朝の職員室。教師とはいえ、皆が皆、全員女性である以上やっぱり姦しい。やれドラマを見たかとか、俳優がどうのとか。どこそこのケーキが美味しいとか、バッグのブランドとか、会話自体はさほど生徒と変わらない。強いて言えば、金銭的レベルが上と言うぐらいか。セシリアも金回りが良い方だが、同じ金回りの良い友人が居ないようで会話がズレると嘆いていた。ティナは軍人らしく堅実で、そもそも3組だ。実習授業でも会うことは無い。 そうこう言っている内に、鐘が鳴り山田先生が職員室の前方にたった。本日は週一のIS会議の日である。教職員全員の意識向上のため授業が始まる前に行われていて、ローテーションを組み全員が発表する。世界動向、主にIS関連は活発でテーマに困ることは無い。「……先日発表された防衛白書によると各国の軍事費、とりわけIS関連は増加の一途を辿っています。今までは軍備増強によるアメリカ対中国が主な摩擦の主役でしたが、最近はEU内でも同調が取れていません。先日イタリアのドゥカティ社がテスタメントRev2で発表した新型の航行システムですが、EU技術協定に反し未公開としたため、各国の反発が強まっています。イタリアは協定対象では無いというスタンスですが、イギリスとフランスが何らかの声明を発表するようです。以上発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」 山田先生が控え、姿勢を正す。すると教頭先生が壇上に立ち、見渡すとこう言った。「今山田先生の発表にもあったとおり、ISを取り巻く政治、経済の動きは加速の一途だ。IS国際委員会の形骸化、弱体化もいよいよ現実の物となり、反社会組織がこの混乱に乗じる可能性も否定出来ない。動向に注意し極東の国だと楽観視せず、渦中にいるのだと肝に銘じ、絶えず警戒を怠らないようにしてほしい。以上、解散」 職員室に喧噪が戻る。しかし会話の内容は発表の続きで皆真剣その物である。先日現れた、黒髪の少女M。彼女はファントム・タスクのメンバーである可能性が高い。教頭先生の言った反社会勢力とは恐らくそれのことだろう。むう、面倒なことになってきたものだ。 敵は分かりやすいほど良い、姿の見えない敵では軍人ではなく刑事が担当だ。生憎と俺は刑事では無かった。 コーヒーをすすり一息付いた。白いマグカップに納められたそれは波紋を刻んでいた。ちらり。書類越しの黒の人。彼女は手元の書類に目を通しているが、終始無言で眼を伏せている。聞くまでも無く機嫌が悪い、と言うより気落ちしているようだ。彼女が何か知っている事は間違いない。間違いないのだが……ちらり。対面に座る金の人は他の先生と話していた。“聞かないで欲しい”という彼女の願いを反故にするわけにも行くまい。つまり向こうから話してくれるまで待つしか無いというわけだ。 ファントム・タスクにM、過去に何があった。 自宅のソファーに腰掛け携帯端末を膝に乗せて起動。ネットの汎用検索サイトを開いた。待つしか無いとはいえ何もせずただ待つというのも信条に反する。放っておいてもいずれ連中と出くわす可能性が高い訳だし、できるだけのことはしておこうと再度調査をすることにした。 ファントム・タスク。秘密結社の1つ。組織の目的や存在理由、規模など一切が不明。第2次世界大戦中に組織されたとされているが定かでは無い……ネットではこんなものか。秘密結社と一口に言っても、存在は知られているものの構成員の公募は行われていなかったり、存在自体知られていなかったりと秘匿レベルや規模など様々である。ファントム・タスクの場合殆ど知られていないクチらしい。 以前シャルから聞いた話よると本拠地は欧州らしい、運営方針を決める幹部会と実働部隊の2つに分けられているらしい、政財界にも影響を持ち影から世界を動かしているらしい、らしい、らしい……結局のところよく分からない、と言うのが実情だ。少し考えてみればISが切り口になろうとは思う。高い軍事力を持つIS、連中が見過ごすはずは無く、事実Mも実際に使用している。学園が、IS黎明期を知る千冬が何かを知っているのは間違いないだろうが、「その千冬に聞けないという訳だ……どうしたラウラ?」 黒赤黄色のストライプ、ドイツ国旗をあしらったエプロン姿でむすっと立っていた。銀の髪は黒いリボンで結っていた。「……夕飯が出来ました。片付かないから早くたべろ」「ごちゃ混ぜになっているぞ」「混ざっているのは真の方だろう。対応に苦慮するので蒼月で居てくれ」「青崎でもあるんだけどな、そもそもどの様な理由で苦慮する?」