何事も無かったように簪編は続きます。 ◆◆◆ カタカタとキーを打つ音が響く、薄暗い第3ハンガー。打鉄弐式の足元で空中投影ディスプレイを一心不乱に見つめるのは簪である。眼球が高速で動き、水の様にデータやプログラムソースが流れていった。警告を意味する電子音。ぴたりと手が止まり、エラーをディスプレイで確認するとまたキーを打つ。 時計を見れば午後の8時を指していた。彼女の授業後は何時もこの調子で、一刻も早く完成させんと躍起になっているのである。少し離れたところで腰掛ける真は、タブレットから目を離しその彼女を見ていた。(努力は分かるけれど、このままじゃ本当に終わらないぞ……) 真はハンガーの窓から外を見た。上級生が居るであろう他のハンガーの明かりが落ちた。お疲れ様と言い合いながら寮の方へ集団が去って行く。彼はタブレットの電源を落とすと簪にこう言った。「更識、今日はその辺にしておこう」「もう少し……」「タイプミスが多くなってる。今日はもう休んで明日に備えるべきだ」「……」 無言のまま続ける彼女に真は歩み寄り、手を伸ばしスイッチを押した。端末がスリープモード移行、ディスプレイが落ちた。非難の視線で彼を睨み上げる。「良いパイロットってのは己の体調をちゃんと把握するものだ。作業時間が多ければ良いって物じゃない」「……」 彼女は思案のあと黙って立ち上がった。ハンガー内を片付け、施錠。寒さを感じ始めた夜の風、2人は虫の音を聞きながら寮に向けて歩き出した。 簪は授業後ハンガーにやってくる。夕食時は1度戻って大抵はまたハンガーに戻る。課題が出ればしぶしぶ自室に戻り机に向かう。 真は授業後生徒たちの、殆どは専用気持ちの相手ではあったが、模擬戦の相手を務めた後、職員室に戻り教師らと授業の打ち合わせを行う。もしくはタブレットを片手にハンガーにやってくる。雑用をこなしながら簪を遠巻きに見る。彼女の作業をこっそり覗いては2つ3つ、さり気なく助言を行い、睨まれてはまた離れる。 ここしばらくの2人はこの様な調子だった。女生徒と二人っきり、と言う事に対し噂も指摘もあったが今更だろうと言うことで問題となっていない。 真はぴゅうと吹いた風に髪を揺らしながらこう言った。「今日は涼しいと言うより寒いだな」 簪は無言のままだ。「男はアウター取り出してお仕舞いだけれど女の子は色々大変だな色々あって」 簪が真に感じているわだかまり。それを確認しようと彼を見上げた。口が小さく開く。「今年はAラインコートが流行りらしいぞ。でも更識はポンチョとか似合いそうだなニットのベージュとかどうだろう」「どう、して?」「なにが?」「どうして、私に構うの?」「俺は先生」「生徒は1人……じゃない。見るなら、公平に……見るべき」「遅れている子がいれば話は別」「別に……遅れていない」「日々弐式に時間を取られて授業も疎かなんだろ? 試験も合格点だけど代表候補にしては物足りない」 簪は視線を下ろし前を見た。「この際だから言うけれど更識、今君が取り組んでいることは本来君が行うことじゃない。整備士ならまだしも君はパイロットだ。弐式を完成させても大した評価は得られないぞ。意固地にならず早く完成させる手段を取るべきだと俺は思う」「……」「どうしても自力でと言うなら柔軟になったらどうだ。例えば白式のデータを借りるとか。同じメーカーで同時期に開発された機体なら類似点も多いだろうし、話なら俺から付けよう」「イ、ヤ……」「白式開発の件で弐式が放置された。だから一夏に対しわだかまりを持っている……気持ちの理解は出来る。けれどそれは一夏のせいじゃないだろ、ましてや白式のせいじゃない」「それだけじゃ……ない」 気がつくと寮の前で立っていた。「何が一番大事か、よく考えてくれ。それじゃおやすみ」「おやすみ……なさい」 簪は真の姿が消えるのを待ってから寮に入った。 自室に戻った簪はシャワーを浴びると早々に、ベッドにひっこんだ。布団を被る。