ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレのサーベルは白銀のガンダムに受け止められていた。キラ・ヤマトとてこの一撃で倒せると踏んでいた訳ではなかった。それでも攻撃はあっさりと防がれすぎた。キラに焦りを覚えさせるほどに。
鍔迫り合いの姿勢を解き、一度距離を開ける。オーベルテューレが月の大地を踏みつけ砂が思いの外高く舞い上がる。白銀のガンダムは全身を輝かせ砂を吹き飛ばしながら浮かんでいた。
ガンダム同士を繋ぐ通信から、思いもかけない少女の声を聞く。
「キラ……」
「ゼフィランサス?」
オーベルテューレの全天周囲モニターには白銀のガンダムを映して、そのすぐ横にコクピットの様子を投影していた。仮面の男と、そのすぐ後ろにいる漆黒のドレス姿の少女。
「人質のつもりはないが、ゼフィランサスを傷つけたくない。ここはひいてはもらえないだろうか?」
願い出る態度には見えない。たとえキラが全力を出したところでゼフィランサスを無傷のまま連れ出す自信がある。そう、仮面に隠された顔からは威圧的にも思えるほどの余裕が透けて見えていた。
ラウ・ル・クルーゼとゼフィランサスをかけて対峙するのはこれで3度目になる。1度目、ゼフィランサスの意識はなかった。2度目、キラはゼフィランサスの気持ちに気づいてあげられなかった。そして今。
モニターの先で、ゼフィランサスはキラのことを見ては目をそらす。そんな迷いのある眼差しを繰り返している。
「ゼフィランサス、君の力はこの世界では利用され続ける。この戦争ある限りいつまでもだ! 僕と逃げよう。こんな世界のことなんて捨てて、僕と逃げよう!」
「我々はゼフィランサスの力を必要としている」
「ゼフィランサス。君はどうしたい!?」
「わからない……、わからないよ……!」
ゼフィランサスにしては大きな声だった。
無理もないことだと思うべきなのだろう。ゼフィランサスにとって、物心ついた時からモビル・スーツの開発に明け暮れていた。周囲から利用され続けていた。そんな悲しい当たり前を急にやめようとしても、どうしていいのかわからなくなってしまう。
そんなゼフィランサスを、ムルタ・アズラエルもシーゲル・クラインも利用し続けている。そのことが、キラには許せないでいた。
思わず向けたオーベルテューレのライフル。撃つと覚悟はなく引き金は引くことができない。相手もまた、その手にあるライフルを向けてきた。不自然なほど大きな銃口が特徴的だ。
「君とは何度この構図を演じればいいのかね、キラ・ヤマト?」
「あの日ユニウス・セブンで起きたことを忘れたことなんてなかった!」
あの日の過ちを取り戻すため、キラは戦い続けてきたのだから。
月面を走る水路を白亜の戦艦が突き進む。水飛沫を陽光に煌めかせ、十分な速度に達したところで、アーク・エンジェルは月の空へと浮かび上がった。
グラナダからはすでにザフト軍の戦艦が徐々に出撃を始めている。アーク・エンジェルは奇襲に巻き込まれるほど早くもなければ、決して遅い訳でもないタイミングで出撃することができた。それも、主要なクルーが艦を離れていなかったからである。
舵輪を操作しながらフレイ・アルスターが何やらぼやいていた。
「まったく、あいつらに追い返されたことがこんなとこで役に立つなんて……!」
艦長であるナタル・バジルールは特に留意するべきことでもないだろうと聞き流し、クルーへと声を走らせた。
「敵の展開状況は?」
レーダーを担当しているジュリ・ウー・ニェンが答えた。
「まだ主力艦隊は到着していません。3機のガンダムだけです」
「まさか1個小隊による奇襲とは……」
ナタルの手元の端末にはグラナダ周辺の簡単な地図--明瞭なものは渡されていない。まだザフトから完全には信用されていないのだろう--が表示されている。グラナダ周囲の岩山に亀裂のように走る割れ目が強調されている。
次にマユラ・ラバッツが手元のコンソールを操作しながら続けた。
「恐らく、月面に走るクレバスを利用したものと思われます。もしも内通者がいたと仮定すれば一つのルートのセンサーを無効化することは難しくありません。それだと、送り込める戦力はせいぜい1個小隊程度ではないかと」
そしてGAT-X207ブリッツガンダムには完璧なステルス性能が施されていた。仮にあれらの機体に同等かそれ以上の機構が組み込まれているとすれば警戒網をかいくぐること事態難しいことではないだろう。加えてビームのあの攻撃力である。わずか3機でも暴れ回ればその破壊力は計り知れない。
「モビル・スーツについてはともかく、ガンダムに関しては大西洋連邦軍に一日の長があるということか……」
そして基地を混乱させた後に脱出。本隊が攻撃を代わる。一見無謀ながら極めて合理的な作戦である。そうとすれば本当の戦いはガンダムよりもその後の本隊との戦いにあるのだろう。
「アイリスとディアッカに伝えなさい。現時点において積極的に打って出ることは得策でないと判断、現状維持に務めよ!」
矢と呼ぶには破壊力は大きく、それは槍と呼ぶしかない。突き出された槍が黄金の輝きを放ちながら突き進む。月の大地のすぐ上を恐ろしい速度で滑空する。上空から見下ろす2機のガンダムは黄金の槍を目で追おうとすると黄金はの槍は、ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムはさらに加速する。
GAT-X207SRネロブリッツガンダム、GAT-X300AAロッソイージスガンダムの2機がバック・パックのミノフスキー・クラフトを輝かせていた。ミノフスキー・クラフトの優れた推進力でさえ、2機のガンダムは黄金の戦闘機に追いつくことができない。戦闘機に姿を変えたフォイエリヒはその全身を輝かせその装甲全体を推進器として使用できる。推進力がそもそも段違いなのだ。
