Broken Guardian 3-------------------------------------------------------------------------------- 岬の先、灯台の足下。真はみやを纏い立っていた。見えない碧の眼を開き、見下ろし、見渡せば、複雑に入り組んだ櫛の様なリアス様式の海岸。切り立つ崖と海の間、砂漠で水を掴む様な狭い場所に、黄色く白い砂浜があった。 その浜には複数の訓練機を取り囲む、6名の教師と多くの少女たちが見えた。岬を越えてたどり着く手前の浜には、最強を謳われる2人の女性と専用機を持つ数名の少女と、1人の少年の姿が見えた。 深みのある金髪の少女は、鮮やかな金髪の女性の側で嬉しさを隠すこと無く話していた。黄色い結い布のツインテールの少女は呆れる様に、その2人の側で佇んでいた。 空と海の境目からやってくる、湿った風が彼の髪を凪いだ。白く高い雲が空を動いていていた。黄色い太陽が足下の草木を容赦なく照らす。踏みつける様に地面を擦ると、黒い土が見えた。小さな虫たちが働いていた。生きる為に。「一夏。俺は、お前に謝りはしない。俺も間違っていたとは思わないから。でも。お前、こんな気持ちだったんだな」 肉眼では、豆の様に小さい黒髪の少年は、姉でもある黒髪の教師の近くで、青銀の刀を力強く振っていた。彼は目を瞑り、みやに向き合った。彼の頭上、遙か先では白銀の少女が待っている。休息の時間は余りない。(セシリア・オルコット。1年1組。イギリス代表候補……違う、調べて分かる事を残しても意味が無い) 彼は頭の中に散らばった破片をかき集めるが、形にならないと悩んだ。紡いでは千切り、結び直してはまた分ける。ようやく形になった頃、(手紙にしては奇妙だな、これ) 風が吹いた。 ふっと沸いた言葉を、一粒も漏らさぬ様に、心の中で繰り返した。-陽の光を浴びて、その有り様を変える金色の髪--胸に渦巻く思いは、興味、怒り、後悔、そして--この時を、どれほど待ち焦がれたか--女性にこれほど執着したのは、あの人以外に無い--セシリア・オルコット--今日、私の持つ全てを君に捧げる--さぁ、決着を付けよう-(私? 俺だろ……あれ?)「その首の包帯どうしましたの?」 目眩を抑え、振り返った彼はその声の主を探した。足下は低すぎた。視線は草の上を走り、もう少し上へなぞると丸太の階段が見えた。青いISスーツを纏うこんじきの髪がなびいていた。陽の光を浴びて、輝いていた。「君か」 真は蒼い瞳の少女に話し掛けた。「随分と、ご挨拶ですわね」 彼女は少し気分を害した様に、両手を腰に置いた。肩をいからす。「すまない。他意は無い。だがこの時間は装備試験の筈だ。君がここに居て良いのか?」「どこかのどなたかが、夜も朝も一向に捕まりませんの。不本意ですが止むなくですわ」「通信で済ませれば良いだろう。もしくは伝言という手段もある」「直接、確認したい事があります」「俺には立場もあるが……まぁいい。こちらも手間が省けた」「なんのこと?」「俺も君に用件がある、という事だ。レディー・ファースト、そちらからどうぞ」 セシリアは感じた違和を疑問という言葉にするか迷ったが、胸につかえたままでは不快だと先に片付ける事にした。なにより、その回答次第では違和の疑問に意味が無くなる。「ミス・ボーデヴィッヒの事です。こう言えばお分かりですわね?」「それは質問になっていないと思うが」「白を切りますの?」「彼女への疑問なら直接聞くと良い。プライベートは答えられない」「なるほど、プライベートな関係だと認めますのね」 苛立ちを募らせる少女が理解出来ないと、彼は肩をすぼめた。その仕草が彼女の神経を逆なでる。「確認したいが、君の言うプライベートとは何だ。恋仲を指しているなら違う」「怪しい物ですわね。