日常編 少女たちの誓い-------------------------------------------------------------------------------- 1組の谷本癒子は掲げた右手の平をどのようにして下ろそうか頭を悩ましていた。おはようと声を掛けたは良いものの、彼は腕を組み微動だにしなかった。瞳は下がり気味で時折溜息をつくのみである。 シャルロットと真がフランスに旅立ち5日過ぎた6月最後の月曜日。この日は真がみやの装着試験を行う日に当たる。 一夏は心中にわだかまる、彼自身理解出来ていない感情を持て余していた。M襲撃の際戻れなかった事、千冬と真の関係、シャルロットと真の突然の渡仏。他の全生徒と同じように彼もまた一連の経緯を聞かされていなかったのである。(結局、真には会えなかったし、シャルは言えないの一点張りだったし、千冬ねぇも鍛錬に励めで誤魔化すし……) 一夏は面白くねぇと机に突っ伏した。そんな一夏を見つめる1組の少女たちは教室の隅で囁き合っていた。「織斑君重傷だね、溜息ばっかり」「男の子2人居なくなっちゃったしねー」「でも変だよ。ディマ君は挨拶があったけれど蒼月が、」「突然消えてもう10日か。流石に不安になってきた」「変だと言えばセシリアもだね」 席に腰掛けテキストをめくる彼女の瞳は覇気なく虚に見える。「退学って噂、本当かも」と真剣な表情だが言葉の節々に軽さを交える岸原理子。「そう言う事言うんじゃないの」と理子の頬を摘み、引っ張るのは鏡ナギ。「織斑先生が何時も言ってるでしょ“言葉に出すと無意識に引っ張られるから止めろ”って」これは金江凜(かなりん)だ。「ごみゃん~」「みんなこれ見て!」と彼女らに慌てて駆け寄るのは癒子であった。手に持つタブレットを突き付けると、彼女らはその意味を理解するのに時間を要した。映し出されているのは学生名簿一覧である。「蒼月の名前が消えてる……」 ナギが慌てて口を押さえたのは一夏と視線が合ったからだ。彼は腰を浮かせ立ち上がり掛けた姿勢で止まっていた。俺はどうしたら良い、彼女には一夏がその様に見えた。----- 教室の窓から見える空は憎いほどの快晴である。1組副担任である山田麻耶は彼女の受け持つ生徒たちを前に1つ大きな息を吸った。日に日に高まる生徒からの静かなプレッシャー。今日も大丈夫だと自分に何度も言い聞かせた。 何時もの笑顔で「皆さんおはようございます。織斑先生は会議で遅れていますが、先にショートホームルー」言い終わる前に「真耶先生!」一夏に腰を折られた。「ひゃぃ! 何ですかっ! 織斑君!」「真が名簿から消えてるってどういうことですか!」「それは部外秘でっ!」「それはもう聞きました! もう10日です! いい加減白状して下さい!」 驚き怯え、電子ボードに張り付く真耶を、一夏は腕で逃げ場を塞ぐよう詰め寄った。鼻先には眼を釣り上げる一夏が迫る。真耶は半泣き状態である。「今日という今日は答えてくれるまで逃がさな―」「教師に敬意を払えこの馬鹿者」 鈍い音が響く。一夏は頭を抱えしゃがむと、即座に立ち上がり千冬に詰め寄った。「千冬ねぇ! いい加減教えてくれよ!」「織斑先生と呼べ馬鹿者が」 鈍い音と強く押しつけられた音。その後に何かの軋む音が教室に響いた。それは教卓に押しつけている弟の反抗の音、教卓に腕を立て起き上がろうとしている音であった。15になってようやく反抗期か、千冬はそう呆れと喜びを織り交ぜ心中で呟いた。見渡せば彼女の受け持つ1組の女生徒全員が固唾を呑んで見守っている。(早く気づけあの馬鹿者) フランスにいるもう一人の少年に愚痴をこぼすと千冬は1つ息を吸いこう言った。