壁に激突する音。それは思いの外柔らかく叩きつけられたのは人であるとわかる。赤い軍服を身につけた少年、アスラン・ザラが壁に押しつけられた。苦痛に耐えているというより自分を投げつけた相手を睨むように歯を食いしばっている。
すぐさまディアッカ・エルスマンがアスランの胸ぐらに掴みかかる。
「ジャスミンがいないってどういうことだ!」
身長ではディアッカの方が高い。威圧的に覗き込まれているにも関わらずアスランは怯んだ様子を見せない。
「敵艦隊を足止めする特殊任務があった。それにジャスミンが参加しただけのことだ」
「特攻も同然の戦いにジャスミンを行かせたのか!?」
「これ以上敵の侵攻が速まれば手遅れになる。他にどんな方法があった!? ジブラルタルでも味方を逃がすために大勢の戦士たちが命を落とした!」
「必要なら何人でも犠牲にするつもりなのかよ!」
「生きるべき人を守るために必要だと言ってるんだ!」
アスランの手が強くディアッカを押す。突き飛ばされたディアッカは突き放されながらもまだ睨み続けていた。周囲では騒ぎを聞きつけた人々が遠巻きに不安げな顔を見せていた。
「今回の作戦は傷病兵や障がい者を中心に編成されている。機体だって生産ラインがすでに中断された旧式だ。防衛戦力を割くことなく敵戦力を削ることができた!」
「お前、自分の言ってることがわかってんのか!」
再度ディアッカがアスランの胸ぐらに掴みかかると、アスランもまたディアッカを掴み返す。2人は至近距離で睨みあったまま、一触即発の雰囲気を作り出す。
「プラントはそういう国だろう! 子どもに障害があってもいい。そんなことを考える親が子どもの遺伝子を調整なんてするか!? 優れた子どもが欲しいから、美しい子どもしかいらないから遺伝子を組み替えるんだろ! ここはプラントだ。そんな人たちが集まってできたそんな国だ!」
「アスラン、お前そんな奴だったか! そんな!」
吐き出す唾液さえ吹き付けてしまうほどの距離で睨み合いながら、互いに一歩も引く様子はない。
「お前に何がわかる!? ボアズが落とされれば次は本国が核で焼かれる! 1000の命で2000万の命を救える! 100を救おうとして1000の死を目の当たりにしたことが、お前にはあるのか!」
「無理だった! だからジャスミンのこと見捨てても仕方がなかった。そう言いたいのか!」
「お前がヴァーリの業を語るな!」
拳のぶつかる音が、ボアズの室内に響いた。
「で、負けたの?」
フレイ・アルスターの目の前には医務室のベッドに腰掛けたディアッカ。左目が腫れていてうまくみえていないらしい。口の端からは血の跡が見えて、疲れたように肩を落としていた。アイリス・インディアが消毒液をディアッカの傷口に塗っている最中だ。
「うるせ~よ……」
疲れているのか傷が痛いのか、声は小さい。それとも殴り合いに負けたことがショックだったのかもしれない。
アイリスはヨードチンキを染み込ませたガーゼで傷口を撫でている。ずいぶん優しい手つきでディアッカも痛みを訴えることはない。
「アスランさんはドミナントですよ。ディアッカさんがもしもアスランさん以上の素質があったとしても勝てません」
「どういうこと?」
素質があるなら勝てそうなものだが。
「キラさんも言ってたみたいですけど、コーディネーターは秀才を生み出すことはできても希代の天才を生み出すことはできないんです。そんな遺伝子型、手に入れるの大変ですから。だからドミナントやヴァーリはコーディネーターの中では優れているだけなんです」
消毒液を塗り終えた後は塗り薬。アイリスは薬箱からチューブ・タイプの薬を指にとると傷口に擦り込んでいく。その間も話は続いていた。
「でも、アスランさんやキラさんみたいにはじめから惜しげもなくお金を投じてもらえて、戦うための英才教育をうけさせてもらえる人って、天才って呼ばれる人たちの中からさらに一握り以下ですよね。ドミナントやヴァーリ、コーディネーターが優れているのはそんなところです。はじめから素質が予定されているから幼いころからあり得ないくらいお金をかけてもらえるんです」
「なるほどな。そう考えると自分の才能に気づくことのできないまま一生を終える天才よりもコーディネーターの方がよほど優秀な人材を輩出できることになるな」
ディアッカの言うとおりだろう。あのゼフィランサス・ズールだって、もちろん才媛であることに違いはない。仮にそれ以上の才能の持ち主が現れたとして誰が5歳の子どもに莫大なお金を投じてくれるだろうか。どうすれば技術者になれるかなんてわからないけど、たとえば工学系の学科に行ってキャリアを積んで、それからとなると技術者として認めてもらえるのは少なくも積もっても10年以上後のことになる。この戦争がどうなっているかなんてわからない。少なくとも15でゼフィランサスのような環境が与えられる人なんていないことだろう。
「実際、アスランさんやキラさんよりも才能に恵まれた人っていると思います。でも、ドミナントには勝てません。くぐり抜けた修羅場の数も時間も、ドミナントに勝てるはずがないからです」
「キラも10年間ゲリラみたいなことしてたみたいだしね。才能が保証されてるはずのコーディネーターの有利な点が努力のしやすさっていうのは何だかあべこべね」
「よく言われるコーディネーターとナチュラルの持つものと持たざるものは才能じゃなくて、成長の機会のことなんです」
こうしている内にようやく治療が終わったのだろう。ディアッカの顔にはめでたく絆創膏が貼り付けられていた。
「だから私たちヴァーリも生まれた時、いえ、生まれる前からするべきこともその使命さえ決まってるんです。ジャスミンさんみたいに」
この時、フレイは違和感を覚えた。ヴァーリは26人姉妹で、9つの研究室に分かれていたことも知っている。場合によってはジャスミン・ジュリエッタと言うヴァーリとほとんど接触がないことだって考えられる。それでも、何かおかしかった。姉妹が亡くなったのに、アイリスにしては考えられないほど無神経ではないだろうか。
この頭をくすぐる感覚が一体何を原因にしているのか、フレイに考えるほどの時間はなかった。医務室の扉が開いたからだ。スライド式の扉は結構大きな音がでる。
