“sage投稿”のチェック外してもトップに出ません。不具合?ご承知おきください。 ◆◆◆ 太陽も沈みきった時間。西の空はぼんやりと明るく、学園本棟の廊下に影はなく、半導体照明の明かりが点々と灯る。そしてその人気の少ない、薄暗い廊下を歩く二つの影があった。簪と一夏である。二人は、学年合同トーナメントのペア申請を済ませたその帰りだった。「なあ」と一夏が言った。「……」 簪は無言のまま、ただ歩く。カツンコツン、打鳴る足取りは堅く、苛立ちを隠さない。「なあって」「……」 一夏は只歩く簪の背中に話掛けるが、振り返らなかった。「更識ってば」「……名字で、呼ばないで」「なら簪」「……名前も、イヤ」「少女A」 振り返りキッと睨み返す。「っと。もう決まったことだぜ? 腹を括って前向きに取り組んだ方が建設的だろ」「……卑怯者」 軽薄そうな一夏の態度に、簪は苦々しく顔をしかめた。背を向けまた歩き始める。(さあて、どうすっかな。一晩おいた方が良いか、それとももう少し粘るか?) 一夏が知恵を絞っているとき、簪は今の状況に悩んでいた。困惑していたと言っても良い。理性的に考えれば一夏の申し出は渡りに舟だ。だが、それ以上に大きいのが反発心である。その二つに挟まれ揺れ動いていた。はたと気づく。 どうしてこの様な状況になったのだろう。彼女はそう考えた。嫌悪する虫を真似た一夏の脅迫に屈したからだ。では何故一夏が居るのだろう。彼がペアを組みたがっているからだ。彼が組みたがっているのは何故? 裏を取ったわけでは無いが真の差し金と見て良い。某の取引があったとして、何故一夏は引き受けた? その理由を導き出した時、彼女の腹の底から、怒りがこみ上げてきた。それは今にも噴火せんばかりの火山のようであり、岩場から覗く、渦巻き轟く海のうねりのようだった。「……そりゃ弐式の件は悪いと思うけど、俺としてもどうにもならなかったわけで」「女の子にだらしない、人は嫌い……」 簪はそう言うと、一夏を置いて駆けだした。本棟の外に出る。目指すは柊の自室だ。流石に自室までは追ってこまい。自然と足も速くなる。「ちょっとまてよ、それは失敬千万だぜ」 一夏は簪の前に現れた。男子である一夏の足が速いのは百も承知。だが足には簪も自信があった。全力疾走で駆けだした。「言い逃げってのは感心しねーぞー」 あと言う間もなく回り込まれた。一夏は器用にも後ろ向きで走っている。息を呑んだ。噛みしめ右へ左へ駆けだす。ベンチを飛び越えた。小川を飛び渡った。木々の隙間も風の様に駆け抜けた。気がつくと第3アリーナの脇、ベンチに手を掛け肩で息をする。ここまで来れば諦めただろう。「追いかけっこはお仕舞いか?」 見上げる空が藍に染まる。それを背に一夏は息一つ切らさず、汗一つ欠かず佇んでいた。なんと言うことだろう。簪とて100メートルを10秒台で走り抜ける。幾ら有利な男子とは言え、息一つ切らないのは異常だ。「体力にはちょっと自信があるんだ」 ちょっとどころでは無いと、逃げ切れないと悟った簪は一夏を睨み上げこう言った。一夏は自慢げに胸を反らしていた。「ハミルトンさん、鷹月さん、凰さん、相川さん、そのほか沢山。蒼月君に伝えて。どうやったか知らないけれど、私はそうならない。手慣れている貴方でも無駄」 一夏は腕を組んで空を見た。一番星が輝いている。周囲を見た。誰も居ない。虫の音が響いていた。ぽんと手を打った。「ははあ、俺がそうだからアイツが頼んだと思ってんのか」「ちがうの?」「違うな、俺が俺だから頼んだ、きっとそう。つーか、酷い勘違いだぜ」「何を言っているか分からない」「うーん、そうだなー……あいつは俺を知っている、これ以上言いようがねえや」「そんなに……仲良いの?」「アイツ以上に今の俺を知っている奴は多分居ない、これだけは確かだぜ」「お姉さんよりも?」「千冬ねえよりも。逆もそうだけどな。俺以上にアイツを知っている奴は多分居ない」 自信満々に語る一夏。簪は呆気に取られた。彼女によく似た少女の影が脳裏を駆ける。「……羨ましい」 不意に紡がれた言葉。簪は慌てて口に手を添えた。一夏は笑っていた。「なら動くこった」「うごく?」