キャノンボール・ファストはありません ◆◆◆ 時は朝。柊の食堂は緊張感に包まれていた。ある一画で面を付き合わせ朝食に箸を立てるのは学園の2少年である。1人は白い学園服。もう1人はライトグレーのスーツ。2人は朝の挨拶も素っ気なく、視線を合わすことなく席に着いた。険悪というには幾分穏やかで、融和と言うには多少堅かった。 真が目玉焼きに掛ける塩を忘れたことに気づくと、一夏は黙って硝子の瓶を差し出した。「……」「……」 真は黙って受け取った。ひょこりひょこり。真の手にある箸が小さく揺らぐ。感謝の意を表わしているつもりらしい。「……」「……」 2人は黙々と食べ始めた。ちちちと窓から見える数羽の小鳥が囁いた。 さて。心中穏やかで居られないのは周囲の少女たちである。2人が喧嘩するのは珍しいことでは無い。険悪になったのもしばしばである。だが今回の2人の距離は今までと違う。とある少女が、「で、2人は喧嘩してるのしてないの?!」 と声を荒らげたのも無理はない。一種のストレスなのだろう、髪を両手でくしゃくしゃと掻いていた。「髪をかきむしるの止めなさいよ、フケが飛ぶじゃない」「無いわよ失礼ね!」「ねーシャル君。何があったのか本当に知らないの?」 2人の姿をじっと見つめていたシャルロットは、申し訳なさそうに、小さく頷いた。「うんごめんね。この間何かあったらしいんだけれど、教えてくれないんだ。機密だって」「織斑君は擦り傷だらけ、鈴は謹慎で、真は自習室だったもんね」「真の義手壊れてるし。見ていて痛々しいんだよねあの姿」「また何かあったに違いあるまいて」「その何かが問題なのよ」「「「むー」」」 実際のところ、一夏にしてもよく分からないのである。グループデートに及んでいた時、ティナがうっかりセシリアと真のことを話した。一夏にとって少女に囲まれていることは困りもするが嬉しくもある。だが果たして望んでいるのはこれなのかと激しく葛藤していたところ、それを聞き及んだ一夏は苛立ちを感じた。嫉妬と言っても良い。 そんな折、腕を組み歩く2人を見て邪魔してやろうと画策した。少女らもおもしろがって同意した。後を付け夕焼けで満たされる臨海公園で、その少女は現れた。背後しか見えなかった。髪は黒く腰まで掛かり、首元で結っていた。白いワンピースは波風に揺られていた。“学園外に何人いやがる” こう思った時、真は銃を抜き向けた。その事実を切っ掛けに一夏は危険な状況だと察知した。その黒髪の少女の力量である。最初の発砲は堪えた。だが少女の手にナイフが現れた時、彼は飛び出した。一夏が切り裂いた空気の断層、それに怯えることの無い少女と眼が合った。その時一夏が見た少女の顔は、彼の姉に瓜二つだった。 一夏は箸をとめてこう言った。その視線は真のジャケットの下左脇に注がれていた。「セシリアの銃はどうしたんだよ」 真は答えた。「箱に入れてしまってある」「どうして使わない」「装弾数少ないし、壊れたら大変だから」「お前の腕なら銃だけ弾けたんじゃねーのか」 一夏は真が射殺した女性のことを言っていた。「多分な」「多分かよ」「多分当てられた。だが外す可能性は少なからずあった」「外していたら2人を同時に相手にすることになる、だからか」「そうだ。持っている銃が一丁とは限らないし、あの黒髪の女の子の実力はお前もよく知っているだろ。仕留めることを最優先にした。なにより背中にセシリアがいた」 真は箸を置き湯飲みに手を掛けた。立っている茶柱をしばらくじっと見つめると、ずずっとすすった。(塞ぎ込むよりはマシなんだが、背負い癖は直ってねーな) 一夏は肘を立て組んだ両手を口元に、追求するかのようにこう言った。「あの、黒髪の娘は誰だ。何で千冬ねえに似ている」「俺も知らない」「もう一度だけ聞くぜ?」「だから知らないって言ってるだろ」「お前、必要と判断すると平気な顔で嘘つくからな」「あの娘とは少なからず因縁があるんだ。