キラ・ヤマトから聞かされた話は戸惑いも驚きも同じくらいの大きさで与えてくれる。アイリス・インディアは感じたことはそんなこと。隣あって座るキラは一通り話し終えた後、月を見上げていた。
「じゃあ、私はヴァーリの中で9女になるってことですか?」
もう話は終わったであろうと判断して手を上げた。Iはアルファベットの中で9番目の文字だから。アイリスの隣に座るキラは困ったように髪を掻きあげた。
「いや、そこがなかなか複雑なんだ。ヴァーリは9つの研究所が平行して開発してて、それぞれが第1世代から第3世代までロールアウトしたんだ」
同じベンチに座っていることを利用して、ベンチを軽く叩いた。少しでも衝撃が伝わってくれたらそれでいい気持ちで。
「ロールアウトって……、その言い方嫌いです。機械っぽくて」
少なくとも人に対して使う言葉には思えない。ただ、キラはそれ以外の言葉を示すことができないらしかった。自然と自分たちの出生の異常さを見せつけられる思いがした。
「ごめん。でも、え~と、それで、研究所にはそれぞれにヴァーリが3人ずつだから3つのアルファベトが割り振られたんだ」
やむなく、キラは話を続けていく。
「たとえば第1研究所だと第1世代はAになるし、第2世代はBになる。長女はAだけど、次女は第2研究所の第1世代であるDになるんだ」
反芻する。アルファベットの数え歌を口ずさみながら、A、D、G、Jと並べていく。第3世代に移ると、C、Fを経てようやくIにたどり着いた。
「第1、第2世代が9人ずつで、私は第3研究所出身だから……、21女!」
指折り数えていたのだが、あまりに数が多すぎて途中から指を折ることはやめてしまった。冗談みたいな本気の姉妹関係である。キラは横ですまなそうにアイリスに声をかけた。
「それがまだあるんだ。第9研究所は第1世代が欠番になってヴァーリは2人しかいない。だから、君は20女」
戸惑いの方が大きくなってしまったらしい。アイリスの両手は、数え損ねたままの状態で固まっていた。右手は小指だけが折れた妙に器用な状態である。
「どうしてそんなに複雑なんですか~?」
月がキラの視線を独占した。それがこの少年が言いにくいことを言うための予備動作だとは、もうわかっている。唾を意図して飲み込んで、自身の緊張が高まっていることを自覚する。
「君たちが何番目の姉妹かなんて、君たちのお父様を含めて誰も興味を示さなかったんだ」
驚きが失望を伴って台頭した。本当に、ヴァーリというものは望まれて生まれてきたわけではないのだと言う事を次々キラは語りだす。
「実際、研究所は縦割りなんだ。姉妹ではあってもほとんど交流がない場合もあるし、君とゼフィランサスも面識はあまりないんだ。それに、ゼフィランサスが君をお姉さまと呼んだのは形式上のことで、本当に姉妹としての絆を築いているのは同じ研究室の3人までであることが多い……」
妹が急にできたと慌てたこともあった。それが実は単なる遺伝学上の姉妹だったと言われてしまうと、浮いた気持ちは着地点さえ失ってしまう。第3研究所の第3世代と、第9研究所の第3世代。
同時に、どうしても聞きたいことがあって、キラの肩を掴んだ。
「じゃあ! 私にもお姉さんがいるって言うことですよね……?」
不思議なことにまるで記憶にない。ただ目にしたエインセル・ハンター代表と一緒にいたヴァーリらしい少女は、アイリスと同じ髪と瞳の色をしていた。
キラは指でGとHを空に描く。
「今はラクス・クラインと名前を変えているけど、ガーベラ・ゴルフ。それにヒメノカリス・ホテルの2人」
やはり、G・GとH・Hである。第3研究所のG、H、I。
三つ編みに束ねた髪を肩越しに体の前に持ち出してみる。その色は桃色で、やはりエインセルの傍にいた少女と同じ色をしている。
「私たち、髪や瞳の色が同じことってあるんですか?」
ゼフィランサスとは違った。それは、研究所の違いなのかも知れない。キラの答えは期待通りであるとともに裏切りをも同時にもたらした。
「シンボル・カラーとして、それぞれの研究室で原則統一されている」
予測は当たった。ではエインセルとともにいた娘は自分の姉ということになる。嫌な考えが結実しないまま頭の中を不快と不安で汚していく。考えがまとまりきる前に、キラが小石のように投げ落とした言葉が、心に静かに波紋を立てた。
「至高の娘は、第3研究所から輩出されたよ」
扇形をした階段状に椅子が敷き詰められる。これですべての席から適度な距離が確保される。ごくありふれた講義室はより優れた人種の用いるものでも大差ないものであった。
ここはプラントであり、コーディネーターの国である。部屋には100を超える座席だけでは足りず、立ち見の者さえいるほど、コーディネーターたちはこの講義に強い関心を抱いていた。男女問わず、多くが背が高く端正な顔をしている。また青い髪をした人物がその大半を占めていた。一時期、青い髪を発現する遺伝子は知能指数を高めるという説が広まったことがあった。
ここに集ったのは学者、研究者である。彼らは国外から招かれたモビル・スーツ開発者の講義を聞くために集まっていた。
ざわめきさえない。それだけの関心を払うに値する人物は軽い靴音を立てて、扇の基部に備えられた壇上に上がる。一礼。これからダンスでも始まるのではないか。ここで初めて聴衆がざわめいた。講師は黒いドレスを纏って現れたゆえに。
講師はかまいもせずに名乗りを上げた。
「ゼフィランサス・ズールと申します……」
見上げられた瞳は赤く、髪は白く艶めいている。少女がアルビノであることに、不快感を露わにする者もいた。あからさまな侮蔑の視線を少女は受け流す。
名乗り上げだけを挨拶として、ゼフィランサスは講演を始める。壇上の脇に移動すると、モニターにその研究内容が示された。題目はミノフスキー物理学とモビル・スーツ開発について。
