季節は夏、8月も日が進み2週目である。世間がそうであるようにこの学園もまた夏季の短い休みに入る。つまりは盆休みだ。学園の性質上、一斉に全員休みという訳には行かず、彼女らは前半後半に分け2交代で休暇を取ることになっていた。 少女らの声も遠くなった学園の職員室。ディアナは窓から覗く照りつける夏空を、うんざりしながら見た。高温多湿な日本の夏は彼女にとって4回目。この季節に未だ慣れることはなく気分も重くなる。(この時期だけは過ごしやすいフランスが恋しくなるわね) 彼女の心中を他所に職員室の壇上では任命式が行われていた。任命する人間が1人、される人間が1人、教頭と真耶だ。 教頭は耳が隠れる程度に短く緩いカーリーウェーブのヘア。やせ気味だったが、真っ直ぐに伸びる背筋は尊大で、この学園において恐れを成さない者は居ないだろう。瑠璃紺色のゆったりとしたワンピース。黒のメッシュカーディガン。何時もとは異なり女性らしさを感じさせる出で立ちで立っていた。 光の加減によっては碧色にも見える短い髪、僅かにズレる大きめの眼鏡は幼い彼女の顔立ちを一層愛くるしくさせていた。真耶は裾に黒いフリルをちりばめた淡い黄色のワンピース姿で立っていた。 彼女は本日を以て一年寮“柊”の寮長に就任したのである。 一斉にわき起こる拍手の中、不満と不安を湛えているのは千冬だ。黒いスーツに身を包む彼女は、半ば茫然自失の態である。彼女はこの決定が成されて以来この調子だった。己の負担を下げ、他人に任す、彼女にとって初めての事だ。 IS学園一学期。この四ヶ月は彼女ら教師にとっても激動だった。未遂に終わったとはいえ、福音戦は死傷者をも想定していたのである。そのため教頭は今後同様の事態に陥っても柔軟に対応出来るよう、千冬に余剰を敢えて設けたのだった。 予備戦力は遊びではない、必要な時に必要なだけ補充出来る余力だ、ディアナも千冬に何度も繰り返し説得したが「本当にこれで良かったのか」 と、己の存在意義を問われたかのような状態だった。千代実は同僚の晴れ舞台に感極まり涙を浮かべていた。(早く終わらないかしらね) 手間の掛る同期と後輩たち。ディアナはうんざりしながら、だがこれも幸せの形なのだと、僅かな笑みを浮かべ、夏空を見つめていた。 ◆◆◆「ん~」 翌日。夜明けと共に、自室の片付けをし始めたディアナは、休憩がてら朝食を楽しんでいた。何時もならば早朝トレーニングに励む少女たちもおらず、久しぶりの静かな朝だった。 前半の任期を帯びたディアナだが、休み期間中は平時のように7時半出勤ではない。その空いた時間を利用して4ヶ月分の本格的な手入れを行っているのである。キッチンにバスルーム、ダイニングにバルコニー 要領よく片付け、その有様はまるでショウルームの様だ。 彼女はコーヒーを飲むと空席のソファーを見た。そこを寝床にしている2人は、共に不在である。ラウラはドイツに帰国。真は一夏の家に居候だ。(何かとくってかかる小娘だけれど、居なければ居ないで物足りないわ) “恥を知れ卑怯者め”“お前の水着はやはりGストリングスか?” 改めて聞けば聞くほど、部を弁えない言いようである。当初憤慨していたディアナも、臆することなく面と向かって言い切ったラウラにある種の親しみを感じていた。ディアナに喧嘩のような、挑発を仕掛ける女性は千冬を除けばラウラのみだ。(帰ってきたらまた、からかってやろうかしら。でもそうするとまたあの人が止めるのかしらね……そう。それが良いわ。そしたらあの人も一緒にからかえる) 彼女が思い出すのは、ディアナのはだけた服を、必死に抑える真の顔である。それは真っ赤に染まった困惑の表情。自然と笑みがもれた。(あぁ、本当におかしい。見たどころか何度も触れた身体なのに) はたと気づく。千冬の任期は後半、つまり一週間後だ。その彼女の帰省先は学園から目と鼻の先の織斑邸。真が居候している一夏の家である。(だ、大丈夫よね、あの2人は不器用なうえに一夏も居るから) ディアナの脳裏によぎるのは、草木も寝静まった薄暗い廊下。一夏が眠りについたその後で、その廊下をゆっくりと歩く人の影。ぎしりぎしりと足音が鳴る。