日常編 襲撃--------------------------------------------------------------------------- その男は泣いていた。 彼の腕の中に抱かれるその女は、 金色の髪を赤く染め上げ、二度と目を開かなかった。 気づいていた。 何時だって立ち止まることは出来た。 何度も救いの手は差し伸べられた。 目を背け、払いのけた。 肉と魂に悔い込む罪の糸。 気づいたときには全て終わらせていた。 だから、 その男は光の中で自らの命を絶った。 刻み込まれる程に聞き慣れた、高回転するタービンのような甲高い機動音。閃光と爆発音と熱波、嵐に翻弄される木の葉のような車体にしがみつき、一夏は子供を必死に抱きながら、嘘だろと呟いた。 無理も無い。この日本で、横須賀米海軍の鼻先で、学園の正面でISが戦闘活動を行った。常識的な人間なら、ISを知る人間なら鼻で笑い一蹴する一文だ。「一夏! 眼をやられた! ハンドル頼む!」 真の叫びで我に返る。助手席から身を乗り出し、一夏が初めて掴んだハンドルは腕にずしりと響いた。彼が見たのは吹き荒れる風の中、眼をを激しく瞑り、苦悶の表情を浮かべる真の姿だった。「眼って、お前―」「良いから! お前は前だけを見ろ!」----- 蒼く輝く月を背に一人の少女が佇んでいた。四の角を持つ白銀の面甲でその表情を隠し、髪は黒く肩に掛る程度に長い。細く小さい肢体が従える鎧は深い青、幾つもの剣を突き出している様な、鋭利で直線的なシルエットをしていた。 その少女は仮面の下で眼を苛立たしく細める。「餌に食いつかない、我慢強いと思えば暢気にお出かけとはな……情報部の無能共め」 彼女に与えられた命令は男子適正者の拉致だった。“蒼月真”を優先とし可能であれば“織斑一夏”も対象とする。 段取りは次の通りである。視察後の夕刻、学園が要人警護の任務を日本政府に渡したあと、つまり学園管制空域を出た時を狙い仲間が強襲し誘拐、使い捨ての別同隊に人質を引き渡した。 管制空域外を選んだのは、手練れの彼女とは言え学園教師たちを相手にするのは荷が重い為であったが、プロファイリング(行動分析)から蒼月真は織斑一夏に触発され2人共々何らかのアクションを起こすだろうと予測していた。 肩すかしか、そう思っていたところにどこかの誰かがしでかした警察機構へのハッキング。まさかと思い、身を潜めていれば案の定であった。 彼女が見下ろす闇の底には、長く待ち続けていた弟の姿が見える。まるで地べたを這いつくばる銀の虫の様に見えた。 あの時の事など忘れ、幸せに過ごしてきたのだろう。希望と理想、煌々と輝く弟の瞳を見たとき、腹の底からあふれ出た復讐の炎が彼女を焼き尽くす。 命令など知ったことか、と彼女が掲げた牙は“星を砕く者”「姉さん、これからプレゼント届けるからね。ねぇ……姉さん♪」 蒼い月の光を浴びるその少女は笑っていた。----- 1発目は、虚を突いたように加速し避けられた。 2発目は、中型トラックの積荷を盾にやり過ごされた。 2度も避けられ、青い剣の様なIS“サイレント・ゼルフィス”は苛立ちを隠さず、月夜を切り裂いた。 地べたを這いつくばる“あんなウジ虫ごとき連中に”、「不愉快だ」 何故ほんの僅かであろうとも本気を出さなくてはならない。手にするスター・ブレイカー(星を砕く者)に三回目の火が灯る。“M(エム)”と呼ばれる少女が狙う其処には、彼女自身の月影が落ちていた。 2人の死線が交差する。 意識の線を読み、タイミングを計り、ハンドルを握る一夏に指示を出す。「真! 次はどっちだ?!」 一夏の必死の問い掛けに彼は言葉を失った。時速120km、学園管制区域まであと5km、裕に2分はかかる。上空に意識を走らせれば、所属不明機のパイロットは本気だ。次は無い。 真は意を決すると「一夏、運転替われ」シートベルトを外し後部ボンネットに移った。一夏は怪訝な顔をして慌てて移る。真はジャケットを脱ぎ銃をくるむと助手席の、白人の子供に手渡した。「お姫様、これ預かっててくれないか?」