箒の様子が最近おかしい、そう噂で聞いた。曰く、言葉数少なく。曰く、表情少なく。曰く、溜息が多い。腕を組んで考える。口はへの字だ。言われてみれば、あの端正な顔に影が掛っていた、様な気がする。ただ気をつけなければいけないのは箒はどちらかというと喜や楽の表情が苦手だ。圧倒的に怒哀が多い。静寐や本音に言わせるとちゃんと笑うそうだが、その表情思い出すことかなわず。だから偶々そう言う虫の居所が悪い時を見ていただけではないか。そう思った。「むう」放っておけば収まろう、1度はそう思ったが気になったから探す事にした。問題解決は遅いほど手が付けられなくなる物なのだから。万が一事実ならば、友人や千冬に相談する必要がある。もしくはカウンセラーだ。もっとも、そこまで深刻とは考えたくは無い。 そう思いながら学園を徘徊する。右や左へまた右へ。どうしたことだろうか、箒が居ない。アリーナ、ハンガー区画、寮に、道場、学習棟。立ち寄りそうな場所をあたってみたが、何処を探しても見当たらなかった。みやに探索させるも見つからない。ステルス・モードにしているらしい。「はて、な」 あちらこちら探してみたが影すら見付けられなかった。念のため、行く先々で女生徒に声を掛けてみたが返ってきた答えは“放課後は見ていない”だ。我ながら情けない。既に半年以上顔を合わせているというのに、居場所すら察せないとは。 陽も沈み、街灯が灯り、いよいよ夜が訪れる。木枯らしが吹き、枯れ葉が渦を巻く。寒さが体温を容赦なく奪う、もう寮に戻っているかもしれない、そう思った時である。かさりと木の葉がなった。 振り向いたその先に、本音が立っていた。落ち葉舞う林の中に立っていた。妙な沈黙が訪れる。間が持たなくなったのか、沈黙が苦痛になったのか、俺は「妙なところで会うもんだな、こんな人気の無いところでどうした?」 と切り出した。そうしたら本音は「箒ちゃんを探しに来たんだね」 そう静かに言った。見透かされたような本音の言葉。俺の心が揺らぐ。久しく忘れていた暴れる心だった。俺は取り繕うようにこう言った。「誰かから聞いたのか?」「遅いよまこと君。箒ちゃんはずっと苦しんでるのに」「苦しむ?」「まこと君はその理由を知っているはずだよ、知らないって言ったら怒るからね」 紅椿のことを言っているらしい。もしくはトーナメントの結果のことだろう。「その奥に居るんだな」「早く会ってあげてね、そして元気付けて。まこと君しか出来ないから」 本音はそれで良いのか、そう言う前に彼女は立ち去った。◆◆◆それでいいのか、か。我ながら酷い事を言おうとしたものだ。 彼女に告白されたわけでは無いが、好意を持たれていることは知っていた。 夕暮れに染まる海浜公園。 箒が2人との仲を取り持とうとした時、俺は気づいた。 その時俺はその上で知らない振りをした。 いや、知った上で何もしなかった。 自己否定故に。 その結果、真意は不明だが彼女らは俺から退いた。 結果として2人の少女を傷つけた。 では今はどうだろう。 少なくとも箒に好意を持たれていると知っている。 “ただ側に居られれば” 彼女から見れば精一杯の、しかも二度目の告白だ。 この竹藪の先、悲嘆に暮れているだろう箒に有って俺は何が出来るのだろう。 励ますことだろうか。 トーナメントの結果ぐらい気にするな、これから上手になればいい。 それとも叱咤か? 何時までそうしているつもりだ、さっさと立ち上がれ、 専用機を持つ者に立ち止まることなど許されない。 どれもが適切なようで間違っている。 前の俺は人生の半分を戦場で過ごした。 恋愛などほど遠い生活だった。 好きなった相手など千冬しか居ないし、マチルダとは最後の最後でだった。 何が正しくて、何が適切なのか。 今度こそ間違えずに済むのか。 俺はどうしたらいい。 まったく、36歳が聞いて呆れる。 これでは一夏の方がよっぽど上だ。 深淵と言っても良いほどの暗闇の中、俺はただ歩いていた。鈴虫の音も無く、梟の声もしない。耳が痛いほど静かな暗闇だった。 闇に惑わず、歩む方向を逸しないのは辺りに生き物が居るからだ。竹に雑草に苔、地を這う動物たち。彼らの気配を感じればいかようにも道が分かる。地形が分かる。誰かが通った後ですら。 空には雲がかかっていた。 しばらく歩くと開けた場所に出た。バレーボールのコートほどの広さで、あちらこちらに竹の“なれの果て”がある。中央に居る主は人知れずここで真剣の鍛錬をしていたらしい。