マイクの力を借りながらゼフィランサスは静かに語りだした。
ミノフスキー粒子。ミノフスキー博士によって予見、発見がなされた粒子のことである。この粒子の発見は、強い力、電磁力、弱い力の3種を束ねた大統一理論が完成したことに続き、第4の力である重力との統合の過程で予見されていた。重力が距離の2乗に反比例し影響力を減らす理由を説明できず、理論は長く統一されないできた。この矛盾を解決するために、膜宇宙説、重力子の仮定など様々な試みが行われてきたが、ミノフスキー粒子とはそれらに続く概念であった。
膜宇宙説では、宇宙を薄い膜が折り重なった多次元構造として捉え、重力が隣接する他の次元に逃げ出してしまうと説明した。重力子は重力を引き起こす素粒子を仮定して事象解明の足がかりとしようとした。
ミノフスキー粒子はこの重力子の概念に近い粒子である。
物質の衝突とは所詮、それぞれの物質を構成する電子がもつ反発力にすぎないということは言うまでもない。ニュートリノのように微弱な質量を持ちながら、ミノフスキー粒子は極めて高い電荷を帯びている。そのためその親和力、反発力は非常に高い。
それは密度、性質によっては大きな力となる。ミノフスキー粒子の集合が重力や質量として測定されたと考えられた。このようにミノフスキー粒子を重力の根元であるとした場合、様々な現象に説明がつけられる。
本来の質量に比べて観測される質量が高い値を記録する。そのため、宇宙の質量の大半を占めながら、観測されずにいた暗黒物質の正体がミノフスキー粒子であるということはすでに定説である。また、ミノフスキー粒子の極めて高い親和力は中間子としての挙動を阻害して、遠方の物質に影響を与えづらい。そのため重力が急速に減少することの説明となる。
無論、ミノフスキー粒子で重力のすべてを説明できるわけではなく、究極の統一論にはまだ高い壁が存在する。一言で言うなら、ミノフスキー粒子はそれ自体の質量は少なくとも、擬似的な重力は発する粒子であるということになる。
ゼフィランサスはこんなことはミノフスキー物理学の初歩であると判断し、本題に入るべくモニターに次の写真を表示した。
そこにはゼフィランサスの愛娘であるガンダムの姿が映し出されていた。ガンダムに搭載されたビーム兵器。これにはミノフスキー粒子の2つの性質が利用されている。
1つ目は微弱ながら質量を持つと言うこと。詳細な原理は不明だが、ミノフスキー粒子は核融合を伴わずその質量をエネルギーへと変換することができる。ミノフスキー粒子は外部から取り込んだエネルギーをその質量を微減させることで疑似的な質量として保存することができる。強力な電荷を帯びているということは、銅板と同密度と仮定した場合にはガンマ線でさえ0.0057mmで透過不可能となってしまう。このことはそれだけ効率のよいエネルギーの貯蔵を可能とし、ビーム兵器の効率化に貢献している。
ゼフィランサスはZGMF-1017ジンがビームで破壊される映像を示す。すると、聴衆は揃って驚きの声を上げた。
続いて示されたものは、ある駆動系の設計予想図である。ミノフスキー粒子の性質を利用した核エンジンが群衆の前にさらけ出された。ミノフスキー粒子の親和性、エネルギーを貯蔵する性質を利用したエンジンである。しかも、それはモビル・スーツへの搭載を示唆するものとなっていた。これには並みいる科学者たちは絶句する他なかった。
ニュートロン・ジャマーによる核動力の使用が不可能とされている以以前に、核動力を小型化するには技術的に大きな問題が残されているからである。
冷却水のタンクが必要である。大型タービンがなくては電力を生み出すことはできない。何より、十分な厚みの隔壁がなければ、パイロットが致死量の数百倍もの放射線にさらされることになる。コーディネーターは超人ではない。
人々の不安をよそに、ゼフィランサスは持論を展開する。無論、ミノフスキー粒子の力を借りて。
ミノフスキー粒子がガンマ線でさえ止めてしまうことはすでに明示した。よって原子炉内に親和力を利用した高密度のミノフスキー粒子の膜、Iフィールドと呼称する膜で包むことで隔壁として作用する。同時に、Iフィールドが放射線、さらに原子炉内の熱量を吸収することでメガ粒子化を引き起こす。このメガ粒子を炉外に取り出すことで効率のよいエネルギーを得ることができる。また、メガ粒子そのものが依然電荷を帯びていることからIフィールドをミルフィーユ状に重ねることで電力を直接取り出すことができる他、メガ粒子をビームとして直接利用可能である。ジュール熱を利用してアクチュレーターを動かすこともできる。推進剤に添加することで、より大きな燃焼速度を得ることも可能であるとゼフィランサスはまとめていく。
まるで魔導書でも読み聞かせられているように感じられたことだろう。ミノフスキー粒子という魔力を、この漆黒の少女は18mのゴーレムの中であまりに完成されたシステムとして組み上げて。
だが、それはあくまでも机上の空論である。
ニュートロン・ジャマーの影響下では核分裂は発生しない。そもそも、核動力を搭載したモビル・スーツがあったとしても、それをわざわざ造り出す意味はない。あくまでも学説の有用性を証明するための具体例の1つであろうと、人々は理解した。
静かに始まった講演であった。よって、終わりも静かに迎えることになる。ゼフィランサスがいつもと同様に、スカートをつまみ上げて一礼する。
拍手は起こらなかった。誰もが目の前で示された奇跡に現を奪われ、思い出したように疎らな拍手が起き始めたことでようやく会場は一丸となって偉大な技術者を讃えた。
続いて、質問の受付が始まる。
比較的前列に座っていた1人が手をあげる。ゼフィランサスは何も言わなかったが、質問者を見ることで起立を許可した。質問者は、青い髪をした女性であった。