彼女は真と同じ匂いがしましてよ」「随分と過激だな。肉体関係を持った事はないぞ」「同じ日常を共有する者同志が持つ雰囲気と言っています!」 彼女は声を荒らげた。「それならば当然だ。彼女とは寝食を共にしている」 ぽかんと口を開ける。「よ、よくも。ぬけぬけと……」「繰り返すが、そう言う関係では無い」「その様な虚言が通用するとでも!?」「気を静めてくれないか。男女とは言え関係は様々だ。男女のシェアハウスは欧州でも一般的だったと思ったが?」「若年では一般的ではありません!」「凰鈴音との同居歴もあるが」「人目が厳しい学園寮という特殊な環境を持ち出し、だから看過しろと? しばらく見ないうちに随分と言い訳が上手くなりましたわね! “前は”大目に見ましたが今回は容赦しませんわ!」 怒気を強める少女の様子をおかしく思い、彼は記録を読む様に視線を泳がしたが、申し訳ないとこう言った。「前とはなんだ? 覚えに無い」 真にとってエマニュエル・ブルワゴンは一つの傷だった。そのため彼は無意識に拒否し、先送りし、その結果記録の機会を逸した。ラウラもそれに触れる事を躊躇した。 セシリアは“2人だけが共有した思い出を、ラウラに話した”その疑念に捕らわれ、冷静さを欠いていた。誠意を見せない真に裏切りを感じたのである。握り手と唇をきつく結び、怒りと悔しさで身体を震わせ彼女はこう言い放った。「もう結構です」「疑問を残したままというのは俺の好みでは無いのだが。ラウラの事はどうする?」「回答は男などそのような取るに足らない存在だった、と言う事ですわ。正しく時間の無駄。この様な不埒な者に心を許していたなど、家に母に顔向けできません!」 蔑む様な、見下ろす視線とその気配、彼は理解出来なかった。彼女は今まで誰にも見せた事が無い、感情を露わにしていた。「気分屋で激情家だな。冷静だが情に厚く、慎重だが大胆。聞いているのと随分違う」「誰のせいだと思っていますの!? 私の信頼を裏切っておいて!」「信頼か……それを言われると辛い」「これが真とも最後ですわ! 用件とやらをお言いなさい!」「そうしよう。恐らくこちらを片付けないと話が進まない。君に伝言がある」「伝言?」 彼は1つ息を吸うと、碧い瞳を彼女に見せた。ゆっくり開く彼の唇は、表情は、身内の訃報を知らせた古い友人であり、姉であり、使用人の姿と重なった。 セシリアは言葉を失い、魂が抜けた様に口を開く。自分が半歩後ずさった事に彼女は気づいていなかった。初めて事の重大さに気づいたのである。彼女の目の前には、かって有ったように今そうで在るように、既に確定した事実があった。「俺がこの言葉をセシリアに伝えているならば、それはその時が来たという事。それを前提に、こうして思いを残している。少し回りくどいが聞いて欲しい。 俺は少し前から記憶が戻り始めていた。それは少しずつで、今これを紡いでいるこの時も一つ、また一つと思い出している。未だ不明点が多く、断片的でよく分からないけど、小学生までなら説明出来る程度には分かっている。だから、それを伝える。 俺は日本人で、父母姉を持ち都内在住。身内の名前も自分の名前も分からないから家族の消息は調べていない。だから、この住所にあるマンションは、俺の家かどうかは分からない。 ラウラの話によると俺はどうやら軍人だったらしい。銃器の扱いに長けているのはこれが理由。聡明なセシリアの事だ、この話を聞いて年齢を疑問に思った事だろう。 答えたいのは山々だけど残念ながら今の俺は回答を持っていない。 日本に軍隊はないから、少なくとも外国だと思う。けど、未成年を入隊させる様なところは真っ当じゃ無い。恐らく俺は非公式の存在である可能性が大きい。 死んだ黒髪の少女の記憶、死んだ金髪の女性の記憶、俺は記憶を失ったのではなく捨てたのではないかって考えてる。