その日。学園体育館に全校生徒が集められた。1年1組から3年4組までの360名が整然と並んでいた。前から3年2年と続き、1年である一夏は3群目の右端だ。体育館は部活にも所属せず、一般体育も履修していない彼にとって入学式以来となる。 その一夏は疲れ果てた表情でぶっきらぼうに立っていた。並ぶ途中、彼は顔見知りの優子ら上級生に話し掛けられた。同級生とは異なる、成熟さをかもし始めた香の匂い。浮き足だったのも無理はない。だが、彼をよく知る3人の少女たち。しっかりと目撃されていた。『一夏って先輩とも仲良いんだね』『年上が好きって噂、本当なんだ?』『イチカ、説明してくんない? どういう関係?』 シャルロットと静寐と鈴に問い詰められ、窮した一夏はただの知り合いだと、ただの噂だと説明に専念せざるを得なかったのだった。「大変ですわね」とはセシリアだ。多少気遣っているようである。「全くだぜ。先輩ズは真の範疇なのに」「……そうなんですの?」「あーまーいやー、なんというか」「そ、う、な、ん、で、す、の?」「あーほら、アイツ去年から学園に来てるだろ? だから知り合いが多いんだよ」「釈然としませんが、まあいいです。ところでその当の真はどこにいるのかご存じありません? 教師らの列にも見当たりませんの」「ああ、アイツなら上空で警備中だ」「随分と詳しいですこと。どうして?」 どうして知っているのかという意味だ。拗ねた様な、咎める様なセシリアの視線。彼はやれやれだとこう言った。「メールがきた。なんだ、その憮然とした顔。ひょっとしてやきもちか?」「な、」「心配すんな。男の友情、連帯感って奴だよ」「き、気にしておりませんわ、ただ殿方同士の御交友も度を過ぎると、不健康だと言いたいのです」「御交友ねえ……」「なんですのその眼は」「最近話してないんだって?」「そんな事はありませんわ。何が仰りたいのかしら」「とっておきの情報があるんだけどなー どうしようかなー セシリアは素直じゃないしなー」「一夏さんは随分ひねくれましたわね。別に良いですわ。どうせ、大したことない―」「真の部屋の場所とか」 ぴしり、と空気の固まる音がした。「い、一夏さん。何かお困りのこととかありませんか?」「えーなんか対価を求めたみたいでいやだなー」 その時場に満ちていた雑踏が滑らかに引いて行った。ガラスに吹き付けた息の跡、それが消えるかのようだった。一夏が何事だと当たりを見渡せば、全学園生徒の視線の先、壇上の上、颯爽と2年の女子が歩いていた。「やあみんなおはよう」 壇上のマイクに向かう上級生を一夏は呆けたように見つめている。セシリアは訝しげだ。「一夏さん、何方かご存じですの?」「先輩ズ」「あの方が?」 壇上の2年生はたおやかな笑みを浮かべていた。「今年は入学式から色々立て込んでいて正式な挨拶はまだだったね。私は更識楯無と言う。生徒会長、つまり君らの長だ。以後宜しく」(なんだなんだ、この間と印象が随分違うぞ) 不透明感、濃密なもや、霧。つかみ所の無い楯無の纏う空気に一夏は戸惑っていた。 方や警戒の色を滲ませるのはセシリアだった。彼女自身大人びているのは周知の事実であったが、壇上の同性と比較すると劣っているのではないか、真が比較した場合どのように判断を下すのか、と不安に苛まれた。 東洋人が若く見えるという事実はセシリアも知るところであるが、先程の3年生とも異なる雰囲気。纏う神秘性も相まって過分に大人びて見えたのである。 楯無は変わらず笑みを浮かべ、セシリアは握り手を胸元に、一つ息を呑んだ。楯無とセシリアの視線が絡む。楯無は扇子をパチンと鳴らしこう言った。「今日皆に集まって貰ったのは他でもない。今月行われる学園祭だけれど、今回に限り一つルールを追加するわ。その内容というのは、」 楯無の背後に映像が浮かび上がる。そこには『織斑一夏争奪杯』と書かれていた。