俺だって知りたい、けれど知らない。一夏、俺はお前が知っているんじゃないかって考えてる……お前こそどうなんだ」「俺だって知らねえよ」「昔のこと、良く覚えていない部分があるんだろ? それが多分キーだ」「これじゃ一学期と立場が逆じゃねーか」「そうだな」 朝の食堂は静まりかえっていた。食器を片付ける厨房の音だけが響いていた。2人揃って茶をすする。「……」「……」 ことん。湯飲みをテーブルに置くと、2人はゆっくりと立ち上がった。「やっぱり馴れないことはするもんじゃねーな」 一夏は拳を鳴らす。「同感。こう言うことはもうちょっと後で良い」 真は首を鳴らした。 食堂に満たされる少女たちのざわめき。それが合図となった。「その辛そうな顔がむかつくんだよ! 覚悟があるなら最後まで貫き通せこの阿呆真!」「理解出来ないからって駄々こねるんじゃ無い、まるで子供みたいだぞこの馬鹿一夏!」 殴り合い始めたふたり。少女たちはひさしぶりの喧嘩だと笑顔ではやし立てた。織斑君だと蒼月先生だとヤジがあがる。一夏がなぐり仰け反った真は踏ん張り殴り返した。真の拳が一夏の腹に決まった。一夏がにやりと笑いまた真を殴る。鈍い音が続けて響き渡った。「俺まだ15歳だもん!」「何がだもんだ! もうすぐ16だろ!」「良く覚えていやがりました! 9月27日! プレゼント忘れんなよ社会人!」「性根のひねくれたお子ちゃまにくれてやる金は一銭も無い!」「ひねくれてるのはどっちだ! 銭ゲバ真!」 一夏の右ストレートが真の頬を捕え、真はその反動を利用し左キックを一夏の右脇腹に打ち込んだ。「「いってぇ!」」 2人は鬼の形相の中に笑みを浮かべる。「少しは手加減しろこの脳筋一夏! 直るけれど痛いものは痛いんだよ!」「人の事言える立場か陰険真! 丈夫だと思ってぼかすか殴りやがって!」 2人同時に頭突き。鈍い音が鳴ったあと距離を取った2人は踏み込んだ。「「地獄に落ちろこの女ったらしがっ!」」「騒がしいぞ馬鹿者共っ!」 互いの拳が互いの頬を捕えている時、2人は視線をずらす。その先に立っていたのは千冬では無く箒だった。肩を怒らせたっていた。静寐と本音は背後の席で手を振っていた。箒は2人が落ち着いたのを見ると、腕を組みあきれ顔で睨み上げた。「喧嘩するほど、とは言うが食事中ぐらい温和しく出来ないのか」 一夏は「俺は温和しいぜ、真がふっかけてくるんだ」と言った。真は「温和しくしているとつけあがる奴が居てさ」と切り返した。箒はぺしぺしと2人に手刀を入れた。「喧嘩両成敗だ馬鹿者」「「けっ」」 仕方がない2人だと箒は溜息一つ。そして真に振り向いた。「時に真。水族館の子ペンギンなのだがこ、今度の日曜日―」「済まない箒。しばらく外出禁止になった」「……」「……」 一夏はやれやれだと両の手を広げていた。箒は涙目で真に手刀を何度も入れていた。真は何度も謝っていた。最初はセシリア、次は箒の取り決めだったのである。 遠巻きから見ていた少女たち。溜息をついてこう言った。「蒼月は先生になっても変わらないね、というか少し情けなくなった?」「私は今の方が良いかも、同年代って感じがする」「織斑君は少し落ち着いたよね」「色々あったしねー」「「「ねー」」」「ねえ、更識さんはどっちが良い?」「興味……ない」 簪は離れた所で1人、うどんをすすっていた。 ◆◆◆ 場所は第3アリーナである。秋のまだら雲が掛る空の下、冷たさを感じる秋風の中、みやを纏う真は10名ほどの少女たちを前にアサルト・ライフルを構え発砲した。撃ち出された12.7ミリの弾丸は弧を描き、空とアリーナの境、それに掛るように浮かぶ、距離400m先の光子ターゲットに命中、ガラスのように壊れて消えた。本日は3組4組合同IS実習授業である。真は皆に向き直りこう言った。「えー今見たとおり、真っ直ぐ構えているつもりでもISが補正し実際は射軸を上方に向けます。これは弾丸が重力の影響を受ける為です。