日常編 新しい在り方-------------------------------------------------------------------------------- 陽が昇る前に目が覚めた。眼は見えなくとも気配で分かる。遠くからは波の音、部屋には冷蔵庫の鈍い音、左隣には金色の人の寝息を聞くことが出来た。 もう一度寝ることは出来なさそうだったので、その人を起こさぬ様にベッドから抜け出し洗面台に行った。顔を洗う。包帯だらけの身体が、左腕が鈍く痛んだ。台所でコップを取り出し、ウォータークーラーから水を注いで一杯だけ飲んだ。コップを置くと予想より大きな音がした。同室、ではなく家主を起こしてしまったのでは無いかと不安になったが、その人は一つ寝返りを打っただけだった。 笑みがこぼれる。 笑ったのは昨日と今の俺の差だ。昨日までどのように死のうか、またその理由を探していたのに、今はその片鱗すらない。我ながら現金、図々しいとおもう。 もう一杯水をと、ウォータークーラーのノブに手を掛ける。その時はたと気づいた。白のプリントTシャツにカーキのハーフパンツ、今の出で立ちだ。 俺はいつの間に着替えたのか? いつの間にベッドに寝ていたのか? 昨日の記憶を探れば幻の様に浮かぶのは黒と金の影だ。その事実にいたるとバツの悪さを感じひとしきり頭を掻いた。 Tシャツには“Go To School”と書いてあった。これは生徒である、もしくは学校に通っていると言う意味だ。これはディアナさんであろう、間違いない。だからもう一つガラスのシンプルなデザインのコップを取り出し水を汲む、そして彼女の脇の小さな台に置いた。上質な紙が見当たらなかったので、仕方がないと綺麗なハンカチをコップに被せた。 そのままソファーに腰掛ける。暗い世界、見えない眼に浮かび流れるのは入学してから、否、この世界を知った時から今に至るまでの記憶だ。去年この学園で発見され、千冬さんに見つかり保護された。この時期のことは良く覚えていない、だた黒と金と白と赤の色だけを覚えている。気がつけば千冬さんとディアナさんが居た。その後蒔岡に務め、IS適正が世の中に知られ、騒ぎが起こり学園に来た。静寐、本音、箒、セシリア、鈴、シャル、そして一夏に会った。 人格は記憶によって構成される。なら記憶の無い俺はどのような存在だったのか。恐らく本当の意味で人格と呼べる物は無かったのだろう。唯一持っていた一般常識を元に作られた仮初めの人格、それが去年の俺だ。恐らく黒と金の人は、何らかの方法で、強い外部刺激を俺にあたえそれを作り上げた。かっておやっさんは俺のことを生きているか死んでいるか分からなかった、と言ったがそれは当然だ。 そしてその仮そめの人格を支えていたのが織斑千冬と言う存在であり、それを骨格に蒔岡の人達が肉となった。 入学時には少なくとも外見上、一般並みの人格となっていた俺は学園で大きな刺激を受けた。一つが一夏であり、もう一つがセシリアだった。俺はこの2人を人格の骨格に置き換えた。だから、以前ほど千冬さんに依存しなくなった。だから、セシリアと別れたと思い人格が揺らぎ、一夏になれないと知った時、この世に自分に絶望し死を望む様になった。 ならば今の俺は何だ。理屈ならばセシリアという骨格で構成されている、この理由が適当だが、俺はそれを否定する。なぜならば彼女と共にある事はできないからだ。他に理由がある。 俺が新たに得た事、俺が気づいていない事。しばらく思考の迷路を彷徨っていると、なだらかだった一つの気配が大きく波打ち始めた。