文字と一緒に浮かぶ顔写真。無修正であったが少女らの心を引きつけるには十分だった。「は?」とは一夏である。「「「えええー!」」」とは少女たち。「静粛に! 今から説明するわよ」とは悪戯を思いついた子供の表情の楯無だった。 通例。学園祭では各部活で行われる催し物に投票し、上位部には助成金が下りるルールだった。楯無のプランとは、それに加え一夏を強制入部させる事によって充実感と高揚感を得、なによりガス抜き狙うのものである。 学園では部活動の入部は強制ではない、IS操縦が前提だからだ。だが、専用機持ちなど一部生徒を除き、身体を動かすと言う意味で、また上級生との交流が得られると言う意味でも部活に精を出す生徒も少なくない。 体育館に満ちる歓声と拍手、一夏強制入部という特典は、大半の少女たちの、満場一致で決定された。 ◆◆◆「これはどーゆーことだ、おい」 一夏の問いに真は汗をたらし目を逸らした。「色々あったんだよ」 場所は柊の食堂で、一夏は机に乗り出し鋭い形相で睨み上げていた。ガンを垂れているともいう。一夏の理解が追いつかないまま、状況は流れ気が付けばあとの祭りである。我に戻った一夏は、真が知らない筈がないと、警備から戻って来た真を捕まえて今に至っている。 少女たちに囲まれる中、一夏はテーブルに手を叩きつけた。コーヒーの雫がテーブルに散った。「説明しやがれ、なんで俺が景品なんだ」「激動の一学期、精神的に疲弊している女の子達を応援しよう、と言うことだ」「ならなんで俺なんだ」「OVAだって」「アニメがどうかしたのかよ」「一夏の方が人気あるからだってさ。憎いねこの色男」「ふざけんな。行って取り消してこい」「異議ある物は手を上げよって言ったんだろ? 誰も居なかったからもう遅いらしいぞ」「普通面食らうだろ、あんなん!」「まあそうだよな」 ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。落とし所が見付けられないまま、議論の平行線を引く二人。狙い謀ったようにやって来た楯無は、「ふふ、難儀しているね真」と言った。扇子を口元にゆったりと確実に歩いてくる。「お陰様でね」とは真だ。少女らが二人に一瞥を投げる。 楯無は一夏に向き直りこう言った。「そんなに嫌かな」「絶対いやです」「ふむ。ならこうしよう。対価として私が君をトレーニングしてあげるよ」「結構です。俺は規格外なんで」「いうね、論より証拠。ならば決闘で決めてはどう?」 行方を見守っていた真は「一夏、IS戦はともかく肉弾戦なら彼女から学ぶことも多い。受けてみたらどうだ?」と言った。一夏は見定めるように楯無を凝視し「この人はそんなに強いのか」と半ば疑うかのように聞いた。楯無は静かに笑っていた。つかみ所の無い楯無の気配。一夏は腹を括った。「よし、その挑戦受けた。先輩が勝ったらその条件飲みます」「決まりね、本日の放課後道場で」 ◆◆◆「まこと君。楯無お嬢様と何時知り合ったの?」とは非難めいた視線の本音だった。真は「数日前」とあっさり答えた。すると「何故彼女が強いと分かる」そう疑いの眼差しを飛ばすのは箒だ。真は「身体捌きだけで十分だろ」とぎこちなく答えた。そうしたら「それでどの様な関係?」そう静寐が言うので「ただの知り合い」と真は冷や汗一つ垂らして答えた。「ただのだなんて、連れないわねー」とは楯無だ。(((あやしい))) かっては真に好意を示していた少女たち。次から次へといくら何でも節操がないと不信を湛えていた。 板張りの壁と、弾性のあるゴム製の床、その4人が座するのは体育館の道場である。珍しく人だかりが出来ていて、押すな割り込むなのごった返しだ。 楯無と一夏が決闘をするという話は瞬く間に、学園中に知られた。学内最強を誇る楯無とトーナメント戦、優勝者である一夏との戦いは誰にとっても注目の一戦だった。