黒と赤のガンダムは翻弄されるでしかない。そして、フォイエリヒは機首を開いた。指が開くように四肢が伸び、それは異形の怪物が必死に人に必死に化けようとしているかのようだった。足を延ばし、手を作り、身をよじる。やがてそれが黄金の輝きを放つ人となった時、それは一息に上空へと舞い上がった。
ネロブリッツ、ロッソイージスの前を黄金が輝いて飛び越えていった。通常のモビル・スーツの1.5倍もの大きさがまるで鳥のように軽々と飛ぶ。フォイエリヒはブリッツたちを無視してZGMF-1017ジン、その1個小隊に飛びかかった。両手足から発生させたビーム・サーベルでひっかいていく。そうとしか表現できないほど軽く振られたサーベルは、それでもジンの胴を引き裂いていた。同じ部隊のジンはライフルを構える。それだけだ。フォイエリヒはすでに残り2機のジンへとビーム・サーベルを振り下ろしていた。これを切断と呼んでいいのだろうか。ライフルごと、ジンはその体を縦に延びる帯状にごっそりと切り取られていた。
そして、ほぼ同時に3機は爆発する。わずか数秒。人が3人、命を落とすには短い時間ではないか。
ディアッカ・エルスマンはその声が相手に通じていることさえ忘れてつぶやいた。
「あれが、エインセル・ハンターか……」
「ディアッカ・エルスマン。お会いするのは初めてでしょうか?」
ネロブリッツの周囲と飛び回るフォイエリヒ。その輝きは神々しいほどに禍々しい。フォイエリヒに襲いかかってくる様子は見られない。まるで邪魔者を排除して、これでゆっくり話ができる。そう、言いたいかのように。
ディアッカは何とかフォイエリヒを狙おうと試みるが、ロックオン・サイトがまともにフォイエリヒを捉えることができない。通常のモビル・スーツより二回りは大きい的であるにも関わらずだ。アイリスなど最初からライフルを向けようとさえしていない。
「エインセルさん……。ヒメノカリスお姉ちゃんは、エインセルさんのところにいるんですよね?」
「今日はお留守番です。あなたにも是非私の下に来ていただきたい、アイリス。叶いませんか?」
フォイエリヒが直角としか見えないような軌道を幾度も描いて接近する。予想もつかない不可思議な動きはフォイエリヒをロッソイージスの前へと導いた。同様の可変機構を持つ機体が対峙する。こうしてみると大きさの違いははっきりとわかる。
「……私、エインセルさんたちのやり方、きっと納得できません」
「では目的は評価していただけるのでしょうか?」
「コーディネーターを根絶やしにすることがか!?」
ネロブリッツの放ったビームはフォイエリヒを直撃する。黄金の腕。それを盾のように掲げた。それだけで、ビームは黄金の装甲に切り裂かれるように弾かれる。ディアッカは驚くことさえできなかった。フォイエリヒを撃墜できないことが当然のように 感覚を支配していた。
「コーディネーターは純粋です。善ではなく、しかし悪でもない。ごくありふれた人間でしかないのです。悩み、悲しみ、嘆き、苦しみ、悼み、怒り、妬み、嫉み、激昂し、感情という人が最も危惧する暴走を引き留める装置などない、ごく普通の人間にすぎません。しかしそして、同時に彼らはナチュラルよりも平均して優れた力を有している。すなわち、人の危険性をそのままに能力だけを肥大化させた存在にすぎないのです。安全装置のない拳銃よりも安全装置のないライフル銃の方が恐ろしい。ナチュラルとは前者であり、コーディネーターとは後者。優れた人ではなく、危険な人以上の何者でもないのです」
「エインセルさん、だからって、こんなやり方……!」
月面は静かなものだった。3機。撃墜されたジンの残骸から立ち上る黒煙が大気のない月面で、地表に沿うようにのたくっていること以外は。芸術品のように美しいフォイエリヒガンダムによってなされた惨劇であった。
「人が人を作ると言うこと。人が人を道具にするということ。あなた方ヴァーリはご存知のはず。コーディネーターとは人以上ではなく未満でもない。また、道具として利用される人の悲劇を」
「そんなあなたが、どうしてヒメノカリスお姉ちゃんを戦わせるんですか?」
「必要であるからです。報償には対価が、成果のためには犠牲が、神とてその奇跡に生け贄を求めるように。私はヒメノカリスを戦わせます。戦ってもらわなければならないのです。私が彼女の父であるために」
「ニコルを殺したのはあんたたちだ。いつもそうだろ! 犠牲だ理想だ言ってる奴に限って自分は犠牲になるつもりなんてない! いつも誰かに押しつけてるだけだ!」
「では、あなた方に覚悟はありますか? あるのならば何故、犠牲を支払う覚悟があるのなら何故泣くのです? 何故嘆くのでしょう? 失う覚悟はあった。ですがいざ失うと嘆くのですか? 失いたくなんてなかった。奪われたくなんてなかった。撃つと決め、撃たれると知りながらあなた方は覚悟など有していない。故に受け入れることができない。仲間の死も苦しみも。自分たちだけが殺戮を許され、敵に奪われることは許せない」
エインセル・ハンターの言葉。それは魔術か説法か。まるで言葉そのものに意味があるかのように響いて聞こえる。
「10億もの命を奪ったコーディネーターの傲慢がせめてなかったとしたなら、我々は手にした刃を抜く必要などなかった」
「……悪いのは全部コーディネーターで、自分たちは何も悪くないってなら、お前たちも同罪だ!」
「許しなど望みません。慈悲など乞いません。我らは決めたのですから。幾重にも積み、重ねた屍の上に世界を正しきあり方に戻すのだと」
傲慢にして不遜。悪辣にして猛毒。悪魔と呼ぶにはまだ足りず、神を名乗るには騙りでしかない。まさに魔王か。
ディアッカは動けなかった。どう思い描いても自分がエインセル・ハンターを刺し貫く映像が見えてこない。アイリスは動かなかった。聞きたいことはたくさんあった。言いたいこともたくさんあった。それでも、口は震えて、一言一言を着実に、絞り出すような声しか出てはくれない。
「たくさんの人を殺して、たくさんの人を悲しませて、それでどんな世界が訪れるって言うんですか……?」
「私は理想郷を築きたいのではありません。世界をあるべき形に戻したいだけなのです。かつて、ユニウス・セブンを焦土と化したあの日に誓い合ったように」
