アーク・エンジェル級1番艦アーク・エンジェルには3つの選択肢が与えられていた。
白旗を上げること。残存する戦力はTS-MA2.mod.00メビウス・ゼロと、実験機にすぎないGAT-X105ストライクガンダムしかない。とても実戦に耐える戦力ではない。だが、艦長であるマリュー・ラミアスは、ザフトもまた多くのモビル・スーツを失い条件は同じであるとして頑強にこれを拒否。
月を目指すこと。現在、月は、地球連合軍とザフト軍が緩衝地帯をもうけながら二分している。宇宙で唯一戦力が拮抗している場所であり、連合軍最大規模の宇宙基地もここに存在している。たどり着くことさえできればモビル・スーツの量産を迅速に行うことができる。それは操舵手、アーノルド・ノイマンが反対した。制空権はザフトにある。ここから月に行くためにはザフトのただ中に飛び込むようなもので、無謀どころではないと主張した。
そのため、選択肢は事実上1つしか残されていなかった。最寄りの友軍基地に寄航し、協力を仰ぐことである。アーク・エンジェルはアルテミスと呼ばれる宇宙要塞を目指すことが決定した。
アーク・エンジェルは、これまでの連合の戦艦とは違ってモビル・スーツの運用を前提として格納庫が広めに造られていると聞かされた。そうは言われても、ほかの戦艦を知らないアイリス・インディアにとって、違いがわかるはずはなかった。たしかに広く、GAT-X105ストライクが壁のハンガーに固定されていてもまだ頭の上には隙間があるほどだ。その機体のお腹の辺り、コクピットの部分に目当ての人影を見つけることができた。
格納庫全体のちょうど半分の高さにあるキャット・ウォークの上でアイリスは声を出した。
「キラさ~ん!」
ここは格納庫である。整備士は男性の方が多く、また女性にしても10代の人はいそうもない。アイリスの少女特有の高い声は思いの外響いて、格納庫中の関心を集めてしまった。気恥ずかしい思いをするアイリスの元へ、目的の人物はすぐに現れてくれた。ストライクのコクピットから無重力を漂って、キャット・ウォークの手すりに着地するように降り立った。
初めて会った時の服装は平凡で、どんなものかもよく覚えていない。今のキラ・ヤマトは青のパイロット・スーツを着ていて、顔も心なしかりりしく思える。これから戦うことになるのかもしれないというのに、とても落ち着いていた。
「アイリスさん、どうしてここに?」
緊迫感はあまり感じられない。そんなところは、どんな時でも変わらない。放課後にちょっと見た時でも、ヘリオポリスの崩壊を聞かされていた時でも変わることはなかった。
「その……、フレイさんたち、今部屋の方で休んでます。こんな言い方ないですけど、キラさんが戦ってくれるから本当は軍人さんたちが使う部屋を使わせてくれるみたいです。ありがとうございます」
まるでキラを人質に差し出したみたいな気分の悪さをみんなが感じている。アイリスとして罪悪感と感謝の狭間で、それでも感謝の気持ちくらい伝えようとした結果、つい曖昧な表情になってしまったと思う。笑顔のつもりでも、きっとどこか笑顔になりきれないで。
キラははにかんだ笑顔で、照れくさそうに小さく笑ってくれた。感謝したい気持ちくらい、伝わってくれたのだろうか。それでもすぐに表情を曇らせてしまった。
手すりに掴まって、キラの足はキャット・ウォークに立っている。それはちょうど手すりを壁みたいに挟んでアイリスと話をしているみたいだった。少しでも足を踏み外してしまえばキャット・ウォークから落ちてしまうのに、キラは安全なアイリスの方、通路の上にこようしない。
(考えすぎ、かな……?)
まるで距離を開けられているみたいに、世界が違っているみたいに。
同い年、同じ学校につい先日まで通っていたはずの少年はどこにでもいそうな、どこでも見ることのできそうなおとなしい顔をしていた。その背後をガントリー・クレーンに吊り下げられた巨大なライフルが通り過ぎる。
「それは嬉しいけど、あまりここには来ない方がいいよ。危なくない兵器なんて矛盾もいいところだから」
「キラさんは……」
こんなところにいて平気なんですか。こんなことを聞こうとして、その言葉はうまく言葉にならなかった。目の前のキラにさえ拾ってもらえない。
「そうだ。ちょっと後ろ向いてくれないかな?」
突然の指示についアイリスは振り向いた。髪に触るよ、そんな一言があった後、するとキラの手が髪に触れてきた。慣れた手つきで髪を梳いて、束ねられたような感触があった。首だけで髪の様子を確認すると、ヘリオポリス崩壊の混乱でなくしたはずのリボンで束ねられていた。もちろんなくしたリボンそのものではなく、新しいリボンは黒い色をしているものだった。
「ゼフィランサスから分けてもらったんだ。初めて会ったときはつけてたから、なくしたのかなって思って。……余計なことだったかな?」
少し目を細めた狼狽した顔は、今度は別の意味の違和感があった。こんな兵器の置かれた場所でも静かな顔をしていられるのに、同い年の少女の反応が気になって不安になる。そんなキラの顔が見られたこと、それに、リボンをくれたことも正直にうれしい。
「ありがとうございます、キラさん」
アイリスはリボンのことを喜んでくれた。そんなに大したことでもないのに、とても嬉しそうに笑ってくれた。仲間を偽って、アイリスにも本当のことを言わないという意味で嘘をついている。キラ・ヤマトとは、そんな人間なのに。そんな人間のことを、彼らは友人だと思ってくれる。
「君たちは本来ならこんなところになんていなくてもいい人たちだから……」