「そんなに聞きたい事があるなら答えてやろう、言ってみろ小娘共」 制止しようとした真耶に手を振り制止する。千冬の会議とはその結果を確認する会議であった。最初に手を挙げたのは2つお下げの少女。「蒼月君が学生名簿から消えているのは何故でしょうか」「学生では無くなったからだ」 千冬の回答に教室中がざわめくと別の少女が問い掛けた。「退学、という事ですか?」「学園を退くという意味では誤りだな。蒼月はある事情で学生では無くなったが、別の形で籍を置く事になった」 聞いてねぇ、事情ってあの事かよ、そう言いかけた弟に彼女は力を加え機密だと付け加えた。「彼との接点は具体的にどのようになりますか?」「無論生徒では無いので授業は受けない。寮も出る事になる」「もう会えないのでしょうか」「寮への立ち入りは許可される。その時にでも会えるだろう」「何時戻るのですか」「臨海学校後の予定だ」 もう良いな、と千冬の声を遮ったのは1つの挙手だった。「なんだ、オルコット」 セシリアはゆっくりと立ち上がる。左指を机に宛がい僅かに傾げた首、眼も細い。「生徒で無いならば学園、いえ日本に居る理由も無いかと思いますが、何故籍を変えてまで学園に居続けるのでしょうか」「蒼月は今後諸君をバックアップする立場となる。世界で2番目の男子適正者と言う事実は変わらない。従って学園を離れる事はあり得ない。質問の時間は終わりだ。織斑、席に戻れ」「学園? 言い間違えておりませんこと?」「終わりと言ったぞセシリア・オルコット。山田先生、授業を始めて下さい」 大きな音が響いたのはその時だった。扉を力一杯開けた様な大きな音が隣から響いた。1組の少女たちが見た光景は、廊下を涙を浮かべ走り去る静寐と彼女を追いかける鈴の姿だった。(静寐……) 箒は追いかけようと浮かせた腰を下ろした。それは箒が抱いている静寐への背信行為故であった。-----「何故止めなかった!」「アタシも知ったばかりって言ってるじゃない!」 月明かりの下、箒と鈴は第3アリーナに向かい駆けていた。日も暮れ、夕食の時間も終わり、何時まで経っても戻ってこないルームメイトの静寐を探しに行くか、そう逡巡していた箒は、慌ててやってきた鈴に連れ出された。2人が向かうアリーナには薄い明かりと2つの機動音が響く。それは彼女らが、この学園に身を置く者であれば忘れようにも忘れられない音だ。(いくら何でも早すぎる!) 箒の叫びは静寐に届く事は無かった。 フィールド上のエネルギーシールドで守られた退避エリア。その中で本音が不安を交え、見上げるのは対峙する2機の訓練機だった。打鉄とラファール・リヴァイヴである。アリーナの照明は落とされて、漂う空気は纏わり付く程に濃い。かって鈴と真が行った夜間戦闘訓練と状況は同じだが、端まで見渡せた。頭上から静かに射し込む朧の光、天には丸い月があおい光を放っていた。 高度50m。リヴァイヴを纏う静寐が問う。「少し驚いた。リヴァイヴで来ると思ったのに」 打鉄を纏うセシリアが答える。「フランス製は余り好きではありませんの」(高度50m、距離100m、相対速度ゼロ、敵機との方位角180度つまり、ガン(眼)の飛ばし合い真っ最中。無手で両の手を腰に据えている。ブルー・ティアーズならともかく殆ど搭乗経験の無い打鉄なら量子展開も不利の筈……欺瞞? この距離ならアサルトライフルかサブマシンガンだけれど) 静寐はセシリアの態度に不審を抱き、埒があかないと揺する事にした。右手に掲げるサブマシンガン“FN Pi90”を握り直す。「ハンデ追加のつもり? 重装甲の打鉄はセシリアに向いてないと思うけど」「必要だから選んだまでですわ。