-------------------------------------------------------------------------------- 盆休み直前の土曜日、俺は学園都市の大通りを往復していた。容赦なく照りつける8月の太陽の下、曲がりもしたし、立ち止まったこともあった。左手に持つ紙一枚を恨みがましく見つめれば、それにはバカとの待ち合わせ場所が記されていた。シャーペンにて粗雑に描かれた地図には“レストラン・ディアブロ”と書かれている。今日は所用で別行動なのだが、一向に見つからない 見つかるのは不審だと言わんばかりのお巡りさんの顔だけである。恥ずかしい話だが、“目を逸らしたら負けだ”そう社の人に言われ、素直に見つめ返したら、追いかけられ職質された経験がある。だから、決して見ない。幽霊も同じく相手にしないとは時子(本音の叔母)さん談だ。 そう言えば、先輩陣にディナーを奢る約束をしていた事を思いだした。あれからあまりにも色々なことがあったので、今日まで来てしまったが、そろそろフォローをしないと芳しくない。 そう思いながらすたすたと歩く。 それにしてもこのレストランのオーナーはバカに違いあるまい。ディアブロはどこぞの言葉で悪魔を意味するはずだ。もしくは魔術的なモチーフを施したレストランなのだろうか。 汗が出る。木陰で一休みした。汗を拭う。 歩道に立ち並ぶのは街路樹の数々。生い茂る葉の堂々としたこと、とても清々しい。この道は学園都市で最も大きい道路だ。中央分離帯を挟み、歩道と車道一対ずつ。作りは一般的だが、歩道は3車線もあり非常に歩きやすい。中年男性が、襟元をばたつかせながら木陰で休んでいた。 てくてくと再開し歩く。喉が渇いたので水を買う。 何度探しても見つからない。俺はこのあたりに詳しくない。学園を出て早々にサラリーマンを初め、休みの日は精々近くのコンビニに出かける程度の生活を送っていたからだ。 ごくごくと水を飲んだ。悲鳴が聞こえた。 その僅かな、雑踏に磨り潰されてしまう程に小さな悲鳴は石造りの建物の隙間、その奥から聞こえてきた……様な気がした。気のせいだ。きっと鳥か何かに違いあるまい。もしくは青少年の悪ふざけだろう。困った物だと思う。 本当に困ったことに、街の影、淀みから漂う女性の悲痛な気配、数名の男達の腐った気配を確実に感じ取ることが出来た。俺は溜息をつくとその方へ足を向けた。 無用なトラブルは避けたいのである。今度トラブルを起こせば進退問題よ、とディアナことマチルダに念を押されている身なのだ。 そうだ。首になったら警官になろう。異なったアプローチで学園も守れる、きっと天職に違いあるまい。そうして、この1人の少女を組み伏す3人の馬鹿共を引っ捕らえるのだ。それはそれは、さぞ愉快、もとい。やりがいのある仕事に違いあるまい。 なんだてめぇは、お呼びじゃないぜ、回れ右しておうちに帰りな、等々。都度答えるのも面倒な罵声の数々。俺は右人差し指を立て、挑発する事にした。 ちょいちょい。 糸のみで釣りをする様な指の仕草。全員釣れた。そう言えば。この手の輩はこういう時の言い回しをルールにしている、そう偉大な作家が言っていたのを思い出す。その作家とは、小柄な魔法使いの少女と光の剣を持つ剣士の叙事詩で有名だ。 向かってくる彼らの出で立ちは、俗に言うストリート系ファッションと言う奴だろうか。鍔付き防止に、黒のTシャツとカーゴパンツ、もしくはルーズのデニム。非常にゆったりしたサイズで動きやすそうだ。彼らはフォーマルを纏うことはあるのだろうか、ひれ伏した後聞いてみよう。だからこう言った。「お前ら、ビジネス・スーツは持ってるのか」「つぇぇ……」 ひれ伏した。「持ってるのか」と最後の1人を踏みつける。この手合いは言葉が効かないのでぐりぐり踵を回してみた。「持っているのか?」「もてぇらまへぶ」 持ってません、と言ったらしい。顔を踏んでいるので正しい言葉にならない。「各位一着用意しておけ。後々役に立つし、気も引き締まる。それと人の顔を覚えるのには自信があるんだ。次ぎスーツ姿じゃなかったらまた踏みつけるぞ」 俺は路地とビルの隅でうずくまる少女の、安否を確認すると罵声をあげてクズ共に追い払った。息づかいが聞こえる。俺は振り返り歩み寄った。少女は怯え後ずさる。ふむ、と少女まで距離5mで立ち止まり、膝を地に付けてしゃがみ込んだ。視線の高さを合わせる為だ。「一つ聞きたい」 可哀想に。赤髪の少女は怯え、身を抱きしめ、眼を激しく動かしている。呼吸も荒い。怖い物でも見たかのような怯えだ。「君はレストラン“ディアブロ”を知らないか?」「ディアー・ブロウ」「そんなオチだと思ったんだよ」 カァと鴉が鳴いた。----- ゴンと鳴った。何故かと言えば、頭をレストランのテーブルに押しつけられたからだ。だがその頭は俺のではない。何故かと言えば、俺の頭は真っ直ぐでその代わりに、冷たいタオルを宛がっているからだ。「本当に失礼しました! ほらこのバカ兄ぃ! ちゃん、と、謝りなさい!」「本当に失礼しました~」「真面目にやるっ!」 妹さんの左手で突っ伏される彼は一拍おいた後、深々と謝罪した。