戦争という異常な世界に、本当ならかかわらなくてもいい人たちだから。キラは視界が狭くなっていることに気づいた。つい目を半目にして、落ち込んだ表情をしていたらしい。まさかその死角に入り込まれたとは思わない。それでも、ゼフィランサスがキラの横に音もなく降りたことに、気づくことが遅れた。
ゼフィランサスは手すりに腰掛けると、キラと目を合わせようとはしない。アイリスが立ち去っていった方角を見ていた。
「いいの……? アイリスお姉様に本当のこと言わなくて……」
アイリスに対してばかりではない。みんなにも嘘をついている。
「君だってアイリスに真実を語る機会ならあったじゃないか? それに、僕たちのことを世界が知るには早すぎる」
目を閉じて頷いて、それでゼフィランサスは興味をなくしたらしい。手すりから降りて通路の上に立とうとする。ゼフィランサスがスカートを翻してキラに背を向けた。本人は聞かせないつもりで言ったのかもしれない小声を拾うことができた。
「リボン、何に使うのかと思ったら……」
よく言葉の意味がわからない。聞いてみるより先に、その白い髪に隠された背中から今度ははっきりと聞こえる言葉が届いた。
「ついてきて……、ガンダムの説明するから……」
逆らう理由なんてなかった。ゼフィランサスに嘘をつくことも、傷つけることも、もうしないと決めたから。
ゼフィランサスに与えられた部屋は、特別にブリーフィング・ルームとしても機能するようになっている。大型のモニターが備えられ、おかれたテーブルも例外的な大きさがある。
ムウ・ラ・フラガは椅子にだらしなく座りながら話を聞いていた。このアーク・エンジェルに残った唯一の正規パイロットとして参加するよう言われたのだが、集中力は持続できない性分なのだ。ゼフィランサスがモニターの前でガンダムに関する説明をしている。それは興味のあることではあったが、集中力がもたないのは癖のようなものだ。どうしても、別のものに気移りする。
今の場合、同じテーブルを囲んでいる小僧だろう。
どこにでもいそうで、この手の少年は生真面目と相場が決まっている。それこそ授業でも聞くかのように真剣な眼差しをゼフィランサスに向けていた。しかし、椅子の座り方がおかしい。片足を外側に投げだし、右手はいつも開かれた状態でテーブルにおかれていた。一匹狼の殺し屋でも気取っているのだろうか。いつでも椅子から立ち上がることができて、いつでも懐の銃に手を伸ばせるような姿勢だ。
用心深い少年はゼフィランサスを見ていたはずだが、その視線がこちらを向く。ムウのように興味がそれたわけではない。単にゼフィランサスがムウの横に来ていただけだ。少女の赤い瞳--座っているムウとあまり視線の高さは変わらない--が表情に乏しいままでムウを見ていた。だが、それが無感情であるとは別だ。
「ムウお兄様……、話聞かないなら整備の時、機体からネジ1本抜きます……」
脅し文句くらい、表情を変えて言ってもらいたいものだ。ただ、ゼフィランサスは本当に細工をしかねないので降参する。両方の掌を見せるように振る。
ゼフィランサスが話に戻ろうとモニターの前に戻ろうとしていた時のことだ。そのわずかな時間に、意外にも少年が話しかけてきた。そんなに社交的には見えなかったが。
「僕は、キラ・ヤマト。よろしくお願いします」
「ムウ・ラ・フラガだ」
簡単に返事をしておく。握手でもするのかと思いきや、キラはそんなことをすっ飛ばして話に入った。
「ゼフィランサスと知り合いなんですか?」
「上司とは知り合いでな。一応プライベートの付き合いがある。そのせいか兄さんなんて呼ばれてる」
「じゃあ、ゼフィランサスとは……」
今度はこの小僧とゼフィランサスとの関係を聞くつもりだった。だが、時間切れらしい。モニターの前に戻ったゼフィランサスが話を再会しようとしていた。題目は、ガンダムを守る新装甲素材について。
「フェイズシフト・アーマー……」
心なしか、普段よりも声が大きい気がする。話を聞いていないことに怒っているのか。
「相転移を利用した装甲のこと……。でも、これはニック・ネームみたいなもので本当の原理はちょっと違う……」
モニターには装甲の断面図らしいものが映し出されていた。素材はチタン系の合金。何でも特殊な環境下でしか精製できない特殊合金で、ZGMF-1017ジンのようなザフト軍機に使用されているスチール製の合金に比べると硬くしなやかな素材なのだそうだ。ただ、ゼフィランサスは合金そのものの説明は簡単に終わらせてしまった。
その腕を伸ばしてモニターの上、合金の上に表示された被膜状の構造を指し示した。実際はフリルがふんだんに用いられた袖が広がったせいでよく見えないのだが。
「相転移についてわざわざ説明する必要もないと思うけど、一次相転移と二次相転移があって、ここでは二次相転移と性質が似ていることから二次相転移装甲、フェイズシフト・アーマーと名前をつけたの……」
正直言って、ムウにはよくわかっていない。とりあえずゼフィランサスの話が乗ってきたようなのでわかったような顔をして聞き続けることにする。
装甲表面に塗布された特殊な粒子が電圧を加えられることで分子膜を構成するのだそうだ。その単分子膜の性質は衝撃を受けた際、運動エネルギー、熱エネルギーを吸収するとともに衝撃を垂直方向で受け止める。敵の攻撃のエネルギーを点ではなく面で受け止める。その上で、吸収したエネルギーを光に変換し放出する。そして軽減された攻撃はチタン系の合金が受け止めるというわけだ。攻撃を受けた分子膜も電圧を加えることで自己組織化を起こし瞬時に再生できるらしい。