「俺らだって何もせずこうなった訳じゃない。すげえ大げんかしてさ。自分自身の存在を掛けた大げんか。そのけっか馬鹿をやり合う仲になったんだ。更識もさ、仲良くなりたいと思っている人が居るなら、その人と喧嘩してみたらどうだ」「喧嘩なんて……無理」「そんなに構えなくても良い。腹に溜まっているものを吐き出すんだ。それが第一歩。意外と簡単だぜ?」「吐き出す……」 その脳裏の少女は、幼い少女は笑っていた。屈託無い笑顔で、簪を見ていた。何処へ行くにも、なにをするにも一緒だった。その少女を追いかけていた。何時からだろうか、これ程離れたのは。昔はあんなに側に居たのに。楽しかったのに。(おねえちゃ……) 焦点の合わない簪の瞳の前に、一夏は笑って手を出した。我に返った簪はその手を見る。「二人が騒ぎを起こすのは、喧嘩をするのは初めからだったと思うけれど」 簪は微かに笑う。「そうだっけか?」「織斑君、私は簪で良い」「なら俺も一夏で良いぜ」「一夏。貴方の言うこと、確かめてみる。……でも勘違いしないで、それだけだから」「上等」 僅かに強く握られた右の手。簪は負けんと言わんばかりに握りかえした。簪が、一夏が、一時のパートナーを得た瞬間であった。「早速一つ頼みがある。左手のこれ、どうにかならないか?」「ハンガーに来て……」 簪の笑みにある種の意地悪さが浮かんでいた。 ◆◆◆ 第3ハンガーに至った一夏は、簪と本音の二人に誘われ、奥の工作室に入った。その部屋はむき出しのコンクリート製の壁で、使い古された大型の工具が置いてあった。さながら古城地下の拷問室のような雰囲気だった。 簪が壁のパネルを操作し、室内に明かりが灯る。 入り口から僅かに行った部屋の片隅に、大型の鋼鉄製の固定具が据え付けられていた。これは大型の金属部品を切断する際に、その部品を固定する器具である。一見シンプルだが何処かおどろおどろしい。一夏には紙を複数枚切断する、裁断機にみえた。ただし巨人用の。 本音が軽やかなステップで部屋に入る。中央付近でくるりと舞うと、両手を広げてこう言った。「今から手技を説明するよっ!」「おう」「まず腕と手錠の隙間にリフレクター・シートを挟みます。つぎに腕を固定、リング・マウンターで手首と肘を固定します。最後にプラズマ・カッターで一刀両断!」「最後が不安だけどたのむぜ」 部屋の片隅、スチールラックに向かい合っていた簪が言う。「……本音、リフレクター・シートが、ない」「D5Aの棚に無い?」「フィルム・タイプしか無い……」 とたとたと歩み寄り、簪の手元をまさぐると本音が言う。「本当だ。切らしちゃってるよ」 簪は大して落胆もせず、フィルムが巻かれた筒を取り出した。調理用ラップと言えば分かりやすい。一夏の腕にフィルムを巻き、一夏の左腕を固定器具に固定した。プラズマ・カッターを取りだす。スイッチが入り、プラズマ・カッターが蒼い光りを鋭く放つ。バチバチと鋭い音も出す。見る人によってはその光りが、細く短い蛍光管にみえるだろう。 簪が手にするそれを、不安そうに見る一夏はこう言った。「リフレクター・シートとフィルムはどう違うんだよ」「……10秒と2秒」 バチバチと音がする。「なにが?」「プラズマを反射出来る時間……」「……うおい!」「大丈夫、このプラズマ・カッターはかのアイザック・クラークも使用したカッターと同型……」「いきなり多弁になったなおい!」「……痛かったら、左手を上げて下さい、ね」「左手は固定されてるだろ! 何で右手じゃないんだ!? てゆーか痛いのかよ?!」「……あげて下さいね」「聞けよこら!」 バチバチと音がする。腕を切り落とされてはかなわんと、一夏は藻掻く。押せども引けどもびくともしない。少し離れたところで見守るのは本音だ。「大丈夫だよ、おりむー。もし切れてもおじいちゃんに頼んで義手を作って貰うから~」「……蒼月君と義兄弟」「義はそう言う意味じゃねえ! ちょっとま、きゃーーー」 ゴロン、ゴト。一夏の腕から拘束具が落ちる。恐れ戦き、一夏は自身の左手を擦ると、涙目でこう言った。「付いてる、付いてるー、ちゃんとあるー」「おりむー大袈裟だよ。