外伝 織斑千冬の憂鬱(注:時系列は気にしないで下さい)-------------------------------------------------------------------------------- 織斑千冬、24歳、日本人女性。 第1回IS世界大会(モンド・グロッソ)総合優勝および格闘部門優勝者。非常に厳格な人物で、鋭くも美しいその姿に憧れるものは少なくない。現役を退いた今ですらその力は凄まじく、身の丈を超える武器を操り、生身でISを御する。公式戦無敗。ブリュンヒルデと言われる所以である。 そんな彼女にも悩みはあった。教頭の皮肉、同僚の嫌味、妄想暴走の後輩、超人的な力とて社会の中で生活する以上、大した意味を持たないのだ。腕力に物を言わせれば、歪みができ社会が崩壊する。それは彼女の望むところでは無かった。 そして、彼女には庇護を与えるべき2人の少年が居る。実弟、織斑一夏。そして彼女が昨年の4月この学園で保護した蒼月真。 この2人の阿保と馬鹿、悩みの最頂点である。 この2人はとにかく問題を引き起こす。ある新聞記者が"IS学園の問題児"と評しその余りの的確さに思わず言葉を失ったほどであった。ただ、落とし前のため拳は失わなかったが。 それは、とある朝のことだった。早朝のトレーニングを終え、食堂に赴き、のんびり食事を取る生徒達の指導をする。何時もの食堂である。そしていつものように聞こえてきたのはその2人の声であった。否、殴り殴られる音と罵声であった。「今日という今日は勘弁ならねぇ! この阿保真! 其処に直りやがれ!」「こっちのセリフだ馬鹿一夏! その鼻持ちならないマヌケ面整形してやる!」「人様の顔言える立場か! この陰険ヤクザ!!!」「人の身体的特徴に暴言吐くマナー知らずは仰向けで痰を吐け! 顔面が良い感じのばい菌コロニーになるわ!!!」「よくそれだけ罵詈雑言が浮かぶもんだ! どれだけ性格ねじまがってんだよ!」「馬鹿一夏の顔ほどじゃない!」「言いやがったな! 阿保真!」「「もう良い! 地獄に落ちろこの―へぶぅ」」「朝から騒ぎを起こすな! この馬鹿者共!」 千冬は何時もと同じように同じように拳を振るい、何時もと同じように騒ぎを収める。何時もの朝である。既に日課であった。 千冬は思う。実弟の一夏の行動は予想が付いた。しかし真は完全に予想外であった。無鉄砲でまだ子供らしい質を残した一夏に対し、入学前の真は、良く言えば理性的で我を出さず忍耐力が有った。悪く言えばその情緒が希薄で、対人関係ですら理屈で考える。だがこの2人が上手く組み合わさればお互いに良い影響が出るだろう、そう期待したのである。 淡い期待であった。 真が一夏に引っ張られたと言うより、相互作用で悪化する。 それは、とある日の夜であった。プリントが散らばる自室に座り、教頭から出された残業に頭を痛めていたそんな時だった。寮の食堂から、騒ぎの気配を察知した千冬はやはり食堂に赴いた。何時ものように罵声と殴る蹴る、周りの少女達も最早気にしない。もう慣れた。「毎度毎度いい加減にしろこの馬鹿一夏! お前のお陰で俺までトバッチリじゃないか!」「うっせぇ! 人のこと言えた義理か! 事ある毎に女の子怒らせやがって! ちったー学習しろ!」「やかましい! ロッカー開けたら半裸の少女なんてどういう了見だ!? そもそも俺に見られたとか言って怒られたんだよ! 大体一夏はリアルラック大き過ぎだ! ブレーズ・パスカルさんに謝れ!」「また訳の分からんこと言って言い込めようって腹か! 陰湿陰険だなぁおい!?」「確率論の創始者だ!」「んな事しるか! この偏屈阿保真!」「少しは本読め! この脳筋馬鹿一夏!」「「今日という今日は引導渡してやる! 往生しろこの―へばぁ」」「夜遅くに騒ぐなこの馬鹿者共!」 千冬は何時もと同じように同じように拳を振るい、何時もと同じように騒ぎを収める。何時もの夜である。既に日常であった。(馬鹿者共め……) 職員室の机で両肘を付き親指で目頭を押さえる千冬だった。頭を痛める千冬はこう思う。今までの殴打ではもうだめだ。もう少し力を入れてみるか?「止めなさい千冬。それ以上力を入れると流石に割れるわよ」 そういうのは左隣のディアナ・リーブス。流石千冬の腐れ縁、考えることなどお見通しであった。 しかしどうすれば良い。こうも頻度が高いと本業に差し支えが生じる。面倒を見るのはあの2人だけでは無いのだ。千冬は深く溜息をつく。深刻な表情の彼女をみて2人の副担任は心を痛めた。切り出したのは山田麻耶、本題は小林千代実。「織斑先生」「何ですか、小林先生」「こういうのは如何でしょうか。蒼月君と織斑君を周囲の生徒に監視して貰いましょう。頭の上がらない娘が多いようですし」「却下!」「ひぃっ!」 それは千冬も考えた。だがそれは教育者として保護者としての敗北に他ならない。何より指導すべき生徒に頭を下げるなど彼女の矜持が許さなかった。そして、結局彼女の選んだ手段は原始的で確実な物だった。そう、過去形である。その1「グラウンド10周!」「「えー」」「さっさと行けこの馬鹿者共! 100周走りたいか?!」 駆け出す2人。喧嘩は忘れない。「覚えておけよ! 馬鹿一夏!」「さっさと忘れろ! 阿保真!」 グラウンドの1周は5km。流石に堪えるだろう。そう、少し軽い足取りで廊下を歩く千冬に、駆け寄る本音。「織斑せんせい~」「布仏、廊下を走るな」「2人が、まこと君とおりむーが!」 涙目の本音に思わず足を止めた。何かあったのか? いやただのランニングだ。それにまだ20分と立っていない。「5km走ったら2人が全力疾走で、競争で、泡拭いて倒れました~」 ヒールが折れた。(馬鹿者共め……)その2「屋内プールの掃除だ!」「一夏君が!」「千冬ねぇ! 真のせいなんだよ!」「さっさとしろ! それと織斑先生だ!」 千冬は思う。競争したところで失神することはあるまい。そんな千冬が翌日見たものは、屋外まで掃除し眠りこける2人だった。肺炎だった。春先はまだ寒い。 