アーノルド・ノイマンがタブレット端末を手にしていた。
「フレイ、遅れてすまない。頼まれていたものだ」
「タブレット?」
手渡されたものは、フレイが想像していたものと違っていた。
「私も新聞というとつい紙を想像していた。まさかデータしかないとは……」
画面には新聞記事。すでにフレイが読みたかった記事が並べられていた。アーノルドが気をきかせてくれたのだろう。記事の内容は、特攻させられた人たちについて。
読んでいる間にもディアッカを中心として話は進んでいた。
「プラントじゃ紙は何だかんだ貴重だからな。大衆紙程度ならデータ販売しかされてないことも珍しくない」
「何か気になる記事があるんですか?」
「ちょっと今回の作戦についてプラントの人がどう考えてるのか気になってね」
記事の内容はどれも好意的に書かれている。英雄たちの死を悼む。敵の進行を遅らせるために命をかけた兵士たちを讃える論調で統一されていた。少しくらい跳ねっ返りがいてもよさそうなものだが、綺麗なほどまとまっていた。
「英雄的な行為ってことにされてるみたい。社説くらい、社会的弱者を利用したことに批判くらいあるかなって考えたけど……」
中には参加を強制されたも同然の障がい者や傷病兵がいたと思うのだが、情報は規制されているのだろうか。プラントには優れた人のためになら劣った人は犠牲になって当然という風潮があるとするのはまだ考えすぎだとすべきだろう。
ディアッカは軽く息を吹いた。
「プラントってのはそんな国なのかもな……。遺伝子調整を施された人の国じゃ、当然だが人を弄くることのハードルが低い。人の尊厳を不可侵のものだって捉えているような国から考えたらあり得ないくらい人のことを簡単に利用しようとする」
「私たちヴァーリには、遺伝子提供者としてのお母さんはいるんだと思います。でも、私たちを生んでくれた人はいません……」
「それって……?」
まさか試験管の中で細胞分裂を繰り返していたわけではないだろう。意外にも--失礼かもしれないが--アーノルドが答えた。
「聞いたことがある。プラントには無脳児を意図的に生み出す施設があるそうだ。脳を持たない以上、それはすでに死体であって、死体から臓器をはじめとする器官を利用することは許されると理屈づけられているらしい」
「事実だな。実際、人体ってのは宝の山だ。基本的な栄養さえ与えておけば、ホルモン、酵素、当然臓器に血液に卵子や精子、筋肉に骨格、試薬投与から子宮を利用した代理出産もできる。中には、妊娠で体型が崩れるのが嫌だって代理子宮を利用する女性もいるって聞いたことがある」
「私たちヴァーリを生んでくれた人も、きっと人間工場に並ぶ誰か、いいえ、子宮なんだと思います……」
頭のない人の体が棚に並べられる光景を思い浮かべてつい吐き気を覚えた。
「気持ち悪くないの? そんなこと……」
ディアッカに聞いてみると、乾いた笑みが返ってきた。
「要は慣れだからな。フレイだって牛や豚を食べるだろ。だが、犬を捕まえて鍋にしたら残酷だと考えないか? プラントは、やっぱり人を物として扱うことのハードルが低いんだろうな」
「プラントは障がい者差別が激しいことも利用価値の乏しい人間への蔑視だと考えれば不自然はない」
男の人って、こういうことの割り切り方がうまいと思う。正直、すぐには真似できそうにない。
「でもやっぱり、私嫌だな……。人が人として生きられない世界なんて……」
左頬に手当のためのテープを張り付けていた。傷はせいぜいこの程度のことだが、アスランの負傷を目敏く見つけたのは黒髪のヴァーリであった。
「アスラン、その傷は?」
Mのヴァーリ、ミルラ・マイクはそのすぐ後ろに思いがけない人物をつれていた。もしもその人がいなかったならミルラを置いて歩き去っていたかもしれない。ボアズのとにかく長い廊下のただ中で、アスランは足を止めた。
「ミルラ。それにラクスも来ていたのか」
「兵士の激励のために参りました」
「それもお父様のご意志なのか?」
「いえ、直接言われた訳ではありません。でも、私にはわかります。お父様が何を望まれ、ヴァーリが何をすべきなのか」
「それができるからこそ、君はラクス・クラインに選ばれたんだろうな」
例の傷病兵を中心とした特攻部隊もラクスが作戦立案したものだ。ボアズの防衛戦力を削ることなく艦隊の一つを足止めすることに成功した。どれほど作戦効率に優れているか考えるまでもない。そんな当然の考えに浮かんだかすかな疑念、それがアスランの視線をついそらさせた。
「アスラン?」
「いや、すまない。だがラクス、これだけは答えてくれ。ジャスミンの死は犬死になんかじゃないんだろ?」
「もちろんです。犠牲は、理想のために供されてこそ尊いものなのですから」
ラクスはいつも眩しいばかりの微笑みを返してくれる。アスランが望んだ時に望んだことをしてくれる。それは今も変わることはなかった。
「そうか……」
では無駄ではなかったのだろう。ラウ・ル・クルーゼに連れ去られそうになったジャスミン・ジュリエッタを、ここにいるミルラとともに助け出すことができたことは。
ミルラはいつも剛胆だ。ラクスのそばに立っていると、顔は同じ、体格も大差ないにも関わらずミルラがボディー・ガードかのようにも思える。
「ああ、アスラン。私たちはボアズの防衛に参加しなくていいそうだ。本国では決戦の地をヤキン・ドゥーエと決めた。まったく、ようやくのゲイツの晴れ舞台だというのに」
ではボアズの守備隊には事実上見捨てられる。それも、仕方のないことなのだろう。
カガリ・ユラ・アスハがイザーク・ジュールの姿を見つけたのは消灯時間を間近に控えた格納庫の中であった。ボアズ、ザフト最大規模の要塞だけあって格納庫は広い。また戦闘も始まっていないことから人影も少ないことからイザークの姿は比較的楽に見つけることができた。
イザークはZGMF-X09Aジャスティスガンダムの足下で自らの愛機を見上げている。この頃暇さえあればいつもこうしているのではないだろうか。
ボアズは小惑星を利用した宇宙要塞だが、明確な重力が発生するほどの大きさはない。カガリは漂いながらイザークの下を目指した。
「イザーク、こんな時間に何している?」
