2日目 朝 昨夜の千冬さんとのやりとりを誰かが聞いていたらしい。既にクラスには知れ渡っていた。予想通りの展開であった。鷹月さんは目も合わせず、篠ノ之さんには絶縁を言い渡された。布仏さんはそういう風にきつく言われたらしく、ただ目を伏せていた。そしてクラス中からひんしゅくを買い、無視された。凰さんも同様である。2組の彼女らは鷹月さんに同情したようだ。偶々、鷹月さんを怒らせた。偶々、凰さんが転校し部屋を間違えた。凰さんが寝不足で苛立ち、私と喧嘩になった。苛立っていた鷹月さんが凰さんと喧嘩をした。私が担任に噛みついた。凰さんが私の部屋にこざるを得なかった。そしてこうなった。それは過去からの繋がりで、そしてまた今につながっている。たった二つの、恐らく何気ないありふれた出来事。僅か1日でこうなった。恐ろしいのはそれが進行中と言うことだ。溜息を付き、窓の外を見る私の心臓が急に締め付けられる。目に見えない糸が胸の臓器に絡まったようだった。見上げるとそこにはリーブス先生の、二つの眼があり、それは、冷たく、体が砕けそうなほど恐ろしい眼をしていた。彼女の怒りは治まるどころか悪化していた。思わず息をのんだ。-------------------------------------------------------------------------------- 2日目 昼 食堂のテーブルにはラーメンと鯖の定食と、ハンバーグ定食が並んでいた。ハンバーグは箸を刺されるとその隙間から湯気を上げる。その湯気の向こうに一夏の顔が見えた。時は昼。精神的拷問という午前の授業を終えた私は、重い体を、言うまでも無く疲弊したという意味であるが、それを引きづり食堂にたどり着いた。 頬杖を突き、あきれ顔で、溜息の一夏がそこに居る。「真、お前馬鹿だろ」「実はそうかも知れないと思い始めた」「本当に女の人を怒らすの好きなんだな。悪趣味だぜ、それ」 私は自分の口から一夏に事の顛末を話した。そして一夏の物言いに反論できなかった。ぐうの音も出ないと言う奴である。そんなわけあるか、と言う言葉は喉の途中で止まった。箸も止まる。「言い返すことも既にできねぇか。これからどうするんだよ」「何もしない、今は何やっても駄目なんだ。風向きが悪すぎる。だから一夏、もう3人のところへ戻れ。さっきから箒が"お前"を睨んでる」「でもよ、」「一夏まで3人と切り離されるとのは避けたいんだ。お前とは着替えの時でも会えるから」「そういう事、こっちは気にしなくて良いかんね♪」 その様に、あくまで軽快に物言う凰さんを一夏がちらと見、了解と立ち去った。文句を言われつつ、3人の席に腰を下ろす一夏を見届けてから、はす向かいの凰さんに声を掛けた。彼女は昼食のラーメンに手を付けていなかった。「凰、一夏に言ったとおり持久戦だぞ、出来るだけ凰の方も見るけど、女子の動向は俺から見えない部分がある。だから、何かあったら言ってくれ」「なにそれ?」「噂、もう広まってる筈だ。矢面に立つのは俺だけどね」「やーね、噂なんて気にしないわよ、ただの言葉じゃない。殴られる訳じゃないし。勿論そんな事されればやり返すけどね♪」「……言葉ってのは力があるんだ、しかも噂ってのは一回言われて終わりじゃ無い。纏わり付くんだよ、執拗に。そして実際に言われなくても聞こえる様になる。それが噂って奴だ」「なによそれ、脅しって訳?」「何でそうなる、アドバイス。まぁさっきも言ったけど殆ど俺に向くけどね」 彼女は何かを感じ取ったのか、それ以降何も言わなかった。私は目の前の食料を腹に詰め込んだ。凰さんはラーメンに手を付けなかった。