ガンダムが敵の攻撃を受けた際に光るのはこのためだそうだ。
「モビル・スーツが携帯できる規模の兵器ならすべて無効化できるよ……」
絶えず電圧を加える必要があり、バッテリーの消耗が激しいが、その防御力は極めて高いのだそうだ。
モニターには別の映像、ひげの親父が映し出された。見覚えのない男だ。
「特殊な粒子はC.E.33にドクター・ミノフスキーによって発見された……。だからミノフスキー粒子と呼ばれてる……。元々核融合の実験中に発見されたレプトンの1種で、ニュートリノと電子の中間みたいな物質で平均寿命はいまだに未知……。ミノフスキー粒子が発見された当初、学会の見解は机上の空論で一致……。現在でも……」
ゼフィランサスはそうまくし立てていたが、ムウは正直まるでわかっていない。キラの方も真剣な表情が、どこか険しいものに変わっている。要するに男2人でゼフィランサスの話がまるで理解できていないのだ。
「あ~、ゼフィランサス? 余計な理論は省いてくれないか?」
急に動きが止まった。これまでの経験上、怒らせたと判断するのが妥当だろう。背筋に冷たいものを感じた。すると、意外な場所からフォローが入った。キラが手を上げ、自分に注意を引いていた。
「僕たちパイロットが知っておかないといけないことって、まとめるとどういうことかな?」
幸いにも、ゼフィランサスは動きを再開する。
「フェイズシフト・アーマーは強度が高いから艦砲、それも主砲クラスの攻撃を受けなければ破壊されることはないよ……」
それは対モビル・スーツ戦では無敵であることを意味する。モニターには一つの実績として、ザフト軍の主力機であるZGMF-1017ジンを相手にガンダムが圧倒的であった事例がすでに存在する。ミサイルの爆発にさらされた時もその爆圧に耐えた。しかも無傷で。
この場合、爆圧をミノフスキー粒子で構成されたフェイズシフト・アーマーが受け止め、緩和した上でチタニウム合金が衝撃を無効化。フェイズシフト・アーマー自体が受け止めたエネルギーは光に変換し放出する。光って攻撃を無効にするとは、まるで魔法のような装甲だ。だが、そうそううまい話はないだろう。そう考え、ムウは新たな墓穴を掘った。
「弱点はあるんだろ?」
ゼフィランサスがまた動きを止める。前回同様、キラが助け船を出してくれた。
「戦う上で、何か注意しておくことってあるかな?」
行動再開。多少のニュアンスの違いでこうも違うものだろうか。この男、ゼフィランサスの扱いに妙に慣れている。キラ・ヤマト。覚えておいて損のない名前のようだ。
ゼフィランサスはフェイズシフト・アーマーの弱点、いや、注意点について話し始めた。
フェイズシフト・アーマーは、発動中、絶えず電圧を必要とする。また、被弾時には単分子膜を再構築するためにさらに電圧が必要となる。よって、燃費の悪さがついて回る。ただ、ガンダムに搭載されたバッテリーはザフト機に比べても大電量のもので、稼働時間が短いということはない。
「ただ、質量弾は避けた方がいいよ……」
フェイズシフト・アーマーは衝撃を吸収する性質こそあるが、たとえばバズーカのような質量弾にさらされるとその衝撃は緩和しきれず内部に伝わってしまう。装甲自体が破壊されることはないが、内部機構にダメージが蓄積されてしまう。
「なるほど、それが弱点か」
つい口が滑った。あわてて口を押さえるが、言葉は出てったきり、戻ってこようとはしなかった。ゼフィランサスは動きをとめようとはしなかった。代わりに、ムウの方に近寄ってきたかと思うと、固いブーツでムウのすねを蹴った。
「克服すべき課題ってこと……」
急所を蹴られ、足を押さえる。うめき声を出さなかったことは賞賛されるべきだろう。
「そんなにニュアンスが大切か……?」
それにしても、今のゼフィランサスはずいぶんと機嫌が悪い。地雷を2度、いや、3度ほど踏んだ気がするが、部屋に入ってきた時から悪かった気もする。キラはやはり、怒らせないような聞き方をする。
「これから、ザフトに鹵獲されたガンダムと戦うことがあるかもしれないけど、そのときはどんな戦法が考えられるかな?」
「方法は2つ……。1つはもちろん、戦艦に搭載されるような、大口径、大火力の兵器を使用すること……。2つめは……」
「ビームを使用することだ」
ザフト軍ナスカ級ヴェサリウスのブリッジを兼ねたブリーフィング・ルームで、ラウ・ル・クルーゼは集められたパイロットたちにそう告げた。
この中ではモビル・スーツ技術に造詣が深いアスラン・ザラでさえもビームという単語の意味を理解しなかった。無理もない。このことが兵士としてのアスランの評価を下げるものとは考えていない。ビームはまったく新しい技術体系の兵器であるからだ。
新型の用いた携帯兵器。それは可視の速度で飛来する光線という不可思議な兵器でありながら、モビル・スーツを一撃で破壊し、コロニーの外壁に穴さえ開けてみせた。この兵器の正体こそがビームである。新型の使用したライフルは、さしずめビーム・ライフルというところだろう。
「ビームの威力を今更説明する必要はないだろう」
ラウが、そしてパイロットたちが囲む台座に備えられたモニターには、ビームの破壊力を示す映像が投影されてはいるが、パイロットたちはわざわざ見ようとしない。記憶の中にしかと刻まれているはずだからだ。
このビームがフェイズシフト・アーマーを貫通できることは、すでにアスランが実証している。アスランの部下としてそのことを目撃しているはずのニコル・アマルフィはそれでも納得のいかない顔つきをしていた。