視線を上げれば淡い金色の色が、身を起こし薄目を開けて俺を見ていた。だからおはようございます、と彼女に告げた。 二つ三つ瞬きすると、はっとした様に気配を弾けさせシーツを被った。どうやら顔を隠した様だ。「……見た?」 彼女は朝が弱いかもしれない。「見える訳がないでしょう。おはようございます、ディアナさん」 真っ暗な世界のなか浮かび上がる金の人はその色を、激しく波立たせていた。青赤紫、まるで万華鏡だ。どうやら動揺しているらしい。俺は落ち着いて下さいと彼女の脇を指さした。彼女はそれに気づくとコップを手に取った。「頂くわ」 気配とは裏腹に、紡いだ言葉だけは素っ気なかった。----- 朝食を済ませ、再びソファーに腰掛けた。何か手伝うと彼女に伝えたが邪魔だからとキッチンから追い出された。脳裏にこびり付くのは先程の疑問だ。今の俺は何か、もしくはどのような状態か。「哲学だなこれは」 答えを探すこと自体無意味なのかもしれない、だがしかしとソファーにも垂れかけ天井を仰ぐ。あてども無く彷徨っていた心が現実に引き戻された。 それは、バスルームから出てきた彼女の音色。目の前を通り過ぎるのは、湿り気を帯びた、弾む様な、流れる様な、気配。一つ鼓動が打鳴った。努めて冷静を保とうとしたが、上手くいかない。血が頭に上るのが自覚出来た。 化粧台に腰掛ける彼女はこう言った。「向こう向いてなさい」「見えませんけれど」「気分の問題よ、誰かさんは気になって仕方がないみたいだから」 俺は右頬を掻くと横になりソファーの隅に顔を埋めた。最初はドライヤーの激しい音と髪がなびく音。それが止むと瓶の蓋を開ける音が聞こえだした。部屋に何時もの匂いが流れ満たされる。今度は俺がこう聞いた。「ディアナさんは何故俺の面倒を?」 人格は記憶で構成される。この場合周囲の人間によるところが大きい。其処から至った質問だった。瓶の音は止むことは無かった。「千冬にはあるというのかしら?」「あの人は俺の第1発見者で責任感が強い、理由は成立します」「真はどう思うのかしら」 質問返しは問題ありです、質問に質問で返せば回答は永遠が得られなくなる第一歩です、と言おうとしたが止めた。「怒らないで聞いて下さい」「いやよ」「……なら良いです」「言いなさい」 いつの間にか、何故か尋問されているかの様だ。「千冬さんへの反動。2人はかってライバル同士でしたから」 そんなことだろうと思った、と言わんばかりに彼女は細い筒を取り出した。「今でもそうだわ」「競い合うという意味ではそうかも知れません」「貴方はロマンティストね。女同士って馴れ合うことはないのよ」 彼女は執念だとか嫉妬だとかと言いたいのだろう。だがそれは嘘だ。この1年以上見てきた今だから分かる。融通は効かないが芯の通った千冬さん、臨機応変だが脱線するディアナさん。「でしょうね、だから足りない部分を相手に求め、余力のある部分を相手に捧げた。対等の存在は世界に2人と居ない。だからこそディアナさんも千冬さんも、自分の事以上に相手のことが分かるんでしょう?」 彼女は初めて手を止めた。暫しの沈黙のあと深い溜息をつく。流れからそれは俺に向けられた物の筈だが、他の誰かも含まれている様でもあった。 ぽつりぽつりと語り出した彼女の回答は彼女の思い出だった。 昔、ある馬鹿な人が居た。その人は失ってしまったただ1人の為だけに生きた。 打たれ弱いくせに、ありもしない、そして失わずに済む絶対的な何か、真理、神を信じて自分の心と体をすり減らしていったわ。絶対的な物があれば、全てが解決出来る。満たされる、取り戻せる。そう傷つきゆく自分から、失い壊れる現実から目を背けたのよ。