「お前もずいぶんと神経が太いな。ここは明日にでも陥落する。このことを除いてもお前にとって異国の地ではないのか?」
イザークの隣に降り立つなり、カガリは一体何を言われているのか考えた。おそらく、肩にタオルをかけていることを言われているのだろう。就寝前に要塞のジム施設で汗を流してきた帰りだからだ。
「私の生まれはユニウス・セブンだ」
しかもコーディネーター。少なくともプラントで肩身の狭い思いをさせられる身分ではない。
「そうだったな……」
らしくなくイザークはカガリから目を逃がすようにジャスティスへと視線を戻した。
ユニウス・セブン。この言葉に少なからず思うところがあったのだろう。イザークには血のバレンタイン事件について話しているのだから。
「いいところのお坊ちゃんにしてはショックだったか?」
「俺は家を出た身だ。だが否定はしない。カガリ、お前はユニウス・セブンで行われていたことと部下の裏切りは繋がっていると思うか?」
「彼らが知っている訳がないだろう。少なくとも、直接的にな影響があったとは思わない」
部下の名前は確かシホ・ハーネンフース、カナード・パルスと聞かされた。ジブラルタル基地から脱出する際、ザフトを裏切りそのことを遠因としてシャトルが撃沈された。イザークはまだこのことを振り切れてはいないらしい。
タオルで頬を拭く。特に汗を気にしたわけではなかったが、とりたてて深刻な話をしたいわけではないと伝えるための小芝居だ。
「まだ気にしているのか? なあ、イザーク。お前だってこれまでに大勢の敵兵を殺してきただろ。そんな時にいちいち敵の戦う理由なんて考えてきたか?」
「そんな面倒なことはしていない……。だがそのせいで部下が裏切りを決断するほど悩んでいたことにさえ気づけなかったのだとすれば話は別だ」
この男とは出会ってまだ日も浅いが、そのせいでいつもわかるはずもないなぞなぞに答えられず苦しんでいるような気がする。借金があるだの病気の妹がいるだのわかりやすい理由でも見つからなければいくら考えてもわかるはずがないのだ。
もっとも、カガリも答えのないなぞなぞを突きつけられた気分はわかる。イザークの隣に並んで、同じようにジャスティスを見上げてみた。深紅の装甲をしたガンダムが金属の冷たい光沢を輝かせていた。
「私も時々迷うことがある。オーブは、別にアウシュビッツ化はしていないそうだ。コーディネーターが列をなして列車に詰め込まれることもなければ、猛毒のシャワーを浴びせられることもない。無論、侵略した側とされる側だ。立ったのは傀儡政権。オーブの民にも犠牲は出た。だが、少なくともそれ以上では決してない。ブルー・コスモスの目的は何だ?」
「あくまでもプラントの体制崩壊が目的ではないのか? それならばコーディネーターそのものを攻撃する必要はない」
「敵を味方ごと焼き払うような奴らに理知的な行動を求めるのか?」
アラスカでの壮大な焦土作戦がなければザフトは地上の主力部隊を失うことはなく、大西洋連邦軍内は穏健派と急進派に分かれて争いをつづけていたことだろう。それこそ、いまだに地上で戦闘が繰り返されていてもおかしくはない。
だが、ムルタ・アズラエルは敵の殲滅と軍内の掌握を同時にしてのけた。背筋が寒くなるほど合理的な作戦だと言えなくもない。あまりに異常な行動を計算付くで行うことができる者などいるのだろうか。意図した狂気など矛盾もいいところだろう。
イザークにしても同じように捉えているのだろう。
「確かに奴らの行動はあまりに性急すぎることも事実だ。戦争に勝つだけならとっとと無条件降伏突きつけて賠償金でもふんだくればいい。時間さえ考えなければ核を持ち出すまでもなくプラントを落とすこともできるはずだ。奴らの行動には、ある種焦りが感じられる」
「コーディネーターが怖いから、では通じない。何せ、奴らのトップは現時点において最高のコーディネーターだからな」
正確にはドミナントとコーディネーターとナチュラル。人種が綺麗にそろったものだ。
「だがカガリ、奴らの目的をプラントに勝つこととすることもできない。奴らはプラントを滅ぼすことをもくろんでいる。それも一刻も早くと望んでいるようだ」
「それは単にコーディネーターが憎いからでは説明できないな。だが、同時にエインセル・ハンターはヴァーリを道具として使っていると聞いたこともある。奴らユニウス・セブンを知っている。仮に奴らの目的が虐げられるコーディネーターの解放ならば、何故このような真似をする?」
問いかけておきながら、カガリはただジャスティスを見上げていた。イザークにしてもわざわざカガリのことを見てはいないだろう。
「矛盾だらけだな。これは持論だが世界に矛盾というものは存在しない。もしも矛盾があるように見えたなら、それは性質の捉え方が間違っているだけだ」
「では聞くが、性急すぎるプラント侵攻、コーディネーター解放を目的とする行動を起こしながらヒメノカリスを道具として扱う。これらすべてひっくるめる理屈などあるのか?」
「俺にはわからん。わからんことが多すぎる」
盗み見たイザークの横顔は、表情に乏しく、どこか疲れているようにも見えた。
電波干渉がミノフスキー粒子によるものであると判明して以来、偵察はその重要性を再認識されていた。特に、機動兵器による索敵はより重要なファクターを占めつつあった。
コスモグラスパーのコクピットの中で、アーノルドはわずかな照明の中漆黒の宇宙を見つめていた。レーダーの信頼性が極端に減少した現在、視界に頼る偵察を行わなければならない。わずかな光を外に漏らすこともできず、スラスターさえ停止させた慣性航行を続けていた。
本来ならば聞こえてくるべき駆動音もそれに伴う振動もない。計器のかすかな明かり以外は星しかなく、自分の姿さえ見えていない。
こんな時、どうしようもなく現状について考える。
奨学金で大学を卒業できた後、伯母の薦めで軍人になった。当時ザフトとの開戦がまことしやかに囁かれ学友の間でも軍人を就職先に選ぶ者は少なくはなかった。アーノルド自身、ナショナリズムとまではいかないものの他国の侵略を甘んじて受け入れるつもりにはなれなかった。伯母の薦めを受け入れたのはそのような理由からだ。
(ではなぜ私はここにいる?)
