まだプレア・レヴェリーの吐息は荒い。残り少ない命が削り取られていくように胸が痛む。このまま潰れてしまうのではないかと危惧させるほどだ。機体に乗り込む際に銃撃されたことの緊張、無理な運動をしたことに心臓が抗議の声を上げているのだ。
それでも、プレア・レヴェリーは生きている。まだ生きている。
まだ若いプレアの体にはコクピットのシートは大きく思えた。試乗のためと無理を言ってフット・ペダルや操縦桿の位置を変更できるようにしてある。動かせるのだ。
プレアの小さな体には大きなシートに寝そべりながら--機体が寝かせられたままなので自然とこの姿勢になる--12桁のパスワードを打ち込むべくコンソールを叩く。特に意味のない文字の羅列が機体へと吸収されて、起動に成功する。
内部に光が灯り、コクピットの様子が露わになる。すると、プレアの体はシートごと浮いているような錯覚を覚えるほどだ。全天周囲モニターと呼ばれる、ザフトでも開発途上であるはずの新型のレイアウトである。機体が得た映像情報を自動で処理し、球形のコクピット内部に敷き詰められた全面モニターに投影する。すると、シートが空中に浮かんでいるように周囲の光景がそのまま表示される。
閉塞感なんてものはない。従来のコクピットとはまるで違う情報量をパイロットは自らの視覚で得ることができるのである。この機体は、ゼフィランサス・ズールとともに作り上げた機体は、何から何まで従来の技術とは一線を画している。
モニターには搭載されたOSの名称が表示される。プレアはその一語一句を丁寧に読み上げた。
「Generation Unsubdued Nuclear Drive Assault Module complex」
その開発者たるゼフィランサスへの敬愛を示すかのように。そして、この機体に授けられた名前を高らかに宣言する。
「ガンダム! ドレッドノート、僕に力を!」
波穏やかなヤラファス港は、突然の大荒れを見せた。タンカーが大きく揺られ、その振動が港内に波を巻き起こす。揺れるタンカーの屋根が突き破られ、中からモビル・スーツが起きあがった。
手足を白く、胴には鮮やかな青。ところどころに赤が配された色鮮やかな機体である。そのシルエットはザフト軍、大西洋連邦軍両者の特徴を兼ね備え、何より顔を持つ。デュアル・センサーに口を思わせる構造。額の角に見えるV字のブレード・アンテナ。それは確かにガンダムの顔をしていた。
右腕にはビーム・ライフル。左手にはシールド。勇ましくも神々しい戦士の彫像のように、それは立っていた。
YMF-X000Aドレッドノートガンダム。
ザフト軍における試作機につけられる便宜上つけられるYMF。実験機であるX。三つの新技術の実験機であることを示す三つの0。そして、禁断のA。
それは勇敢なる者と名付けられた。
届くかどうかもわからない果実に進んで手を伸ばす徒労を揶揄した言葉であった。誰もがこの機体が完成するとは考えていなかった。完成するはずもない機体に労力を浪費する、そんなことを進んで行える者はなんと勇敢なことであろう。
それは勇敢なる者を必要としている。
禁断のA。それは原子炉が搭載された機体であることを示している。人類がおそるおそる手を伸ばしたプロメテウスの火をその身に宿すこの機体は、あらゆる災いを友とする。人が手を出すには過ぎたる力の象徴である。
この機体の名はガンダムであり、そしてドレッドノート。ドレッドノートガンダム。
「起きあがってくるぞ。ライトで照らせ!」
カガリ・ユラ・アスハの指示の下、車に備え付けられたサーチ・ライトがタンカーを照らす。タンカーが軋み、揺れ、モビル・スーツが起きあがろうとしていた。天井部分を突き破り、姿を見せたのは何ともガンダムらしい顔をしたガンダムである。
しかし、動きは鈍い。聞けばプレア・レヴェリーは技術者であってテスト・パイロットではない。
ガンダムとて超兵器ではない。パイロットが素人なら如何様にも封じ込めることもできることだろう。オーブ軍の戦闘ヘリが到着し始めていた。上空から照らすサーチ・ライトが次々にドレッドノートへと殺到する。
その時のことだ。
ドレッドノートが、動かなかった指一本さえ動かすことはなかった。
それでも突風が吹き荒れ、タンカーの軋む音が響いた。サーチ・ライトのレンズが次々と砕け、カガリ自身、側近のレドニル・キサカ--大柄な男なのだ--が支えてくれなければ吹き飛ばされ転倒していたことだろう。
次々とライトの光が消えていく。それでも、そんなことを気にしている者など1人もいなかった。夜が再び暗さを取り戻す。それでさえ、ドレッドノートの姿がはっきりと見えていたのだ。
ドレッドノートガンダムの全身は、淡い輝きに包まれ、夜の闇の中でもその姿がはっきりと見えていた。その輝きを、カガリは知っている。フェイズシフト・アーマーがエネルギーを放出する際の発光現象と非常によく似ている。突如吹き荒れた突風はドレッドノートの方角から吹き続けている。この突風も、離陸時のダウン・バーストと似ているようにも思えた。
輝くことで風を起こす。そんな不可解な現象を、ドレッドノートが指一つ動かすことなく引き起こした。
暴風の中、まともに指示などとばせるはずがない。ドレッドノートの一挙手一投足を見逃すまいと意地で瞼を開いていると、この巨人の体はこともあろうに浮き始めた。空へとゆっくりと浮かび上がっていくのだ。
「何なんだ、こいつは……?」
スラスター出力で無理に飛び上がっているとも違う。明らかに体を浮かび上がらせて、ドレッドノートは空にその輝く姿をさらした。
翼もなく、航空力学を無視した形状のモビル・スーツが浮いている。それも光り輝きながら。
その周囲を漂う戦闘ヘリはミサイル・ランチャーを次々放つが、元々口径の小さなミサイルだ。ZGMF-1017ジン程度ならあたりどころによってっは十分な攻撃力を有するだろうが、ドレッドノートに命中したミサイルは無駄に煙を発生させているだけだ。白煙が晴れ渡る頃には再び淡い光が見え始め、無傷のガンダムが姿を現す。