恐らく何らかの事故、忘れてしまいたい様な事をしでかし、それを封じた。その俺がどうなったかは、セシリアがよく知るところだから、今更残さない。 ひょっとしたら気にしてるかもしれないから言うけど、ラウラに話した訳じゃ無い。詳しくは学園の機密に関わるから言えないけれど、とある事態でラウラは俺の過去を知った。俺もラウラの過去を知った。納得がいかないけど、ラウラは俺の知らない俺も知っている。聞く前に教えないとか言われて、実は少しむかついてた。ずるいだろってさ。 ラウラの印象が外観と異なるのはそのせい。今の彼女は俺の記憶、つまり情報に振り回され気味で時々突拍子も無い行動に出る。だから彼女に対して配慮して貰うと助かる。ラウラは双子の様なものだから。この事実を知るものは恐らく学園で2人しかいないし、頼める人に心当たりが無い。一夏に頼むのは色々難しくてね、やめたよ。 でで、ここからが重要。1回深呼吸する事。した? なら言うよ。 古い記憶を少しずつ思い出している俺は、新しい記憶を失っている。その記憶というのは、俺がこの学園で発見されて刻んできたこの1年と3ヶ月の記憶。 それは、俺が、この学園で発見され、千冬さんとディアナさんに助けられ、先輩たちに出会い、おやっさん達、これは蒔岡機械の人たちだけど彼らに世話になり、この学園に来て沢山失敗して、皆と遊んで、笑って、一夏と馬鹿をして、セシリア。君と出会った記憶だ。 つまり蒼月真と言う俺そのものが少しづつ失われている。つまり、今セシリアの目の前に居る俺は、俺であってもう俺じゃない。 済まない。 誰にも言うつもりは無かった。 済まない。 言ったところで止められない。これはこう言うものだから。 考えてみたんだよ。学園に来てからの3ヶ月は去年1年間に比べて激動だった。お世辞にも良い出来事じゃ無かった。 俺がここに立っている原因とその結果。一夏と俺を中心とした全ての現象。俺が全てを引き起こしているとしたら。 出来るだけ俺の影響を減らしてみようとしたけれど、遅かったのか、足りなかったのか、それとも根本的だったのか、結局駄目だったみたいだ。全ての流れは本来の姿に戻りつつある。俺が記憶を無くしているのも多分その一つ。 トラブルを考えて、この手紙を残したけど、それは言い訳だ。結局セシリアに知っておいて貰いたかったんだろうと思う。俺は最初から最後まで君に頼りっぱなしだった。本当に済まなかった。拳銃は俺から受け取ってくれ。 目の前の俺に権利は無いし、セシリアとの思い出が無い俺にとってその拳銃は拳銃以上の意味は無い。元の持ち主が目の前に居れば渋る事は無いだろ。 まだ伝える事はあった様な気がするけど、もう思い出せないや。だから、ここで終わるよ。さっき、ひょっとしたらとか言ったけど、それなりに気にして貰えたら嬉しい。セシリアとの3ヶ月は蒼月真にとって、とても掛け替えのないものだった。本当にありがとう……以上だ」「そうですの。もう私の真はいませんのね」「これがその拳銃だろう? 返す、はおかしいか。受け取ってくれ」「これからどうなさいますの?」 セシリアは差し出された銃に眼も向けず歩み寄った。青いイヤリングと瞳が揺れていた。「俺から俺への伝言もある。もう1人の俺の頼みだ。叶えない訳には行かない」「まだ覚えている事は?」「黒の人と金の人。ラウラと一夏。それも時間の問題だろう」 少女の両手にある、鋼の拳銃は涙に濡れていた。「もう捨てないと言ったのに」「済まない」「嘘つき」 端正な顔を幼子の様に歪ませた少女は背を向け走り去った。彼は見えなくなるまでその姿を追っていた。「私の、か。彼女は俺の事が好きだったみたいだな。そして俺もそうだった……相思相愛で3ヶ月も何をしていたんだか、馬鹿め」 その彼の物であって彼の物ではない悔恨は波の音が掻き消した。----- 戻った彼を出迎えたのは蒼い空だった。