「大変興味深く拝聴させていただきました」
女性は形式として、軽く頭を下げた。
「質問ですが、ミノフスキー粒子がそこまで影響力の高いものであるならば、長く発見、観測されなかった理由はどのようなものであるとお考えですか?」
「ミノフスキー粒子の性質の1つに質量が大変微弱だから……。少しのエネルギーでも速度が高くなるし、物質を透過する力も強い……」
ニュートリノが確認されたのもせいぜい200年前の出来事である。加えてミノフスキー粒子の電荷は電子機器に多少なりとも悪影響を与えているという実験報告はすでになされている。測量機器に生じた誤作動がミノフスキー粒子を逃していたとしても何ら不思議はない。
この言葉を受けて、続く質問者が許可もなく立ち上がる。
「不躾ながら失礼します。では、あなたは近年多発する電波障害の原因はミノフスキー粒子であるとお考えでしょうか?」
10年以上前から、ミノフスキー粒子を観測、あるいは生成しようとする試みは幾度となく行われている。その当時からミノフスキー粒子の電子機器に誤作動を引き起こす性質は知られていた。また、電波障害の時期とも合致している。電波の吸収、阻害と電子機器の誤作動を照らし合わせれば、ミノフスキー粒子が原因であるということは十分に考えられる。
同時に、ゼフィランサスはビームが多用され、エネルギーを失ったビームがミノフスキー粒子に還元された戦場では電波障害が頻発した事例を挙げた。
このことは同時に意味している。現在の戦場を作り上げているものの正体こそがミノフスキー粒子であるのだとすれば、そのミノフスキー物理学の申し子たるガンダムは戦術、戦略さえ書き換えてしまいかねないそして、それはたった1人の少女の手に握られている。
この世界において、戦場の女神は赤い瞳をしている。
下りゆくエレベーターの中でゼフィランサスへと微笑みかけたのはスーツ姿のラクス・クライン。長い髪を頭の上で束ねるだけでその印象はずいぶんと異なっている。ヴァーリが不用心に同じ顔を並べることは許されない。ゼフィランサスが顔を出さなければならないのであればラクスがその姿を変える。
「よい講演でした、ゼフィランサス」
「はい……、ラクスお姉さま……」
「今日あなたにこの場所で講演をお願いしたのは他でもありません。ある人に会ってもらいたいからです」
エレベーターはやがて階下に到着する。少女2人は雰囲気が異なって同じであった ラクスは微笑みを絶やさず、ゼフィランサスは表情を作らない。どちらも表情に乏しい。
ラクスがまず先にエレベーターを降り、続いてフロアに足を踏み入れたゼフィランサスの前には広い部屋が広がっていた。格納庫を丸ごと研究室に改装したのだろう 中央のハンガーには骨だけの巨人が吊されている。未完成のモビルスーツであり、その周囲には多様なクレーンが見える。現在は人影も疎らで、モビルスーツは打ち捨てられた屍のように鈍い色を放っている。
「ここはザフト軍のモビルスーツ研究施設、そしてあなたの職場になる所です 詳しいことはサイサリスに聞いてください」
ラクスをエレベーター前に残ったまま、ゼフィランサスはフロアを歩き出す モビルスーツの方向へと歩いて、しかし目標となる地点はその手前であった ブリッジのコンソール並に雑多な機器が埋め込まれた机に手招きしている少女がいる
青いストレートヘア まず髪の色が目に入って、手を頭上で大きく振るその顔はとても楽しげ。机に隠されたその体は白衣を着ているとわかった頃、ゼフィランサスは机の前に立っていた。
少女はヴァーリの顔をしている。
「お久しぶりゼフィランサス、私のこと、覚えてますか?」
「はい、サイサリスお姉さま……」
PのヴァーリはZのヴァーリにすぐに椅子を用意してくれる。軽くて手軽なパイプ椅子の上に資料の束が投げ出されていた。サイサリスは資料をまとめて床にどかすと、ゼフィランサスに座るよう促した。
「座って。謙遜じゃなく狭いところだけどぉ」
促されるままゼフィランサスは椅子に座る。軽くてかさばらない、座り心地よりも利便性を優先した椅子は、サイサリスの性格をよく表しているように思える。サイサリスは技術の低コスト化、生産性の向上に関する研究に尽力している技術者である。1本の高価な槍よりも、10本の数打ちに値打ちを見いだす。
量産機の開発、製造に深く関わる人物であり、ザフト製の量産型モビル・スーツ開発者のリストにサイサリスの名前が乗らないことはないだろう。高級機を中心に開発を続けるゼフィランサスとは異なった設計思想の持ち主だと言えた。
コンソールを叩く姉の横顔を眺めていると、サイサリスは視線に気がついてこちらを向いて微笑んだ。こう自然と笑うことができることも、ゼフィランサスとは異なる。
「お招きいただきありがとうございます……。サイサリスお姉さま……」
姉はさばさばとした様子で返した。
「かしこまらなくていいよぉ。どうせ、ここがゼフィランサスの職場になるんだし。ほら、これ見て」
こちらに見やすいよう、机に設置されたモニターの画面が動かされる。表示されている内容は、どうやらこの部屋の中央にあるモビル・スーツの開発データであるらしい。その構造はザフト軍のどのモビル・スーツとも異なる。どちらかと言えばガンダムに近い構造をしていた。この機体の正体を聞いてみようと姉へ視線をずらすと、サイサリスは楽しそうに笑っていた。
「驚いたぁ? ザフト軍の次世代量産機として開発されている量産機なんだけど、開発がうまくいってなくて。だからガンダムを見たときは驚いたよ」
これでザフトが2年がかりで開発していたこの機体とこれまでの築いたノウハウは一切合切無駄になってしまったと、サイサリスは笑っていた。ここにきて同業の姉の目論見が見えてきた。もう、この素体を開発し続けることに意味はない。しかし、これは裏を返せばガンダムの未完成品と取ることができる。