「会長ー、負けて下さいー」「織斑君がんばってー」 身も蓋も無い少女たちの声援。楯無は脱力したようにこう言った。「清々しい程の正直さね、やる気削がれるわ」「言い訳は駄目ですよ」「ん~、強気の男の子も悪くないわね」 偏った声援がひしめく中、道場に立つ楯無と一夏。白い胴衣に黒い袴。二人は道着を纏い立っていた。道場の脇に座るのはSTN三人娘、その隣では真が油断ならない視線で二人の動きを追っていた。(千冬さんの下ともなれば相応の腕の筈、けれど一夏の反応速度も伊達じゃない。さて、お手並み拝見) 審判の少女が「はじめっ」と手を下ろした。構えた姿勢で二人が止まる。声援も波が引くように治まった。二人の放つ氣に押されたのである。二人とも声を出さず、身動き一つせず、沈黙が続いた。「「……」」 焦れた一夏はすり足で前へ進むが、突然回り込むよう右にずれた。今度は左、また右と弧を書く境を壁に攻めあぐねている。「来ないの? なら私から、」と楯無が言いかけた時だった。床を踏み抜く音が道場に響く。皆には一夏が仕掛けたように見えた。事実その通りであった。だが床に大の字で寝そべっているのはその一夏なのである。 頭から落ちないように手心まで加えられ、歯を食いしばる。「どうする? まだやる?」「もう1本!」「そうこなくちゃ」 今度は焦らずじっくりと間合いを詰める一夏。彼の武器は人並み外れた反射神経と身体能力だ。掴むことが出来れば勝ちと踏んだ。だが掴んだ瞬間、否。掴む直前彼の身体がバランスを崩し宙を舞うのである。両脚を地面に乗せて立っている以上、地面を掴むことが出来ない以上、軸足を払われれば為す術が無い。 2本目、一夏が再び1本取られた。悔しさを隠さずに一夏はいきり立つ。真は楯無の練度に舌を巻いていた。(予備動作がないなんて、流石千冬さんの直下だけはある。一夏視点だと何故投げられたのかすら分からないぞ……恐れ入った)「雄々々々!」 構え直した一夏は間合いを取らずに強引に踏み込んだ。突き出した彼の右手を楯無は左手で掴む。一夏の身体を強引に引き寄せ、バランスを崩すとリズムを刻み、喉とみぞおち、肋骨のある脇腹を軽く叩く。急所に軽い衝撃を受けた一夏はそのまま崩れ去った。「勝負あったかな」「まだまだっ!」 楯無は一夏の身体能力を見誤った。与えたダメージは彼にとって小さかったのである。身体能力に物を言わせ、もうろうとする意識を強引に振り払い楯無に、がむしゃらに喰らい付いた。伸ばした一夏の腕は楯無の襟に掛かり、上着を剥いだ。 掴まれるとは想定していなかったのだろう。楯無の道着の下はTシャツではなく下着だった。ボリュームのあるふくよかなラインがこぼれ落ちる。「きゃん」「あ」 動揺した一夏は為す術も無く楯無の連打を食らい、崩れ落ちた。残った力を振り絞り立ち上がろうとしたが駄目だった、大の字で伸びた。柔よく剛を制す、楯無が行ったのは紛れもないそれである。 負けてしまったと、立派な胸に一夏どころか彼女ら自身ですら見とれてしまったという事実。色々な意味でショックを受けた少女たち。静寐は一夏に濡れタオルを乗せると、彼の頬を抓った。 真は立ち上がると、着衣の乱れを直す楯無にこう言った。「やり過ぎだ」「おねーさんの下着姿は高く付くのよ。それに、ちゃんと手加減したわ」 当然だろと真は言った。もちろん、そんな事で大人げないとは言わなかった。「まあいい。勝負有りだ楯無、君の好きにすると言い」真は職員室に戻ろうと振り返った。楯無はそれを止めた。意地の悪い、悪戯を思いついた年相応の少女の笑みがそこに有った。「真も見たのよね?」「みてません」「どうだった?」「だからみてません」「形も大きさも結構自信あるのよねー」「見てませんってば」「ふうん?」「……」 瞼は半分閉じられ下からじっくりと見上げる笑みは小悪魔の如く。視界に広がるのはコロンの香り。