何処までも続き、限りなど無い様に見えた。足下には広大な海が広がっていた。水の蒼に混じり、白い雲が所々に浮かんでいた。さながら水面に浮かぶ雪の連峰である。 雲の隙間から覗くのは、伊豆諸島 新島。その60km先には伊豆半島 石廊崎がある。時速400キロで飛ぶ彼は、知っているはずの皆が居るその先を、じっと見ていた。 みやが僚機の通信を知らせると、彼の意識内に白銀の髪が舞った。『放浪者(ワンダラ)1、こちらワンダラ2。聞こえるか』『感度良好。針路0-3-5度で飛行中。どうしたワンダラ2』 大気分子が原子に別れ、その原子も激しく励起と遷移を繰り返すプラズマ環境下ですら通信可能なIS間通信において、感度良好という返事に意味は無い。だが2人は個人的嗜好で取り決めていた。 真はラウラが飛行している10時の方向、30キロ先に視線を移した。『緊急では無い』 今までと異なる、もしくは初めて耳にする、不安と後悔を湛える彼女の口調。彼は怪訝に思いながら、沈黙を持って彼女の言葉を促した。『2人に、教官に言わないのか』 ラウラが言う2人とは千冬とディアナの事である。『何をだ?』『お前の記憶、状態の事だ』『意味が無いと言ったのはラウラだ』『確かにそうだが』『どうした? オルコットとの事を知り急に迷いが生じたか』『そう言う訳ではない。気になっただけだ』『記憶という情報をかみ砕いて情緒が豊かに成ってきた、か。結構結構。だが振り回されるなよ。それは素晴らしいものだが厄介な物でも有る』『お前は本当に意地が悪い。言い訳すら許してくれない』『……済まない。言い過ぎた』『真。お前は、』『あぁ。情緒が薄くなっている。心ない発言をしたら指摘してくれ』『私は判断に自信が無くなってきた。あのオルコットを見てこれで良いのか、とそう感じた。真と、皆の関係が非常に気になる』『もう1人の俺は今の俺より強いのだろう? そしてラウラはその俺に信頼を置いた。なら、それで問題ない』『お前から奪ったのは私かもしれない』『その様な考えはよせ。俺の全てを知っている人が居る、これは俺にとって救いだ。血も残せたしな』『……誰に?』『デュノアにだが』『お前― 』『違う。落ち着いて彼女の事を思い出せ。血液的な意味だ』『首の包帯はそれか。ふん。覚悟を決めた人間というのは本当に厄介だな』『できればもう少し時間が欲しかった』『違う、デュノアの事だ』 彼は残念だと、みやが示す記録を読んだ。『そうだな。女の子はとても不思議だ。とんでも無い事をする』 ラウラが言うのはM(エム)とシャルロットがフランスで刃を交した事だ。地の利が有ったとは言え、実力的に圧倒するMを彼女は退けた。彼女は腕に抱く真を守らんと、実力以上の力を発揮した。『からから笑っていたと思えば、次には怒り出す。忘れたと思えば、突然思い出して怒り出す。優しいと思えば厳しく、やはり怒り出す。理解出来ない。だが、気がついたら守られていた。遠いけど近い。大きくて暖かい。その彼女たちが居る学園の為に立つ、銃を持つ俺にとっては出来すぎだ』『それは誰の事を言っている』『一般論だと思ってくれ。だから、なんと言う事も無い。だから、ラウラが気にする事は無い』『私も、そのような存在に成れるだろうか』『成れるさ、ラウラも女の子だ』『情緒が薄くなると言うのは別の意味でも厄介だな。気恥ずかしい事を真顔で言う』『愛の語らいにしては少しムードが無いな。今晩どうだ?』『勘違いするな馬鹿者。私は慣れていないだけだ』『それは残念だ……済まないラウラ。俺の最後まで付き合ってくれ』 彼の手元に光の粒子が現れる。結び形となる。アサルトライフルを構えた彼は西の空を見た。感じ取った彼はハイパーセンサー越しに見える発光体を見た。『受諾。こちらでも確認した』-警告:高度300キロメートルにてUnKnown確認-------警告:UnKnown、秒速7kmにて地表に向け移動中。