-------------------------------------------------------------------------------- 2日目 午後の授業 専用機持ちは授業中、皆に教える立場となる。先日専用機持ちとなった私もその立場となった。展開したみやの脇に立ち、集まる生徒らを見れば、見事に1組の生徒ばかり。だが、彼女らが纏う雰囲気は予想より良い。多少困惑している、その様な感じを受けた。まだ噂が届いていないのか、事実は分からないが状況はまだ良い。1人ぽつんとするよりは随分良かった。 厚い雲の下、ある少女はみやに触れ、ある少女は私に視線をちらちらと投げていた。「皆はもう知っていると思うけど、コイツはデュノア社のラファール・リヴァイヴのスタンダードモデル。訓練機と全く同じ。ただ専用機って事で少し弄ってます。見ての通り左右の物理シールドは、軽量化のため取り外してあります。他には初期装備を外してすべて後付武装です。初期装備は使い勝手の割に量子格納領域を喰いますから」「先生しつもん」「はい、谷本癒子さん」「PICがあるのに軽量化するのは何故でしょうか」「物理運動的には全くその通りですが、PICは魔法の箱ではありません。質量が軽くなれば慣性処理の計算も消費エネルギーも軽減します。もちろん物理シールドが無くなることにより防御は下がりますが、第3世代機の兵装は強力なものばかりでその効果は低いです。で、回避主体の俺は思い切って取り外しました」「先生しつもん」「はい、岸原理子さん」「転校生との噂のことなんだけど……」「理子、止めなさいって」「えー、かなりんだって気になるって言ってたじゃん~」 不満を上げる彼女を見て私は前提が間違っていることに気がついた。彼女たちは噂のことを知った上でここに居る。ならばその噂は私にとって脅威では無い、その事実は私に焦燥を起こさせるには十分だった。「えーと、金江凜さん。俺は構わないから、というより逆に聞きたい。どんな噂?」 彼女らは一度互いを見合わせると「どうして転校生を庇うの?」と聞いた。 1人で立ち尽くす転校生はとても小さく見えた。-------------------------------------------------------------------------------- 2日目 夕方 そこはアリーナ脇の人目に付かない、木々に囲まれた小さな広場だった。陽はまだ差していたがそこは既に薄暗く、辺りは5月らしい植物の、土の匂いを漂わせていた。少し鼻に突く生物の生々しい匂いが私は好きだったが、今は苛立ちを起こさせる。私は近くの樹木に背中を預けていた。やってきた人物は待ったか、と聞いた。私は少しな、と答えた。 街灯が瞬き、薄暗い中アリーナが浮かび上がる。「どうだった?」「真の言うとおりだった。正直―気分が悪いぜ」 一夏が言うのは実習中に知った噂のことだった。正直、私は高を括っていた。自が耐えれば良い、自分だけを考えていた。だがその噂は、私にとって優しく、凰さんにとって厳しいものだった。― 蒼月君が凰を庇っている ―「真、半分近くの娘は正確に知っていた。お前が静寐を怒らせたこと、鈴が部屋を間違えたこと。お前にクラス代表を譲れって、噛みついたこと。静寐がそれに怒り、席替えを申しつけられ、それを防ぐ為にお前が先生に噛みついた。鈴が同室者と喧嘩して、お前の部屋に居ることも。そして箒たちと仲違いをした。鈴が寝不足で苛立っていた、とはいえ鈴は完全に悪者になってる」 私は腕を組むと樹木に後頭部を押し当てた。「それだけか?」「まだ、ある。これが極めつけだ。残りの半分に噂になっている真が鈴を庇う理由―」 一夏が告げた言葉、私にはそれが頭蓋を撃ち抜かれたように感じられた。