サイサリスはやはり笑っている。
「ガンダム、造りたいんでしょ~?」
ため息の代わりに、軽く息を吹く。
「サイサリスお姉さま……、厄介払いなされたいのですか……?」
大袈裟なくらい大きく、サイサリスは首を横に振った。
「押しつけるって言って」
ため息の代わりに、今度は吹く息を多少多めにした。
「同じことです……」
姉は実力行使に出ることにしたらしい。ゼフィランサスの手を引き椅子から立たせるとモビル・スーツの方へと連れ出した。長方形を形作る骨組みに固定された機体は、まだ動力部がなく、主要なセンサーの集中する頭部はフレームさえ存在していない。本当に、開発途上であることがよくわかる。だが、逆にそれだけ、自由度が高いと言える。ここまで基礎が完成しているのなら、ザフト製のガンダムを開発はより低負担え行うことができる。
モビル・スーツを見上げていた首を、姉の方へと曲げる。
「この子のコードネームは……?」
指を1本立てる。こんな無意味な動作を差し挟んでから、姉は答えた。
「勇敢なる者、ドレッドノート」
由来は、開発に5年はかかると思われている次世代型モビル・スーツを、現在ザフトで計画されている次世代機開発計画に間に合わせるためにわずか1年足らずで終わらせようという無謀への皮肉であるそうだ。元々は他の担当者がいたが頓挫し、サイサリスの部署に丸投げされた。サイサリスにしても新型量産機に時間をとられ、助手に一任していたと笑いながら明かしてもらった。
名前の勇ましさに似合わず、不遇な生い立ちにある機体であるようだ。それもせめて、今日までの話にしよう。
「わかりました……。この子は私が引き継ぎます……」
サイサリスは嬉しそうに笑い、手を叩いた。
「プレアく~ん!」
そう、姉が誰かを呼ぶと、床に散乱する備品を蹴飛ばしたような大きな音がして、その方向から大きな白衣を持て余した少年が現れた。それとも、少年と呼ぶより子どもとした方がいいだろうか。背格好からして、10歳程度。癖のある金髪が鮮やかで、不自然なまでに整った顔はコーディネーターであることを確信させる。
少年はサイサリスの横に立つと、ゼフィランサスへと頭を下げた。子ども特有の柔らかくも大げさなお辞儀である。
「プレア・レヴェリーと申します。講演には行けませんでしたけど、ご高名は聞きおよんでます」
プレアは手を差し出した。それが握手を求めているのだとはじめはわからなかった。アルビノの肌に触れることを厭う人は少なくない。ただ、プレアは違うらしい。手を握ったとしても、屈託なく微笑んでいた。このプレア少年がサイサリスから厄介事を押しつけられた助手であるようだ。
サイサリスはプレアの両肩に手をおいた。
「ドレッドノートはこのお姉さんが引き継ぐことになったから、プレアは手伝ってあげて」
責任者の座を横取りされた形であるにも関わらず、プレアはまるで陰のない笑い方をする。引継ぎのための資料をとってくると、うず高く積まれた機材の中へ消えて行った。
年齢を聞きそびれてしまった。コーディネーターの中には若くして第一線で活躍する人は決して少なくない。ただ、それは才能というよりも、その分野で活躍しやすい遺伝子調整を望んだ親がレールを引くからである。それでも、プレアほどの若さは特殊な例であると考えられる。
色素のない手を自分の胸へと押し当てた。規則正しい脈動が手に伝わる。このことの意味を、サイサリスは知っている。ヴァーリなら誰もが知っているはずの自明の理。告げることもなく、言う必要もない。
見ている必要さえない。サイサリスはプレアが駆けていった方を眺めたままである。
「かわいい子でしょ~。変に歳とってないから素直で聞き分けがいいの。プレア君のこと、よろしくね」
この姉は昔から落ち着きがない。話したかと思うともうエレベーターの方へ走り出していた まだラクスも残っているらしい。
ゼフィランサスはもう一度モビルスーツを見上げた。この子の名前はドレッドノート。この子は、ファーストザフトガンダムになる。
ゼフィランサスを残して上るエレベーターに2人のヴァーリ。GとP。かつてのZとPに比べ何かが変わり、何ら変わることはない。ラクスは微笑み、サイサリスは笑い続けている。
「サイサリスはガンダムには関わらないのですか?」
「造ってみたいけど、今はアスランのパパにビーム兵器を搭載した主力機造れって言われてるから。まあ、ドレッドノートのフレーム構造は採用できないけどガンダムのデータはあるし、ちゃっちゃと造るよ」
副議長、それとも国防委員長、あるいはアスラン・ザラの父親。どのような呼び方をするにしても、パトリック・ザラは引き金にかけた指を緩めるつもりなどないのだ。
「それほどまで大変な構造なのですか?」
「システムそのものが複雑だし、とても量産体制なんて整わないよ だからゼフィランサスには頑張ってもらいたいな。プレア君、あまり先が長くないから」
お父様は賢い。
お父様は強い。
お父様は美しい。
殺風景。無機質。センスの欠片もない。そんな基地の廊下でさえ、お父様と並んで歩くと心が弾む。ヒメノカリス・ホテルは上機嫌だった。お父様といられる。それだけのことで、纏い舞踏会に出かけるように心が弾む。
だが、残念なことに、邪魔者が後ろから駆け足でやってきた。お父様に言われるがままの装束を身に纏う女だった。名前はメリオル・ピスティス。覚えたくもない名前でも、何度も聞かされる内に自然と頭に刻まれてしまった。
お父様はわざわざ立ち止まってまで女の到着を待つ。
「エインセル様、ヴァーリから連絡がありました。新型モビル・スーツの量産に成功したとのことです」
