頬痛くそっと擦るれば、刺すような痛み。二人ともいい年をして大人げない、とはもちろん言わない。言えば更に酷くなる。それにしても凄い変わり様だ。前の二人はこれ程怒りやすかっただろうか。二人の怒った姿は殆ど覚えがない。時空間を越えるというのは人の精神に影響を与えるのだろう。そんな事を考えた。「お前が変わりすぎだ」とは目の前の千冬さん。顔に出ていたのかと思わず手を添えてみた。「態度を見れば直ぐ分かる」 幼なじみとは本当に厄介だ、すぐ頭の中を覗かれる。彼女はソファーに腰掛け缶ビールをぐびぐびと飲んでいた。テーブルに置かれているビール缶の品々。俺も一缶と手を伸ばしたら手を叩かれた。「これなら前の方が良かったかもね」と酷い事を言うのはディアナさん。とんとんとんと包丁の音。エプロンを纏い台所で腕を振るっていた。腰に咲いたリボンが可愛らしい。 見れば我が新居の台所。今日越してきたばかりなのに調理器具が相応にあった。彼女が持ち込んだ様だ。同じくエプロンをゆらしラウラが盛りつけをする。個人的にしろ、国家的歴史的にしろ、色々な意味で感慨深い。第二次世界大戦という意味だ。 エプロン姿の、二人の背中をじっと見ていると千冬さんにじろりと睨まれた。多少不愉快そうな顔をしていた。料理が出来ない事に引け目があるのだろうか。これは良くない傾向だ。女性だからと言って全ての人に家事能力を求める風潮は間違っていると思う。十把一絡げ過ぎだ。 千冬さんに家庭的な能力を求めるのは警官に消防活動を依頼するようなものなのだ。料理が下手でも食べる方法など幾らでもある。ディアナさんが偶々インチキをしているだけだ。気にする必要は無い……燃えさかる家屋。警官服に身を包んだ黒の人。業火に臆せず踏み行って、柱をバキボキとへし折り鎮火させる、そんなイメージがわいた。「……千冬さんなら消火出来そうですね」「何か言ったか」「いえ何も」 疑いの眼を向けながら彼女はビールを一口。「まあ良い。ところでお前の待遇だが」「はい」「数日中に正式辞令が下される。教員免許を持っていないから正式な教師ではないが、ここはIS学園だ。IS操縦能力がお前らほどにあれば問題にならない。しっかりやれよ。コマ(担当教目)はもてないがな」「はい」「それと、明日放課後、警備リーダーとの顔合わせがある。予定を空けておけ」「警備リーダー?」「学園警備を担う一人だ。建前では私の部下になるが、少し方向性が違う。私が警備主任なら、そいつが警備チーフと言ったところか」「主任とチーフですか?」「侍と忍者、兵士とスパイ、と言って良いだろう」 微妙な違いがまた日本らしい。俺はビール缶をプシュと開けて一口。一瞥を投げられたが何も言われなかった。「どの様な人物ですか? 心当たりがありません」「黒之上貴子、おぼえているか?」「ええ、良く」「あれに薄いネコの面を被せた感じだ」 ぴたりと自分の手が止まった。彼女に翻弄された数々の日々、頭から血の気が引く、努めて冷静にこう言った。「それ褒めていませんね」「さあな」 意地の悪い笑みだった。出来たわよとディアナさんが足取り軽くやって来た。持ってきたのは特製アッシ・パルマンティエ。挽肉と裏ごしたジャガイモ、刻んだ人参とチーズを重ねて焼いた、グラタンに似たフランス家庭料理だ。それは深みのある味でとても美味しかった。 ◆◆◆ 翌日。3限目4限目は1組2組合同のIS実習だった。第3アリーナのフィールドに立ち、見上げればまだら雲。空も高く、瑠璃紺色に澄み切っている。見渡すとISスーツ姿の少女たちが居た。懐かしい空気だった。 清香と鈴は背中をあわせ、片方が前屈みをすると、もう片方は身体を伸ばす、下ろす、また曲げる。その繰り返し、ストレッチをしていた。STN3人娘は何かの談義中。一夏は少女らの接待だ。「平和だね」そう言うのはシャルだ。ISスーツ姿で立っていた。「まったくだよ。一時の騒ぎが嘘のようだ」 風がそよいだ。冷たい風で二の腕を擦っていた。「身体の方は良いのか?」「お陰様でね、全く問題ないよ。逆に気を使われて気疲れしまうぐらい」「気を使うって、一夏が?」