地表到達まで42秒。アレテーと接続、逐次状況通信開始。アレテーより立案作戦、受信- 2機の黒いISが空を駆け登る。高度11Kmを通過、対流圏を抜けた。『ワンダラ1へ。こちらではUnKnownの走査が出来ない。妨害されているようだ』『ワンダラ2へ。こちらで確認する』-報告:ECCM(対電子妨害手段)作動。UnKnown走査開始。測定よりL.E.O.(低軌道:Low Earth Orbit)より大気圏に突入したと推測。民間、軍用、共に飛行計画に無し。 円錐形状、ECM(電子妨害手段)装備、金属及びエネルギー反応あり。敵性人工体と判断。緊急時対応に該当。シュヴァルツェア・レーゲンは高度14kmにて停止。A.I.C.及び120mmリニア・レールカノン・スタンバイ-『ワンダラ1へ。こちらは位置に付いた。準備完了』『ワンダラ2へ。了解。こちらは上昇を続ける』-報告:JTIDS(統合戦術情報伝達システム)作動。アレテー及びシュヴァルツェア・レーゲンと接続。3点測定により精密軌道予測計算開始。 軌道予測……伊豆半島 石廊崎への落下確率90% 洋上船舶、周辺住民、一般生徒の避難及び専用機の緊急展開を実行中。学長、織斑千冬、ディアナ・リーブスの承認確認。 “攻撃許可” 30mm対物ライフル“チェイタックM200i”に量子交換。30mm炸裂弾頭装填-『ワンダラ1へ。学長とは誰だ?』『ワンダラ2へ。俺も面識が無い。目標位置(高度19km)まで後3秒、2、1、到着。接触まで20秒』-報告:スナイパーXR(センサーポッド:iAN/AAQ-33)作動。狙撃モード。P.I.C.出力最大------ アレテーの立案した作戦はUnKnownの破壊ではなく、30mm弾頭による軌道、つまり落下地点の変更であった。 学園の少女たちに迫るそれの、推定質量は0.8トン。移動速度は秒速7km(音速の20倍)に達する。質量を考慮すれば弾頭は大きい程都合が良いが、みやの新装備であるIS用120mmカノン“黒釘”の通常弾頭はAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)である。 安定翼により命中精度を狙うこれは、外乱の影響を受けやすくライフリング~ジャイロ効果によって精度を狙う金属弾頭に劣るためだ。予想射撃距離は2.5から3km。黒釘では分が悪く、何より新装備故の熟練度に問題があった。 30mm炸裂弾頭による命中後の破裂、衝撃でUnKnown表面を高速で流れる大気を乱し、軌道を逸らす。これが要点となる。ラウラでは無く真が選ばれた理由は、作戦開始時点で彼がUnKnownに近かった事もあるが、秒速7kmで移動する的を狙う精密射撃はラウラに向いていなかった。 もっとも、真にとっても荷が重い事に変わりが無い。彼の能力は劣悪環境下でも精度を維持出来る、近中距離までの射撃であり、ロングレンジは不得手としていた。付け加えれば、索敵能力が常識レベルの、自衛隊及び在日米軍は初動に遅れ、援護は期待できない。 しかし手持ちのカードに文句を言っても始まらない。時々刻々と迫る、目の前に突き付けられた現実は変わらない、と言う事だ。 空の蒼が黒に。水平線が弧を描き、雲の凹凸が絨毯の様になだらかになる世界。真は成層圏で銃を構えた。『UnKnownの画像を捕えた。胴体がオレンジ、後部末端がグラス・グリーン……何というか、にんじんだ』『野菜の、か?』『肯定』『カモフラージュだな。騙されるな……A.I.C出力最大』『秒速7キロメートルの鼻先を狙撃だ。ラウラ、祈っててくれ』 真の弱音を聞いたラウラは己の役割を己に問い掛けた。 作戦は数段階に分けられる。第1段階、真による攻撃。第2段階、120mmカノンによるラウラの攻撃。