こんなどうでもいい話のために、せっかくのお父様との2人きりの時間を邪魔されたかと思うと腹が立つ。それよりもっと心をかき乱したのはお父様の態度だった。白くて長い指を1本だけ立てて、お父様はメリオルの唇に優しく触れた。
「メリオル。彼女たちをそのように呼んではいけません」
その笑顔はとても素敵で、それが自分に向けられたものでないことが許せない。メリオルはヒメノカリスに睨まれていることさえ気付かずに惚けた顔をしていた。
「申し訳ありません」
こんな女のことは早く放っておいてまた一緒に歩いて欲しい。それなのにお父様はちょっかいをやめようとしない。
「加えまして、私のことはエインセルとお呼び下さい」
また手を出す前に、お父様に抱きつくことにした。手の動きを封じて、早く歩き出そうと促す。すると、お父様は叱ることもなく歩行を再開してくれた。メリオルはしつこくついて来ようとする。 少しでも気を引きたくて、以前から気になっていたことを聞いてみる事にした。
「お父様はどうしてゼフィランサスがザフトで開発することをお許しになるのですか?」
歩きながら抱きついた腕がとても温かい。お父様はそれこそ、御伽噺でも話して聞かせるように優しい声で囁いた。
「たとえば、こんなお話はいかがでしょう? 人は武器があるから戦うのでしょうか? それとも、争いがあるから武器が必要とされるのでしょうか?」
「わかません、お父様」
1つの事実として、戦いがあれば武器が求められ、武器が与えられれば戦いは続く。すると、さらに武器が必要とされる。この無限に続くとさえ錯覚してしまう螺旋の中で、利益を上げる者たちがいる。たとえば、ラタトスク社であり、モルゲンレーテ社のような軍需産業。
需要があるからこそ企業として成り立つ。同時に、供給こそが需要を生み出す。こんな経済活動を行う産業は他にもあると、お父様は付け加えた。それは、麻薬のような依存性のある物品を扱う商売。
「いるのですよ。社会に巣食い、その生き血をすすっているダニというものは」
お父様はいつも冷静。どんな話をしている時でも、微笑を絶やさないから。
「ですが、いくら必要とは言え品質が悪ければ誰も買ってはくれないでしょう。その点、モビル・スーツは申し分ありません」
満を持した新商品ということだろう。ただ、それではザフトでゼフィランサスに開発を続けされる理由にはなっていない。解けない疑問に、背の高いお父様のお顔を見上げてみた。お父様は小さく笑って、ヒメノカリスの望みに応えてくれようとする。
「しかし戦争がすぐに終わってしまえば兵器は売れなくなってしまいます。ですが、泥沼化して大口顧客を失ってしまうことも好ましくありません」
戦争がなくては武器は売れない。戦争が長すぎたなら、今度は購買力がなくなってしまう。
「適度に戦い、適度に休んでもらなわくてはなりません」
ようやく、お父様のお心が少し、ほんの少しわかった気がした。歩くために前ばかりみているお父様の注意を引くために、袖を引っ張る。
「ザフトもビームを使用することで、戦争は適度に長引く。そう言うことですか、お父様?」
何の前触れもなかった。お父様はいつもヒメノカリスが思いも寄らないことを、突然実行に移す。ヒメノカリスの両脇を抱えると、まるで子どもをあやすかのように抱き上げた。今年で15になる。決して軽くはないはずなのに、同じ高さになったお父様の顔は涼しいままで、重さを微塵も感じさせない。
「そう考えることもできますね。お金で命を買うことはできずとも、命をお金に換えることはできてしまう」
ラタトクス社代表としてのお話をきかせてもらったのは今日が始めてのことになる。そのことがただ嬉しくて、お父様の綺麗なお顔に寂しさが混じりこんだことに気付く事はできなかった。
「こんな私を軽蔑しますか、ヒメノカリス?」
お父様以外の人に笑顔を見せるのが惜しくて、ただお父様になら微笑む事ができる。抱き上げられたまま、ヒメノカリスは愛する父を見ていた
「いいえ。お父様のなさることですから」
たとえ貴方が悪魔であっても、私のお父様であることに変わりはない。私に愛を注いでくださる人であることに違いはないのだから。
お父様はヒメノカリスをゆっくりと床に降ろした。お父様のことばかりに気を取られ、つい廊下の変化に気付くことが遅れていた。通路の一部がガラス張りになっており、通路脇の大部屋がここから見えていた。この通路自体が渡り廊下になっていて、床は遥か下にある。
お父様がその部屋へと体を向けたことで釣られて横を向く。お父様が何を見せたいのか、とてもよくわかる。それでも意地悪をしてみたくて、何もわかっていないようにお父様の袖を掴んだ。
すると、お父様が手を握り返してくれた。
「アーク・エンジェルには感謝しなければなりません。我が社の宣伝塔であるとともに、優良な実戦データを与えてくれたのですから」
GAT-X105ストライクガンダムが戦果を上げればそれだけ、ラタトクス社の製品の高性能ぶりを内外に知らしめることになる。そしてそのデータはさらなる兵器を生み出す糧となる。
今、眼下にたたずむかの機体のように。
それは人の姿をしていた。
それは巨人の大きさをしていた。
それは漆黒の色をしていた。
何よりそれは、ストライクガンダムと似通った姿をしていた。お父様は物言わぬ巨人に名を与え、命を吹き込んでいく。
「GAT-X105EストライクガンダムE。元々は100系フレーム量産化に際して新装備の実験と強化プランの有用性の確認のための機体です」
さらに、このストライクには専用のストライカーが開発されている。それは、その色から黒を意味するノワールと開発者の間では呼称されていたらしい。
「よって、これはストライクノワール。少々早いのですが、あなたの誕生日を祝う贈り物です」
お父様の方へと視線を向けると、お父様もこちらを見つめていた。