「16歳の格好で教官を呼び捨てにされると殺処分するべきかどうか」「わかったわかった。分かったからコンバット・ナイフは仕舞ってくれ」 ことことかちゃり。 ドライトマトとバジルのカトフェルサラダ。エンドウ豆をふんだんに使ったスープ、エルプセンズーペ。ドイツのカツレツ、シュニッツェル。本格的なドイツ料理が目の前に並んでいた。時計を見ると夜の7時半。今日は早く終わったので6時上がり。約1時間半の短時間でよくもまあここまで作れるものだ。心から感心してしまう。しかもなかなかの美味ときた。「何か言ったか?」「いや、随分上手になったなって、さ。俺も簡単な物なら作れるのに、出る幕が無いな」「真が作れるのはレトルトだろう。あれを料理とは言わん」「そうざ、」「出来合の物を乗せても同じだ」「……上手なのは認めるよ」「なんだその遠回しな言い方は」「上手だからってラウラに任せてばかりだと不味いなと思っただけ」「最近興味も出てきたからな。気にする必要は無いぞ」「ラウラの味に慣れると後々困るという意味だ。別れた時の辛さが倍増する」「……気がつかなかった」「だろ?」「そう言う捕まえ方もあるのか」 おいおいと引きつり笑う。「一般論だ、気になったか?」 ラウラも言うようになった物である。仏頂面は隠せたものの、手に持つフォークが鳴り、それが予想より大きかったので戸惑った。喉を鳴らし笑う彼女にこう言った。「真面目な話だが聞いて良いか?」「なんだ」 考えてみればうってつけの人物だ。ファントム・タスク本拠地は欧州、その中心であるドイツの軍人なら申し分ない、だがファントム・タスクその名前を切り出したとたん、彼女の手がぴたりと止まった。何か知っている様だが気軽に話してくれるわけでもないようだ。。「知っている事があれば教えて欲しい」「知っているのは記録にあった事のみだ」「構わない」 ゆっくりと語り出したラウラの話をまとめると次のようになる。 ファントム・タスク、別名亡国機業ともいい、第2次世界大戦を期にいくつかの結社から習合された組織らしい。母体となった結社は古く13世紀頃にまで遡るそうだが記録は乏しく極めて曖昧。一節には19世紀末に設立された秘密結社、黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)と関係があるともされているが、定かでは無い。 ドイツや他のEU諸国も、関係があるとされる人物を過去に数名拘束したことがあるが、自害もしくは暗殺により大した情報を引き出せてはいない。ただ、暗殺にはカテゴリー2のナノマシンが使われていることからある程度の技術、規模を有していると推測されている。「薔薇十字団やシオン修道会とも関係があると言われていて、詳細は我々も把握出来ていないというのが実情だ」「ドイツ軍でもか」「我が国ドイツの上層部にも関係者が居る、それすら否定出来ない。それ程までに根が深い組織というのは恐らく間違いあるまい。そうそう、調べようとした軍属、政治家が消されたという噂まである」「何から何まで不明か、雲を掴むような話だな」「どういった目的を持っているのか、それすらな。一節によると世界大戦を契機にしていることから世界の均衡を謀っていると言うが……」 思わず考え込んでしまった。得られる情報が少なすぎる。どうとでも解釈出来るのであればそれこそオカルトか陰謀論が適当だろう。分かっていることはそういう組織が存在し動いていることだけ。そう、俺は現実に目撃している。エマニュエル・ブルワゴンとMそれは事実だ。 ラウラは静かにスープを食していた。緑色のスープを小さい口に運んでいる。左腕のリニア・アクチュエーターが鈍い音を立てた。「もういいか? 食事の席に合う話題でも無いだろう」「もう一つだけ」「なんだ」「それが織斑姉弟とどう関係する?」「……」 そうこれだ。強大な力を持つ織斑千冬、ディアナ・リーブス、そして篠ノ之束。もし権力に関わる組織であればこの3人を見過ごすはずが無い。「それは言えない。プライベートに関わる問題だ」 僅かな失望を感じ俺はこう言った。「俺でもか?」「であればこそだ。教官が言わない以上私が言う訳にもいくまい」「そうか、いやそうだな。済まなかった」「不安なのは分かる。だが今は満を持して待つべきだ。真、お前は下手に行動力がある、情報を与え再び怪我でもされると教官が泣く、ついでにストリングスも、な」「なんだ。ラウラが俺の世話を焼くのはそう言う理由か」「好意には違いあるまい……なんだその残念そうな顔は」「降参だ、好きにしてくれ」 静かなラウラの笑み。