その子は銃を見つめると顔を上げて静かに頷いた。 意図に気づいた一夏は真の襟を掴んで叫ぶ。「真! てめぇ何する気だ!」「足止めする。一夏、お前は先に行け」「俺がやる! 怪我人は引っ込んでろ!」「目が見えない俺に運転は無理だ」「ならあン時みたいに2人で―」「その子はどうする?」「路肩に寄せて―」「別同隊が居たら元も子もない」「……おまえの悪癖だろ!? ふざけんじゃねぇ!」 俺は一夏の襟首を掴むと、見えない目で睨み上げた。多分俺の眼を見たのだろう、これがどうなっているか分からないが、一夏は魂を抜かれた様に、言葉を失った。だから俺は言う。「良いか一夏良く聞け。お前はハンドルを軽く握って、アクセルを踏むんだ。何が来ても誰がきても絶対止まるな。前だけを見ろ。いや時々その子を見るんだ。そして大丈夫だ、心配ない絶対助かる、助けると言え。お前の十八番だろ?」「……俺が出るって言ってンだろうが!」 存在感を増す一夏のガントレットを左手で掴む。意に反し沈黙した白式に一夏は眼を剥いた。「しばらくアクセルを踏みつけると衣笠インターチェンジが見える。そこを第2三浦縦貫道路に乗り換えてそのまま突っ切れ。武山を超えたらそこは学園の管制空域だ、白式を展開、その子を抱えて学園に戻る。そして千冬さんに事情を話してその子を預けろ。それまで俺が時間を稼ぐ! 分かったな! 分かったら返事をしろ! 分かって無くてもだ!」「絶対駄目だ! アイツとはヤバイ!」「一夏! 木偶と戦ったときガス欠寸前だったろ!? でも勝った! 俺の回避は折り紙付きだ! 世界一だ! だから大丈夫だ! だから……だから、一夏、あとでな」「……わかった……あとでな」 一夏は助手席の子を見つめると、漸く納得し手を離した。俺は黙って夜の高速道路に身を投げた。「戻るまでくたばるんじゃねーぞ! 勝ち逃げなんて許さねぇからな!」 振り返らず叫ぶ一夏に、多分俺は笑って応えた。 米軍は自身が攻撃されない限り動けない。日本政府が要請すれば話は別だが、それこそあり得ない。現在位置は大楠山付近、ここは学園管制空域外、これは学園が独自の判断でISを運用出来る空域の外だ。援軍は期待出来ず、自動車で死の天使から逃げ切れる訳が無い。「一夏お前はお前の守るべき物を守れ。俺は俺の守るべき物を守る」 だがIS戦闘など以ての外だった。----- 鼻先に高速で流れるアスファルトを感じ取る。足は空を向いていた。胸のペンダントが力を放つ。それはミリ秒、0.3~0.5秒の事だったろう。俺は最初にPICを展開しマニュアル操作で頭を振り起こした。次にハイパーセンサーを展開、世界に光が戻る。身体のあちらこちらで小さい光が灯り、みやが姿を現す。見上げる星の海の中を、撃ちだされた忌むべき光が走り始める。俺は銃を掲げた。白銀の車は、一夏の姿は既に小さくなっていた。 馬鹿だな一夏、ここに戻ってくるなら今白式を展開しても良いだろ。 お前は分かってない、ここでISを展開することの意味が。 馬鹿だな一夏。千冬さんは、お前のねぇさんは大人なんだぞ。 事情を知ってお前を寄越すと思うか? お前は分かってない。お前が誰の弟なのか。 白式がどこの国の機体か、どこの国から金が出ているか。 お前は分かってない。お前に何かあれば大勢の人間の人生が狂う。 学園とてその国とは無縁じゃ無いんだよ。 すまない。 だから俺はお前に嘘をついた。 俺は引き金を引く。 放たれた赤い軌跡が弧を描く。 光弾の鼻先に次々にあたり、その身を散らす。 徐々に細くなり、そして消えた。 その女は初めて俺を見た。 顔は隠れていたが、憎悪が見て取れた。 完全に姿を顕わしたみやが蒼い光と咆吼を挙げる。 仕方がない。 あいつは何も知らない。 仕方がない。 あいつはまだ15歳だ。 仕方がない。 あいつはまだ強くない 仕方がない。 仕方がない。 仕方がない。 仕方がない。 ……つかせたな。 こんな下らない嘘を、俺に、よりにもよってあいつにつかせたな。 肥だめに突っ込んだ気分だ。 とても、気分が悪い。-----「この授業料高く付いたぞ!」 