真の部屋に現れたのは、何故か頬を染め枕を持った千冬の姿だった。真ではなく千冬なのがミソである。(……) ディアナは黙って、一つ汗を掻くと勤務外外出申請書を取り出した。シャルロットといい、ディアナといいフランスの女性が皆が皆妄想癖を持つ、のかどうかは定かでは無い。 ◆◆◆ 場所は変わりその織斑の家。板間の居間で寝転ぶのは一夏と真であった。2人はじっと屋外を見る。そこには縁側と、庭と、塀と白い雲、蒼い空、真っ白な太陽。今日は本格的な夏日であった。開いたガラス戸からは容赦なく熱気が忍び寄る。もちろんエアコンは動いていない。黒のハーフパンツに濃紺のタンクトップ。俯せになっていた一夏はこう言った。「なーまことー」「なんだ」「やっぱりエアコン付けねーか」 この2人はアイスを賭けて我慢比べをしているのである。黒のTシャツ、カーキ色のハーフパンツ姿で、真は仰向けになっていた。左腕の義手、アクチュエーターが熱を持つので相応に暑い筈だが、「なんだもうへばったのか」 一夏より余裕があった。「だってよー」 やっぱり熱いと、一夏が起き上がれば床が湿気っていた。大量の汗である。「お前良く平気だな。前んとき熱帯ジャングルの任務で慣れたのか?」「それもあるけれど、前の日本はもっと暑かったぞ」 2人が言っている前とは、真がやって来た先の日本である。からかわれているのか、そう思い真をみれば存外真面目の表情だ。一夏は腕と足を組んだ。興味を持ったのか食いついた。「マジか?」「マジだ。今は30度ぐらいだろ? あちらの酷い時なんか35度ぐらいになってさ、死者も出たんだ」「うは。異常気象か?」 真はゆっくり起きた。脚を立てる。「あぁ。原因は一応不明だが、夏と冬の寒暖の差が著しかった。だからこっちは随分楽だ」「なんだよその一応ってのは」「人間の環境破壊が原因、と言う説が有力だったんだ。何処も誰も止められなかったけどな」「なんで?」「なんでだろうな。後進国は先進国を真似ているだけだと言い、先進国は後進国に決まりだけを押しつけようとした……・各国個人の利害、環境活動の利権化。そんなこんなでズルズル悪化していった。兵隊だった俺が非難出来ることじゃないけどな」「誰も、あっちの日本人は止めようとしなかったのかよ」「皆そう思っていたさ、行動を起こしていた人も居ただろう。けれど先進国を規制しても大した効果無いんだ。大量に排出している所を抑えないといけない。でもそれは得てして後進国だし、それは経済活動を抑圧することだし、木材が売り物になるなら森林の伐採だってするし、焼いて畑にするし……こうした国対国の問題だと早々話は進まないよな。そうそう、各国に割り振られたCO2排出許可量を金に換えて売買する笑い話があったんだが聞きたいか?」「いや、いい。胃に穴が開きそうだぜ」 一夏は寝転び真は窓の外を見た。風が入り風鈴が鳴る。セミが鳴いていた。「その点こっちはもうすぐ内燃機関の自動車ですら世界規模で規制される。皆が皆協力出来ている。本当に何でだろうな。同じ人間なのに」「その辺にしておけよ、こっちだって楽園じゃないんだ。それに真、もうお前はこっち側なんだぜ」「あぁ……もうこの世界に必要ない情報だもんな。なぁ一夏。アイス食うか」「そーだな。なんか馬鹿らしくなってきた」 一夏が立ち上がり、ソーダ味のバーアイスを二本冷凍庫から取り出すと、2人同時に食べ始めた。頬張りながら一夏が言う。「今日昼飯どうする?」「なんでもいい」「張り合いねーな。千冬ねぇならちゃんとリクエストするぞ」「一夏の飯はどれも美味いからな。何出されても文句なんて無い」(つってもな……もう11時か。へたに仕込むと昼食が遅れる。真の体調はまだ完全じゃないし、リズムを崩すのは芳しくない。簡単なものだと栄養バランスが……) ふーむといつになく考え込む一夏。一夏の思慮を知ってか知らずか、真は指に付いたアイスの溶けた汁を舐めつつこう言った。「なら食いに行くか。俺が奢る」 そいつは妙案だと一夏はすっくと立ち上がる。「なら良いところがある。弾の家に行こうぜ」「なぜ?」 ◆◆◆ 五反田食堂とはその名の通り蘭と弾の実家である。