「おいおい、こっちは対艦装備なんだぞ」
降り注ぐビームを後ろへと飛び退きながらかわす。その動きの最中、ZZ-X100GAガンダムシュテュルメントはリボルバーからコードを切り離し、保持していた大型ライフルを投げ捨てた。捨てられた銃身は即座に撃ち抜かれ、大きく膨れ上がった爆発に飲み込まれる。武器を失ったシュツルメントへと、カガリ・ユラ・アスハは襲い掛かる。
「エインセル・ハンターでないのが残念だが、地獄の底でお父様に詫びろムルタ・アズラエル!」
赤い装甲を持つストライクガンダム。その手にはビーム・ライフルにガトリング・ガン。バック・パックの2門のキャノン砲から高速弾が発射される。月面次々と派手な爆発が引き起こされる。全身を輝かせながら滑空するシュテュルメント。赤銅のガンダムが通り過ぎた後を火線が追いかける。爆発が列となって続いていた。
シュツルメントのムウ・ラ・フラガは余裕を持ってさえいる。
「ウズミ・ナラ・アスハが亡くなったのはプラントの破壊工作だろ」
「貴様等がオーブを侵略しさえしなければ誰も死なずにすんだ。その罪、万死に値する!」
カガリ・ユラ・アスハは思い切った決断を見せた。ビーム・ライフルを投げ捨て代わりにビーム・サーベルを抜く。重武装のバック・パックが生み出す推進力に任せ、一気にシュツルメントへと肉薄する。
「相手してやるか」
腰からビーム・サーベルを抜き放つ。流れるような自然な動作でシュテュルメントはストライクルージュの剣撃を受け止めた。叩きつける勢いすべてを受け止める。漏出したビームが無為に弾けた。
まるで攻撃が通る気配がない。焦りがカガリを突き動かす。ルージュの左腕に装備されたシュテュルメントの顔面へと向けて突き出す。マズル・フラッシュの瞬きが弾ける。かわすことのできる距離ではない。しかし硝煙が晴れた時、そこにシュテュルメントの姿はなかった。すり抜けたようにルージュの後ろへと回り込んでいた。
カガリの背筋を死の気配が撫でた。しかし反撃はない。手加減された。この事実はカガリに安堵よりも怒りを呼び起こす。
「見くびるな!」
振り向きざまに振られるルージュのビーム・サーベル。陳腐な演舞でも見せられているかのようにサーベルはかすることもなく、シュテュルメントはさらにルージュの後ろへと移動している。
「貴様!」
再び同じ攻撃を。しかし外すことさえ許されなかった。振り抜くはずの腕がシュテュルメントの蹴りに正確に打ち抜かれた。手を離れたビーム・サーベルが回転しながら落ちていく。カガリはひとまず距離を開けるほかなかった。シュツルメントからの追撃はなかった。ZGMF-X09Aジャスティスガンダム、イザーク・ジュールからの援護攻撃であったのだ。上空から飛来したビームがシュツルメントを追い立てた。
「カガリ、熱くなるな。そんなことでムルタ・アズラエルに勝てると思っているのか?」
ミノフスキー・クラフト特有の滑るようななめらかな動きでシュツルメントは移動する。ストライクルージュのバック・パックにはミノフスキー・クラフトは搭載されていない。全身を輝かせるジャスティスにしても、パイロットであるイザーク自身まだその推進方法に熟達しているわけではなかった。
2人がかり、ガンダム2機の力をもってしても、ムウ・ラ・フラガの軽口一つ潰すことはできないでいる。
「復讐という料理は冷まして食べろという言葉を知らないのか? カガリだったな。これまでに男と寝たことはあるか? もちろん、やらしい意味でな」
「な、何を言っている!?」
ガンダム同士を繋ぐ回線は必ずしも映像を伴うことはない。それでさえ、カガリが顔を赤くしていることなど誰にでもわかるだろう。通信は、ムウが笑ったように息を吹いた様子さえ拾っていた。
「それと同じだろう。一時の迷いでことに及んで、いざ満足しちまえば途端に虚しくなることもある。どうしてあの時、自分は冷静に判断することができなかったのだろう。今なら我慢することだってできるはずなのにってな」
「もっとましな例えはないのか、馬鹿者!」
バック・パックの2門のロケット砲。右腕のビーム・ライフル。左腕にはガトリング・ガン。ストライクルージュのすべての火力を一斉に解放した攻撃は月面に巨大な火煙をあげ、シュテュルメントを猛追する。そして、当然のように命中することなく、先に息を切らせたのはカガリの方であった。崩された月の大地が何ともむごい有様を醸し出していた。風のない月面。宇宙飛行士の残した足跡は何十年も残り続ける、そう言われていたのはすでに200年以上も前のことである。
興奮しすぎたため息が荒い。カガリは呼吸を整え、追撃に打って出ようとする。その時、ストライクルージュが向かうはずであった方向を横切ってビームが通り過ぎた。決してルージュに命中させることを狙ったようには思われない攻撃は、しかしシュテュルメントから放たれたものではない。横にいるジャスティスからのものであった。
「裏切るのか、イザーク!?」
「勘違いするな。俺は聞きたいことがあるだけだ。ムウ・ラ・フラガだったな。貴様になら答えられるか? シホ・ハーネンフース、カナード・パルスは何故祖国を裏切った?」
イザークがルージュの動きを封じ、シュテュルメントもまた動きを鈍らせた。気づかぬうちに3機のガンダムはグラナダ上空を離れた地域にまで移動していた。遠くではグラナダから出撃し、展開を始めた船団の誘導灯の明かりが散見される。
無意味に回転して見せるシュツルメント。無意味ではあるが、生半可な技量では再現できぬ動きであった。
「地球につくかプラントつくか。それがそんなに大きな違いか? 気に入らない。憎らしい。殺してしまいたい。そんな剥き出しの感情のまま暴力と暴威をもって他人の権利を侵害する。それが戦争だ。プラントのしていることもお前たちが野蛮と唾棄する地球と何も変わってないだろ。それどころか、お前たちは善人で、俺たちは悪人だ。当然だが、悪人は善人よりも何倍も優れてる」