自動照準を使っていると意識することは少ないと思いますが、撃つ方も撃たれる方も絶えず意識するようにして下さい。色々便利です」 黒髪の少女が手を上げた。「質問がある」「はい、鎌月さん」「命中精度に関わるのは分かるのだが、ISが補正するならば気にする必要は無いのでは?」「確かに照準という意味ではそうですが、発砲された弾丸はISの支配を逃れ物理法則に切り替わります。つまり水平時、遠距離ほど弾丸は重力分上方にあがります。さてこの時高速で近づいたらどうなるでしょうか」 赤髪の、背の高いスレンダーな少女が驚いたように、あ、と声を上げた。「……回避出来る?」 真は頷いた。「7.62ミリ150グレイン弾の場合ですが1km離れると4メートルも上昇します。踏み込んで弾丸をくぐる……言うほど簡単でもありませんが機動戦闘のテクとして覚えておいて下さい。また、敵2体同時に牽制したい場合にも使え戦術が広がります。当然ですが上方に撃つ下方に撃つなど、高度差によって上昇率は変化しますので注意が必要です」「「「ふーむ」」」「では実際に体感してみましょう。一番手、佐々木さん」「はーい」 弾道を意識し発砲を繰り返す少女たち。宙に浮く真はそれを確認すると周囲をぐるっと見渡した。そこには今までとは少し違う顔ぶれが並んでいた。赤い髪黒い髪、釣り目垂れ目、部分的な特徴だけ見れば同じだが、一学期は余り会話のなかった少女たちである。(ラウラもティナも居るし、全く知らない訳じゃ無いけれど……ちょっと新鮮だな)「まだ馴れないかい?」 真に声を掛けたのは1年3組担任ジェシカ・マクドゥガル。ショートカットの黒人女性で39歳。元米海兵隊。第2回モンドグロッソにて千冬に一太刀浴びせた老獪として有名である。その腕を買われ学園の教師として教べんを振るっているが、寄る年波には勝てず最近増してきたふくよかさを気にしている。 真は大地に降り立ち、犬のような愛嬌のある女性に答えた。「馴れないと言うよりはまだ新鮮です」「そう言うのを馴れていないというさね」「かもしれません」 2人はそろって少女たち生徒を見渡した。小さく見えるのは黒い機体シュヴァルツェア・レーゲン、ラウラは銃を掲げ同じように少女たちに向き合っていた。隣の集団には金髪ボブカットのティナが打鉄を纏い、彼女もまた同じように説明していた。他にもリーダーを務める少女たちがたどたどしくも熱心に語っていた。一つ風が吹く。「まあボーデヴィッヒ先生もそうだけど2人が来てくれるようになって助かったよ。3,4組にも優秀なのは多いけれどやっぱり日頃乗ってると違うからね……3組4組にも専用機持ちが欲しいよ」「はは……以前それでハミルトンに噛みつかれた事があります」「クラス対抗戦だったかい?」「はい」「まったく上もなにを考えているんだか。専用機持ちは分散させるべきだって口酸っぱく言ったんだけどさ」「1組に集中してますね」「2組もだよ、今は蒼月先生が抜けて凰1人だけど、1組は織斑、篠ノ之、オルコット、ディマで4機だからね。やってられないよ。ブリュンヒルデのご威光様々……っと蒼月先生には失言だったかね」「いえ、ここだけの話にしておきますよ」「そいつは助かるよ」「4組の更識はまだ?」「ああまだだね。打鉄弐式は相当掛るよ。ほら、白式がセカンド・シフトしただろ? 倉持技研の連中は白式様ってお祭り騒ぎさ」「当面彼女の不満顔を見そうです」「蒼月先生も元技師だろ? 時々で良いみてやってくれないかい。更識は1人で仕上げるらしいのさ」「分かりました」 2つ3つ世間話が済むと、ジェシカはのしのしと生徒達の方に歩いて行った。 更識簪。1年4組クラス代表。小柄な少女で、陽の加減で青く見える、肩に掛る程度の短い髪をもっている。姉である楯無とは対照的で内に巻く癖毛だ。簡易ディスプレイを兼ねた眼鏡を常時掛け、視線は下向き。良く言えば物憂げ、悪く言えば暗い性格。