だら、だら、だら。日常編 乙女心と梅雨の空1-------------------------------------------------------------------------------- その日はよく晴れた梅雨の中休みだった。朝陽が窓の風景を照らしている。木漏れ日が窓から差し込めば、白い陶器の紅茶を照らした。立ち上る湯気が渦を巻く。 私はまだ暖かいトーストを左手に取り、バターをナイフで塗りつけた。ナイフを置いたところで塗れていない四隅が気になった。トーストを傾け、溶け切れていない塊を動かし、導こうと試みる。上手く行かずこぼれ落ちた塊がべちゃりと白いテーブルを汚した。そんな私を見て、目の前に座る一夏が言う。「つまりあのビンタはリーブス先生だったのか。俺はてっきりセシリアだとばっかり思ってたぜ。昨日どこかに行ってたし」 一夏は右の握り拳で頬杖をつき、呆れたと言わんばかりに目を細めた。ジト目と言う奴である。 シャルが来て一夜が過ぎ、何時ものと異なる朝が来た。寮の食堂で久しく忘れていた朝の喧噪が聞こえる。トレーを手に明るく、賑やかに笑顔を振りまく少女たち。見知った少女に朝の言葉をかけたら、おはようと明るく返ってきた。 私は身体に軽さを感じながら何時もの4人掛けのテーブル向かった。私が来たときには既に一夏が来ていた。シャルの姿が見えなかったので、一夏に聞いてみたら「先に行ってて」と追い出されたそうだ。私たちは二人してシャルの奇行に首を傾げる。 少し待ったが影も形も見えない。冷めては面白くない、ここにいないシャルに詫びて先に朝食をつつく事にした。そんな私を見て一夏は冷たい奴と言う。「だから冷めないうちに頂こうってね」と答えた。こいつは少し考えると、成る程と言って食べ始めた。 半分ほど食べたところで一夏がおもむろに昨夜の腫れた左頬のことを聞いてきた。これが起床からの経緯である。 私はトーストを一口かじると目の前の馬鹿面にこう言った。「言っておくが、セシリアにひっぱたかれる様な真似した事ないぞ」「確かに"叩かれるよう"な真似はしてないな」「なんだ、その含みのある言い方は」「なんでもねぇ、つかよお前良く生きてるな。実は幽霊とかなら早起き過ぎた。早く墓へ返れ」 朝から毒を吐く奴である。それに学園寮が墓とは中々皮肉も効いている。「まぁ俺も言い過ぎたかなーとは思うんだけどさ、先生も酷いんだよ」「リーブス先生はそう言う人だって事は真が一番知ってるはずだぜ。何でビンタ喰らったのか言ってみろ。殴らねーから」 顔青ざめて怒る、器用な一夏に私は慌てる事無く目玉焼きにフォークを突き刺した。「落ち着け"時々曇り"程度だから大丈夫だ。前みたいに暴風じゃ無い」「……なら良いけどよー それにしてもなんで怒らせたんだよ」「ほら、俺がガールフレンドを作らない理由を話したんだ。そしたら、」「たら?」「"下らない理由ね"って言うもんだからついカチーンと……なんだその、レベル5デスで雑魚敵に殺されたような顔は」「真、もう一度聞くぜ? お前が、真が、下らないと言われて腹を立てた?」「あぁ。それがどうした?」「……喜ぶべき事だけどよ、なんか不安」 ぶつぶつ言う一夏の、要領の得ない発言に頭を捻らしていたら、黄色い歓声と共にシャルがやってきた。Tシャツにハーフパンツ、着の身着のままの私らに対し、シャルは長い金髪の手入れも纏う制服も、完璧だった。麗しき女性の前で無様な姿は晒せない、と真顔で言われ二の句を失う。少しはシャル君を見習ってよね、と言わんばかりの少女の視線に一夏は溜息を付いた。「扱いの落差がすげぇ……」「俺は前からこんなもんだ」----- 第3アリーナのフィールド上に、2機のリヴァイヴが立ち並ぶ。1つはみや、1つはシャルのリヴァイヴIIである。第3世代機が世に知られ影に隠れている第2世代型だが、量産機ならではのメリットもある。その1つとしてサードパーティのパーツがあげられ、みやで言えばFCS(火器管制)"グングニル"、シールドジェネレータ"アイギス"と言った具合だ。 