戦うべきザフトの側で守るべき大西洋連邦軍の動きを探っている。
人生はわからない。軍では操舵の適正が認められ、伯母--後で知ったことだが、穏健派の実力者であったらしい--の助力もあって戦艦のクルーとして養成を受けていた。そして戦争の勃発。主戦場に出る機会なくすごしている内に伯母が戦死。意識はしていなかったが、人事は伯母に手を焼いていたらしく、アーノルドがアーク・エンジェルのような特殊任務を帯びた戦艦勤務を命じられたのはある種の厄介払いの意味合いもあったのだろう。国家の行く末を占う戦艦にしては大尉が艦長を務めているなど不自然さを感じたことを覚えている。
まさかこれが穏健派、急進派の思惑入り乱れる戦艦になるとは当時考えもしていなかった。
しかし事実としてアーク・エンジェルは両派の策謀の間を漂うように各地を転々とした。地球上でアーク・エンジェルが描いた軌跡などまさに両勢力のせめぎ合いが見せた技だろう。急進派に機密が露見することを恐れた穏健派はザフト軍の勢力のみならず急進派の影響が大きい前線を迂回するような移動を強いた。その結果、アーク・エンジェルは大きな東周りの迂回路を、同盟国に立ち寄ることなくアラスカへと渡ることとなった。
アーノルド自身にしても操舵手から戦闘機のパイロットへと転向することとなった。自分は戦力として不十分であるとも感じている。言い訳をするつもりはないが、事実として戦闘機とモビル・スーツとでは性能に大きな開きが生じている。戦闘機はいまだにビームを装備できず、攻撃力が機体の性能を引き上げている現状において推進力に優れるだけでは戦力として十分であるとは言い難い。
自分にできること、このことを考えた場合、アーノルドは答えを出せずにいる。
意識を戻す必要があった。操縦桿を握る手に力を込め、風防の先にスラスターの光を確認する。明らかに敵--地球軍のことだが--の艦隊の姿があった。
アーノルドのコスモグラスパーと異なりその姿を隠そうとさえしていない。推進器にありったけの火を灯し、ボアズへと向かっているのである。逃げ隠れする必要はない。地球軍艦隊の心憎いまでの自信が見て取れた。
「ノイマン機より入電。Sフィールドより敵艦隊接近!」
アーク・エンジェルのブリッジにジュリ・ウー・ニェンの声が響く。艦長であるナタル・バジルールが指示をまとめるよりも早く、アサギ・コードウェルが報告を繋げた。
「基地司令部より、Nフィールド、Wフィールドより敵艦隊も接近を確認!」
簡易表示。宇宙では当然3次元の世界である。しかし地上での感覚に慣れた人類にとって立体的に物事を捉えるとは簡単なことではない。そのため、便宜上2次元平面を設定、4分割した区画分けが報告には用いられていた。
ナタルの手元のモニターにはボアズを中心とした立体図が投影されている。指示にあった方向、合計10ものルートから地球軍が同時に進行を開始していた。
特攻隊によって艦隊の足止めには成功したと聞いているが、少なくともボアズ戦ではさして大きな影響は出ていないようだ。
「物量で押し切るつもりか……?」
地球軍はこれが全力ではないかと思えるほどの兵力を一度に投入していた。
ZGMF-600ゲイツ。ヘリオポリスで開発されたていたガンダムのデータを利用しビーム兵器の搭載を可能とした最新鋭機である。
ビーム・ライフルの破壊力に加え、モビル・スーツ開発には一日の長があるザフト軍機として本体性能も高い次元にまとめられている。ジブラルタル基地から脱出した船団の救助にすでに先行量産されたゲイツが参加している。グラナダへの配備こそ間に合わなかったが、ここボアズにはすでに十分な数のゲイツがZGMF-1017ジンと肩を並べていた。
遅れて訪れた最新機。
しかし、ゲイツはその出自において呪いを受けていた。
ゲイツのジェネレーター出力は約1500kw、すなわちジンの1.5倍もの出力を有する。これほどの出力がなければビーム・ライフルを安定して扱うことはできない。それはユーリ・アマルフィ議員をしてプレア・ニコルの、核の封印を解く切っ掛けを与えた。
その開発は急務とされた。そのため、次世代機として開発が予定されていた機体群に本来使われるべきであった予算、人員はゲイツに流された。ゲイツの開発は急速に行われたが、しかしすでに途中まで開発が進行していた機体に比べ遅きに失した感は否めない。結果としてザフト軍では新型機の実戦配備が全体として数ヶ月の遅れを受け止めざるを得ない状況となった。
そして、ザフトは多くの兵を犠牲としていた。
アラスカでは大西洋連邦軍の壮絶な自爆により地球における主力を失い、ジブラルタル基地では殿を務めた部隊は壮絶な討ち死にを演じている。グラナダでは戦いとさえ呼ぶことのできない殺戮であった。本来ならばゲイツを駆り華々しい活躍をしていたであろう将校、兵士たちはすでに多くが命を落としてるのである。
仮にゲイツが後一月早く量産体制が整えられていたのならば、近代戦史は大きな書き換えを余儀なくされたことだろう。
しかし一部の者にはすでに常識である。ザフト軍モビル・スーツに連なる幾多の悲劇は、すべてブルー・コスモスによって、ムルタ・アズラエルによって描かれた戯曲の一場面に過ぎないのだということを。
ボアズは宇宙に浮かぶ岩石である。元々赤道同盟が保有していた資源衛星をザフト軍が徴用。その坑道を利用して宇宙要塞へと仕立て上げた。その姿たるやまさに巨大な岩である。周囲に展開する多数の戦艦の存在だけがこの岩山がザフト軍最後の砦であることを如実に語っている。
ローラシア級、ナスカ級、ザフトを代表する戦艦が並べられ、ジン、ゲイツはすでに出撃をすませていた。
ここが落とされれば残すはプラント本国の盾であるヤキン・ドゥーエのみ。事実上、プラントを守ることができる絶対防衛線であった。
ザフトの精兵たるや意気軒昂。プラントを守るために、グラナダで散った仲間のため、ボアズを守るために特攻に身を投じた仲間のために。
戦いは、今まさに始められた。