僅かばかりの胸の鼓動、俺は以前一夏が誘拐されたことを思い出していた。 ◆◆◆ ラウラに断られた。シャルも今以上の情報を持たない。セシリアに頼めば無理を聞いてくれるだろうがそれは彼女の立場を悪くしてしまうだろう。だから聞けない。一夏は良く覚えていないと言っていたが、鈴はどうだろうか……だめだ。2人が出会ったのは一夏の記憶が鮮明になってからだ。 では箒は? 彼女はIS発表と共に保護プログラムに加えられ日本各地を転々としていたという。IS発表時彼女は6歳で、小学一年生だ。覚えていないどころか何が起こったか理解出来ていないだろう。 放課後の学園を当てもなく歩く。日も傾き冷たい風も吹き。空を舞う木の葉は茶や黄色に染まり、地面に積もる。学習棟からアリーナに続く道、そこは枯れ木と落ち葉の回廊になっていた。 桐の葉も踏み分けがたくなりにけり 必ず人をまつとなけれど 新古今和歌集で式子内親王が謳った詩だ。寂しさや哀れさを謳った詩は沢山有るが、秋をテーマにした詩には特におおい。これもその一つで、深まる秋の寂しさと人恋しさをテーマにしている。なんというか、もうちょっと前向きになっても良さそうなものだ。例えば落ち葉から焼き芋を想像するのはどうだろう……そこまで考えて自分の浅はかさに失笑した。枯れ葉を見て気分が高揚するのも鈍すぎだ。 夕暮れに染まる第3アリーナではISの機動音が響き渡っていた。カタパルトから一望すると訓練機を使用する一般生徒はもちろん、専用機持ちの皆も懸命に汗を流している。さっと見渡すとセシリア、シャル、簪……あれ? 随分と少ない。一夏は、楯無と生身で特訓中だとしても、箒と鈴は何処へ行った。「なにやってんのよアンタ」 噂をすればなんとやら、きょろきょろと探していると鈴がやってきた。ライトピンクのISスーツを身に纏い、結い分けた二束の髪をゆらしている。黒曜石色のその髪は、夕闇に浮かび上がるよう輝いていた。「やあ鈴、こんばんわ。これからか?」「休憩中よ、アンタこそどうしたのよ珍しい」 最近は業務もあって自主訓練は夜間ばかりだ。「そんなに珍しいか?」「ここ一ヶ月は見てないわよ、ちゃんと訓練しときなさいよ、忙しいのも分かるけど疎かにしたら追い抜くかんね」そう立ち去ろうとした鈴を呼び止めた。「なあ、鈴。ファントム・タスクってしってるか?」「名前ぐらいは知ってるわよ、あと胡散臭いことも。それがどうかした?」「……」 この反応から見て鈴は並程度にしか知らない。その様な考えに至った時これ以上聞くのを止めた。知らないならそれで良い。鈴の性格を考えれば首を突っ込んでくるだろう、彼女を巻き込むことは避けたかった。「いや、最近知ったんだよ。鈴の言うとおり胡散臭くてさ、ちょっと陰謀論とか興味出た……ってなんだ?」 目の前に鈴が居た。半眼でじっと見つめられていた。「……アンタ、また何か碌でもないこと考えてるんじゃないでしょうね」「小説でも書いてみようかなとか考えてるぞ」 俺の軽薄な返答に満足しないのか、鈴は俺の頬をそっと触れると、とつぜん抓った。鈍い痛みが走る。「ふぃん、ふぃたい」「アタシの目を見て言いなさい、大それたことは考えてないって」「考えてない、ラウラも知ってるから安心してくれ」「なら良いけれど……」「引き留めて悪かったな、訓練がんばってくれ。それじゃ」 振り返った時である。背後から鈴の声が聞こえた。「少し前、イギリスからISの試作機が盗まれたって話があるのよ。機体のコードネームを“サイレント・ゼフィルス”って言うらしいんだけど、それを企てたのがファントムなんちゃらっていう組織。数ヶ月前だったわよね? どこかの誰かさんが横須賀市の上空で戦った相手に酷似してるって、本国じゃ持ちきりだったわ……なーんて。独り言ってガラじゃないのよアタシ、もう行くわ」 鈴は最後に早く帰りなさいよと言って立ち去った。その姿をじっと追う。「鈴すまん」そう誰にも聞こえないよう呟いた。 サイレント・ゼフィルスか。ビットと良い大型ライフルと言い、通りでブルー・ティアーズに似ているわけだ。姉妹機だったわけである。まあこれでこれで益々セシリアに聞けなくなった訳だが、逆に良かったとするべきだろう。無理すれば機密漏洩で罰則ものだ。それにしても連中はどうやってISを奪取したのだろう。世界で468機しかないISは貴重品だ。相応な警備の元にあるこれらを奪うなど余程のことだ。真っ向からぶつかると大戦力が要る、だとすれば侵入し盗み出したとする方が無理がない。しかしどうやって……。「イーサン・ハントかルパン3世でも雇ったのかね」ひゅるりと秋風が走った。