過去編です。短編です。一部の読者の方々お待たせしました先輩ズの出番です。なお一夏たちの出番はありません。真の出番も少なめ。 ◆◆◆ 夏休みが終わり、学園の少女たちから間延びした空気が抜けた頃。2年4組の教室から空を見上げる少女が1人いた。 学園を象徴する白地に赤のラインが入った制服は、長い袖と膝下まであるスカートで、何処か重苦しい装いだった。肌は薄卵色、唇は朱に染めて、長く淡い栗色の髪を結い上げていた。縁なし眼鏡を付けていた。 その面持ちは可憐と言うよりは綺麗、愛嬌よりは知的さを醸し出していた。例えれば、咲き乱れる鮮やかな花よりは、ひっそりと静かに咲く竜胆(りんどう)の花が相応しい。布仏虚である。彼女は雨の空をじっと見ていた。 その日は朝から雨が降っていた。強くも無く弱くも無く、夏の余韻を掻き消すような冷たい秋の雨だった。彼女は溜息をつくわけでもなく、歌を歌うわけでもなく、ただ曇天とした空を見上げていた。(五月病ならぬ九月病かしら、早く止まないかしらね……) 虚の背後から、少女が一人覆い被さるように抱きついた。「うつほがー アンニュイになってれーる」 肩に掛る程度に長い、どこかリスを連想させるブルネットヘアーの少女。2年1組白井優子である。袖の長さは同じだが、スカート丈は膝上数センチ以上、殆どミニスカートだ。学園の制服は公序良俗を逸脱しない範囲でカスタマイズが認められている。彼女は動きやすいからと公言しているが誰もそれを信じていない。「止めて優子、暑苦しいわ」「もう秋だよー 人肌恋しい季節よねー あー ボーイフレンド欲しいー 何で学園は女子校なのかしらー」「ここは4組よ、少し頻繁に来すぎじゃない?」「うつほがー 寂しがっているかなって心配してるのー」「たった今、人肌恋しいとか言わなかった?」「そうなのよー ねー うつほー 誰か紹介してよー もうあんな冷たい夏休みはこりごりー」 虚は溜息をついた。彼女とて人の子である、16歳の少女である。優子の纏わり付くような願望が分からない訳では無い。話せば嬉しいだろう、一緒にでかければ楽しいかもしれない。ただ、そこまで固執するものか、彼女にはそれが理解出来ないのだった。 優子が色恋沙汰の話題を振ったせいで日頃温和しい整備科のクラスがざわめき始めた。教室の片隅から黄色い声が上がる。1クラス30名、全員が異性に縁が無い、そういう訳では無さそうだ。 同期の成功話を聞いて、どこか落ち着かなくなる虚だった。優子はますます凹んでいた。「私だって紹介出来るような人知らないわよ」「虚のおじいちゃんの会社の人とかさー」「一番若くて25歳よ」「良いじゃない、同い年なんて子供っぽいし」「年が離れすぎという意味」「こうなったらオジサマでも良いわよー」「ねぇ優子、そこまで急ぐ事かしら」「虚はのんびりしすぎよ。乙女の10代なんてあーっというまに過ぎちゃうんだから。すぐ20代になって30代よ。いい? 特にISに携わる娘ってただでさえ嫌煙されがちなんだから、受け身なんて駄目。攻めないと。 あー もう。世の中の男どもって本当にだらしないわよね。お高くとまりやがってとか、可愛げが無いとか、ひがみ妬み、そんなんばっかり。織斑先生とリーブス先生をみなさいよ。あれだけ美人なのにカレシ無って、ヘタレす、もが」 友人の長い陰鬱としたフラストレーション、その捌け口にされては叶わないと優子の口を塞いだ、その時である。空を見ていた虚の視界に人影が映った。その影はこのIS学園ではまず見る事が出来ない人影だった。だから。彼女が眼鏡の位置を整え見直したとて無理は無い。 学習棟の3階、その窓から見下ろす煉瓦色の舗装道路。雨の中を走るわけでもなく、傘を差すわけでもなく、ただ歩いている少年が一人居た。青いツナギ姿でビニルのファイルケースを持っていた。「あ、男の子だ」 一人の少女がぽつりと呟いた。それを聞いた別の少女が呆れた様に言う。「真希、嘘つくならもっとマシな嘘つきなさいよ」「嘘じゃ無いってホントだって」「まったくもー カレシ欲しさにとうとう幻覚を……うそっ!」「うっわー マジだー 男の子だよ男の子」 その少年には随分と特徴が有った。短めの黒髪に黒眼、これはいい。浅黒い肌も珍しくない。彼女らにとっては随分高く見える、平均より高い身長も許容出来る。