宇宙戦において爆撃という概念は有効な戦術であるとは考えられていない。ミノフスキー粒子による電波干渉によってレーダー機能が著しく信頼を欠く状況は接近をより容易にするとともに、有効射程を激減させた。結果、基地機能を麻痺させるための爆撃を行うためにはすでに戦闘半径に立ち入らざるを得ず、すなわち交戦を意味した。
詳細な偵察を行い、過剰ともいえるほどの爆薬を放り込んでから悠々と死に体と化した敵を打ち倒す。このような戦術はすでに過去の遺物であった。
地球軍は、まずモビル・スーツを出撃させ、両軍は瞬く間に戦闘状態へと突入した。
地球軍はGAT-01デュエルダガーを中心に、隊長機としてGAT-01A1ストライクダガーの姿が少数見て取れる。ザフト軍はジンとゲイツとが半数を分け合っていた。
ビーム兵器を常態装備したモビル・スーツ同士の大規模戦闘は、人類史上初めての出来事であった。それは不思議な光景を演出した。
デュエルダガーがスラスターを瞬かせながら一斉にビーム・ライフルを放つ。幾筋もの光が漆黒の宇宙に描かれ、ザフト軍へと迫る。かわし損ねた機体の胸部をビームがかすめた。ただそれだけで装甲をすり抜けた熱が燃料と推進剤を焼き、ジンを爆発させた。
このことは驚くべきことを意味した。戦艦の艦砲ほどの威力の攻撃が、モビル・スーツほどの機動力と腕を回す程度の取り回しのよさで飛来するのである。
この事実は地球軍についても当てはまる。ゲイツの放ったビームは、同様にいくつもの光の華を地球軍の隊列に描き出す。
ビームの高い攻撃力。それは途端両軍を慎重にさせた。ウエハース状に両軍の隊列が分かれなかなか混ざり合うことがない。互いにビームの応酬を繰り返しながら戦線を維持していた。
しかし、戦いは膠着を迎えてはいない。
ビームを装備しているのは、地球軍にとってすべてのモビル・スーツではあっても、ザフト軍にとってはいまだ半数。ビームはバイタル・エリアをかすめるだけでも時に敵に致命傷を与える。しかしジンの携帯する従来の武装では正確に急所を捉える必要があった。
直撃弾を求め徐々に前へと進出せざるを得ないジン。距離があろうと十分な攻撃力を有するゲイツは距離の維持に務める。ジンとゲイツの戦線は次第に剥離し、第3の層が構築されつつあった。
攻撃力に乏しく機体性能にも劣るジンに不利へ明白であった。次第にジンの被弾率が上昇していく。モビル・スーツの数が減少すれば戦線は疲弊し、防衛線に穴が開く。
地球軍は圧倒的な戦力で次々と押し寄せ、撃墜したはずのモビル・スーツの隙間を瞬く間に塞ぎ、絶え間なく攻撃を繰り返す。
GAT-X207SRネロブリッツガンダムはその両腕に装備されたビーム・ライフルを搭載した複合兵装を振り回すように動かしていた。敵の数が多く、様々な方向へビームを放ち続けなければ追いつかない。わずかでも気を抜けば敵は防衛線に風穴を開け、ボアズへとなだれ込むだろう。
要塞は一定数敵にとりつかれれば終わりだ。一瞬も気を抜くことができない。
敵は隊列を組んでビームを撃ち続けることに終始していた。昔にもこんな戦術があった気がする。確かファランクスとか呼ばれる長槍を前へと突き出して並べる隊形のことをディアッカは思い出していた。とてもではないが真っ正面からぶつかりたいとは思えない。
アイリスのGAT-X303AAロッソイージスガンダムも距離を維持したままビーム・ライフルを放ち続けている。
もっとも、キラ・ヤマト、我らがエースは戦術など端から眼中にないらしい。
ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは何の考えもなしに敵へと飛び込んでいく。全身を白く輝かせ、敵には恰好の的に見えることだろう。敵の攻撃はオーベルテューレに集中し、しかし一発たりとも命中は出ない。遠目ではどうかわしたのかわからないほどの動きでビームをかわし続けるとあっさりと距離を縮めていく。
ロックオン・サイトに収め、これ以上ないほど適切に撃ち出している攻撃が当たらない。この感覚は恐ろしいことだろう。これ以上、何もしようがないのだから。敵には同情させられる。
オーベルテューレの放つビームがデュエルダガーの胸部ジェネレーターを正確に撃ち抜く。周囲のデュエルダガーたちは仲間の仇をとろうとその銃口がオーベルテューレを追う。
デュエルダガーたちの射線が一斉に曲がった。その隙にディアッカを初めとしてアイリスや周囲のザフト軍が攻撃を仕掛けた。敵の攻撃がこちらに向いていないのであればより接近することが可能であり、接近できれば命中率は飛躍的に向上する。さらに不意をつくことで、デュエルダガーを次々と撃墜していくことができた。
その間にもオーベルテューレは敵の間を飛び回り--ミノフスキー・クラフトによる複雑な動きはこうとしか表現のしようがない--、すべて1撃でデュエルダガーを撃墜する。
アイリスの言うとおり、経験値というものがまるで違うらしい。機体の性能もあるのだろうが、ディアッカがオーベルテューレを与えられたとして同じ動きができるとは思えない。
敵の数を十分に減らしたところで、キラはようやくザフトの隊列に戻ってきた。その装甲には傷一つない。
「ディアッカ、ゲイツの動きが思っていたよりも鈍い」
「学徒兵が多いらしい。グラナダにもいたそうだが、兵員の不足で軍学校の卒業要件が緩和されたらしくてな」
ほんの一月前まで最前線は30万km以上も彼方の地球だったとは冗談のような話だ。ボアズ守備隊の中には気楽な後方任務だと高をくくっていた者も少なくないのではないだろうか。
ロッソイージスがネロブリッツのそばまでやってきては、敵の方へとビームを放った。
「ディアッカさん、次、来ます!」
確かに次ぎの部隊がやってこようとしていた。地球軍の圧倒的な戦力もさることながら、まったくこちらを休ませるつもりがないらしい。こんな戦術も、確か耳にしたことがあった。
連続して攻撃を仕掛け、相手の疲労とミスの蓄積を待つ戦法だ。そうすればたとえ質で劣っていてもいつかは防衛線の処理能力を突破できるという数打ちゃ当たる戦法だそうだ。とにかく圧倒的な数に頼った攻撃は防ぎようがないだけにたちが悪い。
「敵の狙いは飽和攻撃か?」