本当に馬鹿な人だった。 その人は結局どうしたんです。 途中で別れ離れになってしまったから。でもまたいつか会えると思っている。諦めはしない、その人女々しいから今でも泣いてる。「……その人にまた会えると良いですね」「そうね、引っぱたいて上げないといけないから。だから、だから真」「なんです」「貴方も神を信じる事なんて止めなさい。偶像に縋るなんて愚か者のすることだわ」「俺は神なんて信じていません」「嘘ね」「嘘じゃないです」 彼女は俺がその人と同じだと言いたいのだろう。俺は身を起こし彼女を見た。彼女も俺を向いていた。「信じてたわね、一夏という神に縋ったのよ。一夏であり、神であり、絶対的なもの。唯一ある物はあるのは真、貴方が知覚、観測しようとする自然な肉体的な力だけ」「自分が有って世界が有るですか? 神学論も哲学論もする気は無いですよ」「良いから聞きなさい。神を信じる人ってね、利他を尊び利己を蔑むの」「コミュニティを維持するには当然かと思いますが」「大違いよ。それは共同生活に必要なルールと言うだけであって、自己を否定するものではない。あくまで自分を認めた上でするべき事。自分を尊重出来てこそ他人を尊重出来る。逆に自分に余裕が無いならば、他人をどうこう考えるべきでは無いわ。“汝の敵を愛せよ”これなんて倒錯も良いところね。武器を向ける敵を抱きしめようとするなら、その前に殺されるわ。死んでしまったら、残された人はどうなるかしら」「フランスの人が無神論者なんて意外です」「私は神なんて信じないし、居たとしても嫌いだわ。仮に絶対者が居るならば、あの人をそんな目に遭わせた張本人だもの。許しはしない。だからいい加減貴方も気づきなさい」 余りのことで言葉が出なかった。彼女の言っていることは間違いではない。だがそれが俺にどのように関連するのか分からなかった。なにより神、つまり真理などない。ならどうしてどうやって人は救われるのか。「救いが無いと言うなら人の生とはなんですか?」「助けを求める、それは弱者の理論よ」「人間は強い人ばかりではありません」「問題をはき違えてる、弱いことと強くあろうとすることは別。もし上を向いて何かを掴もうとする事すらしないならば、人間は種として失格ね。考えてご覧なさい、助けを求める人間ばかりなら、この世はどうなるかしら? 強い人も自分を否定し他人を尊重し続ければ心も体もすり減り何もかも失うわ、あの人の様に」 見上げれば目の前にその人が居た。かがみ込み俺の顔を眼を覗き込んでいる。「だから、守ると言う意味を問い直しなさい、強くあろうとしなさい」「だから、強くなったんですか?」「違うわ、私は私を認めた上でその人を守る為に強くあろうとしている。私が知覚する、私が知る、私が抱きしめたその人を守る為に、今この瞬間も。私の場合力が余っているから、千冬もここのお嬢ちゃんたちも学園も守っている、そんなところかしら」 だからこの人は俺を守っていた。そしてこの人は真理では無く、全ての現実、苦難を受け入れた上で強くなろうとあれ、と言う。言葉どころか思念すら浮かばなかった。確かなのは目の前のこの女神とまで呼ばれた、見目麗しいこの人は信念の塊だった。いや逆だろう。だからそう呼ばれたのだ。「呆れた、まだ自分が分からない?」「……」「宜しい、最後に大ヒントをあげます。今日の午後に学習棟の屋上に行きなさい。授業中だから誰も居ないわ。それと」 何です、そう見上げた時には目の前に指があり、「向こう向いていなさいそう言ったわよ、やらしい人ね」 バスタオルで身体を隠すその人は、俺の額を指で一つ弾いた。