一目で目を引くのは、表情だった。えぐるような目元、夜の井戸を覗いたような瞳、見る者全てを萎縮させるような容貌だった。 我先にと窓に詰め寄った少女たちは、一斉にトーンダウンしていた。「……なんというか、凄い怖そうだね」「というか、暗そう?」「20歳ぐらいかな」「私パスー」「というか、あの人誰? 痴漢? 変質者?」「胸に許可証付けてる」 優子が、虚の肩越しにそう言うと皆が見直した。虚は何も語らず静かに見下ろしていた。「あ、本当だ」「多分業者の人だ、私何度か見た事があるよ」 一際大きな声が響く。それは彼女ら2年生のもう一つ上の階からだった。「おおーい、まことー 良くきたなー」 IS学園学習棟、全学年12クラス、360名。奇異の視線をものともしていなかった少年が初めて、立ち止まりその顔を上げた。雨に濡れたその顔は彷徨う亡霊のように見えた。彼は小さく会釈をする。「後で行くからー ハンガーで待ってろー」 頷き立ち去る少年を他所に、クラス中が騒然とし始めた。「今の声、貴子先輩?」「あの腹に響く声、間違いない」「そっか。貴子先輩のお手つきか」「先輩にそう言う人が居たなんて、私大ショック」「ジェシカって本当に先輩大好きっ子だもんね」「先輩も心が広いというか、もの好き?」 幼なじみだ、親戚だ、騒ぐクラスメイトたち。虚の肩に顎を乗せていた優子がこう言った。「あのツナギ、虚の家のに似てなかった? ……虚?」「……いいかも」「え」 頬を染めて、握る拳は口元に。初めて見る友人の様相に優子は口を開けるしかなかった。 これが虚と真の最初の出会いである。もっともこの時点で真が虚を認識していないのは言うまでも無い。 ◆◆◆ IS学園は三浦半島最南端にあるという地理的性質から、世間と隔絶されている、そう考える人が少なからず居る。もちろん実際は異なり、認可制とは言うものの、色々な人間が出入りする。 食材から日用品、文房具から体育用品、衣類に最低限の化粧品、それらを卸す人たち。そしてもっとも関連が深い、IS関連の業者だ。 戦闘機にしろ戦車にしろ、強度的な安全マージンが小さい機械は小まめな整備を必要とする。無くては直ぐ不調を来たし、性能を発揮出来ないばかりか、最悪機能停止に陥る。空と大地を駆け、激しく戦火を交えるISならば尚更だ。 一部の少女が持つ専用機の整備は基本的にそのメーカーが担うが、学内にある訓練機は、整備科の少女たちがその任を負う。ただし、少女たちもまた訓練中のため、難易度に応じて外部の企業に依頼または協力を仰ぐ事がある。蒔岡機械株式会社は整備改造が依頼される企業の一つだった。 IS学園ハンガー区画 第7ハンガー 工具やら測定器やらが立ち並ぶその一画で、天雫を滴らせる後輩を見下ろしながら、蒔岡の技術主任である渡辺裕樹は溜息をついた。「真」「はい」「なぜ傘を持っていかなかった」「指示にありませんでした」「普通、雨の日には雨具を使うものだ」「“急げ”の指示を優先しました」「傘を探す時間が惜しかったと?」「はい」 裕樹は両の手を腰に当てこう辛抱強く続けた。「書類が濡れたら事だろう」「ビニルのファイルケースがあります、問題ありません」「濡れた身体では機材を濡らす」「作業までまだ時間があります。また滴らなければ問題ありません」「身体が冷えれば体調に異常を来す」「指示を優先しました」 この少年と出会い、幾度となく繰り返したやりとり。彼は己の身に降りかかる火の粉を払おうとしない、それどころか進んでそれを浴びる傾向がある。雨の中を歩く事など可愛いものだ。先日など分子分解構成機の中に、電源を入れたまま入ったため流石の裕樹も手を上げたが、全く効果が無かった。(本当に厄介な事だ) 更に何か言うべきか、思案する裕樹に真耶は恐る恐る歩み寄る。彼女は裕樹が苦手だった。「ま、まぁまぁ渡辺さん。蒼月君も反省しているようですしこの辺で……」 山のような大男に見下ろされ真耶はたじろいだ。思わず真の背後に回る。彼女はその醜態に気付き、真を振り向かせ肩に手を置いた。目が潤んでいるのは気のせいでは無いだろう。「良いですか蒼月君」「はい」「傘を探す労力と雨に濡れたあとの後始末、この労力を天秤に掛けて下さい。最終的に傘を探した方が少ないと思いませんか?」 立てた人差し指を突き付けられた真は、暫しの沈黙のあと静かに頷いた。