「ムルタ・アズラエルがそんな生易しい戦術をとるとは思えない。ディアッカ、また僕から仕掛ける。君たちはタイミングを見て援護してもらいたい」
「わかった」
キラはまた敵部隊へと突入しようと加速しだす。見事な回避術はハウンズ・オブ・ティンダロス--以前かのムウ・ラ・フラガからキラと一緒に聞かされた技術だ--という名で、キラでさえまだ未完もいいところらしいが、それでも直進しかしない、弾速の遅いビーム相手には絶大な回避と急激な接近を可能としている。今後、ビーム兵器が戦場の主役になれば、その高い攻撃力から距離を開けた撃ち合いが主流になることだろう。そんな時、敵に素早く接近して隊列をかき回すことができるエースの存在がより重要になることは間違いない。
もしかすると、一握りのエースが戦場の帰趨を左右する、そんな戦場がやがては出現することになるかもしれない。
まずは今の戦いを乗り越えることが先か。
「アイリス、お前は俺よりも前に出るな。それくらいがちょうどいいはずだ」
「わかりました」
アイリスが聞き分けのいい奴で本当によかった。無理に前に出てそれで敵を倒せるならばいいが、このように次から次へと敵が現れるような状況では怖さを知らないと敵を深追いしすぎてしまいかねない。
死ぬことが怖くない人間は、死が近づいても逃げることさえ忘れてしまう。このことが何かアイリスに危険をもたらさなければいいのだが。
いつまでも仲良く漂っている訳にはいかない。敵も接近している。再び戦いに挑もうと機体を動かす。操縦桿を掴む腕に、その時おかしな振動が伝わった。機体を揺るがす衝撃波が通り抜けたのはすぐ後のことだ。
機体が小刻みに揺れ、電磁波へのシールドが施されているはずのモニターも不鮮明にさざ波が立って見えた。わずか数秒のことだが、戦場の一角では光景が変わっていた。モビル・スーツ、戦艦でひしめいていたはずの空間がごっそりとくり抜かれたように虚空へと成り代わっていた。
「これが本命かよ!」
無茶苦茶だ。敵を包囲して防衛戦力を均等に分散させる。その上で任意の場所に核を撃ち込んで強引に突破を図る。戦術だとか作戦だと呼ぶことさえおこがましい力業だ。
「ガンダムがあってもだめなんですね……。私たち、また守れないんですね……」
カガリが叫ぶ。
「核などそう気軽に使うものではないだろうがー!」
放ったビームは核ミサイル--モビル・スーツほども大きさがある--を正確に撃ち抜き爆発させる。原子力爆弾は単純だが簡単ではない。破壊されたミサイルは核爆発を起こすことなく爆発する。
周囲ではほかのザフト機もミサイルを迎撃しようとしているがただでさえ高速で飛来するミサイルを撃ち抜くことは簡単ではない。なかなか命中させられず、それでもビームを放ち続ける。そうしている内に生じた核爆発に呑み込まれた機体さえあるほどだ。
そして、敵もむざむざミサイルを迎撃させるつもりもないらしい。途端、敵の攻撃は激しさを増していた。ビームが次々と飛来する。
敵にしてみれば焦る必要などないのだ。核ミサイルへと近づけさせなければそれでいい。距離を開けたまま、ビームによる牽制ばかりが繰り返される。
接近しなければミサイルに命中させられない。近づきすぎれば逃げ遅れる危険がある。すると、一発のミサイルごとにザフトの機体が遠すぎず近すぎず、トンネル状の配置が自然とできあがっていた。敵はそのトンネル構造を崩そうと攻撃を繰り返している。ビームで、あるいは、全身を輝かせたガンダムによって。
黄金の輝きが信じられないほどの速度で迫っていた。オーブで見かけたムルタ・アズラエルの機体だ。
ゲイツたちがビームを放つ。奴にはビームは通じない。
「まっ……!」
そんなことを言い出しかけて、しかしこの助言には何も意味などなかった。
黄金のガンダムは25m級という大きさにも関わらず攻撃をすり抜けるようにかわす。バック・パックにアームで連結されたユニットが起きあがると、幾本ものビームが直撃を受けたゲイツの腹を真一文字に引き裂いた。
ただでさえ核の攻撃でこの区画の防衛戦力は減じている。さらにガンダムにまで襲いかかられては隊列などあったものではなかった。
ガンダムは、1機だけではなかった。
赤銅色のガンダム。イザークやアスランがジブラルタルで交戦したガンダムは、リボルバー式のバック・パックを回転させると、銃身を展開し長大なレールガンを1対構えた。ビームにこそ劣るが十分な攻撃力を誇る弾丸は正確にジンの胸部に風穴を開ける。
「たった2機のモビル・スーツがこうも戦場の空気を変えるのか!」
ガンダムたちは核ミサイルの爆発するタイミングを知っている。いつ爆発するかわからず核に侵入禁止領域を強制されるザフトとは違うのだ。次々飛来するミサイルの間を自由に動き回りながら組織的な行動さえ封じられたザフトに襲いかかる。
単機の力ではガンダムにかなうはずもない。わずか2機のガンダムが一騎打ちを繰り返す形で大隊戦力のザフトを手玉にとる光景は異常で、背筋に嫌な汗を感じるほどだ。
黄金のガンダムは8本ものビーム・サーベルを構え、ただ左腕のシールドにビーム・クローを発生させているでしかないゲイツが哀れにさえ思えた。爪楊枝で鉈を防ごうとするようなものだ。ゲイツは斬られたというよりは引きちぎられてその体をずたぼろにされた3つの破片へと切り分けられた。
ジンは哀れだ。哀れと言うほかない。赤銅色のガンダムに追いかけ回される。機動力、推進力、破壊力、すべての点においてガンダムには及ばない。逃げ回り、追いつかれ、苦し紛れの反撃さえ回避された。ビームがジンを貫くと、その爆発を見届けることもなくガンダムは次の獲物を追いかけていた。
ミサイルは次々とボアズを目指し露払いとしていくつもの爆発が生じた。そして、攻撃は次の段階へと移っている。より大型のミサイルが、麻痺した防衛線への空隙を通り抜けようと飛来していた。
もはやボアズを守る術など残されていなかった。
GAT-X105ストライクガンダムが2機。薄い青で塗装されており、カガリのものとはそれだけでずいぶんと装いが異なって見える。
