくれない。
黒い噂には事欠かない。シンのような移民がガンダム・タイプを与えられているのは戦力として期待されているからではなく、単に実力主義を標榜するプラントがアリバイに使っているだけ。そんな話も聞かれる。
「プラントに住んでても、結局俺は外に存在してるコーディネーターなんだろ。プラントのコーディネーターたちが人類の未来をかけて戦ってる間、外でのうのうとしてた二等コーディネーターなんだからな」
自分たちが人類の未来を守るために戦っている間、貴様等は何をしていた。今更仲間に加えてくれなんて虫が良すぎるんじゃないか。これはシンが実際、軍学校でプラント出身のコーディネーターから聞いた言葉だ。
自然と、シンの顔が険しくなる。
それを、ルナマリアは地球での生活を思い出していると勘違いしたらしかった。
「ねえ、シン。私は在外コーディネーターじゃないから知らないけど、地球って、やっぱりひどいところなの?」
「ひどい? いや、そんなことはなかったよ。ただ、3年前のジェネシスだっけ、あれはやっぱり印象悪かったな。あれで一気に反コーディネーター思想が台頭して、政治家がブルー・コスモスのメンバーだって公言することも珍しくなくなった。遺伝子操作を支持してた学者先生とか、面目丸潰れって感じでさ」
休戦条約が締結されるきっかけになったのは、両軍が次第に殲滅戦の様相を呈してきたからということが大きい。ザフト軍はジェネシスと呼ばれる大量破壊兵器で地球を焼き尽くそうとした。そのことを原因として地球では反プラント、反コーディネーターの流れが決定的になってしまった。
終戦ではなく休戦条約に留まったのも、地球の市民感情を考慮してのことだ。
「コーディネーターそのものが悪いって言うより、遺伝子調整がやっぱりいびつだったことになって、居心地の悪さ感じてたコーディネーターは少なくないと思う」
「シンも、そうして地球から逃げてきたの?」
オーブを離れた理由は、迫害から逃れるためではなかった。ただ、本当の理由を告げることもできず、シンは話題をすり替えることにした。
「別にそうじゃないけど、ルナはどうしてなんだ? 出身はプラントなんだろ?」
こんな外人部隊にいる以上、正規市民と扱われているはずがない。聞いてから、シンは後悔を覚えた。思わず顔を見ると、今度乾いた笑みを見せたのはルナマリアの方だった。
「オナラブル・コーディネーターって知ってる? ナチュラルだけど、コーディネーターとして扱ってやるっていう意味なんだけど、私、それなの」
目の前の同僚が実はコーディネーターではなかったと聞かされて、シンは少なからず動揺した。
「驚いた?」
「少し。プラントって、みんなコーディネーターだと思ってたから」
シンを出し抜けたことでどこか楽しげに笑っていたルナマリアは、しかしすぐに表情が沈んでしまう。
「実際、プラント国内に私みたいな潜在ナチュラルは大勢いるわ。遺伝子調整にはお金がかかるから。でも、時々私みたいにコーディネーターの中でもやっていけるようなナチュラルが現れると、名誉コーディネーターなんて呼んじゃったりしてくれるわけ。それに、うち貧乏だったから」
ザフト軍には市民権の他、もう1つの徴兵制があった。
休戦条約後、プラントでは軍事費確保のための増税が行われた。ただし重税に耐えられない人には救済処置がつく。所帯の誰かがザフト軍に志願した場合、免税処置が施される。税金を支払うことができる富裕層は兵役を逃れ、貧しい人は命を金に換えることを迫られる。
人口、わずか2000万強の小国プラントはこうして、軍事費と兵隊を手早く集めている。
空元気ではなくて、最後にルナマリアの心からの笑顔を見たのはいつだっただろうか。シンは思い出せなかった。もしかするとなかったかもしれない。
「やっぱり俺たちって、何か目的があって戦ってるわけじゃないんだな」
市民権を得る、免税など理由はある。それはあくまでも副次的なものでしかない。戦わなければ得られないものではないからだ。
戦死したルーム・メイトは、身の上話をしなかった。きっとわかっていたからだろう。結論はどうせ暗くて、無為なものになってしまうことが。
人は、気が沈むとどうしても視線も沈んでしまうらしい。もう1つの理由として、何も話し出せないままルナマリアの顔を見ていることが、シンには辛かった。
「でもね、シン。在外コーディネーターの人たちのこと、少しでも聞けてよかった」
「ルナ?」
顔を上げると、ルナマリアは努めて笑っているようだった。手まで叩いて無理に明るさを演出しているように見える。
「ほら、これで目標ができたでしょ。アーサー艦長やアビーさんの任期を終えさせてあげようって」
「……そうだな。みんなにはお世話になってるし、少しくらい恩返しでもしなきゃな」
ルナマリアの努力を無駄にしないためにも、シンは乗じることを決めた。同じ境遇の仲間が1人でも多く救われてほしいというのは嘘偽りない気持ちだから。
「じゃあ、私行くね」
立ち上がって、扉へと向かうルナマリア。シンが見送りできないくらいあっさりと姿を消してしまった。まるで、明るい雰囲気を持続することができなくて、ボロを出すまいとするように。
シンも、すぐに作った笑顔を維持できなくなっていた。表情がとたんにとぼしくなって、上体を倒してそのままベッドに寝転がるしかなかった。くたびれた天井は、外人部隊の母艦に何ともふさわしい。
「人類の未来を切り開く理想郷か……。看板倒れもいいところだな……」
金と権利を餌に移民と貧者を戦地へと送り出す。それが、今のプラントの現実だった。
ダーレス級MS運用母艦ガーティ・ルーの艦内に不釣り合いな歌声が染み渡っていた。
ラウンジから聞こえている。壁には森の映像が映し出され、備え付けられた円形のソファーが等間隔に並べられている。
その椅子の1つで、少女は歌っていた。波立つ桃色の髪が少女の膝枕で寝ているもう1人の少女の体を柔らかく撫でている。他にも、2人の少年がソファーに腰掛け、その歌声に酔いしれるように浸っていた。
歌われる歌は子守歌。
3人の弟と妹を、ヒメノカリス・ホテルという姉が優しく寝かしつけている。
その様子を、イアン・リーは遠巻きに眺めていた。軍帽を目深にかぶり威厳ある艦長の印象を崩そうとはしていない。そこに、女性オペレーターが通りかかる。
「こうしていると軍艦にいるとは思えませんね」
たとえるなら、妖精の歌声に眠る子どもたちのよう。とても戦場とは思えない光景だった。
「まったくだな。美しいお人だ」
「おや、リー艦長も人の子ですね」
まだ若いオペレーターは下から艦長の顔をのぞき込むと、どこか意地悪く笑う。
「冗談はよせ。それで、報告があったのではないのか?」
「敵の情報ですけど、ほとんど引っかかりませんでした。おそらく、外人部隊でしょう。正規軍と違って厳密に管理されてないところがあって動向をつかみ切れませんから、あれは。ですから今後、大規模な戦闘が起きるとは思えませんが、相手は手負いの獣です」
「定石では計れんな」
要するに、何をしでかすかわからない。悪手であろうともためらいなく打ってくる可能性を払拭しきれない。クルーたちには発破をかけておくべきだろう。イアンが歩きだそうとすると、オペレーターも続いて歩き出す。
「ヒメノカリスさんにお話しなくても?」
「急ぎの用ではないだろう。休むべき時は休ませるべきだ」
「顔に似合わずお優しいですね」
「それは私の言葉でもあるのだがね……」
若くまだ頼りなげな顔をしながらも、この女性は物怖じすることはないのだから。