夜空に響くその声は銃弾の様にエムの身体を貫いた。 彼女が見下ろし見るのは、真っ直ぐに駆け上がってくるカーキのラファール・リヴァイヴ。シールドは無く、カスタムしている様だった。月明かりを反射しているのか、蒼い光を全身に帯びていた。顔はよく見えない。 エムの脳裏に浮かぶは数秒前の光景だ。(自動車から飛び出したマヌケがいたが……恐らく間違いない。いや、馬鹿だったか) 先程の射撃も偶然に決まっている。真っ正面から向かってくるなど、愚か者以外何物でも無い。彼女は羽虫を払うかの様に、「鬱陶しい」 一発撃ち込んだ。 スター・ブレイカーから撃ち出された光弾が一瞬きの間もなく命中する。爆発音。エムは余所事に気を取られていた。弟を血祭りに上げその首を姉に届ける、これに気を取られ着弾様態の異常に気がつかなかった。 光弾が高密度防性力場“アイギス”に阻まれ、四方八方ちりぢりに飛び散る中、一発の重弾頭を撃ち込まれた。エネルギーシールドを貫通し、子機2つ大破、シールド・ビットに命中、内蔵爆薬が誘爆し至近距離での爆発に激しく揺さぶられる。遅れてやってきた雷鳴の様な発砲音が、山々、海岸線、高速道路、民家の頭上、月の空に響き渡る。 青と紫と赤と黄色が入り乱れる爆炎の中、エムが見た物は黒い影だった。 蒼く光るヘキサゴン・セルの集合防壁、その影で真が掲げるのは4挺の試作のみで終わったIS用アンチマテリアル・ライフル“チェイタックM200i”である。刻印されたナンバーは4。30mmx173 HVAP(高速徹甲弾:High Velocity Armor Piercing)を撃ち出す蒔岡宗治が手渡した彼の新しい牙だった。 みやがPIC(慣性制御)の許容オーバーを警告する。(反動で照準がブレた!?) 彼は舌打ちし、大きく乱れた姿勢を即時に正す。 このライフルは威力故に、取り回しが悪いロングバレル、連射もできないボルトアクション。一度でも試射をしておくんだった、そう悔やむ間もなく、スラスターを最大加速しその場を離脱する。同時に兵装を12.7mmアサルトライフル“FN SCAR-H”に量子交換すること0.8秒。彼のハイパーセンサーがサイレント・ゼルフィスを捕えたとき、4つの小さいブレードが飛び出した。「この雑魚がーー!」 激高したエムは4つの子機を高速展開し発砲、自身の手にあるスター・ブレイカーも光弾を撃ち出した。網の目の様に撃ち出された幾条もの光弾が月夜を切り裂く。 一発。真の頬を掠めた、その一発が彼の神経回路を撃ち回す。甲高い回転音に呼応する様にその躯を激しく振り回した。 右側転、回避。バレルロール、回避。パワーダイブ、回避。彼の目の前を4発の光弾が通り過ぎた。その隙を狙い発砲、12.7mm通常弾、赤い軌跡がエムを襲う。被弾、その時真が見た物は彼女の冷たい笑い顔だった。彼女の頭が冴えた。 真の回避能力の根源である意識の線は、光弾より必ず先に来る。手にするライフルだろうと、遠隔操作による子機だろうと、そこに殺意が込められる以上例外はない。 ならば敵より撃ち出される意識の線が曲がれば? 当然光弾も曲がる事になる。みやの弾道計算を無視、反射的に躯を捻った真は眼を剥いた。(偏光制御射撃!?) 弧を描くBT弾頭がエネルギーシールドを突破し左足装甲をえぐった。飛び散る装甲の向こう、彼が見たエムの姿は歓喜に溢れていた。「こう言う事か! あの女が目を付ける訳だ!」 子機4つと偏光制御射撃、高速機動中の同時攻撃。右舷、左上、真下、直線と曲線、多元同時攻撃に晒され真は防戦一方だった。左肩、右腕、みやの装甲とシールドエネルギーが削り取られはじめる。カーキが焼けただれ黒くなる。 彼は正面に迫るBT弾頭をアイギスで防いだ。反動で姿勢を乱す。「ははっ! 本当に良く躱す! だがどうした!? もう終わりか?!」 落下するみやを、子機4つとスター・ブレイカー、五つの射線が貫く。予想外に良い狩りだった、笑みを浮かべ引き金を引く直前、エムが見たものは、ただの黒い二つの丸。奈落の底の様に一切を否定した様な真の眼だった。 