同じリヴァイヴであるが並べてみるとその違いがよく分かる。シャルのリヴァイヴは外観も相応に異なり、流して見ただけでも分かる程一級品のパーツが使われていた。否、塊と言っても良い。恐らくリヴァイヴがもう1台買えるぐらいの資金が投入されているだろう。オレンジのリヴァイヴは正しくブルジョア機だった。 みやに搭載されているグングニルもアイギスも一級どころで、優越感と負い目を感じていたのだが、上には上が居る、呆れるやら憤慨やら、なんと言って良いのかコメントに窮する。ただ疑問に思うのが、フランス代表候補とは言えここまで優遇される物なのだろうか。 その様な私の心中を他所に、みやのあちこちを触ってシャルが言う。「多少カスタムしてあるけど普通のリヴァイヴだね」「だからそう言ったろ。駆動系、推進系、スタンダードと殆ど変わらない」「うーん……おかしいな、おかしいよ……これじゃ……それにしても随分思い切った事してるね、シールド無いなんて。真は回避型?」「あぁ。てゆーか、おかしいって何?」 私がそう言うとシャルは口を閉ざし眼を伏せた。彼の意識の線はあちこちに逸れ、落ち着かない。しばらく奮えると私に向け、向けてはまた逸れた。何か躊躇っているようだった。「プリセット(基本装備)外して、バススロット(拡張領域)を増やしてるのは僕と同じなんだ……プロパティ(機体情報)見ても、良い?」 シャルの申し訳なさそうに俯き、懇願するような上目つき。膨れあがる罪悪感と高揚感、私は口を真一文字に結び言葉を失う。妙に熱心なシャルの態度に戸惑いを感じていたが、その程度ならと慌てて承諾した。私はみやに触れセキリュティを暫定変更、シャルが手をかざす。みやから伝わる情報を見ているのだろう、宙を見るシャルの目が小刻みに動いていた。 私の右隣に立つ一夏が「けちけちすんなよ、全部みせれば良いじゃねーか」と顔赤く馬鹿なことを言う。だから私は「機密保持義務があるだろ」と頬を掻きつつ答えた。「真、この整備担当の"黛薫子"と整備主任の"布仏虚"ってだれ?」「俺らの先輩。整備課2年の薫子と3年の虚さんだ」「先輩方が整備してるんだ、何故なの?」「俺のリヴァイヴは学園の機体なんだよ、データ取りや彼女たちの教材を兼ねてる。だからシャルのリヴァイヴとは異なりデュノア・ジャパンの人が触ることは無いんだ」「整備課……ハンガー区画……」 そしたら「学園機体なら開示義務があるんじゃねーのか? 規約だかなんだか協定だかにあったろ」と一夏が言うので「本音と建て前」私が答え、離れた所にいる本音がひょっこりと2つの房を揺らして私を見た。手を振り「違う」そう伝えたら彼女は何故か頬を膨らませ箒の影に隠れた。小動物のような本音の仕草に、私の心が落ち着きを取り戻した。 その時不意に「本音はウサギだ、小ウサギが良い」と箒がぶつぶつ言っていたのを思い出した。あの箒の表情を、表現する術を、私は持たない。彼女があのような顔をするはずが無い、恐らく私は白昼夢をみたのであろう。そう思う。「一夏のも見せて貰って良い?」と、何故か艶めかしいシャルが言う。 みやに右手を添える彼は中腰で前へ屈み、左肩から見返るその端正な表情は、憂いを覚えていた。困惑したように寄せた眉と僅かに開いた唇、瞳は濡れているかの様に潤んでいる。まるで紅と桃で色づく芍薬の様な色香であった。「あ、ぁ、良いぜ。全部見てくれ」と、どもりながら一夏が答えた。「全部は駄目だ、馬鹿一夏」私は一歩後ずさりして言った。 背後から聞こえたは、奇妙な歓声と怨嗟を胎ませる疑いの声だった。恐らく空耳だろう。シャルは男なのだ、おかしいことはない。そうに決まっている。-----「白式は倉持技研の機体で定期点検の他に、壊れたら来て貰ってる」と言うのは一夏だった。どもりながら声が裏返っている。そんな一夏の左側、寄り添うように佇むシャルだった。 シャルから少し離れて立ち尽くす。汗を拭えば「なんか困る」とついぼやく。