IS学園本棟、職員室。オフィスデスクが整然と連なるその部屋には、ホワイトボード、スチールの棚、書類に電子ジャーポット、コーヒーカップに湯飲みがあった。一見、何処にでもあるような雰囲気の職員室だがその実、学園防衛の最前線である。 日頃、教室で教べんを振るう彼女らではあったが、ひとたび緊急事態が起きれば武器を持ち生徒たちを守るのだ。 9月2週目学園祭当日。真は自身の机で書類に目を通していた。各教室、各部活の出し物。その実施場所と内容が記されていた。学園祭のパンフレットとも言う。 一通り目を通すと「はいコーヒー」と言ったのは楯無だ。「ありがとう」彼は答えた。一口飲んだ。 彼は不意に顔を上げた。正面、机に並ぶ書類越しには同僚である銀髪の少女が座って、同様に書類に目を通していた。長い銀髪を結い上げ、黒いスーツを纏っていた。黒のジャケットに黒のタイトスカート。スカートは穿き慣れていないと、こぼしていたのは先日の事だったと思い出した。 彼はそのまま左に顔を向けた。はす向かいの真耶が何時もの様に眼鏡をずらし、キーを叩いていた。こう見えても機械は得意なんです、自慢げに胸を張っていた。IS適正はA、彼はそれを思い出した。 彼は真左を見た。2組副担任である千代実が腰掛け、コーヒーを飲んでいた。日頃ディアナの小間使いのような彼女であるが、先の福音襲撃の際、真が撃墜されたという一報を受け取った時、鬼神のような形相になったと少女たちから聞いていた。彼女もまたディアナの部下なのである。 副担任二人の向こう側には千冬とディアナが控えていた。学内どころか世界最強を誇る二人はその力故に権利が制限されている。彼女らは海外旅行どころか、日本国内を自由に動き回る事すらままならない。IS学園都市が彼女らの愛すべき家であり、守るべき国であり、封じ込める檻なのだ。 彼は右を向いた。そこには既に見慣れた少女の顔が合った。彼女は背もたれのない丸い椅子に座り、慎ましく腰掛けていた。細い眉に小さくも高い鼻、整った美しい顔立ち。だが大きい瞳は愛くるしさをも醸し出していた。 ちらりとラウラが一瞥を投げる。彼は一つ打った高鳴りを仕舞い込み、静かにこう告げた。「楯無、何故君がここに居る。職員室だぞここは」「生徒会権限」「教師には及ばないんじゃなかったのか」「貴方の側に居たいだけなの」 真耶と千代実がコーヒーを吹き出した。「蒼月先生! 幾ら同い年でも先生と生徒はだめですよ!」と真耶が言った。「随分手が早いですね……」不信を湛える千代実だった。軽蔑の眼差しも混じっていた。周囲の視線が集まる。“また蒼月先生だ”と他の教員からの視線が容赦なく突き刺さった。彼はうんざりしたように楯無を見返した。「楯無。君はまた何を企んでいる……」「あは」「笑って誤魔化すな」「ねえ、前から感じていたんだけれど、真って私に対する扱い酷くない?」「君が他の娘と同じようにしてくれれば同じように扱う」「同じようにしていない? 例えばどの辺が?」「一見、常識的な距離感を保っているが気がついたら、間近にいて引っ掻こうと手を伸ばしてくる。払おうとすると躱される、押し返そうとすると消えている。逃げようにも纏わり付き、何処まで走っても振り切れない―」「霧のようだなんて、あらいやだお上手ですこと」「まるでゴーストみたいだ」 一転、心底不機嫌そうな楯無であった。「貴方って本当に上げて落とすの好きよね。本当に取り憑いちゃおうかしら」「君を見ていると想うよ、やっぱりパートナーは表裏の無い人が良い」「あら振られちゃった、悲しいからそろそろ帰るわ」 急に引いた楯無の態度に彼は戸惑った。