「これで戦ってくれますか、ヒメノカリス? 私のために」
この白いドレスはお父様が与えてくださったもの。髪の長い女性が好みだと聞いたから、髪を伸ばして、お気に召すようウェーブをかけた。
「はい。お父様」
だから私を愛してください、お父様。
強化ガラス製の窓に埋め込まれた鉄板。こんなものに守られた車でなければ外出もままならない。国防委員の1人でありながら、プラント最高評議会では穏健派の末席に名を連ねるユーリ・アマルフィには内外ともに敵が多い。ナチュラルにとってはプラントの要人であり、急進派からは手緩い臆病者と写る。
だが、際限なく殺し合うことがプラントのためになるとはどうしても考えられない。
運転手には目的地までできる限り遠回りをしてくれるよう頼んである。約束の時間まで余裕がある。それ以上に、約束の相手と会うことは気が重い。
平日の昼下がり。人々が道路脇の公園でくつろいでいる様子が走る車からでも見て取れる。木々がコロニー内に降り注ぐ陽光を柔らかく変え、植えられた芝生は座る者に優しい。
彼らを守るものは何もない。しかし、このような装甲車紛いの車の中にいるユーリに比べて、彼らははるかに安全だろう。さて、ここで憩いの一時を過ごす彼らは穏健派、急進派どちらの支持者であるのだろうか。どれほどの者が知っていることだろう。人工の大地でごく当たり前の生活を営むことは地球から送られてくる物資なくしては成り立たないという事実を。
戦前は大西洋連邦からの施しとして与えられていた。現在は戦利品として搾取している。どちらにしろ、地球との協力関係なしにプラントは成り立たない。
座り心地のよい座席に手をつく。
「これとて、プラント国内の純正品であるはずもない……」
この独り言は、運転手にまで届いてしまった。何事かと尋ねる声に、あいまいな返事をしておく。運転手はすぐに運転に意識を戻した。車内の彼女にも、外の彼らにも責任のない話なのだ。
敢えて考え事をしないようにするために、膝に肘をついて作った両手を組み合わせた隙間に、額を近づけた。目的地に着くまでこうして伏せているつもりだった。目的地であるプラント国防委員会に着くまで、気の利いた運転手は何事もなく車を進めてくれた。
国防委員会ではまず地下に車は進められる。瞼に入る光が暗く変わったところで顔を上げた。どこにでもあるような地下駐車場には黒い軍服を着たザフトが警備として立ち並んでいる。何度も見慣れた光景であるはずだが、違和感はいつまでもこびりついて消えることはない。
警備の前を通りすぎる度、律儀な敬礼を受ける。それが10ほど繰り返されたところで、車は扉の前で止まった。何の変哲のない扉である。その両脇に軍人が立ってさえいなければ。
車から降りると、門番2人は機械のように完璧な同調で敬礼をした。声を出したのは向かい合って右側の者である。
「ユーリ・アマルフィ国防委員殿、お待ちしておりました」
来る度繰り返してきた形式上の礼儀である。型にはめてこちらも右手を上げてそれに応えた。2人はやはり同じタイミングで休めの姿勢に戻すと、扉が開かれる。
ここからは1人になる。目の前に開かれているのは、長い長い廊下であった。窓もなければ甲冑の置物も勇ましい角をした剥製もない。むき出しの床は靴音を甲高く響かせる。
何もない。視界の四隅に走る4本の直線は何に妨害されることなく消失点へと殺到する。それはまるでこの館の主のようでもある。愚直にして実直。剛腕にして剛健。ただ目的をひたすらに、貪欲に追い求める姿勢に通じるものがあるのである。同時に、一度歩き出したらもはや逃げ道さえないという事が不気味に符号しているようにも思えた。
ユーリにできることは、通路の奥、重厚な扉をくぐり抜けてエレベーターへと乗り込むことだけであった。委員長室への直通エレベーターである。浮遊感を味わったと考えた途端に、エレベーターの扉が開かれた。
暗く、広い部屋である。足を踏み入れると、照明が光の道を作り出す。その先には国防委員長であるパトリック・ザラが普段通りの渋い顔をして座っていた。
それは書類の散乱する机の前にまで来た時も変わることはない。国防委員長は弱気な部下の顔を見上げるなり、大きなため息をついた。
「君はジンのジェネレーター出力がどれほどか、知っているかね?」
時に感情的に、時に論理的に自分が有利となる論点に持ち込む手法はザラ委員長の常套手段である。話が始まった段階で、すでに術が始まっているのである。
できることと言えば、ラウ・ル・クルーゼを追求しきれなかったアイリーン・カナーバ議員の二の舞にはならぬように、出方をうかがう他ない。
「カタログ・スペックで976kwと記憶しています」
返事の代わりに、ザラ委員長は資料をこちらがわへ放った。上司の顔を見ていると、その目は促すように資料へと向けられている。ここで初めて、資料を手に取る。資料には、議会でゼフィランサス・ズールと名乗った少女が開発したガンダムという機体群のデータが羅列されていた。
5機のガンダムの出力は、平均して1800kwにも達する高性能なものであった。ジンの倍の出力である。単なる試作機にここまでの性能を与えることの無意味を笑いたいのだろうか。それとも、ジンの低性能ぶりを嘆きたいのか。
このように考えている時点で、主導権はザラ委員長のものであると言える。
「パパとズールに試算させたのだがね、ビームとやらを安定して扱うためには1200kwからの出力が望ましいそうだ」
パパとズール。フォネティック・コードでPとZ。つまりサイサリス・パパ、ゼフィランサス・ズールのヴァーリ2人を指している。
まさかこんな愚痴を聞かせるために呼びつけたわけではないだろう。早く本題に入ってもらいたい焦りから、瞬きが多くなっている。書類を机に置く最中もザラ委員長から視線を外すことができない。