それは最悪だった。私は何度この言葉を使い、その都度改めたか。底は抜ける為にあるらしい。私は一夏に礼を言い、足を動かした。「真はどうするんだよ、これから」「とにかく部屋に戻る。もう凰はそれを知っているはずだ。1人はまずい」「お前は、辛くないのかよ」「辛くない訳あるか。だが凰は俺以上に辛いはずだ、俺は後で良い」「嬉しくない訳無い、怒っていない訳無い、哀しくない訳無い、楽しくない訳無い、お前が言うのはそればっかりだ。何だよそれ」「一夏らしくないな。凰を見捨てろって言うのか」 一夏は腕を組み顔を見せなかった。私は踏み出した足を戻し目を伏せた。それは己の醜悪な苛立ちを知ったからだった。「帰る」「一夏」「何だよ」「すまん、世話掛ける」「……いいさ、真だしな」 一夏は鈴を頼むと言った。私たちは背を向けて歩いた。-------------------------------------------------------------------------------- 2日目 夜 凰鈴音という少女は行動力があり人見知りせず明朗闊達、これが第1印象だった。だがそれは誤りだった。彼女は人並みに、いや人並み以上に繊細な心を持っていた。恐らく、その上辺は心の奥を隠すものだったのだろう。彼女とは僅か2日間の交友だが、それがよく分かった。 手に持つ書籍から、左の窓側のベッドの主に視線を移す。同室の彼女は毛布にくるまり食事も取らなかった。夕方私が戻ってきた時から彼女はこうだった。寝ていない、起きている、ただ息を殺してじっとしていた。私の見えないところで何かあったらしい。 一夏と別れ部屋に戻ったは良いものの、結局何も出来ずただ時間だけが流れた。セシリアの時と異なり、私が謝ったところで意味が無いのだ。ただこうして部屋に、隣のベッドに居座り、ときおり彼女の作る毛布の小山をみるだけだった。 私は何か飲むかと聞いた。彼女は答えなかった。 時計が11時を告げる、私は照明を切り替えた。淡いオレンジの光が灯る。昨日と同じ。私は横にならずベッドに座り、枕元の古い本を手に取った。目に映るその古い文字の古い連なりは何度読み返しても意味を紡がなかった。それでも見続けた。彼女がねぇ、と言った。「しよっか」 私がその言葉を理解する前に彼女は床を抜け出した。そして両の手と両の膝でその肢体を支えた。混濁した瞳は私の目の前にあった。灯火が華奢な白い肌を照らす。黄の結い布が髪に無い彼女は別人に見えた。部屋に軋む音が一つだけ響いた。「ねぇ。アタシ、アンタと寝たんだって。だからアンタがアタシを庇うって。嘘は良くないわよね、だから、しよ」「やめておいた方が良い。後で辛くなるだけだ」「良いわよ、もう辛いし」「辛いってのは底が無いんだよ」 彼女は身を起こすと右拳を振り上げた。左頬に痛みが走った。「これでどう? まだその気にならないなら左手も使うからね」「泣きじゃくる娘に手を上げるほど、落ちぶれてはいない」 私を見下ろす黒曜石の瞳が鋭い光を放ち、今度は右頬に衝撃が走った。口の中に赤いそれが染み渡った。「なんでアンタは怒らないのよ! 言えば良いじゃない! お前のせいだって! 罵りなさいよ! 傷つければ良いじゃ無い! 授業ごとに担任に殺気立たれて、クラスの連中からは冷たい眼で見られて、友達から絶縁されて、アンタはなんでそんな平然としてんのよ!」「俺はな、一ヶ月前に怒りに身を任して一つの大事なものを、尊いものを壊しかけたんだ。もう嫌なんだよあんな事は。だから、それに比べれば大したことない」「だから訳わかんないって言ってるじゃない……」 頬に暖かい雫が流れる、部屋に嗚咽が漏れた。その少女は額を私の胸に押し当て体を震わせていた。