「なにが困るのよ、ヘンタイ」 私を現実に連れ戻したのは鈴だった。纏うISスーツは赤紫。長い黒い髪を黄色い結い布で左右二つに分けてすらりと下ろしていた。小柄なその肢体が駆る甲龍の、織りなす実力は折り紙付きでセシリアにも勝ち越している。数日前まで同室だった1年最強の少女は何故か頬を膨らませ、つま先立ちで私を睨みあげていた。「盗み聞きとは感心しないぞ」「なにトキメいちゃってるのよ、ひょっとしてそう言う趣味なワケ? それでアタシにナニもしな―」「おれはのーまるだ。そ、れ、に、これでも鈴を大切にしてるんだよ。そういう風に思われるなんて俺は悲しい」「真顔で言うか、このバカ……」 不機嫌そうに眉を寄せ睨んでいたが、顔赤く閉じた唇は波打っていた。「ところで、新しい共同生活はどうだ? 本音とは上手くやれてるか?」「え、あ、うん。まぁまぁよ。ただ口煩さくて閉口するけど」「そうなのか?」「そーなのよ、"鈴ちゃん下着姿のままは駄目"とか"鈴ちゃん音立てて食事しちゃ駄目"とか"鈴ちゃんきちんと髪を乾かさなきゃ駄目"とか"鈴ちゃん女の子はお淑やかにしなきゃ駄目"とか時代錯誤も良いところで、もう煩いったら―」と立てた右人差し指を指揮のように振る鈴だった。「鈴は声真似が上手なんだな、本音そっくりじゃないか」「まーね、ちょっとした特技よ特技……じゃなくて!」「鈴はその辺ルーズだから丁度良いな、仕込んで貰うと良い」とは言ったもののお淑やかな鈴というのも中々想像が出来ない。「あぁもう! 話を逸らすんじゃ無いわよ! 最近一夏との訓練も熱が入ってるし、前となんか感じ違うし、なんかあった訳?!」「別に大した事じゃ無いさ。目標があるってのは良い、そう思っただけ」 鈴は一夏と私を交互に見た。そしたら前向きなのは良いけどなんか調子狂うわ、とぶつぶつ言い出した。私は鈴の頭に右手を置いて小さく揺する。遠くに1年1組の担任と副担任の姿が見えた。「先生が来たから並ぼう、また怒られる」「何時も怒られるのは一夏と真じゃない、一緒にしないでよ」「違いない」 ぶつくさ言いつつも照れる鈴はとても可愛かった。----- その日のIS実習は賑やかなものだった。 リヴァイヴ(訓練機)を纏う山田先生が悲鳴と共に空から落ちてきた。一夏の頭上に墜落し一時は騒然としたが、一夏は怪我をするどころか、山田先生の胸に顔を埋めていた。小柄だが彼女の胸はとても大きい。大半の少女たちは自身のと比べて嘆いていたが、負けず劣らずの箒や本音、清香は兎も角、控えめな鈴が平然としていたのは意外だった。それどころか胸を張り、臆すること無く悠然と立っていた。 戦闘実演と称しその山田先生はセシリアと鈴、2人の代表候補をいとも簡単に撃墜した。教師の実力を知らしめる千冬さんの策略だったとは思うが、正直これ程とは思わなかった。山田先生は代表候補生止まりだったのである。ならば国家代表はどれだけ強いのかと皆おののいていた。その頂点に立つブリュンヒルデは、目の前で白いジャージ姿、腕を組み、尊大な笑みを浮かべていた。一瞬合った彼女の視線は"せめてこの程度にはなれ"と言っているように見えた。私は苦笑いで精進しますと応えた。 本日初実習のシャルは一転、これ以上ないと言う程の不満顔をしていた。彼はディアナさんの指導を受けられると楽しみにしていたらしい。「おかしいよ! リーブス先生の教えが受けられないなんて、地球規模での人類史上稀に見る最悪の所行だよ! 愚行だよ! 大損失だよ!」と息巻いていた。 訓練機の都合上、有り体に言えば数の都合上、実習は二クラス合同で行われる。そして慣例的に奇数クラスの担任が指導することになっていた。考えてみればディアナさんとてモンド・グロッソの総合優勝者だ、シャルの言うことも一理ある。彼女が2組担任になったのは何か理由があるのだろうか、そう思案に耽っていたら千冬さんの号令が聞こえた。「ではこれより実習を始める。各班に分かれ1人時速100Km以上の飛行を最低3分行うこと。専用機持ちは班長だ、オルコット、凰、ディマ、織斑、蒼月、責任を持って指導にあたれ。