普段ならば気さくだとか大らかとも受け止められるムウの声は、ここでは軽薄であり、嘲笑を含んだもののように聞こえていた。そして、ガンダムという力の衣を纏い、悪意は絶対の死を携えて訪れる。このガンダムを死神と誰かが呼んでいた。
「悪人はいい。自分のしていることが悪いことだっていう自覚があるからな。場合によっては省みることもできる。手加減を加えることもできるだろう。ところが善人ってのは厄介だ。自分のしていることが正しいと思いこんでるもんだからやることなすこと手加減なし。おまけに反省だってしない。人類の未来、新しい人の可能性。独立戦争。正当な権利の主張。敵討ち。裏切り者の制裁。お前たちは善で、俺たちは悪だ。だから、俺たちは戦うことができる。己の悪と向き合い、正義とは何かを探しながらな」
「私は貴様等のように私利私欲だけで動いているわけじゃない!」
「それがまずいんだよ、カガリ。目的が行動を正当化することなんてない。あるとすればそれはテロリズムの発想だ。俺たちとお前たちのしていることなんて大差ない。あるとすれば、自分のしていることを善と考えるか悪だと覚悟しているかの違いじゃないのか?」
ともに戦争をしている。理想に燃えた正義の軍隊と欲にまみれた悪の軍団。正義と悪の戦争はこれまで幾度となく繰り返されてきた。それこそ、実際に起きた戦争のちょうど倍の数だけ。どのような専断的な独裁国家でさえ、自分たちを悪だと認めることは不思議とないものだ。
「ジョージ・グレンを思い出すな。あいつもそうだった。自分の正義を信じ、疑うことさえなかった」
プラント最高評議会議員の息子とは言え、ただのコーディネーターであるイザークは素直に驚きを表現した。
「ジョージ・グレンに会ったことがあるのか……?」
「10年前の話だ。ユニウス・セブンで出会ったことがある」
ジョージ・グレンは10年前に死んでいる。ユニウス・セブンで、血のバレンタイン事件に巻き込まれて。それはブルー・コスモスによって引き起こされた。
「ジョージ・グレンを殺したのはこの俺だからな」
どちらから攻撃するでもなくて睨み合うキラとクルーゼ。オーベルテューレとトロイメント。この無手の鍔迫り合いとも言うべき対峙を解消させたのはトロイメントへと放たれた一筋のビームであった。もはや当然のようにビームはトロイメントをすり抜け、月面を深くえぐる。
「ラウ・ル・クルーゼ、あなた、あなただけは!」
ZGMF-X10Aフリーダムガンダムが急降下を続けていた。さらに放たれるビーム。それがまるで効果がないとわかるや、フリーダムは躊躇なくライフルを投げ捨てた。ビーム・サーベルを抜き放ち、降下する勢いのまま、トロイメントへと斬りかかる。フリーダムの勢い、振り下ろされるサーベル。両者を同時に受け止めたトロイメントのサーベルから弾けたビームがスパークとなって周囲で輝く。
「ラウ・ル・クルーゼ!」
さらに剣を押し込もうとするフリーダム。弾けるビームの量こそ増えたが、トロイメントは揺るぐことはない。そして、フリーダムを横から叩きつける力が攻撃そのものを中断させる。オーベルテューレ、キラがアスランを体当たりで突き飛ばす形でトロイメントから引き離す。フェイズシフト・アーマー同士が接触したことで光の粒子が撒き散らされる。
「やめろアスラン! ゼフィランサスが乗ってるんだ!」
「今ここでこいつを倒さなければもっと多くの人が犠牲になる!」
フリーダムの押しつけるような蹴りはオーベルテューレを引き離すように突き飛ばす。しかしオーベルテューレはそれでもなお食らいつく。
「100人を救うためなら1人を殺すことも許されるっていうのか!?」
「邪魔をするな、俺はクルーゼを討つ!」
フリーダムはついにはそのサーベルでオーベルテューレを攻撃する。オーベルテューレはシールドでサーベルを受け止める。表面が即座に融解を始め、爛れた傷が一筋、シールドに刻まれる。
「ゼフィランサスを傷つけることは許さない!」
次に蹴りを放ったのはオーベルテューレ。フリーダムはもたらされた衝撃に体勢を崩す。しかしアスランは猛る勢いに任せてサーベルを突き出す。
「ふざけるな。個人的な都合で世界を危険にさらすのか!?」
「乗っているのがラクスでも、君は同じように引き金を引けるのか!?」
キラはライフルの銃口をフリーダムへと向け返す。サーベルとライフル。それぞれの切っ先が互いの顔へと向けられていた。どちらも動かず、動けない。
「君にとって大切なのはゼフィランサスじゃなくてプラントで、正確にはラクスのいるプラントなんだろ。エゴを救世に置き換えるな!」
「プラントにいるのがゼフィランサスで、あのガンダムに乗っているのがラクスだとすれば、お前だってあいつを撃つだろう、キラ!」
「そしてアスランは全力で僕を止めようとする。今の僕みたいにね!」
月面グラナダ。ここが戦略的要所であることは子どもでも理解できる。プラントの存在する月面裏側のラグランジュ・ポイントへの玄関口であり、地球軍にとってはここさえ落とせば後はプラント本国との戦闘に集中することができる。後は反対の話だ。防衛にさえ成功できれば、玄関口は閉ざされ、プラント本国の守りはより堅牢となる。
今や遅しと出撃の出番を待つナスカ級の格納庫の中で、出撃準備を待つジンが並べられている。これは、そのコクピットの中の出来事である。
ラスティ・マッケンジー--フレイ、アーノルドと一悶着起こした部隊の隊長である--は白いノーマル・スーツを着込み、すでに出撃の準備を整えていた。ヘルメットはまだかぶっていない。通信はブリッジと繋がっている。
「敵本隊は?」
「戦艦、総数で約30」
「約?」
「すいません。バルーンが展開していて、正確な数が掴めません」
ミノフスキー粒子の影響でレーダーの精度は極端に低下している。こんな子ども騙し--以前から風船で兵器の数をごまかすというのはよく行われていたそうだが--でさえ使い方次第ということだ。
「そうか。だが、グラナダを30とはどういうことだ? 奴ら、本気で攻めるつもりがないのか?」