だがその人は恐らく笑っていたのだろうと思う。----- あのあとディアナさんを送り出し、部屋の片付けをしたら既に昼を回っていた。右手のみは思いの外不便だったからだ。彼女の用意してくれた昼飯を食べジャケットに片腕を通し表に出た。 歩きながら、偽物の左腕を右手で動かし腕を組む。「むぅ」 自然と声が出た。 あの人は23歳には思えない程人格が確立している。ルックスは主観によるが10人中9人が美人と答えるだろう。その上料理が出来て綺麗好き、ISに乗れば鬼神の如くだ。他の女性陣から見ればインチキと思うに違いあるまい。能力だけ取り出せば千冬さんより上だ。女神とは良く言ったものだと思う。 それにディアナさんの言う“あの人”とは十中八九“そう言う人”だ。全くもって腹が立つ。何処で何をしているか知らないが、彼女を放っておくとは馬鹿に違いない。他の女性にうつつを抜かしていたら2,3発はお見舞いする事にしよう。 気がつけば学習棟に来ていた。かつこつと階段を上がる。午後の学習棟の教室からは大勢の人の気配がする。まだ2週間程度だが懐かしいそう感じた。退屈な授業も多かったが、もう受けることは叶わない、そう思うと哀愁の念も沸く。 その様に考えていたら階段を踏み損ね、組んでいた右腕は間に合わず額を手すりに打ち付けた。堪らずしゃがみ込み、右手を額に添える。ズキズキと響く痛み。自分の行動に疑問を感じ、なぜ疑問を感じた事自体ににも疑問を感じたが、とにかく痛いのは事実だった。 壁に手を添え階段を歩き、最後の階段を踏み損ねまた転んだ。顔面を床に打ち付け、鼻から血が漏れ出した。立ち上がりハンカチで鼻を押さえ、恐る恐る歩くと今度は扉に頭を打ち付けた。暫しの思案のあと、鼻を押さえながら右肘で扉を開けた。円筒のノブでは無い事にこれ程感謝した事はない。ハンカチがぐずつき始めたのは気のせいだ。 屋上はとても心地よかった。天が抜けた様な開放感、と射し込む太陽の熱。7月らしい初夏の空気だった。強めの風が髪をたなびかせる。少し歩けばその光景が目に浮かぶ。周囲にはフェンスと、端にはベンチがあり、もう少し歩けばかって皆と食事をしたテーブルが有るはずだ。そう歩むと何かに躓き転んだ。 湿り気の帯びた、ひんやりとした匂い、そこは土の匂いがした。花の香りもする。花壇の様だった。はてなと首を傾げる。いつの間に、と思ったがそのまま大の字に寝転んだ。ハンカチもどこかに行ってしまったので、右手で鼻を押さえながら天を仰いだ。 一重に安心する場所だった。 忘れかけていた、風の音に時折響く雲雀の音、海と空の色が見えないのが残念で堪らない。このまま寝てしまおうか、と自分に問い掛けた。「授業中失礼します。全生徒にお知らせです♪」 答えたのは屋外スピーカー、山田先生の声だった。「現在学習棟の屋上に蒼月真君が居ます。ご用の方はお急ぎ下さい」 これは小林先生の声だな……は? ちちちと鳴いていた鳥が慌てて飛び去ったのは、地響きが聞こえだしたからだ。 地響き? 唖然としていた俺を襲ったのは、扉が激しく開く音だった。起き上がる間もなく近寄る2つの気配。「この馬鹿まこと! 今の今まで何処ほっつき歩いていたのよ!?」「この馬鹿野郎わ! てめぇーの騒動を聞きつけた先輩からすっげー剣幕で説教されたんだぞ!」 3年の優子さんとダリルさんだった。襟首掴まれ引き起こされた。俺の姿を見て2人はぴたりと止まる。遅れてやってきた虚さんが言う。「血だらけね、どうしたの?」「転びました」 学習棟は一階が教師の準備室兼休憩室、二階には1年の教室が並び、三階が2年、四階が3年生だ。