湯飲みが割れた。(ばかものどもが……)さいご「自習室で反省しろこの馬鹿者共!」「馬鹿一夏」「阿保真」「「けっ」」 自習室とは表向きの名前で実際は独房であった。IS学園において最も厳しい刑罰である。既に7日経ち、報告では物音1つ無く静かにしているらしい。(流石にこれならば堪えただろう) 千冬は満足げに廊下を歩いた。前方に待ち構えるはディアナだった。あの女は不吉だ、千冬は身構えた。「千冬」「なんだ」「あの2人、断食競争してたらしいわ」 ごん。打鳴る響きはデコと壁。千冬は頭を打ち付けた。「いま集中治療室よ。どうやって意思疎通したのかしら。ISは没収、声も通じないのに不思議よね」「ディアナ……」「何名か見繕って呼んでおいたわ。いま生徒指導室に居るから」「一応、礼を言っておく」「まぁ良いわ。貸しにするには些末なことだし……ねぇ千冬」「なんだ」「1人じゃ大変そうね。どっちか預かるわよ? 実の弟はまずいから真でいいわ」「死ね」 公式戦無敗の織斑千冬。非公式戦の一敗は非常に苦い物だった。日常編 2人の代表候補 鈴1-------------------------------------------------------------------------------- 鈴にとって真の第1印象は最悪だった。 半裸を見られたのだ。原因は自分にあると分かっていても、仲良くなど出来ようはずが無かった。それに。寝ぼけ眼に映るその姿はお世辞にも好青年と言えなかった。皮肉げに釣り上がり、威嚇せんばかりに鋭く、ただ黒い瞳。ぱっと見の印象はヤクザかゴロツキだと、鈴は思った。 きっと嫌らしく、根暗で何も出来ないくせに偉ぶっている、勘違い野郎。何でこんな奴が学園に居て一夏の友人なのかと、追い出してやろうかとすら考えた。 だが、それは誤りだった。彼は鈴が何を言っても怒らなかった。担任を敵に回しても友人を守り、そして助けられた。鈴の担任は世界で怒らせてはならない人物の1人、であるにも関わらずだ。 感謝の念は一応沸いた。だがそれ以上に疑問が沸いた。何故そこまでするのかと。首を落とされ掛けても笑い、翌日にはその落とそうとした張本人と談笑していたのである。同年代の友人とは何かが違っていた。 興味がわいた。一夏に聞いたら口を濁した。調べたら孤児だと分かった。真は親の事を知らないと言った。恐らく捨てられたのだろう、鈴がそう考えたとき奇妙な親近感と敬意の念が沸いた。 鈴の両親は離婚したとは言え、片方は居る。真には両方居ない。年も1つしか変わらない。にも関わらず自分を抑え、目的を達した。 アタシに同じ事ができたか? 鈴はいつもは二つに結っているその艶のある黒い髪を、首筋に一つにまとめ下ろしていた。ライトグレーのスウェットの裾から白い足を覗かせ、窓側のベッドに俯せになり、膝で折り曲げた足を前後に振っていた。 時刻は10時半。隣のベッドの主は出かけたままだ。"月を見てくる"紅茶を入れた魔法瓶を手に、外出してから既に1時間は過ぎている。遅い。苛立ちを感じ、足が自然とリズムを早める。扉を叩く音がした。どうぞ、と言った。扉を開けて入ってきたのは真だった。鈴は起き上がり、あぐらを掻く。彼は鈴の姿を認めると少し戸惑ったようだ。「お帰り。どうしたのよ? 突っ立って」「あ、いや」「なによ?」「た、ただいま」「ん」 真はそのままキッチンへ向かい、魔法瓶を洗う。水が流れる音を聞きながら、鈴は多少非難を込めて真にこう言った。「それにしても随分遅いわね」「あぁ、少しゆっくりしてた」「月なんて毎日見られるじゃない。中秋の名月でもないのに」「良いだろ、月を見ていると落ち着くんだ。色々考えてさ。そうそう、明日満月だぞ」「月見酒ならぬ月見紅茶ってワケ? ホント、年寄り臭い。古典といい、Jazzといい」「失敬な。大人の嗜みって言ってくれ」「どっちでも良いから、さっさと風呂入りなさいよ。もう直ぐ消灯だから」 真は軽く肩をすぼめる。 今更ながらであるが、鈴にとっても真にとってもこの状況は多少なりとも緊張を強いていた。つい5日前までお互いの存在すら知らなかった2人が、こうして共同生活を送っているからである。トラブルが収まり気が抜けたところ、その事実に改めて気づいたと言う訳だ。鈴にとっては同年代の異性が、真にとってはそれに加え"自分以外の人間が家に居る"という初めての事態に対峙していたのである。 壁の時計が11時を知らせる。グレーのTシャツ、黒のハーフパンツ、真がバスルームから出ると鈴が照明を切り替えた。部屋が淡いオレンジの光りに包まれる。真は仰向けで、鈴はヘッドボードに背を預け座っていた。部屋に2人の呼吸が響く、2人は互いの呼吸に神経をとがらせていた。 鈴は、彼が足を動かす毎にぴくりと体を振るわせた。真はその彼女を見て右の頬を掻いた。「あのさ鈴」「な、なによ」「一夏の事良いのか? まだ思い出してないんだろアイツ」「……思い出すまで放っておく」「そっか、まぁ焦らない方が良いよな」 真は鈴の不安を感じ逆に冷静になったようだ。気遣う余裕が出来た。そしてそんな真を見た鈴は何故か憮然とする。自分だけ不安がっているのが気に入らない。足を振り上げた。身を起こし、その背を真の上に投げる。息を詰まらせる彼の抗議に、鈴はこれから悪戯をする子供のような目で見下ろしていた。「ねぇ」「なんだよ、というより息苦しいから降りてくれ」「アンタさっき見てたわよね?」「なにを?」「アタシの足」「……見てません」「嘘」「嘘じゃないです」「ふーん」「なんだよ」「ス、ケ、ベ」「か、かわいくない」「初めての夜にアタシを可愛いって言った奴が居たけど、誰だったかしらねー」「人聞き悪いぞ、それ……」 もうだめだと、真が枕をかぶる。そんな彼の赤い顔を見ようと鈴が笑いながら枕を掴む。 鈴は思う、多分真は何もしない。何より、追い詰められたあの夜のアタシをコイツは気遣ったのだから。今にして思えば本来の同室者とどちらがここに来るか、それを決めた時千冬さんにその迷いは見られなかった。