残りは私と山田先生だ、さっさと始めろ税金泥棒共!」 ISスーツの少女たちはわらわらと散らばり、各々に集まる。各班多少ばらつきがある物の許容範囲だ。私の元に集まったのは1組2組の混成チーム計7人。 みやを展開し纏う。「清香、鈴はあっちだぞ」と私が言うと「こう言うの仲友じゃやり難いって気づいた」だそうだ。他には同じ2組の四十院神楽さんやら1組の谷本癒子さん、岸原理子さんに鏡ナギさん、かなりんさんこと金江凜さんが居る。概ね何時もの面々である。その様な中珍しいことに静寐が居た。思わず彼方の一夏を指さした。何時も一夏の班に居る為であった。「一夏はあっち」「いいの」 もう見慣れた不機嫌そうな表情。彼女は約1km先、白式を纏う一夏をぼんやり見ていた。一夏の周りには嬉しそうに頬を染める少女たち、箒は表情無く一夏の側に佇んでいた。本音も一夏の班だった。静寐の雰囲気に戸惑うも私は皆にこう言った。「それじゃ始めようか。一番手、清香」------ 高度50m、時速70km。アリーナの観客席を背景に、打鉄を纏う清香が居た。私は僅かに上の距離2mを維持。打鉄は四肢を大袈裟に動かし姿勢が安定しない。表情には緊張と焦りが浮かんでいた。私はそんな清香をじっと見ると「清香、ロケットが付いてるスカートだ。それをイメージしてみてくれ」と言った。「なにそれ、アドバイスにしては突拍子過ぎだよ」「打鉄はバーニア類が下半身に集中してる。多分その意識のズレが原因」 彼女はしばらく口を閉じ前方をじっと見る。思い出したように手足をじたばたと身じろぎすると、じきに安定した。高度を上げて、下げ。右側にくるりと側転すれば私の周囲を上右下左、一回転した。清香は驚いたように笑っている。「んじゃ、100km出してみようか」「らじゃー♪」 清香は敬礼するとすっ飛んでいった。時速140km出ていた。みやが伝える打鉄のデータを見る限り懸念は無い。彼女は筋が良いようだ。 清香に続き、2言3言で課題をこなす少女たち、私は思わず舌を巻いた。要領が良いのか、資質が高いのか、そこまで考えて己の浅はかさに気づいた。当然だろう、IS学園は花嫁修行の場では無い、戦う術を学ぶところなのだから。 フィールドに立ち見上げれば我が班の打鉄が見える。早々にやることが無くなったと私は腕を組む。課題を済ませた彼女らは会話に華を咲かせていた。意識内に浮かび上がるみやの活動ステータスはなぜかしら手持ち無沙汰に見えた。 そんな私に近づくのは静寐。私の左に立ち、空の打鉄をただじっと見上げる。だから話し掛けられたと気づくのに多少時間を要した。「真は教えるのも上手いんだ。先生にだって成れるかも」「……静寐や皆の筋が良いだけ、と思うぞ」「そうだよね、私は真と違って筋が良いだけだよね」 口の言葉と心の言葉が異なる、その様な静寐の態度に私は心中で呻いた。 東を見ればリヴァイヴを纏う最後の少女がシャルと共に着陸する所だった。シャルも教えるのが上手いようだった。北を見れば一夏が箒を抱きかかえ、打鉄に運んでいた。恥ずかしいのか彼女は俯き、顔を伏せたままだ。箒も異常なほどISに秀でていたと思い出す。 梅雨の晴れ間、日差しは強く静寐の影は濃く、太く、黒い線を引いていた。彼女の放つ気配と同じように。だから私はこう言った。「静寐、話したいことはそれじゃないだろ」と見下ろした静寐はやはり空を見上げたままこう応えた。「真は怖くなかったの?」その時薙いださらっとした筈の風は何故か重く感じた。「……あぁ怖くなかった」「そぅ、やっぱり真は違うんだ」「そうじゃない」「なら教えてくれる? その違いってなに?」「慣れてただけ、俺は慣れてただけだ」「なら、どうして慣れてるの?」「それは答えられない」「どうして」「俺も分からないから」「そう、私には言えないって事なんだ。専用機も無い、上手くもないから。セシリアには言ったんだよね? 私には言わないのに」 おかしいとは思っていた3人の様子。