ぞわり、エムの首筋に、小さく、僅かに痛む、無数の何かが這いつくばった薄気味悪い感覚が走る。 彼女の目の前に小さい影が落ちた。それは彼が事前に投擲していたグレネードだった。リモートで爆破、エムは爆炎に捕らわれる。何かを振り下ろす様な甲高い機動音、エムの目の前に30mmの銃口があった。イグニッションブースト、真は徐々に回避速度を落とし、その速度に慣れさせこの機会を待っていた。 真は蒼い月を背にただ黒かった。 銃口が閃光を放ち、弾丸が額に撃ち込まれる。絶対防御発動、高運動エネルギーの塊と防性力場が反発、不協和音を掻き鳴らす。余剰衝撃がエムの躯を襲い、仰け反り意識が遠いた。PICが衝撃を打ち消しきれず落下。さらに振り下ろす様な弧を描く機動音、銃口を腹部に押し当て撃ち込まれた。分厚いゴムのハンマーを打ち込まれた様に体中がしびれた。眼と口と鼻から液体がほとばしった。サイレント・ゼルフィスの声が遠のく。 エムの薄く狭い世界、そこには絶叫を挙げ躯に絡まる糸を今にも引きちぎらんとする、黒い何かが居た。----- 高度130m、急激降下。装甲の破片が雪降る中を駆ける様に行き過ぎる。次弾装填、4発目。急激落下中の喉元に照準を付けた。 その光景は、みやが伝える世界には、大地に横たわる自動車の太い道、それに沿い立ち連なる沢山の照明が灯火を照らし下ろしていた。他にも港が見えたし、やはりそれにも光が煌々と灯っていた。人が行き交う下の細い道には車の光がゆっくり走っていて、家々にも明かりが灯っていた。人々が静かに生きていた。 そんな夜景を背に落ちていくその青いISはあと一撃でこの世から消え失せる。誰かが“引き金を引け”と囁いた。 引き金に込めた指の力、重なるイメージは、夕刻の屋上、こんじきの髪、碧い眼、涙の記憶。 あ、と心が動いた。 後ろから光弾に襲われた。次は上から、今度は左、右、下、前、後ろ。直線と円弧の光弾に次々に翻弄された。天の光と人の光、星々の世界が落ち着かなく回る。急激な落下感、と何か強固な物にぶち当たった衝撃に襲われ、擦りつけられる様に、転がりのたうち回った。 僅かな静けさの後、埋まった躯を大地から引き起こし、空を仰ぐと目の前に銃口があった。みやがロックオンとエネルギー残量の警告をけたたましく鳴らしていた。見上げると月を背に青いISが佇んでいた。 躯を熱していた少女の銃口から火が消え失せた。「撃たないのか?」 私が絞り出した言葉は掠れていた。「その枷外してあげる。苦しいでしょ?」 朗らかな声だった。 場違いだった、顔は面甲で覆われていたが、この少女は笑っていた。その端正であろう顔を自らの血で汚し、屈託無く可憐に笑っていた。昔見た映画、幾多の人間が腑別けられ血の雨が降り注ぐ中、笑顔でステップを踏んでいた小さい少女の様に何かのズレを感じさせた。「あ~ぁ残念、君を連れて行きたいけど君を抱えながら米軍機を振り切るのは出来ないから、今日は諦めるしか無いよね♪」 みやが力を失い消える。私が最後に見た光景は「またね、死の匂いがする人」明るく、一時の別れの言葉を口にして、月夜に星となって消えた少女だった。 暗闇のなか痛む躯に鞭を打ち、漸く立ち上がったころ聞こえた機動音は2つ。1つは追跡しているであろう空。もう一つは目の前だった。モーターの様な低い機動音を鳴らしてその女が言う。「さて、ご同行頂きましょうか? 2番目君」「エスコート頼んでいいか? 目が見えないんだ」 その軍人は無言で私を地面に叩き付せると、胸のみやを引きちぎった。日常編 己の道-------------------------------------------------------------------------------- IS学園本棟の地下2階、その一画に1本の薄暗い、幅3m程の通路が走る。そこには互いに向かい合う様、扉が5対、計10部屋あった。檻を出たと思えばまた檻か、白いスウェット姿の彼はそう独りごちると、腕を頭で組み、身を横たえた。その部屋は学園の独居房である。 