「でも、ビームなら破壊できるという理由がわかりません」
ニコルは若さ故か引っ込み思案に思われがちだが、主張すべき時にはためらうことはない。パイロットとして、それはよい傾向でもあるが、前に出るものは同時に死神にも好かれやすい。どちらに転ぶかは時の判断に任せるとしよう。
「ビームにはフェイズシフト・アーマー同様ミノフスキー粒子が使用されている」
ミノフスキー粒子はその存在が予言された際、ある性質が予見された。それは、ミノフスキー粒子は擬似的にエネルギーを質量として貯蔵し、それを見かけ上は消耗することなく取り出せるというものだ。論理的にはエネルギーが加わった際、ミノフスキー粒子がその質量のごく一部をエネルギー変換し、メガ粒子と呼ばれる高エネルギー状態の粒子に変化することによってもたらされるらしい。
小難しい理屈を除けば、10のエネルギーを10のままで保管できることを意味する。たいしたことはないようだが、これは実に恐ろしいことを意味する。
熱力学の第2法則によると、熱を伴う反応は不可逆であることが証明されている。これは、エネルギーは状態を変える場合、そのうちの何割かが熱として放出されてしまい、目減りしてしまうことを法則化したものだ。
たとえば、ジンの扱うアサルト・ライフルの場合。薬莢の火薬が炸裂し、弾丸が飛び出す。さらに弾が銃身を抜け、大気がある場合には大気の抵抗にさらされる。最後に、目標表面で銃弾が砕け、残されたエネルギーで破壊を行うのである。
薬莢内の火薬が持つ爆発力が10としよう。まず、弾倉内の爆発で発射時の反動が起こるように、ここですでに7から8のエネルギーしか弾丸には伝わっていない。さらに飛び出す弾丸は銃身との摩擦、大気との摩擦でエネルギーを大きく減らしてしまう。また、目標に到達した段階でもエネルギーのロスは続く。
結果、ジンの攻撃力は本来の2、3割しか出ていない計算となる。爆薬を直接投げつけても結果は大差ない。爆発が四方に飛び散る上、結局は爆発と目標とのエネルギーのやりとりの問題となるからだ。4割に手が届く程度だろう。
ところが、ビームにはその問題がない。10のエネルギーを10のまま弾丸へと変えることができる上、目標とのエネルギーのやりとりもスムーズに行うことができる。無論、銃身、大気との磨耗はどうしようもないが、それでもエネルギー効率は7、8割を誇ることになる。
このデータに、ディアッカ・エルスマンは口笛を吹く。ジャスミン・ジュリエッタは呆然としていた。個々の違いは見受けられたが、誰もが驚いていることに変わりない。
モニターにはジンのアサルト・ライフルとビーム・ライフルが並べて表示されている。同じ規模の兵器である。そのエネルギー効率を鑑みるなら、同程度のエネルギーを用いる両者の威力は2倍から3倍を超える違いができることになる。加えて、ジンと新型のエネルギー・ゲインはすでに溝をあけられている。その火力は4倍程度にまで開くことだろう。
今になって怖くなったのか、ジャスミンが口を押さえた。パイロットとしては優秀だが、いつまでも気の弱さがとれない。問題ではあるが、今は目をつぶることにする。無理もないと考えたからだ。
この中では一番の使い手であるアスランでさえ、肝を冷やしているらしい。
「ジンでは相手にならないこともうなずける。水鉄砲で拳銃に挑むようなものだ……」
ニコルがうなずく。
「わかりました。ビームが、艦砲並の攻撃力を持っているということが」
モビル・スーツが携帯できる兵器ではフェイズシフト・アーマーを破壊できるほどの攻撃力を獲得できない。だが、ビーム兵器ならば同規模の兵器で3倍の火力を得ることができる。フェイズシフト・アーマーを貫くほどの火力を得ることができることを意味する。
隊長として、理解の早い部下が誇らしい。だが、まだ一歩考察が足りていないようだ。ラウは眼鏡を直すしぐさで仮面に手をかけた。
「フェイズシフト・アーマーが最強の盾であるのなら、ビームは最強の矛と言える。最強の盾を破るには、最強の矛で臨むほかない」
その判断の早さに差こそあるが、すぐに全員が気づいたようだ。
「ガンダムを破壊するには、ガンダムをもってあたるしかないということだ」
サイ・アーガイルは与えられた部屋で壁に埋め込まれる形のベッドに寝そべっていた。仲間2人と相部屋だが、狭いとも感じない、いい部屋だ。ベッドの寝心地も悪くないし、休むことができるのは正直ありがたい。それがたとえ、仲間を、キラを売ったも同然で手に入れたとしてもだ。キラはあのゼフィランサスという少女と昔何かあったらしい。それがどんなものか聞けずじまいだが、キラがモビル・スーツに乗ると言ったからサイたちに部屋が与えられたことに変わりはない。
まだ寝る気にはなれなくて、眼鏡はかけたままにしている。見慣れない天井を眺めていると、これまでのことが思い出される。
何気なく1日が始まって、突然日常が終わりを告げた。ザフトが攻めてきて、街を逃げ回った。キラが死んだかもしれないと慌てたが、幸い、それは杞憂に終わった。そして、キラはゼフィランサスに言われるままパイロットになった。
何がなんだかわからない。
それはほかの2人も同じらしい。人が動く気配がして、トール・ケーニヒがサイとカズイ・バスカークに声をかけた。
「2人とも、起きてるか?」
カプセル型のベッドからは周りの様子はよくわからない。ただ2人の声は聞こえてきた。カズイも寝そべっていただけらしい。トールの呼びかけに応える声がした。トールは何か話がしたそうな様子だったので待っていると、それでもトールはいつまでたっても話を始めようとしない。