暗闇の中でタブレットを弄り、映し出す映像は特撮ヒーロー物だった。正義の味方が掛け声と共に跳躍、怪人に跳び蹴りを喰らわした。単純明快な勧善懲悪物。ぼうっと見る簪は唇を噛む。 真に言われなくても分かっている。入学して約半年間、自力で完成させんと執着し悪戯に時を過ごしてしまった。訓練機で成果は上げているものの本来の義務ではない。倉持技研から引き取っている以上、開発が遅れていることを何時までも理由に出来ない。明日にでも代表候補の待遇を取り消されるかもしれない。 それでも。 彼女を動かしているのは姉、楯無への固執である。執念と言っても良い。幼い頃から比較され、どれだけがんばって届かない。だが更識の名は容赦なくのし掛かる。何処まで逃げても楯無の妹である事実からは逃れられない。絶えず陰鬱としたプレッシャーが掛る中、彼女は1つの希望を見出した。姉は人に頼ってISを完成させた。ならば私は自力で完成させる。それは己を表現させる、周囲の人間に己を知らしめる唯一の手段だったのである。 ◆◆◆ 翌日の授業後。窓から射し込む夕日を浴びて、簪は4組の自席でキーを打つ。赤焼けの教室はがらんとして人気が無い。何時ものことだ。内向的な彼女は一人で起きて一人で授業を受け一人で食事を取る。陰口、好奇の視線も慣れたもの。ディスプレイに映るのは打鉄弐式、これの完成だけが彼女の全てであった。 ぴこん、電子音が鳴る。それは真からのメッセージ。“済まない、今日は行けない” 何が済まないというのだろう。彼が詫びる理由など何一つない。彼が頻繁に訪れるようになって、それがルールに成ったつもりでいるのだろうか。来ても来なくても変わらない。彼にだって務めがある。どれだけ理由を付けようとも私一人にかまける暇は無い筈だ……まあ実際のところ助かりはしたけれど。だけれど自分一人でも解決出来ただろう。きっとそうだ。 ぐう。その様な考えに至った時、お腹の虫が鳴った。慌てて周囲の気配を探れど誰も居ない。ほっと胸をなで下ろし立ち上がった。端末をスリープモードへ。 今晩は何を食べようか。鶏肉料理があればそれでも良いし、無ければかき揚げうどんにしよう。そう彼女が思った時である。「やっほー おねえちゃんですよー」 教室を出ると楯無が立っていた。組んだ両手を左右に振ってしなを作っている。「今晩は、久しぶりに姉妹水入らずでディナーなんてどうかなー もちろんお勘定は気にしなくて良いのよ、おねえちゃんに任せなさいっ!」 失礼します、簪は小さくそういうと避けるように歩き始めた。笑顔のまま冷や汗一つ、楯無は慌てて追い始めた。「そ、そうだ。弐式の調子はどう? 困ったことが有ったら何時でも言ってね、手伝っちゃうから。試験場確保しようか? 必要な器具ある? 稼働データとか欲しくない? 簪ちゃんの為ならえーんやこーらって」 簪は立ち止まり、目を背けたまま、だがはっきりとこう言った。「失礼します」 かつんこつんと、立ち去る簪。夕日が射し込む廊下と伸びる影。楯無ははらはらと泣き崩れた。「ああん、お姉ちゃん泣いちゃう!」 カアと鴉が鳴いた。 ◆◆◆ 日没直前の第7ハンガー。測定器具や工具、ISの部品が整然と並ぶその場所で動く影が二つあった。虚と楯無である。2人は大きな作業机に向い、腰掛けていた。虚はデスクライトを浴びて、金属の光沢を放つ義手に向かっていた。はす向かいの薄暗い片隅で突っ伏すのは楯無だ。 はあと大きな溜息一つ。簪に素気なく断られふらふらと生徒会室に向かえば誰も居ない。呼べど叫べど誰も居ない。またふらふら彷徨い第7ハンガーに至れば、ツナギ姿の虚を発見、泣き付き今に至る。「やっぱり嫌われているのかしらー」「簪お嬢様も意固地になっているだけですよ」「そうかしらー」「そうですよ」 何時ものことだと虚は涼しい顔だ。「ここ1年以上まともに言葉を交していないのよー」「楯無お嬢様が入学されたからでしょう。久しぶりなのは当然です」「実家に帰った時だって顔を合わせなかったしー」「楯無お嬢様がご多忙だからでしょう。