それよりもご自分の心配をなさったら? 低光度状況下での戦闘など荷が重いのではなくて?」「今更」「違いない、ですわね」「その言葉使わないで」静寐の瞳が光を帯びる。「私は気に入っておりますの」セシリアは僅かに笑みを浮かべた。 それが開戦を告げる喇叭の音だった。 静寐は左側下方向に急加速。重力を使い加速の足しにする。真下に降りなかったのは高度の損失を防ぐ為である。フィールド極では大地に阻まれ移動方向を1つ失う。 敵機の右側に回り込めば、右脇でストックを固定する銃の特性上、追尾するしか無い。砲台の様に回ればそれこそ的だ。どちらにせよロックオンされる前に位置を確保する。そう予想した静寐は、右肩を襲った20mmの衝撃に心中で悲鳴を上げた。姿勢が乱れ左方向へロール。フィールドが右に回転する。(RWRの警報が無い! なんで!?) 静寐がハイパーセンサーを介して知るセシリアは、移動もせずに狙撃銃を展開、照準を合わせていた。 IS戦において敵機の索敵・追尾・照準を司る装置は2つある。 一つは防御。RWR(Radar Warning Receiver)とはレーダー警戒装置の事である。敵機が自機を探索・追尾する為に発する電波を受信解析し、ロックオンされているかをパイロットに知らせる装置だ。 もう一つは攻撃。この索敵・追尾する装置を火器管制レーダーと言う。照射し敵機に反射され戻ってくる電波を解析し、敵機の位置と移動方向・高度を知る。この情報はFCSを介しISコアに送られ、自機の姿勢制御もしくは四肢を動かし照準の補正を行う。 戦闘機に長らく使用されてきたこの装置はハイパーセンサーとFCSを跨ぐ一機能として、火器を扱うISには必ず搭載され、必ず使用される。アリーナにおける真ら専用機持ちの平均相対速度は音速を超え、その距離は200m程。これ程の速度、これ程の近距離に於いて、人間の神経速度では間に合わない。 だがセシリアは当てた。天賦の才と積み重ねられた鍛錬。静寐の速度が260kmと言う比較的低速とは言え、新幹線と同速度帯で移動する的を狙えるのは、彼女の射撃能力を裏付けるものだろう。 静寐は姿勢を正し、手に持つ7.62mmサブマシンガン“FN Pi90”を握り直す。(これが才能? これが越えられない壁? ……そんなの認めない!) 加速、時速300km、右旋回。7Gが機体に掛り、安定しない機体を必死で押さえ引き金を引く。撃ち出された弾丸は、セシリアを掠める事無く通り過ぎた。----- セシリアが初撃を手動で狙撃を行ったのは奇襲の為、動揺を誘い状況を優位に運ぶ為だ。その目論見が上手くいかなかった事に僅かな失望と感動を覚えていた。 静寐との方位角と交差角を読み、次の狙撃を計画する。セミオート20mm狙撃銃“アキュラシー・インターナショナル社 AS50i”スコープ越しのリヴァイヴは背後を取ろうと高G旋回、ブレイク・ターンを続けていた。 純粋な機動力ならリヴァイヴが上回る。これが鈴や真であれば回り込む事も可能だったろう。だが遠心力と射撃の反動、機体の重心を中心とした機体制御に加え、機動計画とその実行、索敵・射撃。今の静寐には無理難題であった。事実撃ち出されるサブマシンガンの弾はどうにか牽制になる程度だ。(待ち構えて狩るなど無粋ですわね) だが例え誰であろうと、困難があろうとも引く訳には行かない。申し込まれた決闘ならば尚更だ。セシリアが尤も得てとし誇りを持つ狙撃で勝負を付ける。その為の打鉄だった。重装甲故に質量が重く、外乱に強い。機動力を除けば、訓練機の中で最も狙撃に向く機体だった。 