「生徒会室か」「当然でしょ、私にも警備があるんだから……蒼月先生もあとでいらして下さいね」「お茶が出るなら行くよ」「虚の紅茶は一品よ。それじゃ、ばははーい」 手をひらひらとさせながら扉が閉まる。(よく分からない、一体何がしたいんだ彼女は) 真が再び書類に目を通した時だった。真耶も千代実もラウラも席にいなかった。“蒼月先生”そう呼ばれ彼に影が指す。「私に表裏があると仰りたいのかしら?」とはディアナ。「私はそれ程単純か」とは千冬。 先程の発言は一般論でして、そう釈明する真の襟を掴むと、「「お話があります、生徒指導室にいらして下さい蒼月先生」」 怒りを堪える黒と金。彼は達観した表情でズルズルと引かれていった。(や、やられた……) こってり絞られたあと、学園の正面ゲートに立つのはラウラと真であった。学園の警備が任務の2人は、入園する人物に、警備をしている安心感と威圧を与えている。ラウラは引き続き黒のスーツ、真は黒い戦車を連想させる装甲、みやを展開させていた。両手にはわざわざアサルトライフルを展開させている。 ゲートをくぐる人の反応も様々であった。頼もしそうに見る人も居れば、やり過ぎではないかと眉をひそめる人。間近に見るISのその姿、物珍しそうに凝視する人も居た。 ゲートをくぐる黒い政府関係車両。それを見送ったラウラは真に歩み寄る。秋の晴天は日差しが強い。彼女は頭上の太陽を恨めしく見ながらこう言った。「蒼月先生、いくら何でもやり過ぎではありませんか?」「保険とみてくれ。ここは遊園地じゃないんだ。幾ら有っても良いだろ?」「見た目的な事を言っています」「見た目も計算のうち、この顔と傷、有効に使わせて貰おう」「その格好どうみても歴戦の兵士ですよ」「そうか、自信出た」「褒めてはいません……失礼、チケットの確認を」 サラリーマン風の男性はラウラの姿を見ると最初に戸惑い、次ぎに憤慨したような表情を見せた。ラウラは同じ15歳の少女と比較しても随分幼く見える。幾ら大人びた化粧をしているとはいえ、早々変わるものではない。馬鹿にされていると思ったのだろう。最後に何か言おうとして、真に気づいた彼は愛想笑いを浮かべた。“娘に会いに来たんです”そう言って逃げるように立ち去った。 子供扱いされたのか、若く見られたのか、判断に窮したラウラはこう呟いた。「一般人も意外に多いですね」「生徒一人に配られるチケットは一枚だから、単純計算で360名いる。教師の分を含めれば400人近いだろう。身許は割れているとはいえ、楽観も出来ない。気は抜けないぞ」「蒼月先生はどなたに?」「友人に渡した」「意外です、てっきり蒔岡機械の人物かと。どの様な方です」 真は視線を上げ、ラウラの背後を見た。燃えるような赤い髪をした二人が立っていた。一人は少年一人は少女、共にターバンの様なバンダナを頭に巻いていた。少年はジーンズにポロシャツ、少女は白いワンピースを纏っていた。男女ともに、僅かに釣り上がった瞳よく見れば似た顔立ちをしている。勘の良くない物でも一目で兄妹と気づくだろう……五反田蘭と弾である。 蘭は深々と頭を下げてこう言った。「真さんこんにちは」「いらっしゃい。遅かったな」「おにいが寝坊したんですよ。昨夜興奮して寝付けなかったようです……ほら突っ立ってないで挨拶」 小突かれた弾は「お、おう」と生返事を返した。「弾、どうした? ISを見るのは初めてか?」との真の問い掛けに応じたのは蘭だった。「それ、リヴァイヴですよね。黒は初めてです」「こいつはカスタム機なんだ」 チケットを確認したラウラはこう言った。「蒼月先生、入場者もまばらですしここは私一人でも問題ないでしょう。