「ごめん……、やっぱなんでもない……」
トールがそうなることもわかる気がする。漠然とした不安があって、どうしても何かしていないと落ち着かないのだろう。
今日はいろいろなことがありすぎた。そういえば、ゼフィランサスみたいな格好をしている女性を見たのも初めてだ。似合ってはいたが、相当人を選ぶ服だ。
「ゼフィランサスさんだっけ。あの人、ガンダムの開発責任者だとか言ってたけど、技術者が何であんな格好してるんだろうな?」
からかうような口調になった。それでも許されるだろう。あの女はキラを戦争の道具にしようとしているのだから。
「趣味、だと思うけど」
トールの答えは的を得ているだけあって、見も蓋もない。会話はいきなり終わってしまった。
やはり、無理にでも寝ておくべきかもしれない。この先、何が起こるかわからいのだから。ただ、最後に、カズイが話しに乗っかってきた。
「でもキラにとって、ゼフィランサスさんは大切な人なんだと思うよ」
なぜなら、友のことを気遣いながらも、その手は、漆黒の少女を離そうとしなかったから。
アーク・エンジェルは最寄の要塞であるアルテミスにまずは寄航することを決定した。現在宇宙はザフト軍に事実上支配されており、地球軍の勢力圏にまで到達するにはあまりに多くの危険をかいくぐる必要があった。月に向かう選択は非現実的であったのだ。
宇宙は広い。仮にザフト軍がアーク・エンジェルの動向を掴んだところで、航行中の戦艦を捉えることは難しい。現在、戦争開始当初から発生が確認されている謎の電波障害においてレーダーの信用性は低下している。待ち伏せを行うためには行き先が明確でなければならない。反対に月を目指すということはザフトに待ち伏せの好機を与えるにも等しいことであった。
そのため、アーク・エンジェルはアルテミスを目指すことにしたのである。
仮にヘリオポリスを襲撃した部隊がその手を読んでいたとしても補給も他の部隊との合流も間に合わないだろう。航行中に不幸にも発見されてしまったとしても切り抜けることも不可能ではないとの判断が働いた。
しかしアーク・エンジェルの航行は不気味なほど静かなものであった。ザフトの影もなく、ヘリオポリスでの激戦が嘘のように平穏な時間が流れた。
そして、アルテミスの姿がブリッジのモニターに捉えられた。
アルテミス。アーク・エンジェルが所属する大西洋連邦の同盟国であるユーラシア連邦が保有する宇宙要塞である。
それは宇宙空間に浮かぶ巨大な岩の塊のようであった。採掘を終えた資源衛星の内部に要塞施設を建造した比較的小規模の基地である。その建設方法故に、表面は岩盤に覆われている。近くで見ても宇宙港の開口部とその近くに備えられた管制塔が見える程度で、単なる衛星にしか見えないだろう。ザフトが制空権を握っている。このような宇宙において、この要塞が存続できた訳は衛星に偽装して隠れ仰せたからではない。残念ながら、侵略価値がないとして見逃されていたからである。
現在、プラントと交戦状態にある国家は大西洋連邦をはじめとするその同盟国、地球連合各国である。しかし戦争に積極的に参加していると言える国は大西洋連邦であり、その他の同盟国はエイプリルフール・クライシスからの復興に余力を傾けているのが現状であった。ユーラシア連邦と言えどその状況に変わりなく、ザフト軍にとって攻略順位は自然と低いものとされてきたのである。
しかし、エイプリルフール・クライシスから6年、戦争開始から4年が経過した今、その状況は徐々に変化を見せ始めていた。
傷つけば人は癒すために時間を必要とする。傷が言えてしまえば次は復讐をもくろむこととなる。
そして、青い薔薇を掲げる思想団体は、血と涙を土壌に、如何なる場所であろうと咲くのである。
アーク・エンジェルは、アルテミスへの入港が許された。
アーク・エンジェル艦長として、マリュー・ラミアスはアルテミスの会議室へと出向いた。格納庫に面した部屋で、壁一面の窓ガラスからアーク・エンジェルがよく見える。
小さな円形のテーブルにマリューを含めて4人が座っている。3人はアルテミスの幹部たちだった。いずれも男性で年配。愛想笑いを浮かべている。プラントによって引き起こされた戦乱前まで大規模な戦争をこの世界は長らく経験していない。ただ椅子を暖めていただけの軍人というものは年齢が上であるほど見られる。ただ長年勤めていたというだけで位が高く、前線に出る必要もない士官は少なからず存在しているからである。無能かどうかは別として、危機感が欠落している点において始末が悪い。
部屋にはもう1人。白いスーツの男性がこちらに背を向け、アーク・エンジェルを眺めていた。軍人ではないようなのだが、会議室にいることを見咎められることもない。
まるで男性がいないかのように、話は進んでいた。
「我々は特務を帯びて行動中です。同盟国として、ご協力願いたいのです」
補給をしてくれるだけでいい。そう暗に匂わせたが、一筋縄ではいかない。こちらの意図を知りながら、さも気づいていないかのように振る舞ってくる。
マリューの正面に座る禿頭の指令官は仰々しく首を振った。
「無論そのつもりです。そのためにも、新型のデータをお預けいただきたい。有事の際には我々の命をとしてデータをお守りする所存です」
アーク・エンジェルのみが所持していては消失のリスクが高い。データを分譲することは理にかなっていると言えなくもない。だが、渡してしまっては穏健派の実績がかすれてしまう。本当なら睨みつけてやりたいところだが、そうもいかない。目をそらすにとどめた。