打鉄、リヴァイヴを追尾開始。火器管制レーダー起動。セシリアの意識にリヴァイヴの機動情報が浮かび上がる。ブルー・ティアーズより雑で遅かったが、十分だった。 リヴァイヴは上昇・下降をランダムに繰り返しつつも被弾面積を最小にする為決して正面と背後を見せなかった。 未熟ながらもよく研究している、何よりこの状況に於いても冷静さを失っていない。セシリアがトリガーに指を掛けたのと、リヴァイヴが身を翻したのは同時だった。 自棄になったのか、それにしては静寐の気配に乱れは無い。セシリアは彼女自身の迷いに気を取られた。7.62mmの弾丸が襲い来る。一定範囲に弾をバラ巻く、サブマシンガンの特性上、瞬時に回避行動を取るが間に合わず被弾。 静寐は進行方向に背を向け発砲し続けていた。つまり背面の進行方向と正面の射撃方向を同時に見ていると言う事だ。人間の脳は一方向しか見えない構造となっている。ハイパーセンサーでは全方向を見られるが、正面以外はタイムラグが生じる。視野は狭いが実戦レベルにまで静寐はそれを昇華させていた。セシリアの予想を上回る彼女の武器である。(この短期間で見事ですわ!)(驚くのは早いから!) 少女の思いが交差する。----- セシリアは離脱のため左旋回。スラスターを最大に吹かす。リヴァイヴは大きく上昇し、相対速度を下げ打鉄を追い越させた。高位置を確保し打鉄を照準に捕える。 この機を逃さないと静寐は身体を左に捻り、高位置からの重力を併用した旋回・加速、反時計回りのバレルロール・アタック。サブマシンガンの引き金を引いた。 降り注ぐ弾丸の雨。セシリアは打鉄、装甲とエネルギー残量、サブマシンガンの集弾率、威力を計算し被弾を踏まえ地上30mをランダムな回避行動に移行する。 リヴァイヴの攻撃が止んだ。残弾ゼロ。弾倉交換の隙を狙い急激上昇、側面を静寐に向け狙撃銃を構え、迎撃体勢、カウンターを狙う。セシリアの予想に反しリヴァイヴは兵装の量子交換する事無くサブマシンガンを投棄、腰に取り付けていたグレネードランチャーを構えていた。(判断を早まりましたわね!) セシリアがそう判断したのは、グレネードの射出速度が遅く、射程距離が短い。基本的に牽制か敵の足を止めてからの止めにしか使わない。距離80m。セシリアは人差し指に力を加える。 だが撃ち出されたグレネードは榴弾では無かった。雷の様な激しい光と巨大な音。保護機能が働き搭乗者を保護するが、僅かに遅れセシリアの意識が遠のく。静寐が撃ち出したのはフラッシュバン(特殊閃光音響弾)だった。 リヴァイヴは最大加速、左腕のシールド・ピアースを掲げる。安定しない機動のなか杭を撃ち込み穿つ。炸薬音が第3アリーナに響いた。幾重にも張り巡らした静寐の計画の切り札は、セシリアの右肩を掠めただけだった。「あ……」静寐はどうしてと身体を弛緩させた。「SASで対テロ訓練を受けた事もありますの。鷹月静寐さん、貴女に敬意を」 セシリアは眼を閉じたまま、20mm狙撃銃を静寐の腹部に当てていた。複数の銃撃音と衝撃が身体に響く。力無く墜落する静寐が見た物は、敗北を告げるリヴァイヴの報告と、夜空に浮かぶ蒼い月、それを立ちふさがる様に佇んでいた金色の少女の姿だった。----- 人間は強い光と音を浴びると思考が麻痺する。フラッシュバンにより敵を一時的に麻痺させ、奇襲する。これは対テロ部隊のセオリーだ。これだけでは無い。スピード、奇襲性、打撃力。ISの稼働時間もスキルも射撃センスもセシリアに劣る静寐はこれら対テロ部隊の概念をIS戦闘に持ち込み、シャルロットの手ほどきを受けながら、独自の戦闘スタイルを模索していた。 