「うん」 バツが悪いのか、彼女は左頬をぽりぽりと掻いていた。「……あまり弄らないでやってくれ。あいつもそれなりに大変なんだ」「あはは、ごめん。反応が余りにも可愛らしくてつい。でも、」「でも?」「一夏だって悪いんだよ。僕がいるのにさ、直ぐ他の娘と仲良くして、悔しくてつい意地悪してしまうんだ」「難しい乙女心だな」 雲の切れ間から月が覗いていた。陽が支配する明るい東の空、少し掛けていた。月齢11.7歳と言ったところか。その時ある言葉、一節の欠片が不意に浮かんだ。「秋風の……なんだっけ」「詩?」「そう。秋の詩で、」「秋の詩は沢山あるよ」「漏れいづる、月、とか」「秋風にたなびく雲の絶え間より、漏れ出づる月の影のさやけさ。藤原顕輔(ふじわら の あきすけ)だね」 凜とした声が響く。「綺麗な音ですわね。どの様な意味がありますの?」 セシリアだった。金色の髪を揺らしながらゆったりと歩いてきた。振り向いて答えた。「詩(うた)だよ新古今和歌集の一つで、雲の切れ間から射し込む月の光を謳ったものだ。百人一首にも選ばれている」「古い詩と言うことかしら。意外ですわね、随分と古風ですこと」「褒められているのか貶されているのか、どちらだよ」「両方ですわ、古きモノは同じ古いモノでないとその価値が分からないと母が言っていました」「分かった。馬鹿にしているだろ」「お好きなように」「そう言うのはずるいぞ」「真が私にしたことを考えれば格安ですわよ。さあ、先生もいらっしゃった様ですし、私たちも、あら?」 シャルが居なかった。どうやら気を使われたようだ。 ◆◆◆ 少女が整然と並ぶ中、黒の人は白ジャージで胸を張り、見回すと凜とした声でこう言った。「全員揃ったな。本日は精密射撃訓練を行う。班は専用機持ちを中心に任意で作れ。改めて言うことではないが、訓練とはいえ実弾を使うから各位気を引き締めて行うように。事故が起これば怪我では済まないぞ。」「「「はいっ!」」」「よし解散!」 織斑先生の号令で少女たちがわらわらと散って行く。班分けは、セシリア、鈴、シャル、ラウラ、真耶さんに千冬さんの計6班。俺は各班を回り、お呼びとあらばはせ参じるワケだ。「織斑先生、俺はどうすれば」と一夏が言った。「織斑、お前は特殊だ。銃は使わないし皆に教えることも出来ないだろう、自習してろ」「はあ」 一夏が眩い光に包まれ、白い鎧が現れた。大型のウィングスラスターが目立つその出で立ちは、白騎士と言うより聖騎士に見えた。どことなく福音を連想させ腹の奥が痛くなった。「多少ゴタゴタしすぎかもしれないな」「シキの第2形態のこと? 私は良いと思うけどな」とは清香だった。一夏は空高く舞っていった。見上げる。「俺は第1形態の方が好きだ」 偶々近くに鈴の班が居たのそこに混じる。相川清香、谷本癒子、鏡ナギ、夜竹さゆか、金江凜(かなりん)、布仏本音、凰鈴音といった1組2組混成チームだ。箒は千冬さんのところ、静寐はシャルのところにいた。鈴が困った顔でこう言った。「アタシ、銃は専門じゃないのよ」 俺は静かに頷いた。「分かった、なら復習ついでに一緒に聞いてくれ」 空飛ぶ戦車を彷彿させる訓練機ラファール・リヴァイヴに黒い義手を添えてこう言った。「一番手は……相川さん。搭乗して下さい」「はいはい」 とおっと、清香は軽やかな身のこなしで搭乗すると、各関節が解放され、立ち上がった。今となっては懐かしいカーキ色のリヴァイヴがそこにあった。「搭乗終了」 清香の手に51口径のアサルト・ライフル“レッドバレット”が顕れる。「突然ですがここで問題です。命中精度に関わる要素は何があるでしょうか?」 癒子が手を上げた。「はい、谷本さん」「風向風速、発砲時の反動抑制、目標との移動方向を含めた相対速度です」「正解です。細かいところをあげれば、目標との距離、弾頭の形状に重さ、弾頭と薬莢の密着度、ライフリングや銃口、銃身の状態などがありますがこの辺りはまた別の機会にして今日は体勢と反動を体感しましょう。