4畳の部屋で一面ベージュ、窓は無くユニットバスとパイプベッドが備え付けられていた。ベッドは簡素だが意外と寝心地が良い。パイプは黒で塗られ、クッションは発泡素材。毛布も枕もシーツも白。ベッド下に設けられた引き出しには、機能を限定されたタブレットが置かれ読書ができる。もちろん今の彼に意味を持たない物だった。 彼は眼に巻かれた白い包帯に手を伸ばしズレを正した。(米軍の独房に比べるとホテルだな。臭くないし、空調は効いてるし、煩い連中は居ないし) 筆記用具の類いは自殺防止のため置かれていない。実際に自傷、自殺を図った生徒が居たかどうか、彼には知らされていないし、知りたいとも思わなかった。 拘束されていた横須賀米海軍を解放されたのは翌日の昼前のことである。尋問が合ったとは言え一晩で解放、ISまで即時返却された事を怪訝に思いながら、ゲートを出ればそこに真耶が居た。何時もの山吹色のワンピースだったが、もし彼が見ることが出来たならば“こんな険しい表情するんだな”そう思っただろう。 真耶は黙ってみやを受け取ると、痛いほどに真の手を握りそのまま自動車の後部座席に座らせた。学園に戻る道のり、彼女は何も言わなかった。彼も何も聞こうとしなかった。ただ彼は予想外に普通の、日常的な町の音だけを聞いていた。しばらく走り、人目を忍ぶ様に学園の裏手に付くとそのまま出迎えも無く投獄された。 外側から掛ける錠前の音がする直前、「織斑君とあの女の子は無事です」 そう言った真耶に彼は小さく感謝の言葉を伝えた。----- 宇宙に、と言うよりは世界で。開かない扉の向こうは何も無い全てが止まった虚数の世界、そう錯覚してしまいそうなほど静かだった。 気がついたらベッドの上に片膝を立てて座っていた。時計があるそうだが勿論見えることは無い。己の肉体を信じるならば2,3時間経過と言ったところであろう。 喉の渇きに、壁、ベッド、床を手探り足探りで歩いていた時だった。遠くから何かが開く音と、足音が聞こえだした。歩調から小柄な人物、そして1人だと分かった。足音が扉の前に届くと、それに設けられたトレー付きの小さい窓が開き、何かを部屋の中に押し込まれた。 見知った香の匂いが部屋に漂い満たす。「デュノアか?」「……元気?」 間の抜けた事を聞いたと思ったのだろう、僅かな戸惑いのあと私が苦笑すると彼女もつられて笑った様だった。「良く面会許可が下りたな」「食事持ってきたんだ。口に合うと良いけれど」「助かる、昨日の夜から何も食べてない」 乾いた堅いざらっとした物、湿った薄い物が2枚、べたつく固形物、なんだこれはと鼻を近づけると彼女がフランスサンドだと教えてくれた。触っていた物はフランスパンとレタスとハム、チーズだった。彼女は「ゼリー飲料の様な物にしようかとも思ったんだけど、こっちの方が良いと思って」と付け加えた。確かに鼻と手、舌触りを刺激する。手当たり次第、闇雲に掴もうとしていた感覚が落ち着き始めた。 噛みちぎり、咀嚼し飲み込んだ。ペットボトルを掴み、栓を開ける。水を飲み干すと漸く身体が落ち着いた様だった。だから一夏の事を聞いた。「自室で謹慎だよ」「そうか」「織斑先生に相当怒られたみたい。けれど、それ以上に戻れなかったって落ち込んでる」「一夏は一本気質だからな」 私は笑ったが彼女は笑わなかった。そうだろう私たちは、私は彼女の願いを無残にも打ち砕いたのだ。デュノアにデータを渡す、状況は絶望的だ。「デュノア済まない、俺は―」「ううん、良いよ。見捨てていたら逆に絶交してた。真は……助けた人、知ってたの?」「米軍でぶち込まれてたとき考えた。多分イギリスのお偉いさんだろ?」「そう、ハリエット王女殿下」「未来の女王様か、納得だ」 気づいたのはあの子は銃を見ていたのでは無く、銃のグリップに刻まれた家紋を見つめていたからだった。 デュノアの話によると、国際IS委員会の長はイギリスの要人が務めている。先の対抗戦の一件で、視察が行われることになり、その一行にあの子が加わった。その理由は仲の良い友人に会う為。その友人とはあの青のお嬢様のことだろう。 