「箒」 そう言った時、彼女の肩がぴくりと触れた。雲が切れ月が顕れる。道着姿の彼女は背を向けたまま振り返ることは無かった。側に一振りの日本刀が落ちている。「済まないが、一人にしてくれないか」 さて、なにを伝えれば良いものか。皆が心配している、却下。風邪を引く、大却下。刀が錆びる、ありえない。叱咤激励、慰めに同情……暫しの沈黙の後、俺は腹を決めてこう言った。「箒は良くやっているよ」 ぴくりと揺れた箒の肩。それを合図に俺はこう続けた。「紅椿を受け取ったのは学園祭前の9月の中旬だろ? まだ2ヶ月も経っていないじゃないか」「……」「釈迦に説法じゃ無いけれど焦りは禁物、ゆっくり行こう」「お前は一月で一本取れると言っただろう」 何故か態度が硬くなる。流れを見定める為このまま続けた。「俺だって神様じゃないさ。外れることだってある」「私は、私はだな、」 彼女の言葉を聞かず、遮った。「箒、訓練が思うようにいかなくて、もどかしいのは理解出来る。直実な箒のことだ、強くなれない自分だけでは無く、紅椿を作ってくれた姉さんや、セシリアの顔に泥を塗ったとか思っているんだろ?」「……」「俺だって箒ががんばってきたことは知っているし。皆だって知ってる。だからと言って一人で抱え込んでいても何も変わらないぞ。一度皆を交えて相談しよう。だから今日は帰ってだな、」「お前は、私がどうして欲しいのか分かって居るのか」「? 紅椿が上手く使えてない、セシリアの足を引っ張った、だから強くなりたい」「それだけなのか。それだけしか言ってくれないのか」「箒?」 ふらりと立ち上がると、箒は眼を伏せたまま「これでは前のお前の方が良かったな……済まない、失礼する」といって立ち去った。ごうと冷たい風が吹く。どうやら俺は間違えたらしい。頭上に浮かび上がる蒼い月、美しいはずのそれは何故か俺を嘲笑しているように見えた。◆◆◆ 後日、箒の部屋に様子を覗い行ってみた。同室の静寐曰く「会いたくないって」 翌日。早朝偶然を装い行ってみた。「……」無視された。授業中指導に乗じて話掛けた。「……」逃げられた。昼食時は業務の都合上手を離せなかったので、放課後再び部屋を訪れた。「帰れって」取り付く島もなしにけり。 むうと唸り腕を組む。困ったことになった。今までであれば謝り倒し、それで駄目なら甘い物を贈呈する、デートに誘うで何とかなったのだが今回は勝手が異なる。まともに取り合ってくれないだけでなく泣いていたという噂すら耳にした。「本気で怒っているって事か」 しかしどうしたものだろう。これは手に負える問題だろうか、負えない問題だろうか。まあ負えなかったとしても、どうにもならないのだが。端から見れば痴話喧嘩と見える、他の職員に相談すればどうなるか分かったものではない。組んだ腕を頭の後ろ。上肢を逸らせ空を見る。見上げればまた月が浮かんでいた。「月も俺を笑っておるわ」「やっほー 元気してるー」 楯無が現れた。夕焼けの中、右手を高く振り走り寄ってくる。別名ごめん待った? 走り。眩しい笑顔が憎たらしいほど忌々しい。文法乱れ。「聞いたわよー またやったんですって?」 彼女は図々しくもベンチの左隣に腰掛けた。「なにもやっていない」「またまた。あの超強気パラの篠ノ之さんを泣かしたって世界中で持ちきりよ」「何もやっていないって、普通に話しただけだ。というか世界中ってなんだよ」「普通に話しただけで泣かすなんて、よっぽどよね。もちろん話を誇張してるのよ」 冗談ではないと俺は立ち上がった。また引っかき回されては事が更に難しくなる。「済まないが楯無、今君に付き合うほど余裕がないんだ」「あら冷たい」「じゃ、また今度な」 右手をひらひらと振り立ち去ろうとした矢先、背中から彼女はこう言った。「あーら、そう言う態度とって良いのかしらね、せっかくこのたっちゃんが手助けしてあげようって言うのに」 振り向くと扇をぽんぽんと頬に当てている。俺は驚きを隠せずこう言った。「助ける?」「そう」「誰が?」「私が」「誰を?」「真を」「……」「……」「なにを企んでいる!?」「失礼ね!」 ◆◆◆ 少女たちを見上げ正座した。場所は第7ハンガー、この季節、特殊鋼板の上は寒さが骨身に染みる。 楯無に罵倒された後、ずるずるとここに連れてこられた。そこに居たのは主である布仏姉妹。二人も事情を知っているようだ。右に本音左に楯無、二人に睨み下ろされ俺は仏頂面だ。虚さんはもくもくと紅椿の目視確認をしていた。 楯無が言う。