「戦闘ヘリでガンダムと戦うにはまるで数が足りてないな。ゼフィランサス、光って空を飛ぶなんてどんな仕掛けだ?」
そう、ムウ・ラ・フラガはすぐ隣に座るゼフィランンサス・ズールに問いかけた。ムウは足を伸ばし、体を大きくそらした姿勢で見上げているが、ゼフィランサスは小さく座っている。広がるスカートに足が完全に隠れてしまうようなその座り方はまさに人形のようだ。
「ミノフスキー・クラフト・システム……。普段はミノフスキー・クラフトって呼んでるけど、モビル・スーツの新しい推進システム……」
「それはわかるが、どんな理屈だ、言っておくが、専門用語並べられてもわからないからな。簡単に頼む」
何か新しい推進機構が採用されていることはわかる。問題はその先だ。
ドレッドノートは空中で向きを変えると--アンバックでは説明のつかない動きだ--銃口を戦闘ヘリへと向ける。慌てたように横へと逃げるヘリへと、ドレッドノートはかまわずビームを放つ。直撃などしなかった。それでさえ、余波を受けたヘリは大きく軌道を曲げ、やがて爆発四散してしまう。
火力も大きく向上している。燃える破片となって落ちていく戦闘ヘリの姿を目で追いながら確認できたことだ。
もっとも、開発責任者であるゼフィランサスは特に感慨を見せていない。
「ミノフスキー粒子は電荷を帯びる性質がある……。だから同じ電荷同士のミノフスキー粒子を形成することは比較的容易……。Iフィールドって言う膜構造を形成して電波を捕まえて電波干渉を引き起こしたり……、フェイズシフト・アーマーの形成が可能になるの……」
「それはわかるんだが……、いやすまない。続けてくれ」
ゼフィランサスは無表情だが無感情ではなく、お喋りな面もある。とりあえず口を挟まない方が賢明だろう。
「でも、反対の電荷を持つミノフスキー粒子とは激しく反発して、とても大きな斥力を発生させる……。ミノフスキー・クラフトはミノフスキー粒子のそんな性質を利用したもの……」
「要するに、プラスのミノフスキー粒子の、Iフィールドだったか、膜にマイナスのミノフスキー粒子を近づけると互いに遠ざかるってことだな。まるで磁石だな」
「正確には違うけど基本的には同じこと……。そして、すべてのガンダムにはすでにIフィールドが用意されてるから……」
「どこに?」
ガンダムが電波干渉なんてしただろうか。結果的に口を挟む形になってしまったが、ゼフィランサスはどこか上機嫌に見えなくもない。ご自慢の技術を披露できると高揚しているのだろうか。ゼフィランサスにそんなことはあり得ないようにも思えるのだが、だとすると技術屋というものは男も女も大差ないのではないだろうか。
ゼフィランサスの指はまっすぐドレッドノートへと伸びた。
「装甲、そのもの……」
フェイズシフト・アーマーの表面にはミノフスキー粒子が並んでいる。そのミノフスキー粒子が衝撃を吸収し、攻撃のエネルギーを光として逃がす機構だからだ。
ガンダムの装甲はその表面がミノフスキー粒子の膜で覆われているということになる。
「装甲そのものが推進器ってことか?」
「うん……。だから装甲さえあれば機体をあらゆる方向に推進させることができるし、余剰推力も確保できる……。だから、もうガンダムは空を飛ぶことができるの……」
従来のようにスラスター出力で無理矢理体を押し上げているだけではない。ドレッドノートは軽やかに空を飛び、戦闘ヘリを次々に撃墜していく。あるものはビームで撃ち落とし、蹴りがヘリを押し潰す。
撃墜されたヘリが街の方へと流れていく。あれでは破片が多く街に降り注ぐことになってしまうことだろう。正規のパイロットでないプレアの放ったビームは流れ弾となって街へと落ちた。
「あのな、ゼフィランサス、俺たちはただ核動力搭載機さえ造ってくれればそれでよかったんだぞ」
ムウが気軽に戦闘を眺めているに対して、ゼフィランサスが表情を曇らせた。しかしムウはそれを無視し、戦いの様子を眺め続けた。
撃墜したヘリコプターの残骸が港中に散らばり、戦闘ヘリに搭載されていた武器弾薬が誘爆する形で港を燃やしていた。燃えるものなんてあまりなさそうな港の堅い岩盤の上にいくつもの火の塊ができあがっていた。
すべてプレアのしたことだ。
ドレッドノートを着地させる。起動良好。核動力、ミノフスキー・クラフトともに正常に稼働している。パイロットであるプレアはすでに息を切らせ、汗が止まらないというのに。
早く呼吸を整えなければならない。すでに決闘のための邪魔者はみんな片づけた。後は相手を待つだけなのだから。これから命のやりとりをしようとする相手は、プレアを待たせることはなかった。
GAT-X105ストライクガンダムが燃えさかる炎を裂いてドレッドノートの前に、プレアの前に歩み出た。ドレッドノートと似た配色に同じ顔を持つ機体。同じ母を持つガンダムなのだから。
武装はソード・ストライカー。巨大な剣を背負っている。データでは戦艦さえ轟沈させた装備らしい。キラ・ヤマトは約束を守ってくれた。全力でこんな子どもの決闘を受けてくれる。
「ありがとうございます、こんなことに付き合ってくれて」
ドレッドノートにはガンダムと交信を行うための専用回線が用意されていた。ゼフィランサスの遊び心なのだろう。
「そう自分を卑下することなんてないよ。僕だって、ゼフィランサスを他の誰かに渡したくない気持ちは同じだ」
「そんなんじゃありません。僕のしていることはただのごっこなんです。僕はコーディネーターです。でも、ただのコーディネーターじゃない。遺伝子を本来手を出してはいけない領域にまで調整された特異個体です。僕には生きていくことさえ難しい。こうしている間にも細胞のアポトーシスは進行しています。僕には時間がありません」