彼女は王室に縁のある貴族、王女殿下と交友があったとしても不思議では無い。 金髪の、碧い瞳の、そこまで考えた時、眼の奥が痛み出した。赤褐色に光る鉄の棒を目玉の奥に突き立てられた様な耐えがたい痛みだった。「真、オルコットさんの事だけど……」「デュノアももう帰れ。食事ありがとう」 私は呻く様にうずくまると部屋はまた静かになった。----- シャルルが立ち去ったその2時間後、月曜の午後7時、学園本棟の一室で緊急の会議が開かれていた。 そこは50畳ほどの会議室で、白い部屋だった。床はグレーの絨毯、天井には空調の通気口と白い照明、大きいオフィスルームが簡単な説明だろう。窓はあったが機密漏洩防止のため物理シールドが下ろされていた。 その部屋には机と椅子が円弧状に並び、13名の教員が座っていた。中央に教頭が座し、全学年の担任12名が連ねる。向かって左から1年1組、2組と続き、最後は3年4組だ。半数が日本人で残りは欧米人、これは国力や政治に寄るところが大きい。 全員女性で、彼女らが鋭い視線を浴びせているのは言うまでも無く真だった。彼は何時もの白を基調とした学生服に身を包み、後ろ組手で軽く足を広げ立っている。眼には白い包帯が巻かれていた。 中年の日本人女性が最初に口を開いた。耳が隠れる程度に短く、緩いカーリーウェーブで、やせ気味だったが血色はよく、グレーのスーツ越しにもその強い存在感を感じることが出来た。このIS学園の教頭である。両肘を机に付き、組み合った両の手を机に置いていた。「生徒の査問会は初めてだ。気分は?」「悪くありません、漸く一番が取れました」「君は織斑一夏に確執を抱いている様だな」「失礼しました、冗談かと」真が抑揚無く答えると、3年の教師が「……君は事の重大性を理解していないらしい」苛立たしげに言う。査問会に立たされる気分なんて愚問過ぎるだろ、この査問に不信感を抱く彼は内心毒気付いた。「TV、新聞、ネット、ニュースを見た?」「学園に戻ってから引き籠もりでしたので、ニュースは見聞きしていません」「独居房の居心地は?」「ニート生活も悪く無さそうです」 教師たちとのやりとりの中、教頭は眼を細めて言う。「君は入学当初にも国家代表候補とトラブルを起こしている。覚えているか?」 真は答える。「はい、良く」「学園外への銃器持ちだし、発砲および射殺。権限の無い違法追跡、管制空域外でのIS展開、戦闘行為。その戦闘行為により道路、地面に穴が空いた。開いた口がふさがらないとはこの事だな。山間部だったのが幸いし民間への被害は、荷台が大破したトラック一台と蹴飛ばされた1台。ISの活動ログを見る限り配慮はした様だが、人的被害が無ければ良いと思っているのか」「射殺はしておりません。手は撃ちましたが」 情報の行き違いだ、手に持つ書類に目を落とし3年の担任が言った。「犯罪行為を行った相手とはいえ、発砲し重傷を負わせた。この事に関しどのように感じる?」ディアナだった。「ただその様な結果だと思うのみです」「不法侵入の外国人なら死んでも構わない、か。君は人格に問題有りだな」「もっと簡単な理由ですよ、教頭先生」「興味深いな。聞かせて貰おうか」「互いが互いの意思で銃を持ち、それを向けた。可哀想な人生の人だろうと、精神異常の犯罪者だろうと、何だろうと、これ以上明瞭な理由はありません」「質問に答えなさい、どのように感じた?」ディアナが再び問う。「もちろん躊躇はありました。彼らにも家族は居るでしょう、仲間か友も居るでしょう」「けれど撃った?」「はい」 何故か、と誰かが聞いた。「守るべき物は、守れる物は、俺は幾つも持てませんから。彼らより彼を取った、ただそれだけです」「極めて個人的な理由だな。学園という組織のことは考えなかったのか?」 緊張を含んだ千冬の問いに、真は微かに苛立ちを込める。「勿論考えました、俺にとって学園は家ですから。でも、であるからこそ、です。織斑一夏君がこの学園にとってどういう存在か、それを考えれば当然です。どちらか片方だけはあり得ない」 “訓練機保守担当”の2年担任は焦りを含ませた声で言う。