また、2人の祖父であり一家の主である五反田厳が厨房を取り仕切っている食堂でもあった。 セミがけたたましく鳴き声を上げる中、真は多少面食らったようにその建物を見つめていた。一般的より大きめな2階建ての一軒家で、一階部分の一画を食堂としていた。壁は鳥の子色(淡い肌色)で青藍色の屋根。“食事処 五反田食堂”と垂れるのれんは威風堂々。 真は「知らなかった」と呟いた。「言ってなかったか?」一夏は何処か自慢げだ。「初耳だ」「それならさっさと入ろうぜ。はらへった」「あぁ」「いらっしゃいませー って一夏君じゃない。久しぶり♪」 出迎えたのは五反田兄妹の母であり、自称看板娘の五反田蓮だった。愛嬌良し気立て良しで割烹着の似合う美しい婦人である。「ご無沙汰してます。蓮さん」「はい。ご無沙汰。そちらの子は?」 初めて見る一夏の佇まいと、時子を彷彿とさせるその雰囲気に、戸惑いながらも真は、「蒼月真です」 と会釈した。蓮は目を輝かせながら、こう言った。「そっかー 君かー うっわー 前から会いたいと思っていたのよー♪」 急にテンションの上がった蓮に、真はたじろいだ。自分の名が世間に少なからず知られている事を思い出し「お、恐れ入ります」と応えたが、それは若干間違っていた。何故ならこれから続く展開は彼の予想を超えていたのである。「お父さんー! 蒼月君来たのよー! あのまこと君よー!」 片手で拡声器を作る蓮。向くのは店の奥。小さなのれんが波打てば、現れたのは白い調理服を腕まくり、見える両腕は筋骨隆々。赤銅色の坊主頭。齢80にして未だ壮健。五反田厳だった。 予想外の展開に、呆然としていた一夏を他所に、厳はゆっくりとだが重厚に歩み寄る。真の顔を睨み上げた、鉄黒色の双眸が光る。 彼の目に映るのは、左腕が義手、左頬と首元に傷を持つ、少年だが青年、年老いたが若い、相反する、ちぐはぐな感じのする少年だった。ただ一つ、その中に確固たる何かを持っていた。 厳はのそりと言った。「ほーぅ。聞いていたより随分いい面だ。宗治の奴、適当なことをほざきやがったか」「おやっさんをご存じなんですか?」 思いもしない名前に、真は見開いた。「ご存じも何もあの機械馬鹿とは40年来の付き合いよ。一夏も良く来た。ゆっくりしていけ」 のそりのそりと厨房に戻っていく厳の広い背中を見送ると、一夏と真は蓮に促され、なんと反応して良いのか分からずに席に着いた。「おい馬鹿」「なんだ阿呆」「何で言わなかった」「俺も知らなかった」 この業界は狭い。打ちのめされんばかりに思い知らされた2人だった。 気を取り直し注文した“業火野菜炒め”を2人揃って食し、食べ終わるころ弾が自室からやって来て、彼の部屋でビデオ・ゲームに興じて、2人揃って真を瞬殺して、見かねた蘭が何故か弾のみ迫害した。 真は涙を堪えながら。「弾は本当に蘭に弱いんだな」 一夏は腹を抱えながら。「弾は何時もこうなんだ」 弾は泣きながら吠えた。「真も姉か妹持ってみろ! 絶対こうだ!」「いる。小柄だけれど大きくて優しい妹が」「嘘だろ!? そんな優しい、否! 厳しくない姉妹など認めない!」「おにぃ! うるさい!」 蘭の怒声に肩身をよせ、縮こまる弾。突如始まった一方的な兄妹喧嘩。それは真にとって、霞んでしまうほど古く、懐かしく、そして余りにも新鮮な出来事だった。涙を流しながら笑う真を見て、一夏は弾にこう言った。「弾、サンキュ」「何がさんきゅーだ! 嬉しくない! 俺はぜんぜ嬉しくないないからな!」 笑いが満ちていた。 ◆◆◆ 夕暮れの学園都市、五反田邸からの帰り道である。手にするのは夕の食材、それを手に2人は静かに歩いていた。ガサリがさりとビニルの袋の音だけがする。黙って歩いていた2人だったが、真は唐突に足を止め、振り返った。 赤く染まる空と雲。黒く染まる民家、それに灯る穏やかな明かり。どの家も食事の用意に奔走しているだろう。誰もが持ち得る、貴い人々の営みが2人の周り全てにあった。「真行くぜ」「あぁ」 一夏は真を促した。真は小走りで駆け寄り、共に歩き出す。真はこう切り出した。「なぁ一夏」「んあ?」