核の光にザフトが統制さえ突き崩され、地球軍は着実に進行していた。その中にあってこの2機のガンダムだけは明らかに異なった動きを見せていた。仲間たちが核ミサイルを中心に攻勢に打って出ている今でさえ、ジャスティスの前に漂い、動こうとしないのだ。
ガンダム同士を繋ぐ専用回線がある。モニターには敵のパイロットが表示された。ランチャー・ストライカーを装備した方にはシホ、ソード・ストライカーを装備した機体にはカナードが乗り込んでいる。イザークとカナードが切り込み隊長を務め、シホが援護に回る。役割分担は変わっていないらしい。
シホに関しては驚くことにヘルメットを身につけていない。自慢の髪を無重力に漂わせていた。
核爆発の放つ衝撃波がジャスティスを震わせる。戦局は完全に地球側に傾きつつあった。決着は早い方が好まれる。
これはまさに決闘であったのかもしれない。互いに無言のまま睨み合い、ありもしないコイン・トスを待つ。ジャスティスの全身を包むフェイズシフト・アーマーが徐々に光強度を高め、ストライクたちの指が小刻みに動いた。
互いに、不存在のコインが落ちる音を錯覚する。
ガンダムが動く。ジャスティスが飛び、ランチャー・ストライクが長大な銃身を持ち上げる。光の塊となったガンダムと光の塊を飛ばすガンダム。ランチャーの放ったビームはジャスティスへと直撃する軌道を描き、爆発が生じる。
モビル・スーツが爆発したにしては小規模な爆発の中からジャスティスは飛び出した。失ったシールドの代わりにビーム・サーベルが握られている。ジャスティスはランチャー・ストライクを目指し突進する。
「シホー!」
振るわれるビーム・サーベル。それは機体を強引に割り込ませたソード・ストライクによって防がれた。モビル・スーツの身長ほどもある長大な対艦刀は光の壁のようにサーベルを防ぎ、いくら出力で優れるジャスティスガンダムとはいえ、片腕で押し切れるはずもない。
スパークする粒子の向こうにカナードの無表情を写し取ったかのようなストライクの顔。
「カナード!」
ジャスティスが動く。鍔迫り合いを強引に中断し、とにかくバック・ブーストをかけたのだ。その直後、ジャスティスがいたはずの場所を太いブームの束が通り抜けていった。シホだ。シホならば多少フレンドリー・ファイアの危険を冒してでも動きを止めた敵は逃さない。
無理に機体を逃がしたため体勢が崩れていた。その隙を逃さずカナードは切りつけてくる。両腕で辛うじて振り回せるほどの大剣は、左手のサーベルだけで受け止めたジャスティスを浮かび上がらせた。崩された体勢へと向けてランチャーからのビームが飛来する。
ミノフスキー・クラフトにただ感謝した。スラスターの位置からではあり得ない方向へと機動し、ビームを辛うじてかわす。動きをとめていてはやられる。ビーム・ライフルで牽制しながらとにかくソード・ストライクから距離をとろうと動く。
ZGMF-1017ジンに搭乗していたころから息のあった連携を見せていたが、ガンダムを与えられたことで切れが増している。
「これが国と友を裏切った対価か!」
放ったビームはソード・ストライクに簡単にかわされる。代わりにランチャー・ストライカからバルカン砲が降り注いだ。
「これは単なるおまけです。ムルタ・アズラエルは私たちに約束してくれました。プラントは必ず滅ぼしてくれると」
「答えろ! なぜ国を裏切った? 何がお前たちをそうさせた!?」
振り下ろされる対艦刀。サーベルで受け止める度、弾ける光に粒子がモニター上に爆ぜ、左腕のフレームに過負荷が生じたことを告げるアラームが鳴り響く。
会話はもっぱらシホが担当するようだ。
「隊長、私って、綺麗ですか?」
「何を言っている?」
確かに、シホは髪の手入れを怠らない、おしゃれというものに気を使う女性であった。それが裏切りとどう関係があるというのだ。まさか、お気に入りのシャンプーが地球にあるというわけではないだろう。我ながらくだらない冗談だ。
モニター上でシホはその長い髪を手で弄んでいた。
攻撃してくる気がないのか、それとも会話どころか攻撃までカナードと分業でもするつもりか。対艦刀が引かれた。拍子抜けする体にソード・ストライクの蹴りが突き刺さる。
襲い来る衝撃。歯を食いしばりながら後ろへと弾き飛ばされている間にもシホは話を続けている。普段と同じ落ち着いた口調に、やや饒舌か。
「この顔、私の父の初恋の人の顔だそうです。残念ながら、私の母に当たる人とは別人です。父はその人と別れ、母と結婚した後もなお思いを忘れられなかったそうです。そのため、初子に同じように素敵な女性になってもらいたいと願いをこめて、同じ顔になるように遺伝子調整を行ったそうです」
わずかにシホの笑い声が聞こえた。自嘲や嘲笑の類の、わざわざ笑って見せたような取り繕った声音をしている。
ソード・ストライクの対艦刀は話を聞いている間にも振るわれる。ビーム・ライフルの銃身が綺麗に両断された。投げ捨てたライフルの代わりに右手でもビーム・サーベルを抜く。2本ならば全力で振り下ろされた大剣であろうと防ぐことができる。衝撃を受け止めた手応えが操縦桿越しに伝わってくる。
「もちろん、母には内緒で」
シホは立てた指先を口に当てる。ずいぶんとかわいらしい皮肉の仕草だ。こんなことをシホがするとは思っても見なかった。
「面白い話とは思いませんか? 母はその胎内に恋敵を宿して、父は愛した2人の女性の愛を同時に得ることができる。そう言えば、男にとっては息子が、母にとっては娘こそが最大の恋敵である、そんな話もありました」
そう言っている本人がまるで楽しげではない。もっとも、嘲笑しくてたまらない様子ではあるのだが。
いつまでもモニターのシホを見ている余裕はないようだ。カナードのストライクに動き出す気配があった。先手をとって押し返す。対艦刀の勢いが弱まった瞬間に飛び出した。先程からこの繰り返しだ。ペースを掴めず防戦を強いられるイザークにカナードが鍔迫り合いを仕掛ける。唯一リズムを崩されたことは、突如シホのランチャー・ストライクから砲撃があったことだ。本来逃げようと想定していた方向を塞がれ、やむなく軌道を曲げる形で回避する。