静寐の敗因は代表候補ならばそう言う訓練を受けていてもおかしくは無い、という想定不足であるが、決定的であったのは勝利を目前に生じた焦りと未熟な操縦技術、余りにも経験が、時間が足りなかった。 静寐は本音に抱きかかえられ泣いていた。本音は泣かなかったが“その時の訪れ”を嘆く様に身体を振わせていた。セシリアは何も言わず立ち去った。 駆けつけていた鈴はしゃがみ込むと、労りの言葉を紡ぎ、気遣いの静かな笑みを浮かべた。涙に濡れる静寐の声は震えていた。「鈴、私ね。勝てると思ったんだ。あのセシリアに勝てると思った。でも最後の最後で自分に負けた」「静寐はよくやったわよ。入学して3ヶ月の静寐が代表候補に手を掛けかけたんだから。そうね、あと半年あれば最後の攻撃は成功してた」「半年なんて待てない、待てなかったの。真は生徒で無くなる、セシリアを追い越す事が出来なくなる、私は隣に立てなかった……」 箒は何も言えず只立ち尽くしていた。俯き食いしばっていた。ほんの数歩先に嘆き悲しむ友人が居る、何も出来ない。寄り添い抱きしめる事が出来ない。2人の悲しみを分かち合う事が出来ない、救う事が出来ない。彼女の心の奥底を蝕む裏切りと言う名の小さな楔が邪魔をする。(私は2人の友人などではなかった) 箒が踵を返したのと、本音が顔を上げその名前を呼んだのと同時だった。彼女の声は震えていた。「本音、済まない。私はここに居られない」「箒ちゃん、私たち箒ちゃんにお願いがあるの。とても意地悪なお願い」 本音は頷いた静寐をみると、その願いを言葉にした。黙って聞いていた鈴は眼を伏せ逃れる様に立ち去った。箒はたた立ち尽くしていた。「ごめんね、2人で決めたの。箒ちゃんにとっては辛いよね。でも箒ちゃんにしか頼めないんだよ」「私は出来なかったから、本音にはできないから。だから……お願い、箒」 本音と静寐の言葉が鐘の様に重く響く。アリーナに籠もっていた戦闘の熱が冷める頃、箒は静かに頷いた。 箒は髪を結ぶ緑の結い布を切り裂くと2人に渡し、静寐はヘアピンを2人に渡し、本音は髪飾りを2人に渡した。ここに誓約はなされ、3人は別の道を歩む事になった。日常編 帰国--------------------------------------------------------------------------------「拝啓お父さんお母さん。お元気でしょうか。真耶です。私はヤヴァイかも知れません。今から理由を書きます。本日、良い事と悪い事が起きました。良い事からお知らせしますね。 知ってると思いますが、蒼月君が明日帰国します。これで2人の怖い先輩の、不機嫌と言う名の八つ当たりから解放されます。悪い知らせです。蒼月君の帰国が急遽2週間も繰り上がりました。彼は襲撃を受け大怪我をしたそうです。お陰で織斑先生とリーブス先生に表情が有りません。職員室の扉が壊れました、織斑先生です。職員室の壁の至る所に傷跡が走っています、リーブス先生です。 同行したデュノアさん、じゃなかったディマ君を私たち2人が保護しなくてはなりません。もちろん先輩2人からです。きっとこれが私からの最後のメールとなるでしょう。私は出来の良い娘ではありませんでしたが、教師の端くれとして最低限の義務を果たします。命を賭けて生徒を守ります。 チッチ(サボテン)の世話をくれぐれも宜しくお願いします。それでは時間が来ました、これから成田まで2人を迎えに行きます。お元気で。(;_;)ノシ まや」「山田先生、下らない事をしていないで早く迎えに行って下さい」 背後に忍び寄る千冬の影。放たれる強大な殺意の気配が周囲の小物を弾き飛ばし、重量物を押しのけた。