第3段階、A.I.C.による阻止。第4段階、低高度で展開する一夏ら専用機持ちによるUnKnownの破壊。段階が進むにつれ難易度も被害が大きくなる。 PIC(慣性制御)により微動だにしない身体に神経を研ぎ澄ます。今彼が担っているのは学園の少女たちと盾になるラウラの命だ。失敗は許されない。 彼は意識内に映る、数秒後のUnKnownの姿を凝視する。ストレスによる身体の変調を、彼自身の精神力とみやが押さえ込むが、極度の緊張により汗が噴き出し始めた。呼吸が乱れ始める。彼のバイタルデータをモニターしていたラウラが唐突にこう切り出した。『時に真』『後にしてくれ』『私には経験が無い。初めてがニンジン、というのは不憫だと思わないか?』『……はしたないぞ』 カウンタがゼロになる。彼は僅かに口元を緩ませて引き金を引いた。 薬莢内の炸薬と酸化剤が混ざり合い、爆発、弾頭を撃ちだした。閃光が黒の機体を一瞬白く染めた。ずぶとい衝撃がみやのフレームを貫き、慣性を打ち消す高周波が打鳴った。発砲音が地球と宇宙の境に響き渡る。 弾丸の速度、方向、質量と形状。大気の揺らぎ、地球の引っ張る力。宇宙から注がれる線と粒。それらが引いた空の道を鋼の弾頭が疾走する。 弧を描きながら、二つの鋼の玉が水の玉に引かれ墜ちて行く。己の鼓動を聞きながら、真は水に浮かぶ火花をみた。ラウラは魂を吐き出さんばかりの深い息を吐いた。『軌道の変更を確認。予想落下地点は伊豆諸島 神津島 南南西100km。見事だ……どうした? こういう時ぐらい笑ってみろ』 ラウラが緊張を解かない真の様子を訝しがっていると、『ワンダラ2へ。警戒を継続してくれ。これから追撃に移る』 真は直感に従い急激降下を開始した。『ワンダラ1へ。こちらワンダラ2。どういうことだ』『あれは危険だ。撃墜する』 僚機の変貌を理解しようと彼女がUnKnownに注意を向けた瞬間であった。何の前触れも無く軌道が変わった。その落下地点は皆が居る場所であった。 みやとシュヴァルツェア・レーゲンが主に警告を放つ。ラウラが急ぎ撃ちだした120mm超電磁加速砲弾は、俊敏な機動で“回避”され、シュヴァルツェア・レーゲンを通り過ぎた。『なんだあれは!?』断続的に撃ち出す砲撃を全て躱され、ラウラは声を荒らげた。 彼女の狼狽には理由があった。大気圏に再突入するRV(Re-Entory Vehicle:再突入体)は高熱に曝されるため多量の燃料を積めない。つまり大気圏突破後の高機動体はIS以外にあり得ないはずだった。バーニアすら、飛行翼すら持たない目の前のUnKnownは常識の外だった。『黒騎士(本部)へ こちらワンダラ1! 作戦失敗 至急迎撃してくれ!』真が悲痛な叫びをあげる。 焼き切れんばかりにスラスターを吹かすみやをあざ笑うかの様に、それは伊豆半島の先端に消えていった。絶望が2人を襲う。彼が手を伸ばしたその瞬間、蒼い光が瞬いた。 一条の光弾がUnKnownに迫る。それは躱さんと軌道を変えた。迫る光弾は、逸れること無く、吸い込まれる様に“軌道を変えた” 着弾。次々に弧を描く光弾がそれを襲い、喰らいつき、貫いた。5km以上先の高機動体を狙う、超長距離 偏光制御射撃だった。 火を噴き、破片をまき散らしながら海に墜ちて行くそれを、真は呆けた様に見つめていた。僚機の通信に我に返る。彼は意識内に映る、大型レーザーライフルを携える、蒼穹の機体を見た。それは金色の髪をなびかせて、蒼い瞳を彼に静かに向けていた。真は息を呑んだ。(オルコットが偏光制御射撃を出来るとはな。今まで隠していた? 違う。隠す理由などない……今朝のアレか) それに考え至ったラウラは笑った。それはとても静かだったが、彼女は心の底から笑っていた。(やってくれる。それ程私が気に入らないか) セシリアは静かに言葉を発した。ラウラにはそれは宣戦布告のように聞こえた。