彼女は確信していたのだろう、だからアタシをここに寄越した。だが、それはそれで腹が立つ。「早くその顔をおねーさんに見せなさいよー♪」 むーと唸り防戦一方の真を見て鈴は思う。再部屋割まで一ヶ月、まぁそれ位なら良いか。一夏をやきもきさせるのも悪くない。だが、鈴の心には信頼と困惑が入り交じっていた。日常編 2人の代表候補 鈴2-------------------------------------------------------------------------------- 食堂の窓から朝日が差し込む。目の前には朝食のホットドッグがあった。鈴はホットココアを飲むと、1つ息を吐いた。学園に来て初めてのゆっくりした、緊張しない朝だった。(こう言うの群れてるみたいで好きじゃ無いんだけどさー) でも清香が誘ってくれたのだ、今日は顔を立てるかと鈴はホットドッグを頬張る。鈴の周りには2組の少女数名が居た。そのうちの1人が先日友人となった相川清香だった。まだ1日経っていないが、お互いアグレッシブな質が引き合ったのか直ぐに打ち解けた。ソーセージの肉汁が口の中に広がった。「表出やがれ馬鹿一夏! 花壇に埋めて、穴という穴に花を活けてくれる!」「花壇じゃ生花っていわねぇぞ! とうとう阿保の馬脚を現しやがったな! ざまーみやがれ! この阿保真!」「ただの悪意に決まってるだろうが! 気づけこの馬鹿!」「花壇の生花♪ 花壇の生花♪」「むかつくわ!!」 騒ぐ2人に千冬が拳を振るう。鈍い音が響き食堂に静けさが戻る。2人はテーブルに突っ伏していた。動かなかった。本音がその2人の少年に駆け寄ると、不安を瞳に湛え千冬を見上げる。千冬は溜息をついて一夏を右肩に真を左脇に、のしのしと立ち去った。一部の少女達が2人の居たテーブルににじり寄る。箒が牽制し、静寐が一夏の箸を片付けた。非難と悲鳴が上がる。 そんな穏やかに晴れる5月の食堂で、鈴はその騒動から視線を手元に戻す。彼女にはあれが喧嘩ではなくコミニュケーションの1つだと分かった。鈴は男という生き物を知っていた。はしたないという意味ではなく、時折子供の様な面を見せる、と言う事だ。それは彼女の15年という人生で学んだ事だった。幼い頃のクラスメイトであり、父親であり、一夏であった。2人の楽しそうな眼がそれの証だ。ただ、もう少し何とかならないのだろうか、とは思う。 清香がサンドイッチを掴むと波打つ紅茶が見える。静かな空気に居心地が悪くなったのか「あの2人仲良いのね」と鈴が言った。「最近はずっとあんな感じだよ」と清香が答える。「最近? 前は違ったってこと?」「真は、初めて見た時もっと静かな感じだった。んー違うか、堅い、かな。石みたいで、必要だから話す。そんな風。織斑くんはよく分からないかな。クラスも違うし」「真が石って、嘘でしょ?」「ホント。いつの間にかあんな風になっちゃった」 清香は懐かしむように、空席となったテーブルを見る。同席の少女が笑いながら織斑君のせいだと言う。そうしたら別の少女がセシリアのせいではないか、と多少意地を悪く言った。鈴は、話が読めないと皆に問う。その言葉に少女らが目を合わせる。清香が頷いた。「なによ?」「鈴も2組だしね、言うよ。でもここだけの話。まぁみんな知ってるけれど……真とセシリア、入学早々に大喧嘩したの」 鈴にはその言葉の意味を理解するのに時間が掛った。初対面の鈴にあれだけ罵られても涼しい顔をしていた真の、怒った顔が全く想像出来なかったのだ。 清香から事の顛末を聞いた鈴は、最初に腕を組んで、頭を傾げる。眉を寄せて、目を瞑ると、むーと唸った。そして清香を見る。「馬鹿にしてる?」「そう思うよね、やっぱり」「……ホント?」「ホント」「ふーん。イマイチ信じられないけど……なら仲悪いのね」「多分凄く良い。多分だけど」「なによそれ? ふつう気まずくならない?」「普通はそうだよね。でもあの2人はそうじゃないみたい」 ぽかんと呆けた鈴を清香は屈託なく笑った。同席の少女達は2人の話題で盛り上がっていた。曰く、射撃場で一緒のところをよく見る、一夏と真に挟まれてずるい、屋上でずっと二人っきりで話してた。「あぁそうそう。蒼月君がセシリアを抱きかかえて降りてきたって話あったよね」「それ聞いた! 屋上からって奴でしょ? お姫様だっこで!」「私も見た。真君、泣いてた」 鈴のホットドッグが手から滑り落ちた。あの真が少女相手に怒って泣いた、その事実は鈴を困惑から苛立ちに変えるのに十分だった。(なんか、腹立つ)日常編 2人の代表候補 セシリア1-------------------------------------------------------------------------------- IS学園の外れには人用の射撃場がある。100m程度の室内射撃場と2000mまでの屋外射撃場、この2つ。生身の少女に実際の銃は重すぎた。炸薬の反動は大きすぎた。だから、2,3年の上位成績者が稀に顔を出す程度で、何時も閑散としている。 そんな陽の光が差す学園の最外層に2人の1年生が鋭い視線を走らせる。ライフルを構えるのが金髪碧眼のセシリア・オルコット。タブレットと双眼鏡を手に少女の側に控える黒髪黒眼の蒼月真であった。2人は学園指定の白を基調としたジャージに身を包んでいた。 レーンをターゲットが走り1500mで止まる。セシリアはコンクリートの上に敷いたカーキ色マットの上に伏せる。上体を両肘で支え、足を開く。眼はゴーグル、耳はイヤープロテクター、金色の髪は青いリボンで1つに結っていた。望遠レンズ越しのターゲットは、茶色の地面から立ち上る熱で陽炎のように揺らいでいる。5月最初の土曜日は、いつになく陽の光が強かった。額に汗が滲み、滴る。 真は左脇にあるリボルバーと周囲に警戒の意識を飛ばす。何があっても良いように少女の側に控える。セシリアはその気配を感じ、たった一つの赤い点を狙う。それ以外には何もかも消し去った。 