相川さん、あのターゲットを撃ってください、5発撃つこと」「らじゃー」 みやを介しアリーナの制御コンピューターに的を作らせる。フィールド上より2メートルの高さに光子結晶のターゲットが出た。距離300mだ。発砲音が響く、結果は10点満点で全弾8点以上だった。おおと皆から賞賛の声が漏れた。「よくできました」「ふふふのふ」 清香は得意げだ。「次ぎは、あれを撃って下さい」 ターゲットは高度50m。距離は同じ300m。「おまかせっ」 全弾5点から8点までの間だった。あれ? と彼女も首を傾げている。「さて、なぜ命中精度が落ちたのでしょうか」「見上げることにより重力補正が変化した」とは、ナギ。「FCSの自動照準に重力のパラメータが入っていた筈よね」とは鈴。 左から右へずいっとを見渡す。皆頭にはてなマークを浮かべていた。「正解は、射撃姿勢による反動の変化です。水平発射の場合、重力が銃身と垂直に掛り、反動は重心軸上、つまり地面と水平方向に掛ります。 ところが、狙いを上方へ向けると銃身の地面との角度の分だけ反動が分散され、同じ要領で撃つと誤差となります。FCSの補正はあくまで意識内に投影される照準の補正であり、アクチュエータへのフィードバックはされません。これはマスター・スレーブというあくまで人間が動かすという、概念で設計されているからです」 鈴はそう言えばそうだったと頭を掻いていた。「アクチュエータを固定して反動抑制する射撃方法もありますがそれはまたの機会にしましょう。相川さん今度は宙に浮いて撃って下さい」 ふわりと浮く。高さは1m程。10発撃つものの3~6点で更に落ちた。清香はふわふわ浮きながら渋い顔をしている。「悪化したのは踏ん張りが利かないからですか?」とは、かなりん。「正解です。この場合、トリガーにスラスターの出力と向きを合わせる必要があるので注意が必要です」「先生しつもん」「はい、谷本さん」「P.I.C.でキャンセル出来ないのですか?」「P.I.C.による内部慣性制御はあくまでISの内部とパイロットに掛る力を打ち消すモノです。銃反動を打ち消すにはマニュアル操作が必要ですが、これは2年生の範疇ですから今は頭の片隅に置いておいて下さい。 この授業での肝は四肢による固定だけでなく、発砲時の四肢の位置、つまりスラスターを含めた射撃姿勢が重要と言う事です。撃つ瞬間にその方角へ進む、この感じです」「先生質問」「はい、夜竹さん」「先生はP.I.C.のマニュアル操作ができるのですか?」「俺?」「はい」「もちろんできます」「いつ頃覚えたの?」とはナギ。「凰さんが入学する前だから、4月末?」「何で疑問系なのよ。というか独学?」とは鈴。「はい」「どうやって?」とは清香。ジト眼だった。「……おれ機械と相性良いから」 またそれだと、相性どれだけ良いのだと、ずるいだの、インチキだの、ブーイングが飛んできた。「他人と比べることは愚かなことです。その暇あったら鍛錬しましょう」「「「ぶーぶー」」」「はいはい、次は布仏さん。乗って下さい」 癖になった左右の房がひょこりと揺れた。 ◆◆◆ 地面で撃ち、宙で撃ち、意識して当たる少女も居れば外れる少女も居た。一巡し今宙に浮かび撃っているのは清香だ。発砲する瞬間、脚部のスラスターが断続的に火を噴いた。飲み込みが早い、6~7点は獲っている。「まこと君」 隣に立つのは淡い栗毛の少女、本音だった。「なに?」「箒ちゃんのこと放っておくの? きっと待ってるよ」 宙に浮く清香が発砲。その更に上にシキが見えた。「俺は彼女に振られたの。それに今授業中だぞ」「それ言い訳だよ」「本音だって本心を言ってないだろ」「それ意地悪だよー」「第一今の俺は先生なの。先生が、生徒と付き合う訳にはいかないだろ。だから今のままが良いんだ。ささ、次はまた布仏の番だぞ。準備する」 彼女は一つ息を吸い吐いた。組んだ両手は胸元に。見上げる眼差しには意を決した様に力が籠もっていた。「なら、本心言うね。私は、」 彼女の言葉は爆撃でもされたかのような、雷が降ったかのような、爆音で掻き消された。何事かと見上げれば空を切り裂いている白式の姿が見えた。