『ミス・ボーデヴィッヒ。私、貴女に話がありますの』『良いだろう。ワンダラ1へ。ニンジンの確認を任せた』『待てラウラ。状況を説明しろ』 光が瞬き光弾が真に迫る。その理由に思い至らない彼は、躱した後その射手を睨み、威圧を込め、開き掛けた口を慌てて閉じた。 彼の目の前に8発の光弾が迫る。最初は直線で間もなく曲がった。次も直線だったが僅かに遅れて曲がった。3発目も4発目も、曲がるタイミングは違えど、8発目まで同じだった。 ラウラには繰り出される8発の光の軌跡が、檻の形になっている事に気がついた。回避を続けていた真は動きを読まれ、徐々に追い込まれ、動きを封じられた。 最後に撃ちだされた光弾の9発目。それは水面を走る波のように、繰り返し弧を描き、最後は何ものも妨げられない、真っ直ぐな光の矢。 その光弾は虜となった彼のアームガードを焼く。黄色い光弾を、蒼白くなるまで収斂させ、みやのエネルギーシールドを瞬時に突破したのである。後にケージ(鳥かご)と呼ばれるセシリア・オルコットの最初の技であった。 セシリアを知らない、回避に自信を持つ真は、焼けただれる左腕を唖然としながら見つめていた。ラウラはその真に笑いながらこう言った。『その辺にしておけ。これ以上真が駄々をこねると、話がこじれる』『女同士の話ですの。殿方はご遠慮してくださらない?』 2人の気配、威圧、迫力を感じ取った彼は、渋々承諾した。『……事後で構わない。説明を求める』『ふむ。善処しよう』『俺が悪かったと懇願するならば、考えて差し上げますわ』 堪らずセシリアから目を逸らした真は、自分の行動に戸惑った。それに気づいたラウラは笑いを堪えきれなくなり、吹き出した。その彼を見たセシリアは、威圧を霧散させこう静かに伝えた。『真』『何だ』『私はここに居ます。ですから、好きになさいな』『それはどの様な意味だ?』『秘密ですわ』 ラウラは面倒な2人だと、心の底からそう思った。--------------------------------------------------------------------------------ラウラと真のやりとりですが、この時点で真は箒とセシリアの事を情報としてしか認識していない為、あまり気にしていません。伝記を読んでいる感覚が適当でしょうか。だから。またセシリア泣かせやがったかこの阿呆。3度目だこの大阿呆。もうあれだ。セシリアは真を見限って、一夏に鞍替えしても良いと思う。誰も非難しない。 このSS、NT/NTRだし、と私が思っていたのはニンジンが墜ちてくるまででした。あれ? 何この展開。あれれ? 怒るのは良いのですが、なんか腹立つ。真氏ね2013/01/11【没カット】まこと『あのニンジンは危険だ。撃墜する』らうら『なんだあのニンジンは!?』好き嫌いはいくない。 以下、ネタバレかもしれない作者のぼやき。セシリアは真の事は全て分かっているという、満足感がありました。優越感か、安心感かも知れません。ですので、身分の違いがあっても、静寐本音や鈴に対し余裕があった訳です。姉ズ2人は色々な意味で別カウント。ところが同じ15歳のラウラが真の事を全て知った。セシリアの事を忘れているのにラウラはまだ覚えている。望めば共になれるラウラがあとからぽっと沸いた。セシリアはこれが看過出来ず、とうとう怒り心頭。 真のボコ負けですが、元々高スキルで頭の回転の速い彼女です。ブルー・ティアーズとの相性がMAXになり、精密機体制御や偏光制御射撃など、今まで出来なかった戦術が可能となった……という設定です。何より真の間合い、癖を知り尽くしていますし。 従って、この回でセシリアは真にとっての相性最悪になりました。射程距離に入る前に落とされます。次回、うさぎのお姉さんが本編登場!(次回よりハード入ります)