すぐこの場で死ぬとは思わない。それでも1年はきっともたない。だから戦う。戦いたい。病院のベッドの上ではなくて、血生臭い戦場の空気を目一杯吸い込んでみたかった。
プレアの手にはあまる大きさの操縦桿を握り、腕が震えていることに気づいた。緊張のしすぎだ。あがっている。それとも単純に疲れているだけだろうか。
何でもいい。ほんの10分、もってくれさえすれば。
「だからしてみたかった。女性と一緒にお祭りを歩いたり、こうして雌を巡って戦ってみたりだとか!」
視線入力。ロックオン・サイトがストライクを捉え、プレアが引き金を引くと同時に発射されたビームがストライクへと向かう。ほんの挨拶代わり。ストライクは教本のお手本のような見事な身のこなしでビームをかわすと、勢いを落とすことなく大剣を振りかぶった。ビームの刃が形成されるタイミングでサーベルが振り下ろされ、プレアもまた、サーベルを振り上げる。
シールドの底にあたる部分にビーム・サーベルの発振装置が仕込まれている。発生したビーム・サーベルを振り上げ、振り下ろされるストライクのサーベルと激突する。
生じたビームの火花があたりに飛び散る。
ドレッドノートは片腕でストライクのサーベルを支えていた。両手で振り下ろされた大剣を支えているのだ。ジェネレーターの総合出力がドレッドノートと旧式のストライクとでは倍近くも違うのだ。
「このドレッドノートにはニュートロン・ジャマーを無効化する装置が搭載されています。でも、それが卑怯だとは思いません。この力は、僕とゼフィランサスさんとで得た力だからです!」
押し返す。ストライクは体勢を崩したまま後ずさり、絶好の攻撃の機会が得られた。ライフルを放つ。完璧なタイミングで放たれたはずの攻撃は、それでもストライクを捉えることはできない。重心の移動が巧みで、キラはモビル・スーツをまるで自分の体のように動かした。ビームの射線上からストライクは逃れ、流れ弾となったビームはコンテナの山を吹き飛ばす。それだけでは飽きたらず港の施設を吹き飛ばす。
ビーム・ライフルは銃身の冷却とエネルギーの充填の関係上、一定間隔でしか連射はできない。一度撃ってかわされる度、わずか数秒のラグを焦った気持ちで待ちながらまた引き金を引く。ストライクは滑るような動きで横へ横へとかわしていく。技術畑のプレアでは想像もしなかったような動きで、どんなシミュレータもあんな動きは見せなかった。
(これがエースの動き……)
機体性能では圧倒的にプレアが有利であるはずなのに、余裕をもって感じられるのは相手の方。ただビームをばらまくしかできないプレアと違って、キラは確実に機会を待っていた。その機会がどのようなものなのかさえ、プレアにはわからなかった。
ストライクが突然前に出た。ビームの射線上。それでもストライクはビームをかわしてみせた。まるでビームを通り抜けたみたいに目を疑うような動きを見せて。
「うわあああぁぁー!」
立場は逆転していた。攻める側から攻められる側へ。ストライクが大剣を構え飛び込んでくる--ライフルはまだ発射できない--のを、ビーム・サーベルを強引に振りかざして防ごうとする。
ビーム・サーベルがビーム・サーベルによって受け止められる。ただ防がれたのではない。反撃にあっていた。ストライクは大剣を棒高跳びの要領で地面に突き立て、ドレッドノートのサーベルは大地に生えたビーム・サーベルを打っただけであった。ストライク本体はドレッドノートのすぐ目の前で飛び上がっていた。サーベルで体を支えたストライクから繰り出された蹴りはドレッドノートの顔面を強打する。激しい衝撃に突き飛ばされ、コンテナの壁に背中から叩きつけられる。コンテナが支えとなって倒れることなく踏みとどまることがせいぜいだった。
「ゼフィランサスに力をもらったのは君だけじゃない」
性能では圧倒的に不利であるはずのストライク。それでも体性を崩しているおはドレドノートであってストライクではない。幸いセンサーの類に損傷は見られない。モニターは鮮明で、ストライクの姿ははっきりと見えているのだから。
「この距離は、僕の間合いだ」
とても剣の届く距離ではないのに。
考えを改めよう。プレアはキラのすべてを超越したいわけはない。エース・パイロットと同じ土俵で戦ったところで勝てるはずもないのだから。技術屋には、技術屋の戦い方がある。
ドレッドノートの装甲が輝きを増し、生じた斥力はコンテナさえ吹き飛ばす。上空へと舞い上がったドレッドノートは、確かに飛行している。スラスター出力に頼って浮いているのではない。確かに飛行しているのだ。
「勝負はこれからです、キラさん!」
「ザフトの機体なのか……?」
ディアッカ・エルスマンはモビル・スーツに搭乗中であるにも関わらず惚けたようにモニターを見つめていた。光り輝く装甲を持つガンダム。それはところどころザフト軍の特徴を持つ機体であり、キラもプラントから持ち出された機体であると言っていた。
ZGMF-1017ジンは3年以上も前、地球降下を果たした当初、地球の重力に苦しめられ足の各関節に不具合が続発したそうだ。その後ジンオーカーへと改修されたことで足まわりが強化されたそうだが、それでも飛行なんてもっての他。結局、モビル・スーツは人型の重戦車のような戦い方しかできなかった。
それがどうだ。この機体は空を飛んでいる。空を悠々と飛び回っては上空からビームを降らせ続ける。さすがのストライクも空に逃げられては対処のしようがないのだろうか。危なげない回避ながら反撃の糸口は見いだせていないようだ。
ビームが落ちる度火柱があがり、突風が燃えさかる炎を助長する。ここがどのような港であったのか知る由もないが、貨物の積み卸しには使えない。卸した瞬間に燃え尽きてしまうことだろう。