シホはいまだに話を続けている。
「初恋の女性は、それは髪が綺麗な人で、いつも手入れを怠らず気にかけていたそうです」
シホがご自慢の髪を手で梳く姿が目に浮かぶ。残り少ない飲料水でさえ、髪を洗うことに使われこともあった。それが両親への皮肉であったとは当時気づくことはできなかった。
「私が生まれた時、父は大層嬉しそうにしていたそうです。でも、人の心は変わるもの。あんなに恋い焦がれていた女性への気持ちは次第に冷めていきます。私が成長するに連れ、父は自らの過ちを悔いるようになっていきました。馬鹿なことをした。今は妻のことを愛している」
声に怒りと思しき深い抑揚が混じり始めた。
イザークはコクピット内に響く警報を聞いた。接近警告。ボアズの岩で覆われた地表がすぐそばに見えていた。どうやら誘導されたらしい。
ボアズを背にするジャスティスを、2機のストライクは見下ろしていた。
「もらったラブレターなら焼いてしまえばいい。2人で撮った写真なら捨ててしまえばいい。では、娘ならどうします? 顔を八つ裂きにしてしまいますか? いらないと捨ててしまうことが一番現実的かもしれません」
時折大気のない宇宙を震わせる核爆発の衝撃波がボアズから細かな破片をまき散らす。ボアズは長くないようだ。しかしこの宙域、ジャスティスを中心とする一帯だけは敵の攻勢が弱い。これも裏切りの報酬の内なのだろうか。
「父が私の顔を見る度、悔やんだように目を背けるんです。母もやがて気づいて父を責めました。面白いことに、母と初恋の方は無二の親友だったそうですよ。母の私を見る目の面白いこと。成長するに連れて、あの女に近づくに連れて、嫌なものでも見るかのように睨むんです。身勝手な話だと思いませんか? 一時の未練に付き合わされた私の立場はどうなります? だから私は髪の手入れは欠かしませんでした。この髪型は父と女性がお付き合いしていた頃のものです。父をあざ笑って、母に見せつけてやりました。こんなお遊びくらい、私には許されてしかるべきだと思いませんか?」
「お前の境遇には同情する。だが、それがなぜプラントを裏切る理由となる?」
冷静な部下だと考えていた。しかし今のシホの瞳にはこれまでに見たこともない色が浮かんでいた。不必要に目は開かない。そんなシホが目を大きく見開き、瞳を輝かせる光が普段とは異なる色を見せていた。
「嫌いだからです。自分たちの都合で勝手に子どもたちのことを作り替えておきながら、与えたものは素晴らしいと自画自賛をするばかりかそれをくれてやったのだから感謝しろとまで嘯いてくる。こんなおぞましい国をどうしてこの世界に残しておけますか?」
「少なくとも、プラントでは障がい者になるよう遺伝子を調整することは禁じられている」
「そうして、障がい者はまるであってはならないもののように使い捨てられる。そうですね。優れた人は素晴らしい。優れていない人は素晴らしくない。だから差別して利用して犠牲にすることが許される。そうですね、隊長?」
ボアズを守るために使い捨てられた部隊のことを言っているのだろう。あの作戦は部隊長にも伝えられず秘密裏に行われていた。それを公にすれば反発を招くが故の姑息な手であったのだと思いたい。
「プラントは人を決めつけます。優れているとはこれで、劣っているのはそれ。それを子どもの遺伝子にまで刻みつけて社会の都合と理屈を生まれる前から押しつけてくる。遺伝子を操作するから極端な能力主義に走り、能力主義に走るから障がい者差別に走る。差別意識が助長されるから選民思想が先鋭化され、遺伝子操作が肯定される。そんなおぞましい連鎖を当然として予定されるのがプラントであって、それを遺伝子調整の名の下子どもに押しつける。そうではありませんか?」
「ただ初恋の女性に似せたというだけの話だろう……」
「親の都合で子どもを作り替えることが許されると? ムルタ・アズラエルが話を持ちかけてきた時、私たちは気づきました。プラントが滅びなければ私たちのような悲劇が繰り返されるだけだと」
反論することができなかった。論理的に反論することは不可能ではないだろう。しかし喝破することすなわち、このような境遇に産み落とされたシホにその程度認容すべきと押しつけることになる。シホにとってはそれこそがプラントの傲慢なのだろう。
「カナード。お前はなぜだ?」
普段から口数の多い男ではなかったが、それでも今日はシホに押しつけすぎる。まさかカナードまで母親の初恋の相手と同じ顔をしているのではないだろう。
「俺はシホほどおしゃべりでもなければ、情緒的な話も持ち合わせていない。聞きたければ俺に認めさせてみろ。お前が俺たちの隊長であるに相応しい人物であったとな」
「そのわかりやすさは、嫌いではないがな!」
シホの放ったビームを回避すると、ボアズの表面に大きな爆発が生じる。その破壊力を誇示するようにシホは次々とビーム、バルカンを降らせては逃げるジャスティスを追いかけるように爆発が立て続けに引き起こされる。
「逃げているばかりでは死を待つばかりですよ、隊長」
カナードの対艦刀が先回りするように振るわれる。ビーム・サーベルで防ぐと、その度強い衝撃が機体を揺らす。取り回しこそビーム・サーベルの方が容易だが、力任せに振るわれる大剣は正確に振り下ろされれば防ぐしかない。防ぐ度、速度が落ち爆発が迫ってくる。
カナードのストライクが離れたのは、シホの攻撃に追いつかれたことを意味していた。辛うじてかわしたつもりが、ビームはジャスティスの右足を膝ごともぎ取る。
衝撃に加え、モノフスキー・クラフトの被覆面積を失った分だけ機動力が低下する。
カナード機はたやすく追いつき、対艦刀を叩きつけてきた。ビーム・サーベルで防ぐも、完全に動きを封じられた。わずかでも腕の力を抜けば両断される。逃げようにもすぐ背中にはボアズがある。こうなることを予見してシホとカナードはここにイザークを誘導したのだろう。
「終わりだな、イザーク隊長」
シホ機がランチャーを構え、その銃口は奥底を見通せそうに思えるほどまっすぐにジャスティスへと向けられていた。