篠ノ之束との通信が終わった後、スーツ姿の千冬とディアナが血相変えてやって来た。2人は俺らを見ると事情を察した様で、虚さんと楯無に機密保護と自室待機を命じた。俺には紅椿を待機状態に戻すよう命じ、事情聴取だといって連行した。 千冬に紅椿を渡したとき「お前の起こす騒ぎは一見静かだが大事だ……昔から」と言われた。 意図したわけじゃない、確信犯ならこのまま投獄だ。語尾は違っているけれど、昔懐かしいやりとり。気恥ずかしい沈黙が訪れる。明後日の方向を見つめながら髪を掻き上げる千冬を見ていると「さあ蒼月先生、生徒指導室までいきますよ」とディアナが苛立たしさを隠さずに言った。 首に糸が絡み、ひっぱらられた。ぐるぐる巻きだ。こう言う場合首ではなく手首が適当です、それに誰かに見られると事ですと言ったら「脈絡もなく良い雰囲気になるからよ、いい気味だわ」となんとも穏やかでない。 道すがら篠ノ之束と通信をしたと言った。だから駆けつけたのだとディアナは言った。「もっと早く確認しておけば良かったな、2人は俺の能力のこと知っていたんだろ?」「その話をすると必ず突っ込んだ話になるから、な。だが結局先送りでしかなかった。事態の悪化を招いてしまったのは私のミスだ」 千冬の口調が堅い。責任感の強い千冬のことだ、己を責めているのだろう。だがここで一つ疑問がわく。確かに篠ノ之束に俺の事が露呈した。問題と言えば問題だろうがそれほどだろうか。篠ノ之束と言えば個人を認識出来ないほど他人に無関心と聞く。ならば大々的に公表するとは考えにくい。「確かに俺のミスだけれど、それ程大事か? そもそも千冬は篠ノ之束と仲が良いんだろ? 他言無用と頼めないのか?」 何気ない、深い意味の無い俺の問い掛け。てっきりその手があったと笑い話になるのかと思った。だが千冬は無言で首を振った。「篠ノ之束とは袂を分かっている」 重苦しい気配に俺はそれ以上聞くことが出来なかった。 しばらく歩いて昔懐かしい生徒指導室の扉をくぐる。教職の身になってもこの部屋にやってくるとは、情けないやら不甲斐ないやら色々判断に困る。後から聞いた話だが、教員にとってここは説教室になるらしい。何故知っているかというと、山田先生から聞いた訳だが、その山田先生に何故知っているのかと問うたら、秘密ですと乾いた笑いで返された。つまりはそう言う事だ。 ぎしり、とソファーが音を立てた。向かって右の千冬は何時もの様に腕と足を組んでいた。とんとんと指でリズムを刻んでいる。苛立ちよりは当惑しているらしい。左のディアナはやはり何時もの様に足を揃え、両手は膝の上、姿勢正しく座っていた。ただ瞳は鋭く光っている。当惑よりは苛立っているようだ。話の口を切ったのはディアナだった。「概要で良いわ、まずは何があったのか、なにをしでかしたのか話しなさい」「先に質問は?」「却下よ」「……了解。紅椿に触ったんだ」 2人の眉がぴくりと動いた。「2人は知っているようだけれど、俺は触れた機械を自由に操れるという少々変わった力を持っている。それで紅椿に触った。目的は紅椿の調査とセキリュティの解除。そうしたら紅椿も知らない2つのデバイスがあってね、他にめぼしいデバイスがなかったものだからそれを解析・解除したんだ。そうしたら1つは重力子を用いた空を歩く機能で、もう1つは素粒子を利用した測定器兼通信機だった。それは紅椿の状態をモニターしていて逐一データを月に送っていた。つまり俺が機械に触るとどうなるか、それが篠ノ之束にバレた。ブービー・トラップだったというわけさ……なにか質問は?」「何故触ろうと思った? 篠ノ之束が何らかの企みをしていると疑っていたのだろう? 慎重なお前らしくない」「どうせ箒のご機嫌取りでしょ? 