私はどちらかと言えば人混みを苦手としていた。その多さ故にその人物を注意するべきだどうかの判断が困難だからである。何故注意する必要があるのかと聞かれると回答に困るのだが、とにかくそうしてしまうのである。今でこそ大分落ち着いたのだが以前は町を歩く事すら難儀であった。物陰伝いで移動する、すぐ人の死角に移る、会社のおやっさんにお前は忍者か、と殴られたのはそれ程古い記憶では無い。 話が外れたが、私が言いたい事はつまりこうだ。廊下に溢れんばかりの、人、ひと、ヒト、ごった返していた。姦しいにも程が無かろうか。「なんだこれ」「皆おりむーを見に来ているんだよー」 意図せず口から漏れた感想に布仏さんが説明してくれた。彼女らは皆一様に1組の中を覗いている。面白そうだからと付いてきた布仏さんも少々あきれ顔だ。鷹月さんは興味が無いからと来なかった。因みにおりむーというのは織斑の事らしい。「上級生も混じってるな。猫も杓子も織斑か。妬けるねぇ」 見れば2組の生徒も見かける。妙にクラスが閑散としていたのはこういう理由であったか。織斑一夏の人気具合が分かろうと言うものだ。かくいう私はどうかと言うと、あ、と近寄るが織斑でない事が知れるとそのまま立ち去られてしまう。 まだ見ぬ織斑に妙な対抗心を燃やした私は、丁度通りかかった眼鏡の娘におはようと声を掛けると足早に逃げられた。「真くん、女の子を怖がらせちゃ駄目だと思うよ」今の私の心境をどのようにしたらこの温和な少女に伝えられるだろうか。 私は人混みを押しのけ何とか1組に入ろうと悪戦苦闘していた。彼女たちはクラスの中に注目している為なかなか気づいて貰えないのだ。一度無理に押し通ろうとしたのだが、彼女らの感触があまりにも困惑的であった為諦めた。変質者扱いされると厄介な訳で、決してその時の布仏さんに気圧されて断念した訳では無い。とは言えここでじっとしている訳にも行かず、「ねぇねぇ彼が噂の男子だって~」「ごめん道開けてくれ」「なんでも千冬お姉様の弟らしいわよ」「道開けてくれないと、」「やっぱり彼も強いのかな?」「触っちゃうぜ」 瞬間人垣がざっと2つに割れ道が出来た。狙い通りである。だが布仏さん、その賛辞は辛いから遠慮してくれるとありがたい。 とにかく織斑を確認しようと、丁度鉢合わせた背の高い少女に取り次ぎを頼んだ。すると、どう言う訳かその少女はえらい剣幕で私を睨んでくるのである。はて何か彼女の気に障る事をしたのだろうか。彼女とは少なくとも初対面の筈である。今のやりとりにおかしいところも見当たらない。「箒、どうしたんだ?」 少女の態度について思案していた時、その声は発せられた。それは少女の後ろからであり、そしてそれは男の声だった。そいつはそこに居た。そいつは私と同じ黒髪、黒眼、背格好も私と同じぐらいか。ネットで見た画像の通り、間違いない。そいつはあの織斑一夏だった。 向こうも私に気づいた様で連れの少女を脇に促し鼻先に歩いてくる。なるほど随分と良い面構えをしている。女子が騒ぐのも分かろうと言うものだ。私も織斑を背筋を正し見定めた。「織斑一夏で間違いないな?」「蒼月真だな?」互いが回答を待たずに続ける。もとより期待などしていない。「ようやくご対面だな。随分と探した、織斑」「それはこっちの台詞だぜ蒼月」 織斑の顔を目を見る。織斑もまた私を見返していた。私たちの放つ一触即発の雰囲気に、あれほど騒がしかった周りが静まりかえっている。空調の動作音が聞こえる。私が踏み出すと同時に織斑も踏み出した。誰かが固唾を飲み込んだ。そして私たちは―「「幽霊じゃ無い!」」 互いに両手で肩をつかみつつ、その存在を噛みしめる。声か音かよく解らないが教室に大きな音が鳴ったと思えば、見渡す女子達がその姿勢を崩していた。何があったのか。だが今はそれどころで無い。「いやー、やっと会えたな蒼月。本当は居ないんじゃ無いかと不安だったんだぜ」「俺もだよ。入学式から探しても見つからなかったからな」 男だ。男である。自分以外のもう一人の男。自分でも意外な程、興奮しているのが分かる。誰に何度聞いても要領を得なかったもう一人の、織斑一夏がこうして目の前に居るのである。誰が責められようか。「しかし良かった。本当に良かった。1人じゃ無いんだな俺」眼に涙を浮かべた織斑の肩に手を掛け「わかる、わかる。そうだよな。最初はどうなる事かと思ったよな」私も今朝を思い出し涙ぐんだ。「蒼月真。2組。よろしく頼む」「織斑一夏。ご覧の通り1組だ。堅苦しいのは苦手でさ、一夏でいい」「なら俺も真で頼む」 改めてしっかり握手を交わす。これがこいつ、一夏との出会いだった。後になって思えば随分と締まらない出会いだったと思う。 周囲の冷たい視線に気づいたのか一夏が多少顔を赤くしながら聞いてきた。「ところでさ真、入学式どこに居たんだよ。俺も探したんだぜ」「あぁ最後尾の一番左でな。とても寒かったよ」「何でそんなところなんだよ」「偉い人に聞いてくれ。そう言う一夏はどこだったんだ?」「最前列の一番右」「Vip席だな……」 入学式は体育館を一時的に式場にする歴史ある方法で行われた。