「しかし、それではあなたがたを危険にさらすことになります」
どうせろくな戦力も抱えていない辺境の基地でしかないのだ。戦力としては、一切の期待をしていない。実際、データを預けたところで消失のリスクを分散するどころか流出の危険性を増すだけだろう。だが、右側の人物がこの事実を逆手にとった。
「危険は承知の上。加え、貴君は我々を頼ってきてくださった。そんな我々を、多少ご信頼くださってもよいのではありませぬか?」
まさか補給だけで十分、たかりに来ただけだと言うこともできない。さて、どう言い返そうか。これ以上、あなた方にご迷惑をかけるのは忍びない。このあたりが妥当なところだろう。
マリューが言い出そうとすると、窓辺の男性に動きがあった。何のことはない。振り向いただけ。しかし、そんな小さな足音にさえ、アルテミスの幹部たちは一斉に男の方を見た。つられて、マリューも視線を同じ向きに合わせる。
白いスーツを着た男性は、同年代の男性であるためか、ムウ・ラ・フラガ大尉とよく似ているように思えた。だが、それも振り向くまでのこと。いざ顔を眺めると印象はだいぶ異なる。ムウは野生的で猛禽のような印象だが、この男は優雅とも怜悧とも思える。柔らかい金髪に青い瞳がなんとも麗しい。マリューがつい見ほれるほどであった。好青年。紳士。名士など、好印象な単語が自然と頭に並ぶ。
「くすぶってはいたくはない。たとえ、どのような危険に身をさらすとしても。みなさまの覚悟はよくわかります」
声をかけられたアルテミス幹部は一様に顔がこわばっていた。男は小気味よい足音をたてながら歩み寄ってくる。何をしても様になる。そう言いたいところだが、幹部たちの様子はただ事ではない。訝しがるマリューに、男は優しげに微笑んだ。
「職務はまっとうしなければならない。たとえ何を犠牲にしても。その覚悟はすばらしい」
マリューにかけられたのは、ただ一言。ヘリオポリスの民間人を犠牲にし、今アルテミスを踏み台にしようとしていることへの皮肉だろうか。男はやはり笑顔のまま。笑顔のままで、一言命じた。
「その真摯な思いへ応えるべきと、私は考えます」
「わかりました……。ラミアス大尉。補給は速やかに行わせよう。それでよいだろうか?」
マリューの正面に座る禿頭の男性が急に改まった態度を示した。戸惑いながらも、マリューは感謝を言葉と、敬礼することで示した。しかし、視線はすぐに立ったままの男性へと向いてしまう。
軍人ではない。まだ30にもなっていないような若造である。そんな男の命令を、快諾には程遠い顔をしながらも、アルテミスの幹部はあっさりと受け入れた。この男は只者ではない。小規模とはいえ、要塞1つを牛耳る。敵に回すには恐ろしいが、味方陣営で見かけた顔ではない。
身構えるマリューに対して、男はあくまでも笑顔で礼儀正しい。左肩に右手をあてて、仰々しく頭を下げた。テレビ・ドラマに出てくるような執事以外で、こんなお辞儀の仕方をした人を見たのは初めてのことだ。
「申し遅れました。私はエインセル・ハンターともうします。以後、お見知り置きを」
動きをとめ、息をとめ、心臓さえ止まった心地がした。
その名は、最大手の軍需企業であるラタトスク社の代表として知られている。そして、ラタトスク社代表は、反コーディネーターを掲げる急進派の中でも特に強い影響力を有している。マリューたち穏健派にとって、この男は最大の敵に他ならなかった。
エインセル・ハンター。
この男の美しさは、研ぎすまされた刃のようなものであるのかもしれない。存在は凶器以外の何者でもないが、ときに人を魅了してやまないのだから。
アーク・エンジェルが無事アルテミスに寄港した。
それは喜ばしいもののように思えたが、ナタル・バジルール小尉にとっては、ことはそう単純には片づかない。
マリュー艦長はうまく補給を取り付けたらしい。だが、同時にラタトスク代表がこんなにも早くガンダム開発を嗅ぎつけていることもわかった。社内の部局一つをまるごと借り受けていたのだ。いつまでも隠し通せるものとは考えていなかったが、露見してしまうにしてはタイミングが悪すぎる。何かと悩みはつきない。
ナタルは現在、格納庫の奥まった通路の先にある休憩室に立ち寄っていた。訳は自分でもわからない。ただ、難民とともに来るよう、そうアルテミス側から指示されていた。椅子とテーブル。観葉植物がおかれた、特に際だったもののない、普通の休憩室である。ナタルと、6人の少年少女でもはや手狭になっている。
こんなところに何があるのか。そんなことを考える間もなく、格納庫とは反対側の通路から黒いスーツを着た女性が現れた。
上品な眼鏡をかけたなかなかの美人である。物静かで知的な印象は、彼女が軍人でないことを物語る。加えてこれは偏見かもしれないが、化粧の仕方は女性としての作法というより、男を喜ばせる為に思えて仕方がない。
一言でいうなら、ナタルは女性に言いしれない反感を抱いた。この意識は、名乗り上げられたことで確信へと変わる。
「メリオル・ピスティスと申します。エインセル・ハンター軍事顧問の秘書を任せられている者です」
あくまでも事務的に差し出された手に、礼儀として握手する。大人げないとは思うが、政敵相手に心穏やかにもなれない。エインセル代表と言えば急進派の筆頭と言っても過言ではないのだから。だが、そんな反コーディネーターの頭目が難民に何の用があるのか。自然と、キラ・ヤマトとアイリス・インディア。コーディネーターである2人のことが頭に浮かぶ。まさかとは思いながらも、疑念は晴れない。