浅ましいわ」「ほう、私たちに追求されるより小娘を選んだというのかお前は」「何よりも君の笑顔を見たかった、とか言うつもりだったんだわ」「「……」」 徐々に険悪に、道が逸れ始めた。俺は慌ててこう言った。「ちょい待ち! 知り合いが辛そうにしていたらどうにかしたいと思うのが普通じゃないか。2人はそれを否定するのか?」「「……」」 浮かび上がった腰を2人がトスンと落とす。首の皮一枚で繋がったと、心中で汗を拭った時だった。その時だった。顔面に痛みが走る。右の頬を千冬に、左の耳をディアナに引っ張られた。「いふぁい、いふぁい」「何時の間にか口が随分と達者になったなお前は」「下心が無かったとは言わせないわよ」 ばれていた。 ◆◆◆ 散々抓られ引っ張られ、説教された後の事だ。一息付くかと3人でコーヒーを飲み始めた。話題は色々だった。仕事のこと、上司の愚痴、後輩のドジ。おやっさんの話。一夏を初めとした生徒の状態など。俺は教師だがまだ16歳だ。公私は分けられているとは言え、皆の対応は同級生のそれに近い。私たちから見えないこともあるだろうと色々話し合った。 激動だった一学期。一夏と俺を中心にした影響は大きなうねりとなって皆を巻き込んだ。千冬ら教師らはそれの悪影響を心配していたらしいが取り越し苦労だったらしい。それどころか逆に精神の成熟を促した。怪我の功名という奴である、いや、災い転じて福と成すだろうか。そう言われれば、落ち着いた娘が、大人っぽくなった娘が急激に増えている気がする。「夏休みを境に変わるなんて普通の高校みたいね」 とはディアナの弁。「二人を取り巻くのに特に多い、これでは異性交遊も一概に馬鹿に出来ないな」 とは千冬の弁。 2人の言葉を契機に俺は昔を思い出した。まだ一夏も箒らも居なかった頃の話。俺は会社員でナベさんに連れられて学園の皆と共に過ごしていた。 つるを伝うかのように記憶を遡ると、銀髪の少女が一人立っていた。風にたなびく白銀の髪。一見鋭い表情だが、人情に溢れていて、とても煌めいていた。眩しく見えた。今思うと、今でこそ分かるのだが彼女は心から人生を楽しんでいた。だからこそ当時の俺は彼女を慕ったのだろう。羨望故に。 手元のカップに波紋が立つ。俺はそれをじっと見たあとこんな事を聞いてみた。「貴子さん、黒之上貴子さんが学園祭の来たけれど、結局何しに来たんだ?」「機密だ」 これは千冬。ぐびとコーヒーを飲んだ。「何を言い出すかと思えば、また小娘の話?」 これはディアナ。とても不愉快そうだ。「仕方ないだろ、“こっちに”来てからもっとも影響を受けた一人なんだから」「私も聞いて良いかしら?」「どうぞ」「真のその能力、何時気がついたの?」「確信を持ったのは福音戦の後かな。一夏と合流してリターンマッチを挑む直前、みやが俺に話掛けたんだ。言葉じゃなくて明確な意識といったものだったけれども。ISに意識があると言うのは言われていたことだけど、あれほど明確だったとは思いも寄らなかったからぴんときたんだ。それ以前に触れていた機械、銃や加工機、カーチェイス時の自動車といった事例もあったから、驚きはしなかった、そう言う事かと腑に落ちた感じ。ディアナの糸繰りに、千冬の慣性力制御はやっぱりそれ?」 二人は黙って頷いた。最初はディアナ。「私のは正確には波、振動なのだけれど」「ひょっとして物質を砕ける?」「固有振動測定、その後粉砕、ツー・インスタントで出来るわよ。一度でも経験がある物質ならワン・インスタント」 おっかない。次は千冬。「身体に触れるあらゆる物理エネルギーをキャンセル(打ち消し)できる。瞬間的だがな」 なるほど。IS用の大剣を振り回したり、銃弾を受けても平気なのはそれか。