そして彼女の放つ意識の線が一際鋭く光り、重い銃音が響く。真は望遠レンズ越しのターゲットを見て、応えた。「10点」もう一つ響いた「十点」最後に一つ「……Ten点」「正確に読み上げなさいな」「あのさ、セシリア」「なんですの?」「いくら安定性の良い伏射姿勢とは言え、2脚を使ってるとは言え、なんで1500m先の的をそう軽々とど真ん中に当てるかな。しかも大型ライフルのAWM(アークティク・ウォーフェア・マグナム)とか。.338ラプア・マグナム弾だぞ、それ」「淑女の嗜みですわ」「どこの淑女だよ……」 彼は立ち上がったセシリアにタオルと水を渡す。汗で頬に付いた金の髪。彼女の艶姿に思わず見とれ、慌ててタブレットに指を走らせた。「2km四方の第3アリーナじゃほぼ逃げ場無いじゃないか」「ブルー・ティアーズなら全くありませんわよ」「可愛くない」「私に可愛さを求めるつもりですの?」「しない。ただこうも実力の開きを見せつけられたんだ。多少の愚痴ぐらい言わせてくれ」「真は800m以上伸びませんわね」「820m当てたぞ」「一回だけですわよ」 もう良いと、拗ねる真にセシリアは苦笑、思わず右手を口に添えた。 もっとも実戦での狙撃は非常に過酷だ。毒を持つ動物が居るかも知れない、敵がどこからか狙っているかも知れない、足場が不安定になるかも知れない、誰かが襲ってくるかも知れない、優秀なガンナーであればある程周囲の気配に、鋭敏に反応してしまう。それはこの学園の射撃場においても例外は無い。狙撃に全てを集中する事はセシリアとて至難の業だ。1500mのピンポイント狙撃は真が側で警戒していたから出来る芸当であった。(まぁこれは黙っておきましょう。弱みを見せるのは得策ではありませんわ) しかし、とセシリアは思う。そう言う真も異常だ。動かない的とは言え300m以下であれば立っていようと、走っていようと、強風が吹こうと必ず当てる。勿論、銃の種類に依存はする。スナイパーライフルで800m、アサルトライフルは300m。ハンドガンでは50m、ISならばその射程は更に伸びるだろう。 そして彼女の足下にあるライフルである。セシリアが使ったこの大型ライフルは真が調整した物だった。セシリアにはまるで手足のように馴染んだ。「真はガンスミスの資質が有るのではなくって? とても使いやすいですわ」「そう? 一回ばらしてグリスアップした位だけどね」「機械と相性が良いとか言っておりましたわね。銃もそうなのかしら」「多分ね、コイツも機構を持つ立派な機械だし」 ライフルを随分と優しい目で見る真にセシリアは嘆息する。(機械の相性、銃を持ち始めて一月足らずでこの射撃能力、記憶が無い事と言い謎だらけですわね、真は)「まぁいいですわ。休憩にしましょう」「異議無し」日常編 2人の代表候補 セシリア2-------------------------------------------------------------------------------- 射撃場脇には学園のイメージからかけ離れた少しばかりの広場があった。傷み古ぼけた水の出ない噴水、塗装の剥がれ最早色の分からないベンチ、割れて荒れ果てた石畳。それらは学園が出来る前から置いてある物だった。土地を買収したは良いものの手を入れる事なくそのまま人の記憶から忘れ去られた空間。青々とした草木だけが、その場所が古い写真ではなく、現実だと物語る。2人はその廃墟めいた場所を気に入っていた。 2人にはかって其処に居たであろう憩う人々が見える。 地面にシートを敷く。携帯のコンロで湯を沸かし、ティーポットに湯を注ぐ。慣れた手つきのセシリアを見て真は空を仰いだ。もう数時間すると夕暮れになる頃。アールグレイの香りがするその青い空には雲が一つ、浮かんでいた。「セシリア、迷惑を掛けた」「何の事ですの」「この間の騒ぎの話。千冬さん機嫌悪かったろ? だから、すまない」「謝罪は既に頂いてますわ」「3人ではね。個人的にはまだだったから」 セシリアは静かに紅茶をティーカップに満たすと、そうでしたわね、と思い出したように言った。そして真の首に巻かれた包帯を見る。「真も無茶しますわ。あのディアナ・リーブスですわよ」「セシリアもそう言うんだな」「彼女の銘は有名ですわ、色々な意味で」 違いない、そう静かに真は笑う。彼女は注がれたティーカップを渡した。「真は何故そこまでしましたの?」「そこまで?」「話は聞いています。3人の友人より来たばかりの転校生を庇うなど、理解に苦しみますわ」「一夏とかにも同じ事言われたな。自分でもよく分からない」「呆れますわね。関係を持ったというあの噂、あながち的を外して―」「セシリア」「……失言でしたわね。ごめんなさい」「いや、いい」 彼女自身、何故この様な低俗な発言をしたのか驚いていた。目の前に座る真をちらと見る。あぐらを掻く彼はただ静かに紅茶を飲んでいた。セシリアと話す時の真は物静かな時が多い。彼女はその雰囲気を好ましく思っていたが、今はその静けさが不安を煽る。「もう日も陰ってきたから、そろそろ帰ろう」「真、私は―」「だから気にしてないって。セシリアだって本心じゃ無いんだろ? それに多少妬いて貰えたようだし」「か、勘違いなさらないで。このあと模擬戦を、と言いかけましたのよ」「それは残念……先約があるんだよ、だからまた今度誘ってくれ」「一夏さん?」「いや、鈴と。腕試しをしてくれるんだってさ」「確か中国代表候補でしたわね」「そそ、話した事は?」「一言二言。一夏さんに紹介して頂きましたわ。少々粗野な方ですわね」 無礼な鈴の言動を思い出しセシリアは僅かに表情を固まらせる。彼女から見れば鈴は知性に乏しく優雅さに欠けていた。食事の作法といい、他人への遠慮のなさといい、数え上げればきりが無い。同じ国家代表候補というのも苛立たしい。それに真への馴れ馴れしさは目に余る。昨日の放課後、鈴は真の肩に乗り、髪を掴んで学内を見て回ったのだ。真は戸惑いつつも笑っていた。「セシリアから見れば鈴は真逆だし、気に入らないのも想像がたくない。