まただ。またこうなった。もう御免だとそう思い、結局こうなった。私の左手は彼女の頭に向かい、肩に向かい、結局そっと頬に触れた。「何か暖かいものを淹れる。きっと落ち着く」 彼女に毛布を掛けると私はキッチンに向かった。涙に濡れたその左手はとても重かった。 器に火をくべる、中の水が動き始める。上から下、下から上、絶えず流れ続ける。どこが最初でどこが終わりなのか。「なによこれ、文字ばかりじゃない」 そういう凰さんが手にするのは先程まで読んでいた書籍だった。顔は伏せたままだったが、その声の調子に安堵を覚えた。「あぁ、漫画じゃないぞ」「しかも古くさいし難しい漢字ばっかり。こんなの好きなんだ。なんだか年寄りくさい」「失敬な。そういうの"も"読む。というか日本の文豪だぞ。俺は哀しいね、自国の古典文学を大切にしないなんて」「アタシ、チャイニーズ」「そーだったな、そういえば」 尚、悪い。「何が面白いのよ」「その人はこんな様な事を書いてる」"世の中の人は停留所で電車を待ち合わせる間に新聞を手にし、世間の出来事を知るが役所か会社に着くとさっぱり忘れるほど忙しい"「それ何時の話?」「今から100年ぐらい前かな。今と変わらないだろ?」「呆れるわね、人間って進歩無いじゃない」「俺も最初そう思った。でもその次に100年間の人が非常に身近に感じたよ。古典を読み始めたのはそれからかな」「アンタ変わってるわねー」「そうか?」「はっきり言って、変……他には?」 多少興味を持って貰えたようだ。「んー昔のある人が祭りを見てこう思ったんだ」"暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並いつる人も、いづ方へか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、すだれ・畳も取り払い、目の前に寂しげになりゆくこそ、世のためしも思い知られてあはれなれ。大路見たるこそ、祭り見たるにてはあれ"「どういう意味よ?」「簡単に言うと、祭りの盛り上がったところだけ見ても面白くない、始まりと、その途中と、終わり、それらの移り変わりを見てこそ、祭りを見る価値があるって言ってる」「あーそれ、聞いたことあるわ。なんだっけ? 無常?」「そそ、東洋思想の一つだな。全てのものは一定では無く絶えず変わり、続け、る―」 始まりと、途中と、終わり、流れ、連なり、変わり続ける、流転、転動、全てのもの、人の心……その時全てのものが一つに繋がった。「あ」「なによ、呆けた顔して」 私は興奮を抑えつつ、コンロの火を消し、彼女に歩み寄る。毛布で胸元を隠す彼女の手を強引に取った。「凰、見つけたぞ」「な、なにをよ?」「切っ掛け」 私は窓側のベッドに腰掛けると、一回息を吸って吐いた。そして目の前の少女を眼に映す。高揚した気分を落ち着けたのは、そういう話では無いからだった。「凰、昨日の質問に俺なりの回答をする」「昨日?」「凰の両親のこと」 彼女は小さく息を吸った。「君の両親は確かに好き合ったと思う。だが時間が経ちお互いが変わった。けど2人はその変化に気づかなかった、もしくは認めたく無かった。そして昔の相手を互いに押しつけた。それが苦痛になり、別の道を歩むことになった」 人は変わる。鷹月さんは出会った時の俺だけ見た。ディアナさんは俺の変化を知らなかった。少なくとも彼女は刃向かう人間とは考えていなかったはずだ。そして逆も又しかり。俺も彼女らのある一時しか見なかった。全てがそれだった。 気づけばヒントは沢山合った。自分の鈍さに呆れる。だが今更とは言うまい、今気づくことが出来た。まだ流れは撓んだまま。