「いい? どこかの誰かさんが先生という立場でしか接しなかったから彼女は傷付いたのよ。それを改めない内は何しても駄目」「そうはいうもののだなあ」 本音が言う。「良いまこと君。女の子は兎さんなんだよ。構ってあげないと駄目なんだよ!」「寂しいと死ぬ?」「その究極魔法的な言い方はよしなさい」 虚さんのツッコミ。本音は徐々に熱くなる。「大体! まこと君から箒ちゃんに何かしてあげた!? してあげてないよね?!」「デート」「誘ったのは箒ちゃんからだよ!」「スイーツ贈呈」「怒らしただけ。しかも学園食堂だし!」「訓練」「セシリアちゃんのついでだ、よ、ね~」 ぽかぽかと叩く本音を他所に虚さんがこう言った。「良い?真。 立場もあるかも知れないけれど中途半端な優しさは残酷なだけよ。はっきりさせてあげなさい」「よしわかった」「「「分かってない!」」」 はっきりと振ってこようとしたのが直ぐばれた。一体どうしろというのか。好きでも無いのに付き合えなんて無茶を言う。大体この3人は事情を知らないのだ。年の差は20だぞ。20歳、生まれた子供が成人するほどの年月の差がある。 好きでも無い? 50と30ならまだしも、箒はまだ16歳だ。先に覚えることが山ほどある。人生これからだ。 誰が好きでも無いと言った。 俺となんて余りにもノーフューチャーではないか。輝かしい若者の将来を憂えばこそ― ならお前は何故箒の好意を受けている。 俺は言葉を失った。 きまっている。 それは心地が良いから。 嬉しいから。「大体! 黒髪ポニテの巫女さんで、料理が上手で、古風で、おっぱいも大きいのに何が不満なの!」「楯無お嬢様~ 箒ちゃんをパーツで語らないで下さい~ ってまこと君何処行くの?! 話は終わってないよっ」 そうだ。人生ギブアンドテイク。与えられたら与えよう。俺は半分大人だ。“好きだ”という言葉で返すことは難しいけれど、俺ができる、俺にしか出来ない好意の返し方はあるはずだ。俺は“右”の袖をめくり紅椿へ真っ直ぐ向かった。こいつは、学園教師としてあるまじき行為だ。後であの2人に大目玉を食らうだろう、だからやる。それが俺の誠意。「虚さん、これから紅椿を触ります」 奇行に見えただろう俺の様子を覗っていた二人は、直ぐさま察したようである。「本音、第1ハンガーに行ってスペクトル・アナライザーを借りてらっしゃい」「え、なんで?」「測定に使うからに決まっているでしょう。急ぎなさい」「えあ、うん。わかった」 とたとたと駆けだしていく背後の気配。帰れと言ったら、駄々をこねたかこっそり覗いたかもしれない。流石虚さんである。いや、お姉さんとするべきか。「本音の足なら往復10分ってところかな。いいのね?」 楯無の確認に俺は無言で頷いた。虚さんはタブレットに指を走らせた。天井やIS用ベッドに固定された多連ロボットアームが起動、振動や光子、重力子を測定する多目的センサーが起動した。紅椿は依然沈黙している。「カウントダウン開始、10,9,8……」 大袈裟なと楯無は笑った。俺も釣られた。存外真面目なのは虚さんである。「大袈裟ではありませんよ、有史以来の事になるかも知れません、3,2,1」 触れた。 右腕に蒼銀色の光りが迸る。その瞬間紅椿が俺に返事をした。箒以外を決して認めず、学園が総出をもってしても解析出来なかった紅椿が俺に応えた。紅椿のセンサーを経由して虚さんと楯無が唖然としているのが見て取れる。予想はしていても実際に目の当たりにすると勝手が異なるのだろう。 アクセス。まずは基本デバイスを一通り見る……航行システムや慣性制御システム、兵装制御、ずらっと並べられた紅椿のスペック。最大速度は時速8,500キロメートルで、音速の約9倍。最大加速度は50Gと第2形態の白式と比較して加速は劣るものの最大速度は圧倒的に上回る。 兵装は、ビット2機に刀剣二振り、銘は雨月に空裂。雨月はレーザー射撃が、空裂はエネルギー刃の放出が可能、この二振りにより一体多数の中距離戦闘が行える……それに加えて、えーとなになに? 即時万能対応能力の展開装甲を搭載しオールレンジ戦闘が可能で、エネルギーを増幅し僚機に伝達出来る絢爛舞踏に、自己進化能力の無段階移行システムって、展開装甲だけでも恐ろしいというのになんだこれは。「ちょっと大丈夫?」 楯無だった。「なにが?」「顔色悪いわよ」「だろうな」「説明をしてほしいのだけれど」「あとで」 今はこちらが先決だ。感じた寒気を振り払い、気を引き締め直す。