「けんか腰は止めなさい、私たちは君を助けたい」(やはりそう言う事か、これは茶番だ) 真の苛立ちに教頭は背筋を正し冷たい眼を向けた。僅かな間の後口を開く。「IS操縦の成績、要人の奪還、揺れ動く車上での精密射撃、腕と功績は認めよう。だが君の犯した行動は見逃せるほど軽いものではない、君は学園の存在を揺るがしかねない。異議を唱えるか?」「いえ、認めます」「良かろう、本日を以て学籍を剥奪、退学処分とする。最後に言いたいことがあるか?」「1つ宜しいでしょうか」「なにか」「俺達を襲ったあのパイロットは織斑一夏君に私怨を抱いていました。彼はそこにおられるブリュンヒルデの弟御で、今や学園で“唯一”の男子適正者です。くれぐれも警護の程宜しくお願いします」 緊張が走るその部屋で、彼は下らないと言わんばかりに言い捨てた。----- 午後9時、陽も完全に落ちていた。茶番と言う名の査問会が終わり、私は苛立ちを感じながら廊下を歩いていた。何事も無い様に歩けるのはみやが居るからである。ハイパーセンサーのみの部分展開、学園側から取り付けた権限だった。 昨日今日で情報すら満足に収集されていない中行われる査問会などこんな物だろう。出来レースにも程がある。 長い金の髪をなびかせて、右隣を歩くディアナさんが言う。「何時から気づいてたのかしら」「目を閉じてからですよ。考える時間は沢山合った。学園は始めからデュノアのことを知っていた。でないと、学園中のリヴァイヴが保守で不都合が生じる。けれど、学園が一企業に肩入れする事は建前でも避けたかった。学園のシナリオはこうです。俺がデータを渡すと予想した上で、許してやる代わりに、デュノアの件も一夏の警護も諸々言うことを聞け、俺の、涙の謝罪をもって切り出すつもりだったのでしょう? そうはいきませんよ」 襟元で結った黒い髪を揺らし、左隣の千冬さんが言う。「権力でも握るつもりか」「必要とあらば。戦闘中に襲撃された自動車を見ました。学園管制空域を出た直後を狙われたのでしょう? 色々縛られてる上層部の指示下に入れば、次守れるか分からない。自由行動は必須です」「改善活動なら言われなくてもやっている」「それは継続してお願いします、でもその結果を待っていられない」「それは文字通り真が矢面に立つと言う意味よ?」理解しているのか、ディアナさんはそう言いたいのだろう。「一夏を守る事が学園を守る事に繋がる。一夏を狙う奴が居ると分かった以上、好都合です」「蒼月、お前は―」 私にとって最初の黒髪の女性の言葉を遮り、立ち止まって私は言う。彼女の言わんとすることは何となく分かった、だからこそ言って欲しくなかった。その言葉を聞けばまた私は止まってしまう。「あの質問なんですか? 誰かに言われると思いましたが、よりによって千冬さんとは思いませんでしたよ」「……私は姉である前に学園の警備を担う者だ」「千冬さんらしいです。でも日頃そういう風に考えてると、いざという時そうしたくてもできなくなる。千冬さんが一夏の家族という事実は変わりません、誰も咎められません。次からは迷わず彼の身だけを案じて下さい」 気配を感じる間もなく頭部が激しく揺さぶられた。よろけると背中を2つの手で支えられた。焼けただれんばかりの熱い、頬の痛みだった。 見えない眼を向ければ、険しい表情で頬を赤く、右手の平を打ち抜いたその人がそこに居た。「ならば、勝手にしろ!」 立ち去る彼女の後ろ姿に小さく詫びる。「首、繋がってますか?」「とうとう千冬まで怒らしたわね。あの娘が平手で引っぱたいたの初めてじゃないかしら」 問うて左の耳元に聞こえたのは、凜としていたが優しい声だった。「ディアナさんも、です。俺に付くと碌な事にならない。教頭先生にも睨まれました」「もう慣れたわ」「慣れるほど長い付き合いでは無いかと」「慣れてるもの」「……なら、慣れついでに1つ。デュノアの件、急いで下さい」「そうくると思った」 何故か彼女は笑っていた。----- 重厚さを感じさせる大きい部屋に一人の男性が居た。