ならばいかようにも出来る。それはこの目の前の小さいけれど大きい少女のお陰だ。私は彼女に礼を言うと、立ち上がった。「ちょっと待って!」「凰?」「それなら、アタシはどうなるのよ!? 好きなのに! 一夏が好きなのに! 一夏が好きだったアタシも変わっちゃうの?!」 私は彼女の悲痛な思いを聞いてかしづいた。私を引き留めたか細い指が力強く握られる。そうか、そういう事か。納得だ、一夏め、羨ましい。「凰、過去を蔑ろにしろって意味じゃ無い、とらわれすぎるなって話。だから今の凰を一夏にぶつければ良い。今自分で言ったろ?"一夏が好きだ"って」「今のアタシ……」「そういう事。で、ちょっと出かけてくる。留守番よろ―へぼっ!」 ごん、と突如頭を襲った衝撃で私は壁に突っ伏し、そのまま崩れ落ちた。ぐわんぐわんと音がする。その楽器は壁か頭かよく分からない。「……凰、良い回し蹴りだった。頭に綺麗に入った。で、なんで蹴りいれやがりましたか。この台風娘」「落ち着きなさいって言ってんの。消灯時間過ぎてんだからね。直ぐバレるっていったのアンタじゃ無い。そ、れ、に、何でもかんでも自分だけでやろうとするんじゃ無いわよ。いーい? アタシにも片棒担がせなさい」 これでも格好いいオンナ目指してるんだからね、汚名返上よ。胸を張り、にまっと笑う、彼女は惚れ惚れする程もう十分格好良かった。-------------------------------------------------------------------------------- 3日目 夕方 空と大地の境に夕日が浮かぶ。影が長く差し込む渡り廊下。隣に小さく走る同室の少女に俺は話し掛けた。「見ろよ、こことここの切り傷、全く身に覚えが無いんだ。先生の機嫌は日に日に悪化してる。明日には切り落とされるかもな」「アンタはなんで嬉しそうに言うのよ……」 左手首と右二の腕に走る赤い跡、それは糸のようなもので付けられた傷だった。身に覚えはありすぎた。だが、この少女の呆れる瞳も、この傷の鈍い痛みも何故か楽しかった。「じゃぁここで別行動だ、準備は良いか? しくじるなよ、鈴」「はん、それはこっちのセリフよ。アンタこそ失敗したら許さないかんね。真」 十字路で別れた彼女を見送る。鈴は寮に、俺は職員室。鈴は鷹月さん、俺は先生だ。それぞれのすれ違った人に今をぶつける。鈴曰くバカ一夏は後回しで十分よ、だそうだ。違いない。 紙の箱を左手に俺は職員室に近づいた。それだけだ。それだけで壁を越え、意識の織りなす糸がまとわり縛る。扉を開けるとどうなることやら、それを考えると不謹慎だが心が弾んだ。今から今をぶつけに行く。 俺は構わず引き戸に手を掛けた。そこには4人しか居なかった。俺の知っていたつもりの、これからよく知る人達だった。俺は金と黒の髪の2人に近づく。喉に糸が絡みついた。それは本物だった。「蒼月君、用は無いと言ったわよね?」 金色の人の声が聞こえ、糸が食い込んだ。何故だろうか、彼女のこの感情も流れの一部分と考えると恐怖も怒りも一切浮かんでこなかった。「いえ、俺にあるんですよ」「帰りなさい、いい加減にしないと本気で―」 首から暖かいものがしみ出す。黒髪の人が眼を剥いた。俺は一歩足を進めて、左手の箱を彼女に突き出した。「個人的な用件です一息入れませんか? ディアナさん。あと千冬さんも」 2人の教諭が呆けたように見合った。2人の副担任は青い顔で失神していた。 何時もの、職員室の隣の生徒指導室。俺は紅茶を3つ淹れた。ディアナさんは箱からケーキを取り出し並べる。 ディアナさんは「あら、モンテカルロのモンブランね。どこで知ったのかしら」と言った。俺は「"セシリア"に教わりました」と答え、千冬さんはちらと俺を見た。