ご案内して差し上げてください」「すまん、助かる」「いえ、構いません」 ◆◆◆ 正面ゲートから学習棟にいたる煉瓦道。ジャケットに着替えた真はこう言った。「蘭は施設見学とかしたいのか」「はい是非。やっぱり見ておくと勉強にも身が入りますので」「なら一夏に頼もう、その方が良いだろ」「は、はい。喜んで!」 弾は真にこう言った。「真、さっきの子誰だ?」「ラウラ・ボーデヴィッヒ、同僚だ」「同僚……って社会人?!」「15歳だけれどな、彼女がどうかしたか?」「そのボーデヴィッヒさんは一夏の事好きなのか?」「そう言う話は聞いたこと無いけれど」「ならお前はどうだ?」「親しいと言えば親しいが、そう言う関係じゃない。それが何って、おまえ」「か、かわいかった」「「……」」 こんな事もあろうかと、そう言いながら弾はポケットから住所氏名年齢を書いた名札を胸に取り付けた。「すまん二人とも、俺急用思い出した!」「ちょ、弾!」 止める真を振り切って、爽やかな笑顔で立ち去る15歳の少年であった。蘭は済まなさそうに俯くだけだった。(おにい帰ったら説教……!) 弾が素気なくあしらわれた頃である。1年1組の教室で一夏は汗を掻いていた。彼のクラスはメイド喫茶、男である彼は燕尾服を纏い給仕に励んでいた。「いらっしゃいませお嬢様。本日は如何致しましょう」「いい……」「本日のお薦めは、チョコレート菓子と紅茶セットとなっております」「お持ち帰りしたい……」 面倒だと腰の重かった一夏であったが、元来の職人気質な性格もありのめり込んでいた。(いらっしゃいませだとおかしいか。お帰りなさいませお嬢様だとしっくりくる……よし) 右手の平を胸に、傅くようにこう言った。微笑を忘れない。「お帰りなさいませ、お嬢様」「ふう……」 感極まり失神する少女も居る有様である。シャル事シャルロットの燕尾服も好評で1年1組のご奉仕喫茶は大盛況であった。方や2組の中華喫茶。鈴の本格路線が受けたのか相応に盛況だった。学園服より一般の人たちが多い。「ごま団子2つ追加~」「はいよう」 ごま団子をせっせと揚げる調理係の少女たち。流れる汗はコンロ熱だけでは無いだろう。その様な中、窓側の席に腰掛ける、眼光鋭い少女が1人いた。箒である。メイド服姿の彼女は休憩を利用し2組にやって来たのだった。「箒ちゃん、ごま団子のセットがおすすめだよ」「うむ、一つ頂こう」 丸いトレーを持ち上機嫌なのは本音だった。スリットから覗く足が艶めかしい。「似合っていると言いたいが、本音。恥ずかしくないのか?」「少し恥ずかしいけれど可愛いから、気にしないよっ」 頭部に咲いた白い二つの髪飾り。彼女はシニョンを気に入ったようだ。両手で花を咲かすようにぽんぽんと軽く叩いている。「箒いらっしゃい、ゆっくりしていって」 静寐であった。お盆でスリットを隠すように歩いて行った。「ああ。そうさせてもらう」 友人の気遣いを噛みしめつつ彼女は一口茶を飲んだ。廊下を歩くビジネススーツ。真の姿を見たのは、箒がほくほくの団子を平らげた時であった。 ◆◆◆ 1組前の廊下に並ぶ行列に面食らいながら、真は一夏を呼んだ。「あー 割り込み禁止!」「最後尾はこちらでーす」 真は真顔でこう言った。「教師権限」「「「ぶーぶー」」」 店の奥からやって来たのはその一夏だった。「お、蘭。いらっしゃい」と営業スマイル。「一夏さん、いい……」頬を染めて感極まる蘭だった。「蘭、アンタやっぱり来てたんだ」 割り込むように言ったのはチャイナドレスに身を包んだ鈴である。休憩と視察を兼ねて1組にやって来ていた。その彼女は警戒するように鋭い笑みを浮かべている。一転鋭い眼差しで蘭もこう言った。「ええ、凰先輩。