甘くも鼻につくその匂いは抗いがたく。真は空を見上げると観念した様にこう言った。「ちょっと見ました」「正直でたいへん宜しい」 彼の身体が宙を舞った。 ◆◆◆ 時は過ぎ学園祭前日である。1年2組の教室で、“中華喫茶準備委員会”と記された腕章を腕にした少女たちがせっせと動いていた。 彼女らにとって見慣れた教室は装いを変え、教室後方に寄せられた机の数々。中央に並ぶ机は三行二列に並べられ一つの島を作っていた。 壇上に立つ少女が一人。トレードマークの八重歯を見せながらテキパキと指示を出す。鈴である。彼女は準備委員長を仰せつかったのであった。「いい? 時間は少なくやることは多いのよ。迅速かつ的確に作業を進めて目指せ大人気店舗! やるからには全力投球! いいわねっ!」「「「おー」」」 白い粉にまみれて清香が言う。「ねー 鈴。ごま団子の上新粉とだんご粉の割合どうするのー?」「3:7の割合よ。水は耳たぶより少し堅めぐらいがベター、間違えんじゃないわよ歯ごたえが命なんだから」「らじゃー、こねこねっと」 小さい段ボール箱を持った静寐が言う。「鈴、武夷岩茶(ぶいがんちゃ)の茶葉入手したけれどこれで良い?」「よっし流石しっかり者、卒が無い! 茶器も用意出来たしあと練習だけよ! あと委員長とお呼び!」 大きめの段ボールを持ってきたのは、とある少女である。「いいんちょー、チャイナ・ドレス持ってきた」「よっしゃ、これで完璧じゃない!」「てゆーかさ、これ着るの? ちょっと際どすぎない?」 少女が取り出したのは、長春色(暗めの紅色)の一枚布のスカートタイプで、金で縁取りされていた。袖は無く、ノースリーブ、何より目に付くのが腰に掛らんばかりの大胆なスリットである。教室に沈黙が訪れた。練習用のごま団子が揚がる音がする。「私、いやこの格好」とは静寐だ。「あに言ってんのよ、中華喫茶でチャイナドレス着なくてどうすんのよ」「鈴は恥ずかしくないかも知れないけれど私は恥ずかしいんです」「ちょっと静寐! 何よそのアタシが痴女みたいな言い方!」「自覚があるなら直した方が良いと思う」 バチリと火花が散る、一触即発の気配を、「はいはいはい、インナーパンツを穿けばそれで万事解決。二人ともこれ以上言うの止め」 何時ものことだと清香は仲裁した。本音も天性のタイミングで仲裁に加わった。「鈴ちゃーん、まこと君持ってきたよー」 真の手を握りやって来たのは本音だった。「おおナイス!」「なにが? というか連れてこられたのは何故?」 説明のないまま強引に連れてこられた彼は理解出来ないと僅かながら警戒していた。余談ではあるが本音は力が強い、体力的な意味だ。鈴は真を見るところころと笑いながらこう言った。「調理場にある冷蔵庫使いたいのよ、ほら、揚げたてを食べて貰うには団子を冷凍保存。だから持ってきて良い?」「良い訳ないだろ。と言うか揚げるのに使う油にコンロだけでも許可取るのにどれだけ苦労したか」「お、ね、が、いっ♪」 鈴は真の左頬にキス一つ。「……バレないようにな」「ありがと、愛してるわよー」 壇上に戻った鈴を見送り頬に手を添える真。本音は両手を腰に添えこう言った。然も不機嫌そうである。「まこと君いくら何でもだらしなく成りすぎなんじゃないかな」「そんな事は無いと思う」「そもそも鈴ちゃんはおりむー側なんだよ」「妹のちゅーは兄にとってジョーカーなんです」「兄とか妹とかまだ言ってたんだね」「本音はあれだ、ずいぶん辛辣に成ったな。自己主張するように成ったことは褒められるべきかもしれないが……良いのか悪いのか」「意地悪な男の子にいっぱい、いーっぱい意地悪されたから♪」 真が初めて見る悪戯めいた、楯無を彷彿させる本音の笑顔だった。彼は良い事なんだろうと納得する事にした。 ◆◆◆鈴のチャイナドレスは健康的かつ性的すぎます。持て余します。2013/05/06