ほとんど独り言であった。
グラナダには2個師団相当の戦力が常時駐在している。現在の戦場でモビル・スーツが絶大な戦力である事実だけは地球軍がモビル・スーツを持とうと変わることはない。地球軍に空母として運用できる戦艦がまだ不足していることを鑑みると30隻すべてにモビル・スーツが搭載されているとは考えにくい。戦力を惜しんで部隊を分けたか。そうであればグラナダ有利な状況であると言えた。小出しにされた戦力を各個撃破し時間を稼ぎながら敵戦力を削ることができる。
どうやら、部下も同じ意見を抱いていたらしい。
「なめられたもんですね、ラスティ隊長」
アーク・エンジェルのクルーと騒動を起こす切っ掛けを作った奴だ。お調子者でたびたび騒動を起こす奴だが、兵士としての質は隊長であるラスティが保証しよう。素行を除いて、だが。
「アーク・エンジェルはすでに出撃している。無様な真似を見せたくないなら殊勲を挙げて見せろ!」
部下たちの了解の返事を聞きながら、ラスティはヘルメットをかぶる。
(ここで稼ぐ1秒がプラント国民の血の1滴か……)
仇討ちだとか侵略よりもよほど軍人としての矜持を抱かせてくれる戦いになりそうだ。
とあるローラシア級の格納庫。ラスティの部隊とは異なり、ジンが雑多に押し込まれている。質よりも数。この言葉をそのまま体言するかのように、多くの機体が並べられ、新兵がパイロットを務めている。
数は多い。しかし交わされる通信はラスティの部隊とは比べものにならないほどに少ない。皆無と言ってよい。誰もがコクピットという自分の城に立てこもっていた。出航を控え動き出す母艦を揺るがす振動。こんな慣れたはずのことにさえ心臓の鼓動を早めていた。
リョウト・シモンズも例外ではない。妙な揺れが発生する度、攻撃でもされたのではないかと体がどうしても強ばってしまう。まだ、母艦は発進さえしていないのだ。
こんな時、リョウトは首から下げた認識票--死体が損壊がひどい時や、輸血の必要がある時に必要になる--を手で強く握りしめた。ここには街で偶然見かけた英雄、アスラン・ザラとイザーク・ジュールに無理に頼み込んでもらったサインが書かれている。本当は規律に違反しているのだろうけど、肌身はなさず持っていられるものなんてこれくらいしかなかった。英雄たちも同じ戦場で戦ってる。このことを思うだけで勇気をもらえる気がした。
急に通信が繋がった。相手は、英雄と出会った時に同じテーブルを仲間と一緒に囲んでいた少女。
「アスランさんたちに会えてよかったよね。やっぱり、エースは違うよ」
「リョウト……」
モニターに映る少女はとても不安そうな顔をしていた。おかしい。何かを言おうとして通信を繋いだはずなのに、言いたいことを忘れて、つい少女の不安を取り除こうと必死になってしまった。
「大丈夫だよ、僕たちだってしっかり訓練は受けてる。それに、ここにはアスランさんやイザークさんもいるんだ。何とかなるよ」
リュウトは少女と、そして自分にそう言い聞かせる。まもなくして出航を告げる通信があった。重たいはずの戦艦が徐々に動き出して、体が後ろに引っ張られる感覚があった。戦いがまもなく始まろうとしている。
「大丈夫だからさ。だから行こう。僕たちも」
リョウトの友人である少年は母艦が加速している中写真を手にしていた。アスランたちのことに真っ先に気づいた彼は、同時に何かに気を取られると周囲が見えにくくなる。実際、アスランを見つけた時もそっちばかりが気になって仲間の話をまるで聞いていなかった。それはここでも発揮されている。写真を眺めることに集中しすぎて、コクピットのモニターが表示されていることに気づくことが遅れてしまった。
モニターには、何かと大仰な仲間があった。この彼も同じテーブルにいた。たしかリョウトにびしびしとひしひしの間違いを指摘されていただろうか。こんなくだらないことばかり覚えている。
「何だ、ペットの写真か?」
「そんな訳ないでしょう」
「じゃあ、彼女かよ?」
わざわざ見せる必要もない。写真にはプラント本国の家を背景として、父と母、妹の姿が写っているだけである。
「……家族の写真ですよ」
モニターの向こうの彼はにやついた顔を崩そうとしない。
「何か文句ありますか?」
代わりに写真をモニター一杯に見せつけてきた。どこかの工場なのだろうか。横倒しにされた鉄筋の上に男性ばかり5人が写っていた。その中の1人が彼で、年輩の男性が父親、残りは兄弟なのだろう。みんなどうにも弾けた様子で笑っている。彼がどうしてこんな性格になったのか、これでわかった気がする。
「俺も女とは別れたばかりでな。まあ、断末魔がママ~ってのだけはやめとけ」
理解はできそうにないけれど。
ZGMF-515シグー。ジンに比べると、全体的に細身の印象を受けるこの機体は、生産コストの関係上、主に隊長機として運用されている。このかつての高性能機は白に近い灰色を体色としているが、現在グラナダに展開されている機体の中には、完全な白で染められた機体があった。
純粋な白で包まれたそれは、他の多数のシグーによって取り囲まれ、よりその白さを引き立たせていた。高級機--ガンダムほどではないが--として知られるシグーによってのみ構成される1個中隊。その隊長機たる白。漆黒の空をそれこそ月によって月面状に切り取られる光景を背景に、ただ唯一浮かぶ白。この構図を、戦争に関わるすべての者は知っている。ホワイト・ファング。汚れない白の牙の名を冠せられるエース・パイロット。そしてその部隊なのである。
「さて、今回はどれほど弾が必要かしらね?」
一度たりとも発砲したことがない。それゆえ血で汚れぬ牙と呼ばれるアイシャは、鼻歌交じりにつぶやいた。
その様子は逃亡犯であるゼフィランサス・ズールをそうとしりながら自宅に招いた際と何ら変わることはない。自分のしたいことをし、自分のしたいように考える。