こんな場所に生身の人間がいることは危険極まりない。キラに言われたのはゼフィランサスの救助であったが、モニターの人識別カーソル--元々は対歩兵用の装備だ--が捉えたのは、ごくふつうの男女であった。別にゴスロリでもなければ、アルビノでもない。同時に見覚えのある女がいた。女の方はフレイ・アスルター。助ける義務はないが、義理はどうかわからない。
倉庫と倉庫の間の狭い路地。うまく火からは逃れているがここから逃げだす切っ掛けも掴めないでいるらしい。
デュエルを近づけるなり屈ませる。元々デュエルは地球側の機体だ。フレイともう1人の男は特に警戒した様子を見せなかった。デュエルの左手--結局シールドは持ってこなかったためあいている--を差し出しながら、コクピット・ハッチを開いた。
「フレイだったな」
爆発音を意識して声は大きく出す必要があった。
「どうしてあんたが!?」
「詳しい話は後だ。キラに頼まれた」
フレイはわかりやすい反応でなかなかデュエルの手のひらに乗ろうとしない。無理もないが、ここは是が非でも信用してもらうしかない。
「こんなところでモビル・スーツ戦に巻き込まれるつもりか?」
まだフレイの方は悩んでいる様子だったが、男--何とも冴えない格好をしている--の方は決断したらしい。フレイの方を掴んで促すと、2人をデュエルの手に乗る。恋人にしては歳が離れているように見えるが、こんな状況でも冷静に判断しようとしているところから、男の方も軍人なのだろう。
デュエルの手をコクピットの前まで持ってくる。
「装甲には触れるな。モビル・スーツは廃熱の一部を装甲に蓄熱するからな」
手のひらはものを掴むために特殊な緩衝材が敷かれていることが常だが、迂闊に装甲に触れると火傷しかねない。
1組の男女は慎重な様子でデュエルへと乗り移った。コクピットは狭い。とりあえずシート後ろの隙間へと誘導するように手で示しておく。2人がシートの後ろに回り込んだところでハッチを閉める。
「ディアッカ・エルスマン、君が何故ここにいる?」
「ディアッカでいい。それに、俺もよくわかってない。それよりも、アイリスはどこだ? ここにいると聞いてるんだが」
炎のせいで探しにくいことこの上ない。サーモグラフィーを使ってもこの熱では満足に探せるかどうか。探すならば何か手がかりが必要であった。
男の方は知らないらしい。
「知らない……、アイリスのことなんて」
知らないなら知らないでかまわないのだが、フレイの言葉にはどこかやましい様子が現れていた。はっきりとせず、どこかぐずったような話し方だからだ。
「お前なあ……」
文句の一つでも言ってやろうかと振り向こうとした時だ。センサーに反応があった。どうやらロックオンされているらしい。モニターには、こちらにサーチ・ライトを向けている戦闘ヘリが映し出されていた。
「そこのモビル・スーツ、貴君の行動はオーブの主権を侵害している。ただちに武装を解除し……」
「ここは素直に言うこと聞いた方が正解か?」
戦闘ヘリとは言え、スラスターやセンサーを直撃されれば十分な脅威になる。アイリスを探しながらでは危険が大きすぎる。しかし命令に従っていればアイリスを探せない。
ディアッカが躊躇し先送りにした決断は、永遠に意味をなくしてしまった。突然戦闘ヘリが爆発し、レーダーには新たな機影が表示されていたからだ。
ZGMF-1017ジン。かつてディアッカもお世話になったザフト軍の主力モビル・スーツだ。はっきりとしないが、数はだいたい3機ほど。夜空からスラスターを頼りにゆっくりと降下してきている。仲間の機体だが、彼らにとって今のディアッカは敵でしかない。
「まさかアスランたちが乗ってる訳じゃないよな……」
さすがに同じ部隊の同僚とは戦いたくない。ジンは戦闘ヘリを吹き飛ばしたアサルト・ライフルの銃口をデュエルへと向けた。
2機のジンによる十字砲火。逃げた方向から銃弾が横殴りの雨のように降り注いでくる。デュエルのフェイズシフト・アーマーは光り輝き、敵--所属としてはディアッカの味方のはずなのだが--の攻撃を防いでいた。
ガンダムとジンでは攻撃力に雲泥の差がある。ビーム・ライフルを使えば1撃で撃墜できてしまうのだが、なかなか決断できずにいる。
ライフルを向けながら、命中しないように発射するしかできない。
フレイは大層ご立腹だ。
「ちょっとあんた、自分がザフトだからって、本気出してないんでしょ!」
「当たり前だと思わないか?」
「まあ、そりゃそうだけど……」
敵に味方して仲間を攻撃したとなれば軍法会議ものだ。それくらいのことはフレイにでもわかることだろう。
ジンの攻撃が港に停留中のタンカーを直撃する。まだ中に燃料が残されていたのだろう。タンカーは勢いよく燃えだした。
「こいつら、完全に周囲の被害なんて気にしてないな」
元々港は開けた場所が多い。そのせいで燃える景観は爆撃され、破壊し尽くされたようで事態の凄惨さをより際だたせているように思える。
「フレイもう一度聞くぞ。アイリスはどこだ?」
「知らない……」
今度の声は潜めたものだった。これを先程は後ろめたさだと捉えたが、実は違うらしい。
フレイは弾けたように叫んだ。
「本当に知らないのよ!」
肩越しに見たフレイの顔には、わずかに涙の跡が残っていた。感情的だとかヒステリックだとかはおいておいて、薄情とまでは考えるべきではないようだ。
ただ、少なくともアイリスの手がかりがなくなってしまったことは残念ではあったが。
「ディアッカ君、最後にアイリスを見たのはあのタンカー、だったものそばだった。もしも逃げ遅れているとすればあの周囲だと思う」
タンカーだったもの。確かに男が指さしたモニターには前半分が完全に水没し、魚礁に立候補したタンカーの姿があった。
まずい位置だ。キラが戦っている場所に近い。
「わかった」
タンカーの方へと急ごうとすると、逃がすまいとジンが追ってくる。アサルト・ライフルの弾丸をまき散らしながらどこか手当たり次第のように見える。
(クルーゼ隊長の命令か?)