相手の出方を待つ。メリオルはそんな駆け引きをあざ笑うかのようにいきなり本題に入った。
「ヘリオポリスにおける人的被害の調査結果が出ています」
ナタルを押し退けるようにして、子どもたちがメリオルの前に出る。ただ、孤児であるアイリスはその場に留まっている。
サイ・アーガイル。トール・ケーニヒ。カズイ・バスカーク。ミリアリア・ハウ。それぞれの家族は無事が確認されたと告げられる。その度、ナタルが見ることができなかった屈託のない笑顔で彼らは喜んだ。
その中でフレイ・アルスターだけが浮かない顔をしていた。メリオルも意図的に報告を遅らせた様子だった。だが、それは形式的なものであったらしい。悲劇の報告は、きわめて事務的になされた。
「アルスター夫妻の消息は確認されておりません」
フレイよりも、周りの人の方が反応が顕著だった。自分たちばかりが喜んではいられないと引け目を感じたのだろう。まるで水を打ったように、あたりは静まり返った。フレイの、力ない声が、それでも響くほどに。
「そう……、ですか……」
覚悟を決めていたのか。あるいは疲れてしまったのか。フレイは放心したように立ち尽くしていた。その痛々しさに耐えられなくなったのだろう。アイリスは友人の手を引いて、せめて椅子に座らせていた。そんな2人にメリオルが歩み寄る。その顔から、冷静さは一切損なわれていない。
「アイリス・インディア様に、相違ありませんか?」
「はい、そうです」
フレイの方に手を置きながら返事をするアイリス。メリオルは唐突に話を切り出した。
「アイリス様はエインセル様が支援されている事実をご存知と考えます。エインセル様はアイリス様のことを大層お気にかけておられました」
ナタルの驚きとは対照的に、アイリスはメリオルの言葉をごく自然に受け入れている。ナタルはアイリスをザフィランサス主任の妹だからこそ警護対象にされたのだと考えたが、実際はエインセル・ハンターの指示であったのかもしれない。
「エインセル様は100を越える子どもたちに資金援助をされています。ですが、そのお1人お1人を覚えておられます。アイリス様も例外ではありません」
唐突にメリオルがナタルへと首を曲げた。
「ご苦労様でした。難民である彼らは我々が安全にオーブ本国にまで送り届けます」
「そんな急な話は……!」
「急も何も、本来彼らは戦艦に乗艦しているべきではないのではありませんか?」
メリオルの言っていることは正しい。だが、あっさりと少年少女を手渡すことはできない。不安を押さえ込もうと楽観論が心を引っ掻く。同時にここで安易な結論を出してしまえば後悔することになると警鐘を鳴り続けている。問題ないだろうとうすうす感じながら、しかしいざ最悪の事態が発生した場合に何故あの時あのような決断をしたのかと胸をつんざく後悔に襲われることが想像できてしまう。
「わかりました。ですが、そちらに引渡しを確実に終えるまでは我々に警護義務があります。しばしお時間をいただけませんか? 手続きとして形に残しておかなければなりません」
「かしこまりました。ではその旨、エインセル様にお伝えします」
丁寧に頭を下げて、メリオルは来た方向へと戻っていった。歩き方さえ律儀で厳格。その一挙手一投足までエインセル・ハンターのご威光を傷つけてはなるまいと気を張っているようでさえある。エインセル・ハンターがどのような人物をそばに置いているのか、それは痛いほど伝わった。
みんなで安全な艦に移れるかもしれない。この事実に、サイがアーク・エンジェルの方へと駆けだした。
「キラも来るよう言ってくる!」
トールとミリアリアがあとを追った。ナタルもまた、今は行動するにうってつけと考えていた。
「アイリス、少々時間をもらえないだろうか?」
そう、アイリスを誘い、格納庫へと出た。アーク・エンジェルはすぐ正面に見えているが、すぐに横を向き、壁に沿って通路を進む。あまり人に聞かせたい話でもない。アーク・エンジェルを修理している整備士に声が届かないであろう場所を選んだのだ。通路の突き当たりで通行人の心配もない場所だった。
ここでいいだろう。
「どうしました、ナタルさん?」
アイリスはまるで心当たりがないという顔をしている。ずいぶんと無邪気なものだ。皮肉ではなくそう思える。そんな少女に聞かせる話ではないかもしれない。
「陰口になってしまうが……」
ナタルは覚悟を決めた。
「ブルー・コスモスという組織を知っているだろうか?」
アイリスが怯えたような顔をした。それだけで十分だった。
「ブルー・コスモスの代表はムルタ・アズラエルという男だとされている。だが、わかっているのはこの名前だけだ。世界的規模の組織にしてはこのことは異常としか言いようがない。実在しないという話もあれば、誰かの偽名であるという話もある。アイリス、君に聞いておいてももらいたいのは、その候補者とも言うべき人物の中にラタトスク社代表であるエインセル・ハンターの名前があるということだ」
信じられない。そう言いたいのだろう。アイリスは挙動に落ち着きがなくなり、何を言っていいかも悩んでいる様子だった。
「え、でも……、エインセルさんに、お会いしたことはありませんけど、お手紙じゃ……、すごく優しい人で……」
「すまない。だが、今の世界は決してコーディネーターに優しくはない。コーディネーターという存在そのものに悪意を持つ人がいるということを、心に留めておいて……!」
不条理なほど突然のことだった。宇宙要塞の貴重な大気を力任せに震わせた轟音が響いた。
ゼフィランサスは歩いていた。