敵はプラントの国力、少なく見積もっても10倍と言われる地球軍である。現在グラナダを目指す戦力は約30。仮にこれですべてだとしても、総戦力にはほど遠い。パトリック・ザラ議長は殲滅戦のように吹聴しているが、プラントの国力で地球を攻め滅ぼすことはどだい無理な話なのだ。できるとすれば、どこかで戦争をやめさせること。
ザラ議長はなかなか首を縦には振らないだろう。地球もどこまで交渉に応じてくれることか。ならせめて時間を稼ぐ。議長がその石頭を柔らかくするまで、地球の人たちがプラントの声を聞いてくれるまで。
「逃げる訳にはいかないでしょ、ゼフィランサス」
国と仲間を守る。それが、今したいこと。
迫り来る地球軍の艦隊。グラナダを発したザフト軍の戦艦は隊列を組み、モビル・スーツを吐き出し、迎え撃たんとその準備を着々と進めていた。
グラナダ。月面のこの基地は要所である。プラントには本国を守る事実上の最後の要塞である。4年前、かつて地球軍を圧倒し、月にプラントの国旗を打ち立てた。それはかつて月面に始めて足をつけたアームストロングほどの偉業だとプラントは沸いた。かつては宇宙服に身を包んだ男が、現代はモビル・スーツが巨大な旗を持ち月面に立つ姿は街中に張り出されたほどだ。まさにザフトの力の象徴であり、ザフトが初めて大地に得た占領地。それこそがグラナダであった。
地球にとって、それは屈辱であった。国力差は小さく見積もっても10倍。当初圧勝に終わると考えられていた戦争は勝利どころか敗退に次ぐ敗退。グラナダを失ったことは地球軍の劣性を決定づけた。戦略を語るなら、月ほど適した橋頭堡は存在しない。プラントへと攻め上がるための礎に、反攻の象徴としての生け贄としてこれほど適した場所は他にない。奪われたものは、奪い返す。
戦争のすべてがそれに起因するように、両者はともに譲れないものを持つ。認めることができないからこそ、戦争は引き起こされる。
展開する両軍。月は、激戦の予感に打ち震えた。
奇妙な光景だと白状せざるを得ない。ナタル・バジルールにとって母国の戦艦と戦うことはこれで2度目のことだ。とは言え、横に敵の戦艦が、正面にかつての味方の戦艦が並ぶ光景は違和感を禁じ得ないものであった。
さて、どのように戦おうか。ザフトとの連携はまだ十分に機能しない危険性があった。地球軍の艦船と戦うことはザフトを相手にしている時とは趣が異なるものだ。艦長席の上で眉間にしわを寄せるナタルへと、クルーであるアサギ・コードウェルの声が聞こえた。
「軍本部より撤退命令です!」
額のしわがよりすぎて目が細くなったほどだ。
「確かなのか?」
「はい、間違いありません!」
確かに手元の端末には撤退命令の詳細が表示されている。グラナダの防衛を外れ、ボアズに迎えとする指示だ。それもどうやら、防衛隊全体ではなく少なくともわかる範囲ではこの部隊だけのようだ。いざ戦いが始まるという時にどういうことなのだろうか。しかし命令は確かに出ている。迷うにしよ、まずは行動を起こしてからにすべきだろう。
「フレイ、取り舵一杯。船団から離れる」
フレイは了解も復唱もなく--まだ兵士としての自覚が足りていない--舵を大きく動かし始めた。アーク・エンジェルが傾き、船団とは離れた方へと移動を始める。ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世--普段副艦長として出しゃばったことはしない彼でさえ--が落ち着きをなくしたように椅子を回してナタルの方を見た。
「どういうことでしょう? 我々の部隊だけのようです、撤退命令は」
わかるはずがない。戦力を温存しておきたいと考えることが自然だが、それが今のタイミングという理由がわからない。グラナダの放棄を決めた訳ではないようだ。アーク・エンジェルが次第に戦場から遠ざかっていく中、ザフトの船団は地球軍との決戦に備えて進行を続けている。
戦いの音が聞こえ始める--月に大気はないが--のはまもなくだろう。音のない宇宙において、それでも何かが弾けたような音がした。途端に鳴動に振動にアーク・エンジェルが震える。直撃を受けたような激しい振動に、席に掴まり、ナタルは歯を食いしばって耐える必要があった。操舵手として立っているフレイは舵にしがみつく必要があったほどの揺れであった。
「一体何事か!?」
「電磁パルス計測。通信途絶! 連絡取れません!」
「ザフト軍、損害甚大です! 被害の全容、把握しきれません!」
「第二波来ます!」
再びアーク・エンジェルを揺らす衝撃。身構えていたはずのクルーたちの中から悲鳴があがる。すぐそこで起きた圧倒的な事実に心を食らいつく尽くされていた。
「核を使ったのか……?」
はじめは一つの光の玉。それが途端にいくつも浮かんで、葡萄の房のように、無限に増殖し宿主のすべてを喰らい尽くす癌細胞のように一斉に広がった。この光の玉の中に、ザフトの船団は消えていった。
計測される電磁パルス。衝撃波が月の砂を浮かび上がらせ、怯えた砂々が一斉に逃げ出し始めたかのように光の遠くへ遠くへ衝撃波が駆け抜けていった。核が使用されたのだ。人類史上、今から250年以上も前に2度だけ戦争で使用されたことを最後に兵器として使われることがなかった核が。
アスラン・ザラはグラナダから遠く離れた場所で、漂うフリーダムガンダムのその中で、かぶったままのヘルメットを強く抱え込んだ。指が、堅いヘルメットを砕いてしまわんばかりに。
「何故だ……、何故こんなことが平然とできる!」
「あそこには、大勢の人が生きていたんだぞ。たくさんの人生があったんだぞ……」
カガリの言葉を聞く者はいない。
そばに漂うジャスティスガンダム、そのパイロットであるイザークでさえ、膨大な光が仲間たちのことを呑み込んでいく光景に言葉を失っていた。ムウ・ラ・フラガは、ガンダムシュテュルメントはすでに姿を消している。
毒の光にすべてが蝕まれる世界を残して。
ロッソイージスを脇から抱えるようにネロブリッツが飛行している。光の戦場から背を向けるように、直前に戦場を脱出した母艦に向かうために。その姿は、泣きじゃくる少女を抱える少年そのものであった。