一夏の事もあるしね。けれど俺にとっては友人でもあるんだ、挨拶程度はしてもらえると助かる」 不安を浮かべる真にセシリアは「そういえば、真の同室者とか?」と言った。それは質問でも確認でも無かった。「へ? あぁそうだけど」「楽しそうで何よりですわ」「楽しい、か。まぁそうなんだろうな」「真は意外と手の平を返すのが早いですわね」「何のことだよ?」「なんでもありませんわ」「よく分からないけど……セシリア、聞いてくれ。帰った部屋に灯があるんだよ。帰ったら人が居てさ、ただいま、お帰りって言うんだ。最近思い知った。こんな些細な事がこんなに嬉しいと思わなかった」「……確か見つかってから2ヶ月は学園内で軟禁、その後は今までずっと一人暮らしでしたわね」「知っての通り、少なくともそういう記憶は俺には無い。つまり初めて」「なら早く家族の元にお戻りなさい。片付けは私がしておきます」「家族、か。妹が居たらきっとあんな感じなんだろうな」「ですが。次は真がなさい、紅茶も貴方が淹れる、良いですわね」「必ず」 真の背中を見送り、セシリアは器を片付ける。セシリアも肉親は居ないが、その記憶はある。真にはその記憶すら無い。あれだけの騒動を起こした鈴を、真が受け入れているのはそういう事なのだろう。鈴の事を話す真の、嬉しそうな表情を見ればよく分かる。 凰鈴音。セシリアと同じ15歳、同じ専用機持ち。真と同じ髪の色、同じ瞳の色。同じクラスの同じ部屋。セシリアの知らない真を知りつつある。「釘を刺しておきましょうか」 セシリアは1人呟いた。ざぁと、草木がわなないた。日常編 2人の代表候補 真1-------------------------------------------------------------------------------- 人間は暗闇を恐れる。それが何か分からない、という原始的な感情により生じる恐怖だ。全てを見通せるハイパーセンサーを使用すればそれはあり得ないはずである。だが人は恐れた。"センサーで捉えられない何かがそこに居るかも知れない" 瞬間的な判断が求められるIS戦においてはその恐怖が致命的になる。結局は、兵士がそうで有るようにISパイロットにも暗闇に対する訓練が行われる。そしてその夜間戦闘訓練は2年生からのカリキュラムであり1年生には禁止されていた。訓練の順番には意味がある為だ。だが代表候補生と専用機持ちは別だった。順番の保護が必要な者にその銘は与えられない、と言う事である。 午後7時半。日没が遅くなったとはいえ、空は完全に暗かった。雲が敷き詰められ星明かりすら無い。照明が完全に落とされ、観客席には誰もおらず、第3アリーナは完全に静まりかえっていた。 その暗闇の中、一機のISが宙に立つ。それは赤紫を基調とし、両肩の浮遊ユニットにはその力を誇示せんと一対の角がそびえていた。背にある大型の青竜刀がその牙であった。 鈴は自身の第3世代IS"甲龍"をまとい、腕を組み目を瞑る。肉眼では自分の鼻先すら見えないこの闇夜の中もう一つの機動音が響く。ラファール・リヴァイヴ・カスタム。学園登録ナンバー38、真が"みや"と呼ぶカーキ色の愛機であった。両肩の物理シールドを取り外し軽量化、そしてFBW(Fly By Wire:航行管制システム)をチューンし機動性を高めている。背中の多方向加速推進翼が小刻みに光を放つ、それは青い光を放つスズランの様だ。 真は鈴と同じ高度30mに立ち鈴を見据える。「遅かったわね」と鈴が苛立ちを込めて言った。「時間通りと思うけど?」「美少女を30分も待たせるなんて、いい度胸してるじゃない」 真はただ溜息をつく。"美少女"に反論しても"30分先に来て待っていた"に反論しても鈴は拗ねる。拗ねると今日の訓練は中止だろう。彼は思う、こういう時セシリアのありがたみがよく分かる。彼女はこんな事言わない。それに鈴は機嫌が悪そうだ。また一夏だろう?「悪かったって、お小言は後で聞く。アリーナの時間もあるから先に始めよう」「ふん……言っておくケド、今日はアンタの実力を見るのが目的。手抜くんじゃ無いわよ」「国家代表候補の専用機持ちに手を抜く馬鹿は居ないさ。でもなんで夜間なんだよ。昼間でもいいじゃないか」「アンタのカスタムスペック見たけど、それ高機動タイプでしょ? 昼間は他の連中が居るから、実力見られないじゃない」「仕様? 戦歴は見なかったのか?」「カスタムスペックだけ。先入観を入れたくないから」「なるほど……なら宜しく頼む。鈴」「殊勝な心意気ね、じゃ始めるわよ」「了解」「あぁそう、もう一つあったわ」「何が?」「アタシ、夜は好きなの」 甲高い、金属同士がぶつかる音が響く。 真がその音に気づいたのは、彼の左手がアサルトナイフを量子展開していた、と気づいた後だった。その左手はナイフを逆手に握っていた。刃同士がせめぎ合い火花が散る。ただ防ぎきれず、獲物を切り裂くだけの弧の刃、2mは有ろうかという青竜刀の剣圧と、甲龍自体の重さが合わさり真は姿勢を崩す。その直後、赤紫の左肘が腹部にめり込み、体を折り曲げる。次は右脚だった。重心を基点に甲龍が体を回す。そして遠心力をもった右足に頭上から蹴り落とされた。-警告:ダメージ発生 残エネルギー520- 高速落下、姿勢制御、バーニア最大。フィールド近傍で立て直す。アサルトライフル"H&K Gi36"を量子展開。FCS(Fire Control System:射撃管制システム)作動。12.7mmx99 メタルジャケット(通常弾)、弾数30。真はライフルを構えようとしたが、彼の体はそれに逆らい身を捻った。それは左方向だった。一対の回転した刃が鼻先を掠め、鈴と目が合う。真の落下中に追撃を掛けたのだった。彼はライフルのストックで甲龍の左肩を打ち付け、僅かに隙を生じさせる。最大速力で離脱、高度40m。フィールドに立つ彼女を見下ろす。 甲龍は柄同士をつなげた青竜双刀を回転、威圧する。剣風でフィールドに刀痕が走った。