深夜帰宅し早朝出発されては当然です」「同じ学園に居るのに!」「一年生とは寮が違いますから。当然です」「……虚ちゃん冷たい」「お戯れを。当然です」「……」 金属製の骸骨、そうとしか表現出来ない義手に鉛筆ほどの太さのエネルギー・チューブを接続。虚はタブレットを操作し信号を送る。義手が開いては閉じまた開く。滑らかに動くことを確認すると今度はじゃんけんをさせた。ぼうっと見ていた楯無はむっくり起きるとこう言った。「それで虚が直しているターミネーターの腕はなに?」「真の義手です」「ふーん、どう?」「アクチュエータの性能が30%ほど上がっています。驚くべき事に材質も変化しています。元々はチタンの合金ですが今は違う。未知の素材です。設計時と同じ部品を付けましたがこれらも使用している内に変化するでしょう」「織斑先生とリーブス先生と同じ異能の力か、あの2人が内密にしたくなるのも分かるわねえ。ひょっとして真がISを動かせる理由ってこれ?」「まだ可能性の域を出ませんね。ただ、みやにしろ白式にしろ他の機体にない“感じ”がするのは確かです」「織斑君にも同様の異能の力が?」「そこまでは分かりません」「謎の多い男の子たちねえ。あーやきもきしちゃう、立場上」「これを破壊した人物も気になりますが……楯無お嬢様は知っておられるのですか?」「ひ・み・つ」 たおやかな笑みを浮かべる楯無。たいして落胆もせず虚は義手に黒い機能性樹脂のカバーを付け始めた。トルク・ドライバーをくるくると回す。「話を戻しますが楯無お嬢様、真に仲直りの仲人を頼んでみては如何でしょうか。良い切っ掛けになるかも知れません」「仲人? 何故?」「最近、簪お嬢様と仲が良いみたいですよ、昨日も夜遅くまで二人っきりとか」「……」 ◆◆◆「「「織斑君16歳の誕生日おめでとう!」」」 一夏はケーキのろうそくを吹き消した。盛大な祝いの声と共にパンパンとクラッカーの音が鳴る。日も落ちかかった午後7時。柊の食堂では一夏の誕生日会が催されていた。素っ気ないテーブルには豪華なシーツが掛り、ドリンクやオードブルが並ぶ。 食堂の一角を占めるコの字型テーブル。ティナ、清香、シャルロット、鈴、静寐と言った面々が並び、その最奥で立っているのは一夏である。右手にコーラ、頭にはクラッカーのリボンが乗っていた。そしてその席に集い固まるのは他の少女たち。「えー本日は俺の為にこんな立派な会を―」「堅いわよイチカ!」 一夏の謝辞にヤジを入れるのは鈴だった。一夏の右隣に座っていた。「うっせぇ! けじめだよけじめ! ええとなんだっけ……まあいいや。とにかく入学して半年間俺がやってこれられたのも、この学園で16歳の誕生日を迎えられたのも、全部みんなのお陰。今日は楽しんでくれ!」「「「わー!」」」 やんややんやと騒ぐ若者たち。少し離れた席で一夏を見つめるのは真である。頬杖をつき緑茶を飲んでいた。「一夏が16歳ね、なんだか一気にふけこんだ気分だ」と呟いた。 「何を言っているお前とて16歳なのだぞ」そう言うのは正面の箒だ。問い詰めるような視線だった。彼は肩をすくめ「まあね」と答えた。そうしたら左隣のセシリアが「そう言えば真の誕生日は何時ですの?」と聞いた。「……考えたことなかった」「蒔岡にいた時はどうしましたの?」 セシリアは呆れた様だ。「特別に仲の良い者同士ならともかく、普通の社会人同士じゃ誕生日なんて祝わないよ」「う、うむ。ならば7月7日にしよう。それが良い」「もう過ぎ去っている日では17歳を祝えませんわ。11月11日にしましょう」「セシリア、お前と同じ日にしたいだけなのだろう」「箒さんがそれをおっしゃいまして?」 バチバチと火花を散らす2人に真はこう言った。「あの2人と相談してみるよ。それが一番道理にかなってる」 半眼で、不満を隠さない。真は更に何か言おうとする2人を窘めた。「ところで箒、本音はどうした? 