表情は変わらず、言葉の抑揚も変わらず、だが彼女の放つ意識の線は力無く細く、時折私にそれが絡みついた。皆がそうで合ったように彼女も同じ理由だと思っていた。本当の理由を知ったのは、一夏の拳の後だった。「静寐、今度食事でもどう?」「へぇどういう風の吹き回し? 今までそんな事言ったこと無いよね」「気落ちしてる身近な女の子を気遣うぐらいはする」「心にも無いくせに」 私は立ち去る静寐の姿を見て、深い溜息をついた。----- 静寐の素養は決して低くない。彼女の成績は2組に於いて、実技で鈴、私に次いで3位、座学では本音に次いで2位、学年でも10位には入るだろう。だが不幸なことに彼女の周りには規格外が多すぎた。箒、セシリア、鈴、シャル、一夏。おやっさんの血を引く本音の整備技術は頭角を現しつつある。 周囲と比較するのは悪いことでは無い、己の立つ場所と見据える目標が分かる。だがそれに妄執することは愚かなことだ。恥ずべき事は昨日の、過去の己に負けることだと私は思う。 厄介な事は、これを、俺が、静寐に言えば彼女を逆なですると言うことだ。そもそも今の俺の実力は鍛錬の結果ではない。俺のは日々思い出すように得た物だった。 何より俺にはこれを言う権利も資格もないのだ。己の過去に連敗記録更新中、その過去すらよく知らない。だから、「……そのまま見送っちゃったの!?」「阿保だろ、お前」 シャルと一夏の断罪にぐぅのねも出なかった。 何時もの4人掛けのテーブル、目の前にシャルと一夏の呆れた顔が見える。私の手元には平らげて空になった昼食の器があった。周囲の昼時の喧噪に紛れてシャルは言う。「どうして引き留めなかったのさ」とシャルは苛立ちを隠していない。「お前ヘタレ過ぎだぜ」と一夏が呆れかえっていた。「いや、あの授業中でもありましたし」と私は何とか答えた。授業中に痴話喧嘩とは良い度胸だ、と千冬さんに殴られた頭をさする。どうやら全て聞かれていたらしい。鷹月は2度目だな、と釘を刺された。「真、あのね、女の子は大切にしないと駄目なんだ。とても繊細で傷つきやすいんだよ。しかも真を慕っている傷心の静寐にそう言う態度信じられないよ! ISが有ろうと無かろうと慈しむべきなんだよ! そもそも世間の男の人ってだらしないよ! ISを理由にして女性が強くなったって、いじけて甘えてさ!」 と、徐々に熱くなるシャルだった。一夏は「とりあえず落ち着け、注目されてるぜ。あとシャルも男だからな」と微妙な窘めをする。「なんでかこうなるんだよな、俺」静寐に限らず良く怒らせるんだ、とは続けなかった。「真はさ、静寐を蔑ろにしてるんだよ。だからそうなるのさ」「してない、誰かにも言われたけど」「してるよ。真は静寐が好いている真自身を嫌っているから、彼女は自分の気持ちを否定されているように感じて怒るんだ、不安になるんだ」「「……」」思わず言葉を失う一夏と私。「あ、ごめん。言い過ぎた」と反省するシャルを見て一夏は「シャルはすげーな、昨日今日で真のそれを見抜いたのかよ」と呆けたように言った。私はカクカクと壊れた機械人形のように頷くしかなかった。「あ、うん、何となく、かな」あはは、と愛想笑うシャルは、どうしてだろうか恥じているではなく気落ちしているように見えた。 沈黙が訪れ、かちゃりかちゃりと食事の音が聞こえる。シャルはまだ食べていたが、一夏はじきに食べ終わった。青い空が覗く食堂の窓には、午後からIS実習を行う3組4組の少女たちが歩いて通り過ぎた。「で、どうするんだ?」と一夏が言うので「考え中」と答えたら「抱きしめてキスでもしてやれ、女ったらし」と自分を棚に上げる馬鹿だった。箒とか、セシリアとか、鈴とか、ティナとかその他たくさん娘を思いだし「鏡に向かって言ったらどうだ? 思わず泣いて懺悔するほどの馬鹿面が見られるぞ、このスケコマシ」と答えた。 一夏はこめかみに血管を浮かべて立ち上がった。「人が親身になってるってのに、憎まれ口とは恐れ入ったぜ。人間恥を忘れたらお仕舞いだな」 俺は口から牙を覗かせ立ち上がった。