他人を寄せ付けない雰囲気でクラスでも孤立気味。真とは授業で簡潔な意思疎通を取り交わす間柄である。簪は内向的な性格と本音に対する遠慮で、これは多分に過剰なものではあったが真とは敢えて距離を取っていた。(とはいうものの、どうするか) アサルト・ライフルを構えた打鉄が宙を舞う。ぱん、ぱんと乾いた発砲音が響く中、真はみやを解除。更識に近づき話掛けた。ISスーツ姿の彼女は1人ぽつんと立っていた。2人の距離はおおよそ1.5人分である。「更識さん」と真は言った。簪は視線すら変えずに「何で……しょうか」といった。 風がひうと吹いた。巻き上がるその様は落ち着き無く、秋空に消えていった。真は呻いた。「……今日は良い天気ですね」「そう……ですね」(……) “今の”真にとって簪は初めてのタイプだった。彼の記憶にある女性は押せば押し返し、逃げれば追ってくるタイプが大半だったのである。距離感が掴みにくいと、真自身も切っ掛けを掴みかねていた。彼は心中で腕を組み、むぅと首を傾げる。(そう言えば雪子がこのタイプだったな) 雪子というのは“前の”真の中学時代の同級生だ。当時どうしたのかそれを思い出し彼はこう言った。「打鉄使ってどう? 射撃能力はリヴァイヴに一歩譲ると思うんだが」 真は興味のありそうな話題を振ってみたのである。簪は自分でISを仕上げようとしている……ならばと考えた。簪はちらと真を見たあと視線を戻しこう言った。「……そんなこと無い。打鉄でも十分に……使える」 手応えありと心の中でガッツポーズ。「ハイパーセンサーとFCS(火器管制)のデータリンク速度遅いだろ。帯域も三分の二ほどだし」「違う。今以上上げても……データ量にパイロットが混乱するだけ。必要十分。BCS(Blade Combat System:近接兵装管制)と基本駆動システムとのバランスが、重要」「そう? 打鉄乗っていた時、リヴァイヴよりもたつき感が強かったけれど」「それは貴方だけ……貴方の戦術情報処理速度は異常」 それは膨大な戦闘経験とISを直接操作している結果である。彼は当然そのようなインチキをしているとは言えなかった。「むう。意識したことなかったけれど……て、なんで知ってるの?」「戦闘ログは、見させて貰った……から。一つ聞いて、良い?」「何なりとお嬢様」 簪はぴくりと小さく身をゆらし、僅かな間の後こう言った。「ログが非公開に、なったのはどうして? 6月2週目を最後に……以降非公開になってる」 その日はMの襲撃1回目である。非公式の戦闘行動など公開できるわけがなかった。「あー、済まない機密なんだ」 簪はそうと小さく呟いた。素っ気ない返事であったが、真には落胆しているのが見て取れた。彼は取り繕う様にこう言った。「全部は無理だろうけれど、公開出来るところが無いか聞いてみるよ」「……いいの?」 右足を前に左足を後ろに。右手を胸の前に添え、左手を横に差し出した。頭を下げて彼は言う。「お嬢様のご要望とあらば」「お嬢様は、やめて……」「了解、更識さん」 戸惑いながらも簪が何かを言おうとした矢先、離れた所から少女の声が上がった。「蒼月せんせー! しつもーん!」「今行くー! 更識さんそれじゃ」 真を見送った簪の、感謝を意味する言の葉は、誰にも届くこと無く秋風に巻かれて散った。 ◆◆◆簪編開始ですが如何だったでしょうか。原作での一夏とのスタートは白式によるマイナススタートでしたので、あのようでしたが、真ならこうかなあと。それにしても簪は簪で扱いが難しいです。とくに口調が。こうした方が良いぜ! というご意見あればお待ちしております。【どうでも良い話】BCSは近接用手持ち武器の他、ナックル・ガードなど半素手武器や掌底などの格闘技も含みます。そのため四肢機動を決定する基本アクチュエータの影響を……(以下略【更にどうでも良い話】簪→うどん→鎌月さん。はたらく魔王様を知らない方ごめんなさい。