この2人は兄と妹らしい。 彼が現われたのは、彼女の身繕いを済ませた後、お礼も兼ねて道案内しますと、申し出たので素直に受け取った、その直後である。 妹に何しやがると殴りかかられた。避けようと思ったが、襲い来る少年の雰囲気が助けた少女と非常によく似ていたので、わざと受けた。話が拗れるのを避ける為だ。 もちろん意図的に大袈裟に飛び、衝撃を殺したことは言うまでも無い。青あざになろう物なら、ウチの少女たちに何を言われることやら、考えることすら憚れる。「謝罪は貰ったし、もういいよ」「そう言う訳には行きません! これは躾です!」「けじめって言ったらどうだ」 言い合う2人は五反田弾、蘭と言い兄妹だった。けじめ、と呻いたのは兄さんだが、妹さんに頭が上がらないらしい。兄妹という言葉に記憶がざわめく。俺にも、姉が居た。「確認を怠り、思い込みで恩人に殴りかかるなど言語道断です!」 ごもっとも。だがもう少し声量を落としてくれると助かる。注目を浴びている、ほらと見渡すとバカが立っていた。「よー なに騒いでいるんだ?」 目の前の2人もこいつを見た。俺は手を上げるとあいつも手を上げた。一夏と呼ぶ声が綺麗に重なる。語尾は三者三様であったけれど。----- 改めて自己紹介を済ませ、時間も時間だと俺らは食事をすることにした。幸いなことに席は奥で窓が無い。俺らは、一夏と俺は廊下側に腰掛けた。保安の都合だ。 目の前の一夏が言う。「前に言った事あったろ? 五反田蘭と弾。中学からのダチでさ、2人はその兄妹なんだ」 俺が「蒼月真、真で良い」と言えば彼は「なら俺も弾でいいっス」彼は年齢を気にしているようだった。堅苦しいのは苦手だと伝えたが、失態を気にしてか改めない。じきに慣れるだろうと食事にありついた。 目の前にあるのは厚みのあるステーキである。肉汁が食欲を誘う。「お二人とも健啖家なんですね」とわずかに呆れを交え蘭さんが笑えば、一夏は「ISはエネルギーを消費するんだよ」食べながら左隣の彼女に答えた。俺の右は弾だ。彼女が一夏に好意を寄せていることは直ぐ知れた。 兄としては複雑な心境だろう。俺の姉が一夏と付き合っていると知れば、想像しやすい。「一夏は燃費悪いからな」と俺が言う。「今でもですか?」と弾が合いの手を入れた。昔からそうだったらしい。「最近は特に酷い」「真だって4人前食ったじゃねぇか」 ぱんぱんと一夏と手の平と甲を鳴らし合う。「おにぎり4個は4人前とは言わない、せいぜい2人前だ」「そうだそう、お前。アレの支払いこのランチな」 それは先日のこと。一夏が留守中に静寐がやってきた。彼女は近くに来たからと健気な嘘をつき帰ったが、お見舞いだとおにぎりを持ってきてくれたのだ。全部食べたら一夏が拗ねた。「静寐のおにぎりまだ根に持ってるのか。アレは俺の見舞い品なんだぞ」「うっせぇ」 挑発的な笑みに答える。蘭が驚きを隠さずこう言った。「お二人は仲良いんですね」「どこがー」「学園には俺らしか居ないから、ね」 弾が疎外感を顔に出し、ぎこちなく笑っていた。----- 昼食を済ませたあと、折角だというので鈴を呼び出した。一夏と2人の少女は腕を組みながら前を歩く。とても幸せそうだ。 その3人をじっと見つめていた弾は俺にこう言った。「静寐ってのは誰です?」「詳しいことは本人に聞いてくれ」「なら、鈴は―」 本当に聞きたいのは違うことだろう、と俺は話題を強引に変えた。「昔の一夏はどの様な感じだった?」「……変な奴ですよ。曲がったことは嫌いで、何時も突っ走っていましたから」「なら安心すると良い。変わっていない。一夏は昔だからと忘れる奴じゃ無い。その辺は弾がよく知っているだろ」「……お見通しなんか」「弾も弾で分かりやすい。蘭も気づいてるぞ」 彼は居心地悪く、長い赤い髪を掻く。「もてるんじゃないっすか?」「それはもう」 やっぱりと俺らは笑いあった。「弾。一夏に親しい娘ができたみたいだぞ」 顎が外れそうな程、口を開いていた。「マジ?」「マジ」「静寐って娘が?」「それは秘密だ」「な、なら、鈴は?」「だから秘密だ」「お、お前は?!」「秘密だ」「まじか?」「まじだ」 親しいにも程度はあるけれど、と弾に断りを入れる。彼は足を止め俯いたと思ったら、視線を上げた。彼の思い詰めた表情。意図はよく分かった。15歳なら当然だろう。「あの、だです、な、」「分かった。学園祭のチケット都合付けるよ」「おぉ、心の友よー」「でもそれ以上はやらないからな。あと彼女らはとても理想が高いから万全を期した方が良い」 親しい友人に彼女が出来れば焦りもする。「おにぃー! 真さーん! 行きますよー」 手を振る蘭の元気な声と、頬を染め、はにかむ鈴が見えた。俺らは見合うと歩みを強めた。「行くか」「お、おぅ」 その日は男の、2人目の友人が出来ためでたい日となった。そして蘭が後輩になるかもしれない、それを宣言された日となった。それはボーリング場、弾がガーターを出した時のことである。 --------------------------------------------------------------------------------