格納庫から通じる通路を抜けると小部屋に出る。休憩室と思われる場所。この部屋には、2人の先客がいた。少年と少女が1人ずつ。少年は寡黙だった。椅子に座って、沈黙に身をゆだねていた。キラと一緒にいた。名前は知らない。少女は涙を流さずに泣いていた。うつむいて、その目は何も見えていない。キラの同級生で、名前を聞いたことはなかった。
そういえばこの部屋に通じる通路の脇でナタルとアイリスが話をしていた。ここで何かあったのだろうか。考えてもわかることではない。ゼフィランサスは立ち止まらず通り抜けようとした。
すると、誰かが勢いよく立ち上がる音がした。つい振り向こうとすると、腕を掴まれて無理矢理振り向かされた。掴む手の先で、少女がゼフィランサスのことを睨んでいた。
「あんたがあんなもん造らなきゃ、パパもママも死なずにすんだ!」
少女がゼフィランサスを掴んだままその手を振り上げた。頬を叩かれる痛みに耐える準備をしていると、少年が少女の手を止めていた。腕を掴んで、離そうとしない。
「やめなよ、フレイ」
「離してよ、こいつらがあんなの造ってなきゃ、パパもママだってぇ!」
取り乱す少女に比べて、少年はひどく冷静だった。
でも2人とも気づいていない。この場所にいては危険だということに。
無重力下である。意識して前へと弾みがつくように床を蹴る。心臓が高鳴った。杭でも打ち込まれたかのように鋭い痛みが伴う。これは言いつけを破った罰。2人を巻き込むように、ゼフィランサスは倒れ込んだ。
その直後に噴出した体中を締め付ける膨大な圧力に、ゼフィランサスの意識は刈り取られた。
爆発が起きた。そのことはなんとなくわかる。
ゼフィランサスにフレイごと突き飛ばされたとき、カズイは3人がいた場所を火と煙が勢いよく通り過ぎていったことを目撃した。爆発が収まると、休憩室は一変していた。煙が充満し、何かが溶けたような独特の臭みが鼻につく。見ると、アーク・エンジェルへと向かう通路が瓦礫とくすぶる炎で通行できなくなっている。
フレイは大きな叫び声をあげていた。ただでさえ平静ではない少女の心は、あやうく死ぬところだった現実を受け入れることができないのだろう。半狂乱になって、隣にいたカズイを突き飛ばした。とめる間もなくフレイは格納庫とは反対側の通路から飛び出てしまった。
「フレイ!」
カズイには見送るほかなかった。追いかけることができない事情もある。
近くにゼフィランサスが浮かんでいた。意識はあるようだが、苦しそうに胸を押さえ、あえぎ声がもれている。もし、ゼフィランサスが突き飛ばしてくれなかったら、カズイもフレイも爆発に巻き込まれていただろう。そのために無理をしたのかもしれない。
ここがいつまでも安全とは限らない。カズイはゼフィランサスを早くアーク・エンジェルに運ぼうと決めた。ゼフィランサスの片手を、自分の首の後ろを通して半身を支える。運ぶことが負担にならないよう、ゆっくりと足を進める。
アーク・エンジェルに直接行くことはできない。しかし、アーク・エンジェルから見たとき、格納庫には他にも道があった。迂回すれば戻れるはずだ。
カズイはゼフィランサスをつれて、フレイが逃げていったのと同じ通路に入った。通路自体は短い。あっさりと通り抜けると、その先にも格納庫が広がっていた。
アーク・エンジェルが格納されている場所に比べて非常に細い。カズイたちの前に一直線に伸び、突き当たりで左右にT字に続いているのが見える。TS-MA2メビウスなどの戦闘機のための場所なのだろう。メビウス、正確にはその残骸がいくつも並んでいた。
メビウスが、壁ごと破壊しつくされていた。この攻撃力は見覚えがある。見忘れることなんてできない。
「ガンダムだ……、ガンダムが来たんだ……」
光景の中には死体や、苦しんでいる人の姿もあった。これが戦争とはとても思えなかった。一方的な虐殺。聞こえてくる声は、ただただ逃げ惑っている人々の悲鳴しかない。その悲鳴が、徐々に近づいていた。
T字路の右側から、黒いガンダムがその横顔を見せた。目が2つあって、口に見える部分がある。
ガンダムは右手のライフルから光線を発射した。直撃を受けた壁には大きな穴があき、穴の周りは熱で歪んだ。穴から火が噴出し、要塞内部を嘗め尽くしていく。
このときになって、初めて怖いと感じた。つい足が強く床を蹴った。急いでここから離れたい。
「う、あ……」
ゼフィランサスが苦痛にうめいていた。いきなり強く動かしすぎたようだ。でも、急がないと戦闘に巻き込まれてしまう。
「ごめん……、あと少し、我慢して」
なるべくゼフィランサスの体を支えるようにして肩に担いで、左手は、罪悪感を感じながらも女性の腰にまわしていた。その方が、より負担を与えることなく運べると考えたからだ。それが我慢ならなかったのだろうか。ゼフィランサスはまだ苦しいはずなのに、胸を押さえていた手で、カズイを押した。まるで力は入っていないが、カズイに離れてほしいのだとわかる。
あいつ以外の男に触れられたくないというのも、わからないではない。
「悪いとは思ってるよ。でも、今はこうでもしないと……」
ゼフィランサスは弱々しく首を振った。
「違う……。あの子の狙いは、……きっと、私だから……」
一瞬、何のことかわからなかった。ただ、ゼフィランサスが子どもと表現したことで、心当たりが1つだけある。この少女はガンダムの開発責任者で、わが子とも言えるガンダムは、すぐそこにいる。
カズイは首を回した。すると、ガンダムの無機質な双眸と、カズイの怯えた眼とが交じり合った。
ガンダムがこちらを見ている。カズイの目には、ブリッツが右手を掲げ、銃口をこちらに向けている姿が映っていた。