「黙れ、手当たり次第。山田先生のだけじゃなく小林先生の胸をもんだってネタ上がってるんだよ。この変質者」「あれは事故だ! それにもんでねぇ!」「あぁ済まない、顔を埋めたってな。おぉそうだそうだ、言うに事欠いて"痛い"って言ったそうじゃないか。小林先生は胸が控えめなことひっじょーに気にしてるんだよ。お陰ですっごい怒られたわ、おれが。仕舞いには涙目で、俺が何かしたんじゃないかって他の先生に思われたんだぞ。退学になったらどうしてくれる」「……気にしなくても余罪で追い出されるから安心しやがれ、この走る陰険大迷惑スケベ野郎」 火花を散らし踏み込む俺たちにシャルはすまし顔だった。もう驚かないよ、と言わんばかりである。「"争いは同じレベルの者同士でしか発生しない"って日本では言うんだよね? 直ぐ暴力に走るのは友人として悲しいです」 真は聞いた事あるか? と一夏はふがふが言った。 知らないけど深い言葉だな、ともがもが俺は答えた。「どうして知らないの!? 日本じゃ日常茶飯事だって?!」 シャルが何を言っているかよく分からないが、間違った知識を仕入れているのは間違いなさそうである。日常編 乙女心と梅雨の空2-------------------------------------------------------------------------------- その日の午後は急遽自習となった。恐らく対抗戦の後始末であろう。中破した第2アリーナの復旧は未だ目処すら付かず、国際IS委員会からの視察があると言う噂もある。恐らくは千冬さんもディアナさんも、おくびにも出さないであろうが負担は相当の筈だ。学園を守る、この私の発言がどれだけ難しいのか改めて思い知らされた。今ほど未成年であることが悔やまれてならない。銃で出来ることなどたかが知れている。 教室を出て廊下を歩く。「これからどうしようか、駅前にでも行く?」そんな少女たちの声が聞こえれば、私は腕を組み眉に力を込めた。思わずむぅと声が出る。 思い出すのは先の自習を告げるショートホームルーム、ディアナさんから「気分を変えましょう」とクラス全員の席替えを突然申しつけられたのである。くじで決まった新しい席に、本音は僅かに表情を陰らしたが、静寐は何も言わず移動した。離れ席となった静寐に話し掛けても返事はなく相手にされず、自席に戻り他の少女と話をすれば睨み付けられた。全く持って女の子は難しい。 とぼとぼ廊下を歩くと、見えるは行き交う他所(他クラス)の少女たち。「お、蒼月君だ。包帯は?」「もう取れた」「まことー、ディマ君の情報教えてー」「個人情報は直接聞いて下さい」「蒼月、黛先輩って怖い?」「割と。けど理不尽なこと言わない。これ大事」「まこりん、金髪なら性別問わないって本当ですか?」「まこりん止め。あとそれ言いふらしてる娘部屋に連れてきて。お話があります」「きゃー犯されるー」「無茶苦茶ひと聞き悪いわ!!」 からからと笑顔で立ち去る彼女たちを見送った。温和しい、物静かも考え物だ。私は2組の少女たちを思い浮かべては、人知れず溜息をついた。-----「……それで、どうするのだ」 そう覇気無く問い掛けるのは左隣を歩く篠ノ之箒であった。廊下の終わり、踊り場に差し掛かったところで箒と出くわしたのである。見合えば僅かに下の彼女眼差しは、何時ものむっすりした鋭い眼差しではなく、力無く虚っていた。 2,3他愛のないやりとりのあと私は経緯を手短に伝えた。驚いたことに箒が、今の静寐の状況を把握していなかった為である。今朝と打って変わった彼女の様子に、私は驚きと戸惑いを抑えてこう言った。「皆の協力を仰いで夕食に誘おうかと」「真にしては上出来だな」「何だよそれ」「以前のお前であれば"今の俺には何も出来ない"そう言うだろう、とな」 目を俯かせ、己のありかを確認するように自分の腕を抱く、初めて見る彼女の様子に私は確信を持った。