「やるじゃん、この技の連携で地べたに這わなかった奴は初めてね。初手を防いだ事といい、防御は褒めてあげる」「そりゃどーも……」 冗談では無い。焦るほどに早い鼓動を強引に押さえ付けた。意識の線が役に立たない。見ることは出来るが、線の後が早すぎだ。躱すだけで余裕が無い。真が初めて知る高次元の近接戦闘領域だった。 考えてみれば、模擬戦相手はセシリアと一夏のみだ。近接戦闘は一夏しか知らない。今の手合わせで分かった事は、移動、攻撃、防御、回避。加速、重心移動、強弱緩急、剛と柔。鈴の実力は次元が違った。 真の焦りを知ったのか、鈴はその唇から牙を覗かせ、挑発的な笑みを浮かべる。「でも、防御だけじゃ勝てないわよ、さぁどうする? お、に、い、さ、ん?」 鈴の挑発に、真は弾丸を持って応える。まず8発、次に急激降下、甲龍の左側へ回り込む。それと同時にフルオート14発、弾幕を躱し甲龍が迫る。バーニア最大出力、甲龍とフィールド上で交差、そのまま急速上昇。役に立たない肉眼を無視し、ハイパーセンサーで甲龍を捉える。真は上昇中に"足下へ"フルオート発射。12m後方でみやを追撃中の甲龍に迎撃する。残8発命中、推測 与ダメージ110。 その直後だった。2つの強い意識の線が真を貫き、不可視の何かが襲いかかる。彼は反射的に体を捻った。一発は逸れ、一発は被弾。衝撃が全身を襲う。アリーナのエネルギーシールドに激突。フィールドに落下した。ダメージ発生、残エネルギー420。-警告:空間の歪みを観測 歪空間兵装と推測 弾頭予測は現状不可 データ収集開始- 姿勢制御、両足と左手で着地する。土煙が巻き上がる中、真は上空の鈴を見上げた。暗闇の中、甲龍のバーニアと赤紫の機動光だけが見える。「飛び道具はあると思ったけどね、そういうのとは予想出来なかった」真は立ち上がり右手のライフルを構える。「そう、これが甲龍の第3世代兵装"龍砲"見えないでしょ? そのハイパーセンサーでも捉えられてないわね? でもアンタは初めて見る龍砲の片方を、背後からの攻撃を躱した」鈴の双眸が青く輝く。その殺気を浴びて真の、神経回路の回転数が上がり始める。口の中が辛みを帯びた。「アタシはダメージを受けるつもりは無かったし、龍砲を使うつもりも無かった。はっきり言うわ、アンタの腕は乗り始めて一ヶ月そこらの物じゃない」-報告:量子展開による弾倉交換、完了 12.7mmx99通常弾、30発-「ねぇ、アンタ何者?」「そんな事、俺が知りたい」「ふーん、言うつもりは無いって訳ね……なら、」「どうする?」「力尽くで吐かせる」 龍砲が火を噴いた。みやのバーニアが咆吼を挙げる。真が駆け抜けたフィールドに土柱が立つ。歪空間砲弾の雨が降り、一発が掠めた。みやのエネルギーシールドに歪んだ空間が干渉し、虹色に光った。「ホント、回避は大した物ね! でも何時まで避けられる?!」 真は噛みしめる。残念だがその通りだった。一発直撃で100近く持って行かれる。セミオートの砲身が2つ。しかも斜角は無制限、鈴の技能と合わさり、防戦一方だった。雲が切れ間から月の光が差し込んだ。 みやが急速上昇。その時、真の視界に人影が見えた。それは金色だった。そして、その金色は3分だと言った。日常編 2人の代表候補 真2--------------------------------------------------------------------------------「3分以内に倒しなさい」 2人が眼を向けた観客席に立つのはセシリアだった。彼女は白いワンピースにベージュのショールを羽織っていた。頭部にブルー・ティアーズのハイパーセンサーが展開されていた。鈴が殺気を放つ。「アンタに指図されるいわれは無い」「少し静かにして頂けますかしら。私は真に言っておりますの、中国代表候補さん」「無茶言うなよ、第3世代機の国家代表候補だぞ」「言いですこと? もし時間を超えたり、負けたりしたら"許して差し上げますわ"」 真の気配が固まる。それは、今の関係がお仕舞いと言う事だけでは無かった。彼は採光を欠いた暗い眼で金髪の少女を見下ろす。それはセシリアがかって死者のようと評したものだった。銃口こそ向けていなかったが、その眼は引き金を引く視線そのものであった。 真はただ薄い笑みを浮かべる。蒼い月が照らす光の下、おぞましく見えるその眼をセシリアはただ静かな笑みを浮かべて見ていた。「そうか、そういう事か。セシリアは俺に気づいていたのか」「えぇ、勿論」 勝てばセシリアの言葉に従う事になる。負ければセシリアに負ける事になる。単純な鈴との勝負が、詰まらない喜劇になった。真は眼を閉じ、鈴に向き合うと目を開ける。其処には僅かに困惑した同室の少女が居た。負けるよりは勝利の方が幾分かマシだった。ただそれだけだった。「なによ、アンタ。私に勝つつもり?」 怒気が鈴の困惑と苛立ちを塗りつぶす。「不本意だけどそういう事になった。行くぞ鈴、抜かるなよ」 鈴が牙を剥く。甲龍の歪空間砲弾が真を掠める。みやの機動音が高鳴りアリーナに木霊する。急激上昇、甲龍がそれを追う。真は月を背に身を翻す。ライフル弾をフルオート発射。全ての赤い軌跡が青竜双刀の輪転演舞で弾かれた。 甲龍のバーニアが咆吼を挙げ、月へ立ち上がる。みやが月の光を背に地に向かう。真はライフルから回転式ハンドガンに切り替えた。-兵装交換完了 79口径ハンドガン S&W M790 KTW弾(徹甲弾)装填-「そんなおもちゃで!」 鈴が叫び2人の視線が交差する。彼女の見たものはただ黒い3つの丸だった。2つの眼と1つの銃。ただ黒い丸。鈴の全身に悪寒が駆け抜けた。 ISに乗り一月足らずの真が代表候補である彼女らに対抗する為の武器は3つ。1つ、彼が意識の線と呼ぶ人の抽象的思念を感じとる能力。これは相手の動き、癖を見ることによりその精度を上げることが出来る。1つ、機械との異常な親和性。これはISに限らず銃などの武器も含まれる。そして、それらを組み合わす事による高速機動時の精密射撃。ただし、真のこの能力は精神状態に大きく依存する。