俺は2人に紅茶を渡した。紅茶の匂いが部屋に漂う。そして俺は、一つだけ、深く呼吸をするとディアナさんに向き直り、頭を下げた。「失礼しました」「何のことかしら」「俺、先生としてのディアナさんに甘えたんです。あなただって23歳の女の人だったのにそれを見なかったんです。本当に失礼しました」 金色の人がフォークを取ると溜息をつく。だがそれはどこか嬉しそうだった。「そういう事、あなたも生意気になったのね。真」「生意気と言われるのは心外ですよ、俺だってこう言うことをするようになったんです。成長と言って下さい」「まぁいいわ。今回は大目に見ます。初めて私の名前を先に呼んでくれたから」「……そうでしたっけ?」「そうよ、何時も"千冬さんは居ないんですか? 千冬さんはどこですか?"千冬千冬千冬千冬って、あれだけ世話してあげたのに失礼な人だわ本当に」 どうやら訓練中の話をしているらしいが、全く記憶に無かった。千冬さんをちらと見ると何も言わない。どうやら本当らしい。 俺は気恥ずかしさやら、申し訳ないやらで、頬を掻きながらもう一度謝った。2人が小さく笑った。恐らく俺も笑っていたと思う。「それはそうとディアナさんは怖すぎです。それ、何とかしないと恋人見つかりませんよ。もう少しで首が落ちるところでした」「私だってあそこまで腹を立てたのは初めてだわ、誰かさんに責任取って貰おうかしら」「良いですよ、丸くなってくれるなら」「あら、女は大なり小なりこんなものよ」「その大が問題ではないかと」 ティースプーンをガチャガチャ鳴らす千冬さんだった。何故だろうか、非常に不愉快そうに見える。「そこの教師と生徒、一体何の話をしている」「良いじゃ無い、こう言うの悪くないわ」「教育倫理はどうした」「千冬はそんなんだから未だ恋人いないのよ」「ディアナが言える義理か、この爆竹女」「あら、辻斬り女がよく言うわ。ねぇ真、聞いて頂戴。千冬ったら懇親会で花束渡した男の人をナンパと間違えて叩きのめしたのよ。その人お偉いさんで、あの時は大変だったわー」「あれは体を触ってきたからだと何度言った……そういうフランスの御曹司はどうした? ホテルに入った写真みたのだがな、ん?」「あれは違うって言ってるでしょ! 打ち合わせがあるからって行ったら―」 千冬さんの話は初耳だったが、ディアナさんのはどうやらハム状に縛られた人のことらしい。長くなりそうなので、紅茶が冷めますと2人に言った。睨みを利かせていた2人が慌て席に着く。まったく知らないことだらけだ。 千冬さんは「まぁ悪くないな」と言った。 ディアナさんも「そうね」と言った。 圧迫感を感じるその部屋は何故か心安らいだ。-------------------------------------------------------------------------------- 3日目 夜 712号室の扉を開けると4人の少女と一夏が居た。今回の日常イベントの当事者達だ。鷹月さんと布仏さんと篠ノ之さんは廊下側に、鈴と一夏は窓側のベッドに腰掛ける。篠ノ之さんは相変わらずむすっとしていたがその気配は緩み、皆は笑みを浮かべていた。どうやら鈴は上手くやったようだ。私も首尾と謝罪を伝えると、皆が今までため込んでいたものを吐きだした。笑顔が戻る。 一夏によると鷹月さんと鈴は屋上で壮絶な話し合いをしたそうだ。篠ノ之さんが思わずたじろぐ程だったらしい。よく見れば2人の両頬は赤く、ひっかき傷やら、噛みついた跡やらが見える。布仏さんは針を操り、2人の制服をちくちくと直しているのだ、その平和さ加減がよく分かる。勿論皮肉だ。 私は上着を掛け椅子に座った。