お久しぶりです」「アンタに先輩呼ばわりされる覚えはないけどね」「いえ。決定事項ですから、ご心配なく」 火花を散らす少女2人。やっぱり仲が悪かった、そう内心疲れたように溜息付くと真は一夏にこう言った。「一夏、蘭の案内頼めないか?」「ああいいぜ、ちょうど休憩なんだ。ところで弾は?」「ラウラに一目惚れしたらしい。途中で引き返してそれきりだ」「うは、マジかよ。アイツも無茶すんぜ」「望み薄だよな……なら蘭を頼んだぞ」「アタシも戻るわ、そろそろ休憩終わりだし」と鈴が言う。ならば俺もと、真が立ち去ろうとした瞬間である。一夏は引き留めるようにこう言った。「2組は行ったか?」「これからだけど」「行くんじゃねえ」「なぜに」「どうしてもったらどうしてもだ」 一夏は静寐のチャイナドレスを見るなと言っていた。「……いいじゃないか。チャイナドレスぐらい。減るもんじゃなし」「減るに決まってんだろ! セシリアのメイド姿で我慢しやがれ」 真は意外そうな顔でこう言った。「着たのか彼女。拒否するものとばかり思っていた」「渋ったんだけどな。メイド服は下々の服装ですって。誰かさんが喜ぶって言ったら手の平がえしだ」 一夏は蘭を引き連れ教室の廊下に出た。ブーイング込みの歓声を聞きながら真は1組を見渡した。視界に入る鮮やかな金の髪、給仕中の彼女に彼は歩み寄った。背後から声を掛ける。「セシリア」「ひゃい! ……ま、真! 驚かすとはマナー違反ですわよ!?」「いや、そんな気は毛頭無かったのだけど……顔赤いぞ、調子悪いのか?」「そ、そんな訳有りませんわ。決してメイド服でだなんて思っておりませんわよ。至って普通です、おほ、おほほほほ」 添える右手は口元に。彼女の久しぶりの振る舞いに彼は眉を寄せた。「とてもそうは見えないけれど」真はセシリアの額に手を当てた。ばっと彼女は飛び退いた。胸元に握り拳を添えている。「……セシリア?」「な、なんでもありませんわ、ありませんのよ、ありませんったらっ!」 そう言いながら駆け足で立ち去った。教室の扉の枠に躓き、転ぶ。すっくと立ち上がると、逃げるように走り去っていった。揺れる黒いロングスカートと金の髪、彼は唖然としながらこう言った。「彼女、変だよな?」「女の子には色々あるんだよ、真もまだまだだね」 溜息をつくシャルロットだった。 ◆◆◆ 学習棟から部活棟へ向かう道。1人歩くのは楯無だった。頭上には秋の筋雲。さあっと吹く一筋の風。冷たくなり始めた秋風が心地よい。「ん~♪」 上肢を伸ばす彼女は上機嫌だった。(ようやく少しすっきりしたわ♪) 千冬とディアナに引き摺られた真の、諦めに似た疲れた表情。それを思い出す度に笑みがこぼれる。彼女は布仏姉妹の一件で真にささやかな復讐をしているのであった。(しかし、織斑先生はともかくリーブス先生までご執心とは。一体あいつ二人に何したのかしら……あら?) 遠くに見える銀の髪。黒服の男性をお供に連れたその女性は、楯無のよく知るところだった。(そっか。そう言えば織斑先生が呼んだとか言っていたっけ。これは挨拶に行かないといけないわねえ) 後にするか今呼び止めるか。僅かな逡巡の後、サングラスを付けた金髪の女性が1人、颯爽と歩いて行った。彼女は僅かな警戒を滲ませた。その金髪の女性はディアナが呼んだのである。(そう、もう来たんだ。流石軍人さん、学園内だというのに堂々としてるわ)「……これは面白くなりそう♪ そうよね真?」 彼女は軽快なステップで真を探す事にした。彼の行く末を見届ける為である。学内警備を統べるアレテーが警戒レベルを一つあげたのはこれから数時間後のことであった。 ◆◆◆ プライベートやらスランプやらで少々更新が遅れそうです。