ん? ちょっとまて、と恐ろしい仮説が頭をよぎった。俺は慌ててこう言った。「ひょっとして光も止められるのか?」 仮に可能なら膨大なエネルギーを発生させることができる。高速で蠢いている光子を停止させると等価のエネルギーが発生するはずだ。逆説的だが停止したという事象のつじつま合わせの為エネルギーが生じる。つまりはエネルギー保存の法則というわけだ。そしてその規模は戦術ではなく戦略級になるだろう。「私は光がどういった物か、その理解がないから出来ない。波だ粒子だと言われてもさっぱりでな。篠ノ之束も残念がっていた」「千冬の場合は、イナーシャルをキャンセルする、その瞬間を捕えられる常識外れの反射速度が重要よね。これが無ければタイミングが取れないもの」 並外れた反応速度と聞いて一夏を連想した。ここで1つの仮説が浮かぶ。一夏がこの世界の英雄だとすれば、血を分けた姉弟である千冬にその影響があってもおかしくは無い。準英雄と言ったところか。ならばあのMは? あの力が二人と同質なものだとして、千冬によく似ている……喉まで出かかった問いを無理矢理飲み込んだ。「千冬そろそろ良いわね?」「仕方なかろう」 何のことだと2人を見た。ゆっくりと立ち上がったディアナは俺を見下ろしこう言った。「見て貰いたい物があるの」 薄暗い学園本棟の廊下を歩く。かつんこつんと音が響いた。学園の中心に位置するここは、一見、職員室や医務室、資料室といった一般的な学校にある施設に見えるが、一度皮をめくれば強固なセキリュティを誇る要塞だ。事実、本棟の中央へ向かう扉を2つも潜れば、外部の音が気配が聞き取れないほど静まりかえっていた。分厚いコンクリートや鋼板に覆われている証拠だろう。 千冬が機械式の扉の前に立った。脇にあるコンソールに手を掛ける。カードを通す。指紋、網膜パターン照合、パスワード入力。重厚な機械音が鳴った。厚さ50センチはあろうかという扉がギリギリと開くとその先にエレベーターがあった。 天井に埋め込まれた監視カメラ、それをちらりと見ると俺は「随分と奥にあるんだな」と言った。「ここは学園の中枢にいたる道だ。それに応じてセキリュティも強固になっている。もっともどこかの誰かさんの手に掛れば意味が無いのだがな」と千冬が意地悪く言う。「これで少しはその力の意味分かって頂けたかしら?」ディアナも意地が悪い。 エレベータに乗るとまたセキリュティ。ヴンと鈍い音を立ててエレベータが降りる。頭上の表示灯には点が2つ。止まるフロアは2つしか無いらしい。最上の階と最下の階だ。「どれだけ潜る?」と独り言のように言うと「地下100m」と千冬が答えた。「こんな地の底に何がある」この問いに答えたのは扉だった。電子音が鳴り、扉が開く。痛みを感じるほどの沈黙した世界。完全な暗闇と言って良い世界の先に、耳を澄ませば微かな気配が感じ取れた。何かがそこに有った。 一歩脚を進めると、照明が灯った。眩む程つよい白い明かりのその先に、紫色の何かが見えた。そこは円筒形の部屋で、無機質と言って良いほど一様な、のっぺりした作りだった。部屋の天井に円筒配列された照明があり、その照明は部屋の中央を真っ直ぐ照らしていた。 目が慣れる。 そこにあったものは紫色の、半透明の、六角柱の物体だった。根元は岩石と一体化していて、普通の岩にも見えた。そこから細かい幾多の結晶があちらこちらに伸びていた。その一際大きい、紫色の結晶が高く伸びていた。まるで天を突かんばかりに聳える摩天楼の超高層ビルのようだった。「これは、巨大な紫水晶の様なものはなんだ? 鉱物なのか? いや人工物に見える」 俺は早口にまくし立てた。千冬が言った。