「箒、一夏と何かあったのか? おかしいぞ」「何もおかしくはない」「嘘付くな、何時もは射貫かない程の箒が目すら合わせないじゃないか」「よく見ているものだな」長い髪を弄る彼女の指は収まりが付かないようにくるくると回っていた。「この2ヶ月間、箒には叩かれっぱなしだからな、阿保でも気づく」 2ヶ月か、掠れる様な箒の言葉だった。「……真、信じていた物が変わってしまった。お前ならどうする?」「受け入れた上で、新たな付き合い方法を模索する……それがどうかした?」それはかって私が鈴に伝えた事だった。「"それがどうかした"か、お前は強いな」 彼女は一言詫びて部屋に戻ると立ち去った。私は立ち尽くし「今晩にでも一夏に伝えておくか」と独りごちた。 その時背後に感じた人の気配、振り向き見えるのは階段と踊り場。その先に陰ったのは立ち去る人の形。私は追いかけ確認することはしなかった。静寐と箒、この2人を優先した為である。----- 屋上の長いテーブルと長いすが白いシーツで覆われていた。私は腰掛けあたりを見渡した。時刻は午後7時。水平線にその日の勤めを終えた太陽が僅かに顔を出す。木製のテーブルを照らすのは、幾らばかの屋外照明と、目の前にある燭台の灯火。電気の光だったが赤みを帯びた白い光は柔らかく、時折吹く緩やかな風に応えるよう揺らいでいた。 10人は楽に座れるその席に、何時もの面々がぐるりと並ぶ。本音に一夏、箒に鈴、シャルと静寐だった。目の前には、色とりどりの食事が所狭しと敷き詰められていた。洋風肉料理と魚料理、酢豚にパスタ。洋食、中華にイタリアン。統一性のなさもここまで徹底的であれば賑やかで良い。「真、これはどういう事だ……」とは私の左隣、吹き出す怒りを何とか堪えようと箒は小声で私を追求する。だから私は「いやだから夕食に誘った」と小さく応えた。「……どうして静寐だけを誘わない」「素気なく断られたんだ。だから皆に協力を仰いだ、って話」 ちらりとはす向かいの静寐を見れば、眼を合わすことなく眉を寄せ身動き1つしなかった。湛えし怒りは治まること無く未だお冠のようである。「食事も進めば切っ掛けも態度軟化もあるだろう、ってね。それに箒の様子もおかしいし」「要らぬ世話だ、この馬鹿……」 準備が済んだとシャルが言う。一夏は立ち上がり音頭を取った。皆の手にはソフトドリンクがある。思わず乾杯と言い漏らし、皆の失笑を買った。思えばこう言う席でソフトドリンクというのは覚えがなかった。シャルに、アルコールが欲しいと冗談を言ったらえらい剣幕で怒られたのはここだけの話である。 良い具合に腹も減ってきたので、目の前の食事に箸を延ばした。その時注意を引いたのが葉物野菜で何かを包んだような煮物だった。知っているはずだがその料理の名前が出てこない。箸で掴んでじっと見つめていると一夏がこう言った。「そんなに珍しいか? ロールキャベツ」「あぁそうかそんな名前だった……ってこれ作ったのは一夏か?」「そうだけど、それがどうかしたかよ」「一夏が料理出来るって本当だったんだな」手間が掛っていそうな料理に思わず感嘆の声を上げた。「シャル君もおりむーもお料理上手なんだよ」と赤ワインで煮込んだ牛肉をもくもくと。頬張り幸せそうな笑みを浮かべる本音だった。これはシャルらしい。かく言う本音も見事な物で鮭のムニエルは彼女の手による物だ。女の子は生臭い物を嫌うと聞いていたが、勝手な思い込みであった。 面食らう私に「アンタ、料理しないの?」と酢豚を作った鈴が言う。だから「カレーぐらい作る」と答えた「ナニどもってんのよ、どうせレトルトでしょ」と一間もおかず見破られた。「真、お前はそう言う食生活だったから喧嘩っ早いんだぜ」と巫山戯た事を言われたが、料理を運んだだけの私は言い返せなかった。 だからとっさに「箒は料理出来るのか?」と聞いてみた。鈴に「誤魔化したわね」とツッコミを入れられる。「失礼なことを言うな、私とて人並みには作る」と箒が僅かな間を置いて言うと、シャルが「ペペロンチーノは静寐だよ」と助け船を出した。 そうなのかと、皿に盛られたパスタの山に手を伸ばす。