ガンダムを追っている部隊ならラウ・ル・クルーゼの指揮下にある可能性が高い。ガンダムの破壊を厳命されているのだろう。しかし、隊長は冷徹な人だが冷酷な人ではない。目的のために手段を選ばない、こんな周囲の被害を省みない戦い方をする人であっただろうか。
ヘリオポリスでの一件は何とも言えないが。
「ザフトを撃墜は、さすがにまずいな」
しかしこのままアイリスのところに行こうとした場合、ジンの攻撃に巻き込まれかねない。さて、どうする。
ジンが剣--ビームと違い、ただの金属の塊だ--を大きく振りかぶり、デュエルへと飛びかかっていた。この期に及んでさえ、ディアッカはジンを撃墜するという選択を決断できないでいた。
2機のガンダムが戦っている。1人はゼフィランサスに言われるがままに、1人はゼフィランサスと関わったことで戦っている。こんな戦いを、ゼフィランサスは望んだことなんてなかったというのに。
「ねえ、ムウお兄さま……。プレアは何をしたいの?」
この場で唯一相談できそうな相手は、3人の兄の中でも一番良識的と言えなくもないムウだけである。ムウは星でも眺めるように座りながら、口元を歪めた。
「プレアには会ったこともないんだぞ。わかると思うか?」
「同じ男の子でしょ……」
「男の子ってなあ……。まあ、敢えて言うなら、好きな子にかっこいいとこ見せたいかな。他の言い方をするなら、死に場所を探してるんじゃないか?」
「どうして、そんなこと……」
プレアの命が残り少ないことは知っている。そのことを気にかけていたことも。ただ、それがどうしてこのような一連の行動につながるのか、ゼフィランサスにはわからなかった。合理的でもなければ、こんな危険なことをわざわざしたがる理由がわからない。
「欠陥品として誕生させられて、親の望むままに優秀な科学者になって兵器を造って、そして蜉蝣みたいにあっさりと死んでいく。それが嫌だったんだろうな。結局、親が設定した遺伝子通りの生き方だからな。だがそれは、プレア・レヴェリーの生き方じゃない。ただのプレア・レヴェリーという遺伝子記号の特質でしかない。だから、プレアは戦いたかったんだろ。プレア・レヴェリーとして、ゼフィランサス、お前のためにな。まあ、女には理解しにくいことかもしれないけどな」
その点だけは理解できる。
ゼフィランサスは考えていた。プレアのためにもドレッドノートの完成した姿を見せてあげたい。その死を、できることなら看取ってあげたいと。ただ、それはまだ先のことだと考えていた。それがしてあげられることのすべてだと考えていた。
ムウは気の抜けた様子でつぶやいた。
「永遠の虹色よりも一瞬の虹色の方が美しいか。俺は灰色も嫌いじゃないが、何にせよ押しつけられた色はごめんだな」
プレアは死のうとしている。
ゼフィランサスは立ち上がるなり走り出す。巨人が暴れ回る炎の戦場へと。
「見つけた!」
フレイの声だ。アイリスを見つけたのだろう。しかし、ディアッカは確認することができなかった。ジンに重斬刀を押しつけられ、ビーム・ライフルを盾代わりに必死のつばぜり合いを行っているからだ。目を離すことなんてできやしない。
「ちょっと早く助けなさいよ!」
「ビーム・ライフルじゃ威力が高すぎて爆発する。それに、俺がザフトをやる訳にはいかないだろうが!」
しかもフェイズシフト・アーマーが採用されていないライフルは軋み、下手に撃てば暴発の恐れがあった。撃てば暴発。それどころかこのままの体勢では銃口を向けることさえかなわないことだろう。仮に攻撃できたとしても大爆発。デュエルはともかく生身のままのアイリスがどうなるかわからない。
「足下見ながらの戦いがこうもやりにくいとは、な!」
ジンの腹を思い切り蹴飛ばしてやると、ひとまず距離をあけることができた。ライフルには深い傷跡が一直線に刻まれている。これでは使用できない。サーベルを抜こうにも、ジェネレーターを破壊して燃料に引火でもしようものなら大爆発を引き起こすことには変わらない。
ようやくモニターで確認できたアイリスは、立ち上る黒煙の間にその姿があった。フレイたちのように隠れているではない。ただ突っ立っているだけで危険極まりない。おまけにデュエル、ストライクとも決して遠くない場所にいる。
下手に足を動かしてしまうとアイリスを蹴飛ばしてしまわないか不安にさせられる。ジンの方はこちらの都合をかまいもせずにご自慢の重斬刀を蛮族よろしく振り上げ、力任せに叩きつけてくる。本来ならばかわしてやるところだが下手に動き回ることはできない。上腕で受け止め、踏みとどまるしかできない。
衝撃を受け流した足が破片を跳ね上げて、それがアイリスにあたりはしないかと冷や冷やさせられた。
とにかくジェネレーターを爆発させないよう、ジンの身動きを封じなければならない。武器は使えない。そんな時に2機目のジンがアサルト・ライフルをこれでもかと連射しながら迫ってくる。
踏みつぶしても終わり。流れ弾もアウト。流れ弾が跳ね上げた破片さえ人には致命傷だ。足首をひねった勢いが破片を跳ね上げるかもしれない。
(もうあんな辛い食べ物を口にする機会はないかもしれないな……)
辛党を気取る訳ではないのだが。
耳元に撃鉄を起こす音が聞こえた。
「早くそいつを倒しなさい!」
目の前ではジンがいまだに重斬刀を押しつけている。こんなものではフェイズシフト・アーマーは破れないが、身動きがとれない。
そして、ディアッカの側頭部には拳銃が突きつけられていた。真横にある。モニターから目を離すことができないためはっきりとした種類まではわからないが、フレイのような小娘が持つにはしっかりとした銃だ。この距離ならほぼ確実に人を殺せる。
「フレイ、そんなものどこから!?」
軍隊支給の備品ではないらしい。男の方は拳銃のことを知らなかった。どこの誰かは知らないが、厄介な女に厄介なものを流してくれたものだ。
「早くしなさい!」
「俺を撃ったら誰が操縦するんだ?」
デュエルは動けなくなる。撃墜され、アイリスも巻き添えをくうのが落ちだろう。
「フレイ、銃を下ろすんだ」
「アーノルドさんは黙ってて!」
ぴしゃりとフレイは一喝する。それだけで男の方はあっさりと追求の手を緩めた。女の方が強いのは、地球もプラントも大差ないようだ。
アサルト・ライフルの弾丸がデュエルの顔面に命中する。デュアル・センサーの近くであったらしく、遮光シャッターがかけられるまでの一瞬、火花がコクピット内にフラッシュとなって瞬いた。この程度のことにさえ、フレイは身を小さくする。