「古の昔から篠ノ之神社には不思議な言い伝えがあってな」「篠ノ之神社とこれがどう関係する」「まあ聞け。例えば鬼の伝説がある。大体500年ほど前の話だ。その鬼は背が高く鼻が大きく、髪は金色で目が青かった。日本語では無い言葉を話すその鬼は、風貌に似合わず穏やかで村人と仲良くなった。だが故郷が懐かしいのか、時折海を眺めながら、不思議な詩を詠った。当時の書物にはこう書かれている、うぃー・おーる・りう゛・いな・いえろー・さぶまりん……どうおもう?」「……うそだろ? なぜ500年以上前の人間が、数十年前のビートルズを知っている」「それだけでは無い。同じ背が高く全身真っ黒の鬼は不思議な絵をもたらした。それには白い石で出来た透明の枠を持つ、山より高い建物があって中に人が住んでいた。空には鳥より大きな翼を持つ、まるで飛行機のような物が大勢の人を乗せて海を越えた。 白い肌を持つ女鬼の伝説もある。彼女は薬草に秀でていて、多くの村人の病を癒やしたそうだ。当時の資料から再現したものの中には塩分やミネラルを含んだスポーツドリンクそっくりなものもあったらしい。髪は白金で今で言えばプラチナ・ブロンド、と言ったところか。篠ノ之神社の絵巻物にはそう言った話が事欠かない。そして神社の祠にこれが祭られていた」 俺は目を丸くしてこの水晶構造物をみた。俺の世界は、ある時を境に一変した。前と後、よく似ているが決定的に違うこと。それは物理的な意味での貨幣が無かったり、携帯電話が無かったり、CDが無く音楽はデータでやりとりしていたり、ガソリンエンジンの自動車が禁止されていたりと多々ある。そしてもっとも異なる点、「ISがある」ディアナが言った。 振り向くと入り口の前に2人が立っていた。俺は自覚の無いまま歩み寄ったらしい。彼女は両肘に両手を添えながらゆっくりと歩いて言った。「この石柱はフランスにもあったの。私が目覚めた時は15歳で記憶の無いままフランスの修道院に引き取られたわ。その書庫で私はISの事、白騎士赤騎士事件のことを知った。今でこそ受け入れたけれど当時は大変だったのよ。こんな物(IS)があるはずがないって、実在しているのに恥ずかし話よね、ま、若かったわ」「フランスのその石はどうしたんだ?」「これが諸悪の原因だって、警備の隙間をぬって切り刻んじゃった」 おい。「でも結局戻らなくてとても落胆したのよ。あの時の私を見せてやりたいわ」「騒ぎにならなかったのか?」「もちろん。もちろん、歴史的遺物が突然破損したって大騒ぎだった」 舌を出してかわいく笑ってもだめだ。千冬が石柱に歩み寄り手を添えた。「よく調べてみると世界中に似たような話が合ってな、いずれの場合にも鬼や妖精が石を通じて現れたという都市伝説や言い伝えがあった。大半の物は魔女裁判や異教遺物として破壊されたが、それでもいくつかは現在も残っている。これもそのうちの1つ。私たちは“ゲート・ストーン”と呼んでいる。真、これが私たちの通ってきた道だ」 俺はその2メートルほどのそれを見上げた。ゲート・ストーン、千冬が通り俺が追いかけた道。こんな物があるなんて知らなかった。「これがどの様なものか判明しているのか?」「何らかの情報処理能力を有する透明な結晶体と言う事以外何も分かっていない。ただ一つこれが出土した地層から一万年以上昔と言う事が分かっている。識者の話では恐らく先史文明の遺産だということだ」「政府筋も知っているのか?」「日本政府は、存在は知っている。だがここにあることは知らない」「学園を建てた理由がこれか」「更識家の協力の下にこれを極秘裏に移設した。そして恐らく、篠ノ之束が躍起になって探しているものだ」「なぜ?」「今をやり直す為、過去を正す為、この石にその力があるとアイツは確信している」