どこからどう見ても現行機を遙かに上回るスペックだ。圧倒的威力の兵装にそれを支える無限のエネルギーシステム、隙が無い。流石第4世代来というべきか、流石篠ノ之博士と言うべきか。あの人は妹にこんな物を与えたのか。これがばれたら箒は紅椿共々帰属を巡って、各国の諍いの原因になるぞ。まったく、幾ら妹がかわいいとしても程度があろうに。今度会ったら苦言を言ってやろう。 そう思いながら紅椿を走査していると二つのデバイスを発見した。二つは完全に紅椿から切り離されていて紅椿も今初めて知ったという。電脳空間に浮かぶ“UnKnown”と記されたグレーの石棺。俺は躊躇した。あの篠ノ之束が拵えた謎である。迂闊に触ろうものなら噛みつかれかねない。 しばらく迷った後、俺は左の石棺に手を掛けた。探索、多次元封印(アルカ・トラズ)が施されていると判明。手を強く押し当てた。意識を集中、解析……完了。開封。なんというか、我ながら出鱈目である。ぎいと耳に障る音を立て表れたものは、「だいせいかーい!」 小さい篠ノ之束だった。なんというかデフォルメ的な。2頭身の。「なんだこれ」「いやもうこうもあっさり解かれるなんてびっくりさ。アルカ・トラズは量子効果を利用したセキリュティなのに。束さん自信喪失だよ、略して自走。これは走る、自信が走っちゃってどっかいっちゃったよ、もー」 いら。「はうあ! いけないいけない! 自己紹介がまだだったね! 私は篠ノ之束! 天が轟く地が叫ぶ! 有史以来の大天才! らぶりーたばねんとは私のことさ!」 いらいら。「おおっと、容量が少ないから手短に済ませるよ。流石に容量ぎりぎりでねー ごめんぴー」 いらいらいら。「君も知っての通りこの紅椿には隠し機能がある。それは重力子を応用した仮想足場。私は天使の羽根って呼んでいるけれど、その名の通り空中で“歩く”ための機能さ。箒ちゃんみたいに長らく武術を学んだ人にとっては超絶有効だよね。凄いよねー ぶいぶい。え? なんだって? どうして最初から使えるようにしておかなかったのか? ちちち。分かってないね。敢えて封印しておいたのは直ぐ使えないようにする為さ。ほら、箒ちゃんってあれで案外調子に乗りやすい、って言うより直ぐ周りが見えなくなるから少しは苦労しないと。まあお節介ながらも姉心と言うところかな。本当はもちょっと苦労して貰う予定だったんだけどまあ良いや。最近苦労を通り越して辛そうだったからね。程よく程よく」 少々意外だった。俺はてっきり妹に、“自分が考えるように好かれる”としか考えていないと思っていたからだ。意外とバランス感覚を持っているようだ。「これで箒ちゃんは他の連中に圧倒出来るようになるよ。今までの訓練で紅椿の基本はもう学んだからね。これから自分の剣技と上手く昇華させるだけさ。時間の問題だね。そうそう知ってたかな? 箒ちゃんはIS適正Sだからね。学園のデータは私が書き換えておいたのさ。君も知らなかっただろ? まー直ぐアレテーに弾かれちゃったんだけどね」 ……つまり、学園にハッキングしたことがある、と言いたい訳か。はん。わざわざ白状痛み入る。今まで確信は持てなかったが学年別トーナメントの無人機、ナノマシンの巨人、福音と過去3回にわたる重要参考人になったわけだ。この手の人間が分からないことを放置するわけがない。なによりこれだけの大逸れたこと出来る人物はそうそう居ないだろう。「おおっと。話が逸れたね。時間が無いからそろそろお別れだよ……君は箒ちゃんに近い存在のようだ。姉としてはまーったく応援出来ないんだけど、科学者としては非常に歓迎するよ。非常に強い興味を持つよ。なにせ機械を自在に操ることができるのだから、性能ですら」 心臓が打鳴った。痛むほどだ。なんだ、何を言っている。今見ているこれは、「今の君の疑問に答えよう。これは再生機ではないよ。人工知能でも無い。れっきとした通信機さ。データロガー付きの、素粒子を利用した、ね。つまり君は今、“私と話してる”」「な」「いいねその呆気に取られた顔。臨海学校での借りは返したってところかな。さて、独立しているはずのこの通信機も徐々に君の支配下に移っている。怖い二人も迫っているようだし、一旦ここでお別れだね。天使の羽根は右の石棺に入っているからくれぐれも妹に渡してくれよ。それではまた会おう蒼月真君。いやマシン・マスタリー(機械上位者)」 通信が途切れ、電脳空間に静けさが戻る。俺は握り手と顎を噛みしめた。 や、やられた……!