「私はビームを常備した量産型モビル・スーツの開発を急がせている。そのことをどう思うかね?」
兵器工場の集中するマイウス市選出の評議会議員としてのユーリに意見を求めているのだとしたらどれほどで量産体制が整うか、そんなことを知りたいのだろう。しかし、ザラ委員長に話しておきたいことはそんなことではない。プラントの現状を、思い浮かべることにした。
「今のプラントが、そのような機体を量産するほどの余力を残しているとは考えられません」
生産は可能である。量産も開発さえ完了すれば1月でそれなりの数をそろえることができるだろう。問題としたいのは、そのジェネレーター出力である。高出力化すればそれだけ高性能バッテリーを必要とする。そして、バッテリーを充電するには大電量の発電機が必須となる。ニュートロン・ジャマーの影響下ではプラントにおいても電力は決して潤沢ではない。そのことを説明する必要がある。
「仮に新型が主力を担うほど量産されたなら、電力消費量が増大します。現在のプラントに耐えられる負担ではありません」
ザラ委員長はこちらを見ようともしなかった。投げ散らかされた資料の山から目当ての書類をあっさりと取り出した。一見無造作に見えてもすべて計算付く。なんとも委員長らしい。
「それについても試算を終えてある」
背中に嫌な汗が流れた。今度は書類を手渡すこともなく、ザラ委員長は手元の文字を気だるげとも思える調子で読み上げた。
「現在開発されている新型が主力となった場合、電力消費量の増大とやらは、プラントに2時間の停電を強いるものとなるようだ。無論、連日でな」
所詮、委員長の手の上で転がされている。委員長は果たしてすべての手札を切ったのだろうか。ギャンブルの趣味はないが、カードを握りしめた心理戦は通じるものがある。次にカードをきるべくはこちら。まるでカードを投げ渡すように、右手を振るう。
「地球の協力なしではこの国は成り立たない。啓発するにはよい機会になるかもしれません……」
目を閉じて鼻息を大きく。その様子は無策な部下への落胆と捉えていたが、そんなはずはない。委員長にとってすべては予想の範疇なのである。失望ではなく、それは思いのままに動く操り人形へと向けられた賞賛に他ならないのではないか。
「民に負担を強いたくはない」
使用電力に関する書類を机に投げ落とす。こんな何でもない動作にさえ、意図を感じずにはいられない。それとも、無意味な行動にさえ意味があるかのように思わせることが目的であろうか。こめかみがむずがゆい。汗をかいている。拭うこともできないでいると、擬似重力に引かれて汗が流れる。
「しかし、魔法でも使わなければ電力不足は解決されません」
「では、魔法を使いたまえ」
委員長は両肘を机につき、指を組み合わせた。机に前のめりに、こちらの顔を覗き込んでくる。魔法を使え。それは戦争の負担を民に押し付けたくないからではなく、停電というわかりやすい現実を前に厭戦機運の高まりを警戒してのことだ。上層部はプラントが抱える問題をこうしてひた隠しにしてきたのである。
厭戦気運が高まれば不利益を被るのは急進派と、その筆頭であるザラ委員長に他ならない。
「ザラ委員長のお考えはよくわかりました。しかし、賛同はできません」
魔法は個人の私利私欲で利用されるにはあまりに大きすぎる力である。強く意見しようとすると、自然と体が緊張する。まるで評議会で発言するような心地で、頑強に拒絶する。
突然、ザラ委員長が机を強く叩いた。道理と無茶を併用する委員長のパフォーマンスでしかない。
「この戦争は必ず勝たねばならん。我らコーディネーターは人類の未来を担う種なのだ。いつまでも持たざる者の嫉妬につき合ってはいられん!」
上司を真似て、両手を机に強く押し付ける。
「あなたは勝つことを前提にしたお話しかされない。仮に駐留軍が撤退するようなことになればプラントは明日の生活さえままならなくなります!」
自分では自分をおとなしい性格をしていると考えていた。周りもそう考えていてくれたとしたら、これはちょっとした奇襲になるのではないかとほのかに期待していた。相手がザラ委員長である以上、それは甘い考え以上の何者でもない。
「すでに資源は確保している。ザフトは10年は戦える。そこに貴様の魔法が加わればな」
机から手を離し、元いた立ち位置に下がる。しかし、そこで踏みとどまることができた。戦場に送り出した息子が支えてくれたような気がするのである。ニコルは本来、戦いなどできる子ではない。優しい子なのだ。それでも父のため、仲間のために戦うことを決めた息子の強さが、ユーリを奮い立たせた。
「魔法と科学の違いをご存じですか?」
険しい顔は、いまだにこちらに向けられている。正面から受け止める。
「魔法がどのようなものであるのか詳しくは存じません。しかし、科学とは再現性です。条件さえそろえば、いつ、誰にでも再現可能です」
その力はプラントのみならず、やがてナチュラルが、ブルー・コスモスが手に入れることになる。必ずだ。その結末はあまりに恐ろしい。
「それをあなたはご承知か!?」
そうあらん限りの声を出した。
ユーリが訪れた時と同様に、ザラ委員長は息を吹いた。この男はそんなに周りに影響されることがないのだろうか。冷淡という言葉より、冷酷と決め付けてしまいたくなる。
「この戦争、我らがやめても終わらんぞ」
だが同時に、急進派が戦争をやめようとすることもないだろう。大西洋連邦との和平交渉がことごとく失敗した遠因の1つは、急進派が条件に最後まで折り合わなかったということもあるのだ。
戦うこと自体が目的であってはならない。なるほど。急進派は和平というものが苦手であるらしい。その証拠に、ユーリは委員長と手を組むつもりにはなっていない。
「失礼します」