そして、鷹月と呼ぶと彼女が顔を上げる。彼女はライトグレーのスウェット姿で、ヘアピンが無く、髪が濡れ、いつもより大人びて見えた。 彼女へ伝える言葉は二つ。一つは謝罪、一つは今をぶつけること。篠ノ之さんの言う通りだ。私は彼女を蔑ろにしすぎた。怒るのも無理は無い。だから改めて友人としての誠意を見せようと思う。「この間はごめん」「もう良いよ。蒼月君だし」「それでさ、」「なに?」「本当は気が強かったんだな。あれ合気道だろ? 俺初めて知った」 部屋に響いた音は彼女の右手と私の左頬だった。「蒼月君って本当に一言多くなったよね!? 織斑君そっくり!」「静寐が希望するなら4月の時に戻すけど?」「……それ、ずるい」「へ?」「戻さなくて良いです。信じらんない」「?」 静寐は頬を染めてそっぽを向いた。皆は何故か呆れていた。 半眼の鈴が言う。「真、さっきから気になってるんだけど、その首の包帯何よ?」「先生とお話の結果」 眉をひそめた一夏が言う。「酷いのか?」「組織再生促進剤を塗ってる。織斑先生が"激しく動いたら吹き出すから今晩はじっとしておけ"だって」 皆が顔面蒼白の中、布仏さんは1人ちくちくと幸せそうだった。-------------------------------------------------------------------------------- 鈴が来て4日目の朝、2組の皆に3人で謝り、1組にも3,4組にも謝りに行った。皆は静寐と私が良いなら特に異論は無いらしい。鈴は多少は言われたが既にクラスに馴染めている。相川さんと馬が合ったようだ。そして1組と2組の教諭も機嫌が直っていた。リーブス先生の機嫌が良すぎて逆に勘ぐられたのはここだけの話である。 食堂に昼食を求める生徒の列が並ぶ。何時もの8人掛けのテーブルには篠ノ之さん、静寐、布仏さん、鈴がいる。篠ノ之さんと鈴は端だ。一夏の都合であった。彼女らは昨日の夜、私が戻るまでに色々決め事をしたらしい。内容は教えてくれなかった。一夏に聞いたらよく分からん、と言っていた。「一夏おそいな」と私が言うと布仏さんが「まこと君、首掻いちゃだめ」と言うので慌てて手を下ろす。そしたら鈴が「麺が伸びちゃうじゃない」と苛立ち始めた。だから、私は頬杖を突いて前からの疑問をぶつけてみた。「鈴」「なに?」「なんでクラス代表に固執したんだよ?」 セシリアもそうだったが、クラス代表にそれ程の栄誉は無い。あれば良い、位のものだ。正直、国家代表候補で専用機を持つ鈴が執着するほどの物とは思えなかった。もちろん性格も含めてである。 私の質問に女性陣の気配が僅かに堅みを帯びた。「あぁごめん、言いにくいなら良い」「アンタに言わなくて誰に言うのか、って感じよね」 鈴は軽く咳払いをする。頬を赤くしてぽつぽつと語り出したのはこんな内容であった。 鈴と一夏は古い仲、小学5年から中学2年まで一緒に居た仲だそうだ。そして小学校の頃に鈴は一夏に"料理が上達したら毎日アタシの酢豚を食べてくれる?"とプロポーズをしたらしい。可愛いものである。そして一夏を追いかけ学園にやってきたら、一夏は見知らぬ少女、篠ノ之さんとセシリアの事だが仲良く歩いているのを見て腹を立てた。これは一夏と私のパーティが開かれていた日のことだ。そして、クラス代表になればクラス代表戦で報復出来るとそう考えた。「今なら分かるけどさ、いくら何でも一緒に歩いているだけってのはちょっとアレだぞ」「それだけじゃ無いんだって! あの馬鹿一夏!」 一夏と再会した夜、つまり私が鈴と初めて会った夜、皆から勘違いされてボコボコにされた夜だが、あの時鈴は一夏にプロポーズのことを聞いたそうだ。あの馬鹿は言うまでも無く忘れていた。