真耶は恐る恐る裕樹を見た。彼は渋々とこう言った。「真、着替えてこい。山田さん申し訳ありませんが、」「はいっ では蒼月君。こっちに来て下さいねー」 ◆◆◆「あーっはっはっは♪」 豪快な笑い声がハンガーに響き渡る。彼女の名前は黒之上貴子。波打つ銀の髪はゆったりと腰まで伸びて、スラリと伸びた肢体は少女たちを見下ろすほどに高かった。一見、牝鹿を想像させる出で立ちだったが、釣り上がった眼は鋭く光り、彼女を評するのであれば獅子が適当だろう。3年操縦科主席にして生徒会長。学園最強を自他共に認める女傑である。 その彼女に笑われている真は、学園のツナギ姿で立っていた。彼は通常あり得ない格好をしている自覚はあったが、何がおかしいか理解出来なかった。「……そんなにおかしいですか?」「んむ、愉快愉快♪」 白地に赤のラインが入ったデザインは、学園外にでも広く知られている。事実上少女たちのものだ。それを真が着ていて、思いの外違和感が無い。それは彼女にとって愉快極まりない事だった。 涙を浮かべ、また笑い出す。目尻に溜まったそれを指で拭う。つられて他の少女らも笑い出した。僅かに憮然とした表情を見せた真の背中を数回叩いたあと、眼差しを整え渡辺裕樹に向き直った。「渡辺さん、本日はありがとうございます」 貴子に裕樹は頷いた。「前回打ち合わせした部品は仕上がっている、これから作業に取りかかるが構わないか?」「えぇもちろん。“みな”も準備万端です。こちらへ」「真、一式もってこい」「はい」 真は駆け出し、部品や工具箱をのせてある台車に手を伸ばした。3年生の一人が壁に埋め込まれたパネルに手を伸ばす。ゆっくりとハンガーのゲートが閉じ始めた。「あぁ閉まっちゃったー」 反対側のハンガーに潜み、覗いているのは2年1年混成の少女たちだ。その中には優子、虚と言った面々が並ぶ。そして、「それで何故俺がここに?」 銀の髪、褐色肌、ショートカットのダリル・ケイシーである。彼女は不満顔だった。「連れない事言わないでよ、どうせ暇でしょ?」「暇って、優子お前なー」 ダリルと優子は操縦科2年トップの座を巡って切磋琢磨している間柄である。ダリルの不満はもっともだった。加えて、優子は学内専用機を勝ち獲る為に日々猛勉強中だ。彼女こそ暇など無い筈だが、何処吹く風で飄々としたものである。「虚の為よ、少しは協力しなさいって」「……へいへい」 虚と共に隙間から覗く優子の後ろ姿を見て彼女は溜息をついた。(この空気に何時も騙されるんだ優子には……・) ISに乗ると性格が変わるという意味である。「それで虚はあいつの何処が良いんだ? 学園のツナギ着てたし、女装癖でもあるのか?」 ダリルから見ても真は厳しいようだ。「年上社会人だからじゃない?」 優子の弁明も苦しい。「……」 当の虚は閉じられたゲートを見つめながら貴子と真のやりとりを思い出していた。口調、仕草、アイコンタクト。もてる能力を振り絞り、二人の間柄を分析をする。彼女の頭の中で軽く甲高い電子音が鳴った。右手を握りしめ小さくガッツポーズ。(少なくとも現状、らぶらぶではない。ただし今後は不透明。仲の良い男女は恋仲にいたる可能性大、要注意) 叔母である時子か思い切って裕樹に聞いてみようか、はたまた紹介して貰おうか、そう考えていた時である。褐色肌で銀髪二つお下げのフォルテ・サファイアが現れた。1年3組クラス代表。「先輩方ー 索敵終了ッス」「お疲れ、何か分かった?」 優子が顔を上げる。「名前は蒼月真、蒔岡機械株式会社の社員で貴子先輩の機体を担当しているみたいッス」「名前以外見たままじゃねーか、他に新情報無いのか」 フォルテもあきれ顔だ。「あと同い年ッス」「17? ひょっとして16じゃ無いでしょうね」 優子の懸念に虚も顔を上げた。「いえ、自分と」 静寂が訪れる。一拍。虚が目も虚にこう聞いた。「……15歳?」「はいってどうかしたんスか? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔ッスよ」「「「年下っ!?」」」 ◆◆◆ 当初、真がISワールドに来る前を書こうとも思ったのですが、余りにも暗すぎるので止めました。2013/03/26【以下作者のネタバレかもしれないぼやき】 原作で、虚は弾に一目惚れしたので真でも良いかなぁと。