建物のどこから軋む音が聞こえる。そうそうあれです、潜水艦が深く潜りすぎるとこんな音をだしますね、真耶はメールを消去し泣きながら立ち上がった。「真耶、千代実、ISは持ったかしら」 端末越しに聞こえるのはディアナの声である。彼女は顔を伏せたまま2人に聞いた。真耶が頷き、千代実は胸元にぶら下がる待機状態のリヴァイヴに手を当てた。「しかし宜しいのですか? 幾ら訓練機とはいえ2機は大袈裟では? 学園教師が2人ISを携帯して外出すれば公安にマークされますし」 ディアナはそれはそれで好都合だとゆっくり顔を上げる。真耶と千代実が見た其処には静かに笑みを湛えるディアナが居た。だが眼は笑っておらず万物を切り裂かん程である。否、千代実の背後にある別教師の、机上のコップが二つに断たれズレ落ちた。切断面に射し込む夕方の光が天井に映っていた。 血の気を失った千代実は、何故でしょうかと声にならない声を発した。「襲撃を受けたら彼らを巻き添えにしなさい。囮、盾は多い方が良いわ」 日本政府はフランスでの襲撃情報を事前に掴んでいたが、先(Mの学園襲撃)の報復として通達を行わなかったのである。蒔岡宗治からその極秘情報がもたらされたのは今朝の事、千冬とディアナの怒りが頂点に達したのはその時であった。 千冬が言う。「山田先生、小林先生、妨害を受けた場合は手段、被害を問わず排除してください」 ディアナが言う。「千代実、真耶、折角千冬が冗談を言っているのだから笑いなさい」 かくして1年1組と2組の副担任は、人類最強の2人と日本政府と2人の生徒に囲まれる非常に繊細な任務を遂行する事となり、(真耶、終わったら一杯付き合って下さい)(了解です。秘蔵のワインを開けますよ) 2人は晴れ晴れとした笑顔で学園を後にした。----- IS学園ハンガー区画第7ハンガー内の一室で、ツナギ姿の女生徒が端末に向かっていた。後頭部で結い上げた淡い栗色の髪に縁なし眼鏡。背格好は箒と同程度、3年整備課主席にして整備課第4グループの長、布仏虚である。 彼女が向かうのは改修後のみやのデータだ。虚の情報処理能力は整備分野限定すればシャルロットを大幅に上回る。推進機、エネルギー伝達機構、情報処理機能、大量かつ高速に流れるデータを読み取り、情報の体系化、内容を把握する、その姿を見れば彼女の整備士としての能力を垣間見る事が出来るだろう。 区切りを付け、椅子にもたれ伸びをする。青から赤に変わった空を見上げる彼女の表情は優れない。デュノア社のジャン・ビンセントより改修を引き継いで以来この調子であった。(軍用システムがこれ程シビアとはね、調整に手間取りそうだわ) 訓練機は軍用機のスペックを落とした物だ、一言で言えばそうなる。性能と引き替えに、フレームや基本デバイスの負荷を低減でき、調整の容易性、耐久性、操作性や壊れ難さを得ることが出来る。訓練機が初心者向けである所以だ。虚と言えども、軍用機に携わるのは初めてとなる。彼女の不安の原因であった。(おじいさんか渡辺さんに相談してみようかしら) 急遽帰国することになった、よく知る目付きの悪い少年を思い浮かべると、更に不安がのし掛かる。怪我してなければ良いけれど、そう溜息をつく虚に薫子が言葉を掛けた。「虚先輩はフランス語出来るんですか?」「読むだけならどうにか、よ。資料がフランス語だから大変ね」「……資料来てから覚えたんですか?」 ジャンから資料が送られたのは昨日の事だ。これだから天才は嫌なのよ、とその事実に薫子はげんなりと肩を落とした。「それで何か用?」「あ、はい。先輩宛に荷物が届いてます。どうしましょうか」「誰から?」