顕現したのは今回を含めて2回、1回目はセシリア戦の時であった。セシリアはそれを知っていた。 2機の相対速度が音速を超え、その軌道が交差した。2発の弾丸が発砲直前の、甲龍の両肩を射貫く。-敵IS 甲龍の歪空間砲の破壊を確認- 鈴が絶句する。真はグレネードランチャー"M25-iIAWS"をコール。鈴はただ自身に向かう6発のグレネードを呆然と見つめていた。 鈴はフィールド上にあぐらで座り込んでいた。甲龍はエネルギーが尽き強制クローズ。側に立つのはみやを纏ったままの真だった。月明かりがあるので、肉眼で鈴の表情がよく見えた。怒っていた。鈴の敗北、真の勝利だった。「聞いてない」「そうは言ってもね」「聞いてない! 何よあれ!」「79口径のハンドガンだぞ、すごいだろ」「あの精密射撃のこと言ってんのよ!」「俺、機械と相性いいから、たぶんそれみたいな?」「ふざけんな! やり直しよ!」 鈴は真にいきり立つ。ふと視線を感じ見上げた。其処には月明かりを背にただ笑みを浮かべるセシリアが居た。観客席の手すりに身を預けていた。金色の髪が月明かりを浴びて、薄い蒼銀に見えた。鈴は全てを悟った。「そう、そういう事ね。コイツを侮った、私の慢心が敗因ってわけ……真」「なに?」「今回は私が負けてあげる。アンタの事も聞かない。でも、次は容赦しないから。覚悟しなさい」 鈴は予想外に冷静な態度で立ち去った。真は鈴をを見送ると溜息をついた。そしてセシリアを鋭く見上げる。みやに指示し、アリーナのエネルギーシールドを解除。セシリアの3m程横に降り立ち、ISをクローズ。2人は月明かりで浮かび上がるフィールドに顔を向ける。物音1つしなかった。ただ互いの呼吸が聞こえた。 真は腕を組み多少非難を込めて「してやられた。結局、セシリアの手の平の上って事か」と言った。セシリアは何時ものように澄ました顔で「酷い人ですわね、もう少しで真の秘密がばれるところでしたのに」と言う。「まぁそれには感謝しているけれどさ」真は納得いかないとそっぽを向いた。セシリアは眼を細めて首を傾げた。「中国代表候補のお味は如何でした?」「嫌な言い方するな……近接格闘型のパワータイプ。加えて龍砲による中距離も対応可能。アリーナは案外狭いから事実上のオールラウンダーとみていい。そして甲龍の機動音、小刻みに響くいい音だった。フレーム剛性、パワーカーブ、燃費、中国も随分丁寧に作り込んできた。きっと鈴が丁寧に攻めればセシリアも苦戦するだろ。俺が勝てたのは鈴が気づく前に龍砲を潰せたから、そんなところ」「私が勝つとは言って頂けませんの?」「言わない、悔しいから」「そうですの」 セシリアは手すりに両手をおいて、真は背を預け両肘を立て、月を仰いだ。月はただ丸かった。セシリアへの思いを知っていた事、そしてそれを利用した事、文句の1つでも言ってやろう、そして止めた。今更意味が無かった。それに身を引いたのは彼自身の選択だった。月に雲がかかる。僅かに光りが陰った。 真は身を起こす。セシリアが目の前に立ってた。白い指が真の、胸のみやに触れる。「この子とはそろそろ一ヶ月ですわね。一曲いかが?」 ソプラノの静かな声に1つだけ鼓動が高鳴った。「折角のお誘いだけど、今夜は謹んで辞退するよ。月が良くない。熱がぶり返しそうだから」「残念ですわね、私のブルー・ティアーズも疼いておりますのに」「また今度誘ってくれ」「次はありませんわ。チャンスは一回限りですの」「それは残念」 失礼しますわ、とセシリアは踵を返した。真はただ一つ問うた。「セシリア、何故俺を鈴にけしかけた?」「真、私とて苛立ちぐらい感じますわよ」「鈴との事か? 随分かってだな。今更過ぎるぞ、それ」「忘れているなら何度でも言いますわ。"私は貴方を許さない"のですから」「……そうだった、な」「もう一つ。次に私に会いに来る時は、その不愉快な匂いを消しておきなさい。失礼にも程がありますわよ」 真は言葉にならない返事でセシリアを見送った。彼はもう一度手すりにもたれ、夜空を仰いだ。僅かな安らぎと大きな痛み、其処にはまだ月があった。(よそ見をするな、か。さすが青のお嬢様だ。容赦ない) 「少し疲れた」 その言葉は月に届かなかった。ただ古い傷が痛んだ。日常編 2人の代表候補 真3-------------------------------------------------------------------------------- 部屋に戻った私は、何時ものように体に付いた汗と汚れを洗い落とし、体を拭き、着替え、廊下側のベッドに潜り込んだ。時間は11時前だったが、早々に照明を切り替えた。何時ものベッドライトだった。私は毛布にくるまり、ただ天井を仰いだ。隣の少女はただ毛布にくるまり、私に背を向けじっとしていた。私も何も口を利かなかった。時計の音だけが響く。 だから、鈴の急な言葉に、僅かに狼狽した。「ねぇ」「なに?」「アンタが言ってた一ヶ月前のって話、あの金髪縦髪ロールの事でしょ、実は付き合ってるとか?」「付き合ってない。彼女との関係は説明が難しいんだ」「カノジョ、ね。いやらしい」「言っておくけれどセ、シ、リ、アが好きなのは一夏。鈴とはライバル。強敵だぞ」 鈴の視線を感じた。彼女に背を向けようとし、それを押さえた。私はただ天を仰いでいた。「成金趣味だし、格好付けてるし、上品ぶってるし、化粧濃いし、アンタあんなの好きなんだ。シュミ悪いわよ」「だから違う」「へこんでるじゃない。振られた訳?」「へこんでない、振られてない、そもそも告白してない。ただ疲れただけ。何が言いたいんだよ」「好きになって勝手に諦めた」 私は背を向けた。鈴の声が耳に障る。「やっぱりね、そんな事だろうと思った」「鈴、今の俺は余裕が余りないんだ。放っておいてくれ。でないと、」「怒る? そういえばアンタの怒った顔見た事無いわ」「人を怒らせたいなんて、悪趣味にも程があるぞ」「アンタが言う?」「うるさい!」 私は飛び起き、怒鳴った。