だから彼女たちが一番早い。転じて次に来るのは2年生。そう思っていたところ駆け寄る2つの気配。「みやを押しつけて顔見せ一つ無いとは言い度胸してるわね! この馬鹿!」「漸く見付けたッス! 手間掛けた罰に特定ランチ奢れッス! 利子込みでフルコース!」 薫子とフォルテだった。 勢いが止まった薫子が恐る恐る言う。「なんで眼を閉じてるのよ?」「視力落ちまして」 きょとんと瞬き一つのフォルテが言う。「……幾つ?」「ゼロ」 三つ目は一群だった。ドドドと屋上が揺れ、地震と勘違いする程だった。「「「この碌でなしがーーーーーーー!!」」」「帰ってきてるのに挨拶一つ無しとはなんで!?」「それって外道っぽい!」「相談一つ無しって言い度胸してるじゃん!」 聞き覚えのある声に、聞き慣れた声が混ざる。どうやら1年の混成チームの様だった。「真! 皆がどれだけ心ぱ……」 清香の声に思わず眼を開けた。沈黙が訪れる。「黒い! 眼が黒いよ!」「清香、ちょっと落ち着きなさい眼が黒いのは……クロッ!」「癒子! グロイと掛けた? 掛けたの!? ねぇ!?」 酷い言われ様だった。「この阿保がっ! どこで道草食ってやがった!」 次はバカが来た。「よぅ一夏、久しぶり」「何が久しぶりだこのドテラトンチキ! てめーには言いたい事と聞きたい事が山ほどあるから覚悟しやがれ!」 と詰め寄る一夏は俺の左腕を掴んだ。失念していたがコイツは馬鹿力だ。つまり、左腕がバキと嫌な音をさせて、取れた。再び訪れたのは沈黙。これは医療用の物で、生身そっくりだだが動かない。一夏は唖然としそれを掲げ、目の前のそれを見ると、叫んだ。「とれたっ! 腕が取れた!」 俺は答えた。「それ義手」 しかし皆は聞いていなかった。「きゃーきゃー! 取れたよ! お母さん! 左手が取れた!」「お母さんの左手が取れた!?」「うわっ! 何かはみ出てる!」 恐らくそれは固定用のベルトだろう。「ぷらぷらしている! ぷらぷら!」「いやーーー! いっやーーー!!!」 屋上を駆け巡るのは悲鳴と、逃げ惑う少女たち。一夏も混じってる様だった。興奮状態のところに予想外の事態を目の当たりにし、半ばパニック状態だ。もっとも鼻血でそまった義手だ、無理も無いかもしれない。「何か言う事は?」うんざりと優子さんが聞くので「すいません、事態収拾お願いします」と頼んだ。「レストラン“ディアーブロウ”のディナーな」してやったりとダリルさんが言うので渋々頷いた。解放され、俺はぺたりと座り込んだ。2人の先輩が怒号を上げながら、阿鼻叫喚の群衆に突撃していくのを見送る。「しかし、授業を放棄してまで来るなんて、あとで大目玉だぞこれ」と呟くと「みんなアンタを心配してるからに決まってるじゃない」言葉と共に左頬を拳骨で殴られた。 最後は鈴だった。 ぺたりと座り込み、俺を睨むのは同室だったツインテールの少女だった。久しぶりと言う前に今度は右頬を左手で引っぱたかれた。それは非常に弱々しく叩く音など聞こえないほどで、崩れ落ちる様にすがりつく様に鈴は俺の胸ぐらを掴んだ。その黒曜石の双眸はいつか見た様に黒く輝いていたが、赤く充血していた。「アンタ、今まで何処に行ってたのよ」「すまない、言えない」「アンタ、今まで何してたのよ」「すまない、言えないんだ」「なら、言える事を聞く」「なに?」「アタシ、真の事好き」「……鈴、俺は」「でも一夏の事も好き。次に真に会った時ボコボコに殴ろう、そう思ってた。真を見てると辛いから。顔を変わるほど殴れば、真と分からないぐらい殴れば辛くないって」 目の前の少女は大粒の涙をこぼしていた。顔赤く声を震わせ泣いていた。