ただ強がっているだけだ。銃を向けたところで引き金を引く度胸はないだろう。
アイリスには以前フレイを悲しませたと激辛料理を食べさせられたが、かと2人の関係を教えられた訳ではなかった。
「アイリスはコーディネーターだ。コーディネーターは、お前の仇じゃないのか?」
実際、カズイとか言う奴については、ディアッカが仇そのものなのだが。
フレイは何も答えない。銃を持つ手が小刻みに震えていた。危なっかしい。指が引き金に触れてしまうのではないか。ジン2機の攻撃を受けているという現実を無視して振り向いた先では、フレイが泣いていた。
「何で泣くんだよ?」
泣くようなことがあっただろうか。
「お願い……」
すでに手に力さえなく、銃は自然と下ろされた。
「お願いだからアイリスを助けて……!」
デュエルのビーム・サーベルがジンのコクピットを貫く。正確にコクピットを破壊されたジンは重斬刀を持った姿勢のまま後ろへと倒れた。ジェネレーターは一切破損していない。爆発することなくジンは機能停止する。
アサルト・ライフルを構える2機目のジンには、デュエルは体当たりを食らわせるなり、その体を残骸と化したコンテナの山へと叩きつけた。
別に反逆しようとした訳ではない。手が勝手に動いただけのことだ。
「こりゃ、始末書じゃすまんな」
見たこともない新しいガンダムとストライクが戦っている。オーブ行政府官邸で聞かせられた、プラントから持ち出されたガンダムに間違いない。新しいガンダムはビームをまき散らし、その攻撃は洗練されたものではなく、流れ弾も脈絡なく落ちていた。
だから何の先触れも連絡もなくて、新しいガンダムの銃口がアイリスと向き合った。光が見えた。
それでも、怖いとは思えなかった。
照明はすべて破壊されている。黒煙は月明かりさえ隠す。夜の火山のような光景の中をビームの輝きが直進してくる。
影が光を遮った。
モビル・スーツ。その巨体がビームの射線上に割り込み、フェイズシフト・アーマーの強烈な瞬きが見えた。デュエルガンダムがビームを身を挺して防いでくれたのだ。背中から肩みかけてビームが直撃したようで、右腕は肩から引きちぎれたように切断され、めくれあがったアスファルトの上を滑っていった。
「デュエル……? 一体、誰が……?」
パイロットはアイリス・インディアが登録されている。別に識別パスワードの類を設定していた訳ではないが、少なくともアーク・エンジェルにパイロットはいないはずだった。キラは今ストライクで戦っているのだから。アイリスの目の前で。アイリスのすぐ後ろに立つラクス・クラインの目の前で。
デュエルは失った右腕の代わりに左腕を差しだし、アイリスの前にひざまづく。開かれたコクピット・ハッチには、何から驚いてよいものかわからない。とりあえず真っ先に声をかけてくれた人に意識を集中した。
フレイがパイロット・シートの後ろからフレイがこちらに目一杯手を伸ばしていた。
「アイリス、早く乗って!」
「フレイさん……」
迷っている時間はない。
「ラクスお姉ちゃんも早く!」
ラクスの手を引いてデュエルの手のひらの上に飛び乗る。2人が乗るとモビル・スーツの手は以外に小さく、手狭に思えた。そのためか、手はゆっくりとした速度でコクピット・ハッチの前にまでアイリス、ラクスを運んでくれる。
まずコクピットに入ったのはラクス。パイロットであるディアッカの脇を抜けてパイロット・シートの後ろ--すでにフレイ、アーノルドの2人がいるため極めて窮屈そう--に体を滑り込ませた。
続いてアイリスも同じようにシート脇を抜けようとして、突然生じた衝撃に手がすべり、体がシートの上に落ちてしまった。デュエルのどこかが小規模の爆発をしたのだろう。アイリスの体は横向きにディアッカの膝の上にあった。
まるで抱き抱えられるお姫様のような姿勢である。
「ご、ごめんなさい! すぐに退きますから」
「いや、このままでいい」
アイリスが体を固めるすぐそこで、ディアッカは真顔のまま、まずフレイに耳を引っ張られた。
「こんな時に何考えてんのよ、このスケベ!」
反対側の耳をラクスが引っ張っている。
「ことと次第によっては、クライン家の総力を結集して、亡き者にさせていただきますわ」
「コクピットは狭いだろ。全員が座席の後ろって訳にはいかないんだよ!」
一応なっとくしたらしいラクスもフレイも耳から手を離す。ディアッカは小さな声で悪態をつきながらアイリスを見る。
「アイリス、その何だ、俺に抱きつけ……!」
「その、こう、ですか……?」
首に両手を回して体を固定する。本当に抱きついているようにしか見えない姿勢で、さすがに恥ずかしい。ディアッカにしても褐色の頬を赤くしていた。
「何顔赤くしてんのよ?」
座った目のフレイと、微笑んだままのラクスが再び両側から耳を引っ張り始めた。
いつの間にかハッチは閉じている。モニターにはアサルト・ライフルを構えたジンの姿があった。
「もう女の涙なんて信じねえぞ!」
何があったのかなんて知らない。それなのに、ディアッカの声は魂そのものから発せられているみたいに覇気があって、その勢いのまま振り抜いたビーム・サーベルはジンの胴体を切り裂いた。
アイリスも、そしてこの場の誰もが気づくことはなかった。ラクスが誰に聞かせるでもなくただ1人、呟いたことを。
「また死ねませんでした……」
「決闘に割り込んでくるな!」
ストライクが割り込んでこようとしていたジンへとナイフを突き立てた。顔面に突き刺さったナイフは顔をそのまま押しつぶし、ジンは体勢を崩す。ストライクが飛び退いたところで、ジンを直撃したビームは大きな爆発を引き起こした。
結果として協力して闖入者を排除した形だが、プレアはただストライクへ攻撃をしただけだった。たまたまそこにジンがいたにすぎない。プレアにはストライク以外のことに気を使っている余裕などない。ストライクドレッドノートの猛攻の中、ジンを破壊したというのに。
「キラさん、あなたは手加減してるんですか?」
ドレッドノートは上空から一方的に攻撃を仕掛けている。それでも一撃も相手をかすめることはなく、攻撃している側に余裕がない。
見下ろす大地はところどころに丸いクレーターが出来上がり、そこから黒煙が立ち上ってた。まさしく戦場の光景の中でさえ、無傷のストライクは悠然と存在していた。
「いや、積極的に撃墜を狙ってないだけで操縦そのものは本気だ」
「それを手加減って言うんです!」