隣のベッドに人影は無く、鈴は目の前に居た。いつかのように両の手足で体を支えていた。あの日渡したスウェットを着ていた。その髪はただ流れ、彼女は怒りもせず、笑いもせず、ただそこに居た。「アンタが帰ってきたら殴ろうかと思ってた。腹立つから。でもアンタのみっともない顔を見たらその気も失せた」「みっともない物を無理に見る必要は無いな。もう気が済んだろ、早く寝てくれ」「拗ねるんだ。年上のくせに」「勘弁してくれよ、もう……」 俯いた私を鈴は両手で強引に持ち上げた。黒曜石の眼が目の前にあった。彼女は夜が好きだと言った。その黒い瞳も、ただ流れる漆黒の髪も闇に溶けることなく、光を放っていた。確かにこれは彼女らしい美しさだと思った。鈴はありがとう、と言った。私には何のことを言っているのか最初理解出来なかった。「まだ言ってなかったから言っておく、ありがと」「礼を言われる様なことじゃない。逆に俺の不始末なんだ。だから、」「言われると逆に辛い?」「礼なんて言わないでくれ」「そういうと思った。でも、言うわよ。いい? 良く聴きなさい。ありがとう、助けてくれて。嬉しかった。アタシ1人じゃきっと今でも泣いてた」「鈴」「何よ」「このタイミングでそれは反則だろ」「この間のお返し」 其処から先の言葉は紡げなかった。体の底からこみ上げてくる物を押さえることが出来なかった。「泣くのは普通助けられた方じゃ無い?」 鈴は私の額に唇を添えた。ただ穏やかに笑っていた。 私の涙と嗚咽は何だったのだろうか 傷心を慰められたからだろうか 労が報われたからだろうか それとも彼女の拒絶が無いと安心したからだろうか 恐らく、 その人格に歴史が無く あるのは不安と恐れ そんな外側だけの私を肯定して貰えたからだろう それはほんの些細なことであった。 それで十分だった。 暖かい気配に包まれ、そのまま眠りに落ちた。日常編 2人の代表候補-------------------------------------------------------------------------------- それは翌日の、よく晴れた日曜日の事だった。鈴が今度は本気で手を合わせたいというので請け負った。鈴には貸しどころか借りが出来た。当然だった。どうせなら、と一夏も誘った。 第3アリーナに轟音が響く。フィールドには白式とみやが寝そべっていた。昨夜の手応えから鈴が強い事は分かっていた。いや、分かっていたつもりだったようだ。一夏は龍砲無しで4分35秒。私にはハンデ無しで8分11秒だった。エネルギーはまだ残っていたが、鈴の攻撃はシールド越しにも体に響いた。鈴曰く、絶対防御も完璧じゃない。身を以て知った。 青竜双刀を回し、フィールドに突き立てた鈴はけらけらと笑う。無邪気な笑顔に脱力するしか無かった。八重歯が覗く。「いやー漸く調子が戻ってきたわー やっぱりこうこなくっちゃね♪」 私はともかく好いた男を笑いながら叩き潰す鈴を見て、一夏に同情した。休憩後もう一戦やるわよ、とピットに戻る甲龍を見て一夏が力無くぼやく。「無茶苦茶強いな、鈴。近接戦闘なら自信あったのにショックだぜ」 私は立ち上がり、仰向けの一夏に答える。「上には上が居る。良い教訓だよな」「鈴とセシリア、どっちが強いと思う?」 一夏の質問に私は戸惑った。困惑と憤り、だからこう答えた。「鈴じゃないか?」 意外そうな一夏の顔が、引きつった。私は一歩右へ体をずらした。背後から迫る光弾が左を掠めた。着弾。爆音と閃光が目の前で起こる。「へぶぅ」一夏が呻いた。もう一度右へ体をずらした。光弾が左を掠めた。「へばぁ」今度は体を左へ。弾が右を掠めた。「へぼぉ」一夏は動かなくなった。-クルージング(巡航)モードからアサルト(戦闘)モードへ移行--アサルトライフル"H&K Gi36"量子展開--FCS(Fire Control System:射撃管制システム)作動--12.7mmx99 メタルジャケット(通常弾)装填30発--READY GUN- 身を翻し大地を蹴る。みやのバーニアが轟音を響かせる。その爆発的な噴流で白式がフィールドを転がった。フィールド近傍を走る。脚力を併用し、断続的に撃ち出される光弾を避けた。 バーニアをレッドゾーンへ。光弾雷雨の中、頭上の青いそれへ駆け上がる。距離600m。FCSとハイパーセンサーによる照準補正。フルオート発射11発。ブルー・ティアーズ回避、子機を高速展開。主兵装スターライトmk3と子機の一斉斉射。金色の線を読む。全弾回避、成功。残弾発射19発。青いそれを牽制し、その頭上へ回り込む。-弾倉交換終了 12.7mmx99 アーマーピアシング(高速徹甲弾) 30発- 見下ろした第3アリーナの、ブラウンのフィールドにブルーは見えなかった。頭上から光弾が迫る。星の瞬き程の時間。見上げる空には、太陽の光を浴びて輝く、青い貴婦人が銃を構えていた。 それは暴力的な閃光と、衝撃と、轟音だった。空と大地とその境がぐるぐる回る。2度目の衝撃。隕石のような衝突音が生じ、入道雲のような砂煙が立ち上がった。一拍、静けさが戻る。 私は一つ息を吸って、一つ吐いた。大地に背を預け、大の字に寝転ぶ。遙か空に佇む彼女は、何時ものすまし顔で、物言わずただ静かに、ゆっくりと立ち去った。その金と青の姿から目を離せなかった。 墜落に巻き込まれた、足下の一夏が言う。「おい阿保」「なんだ馬鹿」「またセシリアに"落とされ"やがったか」「うるさい」「2度目だな」「だまれ」 隠す事無く怒りを湛える同室の少女がやってくる。 手放したライフルは43m先に突き刺さっていた。 全てはセシリアの手の平の上か、我ながら上手い事を言ったものだ。 空はただ青かった。--------------------------------------------------------------------------------中盤に向けて色々動き出しました。敢えて難しい方向へ。実はこの話当初予定していなかったのですが、面白そうだったのでトライ。