大量の折りたたみ椅子を並べる方法である。その私の席は下座も良いところだった。監視カメラの数台が死角になる席であった上に、窓から建物が見えた。幸いにも人影は見えなかったが、学園が私をどう扱っているかよく分かろうものだ。 ふとあの人の顔が浮かんだ。そうだな、厳しいあの人がそういう事を良しとしないのは確信を持てる。例えそうで無かったとしても、あの人に助けられた命だ。役に立つならそれも良かろう。「何でそんなに離れてるんだよ。隣にすれば良いのに。そもそもクラスだってさ何で別にするんだか」「お前らがつるんで悪さしないようにだ、馬鹿者ども」出かかった私の答えを遮ったのは、あの人の声だった。絶対に忘れる事の無い、あの人の声だった。「千冬さん?」「織斑先生だ」 振り返りざま、痛みの生じた頭をさすりつつ彼女を見た。彼女は黒のスーツに黒のタイトスカートをまとい、仁王の如く立っていた。その美しくも恐ろしい姿は何者も抗いがたく、尊大にして傲慢。そして何よりも優しい。私の知る彼女がそこに居た。 状況が理解できないのか一夏が何度も彼女と私を交互に見やっている。「予鈴はなったぞ、クラスに戻れ蒼月」 右手の帳簿を振りつつ指示する彼女に、はいと答え1組を出た。一夏に後でと去り際伝える。布仏さんも廊下の女生徒もいつの間にか居なくなっていた。 そうか、あなたは1組の担任か。近くなく遠くなくですか。千冬さん。「大丈夫か」 曖昧な当時のことで私に向けられたこの声だけは今でも鮮明に覚えている。その声の主は織斑千冬。それが彼女と私の最初だ。 約1年前の今頃、私はIS学園で保護された。と言っても当初の記憶は曖昧で殆ど覚えておらず、明瞭となったのはだいぶん後になってからであった。だから最初の頃は大半が彼女からの聞きづてになる。 聞くところによると私はアリーナ近くの茂みに全裸で倒れていたらしい。体中血がこびり付いていたそうだが不思議と怪我は無く、頭髪、眉毛など体毛が薄毛でまるで、生まれたての赤子ようだったと彼女は言っていた。 私は自分に関する記憶を失っていたが、幸いにも理知と言葉は残っていた。ただ私の持つ世間常識が微妙にずれていたのは奇妙な事であった。記憶障害よるものらしいが実際のことは分からない。 当初学園は国の施設に預けようとした。私は身分を明かす物は無く、更には国民登録も無かったためである。仮に私が学園の立場であれば同じ様にするだろう。ところが彼女がが調査を強く申し出たため暫く学園に滞在することになった。 その調査の途中、偶然にもIS適正があることが判明したのである。学園内は大騒ぎとなった。それまでの常識、男には使えないと言う事実が覆されたのであるから、無理も無い事だとは思う。尚、これは男の適正者第1号は織斑一夏では無く私と言うことを意味する。念のため断っておきたいが、私は順位に執着していない。 当初学園側は世間への影響を考え秘匿とするつもりでいた。私も騒がれる事はよしとしなかった為、渡りに船とそれに応じた。ただその対価として自活する手配を求めた。学園もそれに応じ、私に日本国籍と自活を始められる当面の資金を用意、社会適応できるように訓練する事になった。 それから2ヶ月後、私は学園からそれ程遠くないところに居を構え地元の中小企業で働き始める。近くになったのは学園の顔が聞く企業が多いというのもあったが、彼女の希望でもあった。私は不思議に思ったが、他ならず恩人であるその人の意向を受け入れた。 その会社は町工場であったが技術力が高く学園からの部品・装置の受注や共同開発を行っていた。部分的ではあったが私もそれに携わり学園には幾度となく訪れた。私が入学間もないにも関わらずIS学園に通じているのはその為である。 互いに多忙の身であったが、彼女とはそれなりに連絡を取り合っていた。退屈だが平穏なこの生活がずっと続くのであろう、と疑いもしなかった。 年が明けて暫く仕事にも慣れ始めたかという頃である。織斑一夏が、男の適正者として世間に知られたのである。その世間の騒ぎようは凄まじく彼が静かな人生を送ることは想像難くなかった。その時には彼が彼女の弟である事は既に知っていた。流石の彼女も動揺を隠せないでいたようだった、電話越しでも彼女の動揺を感じ取れた。恩人を、彼女を支えられない自分が歯がゆかった。 そして私も世間に知られた。学園の情報セキリュティを全て洗い直ししたそうだが、何故情報が漏れたのか結局解明できていない。私の場合発見から公表まで間が合った事が事態を複雑な事にした。私の保証人となった彼女の負担は想像に難くない。彼女には何度も謝罪したが、気にするなとしか言わなかった。 告白しよう。私は公表された事に感謝している。彼女の側に居られるのだ。これでようやく彼女に報いる事が出来る。これが恋なのか恩義なのかは知らない。 だがそれで十分だろうと思う。-------------------------------------------------------------------------------キリが良い為、一夏、千冬登場シーンまで投稿しました。