かんちゃんはちゃんと免許持ってるんだから」「プラズマ・カッターの……」「ねー」「医師免許じゃないのかよ」 虫の音が聞こえていた。 ◆◆◆ 鈴や清香、ティナに静寐、日頃近しき少女たちの追及を、もう決まったことだからと躱しつつ、勉学に勤しみ、己の訓練をし、簪の作業を手伝えば、あという間に数日過ぎた。トーナメントまで一週間と言うほどである。 伸びる影が、地面からハンガーの壁に掛る頃、簪は打鉄弐式に登場し、弐式からの報告に目を通していた。連日に及ぶ作業、本音の助力により弐式は一通りの完成に至ったのである。 PIC起動、スラスター点火。背中と両脚に火が灯る。狭いとは言えない庫内に風が舞い、一夏の髪がはためいた。「本音……」「うん」 側に控えるのは本音だ。彼女は空中投影ディスプレイに映る、弐式からのデータを心配そうに見ていた。「……リフトオフ」 簪の指示に応じて、上方へ推力が掛る。下半身関節への負荷が解放、多層装甲がスライド、弐式が浮上した。その距離30センチ。-推進システム、姿勢制御システム他、全システム異常なし--DEWS(電子戦機器:Digital Electoronic Warfare System)稼働中、駆動率32%で実行中- 次々に示される弐式の状態。当初緊張を示していた簪の表情に安堵の色が宿る。少し離れた箇所で見守っていた一夏も嬉しさを隠さずにいた。「ついに完成か、やったじゃねえか簪。本当に一人で完成させちまうとはな、天才だぜ」 彼にとっても弐式の完成は他人事では無い。メカに詳しくない彼は作業を手伝うことは無かったが、様々な雑務をこなしていたのである。簪は頬を染めて静かに頷いた。「一夏、機動試験手伝って……」「おう、いいぜ」 声のトーンも高く、大きい。意気揚々な二人に、本音は割り込んだ。機動と言う言葉に反応したのだった。「かんちゃん、もう少しテストしてからにしようよ」「もう時間が無いから……」「システムへの負荷時の機動はより慎重にならないといけないんだよ」「……大丈夫、チェックした」「でも」 いつになく引き下がらない本音に一夏は不安を覚えだす。この数日、簪が技師として高い技術を持っている事は彼にもよく分かっている。弐式に向いキーを打つ指、残像を残していた。整備科の先輩とも対等に渡り合い、議論していた。だが、本音の実力もよく分かっている。彼女には白式を整備士補助ながらも任しているのだ。「おじいちゃんも急がば回れっていってるよ」「シミュレーションだって繰り返した、大丈夫」 少しずつ言葉に熱が籠もる二人。簪は打鉄を待機状態にして睨みつける。二人の意外な一面に戸惑いつつも、険悪になっては一大事と、一夏は二人に割って入りこう言った。「ならこうしようぜ、布仏先輩、虚さんにチェックして貰うってのはどうだ」 見事な折衷案だと、胸を張った一夏に二人はジト目だ。「おりむーそれ失礼だよ」「一夏、デリカシーなさ過ぎ……」「あれ?」「私だってがんばってるんだよ」「まるで……お金で強い選手引っ張ってくるだけのオーナー……」「いやだから」「そっか、おりむーは年上が好きなんだね、小柄でごめんね」 理不尽な少女の追求に、一夏はやれやれと口をへの字。思わず目も線になる。「男の人は大きいのが、好きって本当なの……」 えっと目を丸くする本音と一夏。口を押さえ、かあと顔を真っ赤に染める簪。彼女は逃げるように駆けだした。「かんちゃーん、まってー」 本音はとてとてと追いかけるが、全力疾走の簪はあという間に点になり見えなくなった。息を切らす本音の肩に手を置き、頭を掻きながら一夏は言う。「俺が行く、行き先はどうせアリーナだ」「わかった。おりむーお願い」「任せとけ、目指せ一攫千金、万事解決だ」 ◆◆◆ アリーナの更衣室。部屋を見渡す、誰も居ない。ただ、人が居たという匂いだけが残っていた。スチールのロッカーが無機質に並ぶその間に、簪はひとり溜息をついた。 胸が小さいのは彼女の密かなコンプレックスだ。この学園の少女はスタイルが良いのが多い。小柄な体型は余計に目立つ。どうにか鈴と交友を結びたいと願ったのは一度や二度では無い。 だが、どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。