放つビームは当然のようにかわされる。地面を無駄に爆発させただけだった。プレア自身、回避されることを当然のように予定してしまっていた。それがなお一層腹立たしい。
ライフルで駄目なら。ドレッドノートを降下させる。勢いをつけた状態で、どのように攻撃すればいいかなんて実はわかっていない。ただ闇雲に、モニターに表示される敵機との距離が0に近づいていくタイミングで左腕のシールド、その先端に発生したビーム・サーベルをふるわせる。
ドレッドノートはすれ違いざま、縦にサーベルを振るう。どこに命中するかなんてわからない。ただ攻撃させることしかできやしない。キラ・ヤマトとは違って。
ストライクは正確な太刀捌きで反撃に転じた。ドレッドノートのビーム・サーベルへと大剣を叩きつけたのである。ドレッドノートの手が伸びきるタイミングで、強い衝撃はドレッドノートの体勢を一気に突き崩す。
地面へと辛うじて着地に成功するドレッドノート。着地の衝撃がショック・アブソーバーを通じてさえコクピットを揺らす。着地できた
ことさえプレアの技術ではなく、ドレッドノートのオート・バランサーの恩恵である。とうのプレアは着陸の衝撃から立ち直りきれずにいる。
隙ならいくらでもあったはずなのだ。それなのに、ストライクは動かなかった。
「ゼフィランサスはきっと、君が死ねば悲しむ」
「決闘相手に同情なんてされたくありません!」
ライフルを向ける。そこまで激しい動きでドレッドノートの腕を動かしたつもりはなかった。コクピット内に鈍い音が響く。スピーカーが拾った音ではない。音は構造を直接伝わった。
ドレッドノートの右腕が肘から先がなくなっていた。手はライフルを掴んだままドレッドノートの足下に落ちていた。
「同情なんかじゃないよ。僕はただ、悲しむゼフィラサスを見たくないだけだから。それに、僕は決闘に真剣に望んでる」
そう、攻撃された訳ではない。元々フレームが限界を迎えていたのだ。高機動を実現する度に、ライフルを発射する腕の振りの度、ドレッドノートの骨格は限界を迎えていた。
「その機体の動きを見てわかったよ。確かにガンダムの性能を持ってるけど、でも動きは量産機のそれに近い。ゼフィランサスがザフトに行ってからの短期間で新型を開発できるとすれば、元からあったフレームを流用したからだ。そんな機体に核動力なんて、スクーターにロケット・エンジンを積むようなものだ」
「見抜いて、いたんですね……」
ドレッドノートを倒すためには撃墜する必要なんてない。ただ限界を越える性能を引き出させればいいだけだということに。
「勝利とは敵を倒すことじゃない。目的を達成することだからね」
「やっぱり、キラさんはすごい人だ……。ゼフィランサスさんが好きなことも頷けます」
ドレッドノートの肘から先が千切れた腕はライフルを握ったまま転がっている。機体の状況を示すモニターには、ドレッドノートの全身が赤く表示されている。戦闘に夢中で、自分の機体の確認が疎かになっていた。これでは技術者としてもテスト・パイロットとしても失格である。
機体の性能の差が、戦力の決定的な違いではなかったのだ。
「まるで僕みたいですね。このドレッドノートは元々、ザフト軍の新型量産機として開発が進められていたものを急遽ガンダムとして開発したものです。そうです。僕と同じで、本来の枠を越えた高望みの設計が行われてるんです。フレームは、ガンダムの高機動についていけるほどの強度は持ち合わせていません」
ドレッドノートは試作機にすぎない。本来なら組み立てのデータを収集した後は解体され、機密保持のために別々の場所で処分されえるはずであった。そのパーツをオーブに集め、自分の機体としたのはプレアのわがままであり、そして、ドレッドノートとプレアが重なる部分でもあった。
ともに、一瞬の生を許された蜉蝣なのだから。
「僕は、あなたになりたかったのかもしれません。勇敢な戦士で、ゼフィランサスさんの思いの人で……」
プレアにはないものを、欲しいものばかりを持っている人だから。
「僕は技術者になんてなれなくてよかった。こんな力なんてなくてもよかった! 僕は戦士として戦って、戦士として死にたいんです! あなたのように、せめて少しでも!」
ドレッドノートは装甲の輝きを極限にまで高めた。ミノフスキー・クラフトは発生させる推力が大きいほど、余剰となる斥力は光として放出される。ドレッドノートの最大推進でもって、プレアはストライクに、キラに最後の勝負を挑んだ。
「僕は! 僕はー!」
もはや光の塊とさえ化したドレッドノートはビーム・サーベルを突き出す。もはや攻撃ではなく突進、さらには猛進。ありったけの力と勢いで、ドレッドノートの一撃はストライクの頭部に突き刺さり、2機のガンダムが激突する。
放出されるフェイズシフト・アーマーの輝き。金属音が鈍く響く。ドレッドノートの勢いを押しとどめようとするストライクの足はアスファルトを削りとり、二筋の轍を刻み込む。
そして、ストライクはドレッドノートの勢いをとめた。
ドレッドノートはビーム・サーベルを振りかぶり、密着した姿勢のまま振り下ろす。ストライクの対艦刀は応じるように振り上げられた。ビームの衝突が火花を散らし、出力の違いからドレッドノートが徐々にサーベルを押し込んでいく。
「僕はあなたに勝ちたい!」
すでにドレッドノートは限界なのだ。これが最後、最後の一撃になる。すでにフレームは疲弊し、足関節など満足に動かせないほどである。もはやそんな分かり切ったことを確認するつもりにもなれない。プレアはモニターに映るストライクの姿に集中しようとして、それでも、意識はいつもあの人を片隅においていたらしい。
「プレアー!」
ドレッドノートの高性能集音マイクが拾った声は、間違いなくゼフィランサスのものであった。いくらガンダムといえども戦場の真ん中で遠くの音を拾うことなんてできはしない。ゼフィランサスの姿は近くにあった。
モニターはしっかりとゼフィランサスの姿を拾っていた。
「ゼフィランサスさん……」
ドレッドノートを必死に押し返そうとしているストライクの影の中に、ゼフィランサスは座り込んでいた。立てないのだろう。ストライクがドレッドノートの攻撃を受けたのは、後ろにいるゼフィランサスを守ろうとしていたから。そして、今もストライクは、キラはゼフィランサスを守ろうとしている。
このままではゼフィランサスを巻き添えにしてしまう。ドレッドノートを戻そうとして、しかし反応がない。すでに脚部は踏みとどまることができないほど疲弊していた。見ようによっては倒れかかるドレッドノートをストライクが支えているにも近い。