「泣くなよ、アイリス……」
「みんな死んでいく。死にたくない……。殺したくない……、でも……、でも……、嫌だよぉ……」
グラナダ陥落。このあまりに早い侵略劇は、プロローグとしては数多の観客に不満と悲憤を抱かせたまま、フィナーレへと急速に加速を始めていた。
これを戦争と呼んでいいのだろうか。錆び付いた銃底を支え、塹壕に降り注ぐ雨に傷口を腐らせながらナイフ1本で敵を切り裂く。そんな戦場を期待している訳ではない。しかし、マリュー・ラミアスを納得させるものは、今目に見えるものには何ら含まれてはなどいない。ここ、アーク・エンジェル級2番艦ドミニオンの艦長席からは。月面に、戦場を遠くに臨む漆黒の大天使。これこそがマリュー・ラミアス少佐の艦長として任された戦艦であった。
艦長として、マリューはモビル・スーツ部隊の隊長を出迎えた。構造上、艦長席の後ろから回り込むように男はブリッジに姿を現した。すでに軍服に着替えている。大佐の階級章がつけられた大西洋連邦軍の制服に袖を通す姿には未だに見慣れることができない。ザフト軍もまた白い制服が存在するのだ。男はサングラスにその素顔を隠しながらマリューへと向き直る。
「戦況は?」
「ピース・メーカー隊はメビウスが7機撃墜されましたが大戦果です、クルーゼ大佐」
こう答えるしかないではないか。マリューは軍人であり、相手は上官である。
続いてブリッジには同じく白の軍服を着た男性。袖をまくり上げているその姿には見覚えがある。違和感がないことに違和感があった。
「本当に艦長につけたんだな」
「彼女はアーク・エンジェルの艦長を勤め上げた。同型艦の艦長には適任と思うが?」
「フラガ、大佐……」
これが2人目の名前である。かつてアーク・エンジェルで戦いをともにし、アフリカでの戦いで行方知れずとなった大尉である。
「色々複雑だとは思うが、よろしくな」
その砕けた様子だけはかつてと何も変わらない。こんなおどけた表情のその奥で恐ろしいははかりごとをしていた以上、もはや信用できることが信用におけない。
「鉛玉が核に比べて人道的な兵器であるとは言いません……。ですが、あなた方のしていることは開き直りとしか思われません。誰もが悪事を働いているなら、自分たちがなすことも構わないと言っているようにしか聞こえません……」
上官非服従で懲罰房行きだろうか。かつてフレイ・アルスターに懲罰を命じた時のことが自然、思い出される。しかし、彼らは一切不満な様子を見せることはなかった。それは新たな3人目の男も変わらない。
「それでよいのです。我々は否定されなければならないのですから、すべてから、誰からも」
現れた男エインセル・ハンターもまた同じであった。白い軍服を身につけ、身分を偽り、柔らかい髪質の金髪に青い瞳。並んでみると、ムウ・ラ・フラガ、ラウ・ル・クルーゼ、エインセル・ハンターは驚くほどよく似ていた。そして彼らはそろって、一切の呵責に見舞われている様子は見せなかった。
何もない部屋である。ただし、それも過去の出来事。ここはプラント国防委員長がその席を構える部屋である。普段は広い部屋、その中央に1対の机と椅子が並んでいるだけである。しかし、現在は有事。かつてユーリ・アマルフィにプレア・ニコルの封印を解くことを打診したこの部屋は一変していた。確保されていたスペースには机から椅子から膨大な資料、そして機材に人材がひしめいている。ザフト軍総司令部としての地位と機能を与えられているのである。
部屋の中央でいかめしい顔をさらに険しくしているのはパトリック・ザラ国防委員長。委員長のみが座ることを許された椅子に腰掛け、その目線はまっすぐ前へ、同じ高さに向いているそれは、このプラント最高評議会議長をも兼任するパトリックを前に座ることを許された者と対面していることを意味する。
人々がかけずり回り、時には怒声さえ聞こえる。だが、それでもパトリック・ザラと対峙する男の声は異常なほどに通って聞こえた。
「パトリック、私と君は手段が異なるだけで目的は共通している。違うかな?」
「私は無知蒙昧なナチュラルどもに鉄槌を下すことを目的としている」
「君とレノア君は仲睦まじい夫婦だった」
厳しい顔をしたまま、、パトリックは機会を得たとばかりに机を叩く。グラナダの陥落。ユニウス・セブンで命を落とした妻のことを引き合いだされたことで、パトリック議長は耐えるということをやめた。
「私が私怨で動いていると!」
「それがすべてとは言わない。だが君は、コーディネーターの偉大さを認めようとしないナチュラル。コーディネーターの優位性から目をそらし続けるナチュラル。その極地が、あの事件だと考えているのだろう?」
相手は何ら声音を変えようとしない。パトリックは渋々と机に乗りだしかけたその体を椅子へと戻す。もっとも、腹の底は煮えくり返っている。血のバレンタイン事件。妻の命を奪い、自身の身さえ危うくされて事件のことをいつまでも聞かされたい訳ではないのだ。そんなことは関係ない。今問題とすべきことはグラナダ陥落。この一報に尽きる。
「グラナダで奴らは核を使った。滅ぼさねば滅ぼされる。それだけのことだ!」
「この戦争は始めるべきでなかった。しかし、いくつもの不幸が重なってしまった。血のバレンタインでは民は嘆き悲しみ、その怒りを抑えるためにはニュートロン・ジャマーの降下に踏み切らざるを得なかった。そうすれば当然戦争だ。私としてはプラントの民に地球に降りてなどして欲しくはなかった」
「あなたのお考えはわかる。だが、この戦争、ただ相手を滅ぼせばよいのではない。コーディネーターこそが新たなる支配者であることを示さなければならない。ナチュラルどもに認めさせてこその勝利なのだ!」
有権者にその力強さを印象づけてきた議長の言葉も、かつての議長、相手にはまるで通用する様子を見せない。相手は首を回す。
「かの神祖ジョージ・グレンはコーディネーターだけの世界を作りたかったわけではないのだよ。ただ、ナチュラルもコーディネーターもともに手を取り合い、分け隔てなく誰もが正当に評価される世界を築きたかったにすぎない」