「でも、どうしてくれんのよ。目も無くして、左腕も無くして、これじゃボコボコに殴れないじゃない」「すまない」「一夏は全然気がつかないし、真はアタシを突き放すし、一夏に押しつけようとするし」「すまない、俺はここに居る。ゆっくり考えてくれ」 俺はここに居る、自然と口走ったその言葉を俺は改めて問い、二つの事を思い至った。それは枷と自己肯定。 一つは流転。万物は移ろい絶えず変わりゆく。東洋思想の一つ、かって鈴に贈った考え方だ。山、川、雲、海、そして人。例外はない。 だが人が個人ではなく群として営む場合、それはでは不都合が生じる。勝手気ままに気を変えて好き勝手に行動していたら、組織にならない。だから、人は決まりで人を縛った。枷を作った。 これは個人を縛る物だが、逆に個人を安定させる物でもある。枷は人の心を形作り、その場所に据え付ける。 ディアナさんは自分を認めろと言った。前の俺がしでかした事に罪悪感を感じていた俺は自分を否定した。在りもしない真理に縋り、皆を守ろうと勘違いし、俺は自分を壊しその結果この様だ。 だが全て失った訳ではない。眼と左腕を失っただけだ。口もきければ歩く事も出来る。みやが居れば、空を飛ぶ事も戦う事も出来る。 人生は苦難の連続だが、自分を観察する事が出来るのは自分だけだ、過去にとらわれるのは愚かな事だ。悲劇の主人公か、ディアナさんも上手い事を言う、俺は勝手にそう思い込んでいただけだった、余りにも耳が痛い。 学園の彼女らが知る俺が、学園の彼女らを知る俺が、俺を作っていた。漸く気づいた。 俺はここに居る、その言葉を俺はもう一度言った。側に立つ虚さんは喜びと呆れを織り交ぜて俺を見下ろしていた。「……ばか」 俺は、胸元で泣きじゃくる鈴の頭を抱きかかえながら、屋上の喧噪を懐かしんでいた。----- じきに先生が来たので皆が教室に戻った。我に返った一夏は、止めようとする少女数名を引き摺って詰め寄ってきたが、千冬さんに掌底を喰らい連れ戻された。千冬さんは1度振り返ると静かに笑った。俺は会釈で返す。放課後ハンガーに来る様に、そう言うと虚さんも立ち去った。 最後まで残っていたのは2人だ。1人は箒。俺は顔を上げ見上げた。箒は何時ものむっすりした顔で、俺を鋭く見下ろしていた。迷いが取れたらしい。「箒、静寐と本音は?」「最初に聞いたのは褒めてやる。だがもう手遅れだ」「どういう意味だよ」「あの2人が一番辛い時にお前は居なかった」「……そっか」「もうあの2人には会うな」「わかった、あの2人の事頼む。それ位は良いだろ?」「お前は最後までそうなのだな」 俺はそうらしいと答え、箒は言われるまでも無い、と立ち去った。たなびくポニーテールは颯爽としていた。結い布が白になっているのは何かの決意の表れだろう。箒の後ろ姿を見つめていたら、咳払い一つ。 もう1人はセシリアだ。ゆっくり立ち上がる俺に彼女はすまし顔でこう言った。少し意地が悪そうなのは俺の気のせいだろうか。「ご愁傷様、ですわね。私が言うのも意地が悪すぎかしら」「かもな、それより聞いたよ。静寐と戦ったんだって?」「ええ、もちろん勝ちましたわ。ただ、」「ただ?」「ただ、彼女は強くなりますわね」「セシリアが言うならそうなんだろうな」「真は、どうですの?」 俺は黙って、ジャケット開き左脇にぶら下がるそれを見せた。「3度目はありませんわよ」「2度と捨てないよ」 セシリアの笑顔は久しぶりだった。----- 第6アリーナ、第1ピット。甲板に囲まれたその部屋で黒い鎧が佇んでいた。彼の眼が向かう先は、明るく広がっていた。