「先輩のおじいさんです」「そう、持ってきてくれる?」「重すぎて無理です、沢山有りますし」「中身は何?」「……IS用の兵装です」「……沢山?」 その頃、第4グループを含む整備課の少女たちは眼前に並べられた数々の兵装に盛り上がっていた。 一つ目は弓にグリップが付いた単純構造の武器。「これクロスボウだ」「IS戦じゃ意味なくない?」「熱源が無いから運用次第だと思われ」「矢と言うより殆ど杭だね、これ」 二つ目は板を丸めた様な形の盾。「このアームガードっぽいのなんだろ。先っちょにかぎ爪が付いてる」「内部に射出機構とワイヤードラムがあるね、ワイヤーアンカー?」「……使えるのこれ?」「うわ、このワイヤー空母で使う奴と同系素材だ」「アレスティング・ワイヤー? 戦闘機の着艦に使う奴?」「そうそれ」「ISの牽引にでも使うのかな」 三つ目は弾倉を除けば全長3m近くある回転式機関砲。「ねーこのガトリンク砲、口径30mmもあるよ」「30mm……?」「でかっ! なにこれ! ISに積めるの?」「GAU-8/A……この型式どこかで見た様な」「そ、それって、あ、あべ―」「阿部?」「Avengerデス」「「うそっ」」「マジかー」 最後は黒い物体だった。「……これなんだと思う?」「大キイデスネ。4mハ有リマス」「バズーカっぽい」「バレルの隅に“黒釘”って銘打ってる」「あのさー弾もあるんだけど、これ“APFSDS(Armor Piercing Fin Stabilized Discarding Sabot:装弾筒付翼安定徹甲弾:そうだんとうつきよくあんていてっこうだん)”って書いてある」「それって戦車砲弾かもー」「「「……」」」 目の前の惨状に呆然としながらも虚は電話を手に蒔岡時子と話していた。彼女は蒔岡宗治の長女であり、虚の叔母に当たる。「これは一体どういうことでしょうか」『いやそれがねーお父さん大激怒しちゃって、準備してた奴とは別に色々追加して送ったのよ』「大激怒?」『防衛省に居るお父さんの友人から電話があったのよ。私も詳細は知らないんだけど、真が怪我したらしくて。そしたらお父さん“ウチのもんによくもやりやがったな、この落とし前付けさせてやる”って社員総出で改修した、そういうワケ。虚は何か聞いてない?』(真が怪我?) タブレットを見ながら歩み寄る薫子が虚に言う。「先輩、みやのデータ見てたんですけどIS制御のフィジカル・パラメータから左腕と肉眼がカットされてます、何でしょうかこれ……どうしたんですか? 顔真っ青ですよ」 横須賀での騒ぎ、渡仏、急なみやの改修引き継ぎ、祖父の怒り、フィジカル・パラメータ、一連の要素から導き出した推論に虚は世界が眩む程の不安に襲われていた。-----「遅い」「落ち着きなさい千冬。前の“遅い”から5分経っていないわよ」 陽も落ちた午後8時。学園内教師用マンションのディアナの部屋で千冬は苛立ちを隠さずに待っていた。腕を組み指でリズムを刻む。唇は強く結ばれ、瞳は落ち着かず彷徨う。 コーヒー煎れるから飲みなさい、ディアナは苦笑しながら立ち上がると食器棚に手を伸ばした。カップを取り出し、ドリップ式のインスタントパックを乗せるとお湯を注ぎ始める。皿に置かれた小洒落た小さめのコーヒーカップだった。千冬はそれを見ると思い出した様に部屋を見渡した。 ベッド、ソファー、ローテーブルにシェルフ。部屋の大きさと家具の数を考えれば相応に狭いはずだが、圧迫感を感じさせない様に置かれていた。家具は歴史を感じさせる深みのあるダークブラウンの木製で、淡いクリーム色の壁、それらをパステルイエローの間接照明が部屋を淡く照らす。