掲げる鋼の刀身の切っ先に、音の速度を超えた象徴である円錐状のマッハ・コーンが見える。 第2形態を迎えて新たに獲得した白式の能力。ゼロ・ブート・イグニッション。60G以上の加速を誇り静止状態から一秒足らずで音速を超える、異次元的な機動能力だ。「よっしゃよっしゃ! この技をソニック・ブレードと名付けよう!」 ぶんぶんと雪片弐型を振り回す一夏は皆がひっくり返っている事に気づいていない。「この馬鹿者が! 誰が超音速で飛べと言った!」 千冬さんは怒っていた。「……あれ?」 あれ、ではない。一夏の馬鹿め。「すまない布仏。もう一度言ってくれないか」「おりむーのばか。まこと君のばかばか」 馬鹿馬鹿言いながら彼女は立ち去った。仕方なかろうと俺は内心溜息をついた。一夏は拳骨を喰らっていた。 太陽が南中に掛る頃、それではここまでと千冬さんの号令が響く。俺ら、体育部の少女と俺が訓練機をアリーナの格納庫に入れたその時である。千冬さんの姿を確認すれば、一夏は正座させられていた。悲痛な叫びが響いた。罰則なのだな、そう同情しながら視界に入らないようこっそりと帰った。掛る火の粉は払う物だ。いや、火中の栗は拾わず捨てる。 第3アリーナの更衣室。シャワーを浴びながら、鼻歌を歌えばさめざめと泣く声がする。一夏は罰として教室の掃除を仰せつかった。学園の教室は人数の割に大きい、終業後始めれば相応な時間は必要だろう。一人なら尚更だ。「いいじゃないか、ちょっとぐらい。千冬ねえも怒りすぎだと思わないか?」「同情を誘っても手伝わないぞ」「つきあえよー 友達だろー」 また調子が良い。「そう易々と友情を振り回すとデフレ起こすぞ」「友情の価値が下がる?」「そう」「また面倒くさい言い回しをするな、お前はよ」「一般常識だ」 ごしごしと頭を洗う。右手しかないから不便と言えば不便だがいい加減馴れた。一夏もごしごしと頭を洗っている。流れ落ちる泡を気にしながら一夏はこう言った。「本音、なんだって?」「覗きは良い趣味じゃないぞ」「見てただけだ」「察してるんだろ」「……箒をって言ったんだろ?」「そうだ」「あの2人意外と似てるよな」「なにが」「箒もそんな事を言っていた。本音の笑った顔を見たいって」 俺は何も言わずシャワーを浴びていた。「静寐とはどうなんだ」「普通に挨拶して話してる。今度買い物に行こうって誘ったらOKがでた」「二人っきりでか?」「ああ」 恐らく追跡者はいるのだろう。泡を流し落とし、ごしごしと頭を拭く一夏はこう言った。「俺思ったんだけどよ、二人同時に付き合えば?」「また適当なことを言う」「いいじゃねーか。おっきいコンビで。いやセシリア入れればトリオか?」「分かった。お前は馬鹿だ」「男は賢くなると女の子のとの縁が遠くなるってよ。馬鹿なぐらいが丁度良いんじゃねーかと思う」「……何処で覚えた、そんな深いこと」「弾が言ってた。まあ、お前は俺以上に不器用だからな。急いでじっくり考えておけって」 自分は棚の上か、そうぼやいた時一夏は既に居なかった。鼻歌交じりに更衣室に消えていった。俺はしばらく湯を浴びていた。びしゃびしゃと音がする。負うた子に教えられて浅瀬を渡るとはこの事かと、思い至ったとき腹がぐうと鳴った。 真と呼ぶ声がする。何だと言いながら俺も更衣室に足を向けた。タオルで湯を拭き取りながら一夏を見れば、そこに真耶さんが居た。緑のジャージ姿で立つ彼女は電池の切れた時計のように止まっていた。「「「……」」」 沈黙が訪れた。空調のごんごんという音だけが響いていた。俺は自分のなりを確認すると一夏をみた。こいつはインナーとスラックスを穿いて上半身真っ裸だった。俺はこう言った。「一夏、上半身裸は不味いだろ」「真だってバスタオル一枚じゃないか」「上半身ぐらい別に、と言う訳にも行かないか。そもそも何で山田先生がここに居る」「入って良いですかって言うから良いって」「何で良いって言ったんだよ」「ほら、俺ら男だし上半身ぐらい良いし。千冬ねえも大丈夫だったし」 ばたり、人の倒れる音がした。「「真耶先生ー!!」」 ◆◆◆2013/04/17