慌ただしく動くスタッフに囲まれ彼は黒い左腕をかちゃかちゃと何度も動かしていた。「不思議な感覚だな、無いのに有る」 独白する様な真に、タラップに腰掛け真の顔を覗き込み言うのは薫子だ。右手で身体を支え左手にはタブレット、二つ目は真っ直ぐに彼を捕えていた。「いい? 左手はフィジカル・フィードバックが無いから思っただけで動くよ、注意する事」「了解」「それと、みやは普通に飛べるだけの状態だから。無理しない」 流石の虚らも基本システムの構築やスラスターを始めとした航行用アビオニクスの調整だけで手一杯だった。スキン装甲は動作せず、追加冷却器も安定稼働せず出力も30%程度。能力は辛うじて改修前のみやに毛が生えた程度だ。 言葉尻を徐々にすぼめる薫子に真は言う。「たった2日でここまで仕上がれば文句は無いよ」と真は気遣う様に言い「追加部品が馴染むまでスラスターは5000rpm以上回さない事」と甲板に立ち、両肘に手の平を添える虚は見上げながら言う。彼は静かに頷くと皆を見渡しこう言った。「虚さん、薫子、それと第四グループの先輩かたがた、今までありがとうございます。そしてこれからも宜しくお願いします」 虚は静かに笑うと安全な距離を取るため踵を返した、薫子は頭を掻き照れを隠しながら、タラップを降りやはり距離を取った。 発進シークエンスに入り唸りを上げるスラスターの音。呆気に取られていたツナギ姿の少女たちが我に返り、互いに見合うと、大声を上げた。「壊しても良いけど怪我すんなよー」「壊しても良いけど必ず持ち帰れー」「壊しても良いけど……でも出来れば壊すなー」 真は左手で挨拶すると「ラファール・リヴィアヴ・ノワール発進!」 虚の号令で飛び去った。 静まりかえったピットで薫子が声を掛けたのは、物陰に隠れていた一人の少女だった。恐る恐る最初に現したのは淡い栗色の髪、小動物をあしらった髪飾りは既に無かったが、かってあった其処の髪いは今なお有る様に、柔らかく跳ね上がっていた。本音である。「本音、もう良いわよ。でも本当に良かったの?」「はい、黛先輩。良いんです。私はかんちゃんのメイドだから、真くんの整備士には成れないから」「考えすぎだと思うけど。布仏じゃない部外者故の考え方かな」 壁に取り付けられたディスプレイを2人が見上げる。映し出されるのは中央タワーを切り裂く様に飛ぶ黒のリヴァイヴであった。(対抗戦の時、アリーナに立つ血だらけの真くんは空を睨んでいた。神様を恨んでいるみたいな真くんを私は怖いと思った。それでおりむーに甘えちゃった。怖くて避けていたのに、なのに自分じゃ決断出来なくて、静寐ちゃんに頼って、箒ちゃんに押しつけて……悪い子だよね私) 本音は胸の前で静かに手を組み、何時までも黒いそれを見つめていた。(真くん。ごめんなさい)--------------------------------------------------------------------------------第二部完。 真の自問自答は当初最後まで引っ張る予定でしたが、周囲の女性陣がそれをさせてくれませんでした。予定と違うんです。びっくりです。 本音の出番はまだ有ります。Mでは有りませんが、普通の優しい娘に血なまぐさい真はきっついでしょうね。これも当初の予定から逸脱した事です。 さて、新たな自分を得た真ですが、依然記憶を失ったままと言う事に変わりありませんし、トラブルは引き続き起こります。ですが雰囲気は明るくなるかなー 今後は一夏と真の有り様の違い、ここに焦点を当ててゆく事になります。 それと、フィクションですので宜しくお願いします。2012/10/16