堀が深い顔立ち、白とグレーが混じる髪で、白い肌と碧い眼、半袖シャツに折り目の付いたパンツ、砂色のワーキングカーキの軍服に身を包み、木製のブラウンのデスクに腰掛け、端末に映る映像を鋭く見つめていた。 彼の後ろにある窓からは朝日が入り込み、その光が2つの旗、星条旗と米海軍旗を浮き上がらせる。彼はアメリカ海軍第7艦隊司令ジョージ・ハミルトン中将、ティナの父親であった。 軽い2つのノックが響く。彼は入室を促すと開いた扉から金髪の、同じ服装の女性が歩み入る。スラリとした細い体つきに見えたが、強靭さを感じさせる雰囲気だった。 右肘から指先までを真っ直ぐ伸ばし敬礼。「ご挨拶に参りました、司令。任務終了これから本国に戻ります」「昨夜はご苦労だった、どうだったかね? 久しぶりのアラクネは」「良い機体ですが流石に鈍いです、物足りません」 ウチの連中も良い刺激になっただろうと、彼は苦笑した。スピーカーから聞こえる銃声音に、彼女はちらと興味を示した。「昨夜の戦闘記録だ、君はどう思う? 昨夜直接会った君の意見を聞きたいファイルス大尉」「相当の手練れですね、対抗戦時のデータと比べても桁が違います。お嬢様が勝てなかったのも無理は無いかと……しかし宜しかったのですか? 即日解放など本国が何か言ってくるのでは?」「駐留先との関係維持も仕事の内だ。しかも彼の後ろにはあのご婦人2人と、ゴッドハンドが居る。強引に進めて彼らの態度を硬化させるのも上手くない。だがなに構わんさ、種は蒔いておいた」 彼が思い出すのは、ティナの父親だと告げた時の真の表情である。苦笑し身体を振わす、叔父のその姿に彼女は引き締めていた表情を緩めた。「司令自ら尋問とは相当気に入られたようです」「娘が妙なことを言っていてね、それを直に確かめたかった事もある」「米兵の匂いがする、ですか?」「そうだ。大尉、君はどう思うか?」「司令と同じ意見のようです、しかし―」「そう、入隊資格は18歳からだ。彼はそれを満たしていないし練度を考えても若すぎる。学園が一体何を隠しているのか興味は尽きない」----- 同時刻、場所は変わり学園の職員室、1年1組と2組の担任・副担任、徹夜明けの4人はその事実に自身の耳と目を疑っていた。「もう一度言って貰えるかしら?」ディアナは歪な笑みでこう聞いた。「アメリカ、イギリスともIS戦闘が行われた事実を否定、この回答を受けて日本政府も無かった事にしました。万事解決です♪」と心底安堵した様に笑顔の真耶だった。「強奪された機体の露呈を恐れたイギリス、世論の非難がISに向くことを恐れた日本政府は大規模な自動車事故でケリを付けるようです」と千代実は目に隈を作って書類を読み上げた。「日本政府の動向はそれだけですか?」とは千冬である。「非公式に蒼月君の身柄引き渡し要求がありましたが、それも無くなりました。元々誘拐は日本政府の失態ですが、外務省を通じてイギリスから圧力が掛ったようです。恐らく王女殿下の一件かと。ただ米軍の動機の弱さが気になりますが……」 淡々と、だが何処かほっとした様に読み上げる千代実。ディアナは、やってられないわと名簿を放り出した。彼女が作った特秘の被脅迫者名簿である。「ありえん……」 千冬は膝に両手を置いたまま、机に突っ伏していた。ただ窓には朝の光と鳥の囀りがあった。------------------------------------------------------------------------------- 色々振りまいた今回、如何でしたでしょうか。 今回の真の行動、ちょっと待てよと思った方おられるかも知れません。一夏に入れ込みすぎな感じ。でも設定上、今までの流れ上こいつはこう言う奴です。スミマセン、変えられないんです。 でもまぁあれです。自分で動かしておいて何ですが、今回の話を書き終えて読み返すうちにだんだんと真にムカついてきました。下手ないちゃいちゃより腹立ちます、千冬とかディアナとか。もっと虐めてやろうと心に決めて、いやそうするとまた2人が……と以下無限ループ。もげろ。2012/09/07