「今日は楽しかったな」「……そうだな」「また弾のところに行こう」「おぅ」「一夏には感謝の言葉がない」 相変わらずの真の態度に今度は一夏がこう切り出した。「なぁ真」「なんだ」「こういう時は“ありがとう”っていうんだぜ?」 悪びれもなく、静かな視線を投げる一夏の横顔。「ほれ、言ってみろよ」 眼を泳がせつつ、何度か言葉を失いつつもこう述べた。「あ、ありがとう」 一転、意地の悪い笑みを浮かべる一夏だった。「なんだその顔は……」 腕を後頭部で組んで一夏は言う。「べっつにー あの真様が随分素直になったなーってよへばるばっ!」 初期動作のない、一夏の知覚外からの奇襲である。真の拳が一夏の顔面を捕えていた。「調子に乗るなこの馬鹿一夏! 人が下手に出ればいい気になりやがって!」 一夏は真の右腕を掴み、拳越しに薄ら笑いを浮かべた。夏だというのに、鳥肌が立つほどの殺意がひた走る。辺りの虫々が鳴くのを止め、鳥の一群が空高く去って行った。 それを合図に一夏の豪腕が周囲の空気を切り裂いた。疾風が巻きあれる。極短時間生じた空気圧力差による刃。かまいたち。触れてもいない筈の真は空圧に吹き飛ばされ、10メートル以上後退した。真の靴底が焼け焦げた臭いを放つ。「……だーれーがー 下手に出てやがる! この阿呆真! ちったー謙虚になったと思ったら相変わらず態度でかいな! この一夏様がまた教育してやる!」 真は、蒼白く光る左の義手を前に、右腕を後ろに回し、重心を落とす。かまいたちにより生じた、血が滴る右腕の亀裂、見る間も無く塞がった。「威力もあるし、速さもある。だが相変わらずそれだけだ……一夏、謝るなら今のうちだぞ」「くそったれ」「「……」」 頭上に鴉の大群が舞う。2人は踏み込んだ。「「上等ーーーー!!!!」」 2人が間を詰めたのは瞬きほどの時間。2人が拳を掲げ打ち振るったのは刹那の刻。「やめなさい」「「ぐぇーー!!」」 ディアナの糸が2人に絡んだのはゼロ近似の時間だった。首に絡んだ糸は、まず2人を引き離し、腕、胴、脚と順次絡み、芋虫2匹の完成である。彼女は右手の甲を口元に、指を小さく震わしながらこう思った。(今のこの人はこんな状態だったわね、案ずるまでもなかったわ……) 美しい表情に苦悩の色が浮かぶ。「ディアナさん落ちる! 今度こそ首が落ちるぅぅ!」 真に喰い込んだ糸は、彼の表層組織を切り裂くも、切った先々からナノマシンが再生するので切り刻めないでいた。「リーブス先生ちょ! チョークチョーク!」 一夏を取り巻く糸は、彼の表層組織に喰い込むも、内側より錬られた氣の力場に阻まれ切り刻めないでいた。「2人とも反省しなさい。こんな街の中で暴れて、人的被害が出たらどうするの」「しますします! ほら一夏も謝れ!」「もうしません! ってなんで俺だけ!」「もって言ったろうが! “も”って!」「嘘つけ! 俺にだけ謝らせる腹づもりだろうが!」「毛頭無いわ! 器が小さいぞ罷免英雄!」「語るに落ちたな底なし沼英雄が!」「リズムが悪い!」「知った事か!」 頭突きに、ボディプレスに、膝打ちに、器用にプロレスを始める芋虫2人。ディアナはこめかみに血管を浮かせながら力を込めた。(これって詐欺よ)「「ぎゃー」」 ひとしきり締め上げ気が済んだのか、ディアナは2人を解放した。脱兎の如く逃げ出した2人が見た物は、湯上がりバスタオル一枚で立つ千冬の姿。日頃の厳格な立ち振る舞いと裏腹に、可愛らしい悲鳴を上げ、2人を吹き飛ばした。 英雄のプライベートとはこんなものかもしれない。 ◆◆◆【静寐の補足】 数名の方から静寐には、真を諦めないで欲しかった、もっとがんばって欲しかったとコメント頂きました。恋愛的な意味です。彼女が諦めた契機はセシリアに対する敗北だった訳ですが、この敗北があったからこそ一夏の説得に力を持った訳です。 もし彼女が諦めていなかったら、対真戦に敗北し、失意のどん底にいた一夏を励ます者が誰もおらず真は死んで、結局は上手くいかなかった……酷い話ですね(汗【二期】 手間取ってます。今ストーリーの本筋を考えていますが、どうにもチープでリテイクを繰り返し中。【他】 オリジナル板にて1次を一本書いています。俺Tueee物ですが、宜しければどうぞ。