すると今まで沈黙していた静寐が手早く小皿にそれを盛る。皆が注目したその皿は、隣の一夏に届けられた。「一夏、たべて」「お、ぉう?」 訪れる沈黙の中、私は頭を掻きながら天を仰いだ。味を感じていなさそうな一夏の表情を見て、私は見限られたか、とつい口に出してしまった。他の女性陣からもたらされる針のような視線。見上げる梅雨の夜空には雲一つ無く、星が瞬いていた。----- 失敗に終わった歓迎会かつ懇親会の後、自室に戻った一夏は廊下側のベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を見ていた。彼が思い浮かべるのは静寐の態度である。あくまで突っぱねる強情な真が悪い、だが意固地な態度を取る静寐にも理解出来なかった。(少なくとも真は歩み寄ってるじゃねーか……)「そんな簡単じゃないよ、この手の話なら尚更」 そう言うのはジャージを纏うシャルであった。昨夜見た白と紺のツートンカラー。バスルームから出てきた彼は結う事無く髪はそのままに、湿り気を帯びた身体からは湯気が立ち上っていた。一夏は彼を一瞥すると「何も言ってねーぜ」と寝返りを打ち、背中を向けた。「はは、一夏は分かりやすいんだよ」「シャルは真に似てるな」「そうかな」「あぁ、特に銃を持っているときの目なんて気味が悪いほどそっくりだぜ……わりぃ」「うぅん、良いよ」 気分を害した様子も特になく、シャルは窓側の机に座りドライヤーに手を伸ばした。長い深みのある金の髪がたなびき、白い光を放つ。 同じ行為でも随分感じが違うんだな、と一夏は箒のそれを思い出しシャルをじっと見ていた。視線を感じた彼は訝しげな顔で振り返り、一夏は何でも無いと再び天を仰いだ。「なぁシャル」「なに」「真はどうして静寐を、本音を受け入れないのか分かるか?」「一夏はどう思うのさ」 質問返しはずりーぞ、そう思いつつ「あいつは自分を嫌っているから」と一夏は答えた。「そんなの誰だってそうだよ。きっと真には本当に好きな人が居るんだね。だからだよ。……一夏は心当たりがあるって顔してるし」「秘密だ」 部屋にドライヤーの音だけが響く。シャルがドライヤーの音を止めたのと、扉を叩く音が聞こえたのは同時だった。シャルが扉を開けると其処には静寐が立っていた。ライトグレーのスウェットで俯いていた。 シャルは時間を確認にすると、右足を前に左足を後ろに。右手を胸の前に添え、左手を横に差し出した。頭を下げて彼は言う。「我が城へようこそマドモアゼル。美しく輝く天の星々を振り切り私の元に来られるとは、今宵のシャルル・ディマ、嬉しさのあまり瞳が閉じられることはないでしょう」 呆然としたあと顔を真っ赤にする静寐だった。 あの時のあの廊下を思い出し、遠い目で何か飲むもの買ってくると一夏は部屋を出た。彼を見送り「気取りすぎたかな、何か飲むものを用意するよ、もう寝る前だからなにが良いだろう。まだこの部屋の全てを把握してないんだ」と静寐を椅子に座らせ湯を沸かす。キッチンの扉を開けて粉末ココアを見付けると、コップを2つ取り出した。「シャル、今日は御免」「謝るなら真と皆にだと思うよ」 陶器のコップにココアとお湯を入れた。スプーンでかき混ぜると軽く心地いい音が響く。湯気が立ち上がるそれを黙って手渡した。彼は廊下側の椅子に腰掛けひとつ口にする。「意外とおいしいねこれ。フランスにモンバナというココアがあるんだけど、僕余り好きじゃないんだ。でもこれは本当においしい。でも寝る前に飲み過ぎると大変だ、特に女の子は気をつけないと」「そのインスタント、真が広めたの」漸く口を開いた静寐はぎこちない笑顔を浮かべていた。「どこのお店で買えるのか真に聞こう、本国の皆もきっと気に入る」「シャル」「なにかな?」「ISの事、戦う方法教えて」--------------------------------------------------------------------------------シャル日常編はもう少し続きます。