そして、杖を鳴らす音。
「私はいつも考える。戦争なんて起きなければ、和平交渉が結実していたなら誰も死なずに、そうでなかったとしても最小限の犠牲で、2度と戦争の起こることのない平和を築くことができたのだとね」
「絵空事だ」
「現実だ。決してあり得ない話ではないよ。我々はそんな世界のために、それこそ1000年にわたって戦ってきたのだからね。レノア君とはよく夢を語らった。君とも、いずれは語らえることを願っているよ、パトリック」
不機嫌な議長を残して、男はその部屋を後にした。杖をつつき、しかし杖を必要としているような弱々しい足運びではない。暗い廊下を踏みしめる足はしっかりと、その柔和な微笑みを浮かべた顔は、しかしその表情をいつまでも維持しているということにおいて強ささえ漂わせた。
「ラクス、いるかい?」
「はい、お父様」
忠実な娘は、まるで闇の中から命じられるまま染み出したかのように姿を現す。桃色の髪を揺らしながら、父の適度な後ろを適度に歩幅をあわせて歩いている。
「グラナダが落ちたそうだ。そうなると、本国の守りはボアズ、ヤキン・ドゥーエしか残されていない。何か妙案はないかな? 敵を撃退する必要なんてないんだ。ただ、ちょっとの時間が欲しい。できるだけ既存の戦力を削らずに、それでいて敵の足を止められる。そんな作戦はないものかな?」
その表情はわがままな子どものように屈託ない。
「もしもあるなら、私はその時間を戦争を終わらせるために使うつもりだよ」
「一つ、ございます。お耳を拝借してもよろしいでしょうか?」
足を止め、身を屈める。すると娘は、至高の娘はそっと父の耳元で囁いた。
「それはいい考えだ。君には期待しているよ、ラクス」
「お任せください、お父様。ヴァーリは、決してあなたを裏切りませんもの」
Gのヴァーリでありダムゼル、ラクス・クラインは再び廊下の闇に消えていく。残されたのは男が1人。シーゲル・クライン。男は闇の中を1人、決して微笑みを絶やすことなく歩んでいく。
イザークは難しい顔をしていた。腕を組んで宙を漂っているが、武人であるイザークは戦術のことを考えることはあるかもしれない。しかし戦略を構築するような高等なことはしないだろう。カガリはそんな失礼なことを考えながら、自分は壁に備え付けの椅子に座っていた。もう、月の重力圏からは離れてしまっている。本来カガリはアーク・エンジェルに戻るべきなのだが、戦場を離脱する際、こちらの方が近いとイザーク、アスランの母艦であるナユカ級に乗り込んだ。
ここは休憩室だ。壁にはいくつかの椅子。スクリーンには森林の様子が投影され、それが壁一面を覆っている。見た目以上に部屋を広く見せていた。イザークはそんな木々の間を漂っている。
「カガリ、1つ聞きたいことがある。ユニウス・セブンで何があった? 俺が知っている以上のことが、あそこで起きたんだろう?」
ムウ・ラ・フラガがジョージ・グレンを殺した。その言葉を気にしているのだろう。
「トップ・シークレットだ」
「ヴァーリのことは知っている。ミルラが話した」
「あいつ……、まったく」
少なくとも完全に無関係ではないらしい。口の軽いMのヴァーリ--ミルラの花言葉は真実だっただろうか、一体何の皮肉だ?--がいろいろ話している以上、ガンダムに乗っている以上、もはやイザークも無関係とはいかない。どこまで話してよいものか悩みながら、カガリは少しずつ話をする決意を固めつつあった。
「いいだろう。聞かせてやる。だが、他言はするな。約束できるか?」
イザークは頷きもせずカガリのことを見ていた。
「ユニウス・セブンは当時プラントが違法に食料生産、これは違法というのは地球側の意見だが、ともかく、食料生産を行っていたコロニーの一つだった。そのこと自体間違ってないが、作られていたのは食べ物ばかりじゃなかった。様々な人体研究が行われていた」
アーク・エンジェルのブリッジに、キラは久しぶりに足を踏み入れていた。パイロットとしてここでできることなんてないにも等しい。それでもここに来るつもりになったのは、目の前の少年に原因がある。ディアッカが不安そうとも神妙とも、落ち着きのない眼をキラへと向けていた。ディアッカばかりではない。フレイやナタル艦長にクルーたちもまた、キラに何かを期待するかのようにおのおのの場所から視線を送っている。
「キラ、ユニウス・セブンで何があった? アイリスのあの怯えよう、ただ怖いとは……、何か違う感じがした……」
戦闘中に取り乱したアイリスは現在は医務室に寝かされている。そう聞かされている。
「キラ、私からもお願い」
フレイもディアッカも、アイリスとは少なからず関係がある。そして、この場の全員がヴァーリという存在に関わりすぎた。引き返すことができないなら、いっそ突き進むことも手だろう。
「ファースト・コーディネーター、ジョージ・グレンは、国を持ちたがっていた。その理由はコーディネーターを守るためだとされているけど、それはおまけみたいなもので、実際は実験場が欲しかったからなんだ。当たり前だね。当時地球では人体への遺伝子操作や研究は禁じられていたし、そんな研究をしていれば倫理委員会が黙ってない。実際、ジョージ・グレンを作り出したのがどこで誰なのかも現在では公表されていない」
それでも国さえ持てば主権を得られ、すべての国家と形式上は対等の関係となる。
「ユニウス・セブンはそんな研究を集中的に行っている場所だった。僕たちドミナントも、ヴァーリもそこで生まれたんだ。もちろん、ゼフィランサスやアイリスもね」
だからこその研究をブルー・コスモスにかぎつけられ、その標的とされた。
「僕たちはある意味では完成された試作品だったからモルモットみたいな扱いをされていた訳じゃない。でも施設の異常さを感じながら、C.E.61年、2月14日を迎えた。研究施設をブルー・コスモスが襲撃したんだ。このメンバーの中に、エインセル・ハンター、ラウ・ル・クルーゼ、ムウ・ラ・フラガはいた」