するべきことも、できることも一つしかない。
「キラさん、ゼフィランサスさんのこと、お願いします」
こんなプレアのわがままにここまでつきあってくれただけで十分だ。キラには勝ちたかった。それは、ゼフィランサスを手に入れたいという願望の現れでは決してないだろう。ただ、短い命へのいらだちを解消する機会と動機が欲しかっただけ。その程度のことに決まっている。
そんな子どもが、この2人から何かを奪うなどあってはならないこと。
「おこがましい……」
ビーム発振装置のスイッチを切る。これで、ストライクがドレッドノートを押し返せない理由はどこにもなくなる。
プレアは、十分な満足とともに、迫ってくる光の剣を受け入れようとした。
ドレッドノートからビームの輝きが消える。もはやストライクの大剣を妨げるものは何もない。
振り上げられた対艦刀はドレッドノートの胸部から左肩にかけて深々と食い込み、そのまま押し返す。まず足が折れた。膝間接が破断し、ドレッドノートの体は崩れるように倒れていく。その衝撃に首がもげ、不自然に隆起したアスファルトの上を不規則に転がっていく。
フレームは、とうに限界を迎えていた。
ストライクもまた、力つき、疲れ切った戦士のように膝を曲げた姿勢で地面に膝をつけた。頭部のないその姿は頭を垂れているようで、屍と化したドレッドノートのために祈りを捧げているかのようである。
勝利とは目的を達成すること。ならば、戦いの終わりが勝利を生むとは限らない。
ゼフィランサスは駆けだした。元々運動に特化したヴァーリではない。モビル・スーツのよる戦闘が行われたことでアスファルトは破壊し、溶けだし不愉快な臭いを漂わせていた。
「プレア……!」
タール状になったアスファルトがブーツにへばりつき、危うく転びそうにさえなった。溶けだした臭いは心肺機能が優れている訳ではないゼフィランサスはに大きな負担となる。せき込んで、肩で息をするようになったところで、横たわるドレッドノートの躯はまだ遠い。
それでも進もうとしたところ、体が悲鳴を上げた。前のめりに倒れそうになるところを、誰かの手が優しく抱き抱える。
キラ以外の誰も考えられなくて、事実、ゼフィランサスを抱き抱えるのは顔はキラものであった。
「ビームの高熱がコクピット周辺を焼いてる。それがどんなことを意味するか、君だってわかるだろ。プレアは、君にそんな姿見せたくないよ」
見える位置にドレッドノートの胸部--コクピットが存在する--がある。しかし、同時にビームが焼き払った傷跡も、胸部に刻まれていた。ビームの高熱はモビル・スーツの内部機構を焼く。モビル・スーツのパイロットを保護する機構に限界があることは、開発者であるゼフィランサスならば知らないはずのないことであった。
ゼフィランサスは、これ以上ドレッドノートの痛々しい姿を見てはいられなかった。顔をそらすと、自然とキラの胸に顔を埋める形となる。
「みんな……、みんな私を置いていく……」
「僕は君を置いてなんかいかないよ、ゼフィランサス」
ゼフィランサスの流す涙は、キラの胸ににじむように吸い込まれる。
ガンダムの行く先、それはどこも地獄になる。ヘリオポリス、アルテミス、そしてオーブ。
地獄が欲しい訳ではない。しかし必要なのだ。ブルー・コスモスが、3輪の青薔薇を掲げる者たちがプラントを駆逐するためには。そのためのガンダムであり、そのための地獄である。
ムルタ・アズラエル。ブルー・コスモスの代表の名である。
ムルタ・アズラエルは暗闇の中燃えさかるヤラファス港を眺めていた。施設の屋上にだらしない姿勢で座りながら、その顔は見ようによっては軽薄にも思える笑みを浮かべる。しかしその眼差しは猛禽の鋭さでして、ガンダムの戦いの一部始終をつぶさに観察していた。
座るムルタ・アズラエルの元に、ムルタ・アズラエルが規則正しい靴音を響かせ訪れる。ムルタ・アズラエルはザフトをこの戦いに介入させたムルタ・アズラエルに対して茶化した様子で話しかける。
「少々やりすぎじゃないか? ムルタ・アズラエル」
「できるだけ派手にしてほしい。それが君らのリクエストであったはずだがね、ムルタ・アズラエル」
ムルタ・アズラエルは仮面越しに戦場と化した港を眺めた。ムルタ・アズラエルの隣に座ろうともせず、開かれた口元には凄惨たる状況を揶揄するような侮蔑的な笑みを浮かべながら。
続いて、軽い足音が響く。2人のムルタ・アズラエルは振り向き、座るムルタ・アズラエルは足音の主を見つけるなり口を開く。
「おや、我らがアイドルの登場か」
「勝手に見ないで、ムウおじさま。私を見ていいのはお父様だけ」
白いドレス。着飾ったお人形のような愛娘の後ろから白いスーツを身につけたムルタ・アズラエルが姿を現す。
「お待たせしましたか? ムルタ・アズラエル」
「いいや。新型機はなかなか面白い見世物だった」
「私はジンを3機駄目にしたあげく2度の中立地帯での戦闘だ。そろそろ亡命させてくれるとありがたいのだがね」
「スパイは使い捨てが世の常だ」
ムルタ・アズラエルの不躾な冗談も、ムルタ・アズラエルの歓心を買うことはない。
金髪碧眼、お人形を連れたムルタ・アズラエルは語りかける。
「すでに大西洋連邦軍内の多数派工作は完了しました」
仮面のムルタ・アズラエルは応えた。
「ザフトにも十分なデータを渡してわることはできたようだな。そしてオーブ侵攻への布石もおいた」
座るムルタ・アズラエルはそれこそ退屈そうに息を吹く。
「俺は退屈でしょうがなかったよ。俺の出番を全部キラが持って行ったからな」
「キラ・ヤマトか。血のバレンタインの生き残り。私と君にとっては弟だな、エインセル・ハンター」
仮面のムルタ・アズラエルから金髪碧眼のムルタ・アズラエルへと。
「俺は無視か、ラウ・ル・クルーゼ」
座るムルタ・アズラエルから仮面のムルタ・アズラエルへと。
「ムウ・ラ・フラガ。我々の絆は誰に割り込むことさえ許さないほど強固なものです」
金髪碧眼のムルタ・アズラエルから座るムルタ・アズラエルへと。
「ガンダム。すべては10年前のあの日に始まり、そして、今宵すべての鍵が我らの手元に揃う」
「すべては、青き清浄なる世界のために」
さて、これはどのムルタ・アズラエルの言葉であったろうか。区別することに意味はない。彼らはムルタ・アズラエル。3者にして1の意志を持つ。
ブルー・コスモス。これは、3輪の青薔薇を象徴に戴く組織の名。