おもむろに、自分の胸に手を添えてみる。(今更……) ふと一夏のよく知る少女たちと頭の中で並んだ。皆美しく、魅力的な少女たちばかりだ。お世辞にも肩を並べているとは言えない。自分がどれだけ陰鬱で卑屈なのか、並んでいるだけで詰問されているようだ。(そう……) 今分かった。一夏が苦手なのは白式の件だけではない。哀れみと同情。彼の周囲に居る少女たち、彼女らに嫉妬しているのだ。自分では一夏の隣に相応しくない、だから側に居たくない、だから今尚苦手なのだ。普通に話すことはできたとしても。 彼女は地の底に魂を引かれる思いで、更衣室を後にした。暗く陽の差さない第6アリーナ第4ピット。彼女は右手薬指に付けた、待機状態の弐式、指輪を擦る。弐式を呼び出す、顕れた光りの粒が集まり結ぶ。弐式顕現。ふわりと浮いた。発進。 陽の当たる明るい場所、其処に立っていたのは、「よう。遅かったな。女の子だから支度に時間が掛るのは無理はないけれど、余り遅いと千冬ねえに目を付けられるぜ?」 一夏だった。「……機動テスト、止めにきたの?」「止めたって聞きやしねえだろ? 簪の頑固さは身に染みてる。ならパートナーはその意を酌んで、フォローするだけだ」「パートナー?」「おう。それすら認めないとは言わせないぜ? 書類は神(紙)ってな。俺達は神様の決めた仲って訳だ」 簪はついとそっぽを向いて高度を上げた。 ◆◆◆ 夕暮れの第3アリーナではまだら雲の下、数々のISが機動音をかき鳴らしていた。学年合同トーナメントのペアが決まり、各自訓練に励んでいるのである。優子とシャルロット、ダリルとフォルテ、箒とセシリア、楯無と鈴、そして簪と一夏だ。真は、どの組みが勝つか、思いを馳せながらぼうっと空を駆ける少女たちを見ていた。「サボタージュは感心しないな」 そう言うのはラウラである。黒いビジネススーツを纏い歩いてきた。二人がいるのは観客席である。真は背の低いフェンスに肘を立て、失敬な、そう小さくラウラを一瞥した。アリーナでは箒とセシリアが模擬戦をしている。しばしの沈黙。口を開く。「……たった一日なんだ。信じられるか?」「織斑一夏の事か更識簪を口説き落としたことか」「そう」 ラウラは喉を鳴らしながら笑った。「なんだよ」「心なしか気落ちしているかと思えば、そんな事とはな」「そんな事かな、普通に話すようになるだけで随分苦労したんだぞ。それを一夏の奴はあっさりと」「この場合、気にする内容がズレていると言えば良いのか、気にすること自体おかしいと言えば良いのか、まあお前らしい」 真は視線を上げる。第3アリーナの最上部、観客席。そこから聳える尖塔形状の第6アリーナがみえた。空を切り裂く二つの機影、打鉄弐式と白式である。機動訓練を行う二人が見える。吹いた風がラウラの髪を凪ぐ。真は不満顔でこう言った。「比べること自体愚かなことだ、でも」「真、お前の言い様は口説けるようになりたい、そう言っている。それを望むのか?」「誤解されるよりは良いって、ね。ラウラ、お前はどうだ? 一夏をどう思う?」「好意に値するな」「……へえ」「意外か?」「少しだけ」「織斑は教官によく似ている、外見だけ見れば当然だろう」「……そう言う意味か」「安心したか?」「別に」 ふて腐れたように頬を膨らます真をみると、ラウラは眼を細めた。第6アリーナまで約4キロ。常人では点でしか見えない白式の姿を彼女の眼はしっかりと捉えていた。「実際、先に出会っていたら。真、お前が居なかったら私もどうなっていたか」「それはフォローしているのか?」「想像に任せよう」「ずるいぞ」「ところで打鉄弐式の動きがおかしくはないか? 機動が歪だ」「へ?」 ◆◆◆つづく。約一ヶ月ぶりの更新となりましたが如何だったでしょうか。簪編は難しいです。本当に。地の文とか心象表現とか、初期設定とか。とある方からのツッコミもありましたが、原作と途中まで類似する展開です。もちろん全く同じではありません。追伸。今後更新の間隔が変動しそうです。早くなることは少ないかも。そんなこた気にしねーよという方、お付き合いの程宜しくお願いします。