彼女の苛立ちは寝不足では無くその憤りだった。 そういう事か。納得だ。 一夏から女性陣の様子を聞いたのは誤りだった。一夏がこの重要な要素に気づくはずが無い。また同席する女性陣もその真実に開いた口がふさがらない様だ。 そういう事か、納得だ。「わりぃ遅れた。さ、飯にしよ―へぶらぼへっ!」 ただ静けさが食堂に訪れる。俺はその馬鹿の声と同時に立ち上がり、左足を軸に足と腰を回し、右腕をL字に曲げ、その衝撃を殺さぬよう、馬鹿の顔面をぶんなぐった。布仏さんが俺の暴力を咎めかけたが、鈴と静寐に止められた。篠ノ之さんも黙っていた。尻餅をつき、あごに手をやる馬鹿面が、いやいい。もういい。今度という今度はもう良い。「て、ってめぇ! 真! 何しやがる!」「だまぁれぇ! 馬鹿一夏! もとを辿ればお前じゃないか! 壁に立て! 108発打ち込んで壁に埋め込んでやる! 学園の教訓として永遠にその馬鹿面晒せ! タイトルは馬鹿の末路だ! だから、そのままじっとしてろ! 床に埋め込み固定してやる!」「床だ壁だと訳わかんねぇ事いってんじゃねぇ! 恩を仇で返しやがって、この阿保真! そこを動くなよ! 今からメガトンパンチ贈呈だ!!」「おーまーえーがー! 鈴をちゃんと見てないからこうなったんだろうが! もう良い! 死ね! タバスコでうがいして地獄に落ちろ! このどああほおぉぉぉぉぉぉがぁぁーー!!!!!」「人のこと言えた義理か! つか、泣くこと無いだろ!?」「やかましいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 騒ぎにやってきた千冬さんは、鈴から事情を聞くと流石に同情したらしい。両手を床に突きぼろぼろ泣く俺をちらと見て溜息をついた。「織斑、グラウンド10週だ」「千冬ねぇ! なんで俺だけ?!」「一夏が酢豚で、酢豚……鈴が、で、ぐすっ」「蒼月君かわいそ」それは3組の生徒だったとおもう。--------------------------------------------------------------------------------鈴編、如何だったでしょうか。真が居る2組に鈴が来たら、を私なりに解釈するとこうなりました。鈴というよりは、鈴と真を中心とした2組が正しいかも知れません。キーワードは変化。注目した鈴のキーワードは両親の離婚でした。何で離婚したか、それは両親の心のすれ違いから、ではそれは何でか、それは人の心の変化と言う具合です。実はこの鈴編、非常に苦労しました。HEROESの話を考え始めた時に、他ヒロインのストーリーはぱっと思いついたのですが、この鈴だけがまったく話が浮かびませんでした。追い詰められて、某サイトの中国嫁をパロって中国転校生日記のようなSSオムニバスにしようか、それとも鈴を添加剤にして静寐、本音、真のラブコメ物にしようかとか、そこまででした。外伝Miyaを書いている時に、運良くキーワードである「変化」を思いつき、鈴1,2も数回書き直してどうにか完成に至った次第です。正直綱渡りでした。ゴールデン・ウィークに重なったのは運が良かったです。読まれた方、どのようなご感想をお持ちになりましたでしょうか。書いている自分ですら、重すぎかなと思ったりしましたが、ただ今の自分にはこれ以上の鈴編はかけません、言い切ります。シリアスだったセシリア編の後なので軽快な物にしようと考えていたのですけれども。で、今後は日常編、外伝を挟んでクラス代表戦に入ります。宜しければ今後もおつきあい下さい。■補足2012/12/04ディアナの行動には理由があります。一夏が同じ事をすれば、説教程度で済んだでしょうこの説明はだいぶ先です。