友人のその部屋は、清潔感溢れるが神経質すぎず、柔らかさと暖かさを兼ね備えていた。「そんなに劣等感を感じるなら部屋の掃除ぐらいしなさいよ。恋人どうこう以前に神経を疑うわ」 見透かす様なディアナの発言にそうでは無いとコーヒーを口にした。千冬はディアナに多少なりともコンプレックスを抱いていた。もてたいと強く願った事は無いが、世間一般の男性が2人を見比べた場合どちらを選ぶのか、こうして見せつけられると自信も揺らぎ不安も沸き起こる。沈黙が訪れ、カップに波打つ波紋をじっと見た。何時から私はこの様な弱音を吐く様になったのか、と溜息をついた。「やはり迎えに出る」 立ち上がりジャージの上着を手にした千冬に、ディアナは溜息をついた。「止めなさい。千代実と真耶から暗号通信あったでしょ? あの2人はああ見えて優秀だから大丈夫よ」 追跡と妨害を予想していた千代実と真耶は二手に分かれた。漸く復帰したアレテーの支援も受け、事前に配置しておいた車に3台乗り換え追っ手をまいた。その暗号通信が入ったのは今から2時間前だ。「予定ならもうじき学園管制空域に入る頃だわ」「しかしだな」「真が出発するとき無許可で成田まで行ったわよね? 次無断で空域外に出ると減俸よ」「金銭の問題では無い」「生徒に示しが付かないわね?」 いつもの2人のやりとりであった。身内が絡むと千冬は判断を誤る、その都度ディアナが止めるのであった。容易な問題を投げかけ回答という形で心の不安を吐かせ、落ち着かせたところで千冬の義務感に訴える。千冬はしばらくすると再び腰を落ち着けた。腕を組み静かに目を閉じた。(あの時ディアナがいれば一夏もあいつも助けることが出来たのかもしれない……私の人生は後悔ばかりだな) 表情を僅かにも動かさず自嘲する千冬にディアナは咎める様にこう言った。「馬鹿なこと考えてるわね、止めなさい」「お見通しか、ポーカーフェイスには自身があるのだがな」「貴女って本当に素直よね、純粋だって腹立たしいけれど当たってるわ」「……誰がそんな事を言った?」「秘密」 千冬は眼を細め睨み上げるが、ディアナは涼しい顔だ。常人なら腰を抜かさんばかりの威圧を受けて悠然とコーヒーを飲んでいる。「言え」「言わない」「何故だ」「悔しいからに決まってるでしょ。本当に千冬の何処が良いのかしら。家事はからきしだし粗暴だし」 千冬は底冷えする声でディアナと呼んだ。ディアナは眼を細め何かしらと笑い返した。部屋の呼び鈴が鳴ったのは勃発の直前である。2人はしばらく見合うと咳払いし、身繕いのあと玄関に向かう。千冬は白のTシャツに白ジャージ。ティアナは淡い紫のマキシワンピース。 扉を開くと2人は言葉を失った。其処に立つのは彼女らのよく知る、首に糸傷と左頬に裂き傷を持つ目付きの悪い少年だった。亜麻色のジャケットで黒のTシャツを纏いダメージデニムを穿いていた。送り出した時と同じ出で立ちだったが今は欠け落ちていた。顔から生気が欠け、瞳から光が欠け、左腕を欠いた、満身創痍の少年だった。 真耶に促されると彼は2人の姿を認めた様に黒い目をゆっくりと動かした。彼が踏み出した右足は宙を切り、そのまま気を失い崩れ落ちた。千冬はとっさに彼を受け止めた。血の臭いを漂わせる様になった少年を、落とさない様抱きしめ直すと彼の髪に唇を添えた。ディアナはその髪を何時までも撫で続けた。--------------------------------------------------------------------------------前回書き忘れましたが、シャルのリヴァイヴIIの兵装、ガルムなどは原作に沿い口径表記で行いました。2012/10/08