見当たらないけれど」「先程更識を呼びに行くと行ったきり戻らないな」「彼女来るのか? てっきり欠席するとばかり思っていた」「そのつもりだったらしいのだが、この誕生会にほぼ全員参加しているだろう? 本音がやはり連れてくると」「なるほどね。手こずっているんだな」 真は茶をすすり、立ちあがるとこう言った。「様子見てくるよ」「私も行こう」「箒はここに居てくれ、プレゼントを用意しているんだろ? 主賓を蔑ろにしては駄目だ」「お前はどうするのだ」「男同士は別勘定、後で良い」「そうですわ、ここは真に任せましょう。箒さんが同行して拗れては事ですし。真、様子を見てくるだけですわね?」 不満を隠さない箒にもちろんだと言い残して彼は立ち去った。(それにしても更識妹にも困ったもんだ。一夏を嫌うのは仕方ないにしても、こうも意固地だとますます孤立してしまうぞ。良くも悪くも一夏は生徒の中心的存在だし。何とかならないものか) そんな事を考えながら真は階段を上がる、向かう先は602号室。彼がかって居たフロアの1階下だ。五階に達したとき、階段の下から地鳴りのような音が響いてきた。誰かが階段を駆け上がってくるようである。それも凄い勢いで。 何事かと真が振り返れば、踊り場から見上げる人の影、楯無だった。彼女はこめかみに血管を浮き上がらせていた。怒り半分笑い半分の形相だった。「ウチの簪ちゃんに何をしたー!」「人聞き悪い!」 階段を跳躍する様に駆け上がると扇子をかざし楯無は襲い掛った。袈裟切り、逆袈裟と演舞のような漸撃を繰り返す。当然手加減されていたがあたれば痛い。真はバックステップし、身体を仰け反らせ、躱す。一夏にもこんな事言われたなと遠い目だ。「落ち着け! 彼女は遅れているから教師として、生徒を指導していただけだ!」「どうだか! 一緒に過ごす時間を増やして惚れさせようなんてそうはいかないわよ!」「そんな簡単なら苦労はない!」「やっぱり口説こうと思ってたんじゃない!」「酷い言いがかりだ! ただ心を開いて貰おうと!」「それを口説くって言うのよ!」「俺だけじゃなく皆にって意味だ!」 ぴたりと扇子を眉間に宛がわれた。「っんとーでしょうね?」「もちろんだ。俺の眼を見てくれ」 じっと真の目を見つめる楯無。一言こういった。「……えぐいわね」「君もいい加減にしないと泣くぞ」「良いわよ、遠慮無く泣いて」「笑い話にでもするつもりか」「ううん、写真に納めて強請るの」「この悪魔」「おほほほ。女には危ない棘があるものよー」 角の間違いじゃないか、真はそう思ったが敢えて言わなかった。「まあいい。これから様子を見に行くんだ君も来てくれ」「いくってどこへ?」「602号室。君の妹のところ」 そう真が言った途端、楯無は居心地悪そうに落ち着かない態度になった。しおらしいと言うよりはおどおどしているが適当だろう。借りてきた猫の態度ともいう。「いや、私はちょっと……」 語尾もごにょごにょと歯切れが悪い。「なんだらしくないな。喧嘩でもしているのか」「話があるの、一緒に来て」 真の右手を取り楯無が連れ込んだのは712号室。真のかっての部屋だ。今主はおらずがらんとしている。締め切っているせいか空気がほこりっぽい。壁に向かう二つの机と二つの椅子。2人は椅子を寄せ合い、向かい合うよう腰掛けた。 肩を下げ、背中を丸め、ぽつりぽつりと楯無が語り出したのは姉妹仲であった。昔は仲が良かったこと、最近は疎遠なこと。簪は姉を完璧な存在だと思い込みコンプレックスを抱いていること。自分の形を見出す為、自力でISを仕上げようとしていること。「あの娘にだって特技がある。総合的な情報処理能力、私はとてもかなわない。なによりあの娘はあの娘、比較することじゃない」「ならそう言えば良いじゃないか」「そんなに簡単じゃないわよ、意固地になってて……」「あー 分かる分かる。彼女の頑固さは折り紙付きだ」 俯いた顔を上げ楯無はこう言った。「ものは相談なんだけど、あの娘のこと本当になんとかなる?」「ふーむ」 真は難しい顔をして腕を組んだ。