相手の反応も待たずに振り向き、来た道をそのまま引き返した。さて、この行動も、委員長にとっては試算済みのことなのであろうか。
ずいぶんとくたびれた姿になったものだ。顎鬚をさすりながら、モーガン・シュバリエは傷ついた愛機の姿を見上げていた。TMF/S-3ジンオーカー。こいつを鹵獲して1年になる。どれほどの戦いを潜り抜け、そして死にかけてきたことか、もう忘れてしまった。装甲に刻まれた細かい傷のみが戦いの歴史を物語る。
特に左腕が肘から先が丸ごと欠損している訳は記憶に新しい。ザフト軍大型陸上艦レセップス級にハウンズ・オブ・ティンダロスを仕掛けた際にもぎ取られたものだ。ハウンズ・オブ・ティンダロスは部下から無謀だと幾度もたしなめられた。そんな無茶に付き合ってくれるのは、いつもこいつだけである。もっとも、無理やりつき合わせていると言えなくもないが。せめて労ってやりたいものだ。しかし、それはモーガンの仕事ではない。
ジンオーカーの足元から男が1人やってくる。
右手のペンで頭をかきながら、難しい顔をしている。この際外見だけで判断してしまうことにする。男は伸びっぱなしの無精髭がいかにも職人と言った要望で好感が持てる。名前はコジロー・マードックとか言ったか。アーク・エンジェルの整備士である。
「どうだ? 直せそうか?」
わかりやすく、コジローは両手を外側へ向けて開いた。お手上げということだろう。
「できなくはないんですがね、如何せんパーツ不足で」
元々この基地の整備士ではないコジローよりもこちらの方が在庫状況には詳しい。ジンオーカーは元々敵軍が運用していたものである。そのことの弊害の1つは、予備パーツが決定的に足りないということだ。量産体制が整っているはずもなく、これまでだましだまし使ってきたというのが実情なのだ。
コジローにジンオーカーの整備を依頼したのは、あわよくばアーク・エンジェルのパーツを回してもらおうという下心故である。
「ガンダムのはだめなのか?」
情けなく口をあけるコジロー。その顔は、何か憔悴しきったように見える。
「それが……、ガンダムに使われているフレームはちょいと変わってましてね……」
何でも、モビル・スーツと一言で言っても、ジンをはじめとするザフト機とガンダムではまるで構造が違うとのことだ。ザフト機は研究者の間では外骨格系と呼ばれる構造を採用しているのだそうだ。これは昆虫などと同じように、骨を持たず、体表の硬い殻が骨格としても機能していることから名づけられたのだそうだ。関節部にモーターを設置し、装甲同士を繋ぎ合わせることで機体を支えている。この外骨格系は言わば装甲という枠の中に内部機器を詰め込む構造であるため生産が用意で、様々な詰め込み方があるため拡張性に優れるという利点があるらしい。
問題点は、装甲が骨格を兼ねているため損傷がそのまま機能低下に繋がってしまうこと。鎧が砕かれたら骨も折れるというなんとも笑えない話だ。
これに対し、ガンダムはより人体に近い構造をしている。骨にあたるフレームは人体ほどしなやかな動きが可能な構造が採用され、各所に筋肉にあたるアクチュエーターが内蔵されている。まさに骨格と言える構造である。この新機軸の構造にはすでに名前があることを、コジローは付け加えてくれた。
「ザフィランサス主任はムーバブル・フレームと呼んでました」
ムーバブル・フレームの利点は、なんと言ってもその動きが自由度の高さであるのだそうだ。無論装甲をかぶせるので人とまったく同じ動きができるというわけではないが、人の動きの再現性がより高い。さらに装甲とフレームが別になったことで装甲の損傷が機能に影響することもない。装甲に一定の厚みを確保する必要もない。このことのメリットを具体的に上げるなら、可変機構をモビル・スーツに付与することもできることである。
その反面、構造は複雑であり、製造はもちろんのこと、整備には多大な負担を強いることになる。コジローが疲れきった顔をした理由がようやくわかった。
少し視線を右に向けるだけで、ジンオーカーから離れた位置に置かれているGAT-X102デュエルガンダムの姿が見える。
「同じように見えて、中身はまるで違うんだな」
パーツを分けてもらうことはできそうにない。落胆の表情を見せたつもりはなかったが、コジローはすまなそうに頭を下げた。
「まあ、この基地の備品でなんとか修理できますから、やらせてもらいます」
頼む。そんな一言で、すべてを任せ、離れていくコジローが格納庫の壁に開けられた通路に消えるまで見送った。
もう1度、ジンオーカーへ目を戻す。本当に、くたびれた機体だ。機体を支えるハンガーも塗装がはげかけている。この基地も、そしてモーガン自身もそろそろ限界が近いらしい。本隊と離れ、まるでゲリラのような戦いを続けてきた。砂漠の虎にとっては庭を徘徊する野良犬程度のことであったことだろう。しかし、野良犬には野良犬の意地がある。
「お前には付き合ってもらうことになりそうだ」
青く染められたジンオーカーは何も言ってはこない。もし言葉を扱うことができるなら、どんな恨み言を聞かされるのだろう。それとも、敵に利用されることしかできないでいる自分のふがいなさを嘆くのだろうか。
らしくもない。ずいぶんと感傷的になっている。こんな馬鹿げた考えを振り払うように、振り向き歩き出す。ジンオーカーから視線をそらしてもなお、胸をいたずらに苛む不安とも悪寒ともとれる焦燥感は消えてくれない。
思い違いをしていたようだ。浸っていたのは感傷ではない。記憶である。以前にもこのような不快感に襲われることがあった。その時は、とてつもない嵐--ザフトの赤道降下による奇襲--に見舞われた。
あの時と同じなのだ。つい立ち止まり、愛機へと振り返る。ジンオーカーは無言のままである。最期を共にするというのになんともつれないものだ。